30話『血の繋がり』
「ふぅ〜」
「お。帰ったか」
「ただいま〜。唯もただいま」
「きゃっ、きゃっ」
学校から帰ってそのまま服も着替えずに鞄をリビングのソファーに置いて赤ちゃんベッドの前の丸椅子に座る。
てっきり帰った瞬間に赤ちゃんのギャン泣きボイスが聴こえてくるのかと思ってたのに唯は楽しそうにドーナツ型の玩具を掴んで上下に振って遊んでいた。唯はボクの顔を見た瞬間にこっちに小さな手を伸ばしてくる。顔を近づけたら鼻を掴もうと小さな指をワキワキしてくる。可愛い。
「憂。手を洗いなさい」
「む。うるさいな」
言われなくてもわかってるし! ドスドス足音を鳴らして洗面所に言って手を洗う。父さんは赤ちゃん言葉で唯と楽しくお話してる。実の父親のほにゃほにゃした言葉を聞くことになるとは、しんどいな〜なんか。
「洗ってきた!」
「ついでに靴下洗濯カゴに入れてきなさいよ。なんでその場で脱ぐ」
「父さんが入れてきて!」
「なんで!? 自分でやりなさいそれくらい」
「むー……」
渋々脱衣所まで向かい靴下をカゴに投入し早足で戻ってくる。父さんが「制服のままでいいのか?」と言っていたが、別にそれはいいでしょ! 無視して唯のほっぺを人差し指でぷにぷにする。
学校生活も円滑に事が進み、平和な2週間を過ごした。冬休みは来週からでクリスマスに向けてちょくちょくカップルが出来る中、まさかの与能本さんにも彼氏が出来て間山さん、冷泉さんも若干そういうのに興味が湧いたのか放課後の集まりが少なくなっていた。
学校から帰った後、暇を持て余したボクは唯を可愛がる事に時間を使っている。最初はしわくちゃの猿みたいだったのに、今はぷにぷにの可愛いプチ人間として愛くるしさを存分にぶつけてくる唯にかなりメロメロである。
出生までの流れは間違いなく黒歴史だけど、産まれた後が純粋に可愛い生物すぎて情緒がおかしくなる。いやはや、罪な存在ですよこの子は。母親の自覚なんてまだまだ全然ないけど、愛着だけなら母親を名乗ってもいいくらい持ってると思う。顔面全部のパーツが丸っこくてたまんね〜。
「可愛い〜!」
「にぁっ! あぶぶ」
「あははっ! 何言ってんのか意味不〜!」
唯が意味の分からない言葉を甲高い声で吐くせいで胸がきゅーってなる。クリームパンみたいな手をにぎにぎするのが癖になってやめられない。
今まで冷泉さんが癒しだったけどそれ以上に癒される〜! 癒しランキング更新だ。1位が唯で2位が冷泉さんだな。うん、間違いない。
「よいしょ」
辛抱たまらんので唯をお姫様抱っこ的な角度で抱き上げる。ちっちゃくて可愛い! たまらんね〜。早くこのぐでんぐでんの首ががっちり据わって縦向きに抱けるようになってほしい。成長が待ち遠しいなぁ〜!
