第15章 御握り勝負
第15章 御握り勝負
『こ、これは……』
別に、スサノハンクが絶句したのは、メイドのアンナたちに顰蹙を買いそうになったからではなかった。
ガブッと齧り付いた御握りは、自分が予想していた食感とはまるで違っていた。それは、焼いてから時間が経ち硬くなりかけた餅を噛んでいるような、スジ肉を噛んでいるような今にも歯が押し戻されてしまいそうな硬い弾力に支配されたネチョッとした嫌な食感だった。まるで、『食っても不味いぞ』と食べられることを、御握り自体が拒んでいるいるようでもあった。
御握りを目の前に引き寄せると、口の中に入ったご飯、?み切った御握りの一部だったが、それを咀嚼することも忘れ、スサノハンクは、歯型の付いた断面を食い入るように見詰めていた。
スサノハンクが予想していた断面は、ご飯粒が、何層にも積み重ねられた立体的なモザイク模様、即ち、ご飯粒一粒一粒が複雑に絡み合った立体的なモザイク模様が見られるはずだった。ところが、そこには、そんな予想を裏切る構造が存在していた。三次元的構造は消失し、代わって、そこには、所々虫に食われたような二次元的な壁の平面というか、歯型に合わせてた断崖絶壁のような凹面があるだけだった。
スサノハンクは、目の前の御握りの角度を変え、その断面ではなくその表面もマジマジと見詰めた。
『ガチガチじゃん』
御握り表面からも、ご飯粒が織成す立体構造は消失し、ヌメッとした平面に覆われていた。それは、ギューッと力任せに御握りを圧したことで、ご飯粒とご飯粒が押しつぶされ合体結合、一体化して表面まで平らにならされた証拠だった。
見てくれだけは御握りらしい奇麗な三角形をしていたが、これでは折角の御握りが台無しだった。
『こんなのあり?』
この世界に来てから御握りを食べるのは初めてだったが、スサノハンクは、全く別の食感、口に入った塊がポロッと崩れ米粒一粒一粒が感じられるよう口に中に広がっていく。そんな食感を期待していたのだった。
『きりたんぽ』や『なれ寿司』であれば、これで正解だろう。
元々マタギの携帯食だった『きりたんぽ』は、おいしさより携帯性保存性重視の食べ物。それが、いつしか焼くことによりその香ばしさを楽しんだり、鍋に入れて具として楽しんだりするようになったのだろう。
『なれ寿司』も保存食だ。乳酸発酵させるために重しを載せぎゅうぎゅう詰めにして余分な水分を切る。米粒が判別できないほどぎゅうぎゅうに圧迫を加えるのは、作るのに必要なプロセスだった。
「どうしたんですか」
呆然するスサノハンクを心配して、アマルフィーネが、声を掛けてきた。
「な、何でもないよ」
スサノハンクは、首を横に振ると、口の中のご飯の塊をガムのようにクチャクチャと噛み始めた。
『これも、初めからこういうものと思えば不味くはないか』
流石にプロの料理人。御握りを食べ進め中の具に行き当たれば、口の中でご飯と具が混じり合い素晴らしいハーモニーを醸し出していた。さすがプロの料理人。食感以外は、スサノハンクを満足させるに足る出来栄えだった。
「しょうがないよね」
スサノハンクは、そう呟くと溜息を漏らした。
『貴族のお抱え料理人としては、出した料理が、主の食べる時に崩れて口元から床に落ちてしまう。そんな主人に恥をかかせるようなことは絶対に有ってはいけないこと。そうならないよう、御握りが、ガチガチに硬く握られるのはある程度仕方ないんだろうな』
スサノハンクは、そう自分に言い聞かせ納得することにした。
そしてこれはこれで終わるはずだったが、スサノハンクのあずかり知らないところで新たな展開を迎えていたのだった。
「若様ちょっとよろしいでしょうか」
庭のガゼボでの昼食から数日後。その日は、勉強や習い事などの日程が家庭教師の都合などで、早めに終了してしまった。それで、スサノハンクは、予定を早め庭の中を走ることにしたのだった。
背後から声が、聞こえてきたのは、走り終わり整理運動している時だった。
「インゴか。何か僕に何かよう?」
スサノハンクが振り向くと、そこにはインゴが立っていた。
侯爵邸の料理人インゴが、スサノハンクに声を掛けてくるなど初めてのことだった。
スサノハンクは、軽い驚きを覚えながらインゴに聞いた。
「若様にお伺いしたいことがあるのですがよろしいでしょうか」
インゴの口調は、領主の孫相手、あくまでも慇懃だったが、その目は、この小僧めがというような蔑みの輝きを宿していた。
