28話『誕生と再開』
喧しい泣き声が聴こえる。人様に見せられないような格好で長時間激痛に耐えていた。一生この痛みが続くのか、そんな事しか頭の中に残らなくなった頃、ボクの体からもう1つの命が誕生した。
今日を迎えるその時までずっと、心のどこかでこれは悪い夢だと思っていた。
耐え続けていればいつか目が覚めて、女になるとか有り得ないよなって自分の夢に苦笑しつつ黒いランドセルを背負って、水車小屋で待ち合わせている海原くんと落ち合って、学校に着けば長尾くんや横井くん達と話して。海原くんが間山さんに酷い言葉を投げて、間山さんがそれに怒って取っ組み合いの喧嘩になって、それを見て笑っていたら巻き込まれて。そんな、かつての日常が急に戻ってくるもんだとずっと思い続けていた。
「赤ちゃん……」
夢は覚めない。全身汗だくになって、足腰がビクビク震えて全然動かせないまま、上体をなんとか起こして自分の体からでてきた小さな赤子に目をやる。
……産んでしまった。親になってしまった。まだ全然世の中の事を分かっていない、義務教育だって終えていない子供なのに。
産まれた子供は当初予定していた通り、表向きは父さんが他所の女の人と作った子供ということになった。設定上はボクの年の離れた妹、でも実態はボクの子供。ついでに言うと、この子を産んだ翌々日がボクの誕生日で、まさか自分の子供と一緒に13歳の誕生日を迎えるとは思わなかった。
子供の名前はギリギリまで誰も決めようとはしなかった。誰が父親なのかが不明だった為に名付けの権利はボクにあると言われたけど、子供の名付けなんてした事がないしそんな事を考えられる精神状態では流石に無かったのでボクは最後まで子供に名を決める事は出来なかった。
父さんに名付けをお願いしたら、父さんはかなり時間をかけた末に『唯』という名前を提案した。
……理由は聞かなかった。想像は出来る、ボクの名前が『ユウ』だから、似たような名前にしようって思ったとかどうせそんな所だろう。
普通にグロくて吐きそうになった。予期せぬ妊娠で産まれてきた子供に親と似た名前をつけるとか、父さんの神経を疑った。そういう他人の気持ちとか蔑ろにして短慮な解決策に走ろうとする所、父さんの考えが足りない所、素直に言って大嫌いだ。
父さんの提案には全然賛成する気持ちにはなれなかったけど、かといって代案もないので結局ボクはその名前を採用し、子供の名前は唯となった。
「あぶ、ぅ〜」
「……可愛い」
ベビーカーに寝かされている唯のほっぺがあまりにももったりとしているから、それを指で軽くつまんだら小さな手で親指を掴まれた。つい微笑んでしまう。
正直、産まれてくることをボクは望んでいなかったし産まれてきたことに喜びもなければ祝福する気持ちも皆無だった。父親は誰か分かっていない、でも確実にボクに乱暴した大人のうちの誰かの血が入った子供。そんな存在、気持ち悪く思う事はあっても可愛いだなんて絶対に思わないだろうなって想像していたけど、産まれてみたら意外にも唯の事が可愛く思えていた。
親としての愛情とは違う、単純に生物として可愛い。なんだろう、自分に懐いてる小動物的な? 愛玩に近い感情を抱いている。
「なあ、憂」
「なに?」
「唯も無事産まれた事だし、そろそろ学校に復帰してもいいんじゃないか?」
唯が産まれて1ヶ月ちょっと経った頃、首にガラガラを下げた滑稽な格好の父さんがボクにそう言ってきた。ここ1ヶ月、産まれてしまったものはしょうがないと割り切りオムツ替えとか授乳とかしたり産まれたばかりの唯の世話に注力していたから学校の事なんてすっかり頭から抜けていた。でもそうか。中学生なったばっかりなのに学校からドロップアウトしてたら流石にまずいか。