「お、おい。制服のまま抱いたらシワになるだろ。それに吐いたりしたらどうするんだ」
「唯〜。パパがボクと唯のイチャつきを邪魔しようとしてくるよ〜」
「いやいや。というか俺はパパじゃ……」
「ボクのパパではあるでしょ? それにボクがいない間育ててくれてるんだからパパじゃん?」
「お前そういう意味で言ってないだろ。唯との血の繋がりっていじりで言ってるだろ……」
「血の繋がりはあるじゃん。祖父じゃん?」
「…………それはそうだが。含みがあるんだよな。時期的に俺じゃないって筈だろ、唯の父親は」
「どうだろうね〜分からないね〜? 唯はどう思う?」
「だ!」
「パパだって! わー近親相姦! ハプスブルク家!!!」
「やめろやめろ。シャレにならないって。どこで覚えたんだよハプスブルク家って」
「YouTubeで見たよ。居るんだねぇ、父さんみたいなマインドの貴族とか」
「もう勘弁してくれ。胃がキリキリするんだそのいじり……」
辞めないよ。一生涯続けていくよ絶対に。大きくなった唯の耳には入らないよう最大限気を使うけど、2人だけの場とか積極的にいじる気満々だよ。当たり前じゃんね。
「てか最近ボクに手を出さないよね。どうしたの? ロリコンじゃなくなった?」
「よく言えるなそんな事!? 今は酒に頼ってないし手なんか出すわけないだろ……」
「お酒飲むようになったらすぐにピルを服用するね」
「……」
いじめすぎたら父さんが押し黙ってしまった。唯を近づけさせて指で頬を突っかせても反応無し。あ、唯が父さんの鼻を掴んだ。好奇心旺盛だなー。
「……てかそうだ。憂」
「なに?」
「憂は、唯の父親が誰なのか気になるか?」
「え? 気にならない」
「鼻に指を突っ込もうとするのやめなさい。真面目な話をしようとしてるんだ」
「唯が楽しそうだったから。ボクも父さんの子供なので」
「中学生が赤ちゃんの真似をするんじゃないよ」
「で? なんでいきなりそんな話を?」
疲れたので唯を赤ちゃんベッドに戻す。世のお母さん達は一日の大半を赤ちゃん抱きながら過ごすんでしょ? 豪傑すぎるな、背筋とか腰の筋肉とかバッキバキに鍛えられてそう。ボクも同じことが出来るビジョンが全然浮かばないや。
「ちゅーしちゃおっ!」
「唯の父親と思しき、というか、ほぼ確実って人が分かったんだよ」
「んぇ? そうなの?」
抱っこをやめて名残惜しそうに「んゅんゅ」言ってる唯のデコに何回もキスしていたら父さんが気になる事を言った。父親、わかったんだ? 検査でもしたの? 考え事をしながら永遠にキスしてたら唯が鬱陶しそうな声を出しながらボクの唇に手を当ててきた。唇でパクっと指を甘噛みしてやる。
「誰? その人」
「……聞いて後悔しないか?」
「その心配をするならなんで話したわけ? 意味分かんないんだけど」
「そ、そうだよな。すまん」
ちょっと睨んだらすぐに謝られた。最近ボクにグチグチ責められてるからって敏感に反応しすぎでしょ。情けない人だなあ。
「うびっ!? もー、下唇掴まないでよ唯!」
「きゃははっ、きゃっきゃっ」
「お母さんいじめてなーんでそんな楽しそうにするかね。遺伝だなぁ。この子が将来大きくなって出生エピソードバレたりしたらボクも父さんみたいに意地悪言われたりするのかな。嫌だからその時も矢面になってね父さん!」
「精神病むぞ。ガチで」
「病まないでしょ〜。10年後はまだまだ元気な40代でしょ! 頑張れ頑張れ」
伏し目をする父さんにガッツポーズしてみせた。ファイト、オーですよ父さん。仲良い家族になる為に積極的にサンドバッグになってね!
そんな最悪な冗談は置くとして、よく考えたら父さんってまだ30代なのに孫いるんだ。すごい家系だな星宮家。しかも父さんは酒が入ってるだけで自分の子供に手を出す性欲アル中でしょ?
絶対にさせないけど、もし唯も僕と同じような目に遭った場合40代で曾孫、50代で玄孫が出来るなんてことも有り得るのか。グロ〜。闇深大家族じゃん。
「で、誰なの? その人」
「…………海原さんだ」
「えっ」
名前を聞いた瞬間、頭をぶん殴られたような衝撃を覚えた。
……この村は人の少ない寒村だ。名字が同じ所の家系は大体曾祖父さん曽祖母さんが同じケースが多く、星宮家みたいに親戚が居ない家庭ってのは珍しい部類にあたる。
海原家も多分、星宮家と同じくその一家で完結してる名字だったと思う。豆腐屋さんを営む海原さん夫婦しか知らない。
そして、豆腐屋さんを営んでいる海原さんは父さんとよく一緒に飲みをしている少しガタイのいいおじさんであり、ボクの友達である海原くんの父親でもある。
……じゃあ、この子は、血筋的には海原くんの妹でもあるの……? ボク、海原くんのお父さんと子供作ったの……?
