17話『上靴ロスト』
昨日、伊藤さんや海原くんに酷い事を言ってしまったからちゃんと謝らなければならないというのに、朝起きてまず最初に思ったことは『学校に行きたくない』だった。
スマホを開くのも億劫で、ベッドに寝転がったまま毛布を被り寝返りを打つ。間山さんとも気まずい感じになっちゃったし、あと長尾くんとの一件もあるしなぁ……。
熱でもある事にして学校を休もう。体温計は……下の、リビングの収納に入ってたかな。
1階に降りると今日も変わらず父さんがソファを寝床にしていびきをかいていた。床には空になった酒の瓶と、半分くらい中身が残っている酒の瓶が置いてあった。
体温計を取って、手のひらで挟んで擦り合わせる。何度か試してようやく38度2分、丁度いい感じに熱っぽい表記に調整出来たので父さんを起こして学校に電話してもらおう。
「父さん、父さん」
「……ん゛っ」
「父さん起きてよ」
「…………おう。……ゴホッ、おぇっ。どうした、憂」
父さんは濁音混じりの喉音を鳴らしながら不機嫌そうに身を起こした。なんか睨まれてる、今日はだいぶ不機嫌っぽいな……。若干距離を開けつつ、わざとらしく弱々しい口調で言う。
「ごめん父さん、今日熱があるっぽくて」
「……」
「だからその、学校休みたい、です」
「……」
ボーッとボクを睨み続ける父さんが手を伸ばしてきたので、ボクはそっと体温計を手のひらに乗せてサッと腕を引く。
「……憂」
「な、なに?」
「額こっちに近付けろ」
「え?」
「聞こえなかったのか」
「っ、き、聞こえたけど……」
「ならさっさとこっち来いよ」
「えっと……」
額に手をつけて熱を測ろうとしているのだろう。そんな事を言われたのなんて初めてだ、と言っても今まで風邪で休んだ事なんてあまり無いからってのもあるんだけど。
そんな事はいい。直に頭に触れられたら仮病だってバレちゃう。どうしよう……。
「どうした」
苛立たしげに父さんが言う。その姿が海原くんと重なって喉がキュッとキツくなる。
「……おい」
「お、お酒臭いから近付きたくないよ! 昨日、遅くまで外で遊んでたから風邪引いたんだって! 本当だよ!」
「……憂」
「嘘じゃないってっ」
「……」
「!? こ、来ないでよっ!」
立ち上がって無言でボクの方に近付き腕を伸ばしてきた父さんの手を払ってしまった。その瞬間、父さんの顔が真っ赤に染まる。
「あ、ご、ごめんなさい、ごめっ」
「……何故謝る。何故、お前もそんな目で俺を見るんだ」
「えっ? なに言っ……!?」
父さんの手がボクの肩を強く押した。突然の行為に反応出来ず床に尻もちをつくボクのお腹に、立て続けに父さんの蹴りが突き刺さった。
「あぐっ!?」
あまりの強さにボクの体が転がり椅子の足に頭をぶつける。父さんはそのままボクの腕を掴む。離れようとしても大人の力で掴まれている以上振りほどくことは出来ず、こちらの抵抗に苛立ったのか父さんはボクの頬に思い切りビンタをしてきた。
「俺はっ、家族の為に仕事を辞めて引っ越して、余所者なりにこの土地に慣れようと底意地の悪い連中に合わせて慣れない事をしてきて馴染みのない仕事も手につけて村社会の付き合い方にも気を使ってきたのにっ……!! それなのに何故っ、家族に見下されなきゃならない!!!」
「痛っ、痛いよっ! やめっ、てっ、ごめっ、痛いっ!!」
何度も何度も叩かれた事で頬が燃えるように熱くなる。空いた手で顔を庇うとまた蹴りを受けた。ボクの体が棚に当たり、上に置いてあった小物が床に落下する音が響いた。
「お前が、普通の子だったら何も狂わなかったんだ……! お前のせいでっ!!」
「父さん、待っ」
「お前のせいでっ!!!」
何度も何度も蹴られる。体を丸めて攻撃から逃れようとすると手足や横っ腹に足が当たる。顔を踏まれて唇が切れる。髪を掴み上げられて床に投げられる。立ち上がって逃げようとしたら背中を蹴飛ばされ、前のめりに倒れた後に酒の入った酒瓶を投げられた。
床に酒瓶が落ちて、割れて、中にあった酒がかかる。ボクは机の下に逃げて、頭を腕で守るようにして丸くなり震えながら父さんの怒りが収まるのを待った。