「でも父さん1人にしたら子育て大変じゃない? あやすの下手じゃんね」
「下手か!? お前の時でもう経験をちゃんと積んだはずなんだが!?」
「ぅ、ゔあ゛ああぁぁぁっ!!」
「声大きいから泣いちゃったじゃんか……」
「す、すまん……。唯〜、泣き止んでくれ〜」
折角穏やかな顔でウトウトしてたのに急に声量バグったような声を出すから唯がギャン泣きし始めてしまった。父さんは必死にガラガラを揺すって泣き止まそうと果敢に挑む。男の人は声は野太いから余計赤ちゃんの耳には大きく聴こえてびっくりしちゃうんだろうな。
うーん、こんな調子なのに任せっきりにするのは不安だ。正直父さん、頼りにならない……。
2人でどうにか唯をあやして、そのままお腹を優しくポンポン叩いて眠らせて一息を吐く。まったく、昼夜問わず泣き喚くから生活リズムがぐちゃぐちゃだよ。ある意味妊婦時代よりも大変だ。ボクは人生経験が伴った母親ではないから余計にしんどい、大人の余裕ってこういう場面でもやっぱり大事だよなぁって思う。
「この調子じゃ不安だよ〜……父さん、1人で唯の事見てたらまたストレス溜めてアルカスに戻っちゃいそう」
「いや、断酒は続ける。これ以上同じような失敗をしたら……流石に、俺自身耐えきれん。もう無責任な事は出来ない」
「その決意をもっと早くに出来てたらなぁ。現時点の家庭状況、傍から見たら終わりすぎてるよ? ボクらの家事情、絶対人様に言えないじゃんか」
「耳が痛いな……」
「……うーん、でも学校かぁ。現実問題、それを蔑ろにしてたらそれこそ将来的にヤバさ増すよね」
「そうなんだよ。父さんが子供の頃も中学で子供産んでた子居たけどな? その子、学校にそのまま来なくなって中卒で風俗嬢になってたからな。そのイメージが先行して憂もそうなるんじゃないかと危惧している」
「ランドセル背負ってる頃から大人とそういうやり取りしてるからね。可能性高いんじゃないの」
「! そ、それは……」
「冗談、別にそういう仕事に偏見はないけどボクはやらないつもりだよ」
「本当か!?」
「声でかいって。本当だよ。……でも、学校なぁ」
そりゃ家にずっと居ても退屈だし学校に行きたい気持ちは山々なんだけど、唯の事以外でもちょっと学校に行きづらい理由があるんだよな……。
「まあ、安田さんも子育て経験のある知り合いと相談してベビーシッターを探してくれるって言ってくれてるし。なんとかやってはみる。だから憂は学業に専念してくれ」
「んー……」
「……顔、出しづらいか? 学校。まさか! 妊娠の事がバレてていじめられてるとかか……!?」
「いや、それは無いんだけど。乳がさ」
「父? 俺? なんだ?」
「違う違う。そっちじゃなくて、おっぱいの方」
「胸? ……ふむ」
「ちょっと!」
父さんが何事かとボクの胸を凝視してくるけどまじか。自分の子供の胸をよく凝視できるな。授乳した後で服が緩んでいたから慌てて胸元を手で隠す。ノンデリすぎるこの父親。
「……確かに、妊娠を経て大きくはなったか? でもそんなに気になるかね。制服着たらあまり目立たないだろ」
「大きさはどうでもよくて。母乳出るじゃん。そこが問題というか」
「あー……」
どういうメカニズムなのかは分からないが、ボクはまだ未熟な体であるはずなのに出産が近くなった頃からなんか勝手に母乳が出るようになった。しかもその分泌量? 生成量? が多い気がする。一般的な量を知らないからなんとも言えないけど、授乳を始めて唯が満足して口を離してもなお出てくるから結構困っているのだ。
