第7話 錬武館にて
第7話 錬武館にて
「アーアッ……」
王宮から戻ってくると、スサノハンクは、錬武館道場のフロアにゴロッと大の字になって寝転んだ。錬武館道場は、フリードランス王国の訓練場としては珍しく室内に設置され、フロアは板の間になっていた。
今日一日で、色々なことがあり過ぎた。早朝から魔法使いとやり合い。その報告のため、館長の元を訪れると、否応なくそのまま、王宮まで行かされ、国王ブルーノベンヤミン=オーブ=ブランダール=リヒトを前に、今朝のことを報告させられたのだ。
実戦は初めての経験だった。まして、魔法使い相手に戦うなど、父スサノバルトでさえ、初めての事だろう。更には、国王との謁見だ。スサノハンクの父方の祖母、現公爵の妻クリスティーナ=オーブ=プフェルトナァは、先々代国王の妹。第二皇女だったので、スサノハンク自身、王家の親戚筋、現国王とは、はとこ同士に当たるわけで、公爵の孫として声ぐらいかけてもらったことはあったが、正式に国王に謁見するのは初めてのことだった。
見た目はさておき、利発なスサノハンクだった。幼少の頃より、何か教えてもらうと、知らないはずの物事に対するコツや関連事項が、頭の中に自然に沸き上がってきた。武術に限らず、日常生活に必要な知識も自然と身についていた。頭の中にもう一人の人間がいて、その人間の知識を引き出しているようにも思えたが、今のところ、スサノハンク以外の自我は存在していなかったし、沸き上がってくるのはノウハウ的な知識だけだった。
そのため、王宮での振舞などは、年齢の割にソツなくこなすことができたと思っていた。
それでも今日は、スサノハンクにとって初物尽くしだったこともあり、自分では大丈夫と思っていても、肉体的にも精神的にも疲れが蓄積されているようだった。如何に大人ぶったとして、スサノハンクは、まだ、十二歳でしかなかった。一息付けた現在、そのツケが、スサノハンクに重く圧し掛かっていた。
『そんなことありかな?……』
スサノハンクは、ゆっくりと目を閉じると、国王と筆頭宮廷魔術師アヒムのやりとりを思い出していた。
「腕を切り落とされ、絶命したというのか」
国王ブルーノベンヤミンは、スサノハンクの報告を聞き終わると、考え込むように顎に手を当てそう呟いた。
国王は、謁見の間の玉座に座り、その両側には、国家の重臣たちがずらっと並んでいた。謁見の間の天井は高く、普通の家の三階分の高さはありそうだった。壁面も贅を凝らせた彫刻や絵画に埋め尽くされ、初めここに足を踏み込んだ者は、その光景だけで圧倒され身がすくんでしまいそうだった。
スサノハンクは、玉座より少し下がった位置で、跪いていた。
ただの小競り合い程度の報告を聞くには、異例の物々しさだった。スサノハンクのような未成年に、急ぎ、このような場所で報告させること自体、異例中の異例だろう。
それだけ、王宮でも、今回の出来事を重要視している証拠だろう。宮中お抱えの魔法使い以外に、攻撃魔法を使える魔法使いがいるという事実を……
「アヒム。どう思う」
国王は、近くに控えていた宮廷魔術師に話を振った。
「私も、このようなこと初めて聞き及んだ次第ですので、全て、推測になりますが」
アヒムは、そう前置きすると、『ムーン』と顔を顰め一語一語言葉を選ぶように語り始めた。
「右腕に魔力が集中していたとのことでございますから、憑依したものの本体は、そこに存在していたものと推察されます。おそらく、スサノハンク殿の話から考えますに、憑依したものは、黒い帯状の魔法を使うために右手に本体を置いたのではないでしょうか。あとは、木が大地に根を張るがごとく、冒険者の体を操るため、本体からその体に向け根のように魔力を張り巡らせていたのでございましょう。スサノバルト殿に、右腕を切り落とされた後、冒険者は絶命したとのことですが、これは、魔力の供給が絶たれたため、魔力で無理やり生かされていた冒険者の生命が、消失したためと解されます」
宮廷魔術師、アヒムの言葉に、スサノハンクも、成程と頷くところがあった。
右手に当たった暗器の傷は、暗器を引き抜くと殆ど同時になおっていったが、心臓やアキレス腱に負わせた傷は治りが悪かったような気がした。死にはしなかったものの、衣服の胸を染める血液は、倒れても完全に止まってはいなかった。魔力に支配されていた冒険者は、心臓を刺されてもギリギリ一命をとりとめていたが、魔力の供給を絶たれたため心臓が停止して絶命した。この治癒力の差を魔力量の差と考えれば、つじつまが合うような気がした。