ボクに乱暴をする大人の中に海原さんが居た時点でかなりショックを受けたのに、そこに更なるショックが重なって目眩がした。
「憂!」
危うく倒れかけた所を父さんが支えてくれた。腰が抜けてその場にへたりこみ、床を見ながら呟く。
「……豆腐屋の人、だよね」
「……あぁ。海原豆腐店の店主さんだ」
「間違いないの……?」
「…………あぁ」
「うっ……!」
やばい。吐き気が込み上げてきて父さんを突き飛ばしてトイレに駆け込む。
胃の中身を吐き出す。吐き切ったと思っても考える度にすぐまた吐き気を覚えて正常に戻れない。
海原くん、と、自分の子供が、兄妹………………やばいっ。やばいやばい、鳥肌が止まらない。無理無理無理無理無理無理無理無理っ、キモすぎるグロすぎる無理無理無理っ、やばい涙出てきた。嗚咽を漏らしながらゲロを吐く。受け入れられない、受け止められないこんなの。
どれくらいトイレに居たかは分からないけど、もう胃液しか出なくなるくらい吐きまくってフラフラとした足取りで口をゆすぐ。どうしよう、今の精神状態で父さんの所に戻るとまたゲロゲロし始めちゃうかもしれない。唯の世話を一任するのは父さんに悪いけど、ちょっと精神的に……自分の部屋にこもっていようかな……。
「……ごめん、父さん。疲れたから、寝ててもいい?」
「あ、あぁ。……その、やっぱり話さなかった方が」
「大丈夫。こんな狭い村で起きたことだもん、いつかは知ることになっただろうし。……その人はさ、どうするつもりなの」
「どうするつもり、っていうのは……?」
「唯の事、とか。知らんぷり?」
「……判明してから連絡して、怒鳴り込んではみたんだが、多分そうだな」
そんな事してたの? 似合わないね。
怒鳴り込んだはいいけど詰めきれなかったんだ。まあ、自分も罪があるし同じ罪を犯した大人が何人もいるんだからこんな狭い村じゃ糾弾出来ないよね。長いものに巻かれてないと生きていけないもんね。
……でも、それだけ悪いことしても外に漏れづらいというか、問題になりづらいという悪しき一面を持ってる村なのに子供を産んだからってピッタリと乱暴される事がなくなったのは意外だ。民度が低い割に引き際を弁えているというか。
すぐにでも潰れそうな脆いコミュニティだから気を付けているのだろうか? だとしたら初めからボクに手を出さないでほしかったけど。
「この事が奥さんにバレたらどうするんだろうね。あの人」
「……奥さんにバレるという事は、その他の住民にも、それこそ息子くんにもバレるって事になるだろ。隠し通すつもりなんじゃないか?」
「……」
「……憂は、どう考えてる」
「……なにが」
「子供の事。一応、慰謝料と養育費と、それから口止め料って形になるらしいが……お金で解決しようって事だろ、早い話。憂はそれでいいのか……?」
「それでいいのかって何。責任がどうとかって話?」
「それもあるが、憂の感情としてさ。どうしてやりたいとか、無いのか」
「……なにそれ」
なんでそんな事を聞いてくるんだろう。父さんの顔をチラッと見ると、彼はボクなんかよりもずっと冷たい目をしていた。
怒鳴り込みに行った時はどうもしなかった癖に、後になってどうにかしてやろうって企んでるのだろうか。余計なお世話だ、ボクの代わりに父さんがどうこうしてくれる必要なんてないし、そんな事望んでいない。
というか下手な事をして捕まったりしたら残されたボク達はどうするつもりなのだろうか? やっぱり考え足らずなんだよな、なにもかも。
「子供を産んだのに認知しないから特別憎いとかは無いよ。……ボクに乱暴した人全員、大差ない目くそ鼻くそだとしか思わない。全員同じ。みんな平等に憎いし、嫌いだよ」
「……」
