16話『調査』
長尾くん達と雪合戦をしたその日から海原くんから嫌がらせを受けるようになった。何故そんなことをするのかと理由を尋ねても彼は「白々しいんだよ!」と突っぱねるばかり。
困った、非常に困った。筆箱を隠されたり上靴をゴミ箱に突っ込まれたり絶妙な嫌がらせばかりで気が滅入る。ボクはとてもとてもベリー強い子なので平気ではあるんだけど、それでもちょっとばかしメンタルに響くんだよなぁ。
とりあえず今の海原くんはボクとマトモに会話出来る状況じゃない。話しかけたらまた肩を押されたり物を投げられたりするので、ボクがすべきなのは海原くんがこうなった原因について調査するべきだろう。
「ということなんです」
「伊藤が〜? お前の陰口〜? まじで〜?」
「信じられないよね」
「信じられない。てかそもそもお前が愚痴るって所から疑問ではある」
「そうなんだよねぇ……」
「でも海原はそう言ってると」
「間違いないらしいんだよ」
「ほーん」
現在、ボクは長尾くんと一緒に教室のベランダに潜んでいる。理由は教室で女子達と雑談しながら帰り支度を整えている伊藤さんを見張るためだ。
「その話がガチなら、これから吹聴タイムが始まるって事なんだよな?」
「本当ならね」
「ちょっとワクワクするな。俺の陰口とか言われてたらどうしよ」
「言われないでしょ〜」
「てかなんでこのスニーキングミッションに俺を誘ったわけ? 俺、もしや忍びの才能ありと認められた?」
「忍びの才能はないでしょ、体格的に」
「肉弾装甲あるからどっちかってーとタンクだよな。誰がデブだ」
「言ってないよ。現状最も信頼できる友達が長尾くんだったからね。他の人はきな臭すぎる。探偵の血が騒いでるよ」
「お前探偵だったのか」
「かの名探偵、シャーロック・ホームズの孫とはボクのこと」
「嘘八百じゃん。大昔の人間じゃねえのシャーロック・ホームズ」
「そんな昔の人なの? よく知らないけど……しっ! 伊藤さんがこっちに移動してくるよ」
「伊藤さんが移動してくるってダジャレ?」
「ぶはっ! くふっ、うっるさいなぁ……! もしバレたら長尾くんとキスしてたって言いふらすからね。それが嫌なら静かに」
「脅し方が邪悪すぎる」
「ボクとて不本意ではあるよ」
「勝手にキスした事にされる上に不本意とまで言われるのかよ」
「そうならない為に隠密行動ね。ボク達はアサシンだよ」
「アサシンって複数人で行動するかなぁ。集団で動くならやっぱ忍びだろ」
「いいんだよそこら辺の話は。とにかく隠密ですよ、バレたら余計に変な噂立つでしょ!」
「ちなみに1番声張ってるのお前だからね? てか一向に怪しい話する様子なくね。スイーツの話から俳優の話に移ったぞ」
確かに。かれこれ20分くらい会話を盗み聞きているけど全然日常的な会話しかしないな伊藤さん。ボクの陰口を吹聴する様子がない。 やっぱり伊藤さんは潔白? てなると、海原くんと間山さんのタレコミは一体なんだったんだろうって話になるけどさ。
海原くんはまだ帰らずにチラチラと伊藤さんの様子を見ている。彼女からのリークを待っているのだろうか。間山さんも帰る様子がなく伊藤さんをじっと見つめている。……監視している?
