10話『母さん』
「どこに行ってたの!!!」
「あ、あはは。えーっと、駄菓子屋……」
「勝手に家を出るなって私行ったよねぇ!? なんでそんな簡単な言うことも聞けないの!? 早く家に入りなさい!!!」
「いっ、痛いよ母さんっ」
家の近くまで来ると道路で待機していた母さんに見つかり強い力で腕を掴まれて強引に家の中に入れられた。あちゃー、相当怒ってるなぁ母さん……。
母さんはボクを家の中に入れるとドスドス足音を鳴らしてリビングの椅子に座らせた。
「憂! なんで勝手に外に出たの!!!」
「……1人で、退屈だったから」
「まだ退院して1週間も経ってないでしょ!? なにが退屈よ、ゲームでもしてればいいじゃないあんた好きでしょ!?」
「ひ、1人でやるのはそんなに好きじゃないよ」
「じゃあ絵でも描いてなさいよ!!!」
「……なんか、その、モデルにするもの、欲しいなって」
「インターネット使えばいいじゃない!! 何のためにパソコン買ってあげたと思ってるの!? 少しは頭使ってよ! 親の言う事聞けない子にはスマホ返さないからね!!!」
「そ、そんなっ!」
「そんなあじゃない!!! あんたの行動がこういう選択肢を取らせるの!! お母さんの手を煩わせてる自覚はないの!? お母さんを困らせないでよ!!!」
「そ、それは、でも」
「言い訳なんか聞きたくないわよ!!! 家から1歩も外に出るな! それさえ聞いてくれたらなんでもいいの!!! それだけがお母さんのお願いなの! ねぇ、聞いてるの!? 俯いて黙ってないで返事してよ!?」
「き、聞いてるよ。ごめんなさい」
「ごめんなさいってあんたねぇ!!! もうっ、なんでっ、あんたはっ、あんたはねぇ!! 普通の子じゃ」「母さん。その辺で良いだろう、もう憂も反省してるよ」
「あなたは黙ってて! ちゃんとあなたからも言った!? 家を出ないでって!!! 言ってないわよね! ちゃんと話してよって私言ったよ!? なのにこの子はっ」
「言ったよ! でも、子供だったらそんなの聞けるわけも、ないじゃないか。だからだな」
「だから何? だから何よ!? こんな簡単なお願いも聞けないならなにっ、以前みたいに髪を短く切って胸にサラシでも巻かせる!? それだけで済んだら良かったわよねぇ! でもこの子、顔がっ」
「憂、部屋に戻ってなさい」
「待ってまだ話は終わってないわよ!!!」
「母さん!!」
父さんがボクを庇ってくれた。殴られかけたボクを逃がすように腕を引っ張られ、階段まで背中を押してくれた。ボクはまた逃げるように階段を登り、部屋に入って布団を被った。
……。
どうやら、今回の行動は度が過ぎていたらしい。今まで培ってきたボクのわんぱくな感じじゃカバー出来ないくらいの暴挙を行っていたらしい。勉強になった! 次からは気をつけよう!
