「なろう」の片隅で愛を叫ぶ
「小説家になろう」に投稿される数々の作品を読むのは楽しい。
ランキングも参考にするけれど、好きな条件で検索をかけて、面白そうだと思えばとりあえずブックマークをつけていく。少し読んであわないと感じれば、つけた時と同じようにどんどん外していく。
購入した書籍ならこうはいかない。面白くなければ、しばらく落ち込む。払った分はと思うが、半分も進まず、もはや苦行。
人生何があるかわからない。明日も生きてるとは限らないのに、最後に読んだ本がこれでは嫌すぎると思うと、もう手にする気にもならない。
「なろう」は無料なので、文句を言う筋合いもない。自分が好きで勝手に読んでいる。
たぶん、書く方も書きたいから書いている。自分が面白いと思うから書いている。その開き直りと思い込み、おおらかさが作品の魅力に繋がっているように感じる。
荒削りな文章も誤字脱字も、強引な展開も勢いがあればそれなりに楽しめる。永遠の未完でも仕方がない。
自分に合う小説を探すのは宝探しにも似て、次はどんな作品に会えるだろうと期待しながら「なろう」の中を掘り進む。
「更新が遅れます」と書いてあればと忙しいのだなと思うが、それでも頑張って書いて!とひっそり鬼畜な応援をする。
ワクワクするような作品や、完成度が高い作品に出会うと、プロがこっそり趣味炸裂で書いているのではないかといらぬ想像したり、抱腹絶倒な会話を読むと、実際の作者は寡黙で、言いたいことも口にできず、いい具合に熟成されたものが出ているのではと思ったり。
気に入った作品が書籍化されれば作者さんを応援するつもりで、購入することもあるけれど、基本、心の中だけで応援し、まめに更新されれば感謝し、途切れてしまえば、一人哀しむ。
一作だけで、何年も新作が出ない作者さんは、きっとデビューされたか別の場所で活躍されているのだと信じる。間違っても筆を折ったとは思いたくない。素晴らしい作品を書いた人が創作を止められるはずがないと思う。
「なろう」の小説を読んでいると、「書きたい」と「書ける」は違うのだなとつくづく思う。
同人誌に参加している私は、闇病み派とあまりありがたくない名称をいただいている。書いてると暗くなるし、暗くなると調子が出てくる。
前回、同人誌に掲載した作品も暗かった。が、三田文学の書評に取り上げていただいた。大変光栄なことだと思う。ありがたいと同時に、もう暗い道をゆくしかないと思ってる。
書きたくても書けないのだから仕方が無い。
その反動か、とにかく楽しい話、できれば長編を求めて「なろう」を徘徊している。
長編を書ける人は総じて筆力があるし、熱量も高い気がする。300話くらいあると、期待値が跳ね上がるが、逆に600話くらいあるとテンションが下がる。
長いと起承転結が曖昧になる作品が多い印象がある。読者を飽きさせず、起承転結を積み重ねで引っ張っていくには相当の力が必要だと思う。長編の合間に50話くらいの小説も気楽で読みやすい。
勝手な自分の基準で、異世界に転生、スキルと冒険、軽妙な掛け合いで思わず笑い、頑張る主人公の努力が実るような話を探す。
「なろう」には、人の評価や人気、話題や賞に関係なく自分が面白いと思う小説を探す人がいて、人が面白いという小説ではなく、自分が面白いと思う小説をぶれずに書き続ける人がいる。
ここから生まれるものから目が離せない。