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20話『親との繋がりと仲直り』

 父さんに乱暴をされた日から、ボクと父さんはあまり会話を交わさなくなった。実の子供に取り返しのつかない事をしてしまった罪の意識からか、父さんはボクに必要最低限の言葉のみを口にし、ボクも必要最低限の返事しかしない。


 飯が出来た。ありがとう。お風呂上がった。分かった。直近の会話はだいたいこんな感じ。


 別に父さんを拒絶しているわけではない。単に、積極的に会話を振る気持ちになれなくて、振られた言葉に対してそれ以上会話を広げる気持ちになれないってだけだ。


 仲が悪くなったわけじゃない、と思う。父さんは元から口下手な方だし、ボクだって親の言いつけを守らなければこんなもんだ。人との会話を心から楽しめるタイプでもないし、本当は1人で居る時の方が気楽だった。元々根暗な性格だから、1人で没頭できる趣味ばかり手につけていたんだし。



「うぅっ、ううぅぅうぅああぁぁぁっ!!」



 時々、父さんは悲痛な声で泣き喚いてる声がリビングから聴こえてくる。結局父さんはお酒の許容量を越えて悪酔いする癖が抜けなかったようで、3日に1回のペースで酒瓶を抱きながら悲しそうにしている。

 そういう日は決まって部屋から出ないようにしていたが、いい加減父さんの機嫌に合わせて行動を変えるのも馬鹿馬鹿しくなってきた。他人の様子を伺いながら生きるなんて、そんなの不自由じゃないか。苛立ちが募る。



「またそんな格好で……」



 酒に酔って泣き腫らした次の日の朝は決まって父さんは冷たい床に突っ伏すようにして寝ている。ボクは父さんを起こさないよう、そっと毛布をかぶせた。風邪を引いたらどうするつもりなんだろう、お酒が飲めなくなってもいいのだろうか。もう少し自分の身体のことを労わってほしい。



「……はぁ。さむ」



 冷蔵庫の中の食材が減ってきたので買い物に出かけようと外着に着替え、母さんがくれたマフラーを巻く。母さんが居た頃はボクにあれこれ命令ばかりする母さんの事が少し苦手だったけど、今となっては居た頃が懐かしい。


 ……母さんは、望まぬ田舎生活を余儀なくされた上で普通じゃない子供と酒を手放せない父さんの世話に追われていたんだ。そりゃ自暴自棄になる。ボクが生まれてこの方10年近く、心が休まる日はなかったんだと思う。


 ボクは母さんを酷い人だと思ってたけど、優しくて愛情深い人だったんだなって再認識できた。何もかもが手遅れだけど、失う事で母親の凄さに気付けたのは良い事だと思った。もしあのまま母さんの気遣いに頼りっぱなしになっていたら、きっとあの人は壊れていたと思うから。


 別れ際、母さんの気持ちに寄り添えなかった事が少し心残りだ。



 12月の後半に差し掛かって道路に雪が更に積もる。家の前の道路に足を踏み入れるとズボッとくるぶしの上辺りまで雪に埋もれた。この雪じゃ車も通れないだろうな〜、父さんは徒歩で職場まで行っているのかな? 毎日毎日お疲れ様すぎる。



「さむ、さむむ……」



 自転車すら使えないので長い時間をかけて商店街まで歩き、目当ての食材を買い揃えて来た道をまた歩く。

 人の多い商店街周りや開けた道路は除雪されて歩きやすいけど、水車小屋を越えたあたりから雪の厚みが増して歩きにくくなる。夏は猛暑で冬は豪雪、ほんっとーに環境に左右されるなあこの村は!