「アレかな。家帰った後スマホで陰口言ってるとか?」
「あー、その説もあるのかなぁ」
「その説の方が熱くないかと俺は思う。こんな場所で告げ口したらそれこそそういう奴って周知されるじゃん」
「確かに」
「星宮?」
「はい?」
「胸をグイグイ押し付けてくるのやめてくれ」
なんだ突然。胸? 押し付けるって、密着してるんだから押し付けるも何も無いじゃんか。勝手にそうなるんだけど。
「お前さ、女になったらそういうの気を付けないと駄目なんじゃないの?」
「そんな気になる?」
「うーん、まあ男としてはちょっと気になるよな。お前胸でけぇし」
「みんなそれ言うよね。んー……でもこれ以上後ろ行ったら声聴こえないし」
「場所替えしようぜ」
「ここ以上に隠れるのに適した場所あるかな」
「俺とお前の位置を入れ替えよう。俺が後ろに行く」
「もたれかかれなくなるからやだ」
「それを辞めろって言ってんの!」
「声でかいって。しー。いいじゃんか別に、他の女の子はおっぱい触らせてくれないっしょ? ラッキーじゃん」
「ラッキーなのか? うーん……ラッキーではあるけど、でも元々男だった奴の胸だもんな……」
「殴るよ?」
「いってぇ! 殴ってんじゃん!?」
背中を軽く叩いただけだというのに、長尾くんは大袈裟だなぁ。
ふーむ。胸が当たるのか気になるのかぁ。でもこれ、ただの脂肪でしょ? 長尾くんがお腹を人に押し付けてるのと大差ないと思うんだけど……。
いや、確かに男子の心で考えたら気になるな。女子の胸ってそんな気安く触れるものでもないし、なんかエロいなって思うもん。理解してしまったや長尾くんの言いたいこと。
「待てよ……?」
「どうした星宮隊員」
「隊長。ボク凄いことに気がついてしまいました。世紀の大発見です!」
「お! なんだなんだ」
「不肖わたくし星宮憂、紆余曲折あって現在体が女の子になっております」
「存じております十二分に」
「つまり。今のボクは女子と胸を触り放題だし一緒に着替えたりお風呂に入ったりといったことも可能なのではないでしょうか!」
「今更すぎない? 埋蔵金の謎を紐解いたみたいなテンションで言ってるけど、それ言うならお前体育の時の着替えとか普段どうしてるんだよ」
「教室でカーテンに隠れながら着替えてますけど」
「そうだったの!? 普通に更衣室行けばよくない!?」
「いやー。流石に行けないでしょーボクの場合は。今は体が女って言ってもつい最近まで男だったわけだよ? 怒られない?」
「その考えに至るならお前の発見もまるで台無しになるけど」
「……くそっ!」
思い切り床を叩く。そうかっ、結局体が女でも中身が男だと意味無いか! ぬか喜びだったかぁ!
長尾くんは呆れながらも少し笑う。何を笑っているのか。ボクは今大きな挫折を味わったんだぞ、こんな状況じゃなかったら喧嘩だぞコノヤロー。
「カーテンに隠れながらって、そのうち誰かにバレるだろそれ」
「バレても問題ある?」
「下着とか見られたら死にたくならない? お前、心は男なのにブラジャーしてるんだもんね」
「む。なんでそんなこと知ってるんだよー。言ったことないでしょ」
「体育の時とか透けてるし。Tシャツ着てる日とか時々見えてるし」
「あれま。まあそのリスクと隣合わせで生きてますってことで」
「気合いすご。てか外から丸見えじゃね?」
「下からじゃ気付かないでしょ」
「向かいの校舎に4年とか5年のクラス固まってるべ」
「ふむ」
「ワンチャン下級生に見られてるよな。お前のブラだけ上裸姿」
「……うわっ、どうしよ。想像したらちょっとグロいかも」
「もし俺がそうなったらって考えたら恥ずかしすぎて死ねるわ」
「ああやばい恥ずかしくなってきた! そういえばボクらが2年か3年生だった時も、上級生の人達が女子の着替え覗いてたのバレて学校集会開かれたことあったよね!」
「あったねー。双眼鏡? を持ってきてたんだっけ」
「この学校の治安的に十分覗かれてる説有り得るのか……っ!」
「有り得る有り得る。かくいう俺も去年、お前が学校休んでる時に修学旅行で海原とかと女子の風呂覗こうとしたし」
「なにやってんの!? 大犯罪じゃない!?」
「でもお前もいたら絶対に参加してるでしょ」
「してるね」