授乳から時間が経つと胸が張って不快感も出てくるし、その不快感を抱いたまま学校には行きたくない。し、学校に行くってことは授乳の頻度が減る事も考えられるから、体育をしてたり部活してる最中なんかに強い刺激を受けた際母乳が噴き出してしまうんじゃないかって考えてしまう。
学校の友達に母乳噴き出してる所なんて見られたらもう、それこそ二度と学校に通えなくなるよ。恥ずかしいなんてもんじゃない、この村に居続けるのが無理になる。或いは顔面を剥ぐくらいしないとシラフでは生活できなくなってしまう。
「それなら母乳パッドってやつを買えばいいんじゃないか? お前は絶対にいらないって言って買わなかったけど、予想に反して沢山出るってんなら用途に適してるし買うべきだろ」
「うーん……」
「微妙か。それなら授乳ブラってやつはどうだ? 必要ならば買ってくるぞ」
「……前々から思ってたけど、父さん赤ちゃん用品系にやけに詳しいよね。なんかちょっとキモい」
「なんでだよ。そこら辺はちゃんと親として調べあげてなきゃダメだろ」
「あ、今父さん親としてって言ったね。やっぱり父さんとの子か。結局近親相姦ベイビーかぁ。最悪だ。変態、鬼畜」
「そういう意味じゃなっ!」
「しー!」
また声を荒らげそうになる父さんの口に手を当てて強引に黙らせる。学ばないのかこの人は? 気持ちよさそうにすぴすぴ眠ってる赤ちゃんを前にして大きな声なんて出すんじゃないよまったく。
「冗談だよ。父さんがボクに対して近親相姦ぶちかましてきやがったのは紛れもない事実だけど、最後に出された日と生理止まった日は離れてるから多分父さんの血は入ってないでしょ。安心しなよ」
「すまん……」
心の底から申し訳なさそうに父さんが頭を下げた。今ので唯は起きなかったから別にそこまで怒ってないんだけど、何をそんなに申し訳なさそうにしているのか。親子の軽いやり取りじゃないか。ジョークにガチな反応返されても困るんですけど。
「……あ。でもボクら親子なのに近親相姦して子供作ったって方がちょっと面白いかも。父さんからしたら孫の筈なのに実の子供なんだもんね。唯とボクとの関係性も、設定じゃなくて本当に『娘であり妹』になるわけだ。エロゲーみたいで背徳的〜」
「シャレにならないだろそれは……」
「まだランドセル背負ってる頃の自分の子供犯してる時点でシャレにはならないよ? 本来なら逮捕だよ?」
そんな事になったらいくら何でも父さんが可哀想だし、父さんの家族仲とか人間関係が終わりすぎてるせいでボク自身親戚とか居ないからメリットがないし通報なんてしないんだけどね。
軽い口調で言ったのにまた父さんが頭を下げる。加えて実の子供に『本当にすみませんでした』とか堅っ苦しい言い方までしてきた。父さんがボクに敬語で謝るとかギャグでしかない、ちょっと笑ってしまった。
「俺は、取り返しのつかない間違いを」
「もういいって。母さんの代わりになるくらいだったらいい、元はと言えばボクのせいで母さんとの関係が壊れたんだし」
「それはちがっ」
「いいから。まあ知り合いを家に招き入れたのはどう考えても頭おかしいと思うけどね。その結果酷い目に遭ったんだし」
「……くっ、すまない……ごめん……ごめんな、憂……」
なんで泣くー……?
なんかここ数ヶ月、全然父さんが目を合わせてくれなくなった。それにずっと暗い、一緒に居ると気が滅入るくらい気分が落ち込んでいる。家の中で鉢合わせしたら謝ってばかりだし一体どうしたんだろう、何か嫌な事でもあったのだろうか?
