43話『瑕疵』
お昼休み。ボクはとある目的の為に教室を出て別のクラスにお邪魔していた。
「や。冷泉さん」
「星宮さん! もー! なんで昨日急に帰ったりしたんですか! 突然海原さんと2人っきりにされて、緊張しましたよ!?」
「あははっ! まあまあ、いいじゃないか」
ボクは昨日、冷泉さんの恋を後押しするために海原くんとキャッチボール出来る機会を与え、途中でその場を離脱することで2人でゆっくり会話出来る時間を作ったのだ。
海原くんはかなりの朴念仁ではあるけど、自分に好意を寄せている女子と2人きりになれば流石にその想いを察する事くらいは出来るだろう。そう思ってあの場は撤退をした。あの後2人がどうなったが気になって気になって、今日は一日中ソワソワしていた。
「それで? なにか進展はあった?」
「ないですよ何も! 星宮さんが居ないのでそれどころじゃなかったです!」
「なぬっ。海原くんからなにか話されなかったの?」
「話を振ってはくださったのですけれど、上手く受け答え出来なくて……」
「むぅ。それはそれは」
いきなり2人きりにしても仲は進展しないか。奥手そうだもんなぁ冷泉さん。こりゃ成就までまだまだ壁は多そうだ。
「ふむぅ。ならば次はさらに踏み込んだ作戦を用意しないとだな……」
「あ、でもでも! また一緒にキャッチボールしようってお誘いは受けました!」
「お! 進展あるじゃん! いいねいいねっ、その調子だ!」
ナイスすぎるぞ海原くん。普段のノンデリ脳死朴念仁ぶりを抑えて上手く冷泉さんとコミュニケーションを取れていたらしい。男としての目覚しい成長に賞賛の拍手を送る。冷泉さんはそれを不思議そうに眺めていた。
冷泉さんの言ったように、その日からボク達3人は時々集まってキャッチボールを行うようになった。
ボクと海原くんは野球部なのであまり時間は割けないが、それでも数日に一回、それに休みの日なんかは時間を見つけて練習を抜け出して3人で学校近くの公園に集まるようにした。
冷泉さんと海原くんが顔を合わせる機会が増えたのは良いのだが、おかげで部内ではボクと海原くんが付き合ってて、恋愛にかまけて練習をおざなりにしているなんて根も葉もない噂が流れるようになった。都度ちゃんと否定するためそれが部室の外へ漏れることはなかったが、その噂が流れるようになってから先輩達からの海原くんへの当たりが少し強くなったような気がする。変な事にならないか心配だ、その噂を払拭するためにも早く2人には付き合ってもらいたい所である。
時系列は少し飛んで土曜日。ボクは駅で海原くんの到着を待つ。
「おっ。おーい、星宮ー!」
「! 海原くん! 遅いよ!」
待ち合わせ時間を僅かに過ぎたあたりで海原くんが駐輪場からこちらへ駆け寄ってきた。ベンチから立ち上がり、すぐ近くにやってきた海原くんにシュッシュッとシャドーボクシングを見舞う。
「いやーすまんすまん! 来る途中にチャリの車輪が変な溝に引っかかっちまって。大ゴケしたわ」
「何やってるのさ。怪我ない?」
「ないよ。てかなんだよ星宮、服装シャレてんな」
「ふふふ。可愛かろ!」
海原くんの目の前でスカートの端をつまみクルッとターンしてやる。彼はいつもと変わらない表情で「おー」と声を上げながらぱちぱちぱちと軽く拍手をしてくれた。うん、感想は???
「ワンピースとか着るんだな」
「うむ。似合うかね」
「あー……」
「?」
いつまで経っても感想を言わないからこっちから似合うかどうか訊いたら海原くんはふいっと目を逸らして言葉を濁した。に、似合ってなかったか? 男だった癖に女の格好してなにはしゃいでるんだよって引いちゃってるのかな……?
