第1話 使者の到来
第1話 使者の到来
「お目覚めになりましたか」
ベッドで仰向けに寝ていたスサノハンク=オーブ=プフェルトナァが目を覚ますと、耳元でそんな声が聞こえた。
いつも「お時間ですよ、起きてください」と、起こしに来るメイド、アンナの声ではなかった。もっと性別不祥で中性的、子供の声のような声だった。かと言って、妹の声とも違っていた。大体からして、もし、妹、三歳年下で九歳の妹なら、ここまで慇懃な言葉使いをスサノハンクに対してするはずなかった。
『誰だろう』
貴族とはいえ、スサノハンクの朝は早い。早めに目覚めた時は、アンナが起こしに来るまで二度寝を楽しむのが、自身も少年と呼ばれる年齢でしかないスサノハンクの習慣だった。
季節は春とはいえ、まだ、周辺は闇に包まれていた。心地よき微睡タイムを邪魔されるのは、スサノハンクにとり許しがたい敵対行為といえた。
スサノハンクは、顔だけ横にして、声の聞こえた方に視線を向けた。
微睡タイムを邪魔しに来た者かどうか、確かめるためだった。もしかしたら、新しく雇ったメイドが、起床時間を間違え起こしにきただけかも知れなかった。また、緊迫性に欠ける声のトーンだったので確率は低いだろうが、何か異常事態が起こって、アンナ以外のメイドが急遽起こしに来たという可能性も無きにしもあらずだった。
声の主を確認しないという選択肢は、スサノハンクには無かった。
『何だ、正座したムニャムニャか……』
スサノハンクは、心の中で、そう呟くと顔を天井に向け再び目を閉じた。
迂闊にも、まだ夢うつつの頭は、その異常性に気が付かず、そこにいたものが、二度寝を邪魔に来たものではないとだけ判断したのだった。
『エッ』
スサノハンクは、直ぐに、飛び出さんばかりにカッと目を大きく見開いた。
寝起きでボーっと霞の掛かったような頭の中、今見た事象の異常さを一瞬遅れて認識したようだった。
スサノハンクの眼には、闇に霞んだ天井が映っていた。
『な、何で、あんなのがここに……』
まだ夜も明けやらぬ部屋の中。いるはずが無いものが、自分のベッドサイドにいた。スサノハンクの心臓は、ドキドキと警鐘を鳴らしていた。未知の物に対する恐怖。スサノハンクは、そんなものに襲われたのだった。
『どういうこと。まだ、僕は夢を見ているのか』
寝ぼけているだけならいいが、予想外のものが本当にそこにいたら……。
スサノハンクは、真偽を確かめるべく、もう一度ゆっくりと顔を横に向けていった。
「わあっ」
スサノハンクは、驚きの声を上げると同時に、布団を開けて飛び起きると、そいつから逃れるようベッドの反対サイドに飛び退いた。
頭は、瞬時に覚醒し、臨戦モードに入っていた。
枕元には、護身用の剣が置いてあるはずだった。スサノハンクは、いつでもそれが取れる位置に移動したのだった。
「脅かしてしまったようですね。申し訳ありません。いにしえの勇者様」
そいつは、喋っていた。普通に……。しかも、そいつは、スサノハンクに向かって、謝罪するよう深々と頭を下げていた。
「お前は、何者だ。どうしてこんなところにいるんだ」
スサノハンクは、指さしながらそいつに聞いた。
「私は、使者です」
そいつは、慇懃な態度で答えた。
「し、使者だって……」
スサノハンクは、そいつを凝視しながら言った。
そいつは、モーニングを着込み、背筋をピンっと伸ばして スサノハンクのベッドの端の方で正座していた。こう書くと執事が、スサノハンクの部屋に忍んで来たようにも思えるかもしれないが、そいつは、一般的な執事などでは絶対あり得なかった。
なぜなら、身長は、座っているので確実ではないかも知れないが、大体四・五十センチメートル。長い胴体に比べて異様に短い手足。モーニングから露出した手や顔を一様に覆う、短く褐色の被毛に顔に比して以上に大きな瞳。そう、そいつは、人間ではなかった。モーニングを着たいたイタチかカワウソ、もしくは大き目のフェレットという感じの外観だった。