「帰ったら久しぶりにスマホ充電しよ〜」



 父さん大暴走の日以降スマホを触らず布団にくるまってカタツムリ生活を送ってたらいつの間にか充電がなくなって電源切れになってたんだよな。冬場のスマホは何故か電源が復帰するまで時間かかるし、早めに充電器を刺さないと。明日になったらまた存在を忘れちゃうかもしれないし。



「あっ」



 海原くんだ。水車小屋前の別れ道に海原くんの姿を発見。……前みたいに気安く話しかける仲でもないし、変なちょっかいをかけられても嫌なのでここは気付かないふりをしよう。



「……おい」



 海原くんとすれ違い時、彼から声を掛けられた、気がする。相手の方を見ずに前を向いて歩いているので分からないが。まあ、海原くんからボクに話しかけるような用事なんて無いだろうしきっとボクに向けて発した声ではないのだろう。そう信じて歩を進める。



「シカトしてんじゃね〜よ。奴隷の分際で」



 斜め後ろから腰を蹴られてバランスを崩しかける。ボクに話しかけていたのか、面倒臭いな……。



「なにさ」

「あ?」



 こちらに用があるようなので海原くんを見たらビンタされた。意味分かんない、どう反応すればよかったんだボクは。



「お前、1人で買い物行ってきたのかよ。親とかは?」

「……寝てる」

「寝てる? もう昼だぞ」

「……」



 休日の真昼間に親が寝ていて、子供が買い出しに行っている事を不思議に思ったのだろうか。これって変なの? 平日は仕事で疲れっぱなしだろうし休日寝て過ごすなんて珍しくないと思うんだけど。



「黙ってんじゃねえよ」



 またビンタされた。ついでに髪を引っ張られた。痛い。



「やめてよ」

「は? なんだその態度」

「普通でしょ。休みの日までいじめないでよ」



 素直に思っている事を口にする。もう海原くん達に何を言ってもマトモに取り合ってくれないことは分かってるけど、黙ってるままだと事態が変わらないと思ったから本音を口にした。


 ボクの言葉を耳に入れた瞬間、海原くんの顔が不快そうに歪む。こんな程度の言葉でもイラつけるんだ? 海原くんって、なんでそんなに余裕が無いんだろう。ちょっとした事でイラつきでしょ、あまりにも心にゆとりがないよ……。



「お前、俺が1人だからって舐めてんのか? 群れなきゃ何も出来ないとでも思ってんのか」



 そこまでは思ってない。けど、群れてると声が大きくなるなあとは思ってる。あと態度も。なんて口にしたら何をされるか分からないから言わないけど。



「そんな事言ってないでしょ」

「言っただろ。記憶力ねぇの?」

「言ってないよ。自意識過剰すぎ」



 少しイラついて、ボクも強い口調で言葉を返すと海原くんの顔が更に歪み、ボクに明確な敵意を持った表情で掴んでいる髪を掴む腕を振るって積もった雪にボクを投げた。


 買い物袋から中身が零れて道路に転がる。ため息を吐き、落ちた物を拾い集める。



「お前、もう隠さなくなったよな」

「……なにが」

「俺への悪意。前まであんなに隠してたのに、軽蔑するような目を隠さなくなった」

「…………にならない」

「あ? 聴こえねえよ」

「話にならない。昔っからそうだけど、思い込み激しすぎだよ。海原くんは」

「はぁ? ……はぁ〜? なにおまえ、まじで調子乗ってんじゃん。冬休みだからって余裕そうじゃねえかよ」

「……っ、触らないでよ!」



 落ちた物を拾うボクにしつこく絡んでくる海原くんに余計に腹が立ち、再び髪を掴んできた海原くんの肩をうっかり手で押してしまった。


 海原くんは道路に尻もちを着けた状態のまま、その行動に対してというよりボクが口にした言葉に衝撃を受けたのか「触らないで、だと」と小さな声で呟いていた。



「お前、誰だ?」

「……」



 何言ってるんだろう、頭でもおかしくなったのかな。ボクは星宮憂だよ。見ればわかるでしょ。女になった姿も見慣れたはずなのに、なんで別人みたいな目で見てくるんだか。馬鹿みたい。



「……っ!? て、てめぇっ、黙って帰ろうとしてんじゃねえよ!!」



 付き合いきれなくてそのまま無視して帰ろうとしたら肩を掴まれた。うざいなぁ、こんな所で油売ってないでさっさと帰って暖かいヒーターの熱を浴びたいんだけど。



「なんなの。要件は?」

「はっ?」

「……ちっ。何か用? なんで話しかけてきたの。見て分からない? ボク、あんまり外でぶらぶらしてたくないんだけど」



 両手に持った袋を見せつけるように持ち上げると、その仕草を見て余計に海原くんの顔に驚きの感情が滲んだ。さっきからコロコロ表情を変えすぎだろ。なんなのこの人、鬱陶しい。



