18話『子供は穢れなき生き物』
『出しゃばりやがって』
誰かからそう言われた。振り向くとそこには男子が数人いて、ボクと目が合うとその内の1人が鋭い目で睨んできた。目を逸らすと舌打ちをされた。
『なにあの態度? きもっ』
誰かからそう言われた。聴こえた方を向いたら勢いよくバレーボールが飛んできた。顔を庇った腕にボールが当たりテンテンと体育館の床を跳ね転がっていく。
『知ってる? 伊藤を陥れる為にあんな事をしたんだってよ、アイツ』
『だろうね。だって伊藤さんがあんな事するわけないもん』
『なんで伊藤を陥れようとしたの?』
『長尾の事が好きなんでしょ。いつも一緒にいるから嫉妬したんだよ』
誰かがそう言ってボクのランドセルを押した。目の前にあった階段に足をぶつけ転びかけ、その横を女子達がくすくすと笑いながら通り過ぎて行った。
『てか学校でキスしてたってまじ?』
『まじまじ。しかも無理矢理!』
『うっげーきもー!』
『カノジョでもないのに付きまとってたよね』
『ねー。あんな奴に好かれて長尾くんもかわいそー』
誰かがそう言ってボクの髪に何か仕込んできた。それを取ってみるとそこには『ブス』とだけ書かれた小さな紙があった。
『男から女に変わったってなに? そんな病気あるわけないじゃん』
『だよねー。元から女だったけど生理とか胸とかで誤魔化せなくなったからそういう事にしただけでしょ』
『元からオタクだったもんね。漫画の見すぎで頭おかしくなったんじゃない?』
『センセーもよく付き合うよな。あんな妄言』
『もしかしたら本当に病気なのかもよ? 頭の』
『あはははっ! 間違いない! 頭のビョーキだ、障害者なんだアイツ!』
誰かがそう言ってボクの頭を小突いた。殴ってきた相手を見ると「こっち見るなよ気持ち悪い」と吐き捨てられた。
『てか喋り方ウザくない? 良い子ぶってるってか、女である事を打ち明けてからぶりっ子っぽくなったし』
『元から他人に媚びる喋り方してるよね』
『あ、だよねだよね! 消しゴム拾ってもらった時とか急に話広げてきたし! 気持ち悪かったーあれ!』
『私も同じような経験ある! なんというかさ、馴れ馴れしいよね?』
『まじそれ! お前私のなんなんだよってね。距離感バグりすぎ、そんなんだから友達とかできても長続きしないんだろうね』
『調子良い事ばっか言うもんなアイツ。……あぁ〜、アイツと仲良くしてた昔の事思い出すと鳥肌立つわ』
『やたらと距離近いしな。まじビッチだよアイツ』
『特に男子のリーダーだった海原への媚びとかやばかったもんな』
『調子乗ってたよなー。アイツの後ろ追っかけ回してただけの腰巾着の癖にな!』
『まじそれ! その上アイツ見下したような態度取るし。あー、むかつくわー。ほんっとむかつくわー』
誰かがそう言ってボクの足を引っかける。転んだ瞬間に背中を踏まれた。ボクを踏んだ人達は笑いながらボクの事など気にも留めず歩き去って行く。
「今日の給食ピザだって! 珍しい〜!」
「タバスコが付属? 今までそんな事あったっけ?」
給食の献立表を見ていたぽっちゃり男子達が嬉しそうに言う。給食班の人達が教室に来ると、すぐに彼らは勝手にボクの分のピザを配膳してきた。まだ先生は教室に来ていない。
「星宮、辛いの好きだったよな?」
「えっ、別に……」
「だよな! じゃあサービスしないとな!」
1人がそう言って、ボクのピザにタバスコを何度も何度も振りかける。ピザは瞬く間に赤く染まり、溢れたタバスコが皿に溜まり赤い海のようになる。
こんなの、食べられるわけが無い。それなのに彼らは笑顔で別の具材にもタバスコをかける。