『もしかすると、妹が悪戯してヌイグルミを枕ことに置いたんじゃ……』
とも考えたが、それなら喋ったり動いたりするはずなかった。その考えは、自分の中で直ぐに否定された。
『魔物の一種か』
それにしては、知的過ぎた。一部の魔物は知性を持っていると言われているが、洋服まで着た魔物と言うのは珍しいだろう。
スサノハンクは、自分の頭をフル回転させ、目の前にいる生物が自分の知る生物と一致するかどうか比較対照していった。魔物や動物については、学校で習ったり、本で調べたりして、スサノハンクは、自分でも知識は豊富な方だと思っていた。が、そのどれにも目の前のカワウソモドキは該当しそうにもなかった。
「一体、何の使者だというんだ」
スサノハンクは、カワウソモドキに聞いた。
「スサノハンク様、今日はもう起きておいでですか」
その時、トントントンと、アンナが、ドアをノックする音が聞こえた。
「入るな。侵入者だ」
スサノハンクは、咄嗟にドアの方に向って叫んだ。
メイドのアンナを、危険、危険かどうかすらもよく分かっていなかったが、未知なる危険性を内在したものに不用意に晒すわけにはいかない。そんな思いから出た言葉だった。
「……」
アンナは、それに対して何も答えることは無かったが、その代わりに、スサノハンクの部屋のドアが、中の様子を窺うようにしながらゆっくりと開かれていった。
「止めろ。アンナ」
スサノハンクが、全てを言い終わる前に、細く開けたドアの隙間から、何かが転げるように入ってきた。アンナが、サッと身を翻し部屋の中に侵入してきたのだった。
「侵入者はどこです」
厚い絨毯を敷き詰めたフロアで殆ど音を立てることも無くクルっと一回転すると、アンナは、短刀を逆手に構え、片膝立ちになった。そして、顔は動かさず眼球だけキョロキョロ動かして、部屋の中の様子を頻りに窺っていた。侵入者からの攻撃を警戒しつつ、薄暗い室内の中に、その姿を探し求めていたのだ。
「ここだけど……」
スサノハンクは、カワウソモドキがいた方を指さしながら、視線をそちらに戻していった。
「アレッ」
カワウソモドキの姿は、そこに無かった。
「どこでございますか」
アンナは、スサノハンクの指さす方向に目を向けながら言った。
「おかしいな、さっきまでここにいたんだけど」
スサノハンクは、首を傾げながら言った。
「どんな手合いでしたか」
アンナは、周囲を警戒しながら、中腰になってスサノハンクのベッドの方に近付いてきた。勿論、その手には、短剣が握られたままだった。
「どんなって、身長が四・五十センチで、イタチかカワウソが執事みたいな恰好をして……」
スサノハンクは、身振りも交えながら、侵入者の背格好を説明し始めた。
「は、はい……?」
アンナは、拍子抜けしたような顔をして、スサノハンクの顔を見ていた。
「それで、僕が、起きたらそいつがここにいて……」
スサノハンクは、さっきまでカワウソモドキが座っていた場所を指さしながら、アンナにしどろもどろになりながら説明した。
「ちょっとお待ちいただいてもよろしいでしょうか」
アンナが、呆れ気味に言った。
「そのカワウソモドキは、どこに行ったのでしょうか」
アンナは、明らかに懐疑的な視線をスサノハンクに向けていた。
「どこって、だから、アンナが入ってきたドアの方を見てたら、どこかに消えちゃって……」
スサノハンクの語尾は、消え入りそうになっていった。
「そうですか」
アンナは、スクッと立ち上がると、ランプ型の魔道具に魔力を送り点灯させた。
部屋が明るくなると、ベッドの上え眩しそうに目に手をかざすスサノハンクの姿が浮かび上がった。スサノハンクは、黒髪に黒い瞳で、幼児から少年と言われる年齢になり、鼻筋もスッと通り、可愛らしさの中に凛々しさを備えた顔付になってきていた。一般的に見て、美少年と呼ばれる部類には余裕で入れそうだったが、どこか、守沙野の面影も残っていた。
「確認いたします」