「用がないなら離して」

「……てめぇ」



 肩に乗って手を弾いて帰ろうとしたら後ろから買い物袋を蹴られる。袋は破れなかったけど、また道路に食材が散らばる。



「いい加減にしてよ。まじで。きもいよ、うなばっ……!?」



 振り向いて罵倒してやろうと思った瞬間に怒りを顔に滲ませた海原くんにタックルをされた。道路に思い切り倒れ込み、馬乗りになってきた海原くんにマフラーの端を掴まれる。



「なっ、なにするんだよ!!」

「調子乗りやがって! 見下しやがって!」

「はあ!? 何言って……あ、やめて! ねえ、やめてよ!!!」



 海原くんはボクの首からマフラーを奪い去る。それを母さんがくれた唯一の贈り物だ。ボクは必死に手を伸ばして海原くんの手からマフラーを奪い返そうとするが、その必死な様子を見た海原くんは何故かムキになってマフラーを天に掲げ、そのまま腕に力を込める。



「やめて!!! ちぎれちゃうって!!」

「し、るかよ! こんなボロマフラー、新しいの買えばいい、だろっ!!!」

「駄目!!! それだけはやめてっ! お願いだからっ!!」

「こらっ、暴れんなよ!? くそっ、大人しく、してろっ!!」



 そのまま本当に破きそうな勢いがあったのでボクは必死に彼の胴にしがみつき手を伸ばす。海原くんがボクの手から逃れようと仰け反った所にボクの体が重なり逆に海原くんにマウントポジションを取るような形になる。



「こん……のっ!!」



 苦し紛れに海原くんがボクのお腹を蹴る。変な所に入って吐きそうになり腹を押えて噎せている間に、海原くんのマフラーを掴む腕が更に力み、ビリッと嫌な音が鳴った。


 最初のきっかけが出来てしまえば、糸で編まれた裁縫物なんて少しの力で破けてしまう。海原くんの両手は意図も容易くボクのマフラーを引き裂いた。



「あっ……」



 自分でちぎっておきながら、海原くんは『やってしまった』とでも言いたげな顔を浮かべた。自分の手で引きちぎったマフラーを見て、彼の顔が青ざめる。



「お、お前が悪いんだからな!? 冗談のつもりだったのに変な抵抗しやがるからっ」

「…………なんで」



 海原くんの手からマフラーを奪い取る。無残にも二つに分断されたマフラーを手に乗せ眺めていると、喉の屋がキューっと苦しくなってさめざめとした感情が頭に押し寄せてきた。


 心がズブ濡れになっていく感覚がした。知らない間に、ボクの目から大粒の涙が零れている事に気付く。



「なんで……こんな事するの……っ? ボクが、なにしたのさ…………っ」

「だ、だから、お前が……」



 自分を弁護しようとする海原くんの声が細くなる。……ボクが泣く事で罪悪感を抱いている? 何を今更、暴行を受けた時には涙を流した事もあっただろうに。なんで今になってそんな、悪い事をしてしまったとでも言いたげな表情をするのだろう。意味分からない。



「……ば、ばっかじゃねーの。そんなの、また買えばいい、だろ」



 マフラーを失ったから悲しいわけじゃない。自分の所有物を壊されたのが悔しいわけでもない。そんな的はずれな事を言い出す海原くんが憎くて、でも、今は海原くんのことなんてどうでもよかった。