「はいっ。星宮スペシャル。ちゃんと味わえよ?」
「む、無理だよ! ボク辛いものなんて別に好きじゃないし!」
「給食、残したらお仕置な?」
「聞いてよ!? 辛いものなんてっ」
椅子を蹴られる。二人の表情が冷たくなり、感情のない目でボクを見下ろす。
「俺らの好意、受け取れねえの?」
「酷いなあ。そんな酷いこと言うと、またみんなに悪い噂流れるかもなぁ」
チラッと遠方に溜まる女子連中を見る。彼女らはニヤニヤと気味の悪い笑顔を浮かべながらボクを見ていた。……彼女らの差し金か。
言う事を聞かないとあることないこと学校中に吹聴される。先生にチクろうとしても、クラスメートのほぼ全員がボクを見張っているから鉢合わせする前に羽交い締めにされてしまうし、ここは黙って言うことを聞くしか……。
「おえっ……うっ……」
食べ切れるわけがなかった。途中で辛いものに対する悶絶を越えて吐き気を催したボクはトイレに急行し食道を刺す刺激物を必死に嘔吐しながら除去していた。尋常じゃない苦しみに涙と汗が止まらない。人間が食べられるものじゃないよアレ!?
なんとか吐き気が無くなるまで嘔吐し口をゆすいで教室に戻るが、まだまだ腹痛は収まらなかった。自分の席に戻ろうとすると山田先生に呼び止められる。
「星宮。辛いものが好きなのは分かるが、1人であんな量を使ってどういうつもりだ? タバスコはクラスで使う共有のものなんだぞ?」
「!? あ、あれはボクが使ったわけじゃっ」
「星宮さん、誰よりも早くピザを取ってタバスコかけてたよねー」
「ねっ! やめときなよって言ったのに馬鹿みたいな量かけてた!」
「自分がやった事なのに先生に怒られそうになったら他人のせいにするのー? 性格悪ーい」
「伊藤さんの時もそうだったよねー。自分でやった癖に、あたかも庇うフリしてさー」
「む。そうなのか? 星宮」
「ち、ちがっ」
山田先生の目が鋭くなるが、周りのみんなが言っていることなんて嘘だ。あくまでクラスメート全員が公平な立場だからってスタンスだから全員の意見を平等に尊重するつもりなんだろうけど、それは裏を返せば多数決意見が真実だって誘引されちゃう事を示す。
困った、先生のスタンス的に圧倒的不利に陥ってしまった。
いや、それでも! ボクが自分で上靴を隠したって言われた件については伊藤さんが否定さえしてくれれば先生もボクの意見に耳を傾けてくれるはず! 伊藤さんの方を見て目で訴える。
「……っ」
伊藤さんはボクから目を逸らした。自分は無関係だから、とでも言うような態度で気まずそうに視線をズラした伊藤さんは黙々と食事を続けた。
「……あー、伊藤? ちょっといいか」
「……はい」
「上靴盗みの件あったろ。あれ、結局お前はやってなかったのか?」
「……やってない、です」
「じゃあついでに。誰がやったとか、目星はつけてたりするのか?」
少しだけ回答を迷った伊藤さんは周囲の人に窺いを立てるような目で見渡した後、厳かに口を開いた。
「……確証はないけど、1番怪しいのは、星宮本人だと思いました」
「えっ」
「ふむ。……そんな事あるかなぁ」
「先生! 私噂で聞いたんですけど、星宮は長尾と一緒にいる伊藤に嫉妬して」
「その話なー。一応俺も耳にしてるんだが、ちょっと昼ドラすぎて飲み込みを拒否してるんだ。とりあえず、アレだな」
頭をポリポリかいてから先生はボクの方に向き直る。
「上靴の件は置いておくとして。みんなの共有物を独占しない事。いいな?」
「……っ」
ボクは先生の言葉に返事をすることが出来なかった。伊藤さんが、ボクの味方になってくれなかった事に対するショックの方が大きくて、そんなの全然気にも留めていなかった。