アンナは、汗を流すための浴室の準備でここにはいなかった。今は、スサノハンクに従う使用人は一人もいなかった。インゴは、その頃合いを見計らってスサノハンクに話し掛けてきたのだろう。
『何か、怒っているみたいだけど、どうして』
スサノハンクには、インゴに怒られなければならない理由が思い当たらなかった。
インゴとの接点は、ガゼボで食べた御握り以外に思い当たることはなかったが、それに対して苦情を入れた覚えも無ければ、食べ掛けを大量に残して料理人の体面を傷つけたり、用意してくれた食器類も破損したりすることもなく全てきちんと返したはずだった。
『どういうこと』
スサノハンクは、表情に感情が現れない様注意しながら、貴族らしくポーカーフェースでインゴに聞いた。
「この間私が作った御握りに何かご不満があったようにお伺いしましたが、理由を教えていただけないでしょうか」
インゴは、スサノハンクを睨みつけるように言った。
『エッ。何でインゴがそんなこと知ってんの』
スサノハンクは、ついそんな言葉を漏らしそうになったが、日頃から厳しく貴族教育されてきた成果か、辛うじて表情を平静に保つことに成功した。
「何でそう思うのかな、理由を教えてくれる。僕は、形は奇麗だったし、具もおいしかったと思っているよ」
スサノハンクは、首を傾げながら言った。
「ということは、御握りのご飯自体に何か問題があったっていうことでしょうか」
インゴは、追及の手を緩める気は無さそうだった。
「……」
スサノハンクは、インゴの顔を繁々と眺めた。
『インゴは、僕が御握りに満足できなかったことを誰かから聞いて知っている』
プフェルトナァ家の使用人でしかないインゴが、ここまで強気で言ってくることから、スサノハンクはそう確信した。
「名前は知りませんが、アマルフィーネ様付のメイドが、厨房まで食べ終わった食器を持ってきてくれた時、皆様の反応をお伺いしたんです。そしたら、アマルフィーネ様は、おいしいといって食べていらっしゃいましたが、スサノハンク様は、一口食べたら呆然としたように歯型が付いた部分や表面を食い入るように見詰めていました。その後は、普通に食べていましたから、まずいとかではないともいますけどね、と言っていました。何かお気に召さないことがあったんじゃないですか」
インゴは、問い詰めるようにスサノハンクに聞いてきた。
自分の作った料理に、スサノハンクが不満そうな顔をするなど、インゴにとってとても耐えることのできない屈辱だった。こんな小僧がと、インゴは、常日頃より、スサノハンクをただでさえ見下していたのだから……。
「そう言われても……」
スサノハンクは、言いよどんだ。
誰が、インゴに変なことを吹き込んだのか。その犯人は分かったものの、別に、好き好んでインゴに不快な思いをさせる必要は無いと思ったからだった。
「私も元公爵様の食を預かる人間です。より良い物を提供させていただくため、どんな小さな意見も反映させていきたいと考えております。忌憚のない意見を聞かせていただけませんか」
インゴの目には、ここで会ったが百年目『絶対に逃がしませんよ』そんな強い意志が宿っていた。
『これは、下手に誤魔化すと付きまとわれるやつかな』
スサノハンクは、ハーッと大きな溜息をついた。
「形も奇麗だったし、おいしかったんだけど、どうしてもというなら、食べた時の硬めの食感かな」
スサノハンクは、首を傾げニコッと笑った。
可愛い子ぶりっ子して、子供の愛らしさを強調して見逃してもらおうというあざとい計略だった。
「御握りなんて、そんな食感が普通じゃないですか」
インゴの言葉には、怒気が含まれていた。『門外漢のガキが生意気にも食感だと』そんな怒気が……。
料理に対して生真面目なインゴに、スサノハンクの戦略は効果がなさそうだった。
「そうかもしれないけど、食べた瞬間、口の中でご飯がホロッと崩れるような御握りの方がよりおいしいかなんて……」
スサノハンクは、可愛い子ぶりっ子作戦が失敗したことを悟ると、伏目がちに言った。
「では、食べ比べて見ましょう」
インゴは、そう言うと、スサノハンクの手を掴んだ。
「スサノハンク様に何をするのです」
その時、アンナが姿を現した。風呂の準備が整ったのだろう。
「ちょうどいい。あんたも一緒に来てくれ」