アンナは、部屋の中を歩き回り、カーテンの裏側、クローゼットの中、机やテーブルの下、椅子などの家具の影などをもの慣れた様子で次々に調べていった。無論、スサノハンクが乗っているベッドの下も……。
主家の嫡男の言うことは絶対。アンナは、ポーカーフェースで作業を続けていたが、『まったく、面倒事を増やさないでくださいよね』そんな態度が見え見えだった。
『大方、スサノハンク様が、寝ぼけただけでしょうね』
アンナが、そんな風に考えているであろうことは、スサノハンクにも、推測できた。
『違う。間違いなく、そこにいたんだ』
スサノハンクは、そう叫びたかったが、カワウソモドキが見つからないことで、段々と自信がぐらつき始めていた。
『もしかして、あれは、本当に寝ぼけて夢を見ていただけなのだろうか』
スサノハンク自身、そう思えてきた。
アンナが、徹底的に調べているのだ、例え、カワウソモドキのサイズの動物でも、見つからないわけはなかった。
「どこにも侵入者はいないようですね」
アンナは、やれやれと言うように、首を左右に振りながらスサノハンクに向かって言った。
「小さいから、どこかに入り込んじゃったのかも」
スサノハンクは、言い訳するように言った。
「スサノハンク様もご存じだと思いますが、当家の警備を擦り抜け侵入してこれる者など存在すると思いますか」
スサノハンクは、アンナにピシャリと言われてしまった。
そう、スサノハンクが属するプフェルトナァ公爵家は、元々、ここフリードランス王国の最高権力者、現リヒト王家の懐刀と呼ばれ、常に、国王の隣にあって共に歩んできた家系だった。戦争が勃発した時は勿論、その他、数々の困難にも共に立ち向かってきた。その中には、公にできない王家の闇部に関することも……。
プフェルトナァ公爵家は、その暗部を一手に引き受けてきた家系でもあったのだ。時には、誰にも気付かれずに敵陣深く侵入して情報を集めてくることもあった。已むに已まれず、要人の謀殺をおこなうこともあった。無論、理にかなわぬ時は、相手が王であろうと反対する。そんな、御意見番でもあったが、結局のところ、裏の顔として、日本でいうところの忍者。この世界でいうところの暗殺者のような役割りも担っていたのだった。
そんな武門の表裏に関与するプフェルトナァ公爵家が、他人に侵入を許してはメンツにかかわる。それだけに、プフェルトナァ公爵家の警備は厳重だった。
プフェルトナァ公爵邸の建つ敷地は、三メートルを超える高い壁で囲まれ、その中を、従士たちが定期的に見回っていた。敷地に入るための門には、常に、従士が詰めていた。更に、邸宅自体は、魔法障壁で囲まれ、アリ一匹入ってこられないようになっていた。もし、何者かが、それに触れれば、魔法で動きを封じられ直ぐに捕縛されてしまうだろう。
アンナが焦ったのは、そんなプフェルトナァ公爵邸に何者かが侵入したという事実に対してだった。プフェルトナァ公爵邸の厳重な警備を破って侵入してきたとすれば、並みの手練れではないことは確か。プフェルトナァ公爵家始まって以来の一大事。そんな緊張感と気負いを持って、アンナが室内に侵入してみれば……。
アンナはメイドとして、主家の家族と常に接するのが仕事。当然の事ながら、プフェルトナァ公爵家の御家人の一人として、いざという時には、主家の護衛も勤められるよう訓練されていた。スサノハンクは、実際にその腕前を見たことは無かったが、噂では、とびっきりの手練れとのことだった。
「でも、確かに……」
スサノハンクも、自分の正当性を最後まで主張しようとした。
「分かりました、後ほど、もう一度私が部屋の中を確かめてみます。ですから、大至急ご準備を。これ以上、皆さまをお待たせするわけにはいきません」
アンナは、有無を言わせぬ口調で言った。
「アッ!そうだ。もう皆出発しちゃう」
スサノハンクは、困ったというように頭を抱えながらベッドから飛び降りた。
「見てないで、早くアンナの手伝ってよ」
スサノハンクにしては、珍しくかなり慌てた様子で言った。