最近、クラスのみんなが敵にしか思えなくなっていた。その敵の1人に、伊藤さんも加わってしまった。そうとしか思えなかった。
仲良いと思っていた相手がボクに攻撃をしてくる連中と同類になった日以降、脱力した毎日を送った。
身に覚えのない噂で嫌悪されて、男女問わずボクに様々な嫌がらせをしてきて、ボクの言葉は無視される。
長尾くんはボクへの嫌がらせには加担しなかったが、ボクとの関わりは持たず別の人と関わるようになった。
伊藤さんは、周りに流されてなのか少しずつだけどボクへの嫌がらせにも加担……しているかしていないのか分からないギリギリのラインに立っている。
具体的には、直接的な嫌がらせはしてこないけど、ボクの事を悪く言ったり笑ったりする会話には同調するみたいな。
間山さんの事はよく分からない。長尾くんと同じように、ボクとは関わりのない連中と絡んで単純に離れていった感じだと思う。直接なにかされることは無いし、ボクをバカにする話にも笑ったりはせず、ただただ傍観者の立場で居続けていた。
そして、海原くんは。
「ほら、さっさと歩けよザコ宮」
「いたっ!」
男子複数人のランドセルを持たされ、雪の積もった道を歩く。凍結した路面を滑らないように慎重に歩いていたら背後から尻を蹴られ、そのまま積雪に前のめりに倒れる。
「どんくせ〜」
「なあ。水の中って溺れるじゃん? 雪の中でも人って溺れるんかな?」
「しらね。実験してみる?」
「してみようしてみよう。ザコ宮〜、死んだらちゃんと手ぇ上げて教えろよな〜」
「死んだら教えれないだろ。あれじゃね、首吊り自殺とかって死んだらうんこ漏らすらしいよ?」
「じゃーうんこ漏らすまで押さえつけてやるか」
物騒な事を言いながら、海原くんが主導となって積雪に埋もれたボクの上に乗る。雪の向こうは生垣になっていて雪で口が塞がるなんてことにはならなかったけど、単純に男子3人に乗っかられた重さで体が痛くなる。
「人間ってどんくらいで溺れ死ぬの?」
「5分くらいで死ぬんじゃね」
「もう大分経ってんぞ」
「死んでなかったら超人じゃね? 流石に危険だから処刑するか、生きてたら」
「どっちみち死ぬの確定で草。情け容赦はないんだなって」
「そりゃお前、炭治郎だって鬼舞辻無惨殺してたじゃん。その理屈で言えばザコ宮は殺すべきじゃね?」
「ザコ宮程邪悪でもないだろ無惨は。比較したらアイツ、ガンディーくらいの善人になるじゃんか」
「うちのクラスにガンディーが居なくて良かったな星宮。もし居たらお前、正義感と義憤に駆られたガンディーに家族皆殺しにされて、その肉で作ったカレー食わされてたぞ」
「一周まわってサイコになってるじゃんガンディー。そこまでするかね」
「するんじゃね。ミスミソウって映画でも、めっちゃ性格良かった子がいじめっ子ぶっ殺す復讐やってたぞ。だとしたらじゃない?」
「だとしたらかー」
言いながら海原くんがボクの体を引っ張り路上に放る。
「冗談はこれくらいにして。ほら、歩けよ」
「……わかった」
「目上の人には敬語だろうが」
立ち上がろうとした所で蹴りを入れられる。蹴られた脇腹が痛むが、そのまま倒れてるとそのままリンチされそうなので震える足でなんとか立ち上がる。
「ったく、人間様のランドセルを汚しやがって。ほんと、何かやる度に罪を重ねるよなお前」
「罪……?」
罪って、なんだろう。なんでボクは、何もしていないのにみんなから悪者扱いされなきゃいけないんだろう。
先生が居なくなるとすぐにボクは誰かに殴る蹴るの暴力を振るわれる。ボクに暴行を加える男子は揃ってヒーローのようなポーズや口上を口にして、憎むべき敵としてボクに制裁を加えてくる。それをクラスメート全員が賞賛し、ボクはただやられ役の敵として毎度毎度床に倒れ込む羽目になる。
