第3話 狼藉者
第3話 狼藉者
プフェルトナァ公爵家の者たちがロードワークを続けながら近付いて行くと、ザンスダール街道の中央に座り込んだ男の姿が、段々とはっきりしてきた。
『あれって、冒険者かな』
スサノハンクは、男の風体からそう推測した。
粗末な革鎧を身に着け、長髪というよりボサボサに伸ばした髪の毛。それだけでも、遠目にも、うさん臭さ満載だった。街道の真ん中に座り込むという行為を含め、その男が、一般の善良な市民とはとても思えなかった。 かつては、リヒト王家の懐刀、フリードランス王国の軍務を一手に握るプフェルトナァ公爵家に対する風当たりは凄まじく、恨みを抱く者も多かった。ロードワーク中、暴漢に襲撃されることも日常茶飯事だったという。街道で、何十人単位の傭兵部隊相手に、大立ち回りしたこともあると聞いていた。木の影に潜んだ暗殺者たちにより、当主の命を狙われたこともあるとも聞いていた。腕に覚えのある武芸者が、決闘を申し込んできたこともあると聞いていた。
しかし、プフェルトナァ公爵家の面々も、それで怯むような柔な神経はしていなかった。襲撃の度に、それを返り討ちにして粉砕してきた。また、それを理由に、早朝訓練の一環としての、ロードワークを中止することもなかった。結果として、プフェルトナァ公爵家侮りがたしという噂が広まり、暴漢の数は次第に減っていった。
最近では、稀に、『プフェルトナァ公爵家と戦って一歩も引かなかった』と武名をあげようとする傭兵崩れや冒険者が襲って来るぐらいだった。彼らは、命を賭ける程の覚悟は無く、名乗りも上げずにいきなり襲い掛かってくると、何合か打ち合っただけで、従士たちに取り囲まれる前にサッサか退散していくのが常だった。戦ったという事実だけが欲しいだけで、後は、何とでも言いつくろえばよかったのだ。
スサノバルトが、街道中央に座る男をその類と判断したのは当然と言えた。
だが、その男が、本当にプフェルトナァ公爵家を狙う暴漢かどうかは分からなかった。街道の景観をゆっくり眺めようと、そこに座っているだけなのかも知れなかった。何かアクシデントが起こったか、巻き込まれたかして、立ち上がれなくなっているのかも知れなかった。
スサノバルトは、男との接触を避けるため、街道の右端ギリギリにコースを変更するよう、隣を走る従士長のヴォルフに指示した。
男は、スクッと立ち上がると右に移動し、プフェルトナァ公爵家のロードワークを邪魔する位置に立ちはだかった。
『これで、決まりかな』
スサノハンクは、男がプフェルトナァ公爵家に敵対する者である、と判断した。
念のためか、スサノバルトは、今度は、ヴォルフに街道の左端の方に大きくコースを変させた。降りかかる火の粉は払いのけなければならなかったが、国軍の最高司令官として王都の治安維持にも関与するプフェルトナァ公爵家が、率先して騒ぎを起こすようなことも避けなければならなかった。
男は、やはり、プフェルトナァ公爵家のロードワークを邪魔する位置に移動した。
「止まれ」
男の数メートル手前まで来ると、ヴォルフは、手を挙げ後続の者にそう命じた。
「我らが、プフェルトナァ公爵家の者と知っての狼藉か」
ヴォルフが、一歩前に進み出て、男を威嚇するように言った。
「我は、ギート=ハイツ。部門の誉れ高きプフェルトナァ公爵家の者との手合せを所望する」
ギートは、ヴォルフを睨みつけながら言った。
「プフェルトナァ公爵家は、フリードランス王国の軍務を司る重臣。それを承知で、当家に刃を向ける以上、反逆者も同然。その覚悟はできているのだな」
この場で切り殺されても、文句は言えぬし、後で、反逆罪に問われて、処刑されることになるかもしれない。『それでもいいのか』と、ヴォルフは、確認しているのだった。
「勿論。望むところよ」
ギートは、そう言いながら、腰の剣を抜き放った。
「オ―ッ」
プフェルトナァ公爵家の従士たちは、歓声とも驚きともつかぬ声を上げ、隊列を崩して男をグルっと取り巻くように人垣を作っていった
。