「お金がもらえるのならそれでいい。生活が楽になるじゃん。唯を育てるのもお金の面では楽になるし、懸念点なんてそこくらいでしょ。……責任なんてどうでもいい、ボクに関わらないでほしい。あと、こっちから海原くんのお母さんにバラしたりとかも考えてないから。そんな事したら、海原くんの家族がバラバラになっちゃう。ボクらみたいに」
海原くんにはボクと同じような思いはしてほしくない。嫌がらせを受けてた頃は確かに不幸に見舞われてしまえと思っていたけど、唯が産まれる直前の会話でそのマイナスな考えも抱かなくなった。海原くんはこんなボクに、昔と変わらない態度で接してくれると言ってくれた。そんな相手の不幸なんて願えるわけがない。
「……っ」
というかこんな話をしていたら海原くんと唯の血縁関係に意識が向いてしまってまた気持ち悪くなる。もう考えたくない。この話はやめにしよう。
「寝るね。唯の事で手助けが必要になったら起こしに来て」
「あぁ。……ゆっくり休めよ」
「うん」
父さんとやり取りを交わし、自室の襖を閉じてベッドの上に制服のまま寝転がる。
……そういえば、海原くんは今何しているんだろう。野球部は忙しいから、遊ぶ暇なく練習に明け暮れているとかかな。ボクは体調を考えて陸上部を辞めてしまったから、部活動を続行している海原くんが羨ましい。
寝返りを打ってスマホを手に取る。通知が数件増えてる、既読は付けずに内容だけ見る。
「はぁ……」
動画アプリを開き、短い動画を数本流し見して、閉じて、SNSを開いて、面白くもない文字列を流し見して、閉じて。暇だからなにかしようって考えてるのに、何がしたいって具体的な考えが浮かばないから色んな物を開いたり閉じたりしてしまう。
素直に寝ればいいのに。自分の行動に疑問抱きながらも怠けてスマホの画面を見続ける。
「……あ」
またLINEを開いて、返信を渋ったメッセージに返信していってたら珍しい名前の人からメッセージが送られてきていた。
『お前学校復帰したの?』
名前とアイコンをパッと見ただけじゃそれが誰だか分からなかったけど、履歴を遡ったら2年前に会話してる形跡があった。会話の内容的に海原くんだ。
『復帰したよ』
『おー。おめ』
淡白な文章でのやりとり。特に面白い所もないし感情が動かされることのない、言ってしまえば会話をしてる意味が無いやりとりを交わす。
『部活楽しい?』
『楽しいぞ』
『羨ましい』
『お前は? 陸上部だっけ』
『やめた。体力落ちたし』
『可哀想に』
『思ってないだろ』
『思ってるぞ』
『へー』
……退屈なやりとりだなあ。これならテキトーな動画を流し見してた方がまだ楽しい。
さっさと会話を切り上げればいいのになんで黙々と文字を打ってるんだろう。そして、なんでこんな短文でのやりとりに海原くんは応じてくれるんだろう。
そもそもなんでLINEを送ってきた? 話の本筋が見えない。でも文字上では一応会話が地続きになってるから、話の流れをぶった切って質問を投げるのもなあ。
考えてても埒があかないし、いいや。通話かけちゃお。
「……」
『……おう。いきなりかけてくるんだなお前』
前置きなしにいきなりLINE通話を掛けたら2回コール音がなった後に出てくれた。スマホ越しに聴く海原くんの声は普通に会話していた頃から大きく乖離していた。声変わりが落ち着いて低い声になっている。成長した男の人の声だ。
永遠に高い声のボクと違って、ちゃんと男として成長してるんだな。……ちょっと羨ましい。ボクも、体がでかくて筋肉があって声が低い、そんな男の人になりたかった。
海原くんはズルいな〜って思った。再会した時に見た感じ、身長に恵まれてるし顔立ちもかっこよかった。女子にモテるだろうなって思った。
ズルいから意地悪してやろう、そう考えてボクは何も言わずに黙って相手の様子を窺う事にした。
『あれ? おーい、何も聞こえないんだけど』
「……」