「憂、憂……っ、俺は……本当に駄目な奴だ……父親失格だ……っ」
「……」
なんだかなぁ。
まるで、『本来ならあんな事をする筈が無かった人が取り返しのつかない過ちを犯して強く反省している』かのように錯覚しちゃうよ。そんな泣き方されると。
本当は悪いと思ってないのに白々しく申し訳なさそうにしている父さん見ると笑けてくるからやめてほしい。ボク、真剣に父さんの事を軽蔑してるのに『この人って事の善悪とか分かるんだ』なんて思ったら意味分からなくなるじゃないか。
善悪を判断できるような人は血の繋がった子供とヤッたりしないし、12歳の子供に赤ちゃんなんて産ませませんよー? 辻褄が合わなくなる行動は控えてくださいね。
「まあでも結局学校には行かないと色々やばいし、父さんが言ってた授乳ブラ? 買ってきてくれると助かるかな」
「あ、あぁ。でもデザインの好みとか善し悪しとか俺には分からないぞ。……一緒に行くか?」
「唯が寝てるのに?」
「それはそうなんだが、ほら。女性の身に付けるものは本人に選んでもらった方が……」
「寝てる子を無理やり車に乗っけて連れ回すとか意味分かんないでしょ。ビデオ通話で見せてくれたらよくない? 頭使いなよ」
「す、すまん」
「てかビデオ通話もいいや。テキトーに選んできたよ。どうせボクの下着姿なんて見る機会があるとしたらおじさん連中だけなんだし。可愛いのとか選んでも意味ないでしょ」
「……そう、だな。…………いや。もうそういうのはさせない、絶対にもう同じ失敗は」
「信じないよ? 前科あるし。どうせまた子育てが落ち着いたら同じ失敗を繰り返すよ父さんは。そういう人間でしょ?」
「……っ」
「あ、買い物行くの? 行ってらっしゃーいパパ。唯も手を振ってるよ〜」
「……っ」
眠ってる唯の手をそっと持ち上げて、ガラガラを外して財布を持ち廊下を歩く父さんに向けて手を振らせてあげた。愛する我が子(孫?)が眠りながらも可愛らしく見送っているっていうのに父さんは後ろめたい思いでもしているかのような表情を一瞬作り、その後苦笑いで手を振り返していた。
……なんか、父さんに対して意地の悪い発言をする機会が多くなった気がする。でもこういう事を言うと少し胸が晴れるから辞められないんだよな。なんでなんだろうね。
でも父さんはストレスが溜まると酒が溜まって、理性を飛ばして手を出してくる終わった人間だからな。あんまりやりすぎると逆ギレされたりするかもしれないし意地悪な事を言うのも程々で止めておこう。一度悪い事をし出すと、取り返しつかない事になるまで一切理性を取り戻してくれないからな父さんは。
さて。父さんが消えて家にはボクと眠っている唯だけ。何しよう。
唯の傍からは離れられないし、久しぶりに絵の練習でもしてみようか。大分ブランクが空いてるから下手になってるのは確実、折角自分なりの趣味として頑張ってきたんだし自由行動ができるうちに落ちた腕をある程度本調子に戻せるよう頑張ってみるか。
自分の部屋……妊婦の時に階段の昇り降りをするのは危険だからという理由で1階に移された自室に入ってスマホとデッサン用のノートと鉛筆を回収する。
「おわー、めっちゃ来てる」
戻る途中でスマホを開いたら複数件の未読メッセージが溜まっていた。今までに見た事ない通知の数に声を漏らしてしまった。
休学すると決めて3日後みんなに『病気になったので入院します』って送ったっきりLINEを確認してなかったから相当期間が空いちゃったな。そりゃ未読もたまるわけです。
……なんか、LINEを交換してない人達からメッセージが送られてる。なんで?
とりあえずそっちは一旦スルーで、間山さん、与能本さん、冷泉さんのトークルームを開く。
「噂……?」
与能本さん、冷泉さんからは十数件ほどメッセージが飛んできていて、内容はどちらも『垣田が言ってたのって本当?』、『噂で言われていることって、事実なのですか……?』的な内容だった。垣田くん? 何の話だろう。
てか噂ってなんだろう。……お腹が膨らんでいる姿を垣田くんに見られた? なんで? 中学の近くに住んでるなら家の距離かなり空いてるし、そもそも外出した日なんて酒のお使いに行かされた日ぐらいでほぼ家にひきこもってたぞ?
となると、てっきり性転換の話がどこかから漏れたのかと思ってたけど垣田くん絡みの話ってことはそれは無関係だよね。ふーむ?