男子達にはボクの知らない悪い噂が広がっているのは知っている。隠れて犬猫を殺してたとか、給食に毒を混ぜてたみたいな話を聞いた事がある。そんなことするわけないのに、みんなはそれを愚直に信じてボクを最低最悪の犯罪者のように扱って虐げるのを正当化していた。
事実かどうかなんてどうでもよくて、ボクをやっつけられる理由があればそれでいいんだと思う。ボクが救いようのない悪人であれば、その悪人に対する暴力は正義の拳に変わる。そういう理屈で、みんながボクを集団でリンチしているのは明白だった。
「……海原くん」
ボクに率先して暴力を振るっていた男子、ガンディーがどうたら言っていたオタクっぽい男子と別れた後、二人っきりになってボクにランドセルを持たせて先を歩いていた海原くんに声を掛けると彼は立ち止まり、返事をせずにこちらに目を向けた。
「……ごめんね」
ボクは、今更になって喧嘩になった時のことを謝った。謝った瞬間、海原くんの目元が憎々しげに歪みボクの方を向いて蹴りを1発お見舞してきた。
「何を謝った」
「……」
「喋れよ。てか、殴られてるのになんでっ、殴り返さない。おらっ。あ? てめぇこらっ、また俺の事舐めてんのかっ」
5発くらい殴ると、海原くんはため息を吐いてボクからランドセルを奪い取った。
彼はボクに唾を吐きかける。それが服に付着したのを見届けると、舌打ちを叩いて彼は踵を返した。
「あ。そういえば星宮」
「……」
「お前が毒を撒いたとか、動物殺してるとか、そういう噂を流してるの俺だからな。お前を最低最悪のクズ野郎に仕立て上げてるの俺だから」
「……そうなんだ」
「あぁ。憎いか?」
「……」
海原くんの問いに何も答えられなかった。憎いか? そりゃ、憎い。けど、その感情を口にしてどうにか出来る状況でもないし、全身が痛いから立ち上がるので精一杯だから文句を言う元気もなかった。
ただ、ボクにだって怒りの感情はある。だから、ボクはこちらを見て試すような目をしている海原くんを睨む事で感情をぶつけた。
「……お前のそういうところがうざいんだよっ!」
苛立たしげな口調で吼えた海原くんのビンタが思い切りボクの頬に当たり、そのまま雪の積もった道路に倒れ込んだ。海原くんはボクを心配する素振りも見せず、1発叩くとそのまま立ち去って行った。
ボクの、どういうところがうざいのだろう。時々ボクに対して憎々しげに、でもどこか寂しげな目を向けるのはなんなのだろう。海原くんの考えていることは分からない。何一つ、理解出来なかった。
「いたっ! つぅ〜……!」
お風呂に入った後に着替える所で裸のまま、体についた傷に絆創膏を貼る。手のひらに沢山切り傷を作ってしまった。生垣に突っ込んだ時のやつかな……。
物がなくなったり壊されたりといった嫌がらせは、先生に見つかりやすいという理由からかまだされていない。けどその代わり毎日暴力を受けるから日々新しい傷が増えてしまう。傷が治ってもまた別の傷が出来る。
目立つ傷が出来てもみんなが上手い具合に先生に説明してわんぱく小僧だからって事で疑われることもないし、あとどれくらいこの地獄が続くのか考えただけで億劫になる。
でも、明日から一旦冬休みに入るし生徒からの暴力は受けずに済む。冬休みが明けたら卒業までの数日間しかないし、その期間はぶっちゃけ休んでも支障は無いだろう。
もう、小学校に思い残すこともないし中学入るまで引きこもっていようかな。そんな事を考えながら寝巻きに着替え、お風呂場を出る。
「父さん、お風呂上がったよ〜?」
「ぐごお〜。んが〜」