『星宮?』
「……」
『星宮ー』
「……」
あ、通話が切れた。メッセージの方で『何か喋ってた? 何も聞こえなかったんだけど』と送られてくる。そりゃ聴こえないでしょうね、何も言ってないから。
何も返信せずにもう一度通話をかけてやると今度はすぐに出てくれた。出ると同時に海原くんは通話越しに『星宮ー? 聴こえてるかー?』と言ってきた。
「聴こえてるよ」
『そうか、よかった。さっきスマホバグってたのか、何も聴こえてなかったぞ』
「何も言ってないからね」
『は? えーと……いたずら電話か?』
「うん」
『切ってもいいか?』
「うん」
そう返事した瞬間に通話が切れた。即座にもう一度通話をかける。今度もすぐに出てくれた。
『もしもし久しぶりー。海原だ。星宮のスマホで合ってるかー?』
「違います。誰ですか星宮って」
『切っていいか?』
「だめ」
切られた。駄目って言ったのに。
少し間を置いてから、今度は海原くんの方から通話がかかってきた。
「もしもし星宮だよー。久しぶりー。海原くんのスマホで合ってる?」
『おー合ってるぞー。じゃねえよ、暇人かお前』
「その相手してる海原くんも大概暇人だよね」
『うるせえ。部活終わりにいきなり通話かけてきやがって』
「迷惑だった?」
『迷惑ではないが。突然過ぎて驚いたわ』
「あははっ。で、なに?」
『は? 通話かけてきたのお前だよね』
「先にLINE送ってきたの海原くんでしょ。なにか用があったんじゃないの?」
『用なら最初に送ってただろ。学校復帰したのかっていう確認だよ』
「それだけ?」
『悪いか?』
「んーん。悪くない」
『おー……お前、もしかして今機嫌悪い?』
「えっ、別に。なんで?」
『なんか元気なくね?』
元気ないというか、ベッドの上に横になってダラダラしてるから単純に声を張ってないだけなんだけど。……あ、でもそっか。海原くんと声を張らない感じで会話をしたことってあまりないもんね。そりゃ珍しくも思うか。
「元気がないというか眠たいだけだよ」
『まじか。じゃああんま長話するのもアレかな。切る?』
「繋げてる。話そうよ」
『俺はいいけど、眠いんじゃないの?』
「寝落ち通話ってやつしよ」
『なーんでお前と寝落ち通話しなきゃならないんだよ。てか俺はまだやる事あるし寝落ち通話になってねーよ』
「んー。でも海原くんの声聴いたら急に眠気きたからそのまま繋げててよ。ボクの安眠の為に」
『うん遠回しに俺と話すの退屈って言ってるよなそれ』
「逆に聞くけど今日の会話で笑い所あったっけ」
『ないな。互いに淡白すぎる。仲直りした割に仲良くない会話すぎる』
「……ふふっ」
『おっ? 笑った。笑い所あったか? 今』
笑い所はなかった。でも海原くんが仲直りなんて単語を出すから再会した日の事を思い出して何故かクスッときてしまった。なんでそうなったのかはボク自身分からないので思い出した事は言わないけどね。
「後から思ったんだけど、彼岸花ってどことなく縁起悪そうなイメージあるよね」
『そうか? 見る分には綺麗な花だと思うけど』
「なんか飛び降り自殺した人の破裂した頭みたいに見えない? 茎が胴体でさ」
『見えねーよ。どんな風に世界が見えてるんだお前』
「分からないかぁ」
『分からないな。てか、花を摘んでその場で渡すなんてロマンチックなやりとりをしてくる癖に変な所で夢のない事言ってくるなよ』
「あ、あれは別にロマンチックとかそんな事意識してやった行動では無いし」
『じゃあなんであんな行動取ったんだ?』
海原くんの問いかけに口が止まる。なんであんな行動取ったのか、か。なんでだっけ。考える。
海原くんと再会したあの日。海原くんがボクに対して『以前と変わらない態度で接する』と言ってくれた。