……。
なんで? 外に出ただけじゃん。何がそんなにいけないの? ボクが、なに? ボクの何がおかしいの? 顔が違うからなんだよ、ボクはボクだろ。顔が違うから、なんだよ。髪を短くする? 胸を隠す? それでいいじゃん何がダメなの? 分かんない、分かんない、今度はどうしたらいい? どう嘘を吐けば、母さんは……。
違うな、間違えた。悪い事をしたら素直にごめんなさいだった。いつまでもグチグチ言うのは良くない。そんなの、弱虫がする事だ。
ボクは大丈夫。ボクは強い子。だから、もう何も考えない。少し時間が経ったら改めて母さんに謝りに行こう。母さんは元気で素直な子が好きだから、そこら辺はキチンとしないとね。
「あんな言い方は無いだろう!? 憂はもう反省しているのに君はいつまでもグチグチグチグチと! 可哀想だとは思わないのか!?」
「他にどんな言い方があるのよ!? 私間違ったこと言った!? 言ってないでしょ! まだご近所さんにも憂の事話せていないのに勝手に出歩かれたらっ、あの子は」
「診断書もあるし病院からも必要があれば書類は適宜用意してくれると言ってもらえただろう!? そこまで過敏になる事か!? 外出禁止なんて」
「過敏になるに決まってるでしょ!? 元々あの子のせいで本家から勘当を食らってこんな田舎に越してきたのよ!?」
「あの子のせいって、原因不明の病って言われてたじゃないか! あの子には何の罪も」
「それでもあの子のせいで指さされてきたのは事実でしょう!? 普通じゃない子を傍に起きたがらないのは普通じゃない!!!」
「普通じゃないって、多少の異常があっただけでその言い草は」
「その正体不明の異常が今になって判明したけど、アレは普通って言えるわけ!? 男から女に肉体を変える病!? 聞いた事ないわよ気持ち悪い!!!」
「き、気持ち悪いって……」
「元から障害者になる可能性があるって言われてたのは事実でしょ!? そのせいで親戚筋から縁を切られたんだからね!?」
「実の息子になんてことを言うんだ君は! 最近おかしいぞ、薬は飲んでるのか!?」
「飲んでるわよ!!! でも何も変わらないじゃない! というかあなたがもっとしっかり稼いでいればこんな田舎に住まずに済んだのにっ!!!」
「それは君が」
「私のせいだって言うの!?」
「二人で決めた事だったろうが! 都会はいじめられるかもとか治安が悪いとか言い出したのは君だっただろ!?」
「田舎だって大差ないじゃない! あんなに大口叩いておいてなんなのここは!? すぐに噂は広まるし知らない人にも知られてるとか異常でしょ!!! 町内会での話題もそういうのがほとんど!! 息苦しいったらありゃしない!!」
「憂はこれまで普通にやっていけてただろう!? だから今後も」
「今後も普通にやっていけるだろうって? 馬鹿じゃないの!? 誰があんなのと仲良くするのよ気持ち悪い!! どうせオカマだとか男女みたいなあだ名で呼ばれていじめられるだけよ!!! 変わり者はこういう場所だといじめられやすいの!!」
「そうと決まった訳では無いだろう!? 君が必死に育てた結果憂は明るい素直な子になった! あの子は周りに溶け込める子だよ! 少しくらいあの子を信じて」
「無理よ!!! 転校生としていじめられないように小一から通わせたのと今回のとじゃ全然違うもの!!! 今のあの子はこの土地では異物なの!! 他所の中学に通わせるまで家からは出さない!!!」
「それではあの子がまた心を閉ざしてしまうかもしれないだろ!」
「閉ざせばいい!! また明るい子になれるよう私が支えてあげるの! そしたら絶対っ」
「1度傷ついた心は元には戻らないんだぞ!」
「家から出さないだけでなんで心が傷つくのよ!? 悪い刺激なんて何も無いでしょ!!」
「仲の良い友達と遊べないだけで子供にどれだけの負担がかかると思っているんだ!」
「友達より家族でしょ!? あの子は私のことを分かってくれる!! だから傷つかないわよ!!」
「あの子から選択肢を奪うのが親の仕事か違うだろ!? 家族か友達かを選ぶのはあの子だ、君が決めつけることじゃない!!!」
「まだ何も知らない子供に選択肢なんて与えられるわけないでしょ!? 私は昔からあの子に最適解を与え続けてる! 自信を持って言える!! 現にあの子は普通の子と同じようになれた!!」
「それはあの子の努力だ! 君の言いなりになっていたからじゃない!」
「言いなりって何!? 子供を正しい方向に導くのが親でしょ!? 私はやるべきことをやっているだけ! 仕事と自分の好きなことにしか時間を割かないあなたとは違うの!!!」
「俺が自分の事だけを優先してると言いたいのか!?」
「そうでしょ!! 事実あなたはいつもいつも」
今日は寝よう。なんだか眠たいや、謝るのは明日以降でもいいかな。ん〜っ、伸びをすると気持ちがいいなあ。明日もどうせ、どうせ外に出ちゃダメって言われるだろうからお昼まで寝ちゃおっかな。入院中は痛みで頻繁に寝て起きてを繰り返してたからなぁ。
……。
外出禁止を言い渡されて二ヶ月程経った頃、珍しくお昼に母さんがボクを外食に連れて行ってくれた。
村を出るまでは帽子とマスクの着用を義務付けられたし車の窓から顔を見えないようにしてって言われたからちょっとした有名人気分である。VIPだなぁ〜。どうも、芸能人です!