「ごめんなさいっ! ごめんなさい、ごめんなさい!!」
「はぁ、はぁ……っ! くっ……ああぁぁクソッ! クソッ! クソがっ!! クソがあぁぁぁ!!」
父さんはしばらく怒りに任せて叫び散らすと、こちらに暴力を振るうのを辞めてリビングを出ていった。どこかの部屋で物を壊しながら暴れている音が聴こえる。全身が震えて身動きが取れなくなってる間、延々とその暴力の音は鳴り続けた。
音が止んだのは1時間経ったか経ってないかぐらいの時間が経過した頃だった。
「…………ボクは、強い子」
悲しみと、罪の意識と、あとよく分からない感情の波が押し寄せてきて、喉の底から勝手に声が漏れ出そうになるのを必死に押し殺し、呟く。自分の意思に逆らって勝手に涙が零れて、鼻血と混ざった赤い雫が床にぽたぽた落ちていく。
父さんがぶつけてきたのは、今まで溜め込んでいたボクへの本音だった。
体が女に変わる前からボクにはなんらかの異常があるからってお医者さんに言われていた。その時点で父さんも母さんも「なんで自分の子が」って思っていたんだろう。
仲良く見えてたのは、普通の子のフリをしていたボクの演技に支障を来さないために、無理して普通の家族を演じていたからだったんだろう。
表面上の仲良し家族が、病気の進行のせいで維持できなくなって。父さんと母さんは互いにそうなってしまった事を責めるようになって、ボクが異常な子として生まれてきた責任を相手に押し付けようと考えるようになって、家族が破綻してしまった。
ボクという疫病神を押し付けられた父さんは、愛していたはずの母さんとの離婚とボクとの生活というストレスに耐えきれなくなり、酒に逃げるようになった。
数少ない安息の時間を邪魔したから、こうして不満が爆発してしまった。ボクは、何も言わず勝手に学校を休むべきだったのかもしれない。
「……うっ、うぅっ、ごめんなさい、ごめんな、なさい……っ」
ボクのせいで二人はずっと無理をしてるんだって本当は分かっていた。分かっていたけど気付かないフリをしていた。ボクが産まれたせいで二人の人生を狂わせてしまったんだって、分かってたけど認めたくなかった。
「ボクはっ……強い子……っ、なんて」
なんて、そんな訳ないじゃないか。二人と本音に触れようともせずにずっと逃げてきたくせに、強い子なんてどの口が言うのか。
でもここでそれを口にするのはまた罪悪感から逃げる事になるから口には出さなかった。もう会えない母さんがボクの為に残してくれたこの言葉を、自分で否定したくなかった。
父さんは学校に電話をしてくれなかったけど、結局学校休んだ。殴られたり蹴られたりした所はアザになっているし、こんな体で学校に行けるはずがない。青アザって何日くらいで消えるんだろう、他の人から指摘されたりしたら嫌だから早く消えるといいな……。
冬休みが始まる一週間前にボクは登校再開する事にした。アザはまだ完全には引いてないけどどうせ厚着するし、まあバレないだろう。バレたら滑って崖を落っこちた事にしよう、奇跡的な生還って事で。
「あっ」
水車小屋の辺りまで来ると偶然海原くんも別の道路から歩いてくるのが見えた。挨拶をしようと片手を上げると彼はふいっとボクから目を逸らした。
「……」
そのままボクを無視して海原くんは歩いていく。その後ろを着いていく形でボクも歩く。……当たり前か、あんな喧嘩した後だもん。流石に海原くんの怒りも収まってないよね。
学校に着き、下駄箱で靴を替えようとしたら上靴がなかった。神隠しかな? 上靴隠しみたいな妖怪でもいるのだろうか。
「えぇ……見つからない……」
どうせまた嫌がらせでもされてるのかなって思ってゴミ箱の中を漁ったけど上靴は入っていなかった。困った、下駄箱近辺には落ちてないっぽい……。
教室まで行けば体育館用の靴があるからなんとかなるけど、教室にたどり着くまでの廊下を靴下で歩かなきゃならない。床は冷たいし、先生に見つかったら怒られるしで最悪だ。
幸い先生には見つからずに教室に辿り着けたので到着早々自分の机に行き靴を履く。あ〜床冷たかった! なんで突然上靴消えるんだよ〜! 1番困るんだけど!