下にスクロールすると冷泉さんからは『星宮さんを信じてます』的な事が書かれていて、与能本さんからは『返信ないってことはそういう事なんじゃん』と送られていた。穏やかじゃないな、何かしらの事件が起きたのは確実で、そこにボクも関与してるっぽい。
何が起きたのかは間山さんのトークルームを開いた事で大体が解けた。どうやら、垣田くんか谷岡くん辺りが宿泊学習の覗き事件の真犯人はボクなんだと触れ回り、教室でちょっとした騒ぎになったらしい。
なんでも、ボクが事前に垣田くんに部屋に来るよう伝えて、言う通りに部屋に来た事でボクら4人の下着姿を目撃し最低なセクハラ野郎のレッテルを貼らせる事を企んでいたらしい。ボクは。うん、身に覚えなさすぎ。
動機としては、合法的に彼をいじめてもいい人間に仕立て上げようって感じらしい。うーん。
「……なんで?」
なんの意味があるのそれ。ボクが垣田くんをいじめて得ある? 全く意味が分からないんですけど。
さらにスクロールすると、どうやら女子が男子をいじめることで教室内で強さを誇示し、確固たる地位を獲得する為にそんな事をしている、と触れ回っていたらしい。なるほどねぇ。
別にいらないなあ、教室での地位とか。
てか人をいじめることで地位を得られるの? そんなの、トップに君臨した人をいじめれば誰でも繰り上がるみたいな話になってくるじゃん。なにそのハリボテの称号。都落ちがすぐ目の前に見えてる名声になんの意味があるの???
とりあえず三人それぞれに適切なメッセージを返し、残りのメッセージを見る。予想した通り、それらの噂に振り回された人達がボクに対して質問を送ってきたり罵倒してきたりっていう内容に塗れていた。
うーん、罵倒系がちょっと辛いな。見るだけでメンタル病みそう。よく読まずに削除しちゃおうこんな炎上案件。
「学校に通いづらい理由が更に固まってしまった……」
三人には返信したけど、もう5ヶ月くらい学校に顔を出してないしメッセージすら無視してたから今更誤解を解くのってほぼほぼ無理だよな〜。噂自体は風化してるかもしれないけど、ボクが現れたらまた再燃する可能性あるしね。こりゃ、2年生になるまで学校は保留かなぁ。
……いや、逆に学年が繰り上がるまでこの噂を温めた方がリスク高いかな? 2年生になってクラスが変わったとして、1年生の頃のクラスメートと同じクラスになるのは流石に免れないだろうし、その子をきっかけにして噂が伝搬していったらそれこそ丸1年間白い目で見られる事になる。
ここは、進級する前に学校復帰してどうにか誤解が解けるように説明して回っておくべきか? 気は進まないけど、残り数ヶ月を準備期間として耐えるか1年間白い目で見られるかで言ったら前者を選びたいな。
冬休みや春休みの期間を除けば3ヶ月ちょいしか登校日数ないし、まあ仮に悪いように転がったとしても耐えが必要なのは僅かだ。勇気を出して学校行ってみるか。
「だから、それは誤解なんだって!」
「でもしばらく連絡返してこなかったじゃん」
学校に復帰するか否かを父さんと相談した日からさらに2週間後。12月に入ってからボクは中学校に通い直し、着いて早々与能本さんと冷泉さんの誤解を解こうと話しかけに行った。
ボクと直接的な関わりが少ない生徒達はボクの方を見てヒソヒソと小さな声で話している。初めは髪を短く切っているせいかボクが誰なのか分からなかったみたいだが、二人に話しかける時の声とノリからボクと断定されたようだ。
若干の居心地の悪さは感じるものの、今は二人の誤解を解いて分かってもらうことが先決。周りの生徒の誤解を解くのは後、とりあえず仲の良い人から味方につけていなくては。
冷泉さんはボクの言葉を一つ二つ聞くと「ですよね」と優しく微笑んでくれた。しかし、与能本さんはそれだけじゃ納得できないようでボクに対して質問をしてくる。
「後ろめたいことがなければすぐに返信返せたよね?」
「入院してたからあまりスマホを見れなかったんだよ」