連れて行ってくれたのは住んでる村から車で3時間ほどかかる街の喫茶店だった。始めてくる店だ、ビル群に囲まれた景色が目に新しい。あのドン・キホーテっていうお店、全体がキラキラしてて目が痛いな〜。あんなのがあったら夜の街灯もいらないんじゃなかろうか?
「ここまで来ること無かったわよね、憂」
「ないねぇ。すごく都会って感じ!」
「そうそう、お母さんね。実はこういう街の方が好きだったりするの。なんでもあるし、気軽に色んな所に遊びに行けるしね」
「便利そうだよね〜!」
「学生はこういう所の近くに住んでた方が楽しいと思う。色んな人がいるから、憂と同じ趣味を持つ人も沢山いて友達いっぱい作れそうだし。そう思わない?」
「確かに! 近くに校舎の大きい学校があったし!」
「ね〜。田舎にある学校とは大違いでしょ? 生徒も沢山いるのよ。マンモス校ってやつね」
「マンモス? かっけぇ〜!」
「ふふっ。まあ、人が多い分性格の合わない子とかもいるかもしれないけど、そういう子とは関わらければいいだけだし。きっと濃密な人生経験を積めると思うわよ。こういう街に居た方が」
「あはは、そうだねぇ」
注文していた大皿のスイーツが来たのでそれを親子二人で突っつきあう。プリンにホイップクリーム、数々のフルーツも乗っている、甘味のよくばり展覧会だ〜!
二人揃って頬に手を置き甘さに悶える。案外ボクと母さんってこういう蕩けた感じの顔が似てるかも? 窓に映りこんだボクらの顔が意外とそっくりで驚いた。結局この顔も遺伝的には違和感のない顔なのかなぁ?
「ねえ、憂?」
プリンを口に運びほにゃってした顔のまま母さんはボクに声を掛けた。
「なに〜?」
「うん。あのね」
母さんはスプーンを皿の上に置き、小さく一呼吸吐く。
「憂は私とお父さん、どっちが好き?」
「えっ」
カツーンと音を鳴らしてしまった。手からスプーンが滑り落ちたのだ。笑いで誤魔化す。
「あはは。あは、は……」
「もう気付いてたと思うんだけどね。私とお父さん、離婚する事になったの」
「……はは、そうなんだぁ。知らなかった、なぁ〜」
「私達が話してるの、聴こえてたでしょ? あの家狭いもんね」
「……」
「憂をいじめていたとか、他の人と仲良くなったから離婚するって訳じゃないから親権は話し合いで決めようって話になっててね。だから、憂に選んでほしいの。私とお父さん、どっちと一緒に暮らしたいのかなって」
「……なんで」
「? なんでって?」
「なんで、離婚……するの」
「お父さんとは意見が合わなくて……ほら、憂って明るくて元気で素直な良い子じゃない? ちょっぴり言う事聞かない所もあるけど、そういう性格の子って田舎の狭いコミュニティじゃ生きていけないと思うの。でもお父さんはそうは思ってないらしくってね」
「……ボクの、せい?」
「違う違う! 憂のせいなんかじゃなくて! 昔からそうなのよ! あの人、1度決めたことが間違ってたって分かっても全然曲げない強情な人でね? 今回の件も」
「やめて」
「え?」
「やめてよ。父さんを、悪く言わないでよ」
「……お父さんの方が好き、って事?」
「どっちも好きだよ! 母さんも父さんも! 選べるわけっ、ないじゃん! そんなの、そんなのっ」
「ごめんね。でも、もう決まった事なの」
「嫌だよ! なんで、離れちゃうの? 父さんと母さんはあんなに仲良くて……好きだから、結婚したんでしょ? 好きだからボクを産んで育ててくれたんでしょ!?」
「……」
「どっちが好きかなんて選べるわけないじゃん! 離婚なんかしないでよ!!」
「……だからね。それは無理なの」
母さんは冷たい声でそう言った。さっきまでの蕩けた顔の影もない、無感情的な顔でボクの目をジッと見つめる。
どっちかを選べば、どっちかとは離れ離れになる。それを理解した上でどちらかを選べなんてそんなの、そんな残酷な選択肢を突きつけられても選べるはずがない。