あの時期は、心を許せる人との交流を絶っていたり心の底から産みたくないと思っている赤ちゃんの出産日が近くなってたりで心が著しく荒んでいたと記憶している。
産まれる前の唯を殺そうとしていたし、それに成功してたら多分、父さんとか、他の大人連中も殺そうとしたかもしれない。それくらい、ストレスでおかしくなっていた。
そんな精神状態の時に海原くんが現れて、ボクが欲しかった言葉を当たり前のように言ってくれたのが嬉しかった。
『星宮?』
「考え中」
『なにを? 自分の行動原理を思い出すのにそんな時間かかるのか?』
「かかるでしょ。少し前の出来事だもん」
『テキトーでいいだろそんなもん』
「……そうだけど。でも、折角ならちゃんと思ってた事を正確に伝えた方が誤解がないし良いじゃん。現時点だとボク、芝居がかった真似をする中二病かなんかだと思われてるでしょ」
『なんかのアニメに触発されたんだろうなーとは思ったな』
「触発されてないから」
想定した通りの答えが返ってきたのでちゃんとそれを否定しつつ、考える。
砕けた調子で話してくれるのが嬉しかった。対等な目線で話してくれるのが嬉しかった。ぶっきらぼうな言い方でも最後まで話を聞いてくれたのが嬉しかった。
あの時の海原くんはボクの事を軽蔑しなかった。元々男だったのに、まだ子供なのに、他の男とそういう行為をして妊娠したボクを『外見変わるのは別に普通の事じゃね』と言ってくれたのが嬉しかった。それに関しては完全に的外れな返しだったけどね。
『お前はお前、お前がどんな行動を取ろうがそれは変わらない。そうだろ』
あの時に受けた言葉の中で一番嬉しかったものが頭の中に再生される。それと同時にあの時の光景も頭の中に浮かび、そこでようやくあの時の感情を思い出す。
「……ストレートに『ボクとまた仲良くしてください』って言葉だけで伝えたら、言葉だけで断られると思ったんだ。それが怖くて、彼岸花を差し向けて手に取るかどうかを試した」
『……なるほど?』
「最初は戸惑ってたけど、受け取ってくれたよね。あれ、結構嬉しかった」
『えっ。お、おう。それなら良かったわ』
困惑した声音で海原くんが言う。実際、あのくだりがなかったらこうして通話する事もなかっただろうしやって良かったなとは思ってる。中二病だと思われてたのはちょっと心外だけども。
……その時の光景は今でも覚えている。そして、あの時感じた正体不明の胸の鼓動も今でも鮮明に思い出せる。
嬉しかったけどそれ以上によく分からない高揚感が押し寄せてきて、胸がドキドキして、苦しくて。海原くんの目を直視出来なくて、照れくさくて、彼から逃げてしまった。
そして、その感情はしばらくの間ボクの胸から引き剥がすことが出来なかった。それがいい塩梅にストレスを誤魔化してくれて、唯を出産するまでなんとか馬鹿な行動をせずに済んだという側面もあったと思う。
……んー? 何の話だ? 変な思考してる、考えがまとまらない。まとまらないというか、海原くんの話に即した言葉を考えようとすると、頭の中がぐにゃっとする。シンプルに眠たい。
…………てか会話を始めてからすっかり意識しないようにしてたけど、唯って血筋的には海原くんの妹、なんだよな……。
「んー……」
『どうしたー?』
「いや。なんか実際に話してみたら、思ったより耐えれるなって」
『なにが?』
「色々。てか海原くん、そんなに声かっこよかったっけ?」
『声? 普通の声だろ。駅を歩けば100人くらい居そうな』
「いい感じに低音じゃん。声変わりガチャ大成功だね」
『なんだそのガチャ。声なんかどうでもいいだろ』
甘いね海原くんは。声って割とその人を印象付けるのに強く作用するからね。落ち着いた様子で話す海原くんの声は、女サイドに常に立ってるボクからしたら女子に人気ありそうな声してると思うよ。
「海原くん」
『なんだ?』