「なんなら海原と並んでツートップ先頭切って壁よじ登ろうとするでしょ」
「否定できないね」
「やばいな〜。絶対見られてるわ、てかオカズにされてるわお前」
「おかず? なにそれ、ボク食われるの? ジェフリー・ダーマー?」
「ちげぇわ。誰だよ、なんとかダーマーさん」
「殺人鬼。勅使河原くんが昔見せてくれたコンビニの雑誌に載ってた人」
「アイツ好きだよな〜そういうくだらないやつ。ホラーとか殺人鬼とか」
「厨二病ってやつだよね。心霊写真持ってるとか嘘つくし、呪具とか行ってガラクタ持ってくるし」
「ウケるよな。オカズってのはあれよ、オナニーする時に見るやつ」
「オナニーってなにさ」
「まじで? ……ああそうか、去年いなかったもんな」
「?」
「なんでもない。アレだな、下級生の奴らにビッチ先輩とか呼ばれてたら笑うな」
「笑うなぁ!」
とんでもないことを言う長尾くんの背中をぽこぽこ殴る。たまったもんじゃないよ、純粋に女子扱いされるだけで少しモヤッとするのにビッチ呼ばわりとかもう不快がすぎるよ! 5年生の子達は丁度そういう単語知ってそうだし!
「誰? あ、星宮さん? と長尾くん……?」
「「!?」」
まずい、ついいつもの調子で騒ぎすぎたみたいだ。あまり話したことの無いクラスメートの女子に見つかってしまった!
「あ、えっとな芦屋、これはっ、んむぅ!?」
どうしようどう誤魔化そう、伊藤さんの話を盗み聞きしてたなんてバレたら嫌われてしまう! そう思い焦ったボクは先程のやり取りを脳内で再生し、長尾くんの顎を両手で掴みそのまま勢いで唇同士をぶつけてしまった。
「む、ぶぅっ!?」
「んぶっ……あっ!? え、えーと! 違くて! ボクと長尾くんは、えーっと!」
「キスした」
行動に移したは良いが、正直そんなことするつもりのなかった冗談で言った行動を選んでしまったばっかりに上手い説明が出来なくなる。しどろもどろになるボクを見て、芦屋さんはただ一言『キスした』と言葉を発した。
「ち、違うからな芦屋!? 勘違いするなよ!? 俺と星宮はそういうのじゃなくてっ!」
「……っ!」
「芦屋さん! 待ってぇ!」
長尾くんが言い切るのを待たずに踵を返し、ランドセルを背負って女子連中の輪に入っていく芦屋さん。その足を止めることは出来ず、彼女はそのまま早足で他の女子達と一緒に帰ってしまった。
「やっばい。やばいぞ星宮、お前これどうするつもりなんだよ!?」
「やばいやばい……」
「なんでいきなりキッ……するんだよ!? ビビったわ!」
「いやだって! 前もって言ってたじゃんか!」
「本当にする奴がいるか!? てかめっちゃ軽くキスするじゃん! この学校キス魔ばっか!?」
「なんとなくもう1人のキス魔に該当する人が頭にうっすら浮かぶけども! てかやばいって、芦屋さん絶対に周りの人にバラすでしょあれ!」
「もうガキじゃねえのにこんな形で人とキスするとは思ってなかったわ!」
「ボクもだよ! あああぁぁやばいやばいやばいっ」
「星宮?」
「「!!!」」
伊藤さんの声がした。長尾くんはサッとベランダの影に身を寄せる。
「……」
「星宮……? そんな所でなにやってんの……?」
わあ。伊藤さん、海原くん、間山さんに存在を気付かれてしまった。三者三葉の反応と視線がボクを刺す。ど、どうしましょうこれ。
「長尾くん……」
「やめろ俺になすりつけんな自分でなんとかしろ!」
「ちょっ!? ずるいよ!!」
長尾くんはベランダからパイプを伝って下に降りると、そそくさと走って逃げて行った。伊藤さんがこちらへ来る。
「なにー? ここでなにしてたの?」
「え、いやっ。あんの〜……」
「アンノーン? ポケモン?」
「違くて。あの〜、ラ、ランドセルの紐がねじれてたから直してたぁ」
「ここで?」
「はい……」
「普通に自分の席で直せば良くない?」
「……はいぃ……」
苦しすぎたか。でも思いつかないもん、普段誰も立ち入らないような場所に息を潜めてたそれらしい理由とか。てかどうしよう、伊藤さんの事もどうしようだし芦屋さんが問題すぎる。爆弾すぎる。長尾くんと事故チューしてる所をバッチリ見られてしまってる。
あの人のことよく知らないから不安が募る。みんなに言いふらしたりしてないかなぁ。してそうだなー、噂話とか好きそうだもんなー!