 手元に残っていた唯一の母さんとの繋がりが壊れてしまった。ボクの頭の中にはそれしか無かった。



「……そ、そんなに大事なのかよ。ざまあみろってんだ。ほら、殴れよ。大事なものを壊したんだぞ? 殴れよ!!」

「……」

「……なぐ、れよ。…………なんでこういう時……何も、しないんだよ!」



 意味の分からないことを言って海原くんは逃げるように去っていった。ボクはしばらくマフラーだった物を強く抱きしめた後、道路に落ちた食材を拾って袋に入れ直した。


 家に帰り、買ったものを冷蔵庫に入れずそのまま玄関に袋を置いて放置し、ボクは階段を駆け登って自分の部屋に引きこもった。



 死んじゃえばいいのに。なんて、生まれて初めて他人に思った。



 次の日。冷蔵庫の中に食材が補充されてたのを見た父さんがわざわざボクの部屋に来て買い物代を渡そうとしてきた。



「いらない」

「いや、そういうわけにはいかないだろ。少ないお金をやりくりして買い出ししてくれたんだから、そこは……」

「いらないって言ってんじゃん」



 我ながら、冷たい言い方になったなって思った。でも殊更悪い事をしたなって気分にはならなかった。お金とかそんなのどうでもいいから、さっさと部屋から出ていってほしかった。



「憂……すまん。まだ、怒ってるよな」

「なにが」

「…………乱暴、したこと」

「怒ってない」

「いや、怒ってる。というかこんな父親、軽蔑するよな。会話したくない気持ちも、わかる」

「……軽蔑なんかしてない。自分を卑下するのやめなよ、母さんが居なくて寂しいんでしょ」

「憂……」

「好きな人だったのに、ボクのせいで離れ離れになった。それを考えたらあんなの、酷い事をされたうちに入らないでしょ」

「そ、そんなことは無い! 憂のせいなんかじゃないし、あんな事をするなんてっ……俺は、親失格だ」



 知らないよ。親に合格も失格もないでしょ。子供が出来たから親になる、ただそれだけの事じゃん。何を大袈裟に話してるんだか。馬鹿馬鹿しい。



「……お金、ここに置いとくからな」

「ありがとー」



 いらないって言ってるのに。まあ、これ以上突き放しても父さんはしつこく話を引き延ばそうとしてくるだろうし、ボクはもう父さんの意見に何も言わないでおこうと思った。


 父さんは紙幣を3枚くらい床に置いて階段を降りていった。どう考えても多すぎだ。……しかも全部1万円札。なにこれ、ボクに乱暴をした代金も含まれてるのかな。援交みたい、きもちわる。



 そんな感じで家族との関わりを蔑ろにしていたら、また犯された。騒ぐタイプじゃない時の悪酔いのタイミングで下に降りたみたいで、お風呂に入る前に居眠りをしてないか確認をしたらそのまま床に組み伏せられた。




「憂っ……! はぁっ……はぁっ……」




 ……初めて犯された時以上に最悪な気分になった。父さんはボクの名前を口にしながら行為に及んできた。ちゃんと犯してる相手がボクだと分かった上で、そういうことをしてきたんだ。


 意識はしてなかったけど、こうなる前触れみたいのは確かにあった。気の抜いた服装で家の中を歩いてて、バッタリ遭遇すると父さんはボクの胸や尻に目を配る瞬間があったから。


 今のこの顔が、本来の息子の顔じゃないから興奮していたのかもしれない。自分でも可愛いって思う顔だもん、他人から見たらそれ以上に可愛く映るんだろうな。


 可愛い顔をした赤の他人が家の中でだらしない格好をしていたら、男としては性欲を掻き立てられても仕方ないのかもしれない。ボクからしてみれば相手は自分の父親なんだから、気持ち悪いことこの上ないが。



「やめっ……いだっ……!? 父さんっ……!!」



 必死に抵抗した。でもやっぱり子供の力じゃ大人には適わない。腹の中に異物感が押し寄せてきて、内臓を内側から押し込まれるような感覚に喘ぐ。喘ぐ? うーん、喘ぐでいいのかも。出したくもない変な声が時折漏れるし、気持ち悪さに混じって変なゾワゾワした感覚もするから。


 でも、やっぱり気持ち悪かった。泣くのを我慢出来なくて、何度も許してと懇願した。でも、父さんは理性が蒸発していてボクの懇願など聞き入れてくれなかった。


 行為が終わると、父さんは一方的に犯した癖にボクの事などほったらかして眠る。ボクは裸に剥かれた状態のまま、無様な自分の有り様に絶望して泣き腫らした後、重い足取りで風呂場へ向かった。