予め用意していた答えを口にする。もう少し間を持たせて言った方が良かったのだろうか、すぐに言葉を返したボクに対し与能本さんは疑うような表情を見せた。
「そういえば、入院するって言ってたけど何の病気なの? 先生、後になって連絡が来たって言ってたよ。二日無断欠席した後の連絡だったって」
「免疫系の病気だよ。ボクもよく分からないけど、免疫力が下がって体調を崩してたんだ」
「へぇー」
如何にもな説明をすると与能本さんは一応分かってくれたのか、疑う表情をやめて素直に腕を組み相槌を打ってくれた。
バレない嘘を吐くためには本当の話も織り交ぜた方がいいって聞くけど、流石に性転換症に絡めた話をするのはまた別の問題が浮上しそうなので真っ赤っかな嘘を吐かせてもらいました。証拠を見せろって言われたら諦めて性転換症の診断書を見せるけど、そう言われるまではこの設定を貫こうかな。
「じゃあそれが誤解だったとして。垣田や谷岡はなんでそんな嘘を吐くわけ?」
「それはボクには分からないよ。二人に何かした覚えはないし、そもそもそんなに会話した記憶もないしさ」
「ふーん。あ、間山だ。おはよー間山。星宮来てるよー」
「! 星宮っ!!」
「わわっ!?」
二人と話している途中で間山さんが教室に入ってきた。彼女はボクがいると知った瞬間、荷物を投げ出す勢いでこちらに突進してきて不意打ちで抱き着かれてしまった。
……平気でボクに抱きつけるんだなー間山さん。ボクが男だった頃の記憶もあるんだよね? 抵抗とか抱かないのかなそんな奴に対して。相変わらず大きい間山さんの胸がボクの胸を圧迫し……っ!!
「待って! あんまり強く抱き着かれると乳がっ」
「乳?」
「っ!?」
やっべえ〜〜〜!!! つい口を滑らしかけた!!! いやでもギューって抱き着かれたら、胸元が密着されたらその刺激で母乳がですね……なんだこれっ、自分で考えててアホなんかって思ってしまった。なんだこれ!
一応父さんが買ってきた授乳ブラなるものを身につけているから不測の事態にはならないと思うけど、でもこんなに人に密着されたの久しぶりだから嬉しさより心配が勝る。察して離れてくれ〜間山さんっ!
「久しぶり、星宮。ずっと会いたかった……!」
「う、うん久しぶり。あのね間山さん、噂になってる件は誤解で……」
「分かってるわよそんなの! あんたにフラれた谷岡とあたしらに逆恨みした垣田が勝手に捏造した噂でしょ!」
「そうなの!? そんな理由で流れてた噂なの!?」
「絶対そうでしょ! そもそも星宮はずっとあたしと一緒に居たじゃんあの日!!」
「それはそう。ずっとくっついてきてたよね……」
「ほら! だから言ったじゃんみんな! 星宮は潔白なの!!!」
ふむ。間山さんはボクがいない間もボクの潔白を必死にみんなに訴えてくれていたらしい。嬉しいな。でもそれが信じられてなかったのは、多分当事者であるボクがタイミング悪く不審な無断欠席をしたのと、アリバイを主張出来なかったからって理由が大きいんだろうな。
間山さんの訴えがクラス中に響くと、ヒソヒソ話しをしていた連中のうち数人がボクらの方を向き声を投げてきた。
「証拠はあんのかー?」
「証拠って。星宮が今言ったじゃん! あたしらはずっと一緒にいたの! 垣田なんかと話してる隙なんかなかったから!」
「バスに乗ってる時は一緒の席だったじゃんか」
「仕方なく隣の席をゆずってやっただけで垣田が言うような会話はしてないから!」
「証拠はー?」
「出せるかそんなもん!!」
「え、いつもこんな高火力な言い合いしてたの?」
「いや、星宮がいない間は小さく縮こまってた。あんたがいないと間山も本調子になれないっぽいわ」
「ですね〜」
あれま。そうなんだ、ボクがいる時限定でバフがかかるんだ。なんだそれ。つまり間山さんが誰かと喧嘩するようなことがあれば責任はボクにあるって事? たまったもんじゃない巻き込まれ事故ですねそれは。
「なんか勝手な事言ってるけどさ。俺らが嘘吐いたって証拠も出せないのに今更あの噂は真実じゃないですってのはおかしな話じゃないか?」