「どうせ俺の悪口でも言ってたんだろ」
納得してくれるであろう言い訳が思いつかず答えれずにいたら、離れた所にいた海原くんが少しこっちに歩いてきてボクに冷たい口調で言い放った。
「面と向かって何も言えないくせに、本人を見ながら悪口を言いたいってか。きっしょ、性格わる」
「何の話? ボク、悪口とか言ってないんだけど……」
「嘘つけよボケ。伊藤がお前の悪口聞いてたらしいぞ」
「え、私!? 知らない知らないそんな話!」
あれ? 予想してた反応と違う。いや、正直にはいそうです私が告げ口しましたなんて言うわけないか。にしても反応的には本当に知らないっぽいけど……?
「は? お前も嘘つきかよ。キモいなーお前ら。仲良いもんな、そりゃキモいか」
「本当に知らないんだけど!? てか私そんな事海原に言ったことあった!? 最近はそんなに話してなかったよね!?」
「間山から聞いたんだよ」
間山さんから? 海原くんの返しを受け、ボクと伊藤さんは同時に間山さんの方を見た。彼女は爪同士を擦らせるように拳を握りながら口を開いた。
「あたしは勅使河原から聞いたー」
「勅使河原……?」
「え、なにこれ。伝言ゲーム?」
待って待って、頭がぐちゃぐちゃしてきた。
話を総合すると、どうやらボクは海原くんの悪口を陰で言っていて、その悪口を伊藤さんが耳にして、それを勅使河原くんに伝えて、勅使河原くんに教えてもらった間山さんが海原くんにそれを直接伝えたって事?
……間に勅使河原くんと間山さんが挟まってるの何? 伊藤さんから海原くんに直接話せば良くないか、その話。
てか多いよ登場人物が! 関係者の9割がこの場にいるのに全員がよく分かってないっぽいのはなんなの? この場にいない勅使河原くんの存在がノイズすぎるんだけど!?
「は、は? 何を信じたらいいんだよ、お前本当の事言ってる? 間山」
「言ってるし。勅使河原から聞いたってだけだから、真偽はあたしには分かんないよ」
「……星宮。お前」
「言ってないよ! 悪口なんか言ってない!」
「あ、あやし〜」
「間山さん!?」
なんでそこで怪しいなんて言ってくるのさ!? 間山さんを見たら彼女はそっぽを向いた。なにその感じ!?