「……その、可愛いな」
「うん? なんて?」
「なんでもない! それより電車乗るんだろ? 行こうぜ!」
「あ、ちょっと待ってよ!」
誤魔化すように海原くんがずんずんと駅の構内へと入っていく。その後ろを小走りで着いて行く。
男子と女子がお付き合いするにあたり、避けては通れないであろうイベントはやはりデートである。海原くんはデートなんてしたことないし、冷泉さんもそこら辺未知の体験だろう。
初デートは男側がリードするものだと相場が決まっている、まあボクの自論だけど。そこで、海原くんの男友達でありながら女の肉体を持つという異例の存在であるボクが予行演習するという形で海原くんに経験を積ませようと決断し、今日のイベントをセッティングしたのだ。
なんという天才的な閃き、なんという友達思いな選択。我ながら検診的すぎて鼻が高くなる、ボクは本当に良いやつだなぁ!
*
なんか知らないけど星宮から『水族館に行こう!』とLINE越しに言われ、数日が経ち土曜日。待ち合わせ場所に向かったら水色のワンピースと白いキャップを被った星宮がベンチに座っていた。
遠い所でも分かるくらい彼女の存在は目立っていた。格好が奇抜だからとかではなく、人気のない駅でアホみたいに顔が良くて胸も大きな少女がベンチにぽつんと座っていればそりゃ目立つというものだ。
彼女に声をかけ姿を見つけられると、退屈そうに待っていた星宮がパッと花が咲くように一気に笑顔になって立ち上がり俺の到着を待った。すぐ近くまで来ると彼女は口で「しゅっ! しゅっ!」と言いながら虚空を殴るような動きを見せた。……可愛い。
なんなんだろうな。星宮がなんか最近やけに可愛く思える。顔が整ってるのは元からだが、単純に容姿が良いからって理由とはまた違う、上手く説明できない可愛さがあって時々胸が苦しくなる。あと、じーっと見つめられると照れくさくなる。本当になんなんだこれ。
「しかし水族館かぁ。なんでまた俺と2人で行こうって思ったんだ?」
電車に乗った後、隣に座る星宮に問いかける。すると彼女は「ふふっ」と笑い、イタズラな笑みを俺に向けて口を開いた。
「秘密っ! 言わないよーだ!」
なんだそれ。可愛すぎるだろ。なんだコイツ、中学入ってからどんどん女の子になってるやん。心臓に悪いからそういう風な態度を俺に向けないでほしい。頭がおかしくなりそうだ。
目的の駅に着き、少し歩くと目指していた水族館に到着した。入口を入ると、ライトに照らされた水槽の前で彼女は振り返り後ろで手を繋いだまま前傾姿勢になり俺の顔を上目で見てくる。
「海原くん! ミッションを与えるよ!」
「ミッション? なんだよ?」
「これは擬似デートです! 故に、今日1日彼氏みたいに振る舞うこと!」
「……ん!? 待て待て、何言ってんのお前???」
「デモンストレーションだよ。予行演習ですよ。今後もしかしたら海原くんにぴったりな女の子が現れるかもでしょ? その子とデートする時に海原くんが恥をかかない為に、ボクが一日彼女をやってしんぜようと申しているのだ」
「デモンストレーションって実演って意味だろ。予行演習じゃなくて本番になってないか? それは」
「うるさいなぁ。細かい事指摘するなよ、女の子に嫌われるよ? 早速減点です!」
「なんでぇ……? てかそもそも、なんでそんな事おっぱじめようってなったんだよ。予行演習って、お前を擬似彼女にしなきゃならん理由ってなんだ?」
「可愛かろ?」
「おー……いやいや、理由それだけ?」
「勿論それだけじゃないさ。ほら、ボクって半分男みたいなもんじゃん?」
「九分九厘女に染ってると思うが」
「そこまでは染ってないよ! まああれよ、海原くんからしたらボクの事を女の子扱い出来ない。でもボクは見た目も思考も女の子をトレース出来るから練習台として丁度いい。他にないくらいうってつけじゃないだろうか?」
「うん。まずそもそもとしてだ。なんでわざわざそんな練習をしようと思い立ったんだ? きっかけはなんだって所を聞きたいんだが」
「じゃーん!」
星宮は持っていたポシェットをゴソゴソと漁ると、中から2枚の紙切れを取り出した。
「カップル限定マスコットキャンペーン……?」
「うむ。これ1枚でなんと2回までマスコットが当たるかもというくじ引き効果があるのです」