ボクのせいだ。ボクが、変な病気を持って生まれてきたせいで父さんと母さんを引き離してしまった。ボクがちゃんと言うことを聞けないから、求められる役割を演じきれなかったからこんな事態を招いてしまった。
謝ろうと声を出そうとしたら、母さんはため息を吐いて無感情な顔から蔑むような顔に表情を作りかえた。
「……ごめんね。実を言うとお母さん、憂と一緒に暮らす気はないの」
「えっ……?」
「憂を身篭った時ね、普通の子とは違う特徴を持ってる子なんだってお医者さんに言われてね。……お母さん、そういう子は産まずに堕ろすっていう時代遅れな習わしがある家庭で育ったんだ」
「……」
「でもあの人は、憂が初めての子供だったから産みたいって。私は、あの人に言われたからあなたを産んだの。本当は堕ろすつもりだったんだけどね」
「……っ」
「だからお母さん、勘当されちゃった。えーとね、お前はいらない子って家の人に言われちゃったの。それからはずっと細々とした貧乏暮らし。でね、今になって憂はそんな身体になっちゃったでしょ? 正直ね……私、疲れたのよ」
「つか、れた」
「うん。ごめんね。……だから、お父さんに着いて行った方がいいと思うよ。私には憂を、愛せる自信が無いから」
「…………本音じゃないよね、それ」
「ううん。本音。本当に悪いなって思うんだけど、産まなきゃよかったって思った事もないでもない。だから、ね」
「……ごめんなさい」
「憂は悪くないでしょ。悪いのは私。自分勝手な事を言っている私だけが悪いの。ごめんね。……どうする?」
「……」
「……お父さんに着いてく?」
「……」
何も言わずに頷く。母さんの顔は見れなかった、いつも通り笑顔を作れる自信が無かったから。
というか、母さんが母さんじゃなくなるならもう、無理して笑顔を作る必要がないんだ。思ってもない前向きな事を言う必要も無いし、どうでもいいことに一喜一憂する必要も無い。なんだ、あははっ、父さんに着いていくだけで一気に人生が楽になるんじゃん。都合いいじゃん。あははっ、なら何も悲しむ必要なんかないし、傷付くわけないし、だから。
……。
「……ボクは強い子。だから大丈夫」
「うん。そう、憂は強い子。だから、私が居なくても」
「これ。……これ、4歳の時に母さんが教えてくれたおまじない。覚えてる、よね?」
「…………ごめんなさい。覚えてない」
「……そっか。あは、は。だよね、昔の話だし。そろそろ帰り……あの……家、まで、車で送ってってはくれる、よね?」
「別居するのは後の話だから、まだしばらくは一緒のお家で暮らすことになるわ。だからそこは安心してね」
「安心……」
安心。安心。安心、か。何をだろ。分かんないや。傷ついてないし何も怖くないし何も悲しくないし何も後悔してない、のに、何を安心するんだろう。
あぁ、駄目だ。トイレに行こう。おしっこ漏れそうだからトイレ行こう。母さんに「トイレ行ってくる」とだけ言ってその場を離れる。
「………………うぅ、ううぅぅぅぁあっ、うわあぁぁあぁぁぁっ! うっ、ぐっ、ああぁぁぁあっ!」
トイレの個室に入った瞬間に我慢できなくなった感情が喉を鳴らし口から勝手に漏れ出ていく。頭を抱えて髪の毛を掴み、今まで見て見ぬふりをしていた母さんがボクを見る時の"目"を思い出して胸の奥のグルグルした感情を吐き出す。
長い事泣き叫んだ後、涙と鼻水を誤魔化すために洗面所で顔をバシャバシャに濡らして拭いてからトイレを出た。遠い目をして窓の外を眺めている母さんの対面に座り、また何も言わずにスプーンでスイーツを食べ始める。
母さんと会話したのは、その日と別る時の二回だけだった。母さんは最後、「憂は強い子。だから大丈夫。元気でね」とボクに言った。幼い頃にくれたおまじないを残して、これまで見た事のない笑顔をボクに向けて、頭を撫でて、母さんは我が家を去っていった。