 年が明けた頃には暴力もまた受けるようになった。ボクの接し方が悪かったんだと思う。馬鹿馬鹿しいとか、気持ち悪いとか、そういうマイナスな感情を惜しげも無くぶつけていたから、親としての責任よりも生意気な子供に対する嫌悪の方が強くなったんだろう。


 父さんはボクの事を愛さなくなった。というより、最初から愛してなかったんだと思う。自分の子供として産まれてきたから、義務的に親の役割を果たしていただけ。子供らしからぬ態度を示せば、それ相応の対応をするって事なんだろう。



「死んじゃえばいいのに」

「……なに? 今なんて言った、憂」

「…………お前なんか死んじゃえ」

「! このっ……!」



 ささやかな抵抗をしてみたけど、喧嘩にはならなかった。ボクが一方的に叩かれて、蹴られて、泣き出したら犯される。対等な殴り合いに発展できた試しがなかった。


 勝ち目がないから、もう逆らうのはやめようと思った。感情が徐々に擦り切れていく感覚がした。


 生意気な事を言わなくなって、言う事を聞くようになってからは暴力を振るわれることはなくなった。けれど、性的な虐待を受ける頻度は変わらなかった。


 父さんの本性を剥き出しにしてしまった。父さんは多分、母さんに惚れてたんじゃなくて母さんが美人だったから、強姦でもして孕ませて家族に迎え入れたんじゃないかって思う。


 元々、母さんから『父さんは昔ヤンチャしていた』って話は聞いていた。まともな人じゃなかったって聞いた。若い頃はそんな彼に憧れて着いて行った、みたいな話も。母さんが勘当された理由も、なんとなく理解できた。



「お゛えっ!!! ぺっ! ゔ、ぅえぇっ!!」



 口の中に出された汚物を流しに吐く。


 もう親子関係は破綻していた。父さんはボクの事を実の子とは思っていない、ただのペットか何かだと思っている。父さんはガラの悪い大人数人を家に引き入れて、賭け事をするようになった。母さんが居た頃に家を空けていたのは、この人達と外で遊んでいたからだと思う。


 前まで無臭だった家の中がタバコの煙の臭いに満たされる。表向き、ボクは父さんの実の娘として紹介されてるから人のいる場では何もされなかったけど、時折、父さんの連れてきた大人がボクに着いてくるように言ってくるようになった。


 今まで育ってきた家の廊下や、母さんも居た寝室や、トイレや、家の外で大人達からも性的な虐待を受けた。咥えさせられたり、突っ込まれたり、舐めさせられたり。色んな事をされて、大人は一方的に気持ちよくなるとボクに黙っているよう言いつけ、破ったら外の人間にバラすと脅しをかけてきた。



「……ボク、は、強い子」



 1人でいる時はその言葉を出来るだけ口にするようにした。心が折れて自分の命を断ちたくなる、でもそんな事をしたら母さんの願いが叶わなくなるから、極力普通の子として生きられるように必死に踏ん張り続けた。


 お風呂に入って身体をどれだけ洗っても汚れが取れた気がしない。腹の中にぶち込まれた汚物はどれだけ吐いても腹の中に留まり続ける。そんな風な思い込みがいつまでも頭から抜けなくなった。


 ボクにぶつけられた汚物を、ボクの体が栄養と勘違いして吸収する。だからボクの体が成長していく毎に、髪や爪が伸びたり胸がでかくなる事に、どんどんボクの体そのものが汚物そのものになっていく感覚に囚われる。


 冬休みが終わる頃には、もうどうでもよくなっていた。


 どうせボク自身が汚物なんだから、今更汚いものを摂取しようが、腹の中に出されようが、変わらないだろうと思うようになった。別に死ぬわけじゃなし、やりたいようにやらせてればいいと考えるようになった。