「マスコット狙いなのか」
「それもある。ただし1人1枚しか使えないので、これは海原くんに進呈しましょう」
そう言って星宮が俺に紙を1枚手渡してきた。手渡される際、指が当たって少しドキッとした。
「海原くんはマスコット欲しい?」
「いや。ぶっちゃけいらん」
「だよねー。まあ、もしボク以外の人とここに来る機会があったらその時使いなよ。これ、10月まで使えるからさ」
「そんな機会あるかなぁ」
「きっとある! 童貞を捨てるのも近いぞきっと! やったね海原くん!」
「なーに言ってんのお前。野球部連中に毒されて頭ん中脳みそピンク1色になってるぞ」
「あの人らの話す下ネタはピンクじゃなくてドス黒いよ! 毒されてなんかない!!!」
「そうなぁ」
最近先輩からのセクハラも多くなってて辟易してるもんなー星宮。上下関係が厳しいから強く出れないってのに、助けに行かないとすごい目で睨まれるし。それになんか最近先輩からのいびりもエスカレートしてる気がするし。板挟みで疲れるわ……。
水族館に入ると星宮は「すげー!」と言いながらわんぱくな子供のように巨大な水槽の前まで走っていった。館内は暗いから走るなよって忠告したばっかりだってのに。まったく、そういう所はいつまで経っても変わらないよな、ホント。
つぅか、普通に家を空けること多いけど子育ての方は大丈夫なのかな? 唯の世話とか大変だろうに、父親に任せっきりなのか? まあ俺が気にする所でもないけど、今度様子でも見に行こうかな。
「見てよ海原くん! エイが笑っておる!」
「元からそんな顔面だろ。顔面なのかもわからんし、その部位。写真撮ろうか?」
「お! 気が利くね! ポーズ取るから待ってて!」
エイを眺めながらしばらく考えた星宮は顔の横にダブルピースを作り、表情だけエイに似せたにんまり笑顔を作りこちらを向いた。その顔があまりにも面白かったから吹き出してしまった。
「撮れたー?」
「撮れたぞ」
「ナイス! てか海原くん、ボクの顔見て笑ってなかった?」
「笑ったぞ。顔面の形面白すぎたからな」
「言い方なんとかならない? 絶妙に嫌な言い方してくるじゃんね」
「ほれ。アプリでエイと顔交換しても違和感ない」
「人の顔で勝手に遊ばないでくれる!? ぶっ、ひゃはははっ! めっちゃそっくりじゃん! その画像も送って!」
「おう」
撮った写真をいくつか送ったらそれを見た星宮がまた楽しそうに笑う。期せずして星宮の写真ゲットしてしまったな……。
「海原くんも撮ってあげるよ!」
「俺? いいよ別に」
「ダメ! せっかくこんな所に来たんだし思い出作らなきゃでしょ!」
「デートの予行演習って話だろ」
「デートだったとしても互いに写真撮り合うの! 彼氏ポイント大幅減点だぞ今のセリフは! 反省しろ!」
「ムズすぎるだろ。なんだよ彼氏ポイントって、ラブホにでも連れて行けば底上げできそうだな」
「うぇっ!? ラ、ラブホ!? 行かないよ!? 何言い出すのさ急に!」
「別に誘ってねぇよ……ほれ、撮りなさい」
「どんなポーズだよ。はっちゃけ過ぎでしょ」
水槽の前で手足の先端をくっつけて中腹部分を膨らませる謎ポーズを取ったら星宮に笑われた。自分でも思うんだが俺、愛想が良くないからな。表情筋を動かすのが苦手な分、動きでひょうきんさをアピールしないと退屈な人間だと思われるかもなので苦肉の策である。
「綺麗だなー……」
クラゲの入った水槽の前で星宮が呟く。なんだか、水槽から来る光に照らされてうっとりクラゲを見上げているお前こそ綺麗だよ、みたいな妙ちくりんな感想を抱いてしまった。
ここまで女の子らしさ全開って感じの服装をした星宮って、何気に初めて見るもんな。服装のせいで脳が変なモードに移行してるわ。正常に戻さないとな。
「ねねっ! 一緒に写真撮ろうよ!」
「え? ちょおいっ!?」
いきなり話しかけてきたと思えば、星宮は俺の横にピタッとくっつき振り向くよう指示してきた。それに従うと彼女は腕を絡めてきて、俺の胴に顔を寄せて「いえーい!」ってピースしながら自撮りモードのスマホのシャッターを押した。
「海原くんもピースしよ!」
「お、おう」
それ以前に近いんだが? ち、近いんだが!? 近いというか密着しているのだが、星宮は気にしていないのか!?