「なるほどな。だが、そうすると、右手を切り落とされ、憑依していたものはどうなったのであろうか」
国王が、アヒムに再び聞いた。
「冒険者との接続を断ち切られ、冒険者を利用して魔法を放てなくなった以上、憑依していても意味はございません。右腕から魔力が消えた時点で、どこかに退避していったものと思われます」
アヒムは、国王に恭しく礼をしながら言った。
その言葉に、接見室に軽い動揺が走り、さざ波のようにざわめきが広がっていった。
訳の分からぬ憑依者が生存している。もしそうなら、由々しき問題だろう。また、いつかどこかに、憑依された者が現われるかも知れないということだ。今回は、現れたのが武闘派のプフェルトナァ公爵家の者の前であったため、大事無くて済んだが、もし次に自分たちの前にそんな者が現われたらどうすれば……。そんな不安というか恐怖が、静かに貴族たちに広まっていったのだ。
「申し訳ありません。発言をお許しいただけないでしょうか」
スサノハンクが、恐る恐る、顔を上げて国王に許可を求めた。
子供はいえ、スサノハンクはは今回の事件の当事者。貴族たちは静まり返ると、スサノハンクの発言に注目した。
「許す。申してみよ」
国王は、スサノハントに言った。
「最初に冒険者が現れた時には、その者に憑依されてる徴候や魔力は感じられませんでした。戦いが進む中で、そのような徴候や魔力を露わにしていきました。アヒム殿は、このことについてどうお考えになられるでしょうか」
スサノハンクは、アヒムの方に顔を向けて言った。
「おそらく、冒険者の体のどこかで気付かれないよう潜んでいたのでしょう。冒険者の思考に干渉できる程度に。それが、冒険者が思いのほか危機に落ちいってしまったため、段々と本性を現わしていったのではないでしょうか」
アヒムも、スサノハンクの方を見ながら言った。
「アヒムよ」
国王が、アヒムに呼び掛けた。
「ハッ。何でございましょうか」
アヒムは、国王の方に向き直った。
「それだけ、高度な憑依の技術を有し、攻撃魔法まで使えるとなれば、アヒムは、その憑依したものを何者と考える。他国から来た魔法使いかなにかであろうか」
国王は、答えは聞きたくないが、立場上聞かねばならぬという義務感から、恐々とアヒムに聞いた。
「今回プフェルトナァ公爵家を襲撃した魔法使いは、我々の知る限り存在が確認されていない人知を超えた魔法を使うようです。そこから出てくる答えは、一つでございます」
アヒルは、そこで、言ってもいいものかどうか逡巡するよう言葉を切った。
そこに同席した全ての人間は、アヒムの次の言葉を、固唾を飲んで待ち構えたいた。
「魔族でございましょう」
アヒムが、そう答えると、謁見室の中は騒然となった。
『やはり』
というように、国王は、背もたれにドサッと倒れ掛かり右手で顔を覆った。
もしやとは思っていても、もう、何百年、何千年も歴史に登場してこなかった魔族の名が公式の席で上がったのだ。驚くなという方が無理かも知れなかった。
そんなこんなで、スサノハンクが、王宮からプフェルトナァ家の王都別邸に戻ってきた時には、もう、日も傾きかけていた。ギートと戦ったのが、早朝のことだったことを考えると、今日は、何と目まぐるしい一日だったことだろう。日本で言えば小学校六年生ぐらいの年齢でしかないスサノハンクにとって、あまりにも負担の大きい一日でもあった。
『魔族か……』
スサノハンクは、道場の天井をぼんやり眺めながら呟いた。
殆ど記録も残っていない大昔、全人間を消滅直前まで追い込んだといわれる魔族。それを救ったのは、何人かの勇者グループといわれている。スサノハンクにとって、伝説級の話で全く実感はなかったが、その時に滅んだと言われる魔族が復活したとなれば、全人類にとって大いなる脅威だった。
「よう、お疲れ。今日は、大変だったんだってな」
そう言いながら、アルフォンス=オーブ=シュヴェルトが道場に入ってきた。双翼家、ギルベルトの息子だった。細い目は父親譲りなのだろうが、父親ほどその眼光に鋭さは無かった。ギルベルトも、一日中、あんなに眼光をギラギラさせているわけでは無いのだろうが、スサノハントは、ギルベルトが、穏やかそうな目付きをしているのを見たことが無かった。また、頭髪も父親ほどの長さではないが、肩まで伸ばした総髪、いわゆるおかっぱ頭のようにしていた。
「アル兄」
スサノハンクは、そう言うと、上半身を起こし、胡坐をかくように座った。