「……?」
あれ、ていうか今日誰も話しかけてこないな。ボクの方から挨拶してないのもあるけど、普段話しかけてくる男子も女子もボクから距離を置いてるような気がする。うーん、父さんの酒臭さが移ったとか?
「あ、長尾くん。おはよう!」
「っ、お、おう。はよ〜」
長尾くんが近くを通ったので挨拶をしたら歯切れの悪い感じで挨拶を返された。
「山田さん、おはよう!」
「……」
山田さんというクラスメートの女子に挨拶をするが今度は無視された。彼女はボクの方をちらりとも見ずに横を通過していく。
「間山さん、おはよ!」
「……おはよ」
隣の席に着いた間山さんにも挨拶すると彼女は少しだけ間を置いた後に小さな声で挨拶を返してくれた。長尾くんもそうだったけどなんで小声なんだろう?
何事もなく授業を終え、中休みの時間になるがやはり誰もボクの席の方には来なかった。こちらから話しかけようとしても反応は返ってこないし、なんだかクラス中が結託してボクを居ないものとして扱っているような感覚に陥っている。
「あ、伊藤さん!」
「な、なに。星宮」
「! やったー! ボク幽霊になったのかと思った! ねえねえ伊藤さん、聞きたい事があるんだけど……」
「待って」
「?」
なんでみんなボクを無視するのか聞こうとしたら伊藤さんが申し訳なさそうな顔で制止してきた。彼女がボクの背後に視線を配る。振り向くと、視線の先には女子数人が集まってこちらを睨んでいるのが見えた。
「何となく分かるでしょ。ここだと話せない」
「えーと……了解?」
よく分からなかったけど、彼女の反応的に人の目がある所で会話するのは良くないと思ったのでそれ以上話すのはやめにした。
海原くんは相変わらずボクの存在を気にせず他の男子数人と話していた。この調子だと彼に謝る事は不可能だな。伊藤さんに謝るのも後にしよう、彼女もそれを望んでそうな感じだし。
「ねえ」
誰とも会話出来なさそうなので仕方なく自分の席に着く。すると同タイミングで席に着いた間山さんが小声で話しかけてきた。その表情は険しい。
「なに話してたの」
「え?」
「伊藤となんか話してたでしょ」
「話してないよ」
「嘘じゃん」
嘘っていうか、ここじゃ話せないからって言われただけなんだけど。なんでそんな怖い顔で疑ってくるんだろう……。
「……星宮、上靴どうしたの」
「! それがさ〜、朝来たら下駄箱から失くなってたんだよ! びっくりだよね〜!」
「びっくりって、誰かに嫌がらせされてるんじゃん」
「嫌がらせ? うーん、そうなの?」
「普通に考えてそうでしょ。馬鹿じゃないの」
馬鹿じゃないのって、口が悪いなあ。イライラしてる様子だし、なんか今日の間山さん怖いよ。ストレスでも溜まってるのかな……?
「上靴、探したの?」
「探したけど見つからなかった。嫌がらせされてるんだとしたら学校の中にないかもだね〜」
「……そうとも限らないんじゃない?」
「と言うと?」
「いや、あたしは知らないけど。でもほら、あんたに嫌がらせするんだとしたらさ……このクラスの誰かしかいないでしょ」
「そんな、誰かに恨まれるような事……」
いや、もしかしたらっていう心当たりはあるな。仮病で休む前の日、海原くんと口論になったし伊藤さんの事泣かしちゃったし。つまりあの二人が容疑者……?