彼女に言われた通りピースをする。スマホのカメラに収まるように少し膝を曲げて身長を星宮に合わせに行くと、頬に彼女の頭が少し触れた。慌てて顔を離す。
「ん? なんで顔を離すのさ、もっとくっついてよ」
「いや!? それだと頭が当たるぞ!?」
「? それが?」
「お前は気にしないのか!?」
「気にするって何がだよ。ボクらの仲でしょ。そんな遠慮するような事もないでしょ」
「そ、そうかなぁ!?」
と、言い合いをしていたら星宮が俺の肩に腕を回しそちらの手でピースを作り無理やり顔を近付けさせてきた。
さっきより近いが!? 女特有の甘いような匂いが鼻に入ってくる、てか星宮の顔がすぐ横にある! 何だこの距離感!? つぅか触れてる星宮の肉体全部柔らけぇ〜!?
「うぉー、ヒトデに乗られてる。きめぇ〜」
「言わねぇだろ、水族館に来た人はそんな事。自分から乗せといてなんて事言うんだ、ヒトデさんに謝れ」
「ごめんねヒトデさん。イイヨ。オンナノハダハスベスベシテテキモチイイナァ」
「キモいなぁ。そんな事言ってるとしたら振り落とすべきではあるな」
「あ、もう1匹きた。コンニチハ、コウビシマショウ」
「降ろせ降ろせ。ソイツら降ろせ今すぐに」
「ヒトデって交尾するのかな?」
「するだろ。多分」
「ヒトデの交尾見てみたいなぁ。エロそう」
「お前の性癖どうなってんの?」
想像しただけで怖気立つわ。なんだよ、ヒトデの交尾って。裏側の触手で絡み合うんか? ゾワゾワするわ。
「上の階でイルカショーあるって! 行こう!」
しばらく散策したら館内アナウンスが流れ、この後イルカショーが始まるという連絡が耳に入った。それを聞いた星宮はワクワクした様子で俺の服の袖をグイグイと引っ張り、そちらに足を動かしたら手を離してダーッと階段の方へと突っ走る。
「どわっ!?」
「っ、星宮!」
暗い中で走ったものだから、闇に紛れていた段差に足を引っ掛けて星宮の体が大きく揺れる。咄嗟に俺は彼女の腕を掴み、転倒するのを防ぎこちらに引っ張る。
体重が軽かったせいか、星宮は勢い余って俺の胴体まで倒れ込んできた。それを上手い具合いに受け止め、ちゃんと立たせてやる。
「ったく、危ないから走るなっつったろ。怪我したらどうするんだよ」
「ご、ごめん」
少し真面目に注意したからか、星宮は少し気まずそうな顔になって俯き謝ってきた。はしゃぐ時は感情のボルテージグン上げする割にすぐしょぼくれるのな。まさに小学生男子って感じだ、精神面の成長が著しく止まってんなー。
星宮の被っていたキャップの上に手を置く。そんな行動を取った俺を不思議そうに星宮が見上げる。
「そんなしょぼくれんなよ。次、気をつければいいだろ」
「う、うん。……ありがとっ」
「おう」
? 別に変な事は言ってないと思ったが、星宮は一瞬目を大きく見開くとすぐに気恥しさが混じったような笑顔でお礼を言ってきた。別にしょぼくれてはないんだけど、みたいな感じの事でも考えていたのだろうか? 身長差がある分あまり表情が見えないからな、ついへこんでるのかと思ってしまったぜ。
*
な、なんだろう。転びかけた時に海原くんが言った『次』って単語に変にドキッとしてしまった。謎に嬉しくなってしまった。
文脈的には『またデート来ような』って言ったわけじゃないってのは分かるのに、何故だか勝手にそう言われたかのように解釈しちゃったんだよな。うーん、人間心理の不思議である。
「イルカショーなんて初めて来たわ。すげえ、イルカが生きてら」
「あははっ。生きてるに決まってるでしょ!」
イルカショーを見に来たら意外にも海原くんはイルカに興味津々な感じで身を乗り出してイルカの方を眺めていた。
水槽越しに見るのは躍動感が足りなくて退屈だったのかな? 心做しか目が煌めいてるように思える。あははっ、なんだか昔の海原くんを見ているみたいで懐かしいや!