娯楽の少ない世界において、決闘のようなものは恰好の見世物だった。従士たちは、自分たちの主家の者たちの強さを知っていた。誰が、相手するにしろ勝敗は決まっているようなもの。後は、あの男をどのように料理してくれるのか、従士たちは、それを楽しみに彼を取り巻いていたのだった。
「俺は、一分以内に五ギュールだ」「俺は、三分に十ギュールだ」
主家の者が勝つことを前提に、相手が何分持つかの賭けも始まっていた。
前に進みだそうとしたスサノハンクの肩を、グッとスサノバルトの手が抑えた。
「かなりの手練れのようだが、大丈夫か」
スサノバルトは、スサノハンクの耳元で囁くように聞いた。
名も名乗らず、いきなり斬りかかってきて、数合打ち合いそのまま逃走する手合いかと思ったらそうではなかった。堂々と名乗りを上げ、死をも厭わぬ覚悟をきめているようだった。自らの死か。腕を認めてもらい仕官させてもらうか。そのどちらかと、背水の陣で臨んできているのかも知れなかった。それだけに、危険な相手といえた。
相手の手並みも確かめず、不用意にスサノハントを相手に指名したことを、スサノバルトは、やや後悔していた。通常であれば、真剣勝負を行う場合、スサノバルトやアマルフィーネ、もしくは従士長あたりが、相手の力量を確かめた上で、子供たちと対戦させていた。それが今回は、スサノハンクの罰則を兼ねていたことと、『どうせこんなところに現れる者なら』とその力量を軽視していたことが重なってこのような事態を招いてしまった。
家臣たちの前で、お前が相手しろと命じてしまった手前、今更、相手を変更することも憚られた。
「お兄様」
アマルフィーネが、不安そうにスサノハンクの手を掴んできた。
「……」
アマルリーニアも、無言ながら『大丈夫なの』と目で訴えかけてきていた。
「大丈夫です」
スサノハンクは、きっぱりとそう言い放つと、人垣の中央部に歩み出て行った。
「おい、おい、相手は、若様かよ」「大丈夫か、若様、初陣だろ」「大丈夫に決まってるだろ。若様の強さは、お前も、知ってるだろ」「でもなあ……」
人垣の間からは、そんな不安も聞こえてきた。
「お前みたいなガキに相手させようっていうのか。俺様も、舐められたもんだな」
ギートは、構えを解き地面にペッと唾を吐き出すと、馬鹿にしたようにスサノハンクを藪睨みしながら言った。
「これでも、プフェルトナァ公爵家が嫡男。スサノハンク=オーブ=プフェルトナァ。若輩ながら、あなたごときに、後れを取るとは思いません」
スサノハンクは、ギートの顔を真っ直ぐに見据えて言った。
「ガキのくせに、いっちょ前に言ってくれるじゃねえか。後で、泣き言を言うなよ」
ギートは、そう言いながら、右肩に担ぐようにしていた剣を下ろすと、両手で構え直した。
「そんなことしませんよ」
スサノハンクも、剣をゆっくり抜くと正眼に構えた。
『これだけの人数に囲まれながら、あの余裕。ギートという男、単なる馬鹿なのか、それとも、何か隠し玉をもっているのか』
スサノバルトは、実力的にはハンクが劣るとは決して思わなかったが、ギートに言い知れぬ不気味さを感じていた。見たところ、ギートは殆ど魔力を持っておらず、魔法使いではなさそうだった。にもかかわらず、ギートから受ける異様な邪気。スサノバルトは、それが気に掛かってしょうがなかった。
「あなた……」
アマルリーニアが、スサノバルトの手をギュッと握った。
妻が、スサノバルトと同じような不安を抱いていることは、間違いなさそうだった。
「俺様と戦ったことを、地獄で後悔するんだな」
ギートが、剣を振り上げスサノハンクに向かってきた。
『口は達者みたいだが、実力が伴ってねえんだよ』
ギートは、自分の剣がスサノハンクの頭を捉えたと確信していた。自分の速い動きに、スサノハンクが反応できず、動けないでいるように見えたのだ。
『俺の勝ちだ』
ギートが、そう思った、次の瞬間、彼の顔に驚きの表情が張り付いていた。
剣が、何の手ごたえも無く、スサノハンクの頭を擦り抜けたのだ。