「先生に言ってみたら? 帰る前に探してくれるかもよ」
「えぇ。そんな大事にしたくないよ……?」
「じゃあ明日もまた裸足で廊下歩くの?」
「うぐ……この靴を下駄箱に入れとけばいいし」
「靴を盗むような奴だよ? 同じように盗み隠すに決まってんじゃん」
「それは嫌だ……」
「でしょ。給食の時間とか言いに行けば? その時間なら監視なんてないだろうし」
「監視?」
「あっ」
「? 監視ってなにさ。ボク、誰かに監視されてるの?」
「なんでもない。あたしはなんにも言ってない、そういう事にして」
「え?」
「お願い。じゃなきゃ絶交する」
「絶交……わ、わかった」
どうやら監視されてるってのはボクが気付いちゃいけないことらしい。言われた以上は意識しちゃうんだけど。休憩時間中とかやたらと女子がこっち見てたのってそういう理由だったの……?
若干の居心地の悪さを感じながらも3時間目の授業が始まる。
給食の時間になったので間山さんの助言通りボクは教室を抜け出し職員室にいるであろう担任の山田先生の元へ足を運ぶ。
「上靴? あー、そうだよな。お前その靴、体育館用のやつだよね。どうしたんだ?」
「それが、朝学校来たら上靴がなくなってて」
「まじか。いじめられてるの?」
「い、いじめられてるから分からないですけど。もしかしたらボクがどこかに置いてった可能性だってありますし……」
「あるかなぁ。学校の中にいる間基本的にずっと上靴履いてるはずだもんな」
「……靴下で闊歩する事もままありですよ」
「冬以外なら有り得るな。冬だから有り得ないんだよ」
「ぐう」
ぐうの音しか出なかったや。まさしくその通りだ、床の冷たさが氷に匹敵するこの時期に靴下で学校を歩き回るなんて有り得ないよね。
「ちなみに正直に答えてほしいんだが、他に嫌がらせみたいな事を受けてたりしないか?」
「他にですか?」
「例えば先生の目につかない所に連れてかれて殴られてるとか、持ち物に汚物突っ込まれるとか、そういうの」
「されてないですよ!」
「本当かぁ? 先生に嘘を吐くのはナシだぞ?」
「本当です。今の所困ってるのは上靴が消えた事くらいです!」
「ふーむ。なら一旦帰りの会で学級裁判でもするか。みんなを机の上に突っ伏させて心当たりある人手ぇ上げて〜って」
「仮に盗んだ人が居たとして、そこで正直に手を上げる人なんているんですか……?」
「いないだろうな。そんな素直だったら最初からやらんだろうし」
「じゃあ意味ないんじゃ?」
「茶番を挟んで容疑者が出ないってなるから強制捜査に踏み込めるんだろうがー。確実に犯人はいるのに誰も名乗り出ないってんなら持ち物漁るのは当然の流れだろ?」
「え! それは流石に……」
「なんだ。星宮、お前学校に持ってきちゃいけない物でも持ってきてるのか?」
「も、持ってきてないですよ!」
「なら先生の意向に背く理由も無いわけだ。先生はやりますよ、生徒思いの熱い教師なのでな!」
拳を握って目を輝かせる山田先生。燃え上がってるなあ、怠けた感じの時と燃え上がってる時とでテンションの上がり下がりが激しいなこの人。
「……」
「おわっ!?」
教室に戻ってきたら入口で誰かに足をかけられて転びそうになる。すんでのところでバランスを取って転ぶのは回避出来たが、一体誰が?