インゴは、そう言うと、スサノハンクを厨房の方に引っ張って行った。
「スサノハンク様に対する狼藉。許しませんよ」
アンナも、そんなことを言いながら、仕方なさそうにインゴとスサノハンクの後に付いて行った。
「食感をより感やすくするため具は入れずに三個御握りを作ってもらう」
厨房にスサノハンクを連れ込むと、インゴは、御櫃に入ったご飯を前に言った。二人は調理台に並んで立ち、その対面にはにはアンナが立っていた。背の低いスサノハンクには、踏み台が用意されていた。
「一個はお互いに交換して相手の御握りの食感を確かめる。一個は、自分のおにぎりの食感の確認用。そして、もう一個は、あんたに食べてもらう」
そういいながら、インゴは、アンナの方に視線を向けた。
「それで、どっちの食感が優れ、美味しかったかを判定してくれ」
インゴは、アンナに向かって言った。彼女を厨房に誘ったのは、御握り勝負の審判をさせるためのようだった。
「こんな勝負、いきなりスサノハンク様に挑むのも不敬ですし、もし、百歩譲ってスサノハンク様が勝負をお受けしたとして、私は、スサノハンク様付の専属メイドですよ。インゴ様に不利な判定を下すかもしれませんが、それでよろしいのですか」
アンナは、インゴを睨みつけながら言った。
不遜にもスサノハンクに勝負を挑んできたインゴに、アンナは、御立腹のようだった。
「俺は、本職の料理人だ。こんなガキ、……」
そこで、インゴは咳払いをした。いくら何でも、スサノハンクをガキ呼ばわりするのはまずいと思ったのだろう。
「いや、若様相手に勝って当たり前。これぐらいのハンディがあったところでどうってことない。圧倒的な実力の差を見せつけてやればいいだけだ」
インゴは、アンナの視線を跳ねのけるように言った。
「……」
怒りで顔をしかめていたが、アンナも、スサノハンクが料理などできるとは露ほども思ってもいなかった。そのため、アンナは、一瞬言葉に詰まった。
何しろアンナがいくら記憶を手繰っても、スサノハンクが、厨房に立ったことなど一度も無かったはずだ。
「いいですかい」
インゴは、その隙を付いてスサノハンクに確認を取るように聞いた。
「しょうがないよね」
スサノハンクは、アッツサリとインゴの申し出を受けてしまった。
インゴは、御握りを馬鹿にしているようにも見えた。長年料理修行を重ねたインゴにとり、ただご飯を両手で三角形形成して固めるだけの御握りは、料理の範疇に入っていないように思えた。それにいちゃもんを付けられたのだから、料理人としてのプライドが痛く傷つけられたのだろう。
『こうなったら、受けるしかないかな』
スサノハンクは、インゴを納得させるためには、勝っても負けても、兎に角、この勝負受けるしかないだろうと判断した。プロだからそんなことはないだろうが、インゴが、モヤモヤした気持ちで調理して、最高の物が大おじい様たちに提供できなくなっては大変だ。スサノハンクは、そう考えたのだった。
「スサノハンク様。待ってください」
アンナが、慌てたように声を上げた。
「こんな一使用人の戯言に載る必要はありません。行きましょう」
アンナは、作業台を回り込んで、スサノハンクの方に向って歩き始めた。
「待って」
スサノハンクは、アンナの方に手を突き出してアンナを制した。
「僕、やるよ」
スサノハンクは、インゴの方に目を向けながら言った。
「な、何を言って……」
アンナが、耳を疑った。
スサノハンクは、インゴに勝負を強要され仕方なく受けただけ。アンナが、勝負をする必要が無いと宣言すれば、それに簡単に同調するものと思い込んでいた。剣や魔法の勝負ではないのだ。拒否したところで貴族の名誉に傷がつくことはない。ところが、実際には、スサノハンクは、はっきりと勝負を受けると意思表示をした。
アンナにとって、それは、驚き以外の何者でも無かった。
「ここで勝負を逃げても、インゴの性格から、今後も付きまとわれることになるかもしれないだろ。それなら、ここで白黒はっきりさせておいた方がいいんじゃないかな」
スサノハンクは、心配そうな顔をするアンナに向かって言った。
「そうかもしれませんが、……」
アンナは、百パーセント納得したわけではなさそうだったが、自分の意見を引っ込めてくれたようだった。渋々と、元の位置に戻っていった。
「そういうことなら、早速、始めようか」
インゴは、そう言うと、御櫃の蓋を開けた。