『ど、どうなってやがる』
ギートは、スサノハンクの姿を追い求め、周辺を見渡した。
『そこか』
ギートは、右前方にスサノハンクの姿を認めると、間髪を入れず、振り向きざま振り下ろした剣で、左下から右上に向け切り上げた。
『ば、馬鹿な……』
これも、やったと思った瞬間、スサノハントの体を擦り抜けていた。
スサノハントが、後退しながらボクシングのスウェイをするように、体を後ろに反らせて剣を躱したのだった。
いつもプフェルトナァ公爵家屈指の実力者。祖父母や両親に加え、居並ぶ実力者たちを相手に訓練を重ねているのだ。そんなスサノハントにとって、ギースの動きなどスローモーションのようなものでしかなかった。
『ふざけんなよ』
ギートは、何度も斬りかかっていったが、その度に剣は空を切っていった。
「流石だな。あの歳であれだけ『木の葉流れ』を使えるなんて」
従士の一人が、隣の従士にそう話しかけた。
『木の葉流れ』リーフインストームは、プフェルトナァ公爵家に代々伝わる円空流武術の足さばきだった。水面を流れる木の葉のように、または、風に舞う木の葉のようにヒラヒラと相手の攻撃を躱していく防御術だが、言うは易しやるは難し。ずば抜けた動体視力と卓越した運動神経。それに、多くの経験値を加えやっと達成できると言われる、円空流武術の秘術でもあった。熟練を要すると言われているこの技を、スサノハントの年齢で使いこなすのは、通常ではあり得ないことだった。
「そろそろ出る頃かな」
話掛けられた従士が、期待するように言った。
「そうだろうな。あれをやられたら、誰も勝てねえよ」
もう一人の従士は、そう答えた。
「うりゃ―ッ」
ギートが、何度も躱されながらも、また、スサノハントに斬りかかっていった。
スサノハントは、僅かに左前方に移動すると体を開きながら、自分の剣で、ギートの剣を軽く往なすように横から軽く払いのた。そこからが、スサノハンクの本領発揮だった。払った剣を捉えたまま、自分の剣の切っ先で円を描くようグルグルと回し始めた。
「何しやがるだ」
ギースの悲鳴のような声が轟いた。
それに続き、一本の剣が、空中に舞い上がった。
剣で円を描くように動かすことで、相手の剣を絡め取る円空流武術つむじ風、リトルツイストだった。相手を倒すというより、無力化するのに有効な技だったが、このような対戦においては使い勝手の良い技だった。
ギートは、ガクッと両膝を付いてその場に項垂れた。
あえて貴族に挑み破れた者の末路は悲惨だった。本人も覚悟の上であろうが、貴族に剣を向けたとなれば、それだけで重罪は確定だ。このまま捕縛され騎士団に突き出されれば、ろくに裁判も行われず、見せしめのため公開処刑となるはずだった。
「ワーッ」
と、従士たちの間から歓声が上がった。
「待て、待つんだ」
スサノバルトが、両手を広げ彼らを牽制するように大声を上げた。
ギートを、捕縛しようと、彼に殺到しようとしていた従士たちは、その声で足を止めた。
普通であれば、剣を弾かれ、手から放してしまえばそれで勝敗は決し勝負は終わるが……。
『何かおかしい』
スサノバルトは、何か異様な雰囲気を感じ取っていた。
「こ、こいつは……」
スサノハンクの勝利に興奮した従士たちも、スサノバルトの制止する声で、ギートを包むただならぬオーラに気が付きはじめたようだった。
『こいつ何者なんだ』
スサノハンクも、ギートの体から異様な邪気と言うか魔気が立ち上っていることに気が付いた。
「フフフ……」
負けたはずのギートが、体を小刻みに揺らし、不気味な笑い声を上げていた。
「な、何だ、あいつ、負けたくせしやがって」
従士の輪の中から、そんな声も聞こえてきた。
「もう少しできる奴かと思ったが、期待外れだったな」
ギートの口から、さっきまでとは全く違う不気味でくぐもったような声が漏れた。
「こんな男信用せずに、初めから俺が相手をするんだったな」
スクッと立ち上がったギートの眼には、常人とは思えぬ異様な眼光。毒々しいほど真っ赤な眼光が爛爛と輝いていた。