あれ、谷岡くん? 居たんだ。教室の前の方の席で男子数名で固まってる中から声がしてくるかと思えば、谷岡くんが立ち上がってボクらの方を向いて主張を始めた。
「真実じゃないのなら噂が広まった時点で否定すればいいだろ。それをしなかったのって、思い当たる節があるから強く出られなかったって事じゃないのか?」
「う、うっさい! そんなのっ」
「間山さん。感情的になりすぎかも……」
冷静にこちらをチクチク責めてくる谷岡くん、完全にその挑発に乗せられてしまっている間山さんの口に手を当てて静かにさせる。
まあ、いずれはこういう意見のぶつけ合いになると思ってた。覚悟はしていた、まさか初日からそのバトルが勃発すると思わなかったけど。
「否定出来なかったのは、入院中スマホを見られる状態じゃなかったから連絡を返せなかったってだけだよ」
「入院中と言うが、星宮のそれは嘘なんじゃないか? 何の病気にかかったっていうんだよ」
「与能本さんにも説明したけど免疫系の病気だよ」
「証拠はあるのか?」
「あるよ? 病院で診断書貰えば見せれる。なんなら明日持ってこよっか?」
「っ、……いや、いいよ。分かった」
お? 持ってこいよって言われたら性転換症の診断書を持っていけばいいやって心持ちで毅然とした態度で言い返したら相手の方が引いてくれた。
絶対に嘘だって確信してたっぽいな。しかしボクが自信満々な態度で返答するから旗色が悪くなったと判断したか。ご都合主義ばりの好都合だねぇ、現物を見せることになったらボクの方が旗色悪かったし。診断書、過去のものしか持ってないからね。
「病気の件は分かったけど、でも星宮さん達垣田くんに対して当たり強かったよね」
次は谷岡くんのいたグループとは別の女子がこちらに声をかけてきた。お下げ髪の真面目そうな眼鏡っ娘さんだ。
「間山さんに関しては普段から垣田くんを悪く言う場面が多かったし……」
「っ!!」
「間山さん。ストップだよ」
またしても怒鳴り出しそうになる間山さんに先んじて手を当てる。与能本さん冷泉さんペアはボクの迅速な対応を見て「お〜」と感嘆の声を上げていた。間山さんの行動パターンは単純だからね、これくらいは予測出来るさ。
「そりゃ、言い過ぎてた部分はあるかもしれないけど元はと言えば垣田くんがボクや間山さん、与能本さん、冷泉さんにセクハラしてるからそんな風に接するしか無いんだよ? 女の子なら分かるでしょ、痴漢されたりするのがどんなに苦痛か」
「ち、痴漢って……」
垣田くんもいたのか。いやいや、そんな反応してますけど、スカートめくりは立派な痴漢行為ですよ。訴えてないだけで全然アウトラインだからね?
「でも冷泉に謝らせたり土下座させたり蹴ったりは流石にやりすぎだよなぁ?」
「そーだそーだ。傍から見てたらあんなのいじめだぜ? 垣田も辛かったよなー?」
「あ、あぁ。そうだよ、やりすぎだろあんなの!」
谷岡くん、彼と仲の良い男子、垣田くんが続けてボクらに意見を投げる。確かに、あの時の結託詰めはちょっと行き過ぎだったのかもしれない。そこは否定できないや。
「んー、じゃあ一旦ボクが垣田くんに事前に何も言っていなかったって考えてもらっていい? その場合さ、偶然とはいえボクら4人は垣田くんがノックもせずに部屋を開けたせいで下着姿を見られたわけだ。そこは大丈夫?」
「いやだからあれは星宮がっ」
「その前提条件がない上で考えてほしいって前置きしたよ」
谷岡くんが言い返そうとしたのを遮る。父さんや大人達に対してよく睨んだりするから、昔よりも他人に敵意を向けるのは慣れている。ボクが一生懸命冷たい目をして谷岡くんを睨むと、彼は息を飲んで黙り込んでくれた。
ホームルームが始まるまで残り10分。登校再会初日にして先生抜きの学級討論会が始まる。ここでのやり取りが今後のボクの学校生活を左右するわけだから、絶対にこちらが不利にならないように立ち回らないとだ。頭よ回れ、頭よ回れ〜!