「おっ! 跳ねたぞ今! すげー!」
「本当だね! でもあっちの人らすごい水しぶき浴びてるよ」
「その為に貰ったビニール傘だったのか。納得納得」
「あ! こっち来るよ! 一応傘開いといた方がいいのかな?」
「じゃね? もし跳ねたら俺らびしょ濡れだ」
遠くの方で飼育員さんと遊んでいたイルカがこちらへスイスイ泳いできたのでビニール傘を開こうとする。……ん? あれっ?
「あれっ!? この傘開かないっ!?」
ボクが知ってる傘と構造が違うのか、傘を広げる為のスイッチみたいな突起みたいなやつが根本付近に付いてない!? え、どうやって開くの!?
「星宮?」
「緊急事態です。傘が開きません!」
「は? 壊れてるの?」
「や、多分新品に近い状態だと思う……」
「あっ、跳ねた」
「えっ!?」
海原くんの言葉を聞き顔を上げると、確かにイルカは先程見た時よりも高い位置までジャンプしていた。これ、確実に着水と同時にボクらの方に水しぶきが上がるやつだ。やばくない? もう既に間に合わなくない!?
ザパーン! という音と共にイルカの体が水面に沈む。それと同時に予想していた通りの飛沫が上がる。しかしボクは足元以外はあまり濡れなかった。
水しぶきが上がった瞬間、海原くんがボクの背中に手を回して体を押して自分の身で庇ってくれた。おかげでボクの服はそこまでずぶ濡れにならずに済んだが、代わりに海原くんが頭から水を被ったみたいになる。
「ぬぉーつめてぇ!」
「海原くん!?」
「危なかったなーまじで! もう少し遅かったら危うくまたお前がブラ丸見え、どころかパンツすら透ける変態ルックになってたぞ! ナイス俺! 気まずさ回避!」
「事実そうだけど。口に出されるとなんか微妙な気持ちになるな、それ」
と、口では言うものの。また海原くんに助けられてしまった。転げかけた時に加えて2度目だ。今度こそ怒られるかなと思いきや、不安な気持ちになった瞬間に海原くんがボクの額にデコピンをしてきた。
「痛いっ!」
「だーかーら。しょぼくれんなって。楽しいじゃんかよ、今のでへこんでたら意味わかんねーぞ。折角なら全身ずぶ濡れの俺を笑っとけ」
「で、でも。濡れたのってボクが傘開けなかったからだし」
「それはガチでそう。あとな、それ普通に根元のやつ押し込むだけで開く傘だから。お前しきりに指で根元探ってたけど、開き方が違うのよ」
「なっ!? そうなの!? うわーごめん! 本当にごめっ、痛いっ!」
「謝るなー。次謝ったらデコピン五連射するぞー」
ボクのせいでずぶ濡れになったのに、海原くんは少しも怒らずにししと笑っていた。中学に入ってから初めて彼のこんな子供みたいな笑顔を見た。その顔は、小学生の頃に見たものと全く同じだった。
「しっかし酷い目にあった。タオル貰えっかなー。……? 星宮、なんか顔赤くね?」
「っ!? そ、そんな事ないよ!?」
「いや、まじで赤いぞ。どうした? 日に焼けたか?」
「あ、あはは! そうかも! ちょっとトイレ行ってこようかな!」
「おー。その間体拭いてるわ」
逃げるように海原くんの元を離れ、一目散にトイレに向かう。そして、個室に入って便座に座り自分の顔に手を当てる。
やっばい。調子狂うなぁ! な、なんなの今日の海原くんは!? こっちの想定にない行動ばっかり取ってくるんだけど!?