背後を見るとドア横の壁に海原くんが張り付いていたのが見えた。彼は転ばなかったボクを見て忌々しげに舌打ちをした。
「な、なにすんだよー!」
「あ? 知らねえよ、勝手につまづいたんだろ」
「いやいや絶対足かけたじゃん!」
「なんだー? 足かけたのかー? 酷い事するなぁ海原ぁ」
「っ!?」
口論になりかけた所で先生が教室に入ってきて海原くんが驚いた顔で固まる。上靴の件をチクった後一緒に教室に戻ってきたからね、ボクが先生と一緒に教室に来るとは予測出来なかったらしい。
「海原ー、免責してやった前回の罪を忘れたかー?」
「い、言いがかりっすよ! 今のはコイツが勝手に!」
「ボクそこまでどん臭くないよ! 足の速さだって海原くんより速かったし!」
「足の速さ関係ねえだろ! 俺に罪をなすろうとしてんじゃねえ!」
「どう考えてもそんな所に突っ立ってるのおかしいじゃん!」
「し、知るかよ! とにかく俺はやってない!! 山田を縦にして調子乗ってんじゃねえぞ!!」
「海原。目上の人間には敬称をつけような。お前は生徒だぞ?」
「痛いって! やめてくださいよ先生っ!」
欠伸をしながら海原くんの肩を力強く握る山田先生。容赦ないなあ、疑わしきは罰せよスタイルの権化だな。まだ確定したわけじゃないのにちゃんと折檻してる。問題にならないといいけど……。
先生に解放された海原くんは自分の席に戻る途中に1度だけボクの方を見るとキッと睨んできた。今の件でかなり恨まれてそうだ、余計に謝罪をしにくくなってしまった。関われば関わるだけ泥沼に沈んでく、人間関係難しすぎるよ〜!
給食を食べ終え、今日は誰とも遊ばずに大人しく昼寝をして過ごし午後の授業も終えると先生が宣言した通り学級裁判が始まった。
「突然だが悲しきお知らせだ。今朝から星宮の上靴が行方不明になっているらしい。何か知ってる生徒はいるかー?」
教卓に手を置いて話す先生の言葉を受けクラスメート全員が互いに目を見合せなにやら小声で話し始めた。無視をされた時はてっきりみんなが結託してボクをハブってるのかと思ってたけど、様子を見るに誰もボクの上靴については心当たりが無いっぽい? クラスメートの誰かが犯人ってわけじゃないのかな?
「誰も知らないかー。うーん、じゃあみんな。1回机に突っ伏してくれ。授業中寝る時と同じ感じに、周りが見えないようにしてくれー」
「え、なんでそんな事しないといけないんすか」
「誰も知らないって今分かったくないですかー?」
「有り得るのかなぁ、物が忽然と消えてるのに犯人がいないなんてこと」
「このクラスの人が犯人じゃない可能性もあるでしょ」
「てか星宮が嘘吐いてるとかー?」
「え、ボク!?」
あんまり関わりのない筈の女子から思ってもなかったことを言われて驚いた。彼女はニヤついた顔をしながら言葉を続けた。
「星宮って良くない噂とか聞くしー。男子に色目使って、学校で変な事してるとか。どうせ今日男子が話しかけてくれないからって気を引く為に、心配される為に上靴自分で隠したとかそんな感じじゃないですかー?」
「変な噂ってなに!? ボクそんなの知らないんだけど!」
「とぼけてる〜」
「待て待てお前ら。女子の嫌な空気感を先生に見せつけてくるなよ、気まずいわ。とりあえず突っ伏してくれー、みんなに見られてない状態なら実は自分がやってましたって意思表示もしやすいだろ。先生犯人分かっても口に出さないから。ほら、スリープスリープ」
先生が机に寝るようジェスチャーも混じえてみんなに言うと、渋々と言った感じでみんなが突っ伏していく。ボクもそれに合わせて突っ伏すが、上靴を失った張本人が突っ伏す意味ってあったかな? 別に顔を上げたままでいいかも、いやでもそれだと犯人さんも意思表示しづらいか。
「よし、全員ちゃんと突っ伏したな。被害者である星宮も突っ伏してるから気兼ねなく手を上げてくれよー。星宮の上靴を隠した生徒、もしくは心当たりやなにか情報を知ってる生徒、挙手ー」
先生がそう言うと、隣の席から布が擦れる音がした。間山さん? 朝は知らない感じを出してたのに何か知ってるの……?