「相手は、魔法使いなんだったんだって、よく生きてたな」
今日現れた襲撃者が魔族かも知れないというのは、まだ、極秘事項で、スサノハンクたちにも、箝口令が敷かれていた。
アルフォンスは、スサノハンクより二歳年上だったが、幼馴染で小さい頃から一緒に遊んで育った仲だった。主家の次々期当主にも遠慮は無かった。
「どうした。元気ねえじゃねえか?負けたわけじゃねえんだろ」
アルフォンスは、スサノハンクの様子を見て言った。
「うん」
スサノハンクは、俯き加減にそう答えた。
「初めての実戦の相手が魔法使いとは、運が悪かったな」
アルフォンスは、そう言いながら道場に入ってくると、スサノハンクの前にドカッと座った。
「戦ったのは、主に、父上と母上だったから……」
スサノハンクは、戦いの最中、自分の不甲斐ない姿を思い出すと、自然と顔が赤くなっていくのが分かった。
「そうなのか。でもまあ、いいじゃねえか。魔法使いと対戦するなんて、なかなか経験できることじゃねえぞ」
アルフォンスは、そう言うと、スサノハンクの肩をポンポンと叩いた。
本人は、スサノハンクを慰めているつもりなのだろうが、年の割に大柄で日頃から訓練で鍛えているアルフォンスに、遠慮なしに叩かれてはたまったものじゃなかった。
「痛いんだけど、アル兄」
スサノハンクは、アルフォンスに肩甲部を叩かれるたびに、体を大きく揺らされていた。
「そうか、悪かったな」
アルフォンスは、そう言うと、笑いながら、益々、スサノハンクの肩を叩き始めた。
「……」
こうなっては、アルフォンスは、スサノハンクの手にはおえない。アルフォンスが、落ち着くまで待つしかなかった。スサノハンクは、諦めたようにため息をついた。
「アル兄。なにハンクをいじめてるのよ」
その時、道場の入り口の方から、女の子の声が聞こえてきた。
イリーネ=オーブ=ファウスト。ヘルマンの娘だった。腰まで伸びた髪の毛を三つ編みにして、これまた父親譲りの大きな目で、二人を見下ろすように入り口に手を掛け立っていた。彼女も、アルフォンス同様、スサノハンクの幼馴染の一人だった。黙っていればイリーネも美少女と呼ばれる範疇に入るのだろうが、持ち前の気の強さが災いして、どちらかと言うと、煙たがられる存在だった。
「変なこと言うなよ。虐めてるんじゃなくて、ハンクを励ましているんだよ。そうだよな、ハンク」
アルフォンスは、スサノハンクに話を振った。
「う、うん、まあ……」
スサノハンクは、困ったようにそれだけ言った。
「ハントも、こう言ってるだろ」
アルフォンスは、勝ち誇ったように言った。
「ハントは、困ったような顔してるじゃない。アル兄は、ハンクを脅かしてそう言わせてるだけじゃない」
イリーネは、道場にドタドタと入ってくると、スサノハンクの顔を覗き込むようにしながら言った。アルフォンスの母は、イリーネの父、ヘルマンンの妹。二人は、いとこ同士なのだ。それだけに、イリーネは、年上とはいえアルフォンスに容赦なかった。
「何だと、俺がいつハンクを脅かしたっていうんだ」
アルフォンスは、中腰になると、イリーネの顏の方に向って、自分の顔を突き出した。
腰を屈めたイリーネと、その顔を下から見上げるアルフォンスの顔の距離は、僅か数センチメートル。お互いに眼から火花を飛ばし、一触即発の状況だった。
「止めなよ」
スサノハンクが、睨み合う二人の間に割って入って止めた。
この二人が言い合いをして、それを、スサノハンクが止めに入るのはいつものパターンだった。二人にしても、本気で言い合いをしてるというより、じゃれ合ってるという感覚に近いのかもしれなかった。
「イリーネも、何か用が有って来たんじゃないの」
スサノハントは、両手で二人を制しながら、イリーネの方に顔を向けて言った。
「そ、そうだったわ」
イリーネは、ハッとしたように口に手を当てた。
「お前は、頼まれたことも、満足にできないのか」
アルフォンスは、茶化すようにイリーネに言った。
「煩いわね。アル兄が邪魔するからいけないんでしょ」
イリーネは、そう言って、アルフォンスの顔を睨みつけた。
「もう喧嘩はいいから、どんな用なのか教えてよ」
スサノハンクは、アルフォンスに掴みかかろうとするイリーネを止めながら聞いた。
「そう、そう。館長たちが、ハントに館長室に来るようにって」
イリーネが、言いつけられた用事を思い出したように言った。
「館長室に……」
また、何か言われるのかと思って、スサノハンクは、嫌な気分になった。