ひぃ。胸がドクドク言ってる。それに顔が熱い。なんで1度ならず2度までも、あんな迷いなく助けようとしてくるかなぁ!? 部活でセクハラ受けてる時はあんまり助けてくれないくせに! 意味わからーん!
いかん、平常心を保て。こんな風にテンパってても何かがある訳ではないし、これはあくまで冷泉さんとデートに行かせるための予行演習なのだから! ボクが変な気持ちになってどうするんだって話だ!
てか海原くんとは何も無いし! 男友達だし! 変な気持ちになるのがそもそもとして意味不明なのだけれどもね!?
*
「結果発表!」
あらかた水槽を見終えた後、出口に向かう通路の途中で星宮が高らかにそう宣言した。
「まだ出てないのに結果発表かよ」
「もう見るものもないし。あとはくじ引きするだけだしね。本日の海原くんの彼氏ポイントは! だらららららららっ! 89点!」
「たかっ。予想以上に高いな」
「うむ。まあ冒頭でのやり取りや所々ボクに対するノンデリカシーなセリフによって減点はされていますが、転びかけた時や水しぶきを浴びそうな時に助けてくれたので。そこで一気に80点加算されましたね」
「素の点数9点だったの!? 低すぎない!?」
「当たり前だろー! 人の笑い声を鳥みたいだなと言ったり、顔面エイみたいって笑ったり、失礼にも程があるわ! 少しくらい女の子扱いしろー!」
「えー。中身が男だからなぁ。テンション上がらんよなー、デートつっても」
「100点減点! マイナス11点!」
「あとテンション上がった時の声がまんま猿だもんな。今とか」
「マイナス111点! 落第じゃぼけー!」
「1のゾロ目じゃん。アツ」
「アツくないわ! 先が思いやられるわ! まったく!」
プンスコ怒った様子で星宮がドスドスと先へ行ってしまった。やっぱ可愛いな、普通に。危なかった。つい素で笑っちまいそうになっちまった。
……なんというか、今まで考えた事は無かったんだがもしかして俺って星宮の事を結構異性として好いているのだろうか? 確証はないが、なんだかんだデートって聞かされた時は嬉しかったもんな。
でもどうだろう。そう思い込むのは簡単だが、この感情が恋愛的なやつなのか友愛的なやつなのかの判断をつけるのは難しい。
どっちとも取れるんだよな、俺の星宮に対する行動って。大切な友達だからって言い方も好きな人だからって言い方も成立するんだよ。好きだと思い込んどいて後でそれは違うって気付いたら気まずくなりそうだから恋愛とは離して考えてるけどさ……。
「ひーん……」
「星宮。どうした?」
今日1日と、最近の星宮への感情の向け方を振り返りながら歩いていたら前方から肩を落とした星宮が戻ってきた。
「ぬいぐるみ外れたー。ティッシュ2個当たったー」
「良かったじゃん。花粉症対策できるな」
「出来るかぁ。欲しかったーイルカのぬいぐるみ……」
ふむ。そんな肩を落としてちっこくなるくらい欲しかったのか。そんなら、もうしばらくこの水族館に来る予定なんかないし俺も引いてみようかな。
「星宮。ちょっとここで待ってな」
「うん……トイレは出口行って右ね……」
「お、よくトイレって分かったな。じゃ、行ってくるわ」
「あーい……」
全くの大ハズレではあるが、くじが外れて恥をかかない為にもトイレに行くという事にして俺もくじ引き抽選所の方へと向かう。
「当たるんかい」
ほんで軽い気持ちでくじ引いたら物の見事にイルカのマスコットぬいぐるみ当たったわ。なんだそれ、物欲センサー働きすぎだろ。全くもっていらないって思ってた俺が当てるんかい。神様って残酷だな。
「星宮ー」