「て、てかっ、伊藤が嘘ついてるんじゃないの? 人の陰口を他人にバラしたって知られたらイメージ悪くなるから、みたいな感じで!」
「私は本当に知らないよ!? 確かに星宮、最初の頃は海原に対して『全然話聞いてくれないのうざい』って言ってたのは知ってるけど!」
「言ってんじゃねえかよてめえ!!」
「それは悪口じゃないじゃん!? ただの本音だよ!」
「本音の悪口だろ!? てか俺に言わない以上それは陰口だろ!! 思ってる事があるなら直接言えよ!!」
「い、言ったところで海原くん全然聞いてくれないじゃんか!」
「お前が調子乗ってるからだろうが!」
「ボクのどこが調子乗ってるのさ!? 普通にしてるじゃん!」
海原くんの言葉に熱が入っているせいでボクも釣られて強い口調で言い返してしまう。その様子に海原くんが苛立った態度を見せ、口論するボクら4人以外の生徒達がそそくさと教室を出ていく。
「てか勅使河原くんから聞いたって言ったけどあの人の事信用出来るの!? いっつもしょうもない嘘ばっか言ってんじゃんあの人!」
「あ、あたしは実際の事は知らないから伝えられた事をそのまま伝えただけだし。文句なら勅使河原に言ってよ」
「つぅかお前いかにも自分悪口とか言わないですよーみたいな顔してるけど長尾の事デブって言うし横井の事ゲームオタクって言うじゃん! 今の勅使河原の事もそうだけど、普通に口悪いからな!!」
「悪口じゃなくて軽口だし! 友達だから軽口叩いてるだけじゃん!」
「勅使河原とも友達なんか!? アイツと絡んでる所見た事ないけどなー!」
「別に仲良くはないけどっ、でも実際そうじゃん! 見栄張ってよく分からないこと言ってばっかじゃんか!」
「それと同じ事を俺にも言ってるだろっつってんだよ!」
「本当の事言ってるだけでしょ!」
「なら直接言えよ!」
「だから何言っても聞いてくれないじゃんって! てかそれ以外の悪口なんて言ってないし! 海原くんの話なんかしないよ、言うことも特にないしさ!!」
そう言った瞬間海原くんがドスの効いた声を出してこちらへ向かってこようとした。伊藤さんが海原くんの前に立って両手を広げてくれたおかげで殴られずに済んだが、それでも海原くんの怒りは収まらない。
「友達には直接言えるんだなぁそういうの! じゃあやっぱ俺の事は友達とは思ってなかったんだな!!」
「そ、そんなこと言ってないでしょ! 友達とは思ってたよ!」
「でもお前から直で悪口言われたことねぇぞ! あってもチビくらいだったし!」
「だからそもそも悪口自体言ってないから! 思ってもないし!」
「嘘つけよ!! まじ言ってる事白々しすぎ!!」
「何が嘘なんだよぉ!?」
「お前さっきから言ってる事変わりすぎなんだよ! 悪口言ってないとか軽口叩いてるだけとか本当の事言ってるだけとか! 言い訳がましいんだよ!!」
「なっ!? そ、それは、だって!」
「悪口言ってる自覚はあるけど認めたら悪者になるから認めたくないってだけだろ!」
「違うって! 本当に何も言ってないんだってば!」
「もう嘘つくのいい加減やめろやゴミ!!!」
「何を根拠に嘘って言ってるんだよ!?」
「お前の言動全部が根拠だよ!」
「やめなよ二人とも! 1回落ち着こうよ!!」
伊藤さんが必死に仲裁するが海原くんからの猛攻は止まらない。ボクもボクでそれに言葉を返してしまう為、事態は全然終息しなかった。
「……伊藤にも、酷いこと言ってたよね星宮」
「えっ?」
長い間口を閉ざしていた間山さんがポツリと言った言葉に伊藤さんが反応する。なんの事だか分からず、海原くんとのいい争いで熱が入ってるのもあってボクは強い口調を間山さんに放ってしまう。
「はあ!? 酷い事なんて言ってないよ! テキトーな事言わないでよ!?」
「い、言ってたよ! くっついてくるのがよく分からないとか、女なのに男と仲良くしてる感じが意味不明みたいな!」
「そ、それはっ」
「!? 言ってたの? 星宮」