「なんだ憂。学校行くのか」



 長い冬休みが明けて、登校日になって学校の準備をしランドセルを背負ったボクを見て父さんが声をかけてきた。



「うん! もう最後だし、ちゃんと通わないとね!」

「そうか。気をつけろよー、まだ雪は解け切ってないからな」

「はーい。あ、父さん!」

「どうした?」

永田(ながた)さんが昨日でお酒飲みきっちゃったって言ってたから今日買っといてだって。ちゃんとお酒代も渡されてるから、仕事終わったら買っといて!」

「ほとんど飲んでんのあの人なのに俺が買いに行くのかよ……」

「今日の現場はちょっと遠いから家に来れるの深夜くらいなんだってさ。どうせみんな集まるの夕方くらいだし、お願いね!」

「了解」

「じゃ、いってきまーす!」

「いってらー」



 自分が汚いものだと思うようになって、開き直ると案外昔のように明るい自分をやれるようになった。普通の子、という概念を曲解して無駄に綺麗なイメージを重ねてたからボクの心が病んでいたんだなって気付いた。


 別に、男に犯されようが普通の子は普通の子だ。そこら辺の勘違いが晴れた分、憑き物が取れたように心が軽くなり父さんとの関係も良好になった。



 これで家族関係は元通り。なんてことは無い、どこの家庭とも変わらない普通の仲良し親子に戻れた。そこはよかったんだけど、問題は学校での人間関係だ。


 久しぶりに学校に行くわけだけど、海原くんとの最後の会話は間違いなく最悪の部類だったしこれから何が起こるか考えただけでも気が滅入る。


 うーん。男の人はこっちからエッチな事を仕掛ければ優しくなってくれるのは分かったけど、相手は同年代の子供だしなー。そういうのが通用するようには思えない。特に海原くんなんか、女そのものを毛嫌いしてるみたいだし。嫌がらせを受けたらどう対応しよう? 難しい……。



「あっ、星宮!」

「? わ、間山さんだ! 久しぶりー」



 駄菓子屋の前を通った所で久しぶりに間山さんと会った。最初に出会うのが間山さんでよかった、つい笑顔がこぼれる。



「あ、あのっ、星宮……」

「あ! そういえばLINE通話かけてきてたよね? なんだったの? あれ」

「! あ、あれは……その……ちょっと、話したいなって思って」

「そうだったんだー。やーごめん、あの時ちょうど出ようとしたタイミングで電源切れちゃってさ! あと、その後も色々あったから」

「色々……」



 含みを持たせた言い方で間山さんがボクの言葉を繰り返す。なんだか、ボクを憐れむような目をしている。いじめに関しては我関せずだったと思ったんだけど、一応は心配してくれてたのかな? 良い人だなぁ間山さんは!



「あ、の、星宮っ!」

「うん?」

「その、もしよかったら……う、うちに来なよ! 部屋とか余ってるし! それにっ」

「なんで?」



 そう訊ねると、間山さんは明らかに悲しげな顔で驚いてボクから目を逸らした。いきなり何の話? うちに来なよって、文脈がよく分からないよ?



「……あたし、見ちゃったの」

「なにを?」

「…………家の外で、その……星宮が、造園屋さんの社長と……やばい事、してる所」



 造園屋さん。古田(ふるた)さんかな? やばい事って言うと……思い当たるのは、まあ。そういうやつだよね。



「見られちゃったんだ」

「や、やっぱりそういうっ、やばい事になってるんだって! 前もって、そうなるかもって思ってたんだけど、実際見ちゃってから、後悔して……あたしにも、出来る事はあったはずなのに、何もしてこなかったし、その時と怖くて……誰にも言えなくて……」

「誰にも言ってないの? ならよかった」

「言ってない! い、言えるわけないよ、あんなの……」

「あはは。じゃあそのまま、誰にも言わないでおいてくれると助かるかな。もしバレたら、父さんとボク離れ離れになっちゃう」

「!? いや、離れた方がいいでしょ!? あんなのっ、普通に虐待じゃん!? 警察か児童相談所に連絡」

「連絡しないでね。それ、余計なお世話だから」

「えっ……?」



 ボクの言葉を受けて間山さんの呼吸が止まる。彼女は、信じられないものを見るような目つきでボクを見据えて、唇を震わしながら言葉を紡いだ。



「な、何言ってんの……? 余計なお世話って」

「あんなのがバレたら父さん、多分捕まっちゃうでしょ? そんなの可哀想じゃん」

「か、可哀想なもんか! 自分の子供にあんな酷い事をしておいてっ、タダで許されるわけっ」

「父さんは、ボクのせいで大切な家族を失ったんだよ。1人になってもボクの親をやってくれてる。本当は嫌々なのに、それでもボクを家に置いてくれてる。恩を感じる事はあっても、仇で返すわけにはいかないよ」