「ん、おかえり海原くっ、ええぇぇ!? ぬいぐるみじゃん!? どうしたのそれ!?」
「くじ引いたらなんか貰ったわ」
「引いたの!? なんで!?」
「なんでとは」
「ボク言わなかった!? もしかしたら他の人と行ける機会あるかもだからその時使いなよって! 言ったはずだよね!?」
「言われたね」
「だよね!? なんで平然とくじ引いてるの!?」
「なんでって。別にもうしばらくここ来る予定とかないし」
「分からないじゃん!」
「分かるだろ。こんな所、お前くらいとしか行かねぇよ」
「なっ…………い、いや、それはどうかなぁ!? もしかしたら誰か可愛い女の子とデート出来るかもでしょ!? 可能性を捨てるのはもったいないと思わんのか!?」
「可愛い女の子とは今日既にデートしただろ。腹いっぱいだわ。もうしばらくは大丈夫です」
「かわっ!? は、はぁっ!? 何言ってんだよ、ばか!」
「なんで今更可愛いって言われて照れるんだよ。言われたいんじゃねえの?」
「照れてないわ!」
照れてるだろ。照れてなかったらそんな目に見えて視線泳がせねえよ。モジモジもしないだろ。
褒め言葉に異常に弱いのな、中身男とか聞いて呆れるわ。普通にそこら辺にいる女と大差ねえじゃん。
「ほら、やるよ」
「えっ?」
「欲しかったんだろ? 俺は別にいらんしやる。俺だと思って心血注いで大切に保管しろよ」
「……ボクに渡すためにくじ引いたの?」
「そりゃそう。お前が要らないんだったらそもそもくじなんか引かないわ。欲しいもの手にしたんだから喜べよ、へこんでるお前見てるのは気分良くない」
「…………な、なにそれ。馬鹿じゃないの? 何の為に今日をセッティングしたと思ってるんだよ。馬鹿、ボケ原くん」
「殺すぞ」
なんかやけに人を馬鹿にした事ばかり口にするので無理やりぬいぐるみを星宮に対する押し付けて持たせる。彼女はそれを受け取ると、モニョモニョと口を動かした後、嬉しそうな顔をして俺を見た。
「ありがとうっ! ちょっと予定は狂ったけど、とっても、とっても嬉しい!」
「お、おう。そりゃよかった」
「あははっ! うん、ふふっ! 大切にする! 本当にありがとうね、海原くん!」
「おう。よかったな」
「うん! 海原くん大好き! あははっ!」
「!? わ、わかった! わかったからそろ行こうぜ!? 遅くなると、街のバス終わっちまうから、さ」
「だねっ!」
「っ!?!?!?」
ふにゃっとした柔らかそうな笑みでぬいぐるみを抱きしめていた星宮が俺の言葉に応えると、いきなり俺の手に手を重ねてきて軽い足取りで歩き始めた。まじか。手繋ぎまじか。てか『大好き』まじか。男女だぞ俺ら。中身が男とか関係なく異性だぞ、俺ら。
やべっ。心臓がありえんゴリゴリにバクついてる。なんだこりゃ、手を通して星宮にも聞こえちまいそうなくらいドキドキ言ってるわ。手汗で気付かれないか? とにかく胸が痛い、どうにかしてくれ誰か。
これ素か? 天然でやってるのか? だとしたら小悪魔じゃね? いや小悪魔って天然じゃないのか? もうわからんわ! とりあえずあれだ、星宮が喜んでくれてよかったな。それは間違いない。
……俺、星宮の事好きじゃね? 心臓のバクつきで気付いたわ。絶対そうだわ、間違いないよなこれ。
「んふふっ!」
「……」
心底嬉しそうに、愛おしそうに星宮が俺から貰ったイルカのぬいぐるみを抱きしめている。口から漏れてるわ、喜びが。
やべ〜……まじで可愛い。どうしような、気付くんじゃなかったわ。せめて気付くにしても家に着いてからがよかった。改札抜ける時に離した手が名残惜しい。変な事しないように手ぇ後ろで組んどくか……。