「言ってたけど、でもそれは……」
それは別に、伊藤さんの事をウザいと思って言っていたわけじゃない。ただ単純に、男子と同じノリで絡んでくれる女子って珍しいからって感想を述べただけだ。それ以外の意図はないのに、あたかも悪意があったかのように間山さんは言っている。
「女子なのに男子のノリとか分かるのかなーって! 海原みたいな事言ってた!」
「海原くんみたいな事は言ってないよ! そんな思いやりのない酷い言葉、吐いたことあった!?」
「お前喧嘩売ってんのかよ!!!」
「売ってないし! 思いやりがないのは事実でしょ!? 自分の発言思い出してみてよ!!!」
「おっ、お前だって笑ってただろ!」
「それは空気読んで合わせてただけだから!」
「お前ほんっとにずるっこいな!? 口を開けばすぐに責任逃れかよ!」
「責任逃れってわけじゃなくて! 本当に悪意あって言ったわけじゃないし! それにっ」
「やめてよ!!!」
伊藤さんを挟んで海原くんと激しい舌戦を繰り広げていたら伊藤さんが誰よりも大きな声を出した。ボクも海原くんも、普段声を荒らげることのない彼女のそんな姿に驚いてつい黙ってしまう。
伊藤さんは泣いていた。悲しそうな表情をして、涙を腕で拭いながら「もうやめてよ、二人とも……」と弱々しく言った。
罪悪感で胸がチクリと痛む。謝ろうと「ごめ」と言いかけた所で伊藤さんは「やめて」と遮ってくる。彼女は時折声をしゃくり上げながらも自分の席の方まで行き、机の上に置いていたランドセルを背負った。
「……星宮はそういう、女だからみたいなこと言わないと思ってた」
「ボ、ボクはそういうつもりで言ったわけじゃないんだって」
「星宮が悪口って思ってなくても、相手にとっては嫌な気持ちになる言葉ってあるでしょ」
「……」
静かに訴えてくる伊藤さんの言葉に賛同しているのか、海原くんは小さく「だよな」と呟いた。
「そっ、そんな事、分かってるけど……だから、傷付けたくないから本人には言わないんじゃん!」
「……それ、陰口とどう違うの?」
「陰口って感じで言ってるんじゃないんだってば!」
「……もういい。私帰る」
「待ってよ伊藤さん!」
伊藤さんの元へ行こうとしたら海原くんに腕を掴まれ、教室の窓の方に押し付けられた。伊藤さんは俯いたまま、小走りで教室を出ていった。
「なにするんだよ海原くん……!」
「……お前、今回のは流石に俺でも引くから」
「だ、だからっ、別に伊藤さんと一緒にいるのが嫌だとかそういう意味で言ったわけじゃないんだって!」
「悪い意味で言ってないとお前が思えば、何言っても陰口にはならないって言いたいのかよ。お前、自己中すぎだろ」
「……なんなのさ。表では誰も傷つけないように言葉に気をつけてるじゃん」
「表でも長尾にデブとか言うだろ」
「本当に嫌だって言われたらやめるよ!」
「……」
「……なんなんだよ。ボクは、思ってる事を裏で言っちゃダメなの? みんなは相手の気持ちとか考えず、思った事を直接言ったりするじゃん。なんで気をつけてるボクだけが悪いみたいな感じになるんだよ!」
「それが本音なんじゃねえかよ!」
海原くんの拳がボクの頬にぶつかった。かなりの力が入った一撃でボクは床に倒れ、見上げると海原くんの方も痛そうに拳を震わせているのが見えた。
「表で言えなくて鬱憤が溜まってるから陰口を言ってるって認めてんじゃねえかよ。他の奴らは知ったこっちゃねえけど、俺に対してはそれやめろ。ガチでムカつく」
「……知らないよ。海原くんの事なんて」
「あぁ?」
胸ぐらを掴まれ体を持ち上げられる。海原くんは激怒しているようだったが、どこか表情には悲しみも混じっているように見えた。彼の気持ちがよく分からない。ボクが憎くてしょうがない筈なのに、なんでそんな顔をするんだろう。
「……本当に、海原くんの話なんて何もしてないし。それなのに詰められても困るんだけど」
「こいつっ! まだそんな事っ!!」