「星宮のせいって……」

「ボクがこんな体じゃなかったら、父さんは離婚せずに済んだ。ボクが男のままだったら、あんな事しようとも思わなかった。つまり、全部が引き起こした事。父さんが離婚したのはボクのせい、それで捕まったりしたら、それもまたボクのせいだよ」

「違うっ、違うよ!! 星宮のせいなんかじゃない!! それは仕方ないことでしょ!?」

「人殺しは悪いことだけど、戦争で敵を殺すのは仕方ない事でしょ?」

「それとこれとなんの関係があるのよ!? 全く論点が違う!!!」

「同じだよ。世の中、仕方ない事なんて沢山あるでしょ? 結果がどうであれ、きっかけになったのはボクなんだから。それで父さんを責めるのはお門違いだよ」



 そう答えると、わなわなと震えていた間山さんが何故か涙を流し始めた。彼女はその場にしゃがみこんで、手で顔を覆って「ごめんなさい、あたしのせいで、ごめんなさいっ」と何度も呟いていた。


 何を謝ってるのか分からないけど、間山さんのせいってのはそれこそお門違いだ。間山さんはうちとは何の関係もない、部外者だ。ボクがどんな目に遭おうと責任は間山さんにはない。助けてくれる道理もないし、正直周りの人にあの事をバラしてくれなければそれだけでいい。



「間山さん、大丈夫?」

「あたしっ、なんかより……星宮が」

「ボク? んー……健康体そのものなんだけど」

「健康体じゃないよ! 病んでるよ……っ、心が、壊れてるよぉっ!!」

「……?」



 そうなの? ネットで見た事あるけど、女の子ってああいう方法でお金を稼ぐんでしょ? 現にボクもああいうことをするようになってから大人の人達からお駄賃を貰うようになったし。何も変な事じゃないと思うけど……。



「星宮っ、お願い……お願いだから、あたしを頼って……あたしに、助けを求めてよ…………あたしを、見てよ……!」



 泣きながら間山さんがそんな事を訴えてきた。普通に却下である、間山さんとは何の関係もないし。というか、あの場に間山さんを連れていったら彼女も巻き添えを食らうじゃないか。


 ボクは慣れたけど、男の人にそういうことをされるのって本当に気持ち悪いんだよ? もう腹の中には何も入ってないはずなのにいつまでも突っ込まれた感覚が残るし、酷いと傷がつくし。味も、舌が曲がるような苦味に襲われてご飯もまともに食べられなくなるし。吐き気は止まらないし。男の人の目線に敏感になるし。


 間山さんは何も分かってない。まだ綺麗だからそんな事が言えるんだ。でもそれは善意から出る言葉だから冷たく突き放す訳にもいかない。ここはそっと、それなりに優しく彼女の提案を断る事にしよう。



「うーん。まあ、考えておくね」



 出来るだけ傷つけないように言葉を選ぶと、何故か間山さんは一層絶望したような顔を見せた。嗚咽を漏らしながら泣きじゃくり、彼女は学校に行くのを辞めて駄菓子屋の外階段を登って行った。


 やっぱり人間関係って難しい。相手を傷つけない言葉を吐いたはずなのに、余計に傷ついたみたいだし。伊藤さんの言っていた『そのつもりはなくても、相手にとっては嫌な気持ちになる言葉』っていうの、もっともっと考えてどういう意味なのか研究しないとだな……。


 この調子だと学校に行ってもまた無神経な言葉を吐いちゃうのは確定だ。どうしたもんかな、とりあえず今日はお試しで1日通ってみて、様子を見てからまた考えよう。どうせ中学に行ってもメンツはそこまで変わらないだろうし、今日のうちに少しでも悪い関係性を解消出来ればいいんだけど、そんな簡単な話でもないよなぁ。はあ、不安だ。

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