「寝てるし……」
お風呂に入る前に父さんが起きてたから「ボクが上がったらちゃんとお風呂入ってね!」って言ったのに。父さんはリビングで大の字になって大きないびきをかいていた。まったく、こんな所で寝たら風邪引いちゃうでしょっていつも言っているのに……。
「よいしょっ」
父さんの両腕を掴み、背負うようにして寝室まで運ぶ。しかし重い、体格差が大きいから運ぶのに一苦労だ。
男子のままだったらきっと今よりも体が大きくなって筋肉もついてただろうからもう少し楽に運べただろうになぁ。こういう所で女の子の体の不便さを感じる。
「うわっ!?」
元両親の寝室に到着し、父さんをベッドの上に寝かせようとしたら何かにつまづいて倒れ込んでしまう。その際父さんの体を持つ力が抜けて父さんは床に頭をぶつけてしまった。その衝撃で父さんの目が開く。
「んっ……ん〜?」
「父さん、起きた?」
「……っ、お前」
「? どうしたの、父さっ」
起き上がった父さんは酒の飲み過ぎか、少し血走った目でボクの顔を見つめると肩を掴みベッドの上に押し倒される。父さんの手が寝巻きのズボンにかかる。
「っ!? ま、待って待って! 何してるんだよ!?」
「俺はっ……頑張って、たんだぞ……俺はぁ!」
「酔っ払ってるの!? やめっ」
抵抗も虚しくズボンとパンツを脱がされて下半身が露になる。嫌な予感がしたので逃げようとするも、父さんに足を掴まれて引っ張られ、その腕を退かそうとすると力強く握り締められた父さんの拳が腹に降ってきた。
「ごふっ!?」
「なんで抵抗する! 俺達はっ、夫婦だろ!? 何が嫌なんだっ、俺の何が駄目だってんだよ!!!」
「ちがっ、ボクは母さんじゃっ」
今度は胸に拳が落ちて息がしづらくなる。父さんが乱暴にボクの胸を掴んで「やっぱりお前じゃないか!」と言っている。アホか。自分の息子が女体になっていることを忘れているようだった。
「待って! やだやだやめやめてやめてやめてくださいやめっ、あぐぅっ!!!?」
必死に逃げようと暴れてみるも意味は成さず、やがて下半身に強烈な異物感と鋭い痛みが走って息が出来なくなる。
「いっ!? ひっ、ぎっ、やめっ、おねがいっ、おねがっ、やっ、ああがっ、やああぁぁだぁあああぁっ!!! うわあああぁぁんっ!!! やめてよっ、やめてよおおぉおっ、やだぁぁあああぁぁぉ!!!」
どれだけ泣いても叫んでも父さんは正気に戻ってはくれなかった。何度殴っても父さんには通用しなくて、ボクの何十発の抵抗もただの数発の拳で沈黙させられてしまう。
こっちが父さんを引き剥がそうとすると殺されかねないくらい何度も何度も殴られるため、もう手で顔を押さえて大泣きするしかボクに出来ることは無かった。最後の最後まで行為をし終えると、疲れてうつ伏せで倒れたまま父さんがまたいびきをかきはじめた。
「うくっ……ひっぐ……ううぅぅぅぅっ……あああぁっ! うわああぁぁぁんっ!!!」
二度同じことをされるのは嫌で、声を殺しながらさっきまで入っていたお風呂場に戻るとボクはまた大泣きしながら自らの下半身にシャワーを当てる。痛いくらいの力で中身を指でかき混ぜ、中に出された液体を出しながら泣き叫ぶ。
「ゔっ!? うっ、お゛ぇっ!!」
自分の腹の中をかき混ぜてる最中に先程の出来事が脳裏に駆け巡り吐き気を催し、浴室の床に思い切り嘔吐してしまった。ゲロで寝巻きが汚れて、赤と白の液体が流れる排水口に胃の中身が混ざり不快な臭気が漂う。
自分の体から出る汚物をシャワーで流しながら、ただただ惨めな気持ちになってまた時間帯も考慮せずに大声で泣き喚く。父親とそういう事を行ってしまったという事実が受け入れられなくて、何度も何度も自分の頭をバスタブに打ち付ける。