挙手する生徒がいるとは思っていなかったのは、先生は悩ましげな声を出すとその生徒に近くまで歩いてくるよう言った。しかし教室をそのまま歩いてくるのではなく、一度教室を出て廊下で話を聞かせるよう促した。
教室内にいる人達にはそのまま動かないよう、顔を上げたら中学進学後まで毎日反省文を書かせるなどという恐ろしい脅しを使ってから廊下に出る。それに合わせて隣の間山さんも、音を出さないよう慎重に席を立ち教室を出ていく。
少し時間が経った後に間山さんが席に座り、うーんと唸った上で先生は全員に顔を上げるよう指示する。
「一応それらしい証言はもらったんだが、犯人本人の告白じゃなかったからこれで終わりじゃないってことで。えー……先生としては非常に心苦しいんだが……伊藤」
「はい?」
「その、ランドセルを俺の所まで持ってきてくれ」
「え……えっ、私!? 私ですか!? なんで!!」
「なんでって言われても、匿名の告発者が居てだな」
「わ、私なにもしてないですよ!」
「喚く気持ちも分かるんだが疑われた以上行動で潔白を証明しないと話が進まないんだ。頼む、先生にお前が白だということを証明してみせてくれ」
「そんな……」
疑いをかける先生の方も申し訳なさそうにしているからか、断念して伊藤さんは気が進まない様子でランドセルを回収し、そのまま教卓の上にランドセルを乗せる。
赤いランドセルの側面に着いたアクセサリーが朗らかな音を鳴らすのとは対照的に、伊藤さんの表情は怯えに染まっていた。私は関係ないのに、そう伝えたがっているのも表情から読み取れる。雰囲気を見ると完全に白としか思えない。
差し出されたランドセルを開けて中を漁る先生。その表情は半信半疑な様子だったが、途中でその表情に驚きが浮かぶと同時に先生の手の動きが止まった。
「……伊藤。あるじゃないか、星宮の上靴」
「えっ!?」
ランドセルの中から先生が取り出したのは『星宮』としっかりボクの名字が書かれた上靴だった。取り出されると同時に伊藤さんの顔が青くなり、「なんで」と呟いてるのが聴こえた。
「えーっと……参考までに、なんでこんな事したの? お前」
「しっ、知らない! 私なんにも知らない!」
「知らなかったらこの中からは出てこんだろー。優等生キャラのお前がいじめまがいな事してるの、先生結構ショック受けてるんだぞー」
「何かの間違いですよ! なんで私がっ、よりによって星宮に対してそんな事!」
「何かの間違いなのか? どんな間違いだ? 上靴がひとりでにテクテク歩いてお前のランドセルにジャンプしたのか?」
「そんなわけないでしょ!? じゃなくてっ、他の誰かが」
「未練がましいよー、伊藤」
間山さん……? 突然間山さんが野次を飛ばし、それに合わせて誰かが言葉を続けた。
「でも星宮さんが陰口言ってるってバラしたの伊藤さんだったよね」
「海原くんにバラしたってやつ?」
「そうなん? どうなの、海原」
「俺が知るかよ。興味ねーわ」
間山さんの言葉をキッカケに波紋がどんどん教室中に広がっていく。誰もが伊藤さんの噂話みたいなのを口にし、それに付随して今まで無視されていたのが嘘だったかのようにボクに対しての同情に似た言葉も聞こえてきた。
ボクへの冷遇が取り去られる代わりに伊藤さんに対する不信感が膨らんでいく。或いは悪意か。上靴の件があったのをいいことに、みんな面白可笑しそうに伊藤さんに対する悪い話が広まっていく。邪悪な笑いが充満していって、伊藤さんの目に涙が溜まっていく。
「わ、私、こんなの知らない……!」
「やめなさいお前ら! みんなで1人を攻撃するのやめなさい。可哀想だろー」