胸ぐらを掴まれたまま床に投げられ、海原くんはボクの背中を蹴った。痛みで体を丸めると、そこから追撃はなくて、怒りに染っていた筈の海原くんの顔には何故か悲しみの成分の方が多く滲み出ていた。
「なんなんだよ、お前なんなんだよっ!」
「…………仮になにか思ってたとしても、こんな乱暴な事する奴に直接言えるわけないじゃん」
「っ、そうかよ! じゃあもうお前絶交だわ!!!」
「あははっ。まだ絶交してなかったんだ。友達に対してあんな酷い事してたんだね、嫌な奴」
「てめぇっ!!」
「そこまでにしなよ海原!!」
そこでようやく教室に残っていた間山さんが海原くんの前に出て暴力を止めてくれた。
「……もう知らねえ。お前なんか友達じゃない。お前は嫌な奴、クソゴミ野郎だ。覚えとけよ」
「……」
「絶対後悔させてやるからな」
強い恨みが込められた言い方をすると、海原くんは乱暴に自分のランドセルをひったくって教室から出ていった。
彼が居なくなると、緊張が一気に解けたのか目から涙が零れた。跪いた状態で床に涙を何滴も落として床が濡れていく。
「星宮、背中痛いの? 大丈夫?」
「うっく…………だ、大丈夫。ごめんね、間山さん」
「なにが」
「間山さんの事も、もしかしたら、本人の知らないところで傷付く事を言ってるかもしれないっ、から……っ」
「あたしはいいよ。人間誰しもそういう所あるでしょ」
「でっ、でも……あの二人は……っ」
「海原も伊藤も、星宮の事を変に神様扱い? みたいな感じで思ってたってだけだよ。自分達と変わらない人間だって思ってなかったって事でしょ。……むしろ、アイツらの方が酷いでしょ」
「……」
そんなことはない。確かにマイナスな言葉とか言わない人って思われてた節はあると思うけど、だからといって今回のケースであの二人が悪いなんてことにはならないはずだ。
間違えたんだ、ボクが。そう思われるよう振舞っておきながら、徹底出来なかったから悪いんだ。実際伊藤さんはそれで傷付いてたし、海原くんだってそう、ボクの態度に思う所があって酷い事をしてたんだろうし。
海原くんの陰口を言っていたって話に関しては、そもそも話題にあげたことも無いから絶対に有り得ない話だけど。それでも二人にはちゃんと謝らないといけない。でも、海原くんに近付くのはちょっと怖い……。
「明日学校に来たら、まず伊藤さんに謝らないと……」
「っ。な、なんでよ」
「えっ。だって、泣かせちゃったし……」
何故か間山さんは悔しそうな感じの顔をしていた。今の発言も、どこかしら間山さんを傷つけるような要素があったみたいだ。……どこ? どこが悪かったんだろう、間山さんの話なんてしてないはずなんだけど……。
「……一緒に帰ろ。星宮」
「う、うん。それはいいんだけど……今、ボクなにか酷い事言っちゃったかな?」
「別に! 酷いことなんて何も言ってないよ」
「そう? ……間山さん」
「なに?」
「もしボクの事でなにか思うことがあったら気にせず言ってね。ボク、馬鹿で嫌な奴だから、その辺無神経なんだって今回気付けたから……」
「…………考えとく」
間山さんの返し的に、やはりボクは彼女に対しても無意識のうちに傷付けるような発言があったらしい。本当にダメダメな人間なんだな、ボクって。母さんの言う通りだ。こんな奴、誰も好きになってくれない……。
久しぶりに間山さんと一緒に帰ったけど会話は特になかった。ボクは意気消沈としてるし、間山さんもどこか、何かしら思ってる事があるような素振りで気まずそうにしている。
駄菓子屋に着いて間山さんと別れる際、彼女から「また明日」と言われた。その言葉が嬉しくて、また少しだけ泣きそうになるのをグッとこらえてボクも同じ言葉を返した。
その日の夜はとても冷たい風が吹いた。風に当たって寒さを感じたのか、ボクの心は締め付けられるように痛くなる。
伊藤さんの悲しそうな顔、海原くんの悔しそうな顔、それらが頭から離れなくて、大好きな絵を描く手も全然動かなくて結局ボクは何もしないまま、無気力にベッドに入った。