「ばーか、って言ってみ」
『なんで? 馬鹿にされたいのか? お前』
「いや? 馬鹿にされたら普通にムカつくけど。ボク意外と気が長いタイプでもないし」
『意外でもなんでもないな』
「そんな馬鹿な。世界一温厚な人間なのに」
『あー。そうな。我慢強くはあるな。生き辛いよな〜そのスタイル』
「あはは……というわけで、ばーかって言ってみ。はい、どうぞ」
『なんでそんな事言われたいんだよ』
「いいから」
『えぇ……ばーか』
「もっと相手を小馬鹿にするような半笑いの声音で言ってみ」
『演技指導? ……ばーか』
少し恥ずかしそうに、でもボクのオーダーを忠実に守ろうと努力した雰囲気は伝わる声音で言ってくれた。いいね。こういう相手を小馬鹿にする感じのセリフ、海原くんの声質と相性良いな。
『どうだ。及第点には達したか?』
「うん、満点に近いよ」
『満点ではないのな。難しい』
「海原くんはこれから何するの?」
『これから?』
「今日これから何するのかなって」
『課題やって素振りしたりランニングしたりして、その後飯食って風呂入って筋トレする』
「全力で学生やってるね」
『野球部だからな。勉強も運動もおざなりに出来ねえよ。テストで赤点取ったら練習させてもらえないし、体を鍛えないと練習についていけない』
「筋肉はついた?」
『小学生の頃とは見違えるくらいついてるぞ。腹筋も割れてるし』
「いいなぁ」
『いいなあ? 羨ましいのか?』
「羨ましいよ。その低い声も、大きな体も、真っ直ぐ努力できる心も。全部、ボクにはもう無いものだし」
『ふむ? 心も該当するのか?』
「うん」
『なんで? 女になったからか?』
「男で居たかったけど女になっちゃったから、だね」
『筋肉作りと努力に関してはお前でも出来るだろ』
「出来るかなぁ。女の子は大変なので」
『そうなのかー』
軽いなあ。てか、随分と性格が丸くなったんだなあ海原くん。低音ボイスも相まって気分が落ち着く。余計眠くなってきたな。
「じゃあ今日のスケジュールはタイト寄りなんだ?」
『あと1時間はこうしてダラダラするつもりだけど、その後はまあそうだな』
「そうなんだ。じゃあそれまでにボクは何とかして眠りにつこうかな。なんか歌ってよ、海原くん」
『なんでだよ』
「眠いんだもん。なんかテキトーな事話してよ、ボクが気持ちよく眠れるためにさ」
『歌ってほしいのか話してほしいのかはっきりしないな』
「んー……なんでもいい。声聴いてたい。なんか喋っててよ」
ボクの頼みを聞いてくれた海原くんが少々考えた後に話し始める。
友達が部室に閉じ込められて無理やり出ようとして爪を怪我した話。夏場に大量発生したボウフラの発生源は無とする説、みたいな話。妹さんが小学校高学年に上がったのによく分からない怪談話を信じている話、等々本当にどうでもよさげな話を穏やかな口調で話される。
話を聞いているうちに瞼が重くなったので、目を閉じる。相槌を打つのも面倒くさくなる。
『星宮ー。寝たかー?』
「……起きてる。けどずっと目を閉じてる」
『眠そうな声だな。時が近いか』
「ふふっ。言い方なに、中二病じゃん。……通話切らないでね、その音で起きちゃうから」
『まじかよ。じゃあスマホは部屋に置いていくか……』
ボクの無茶ぶりに海原くんは応えてくれるらしい。その後も色々と、あんまり興味の湧かない話をいくつか海原くんが話してくれた。
少しずつ海原くんの声が遠くなっていく。こんなにすんなり眠りに入れるのは久しぶりだ。唯が夜泣きするから夜も寝れなくて、そのせいで寝不足だったんだ。
心地良い微睡みに体が沈んでいく。……そういえば、今日の夕飯当番はボクじゃなかったっけ。すやすやしてる最中に起こされるの、嫌だなぁなんて思いつつ。もう起きてるのも限界なので考えるのをやめた。ぐっすり、すやあ。