「可哀想って言うけど、俺の時はそんな擁護しなかったよなあんた」
「海原の場合は事態の大きさが段違いだったろうが」
「! なにそれ! 星宮の上靴が盗まれたのは別に大きくない事態だって言いたいんですか!!?」
わざわざ立ち上がりながら間山さんが先生に向けて抗議の意見を述べる。
「大きい事態ではあるけど。うーむ、贔屓は良くないと先生も思うんだがな? そんな風にみんなでウダウダ言い始めると伊藤が」
「それだって海原の時と変わらないでしょ! あの時は先生みんなに対して何も言ってなかったですよね!?」
「海原は別にアウェーになっても気にしないだろ〜。おっと、この発言は教育者あるまじきか……?」
「あるまじきすぎるだろ! 俺の事なんだと思ってんだよあんた!?」
「そうだなぁ……とにかく、伊藤の様子を見て分か」
「みんなやめてよ!!! 伊藤さんは悪くないよ!!」
居ても立ってもいられず勢いよく立ち上がってボクは大声で伊藤さんの擁護を始める。
「伊藤さんの言う通り他の誰かがあの子のランドセルに上靴を入れたかもしれないじゃん! まだ決まってもないのに1人を責めるのなんてっ、良くないよ!」
「は、は、はあ? はぁ〜〜〜!? なんでお前がっ、アイツを庇うのよ!? 見たでしょ、アイツのランドセルから上靴が出っ」
「てか間山さんの様子だっておかしかったし! 今朝は何も知らない風な素振りを見せたのに突っ伏してる時に手を上げてたよね!」
「っ!?」
「ボクに恨みがあるとするならそれこそっ、海原くんとかも怪しいし!!」
「あ? なんだてめぇこらオカマ野郎、なんで俺に矛先向けるんだよぶっ殺すぞ!」
「ぶっ殺す、とオカマ野郎。ダブルレッドカードだぞお前。退場余って永久追放ぞ」
「いや今のはアイツがどう考えても悪いだろ!?」
「他のみんなだって今日ボクの事無視してたし! ボクからしたら全員怪しいよ!! 平等に全員怪しい! それなのに伊藤さんだけが責められるなんてっ、おかしいよ!!」
思った事をそのままベラベラ口に出してハッと周りの視線に気付く。
折角楽しくなってきたのになんで水を指すのか。何様のつもりで自分に疑いをかけるのか。そんな意思の滲んだ冷たい視線が教室中から差し込んでくる。先程伊藤さんに向けられていた以上の悪意と、明確な敵意がボクに向けられていた。
「なんだお前ら、星宮の事を無視してたのか?」
「しっ、してないっすよ!」
「ただの妄想だし!」
「アイツの思い込みが激しいだけだから!!」
「全員で畳み掛けるなよー余計怪しいぞお前ら。まっ、そういう事情を孕んでいるのなら確かに伊藤が真犯人かは怪しい。だが一応、物的証拠がある以上現行犯の疑いは外せないから、伊藤。星宮にごめんなさいしなさい」
「……はい」
先生に促されて伊藤さんがとぼとぼとボクの前まで来ると、ぺこりと頭を下げた。
「ごめんなさい、星宮。……あと、庇ってくれてありがとう」
「い、いや……ボクは大丈夫だよ。怒ってないし」
「ごめっ、なさっ」
「!? な、泣いてる……?」
伊藤さんの声に嗚咽が混じり始め、先生が深いため息を吐き手をパンパンと二度叩く。
「とりあえず上靴の件は当人間で解決したからこれ以上掘り起こさない事。この件はこれでおしまい。いじめとかしょーもないことはやめとけよー。そんな悪い事する子は先生が直接ボッコボコにしちゃうからな〜」
あくまで口調は軽いものの、強めに釘を刺して学級裁判はお開きとなった。
全てが終わると伊藤さんは誰よりも先に教室を出ていった。間山さんはボクに話しかけては来ず、彼女も早々と教室から出ていく。話してくれる相手が誰も居なくなり、ボクは取り戻した上靴に履き替えて1人で教室を出た。