「ボクは強い子……ボクは、強い子……ボクはっ」
最早自分にそう言い聞かせて洗脳させる為の呪いの言葉と化した言葉を何度も何度も口にする。
いつ父さんが起き出して風呂にやってくるか分からないので、汚れたパジャマについた汚物だけ粗方掃除すると他の服とは別の桶にそれを入れて放置して、ボクは裸のまま走って自分の部屋に逃げ込んだ。
「なんっで……ボクばっかり……なんでっ……どうして……っ!」
布団に包まり体を丸めて、まだジクジクと痛む下半身を殴りたくなるのをグッと堪えて、握った拳を瞼に当てて歯を食いしばる。意識をすればするほど、また腹の奥から吐瀉物が溢れ出そうになるから必死に別の事を考えようとする。
女の体になる前は、全てが上手くいっていた。海原くんとも仲が良かったし、誰からも嫌がらせを受けることは無かった。母さんも家に居たし、父さんと母さんは表向きは仲が良くて、その関係を苦にする事もなく平々凡々としていて、ありふれた幸せに満ちていたと思う。
何も悩むことはなかった。ボクはただ素直で、前向きで、純粋で、馬鹿なフリをしていればそれだけで良かった。誰の神経も逆撫ですることなく、そこそこに馬鹿にされて笑われて、笑って、ふざけあって、くだらない遊びに一喜一憂するだけで日々が過ぎていた。
女になって、全部が覆ってしまった。
友達とは折り合いが悪くなって、嫌がらせを受けるようになって、気持ち悪がられて、憎まれて、謗られて、対等に言葉を交わすことはなくなって。
母さんは家族を捨てた。父さんは酒に逃避するようになり、夢と現実の境目が分からなくなって、暴力に頼るようになって。……実の息子……娘、に、性暴力さえ振るってしまった。
きっと目を覚ませば父さんは自分がしでかした行いに気付いてしまうだろう。悪酔いしていたとしても関係ない、父さんの寝室にはその痕跡や血痕がべっとりと残っているはずだし、自分の格好を見れば自ずと理解出来るはずだ。
……今日の事に気付いた時、父さんはどういう反応を取るだろう。激しく後悔し、ボクに謝罪しに来るのだろうか。それとも夢と断じて気にしないでおくのか。はたまた、ボクが悪いとして罵るのか、理性のタガが外れてまた同じ事をされるかもしれない。
学校に行ったらもっと苛烈ないじめを受けるかもしれない。中学に行ってもいじめを受けるかもしれない。中学生になっても父さんから性暴力を受けるかもしれない。もしかしたら……その噂が、この狭い田舎でこの噂が広まって、中学の友達や全く知らない人からも、同じような事をされるかもしれない。
「……っ!?」
危ない。吐きかけた。自分の布団は汚したくないので、必死に吐くのを我慢して薄い毛布を被ったままトイレに駆け込んだ。
もう腹の中に固形物は残っていないのか、吐瀉物はただの透明な液体だった。口の中の不快感を水道水で取り除き、また急いで部屋に逃げ込む。
「これから……毎日、こうなる、の……? やだ、やだ……やだぁ……っ」
先に待つ現実を考えると恐怖が込み上げてきて涙がこぼれる。全身が震えて今すぐこの場から、いや、この肉体から抜け出してどこかへ逃げ出したい気持ちに駆られる。
呆然と自分の絆創膏だらけの手のひらを見つめ、親指の下の肉を歯に当てる。泣き叫びそうになるのを思い切り肉を噛むことで耐える。痛みでこの感情が少しでも紛れるのなら、たとえ肉が抉れようが構わない。
そのままボクは眠りにつくまで延々と自分の腕の至る所の肉を噛みまくった。やがていつの間にか眠りにつくことになるが、ボクの眠りはすぐに父さんの絶望に満ちた叫び声によって叩き起される事になった。