第12章 翌朝に……
久しぶりに登校しました。
第12章 翌朝に……
「観念するんだな」
ザンスダーク街道で討伐されたはずのギートが、薄ら笑いを浮かべながらスサノハンクに迫ってきた。
「誰が、……」
スサノハンクは、剣を構えたままギートの動きに合わせ後退していった。
ギートが剣を揮えば、すべてを切り裂く黒い帯のようなものが切っ先から跳び出してくる。それを躱すためにはある程度の合間をとっておくことが必須だった。
「いいだろう。果たしていつまで逃げ切きれるかな」
ギートの眼は、面白そうな玩具を見つけた子供のようにギラギラと輝いていた。
ここは草木一本生えぬ広大な荒れ地だった。どこまでも後退を続けることは可能だろうが、黒い帯からはいつまで逃げ切れるか。それは、スサノハンクにも分からなかった。どう考えても、戦闘能力はギートの方が数段上。スサノハンクは、守勢一辺倒だった。
『気持ちで負けるな』
スサノハンクは、自分に言い聞かせた。
実力の勝る相手に恐怖すれば、待っているのは惨殺のみ。百分の一、千分の一の奇跡を呼び寄せるには、気持ちで負けては終わりだ。それは、ザンスダーク街道での一件からも明らかだった。
『僕は負けない。僕は勝てる』
スサノハンクは、そう心の中で唱え続けた。
「エッ……」
後退を続けるスサノハンクの口から、素っ頓狂な声が漏れた。
摺り足で後退する足の踵が、ガクッと落ち込んだのだ。どうやら、地面にできた小さな窪地に足を取られたようだった。
「ディヤー」
ギートが剣を素振りするように振り、黒い帯をスサノハンクに向かって放った。
スサノハンクは、直ぐに体勢を立て直したものの、バランスを崩し一瞬意識がギートから離れた。その隙を、ギートが見逃すはずが無かった。
「チクシャー」
スサノハンクは、悪態を付くと直ぐに回避行動をとった。
『ダメか』
だが、黒い帯は、既にスサノハンクの眼前へと迫っていた。
「ダ―ッ」
スサノハンクは、反射的に剣でそれを薙いだ。
「グワーッ」
キーンという金属音を響かせ、スサノハンクは、体ごと弾き飛ばされた。剣もスサノハンクの手から離れどこかに吹っ飛ばされていた。
そのまま地面に投げ出されると、スサノハンクは、黒い帯から逃れるよう地面をゴロゴロと横に転がった。その脇を掠め、黒い帯はザーッと地面に吸い込まれるよう台地を切り裂いていった。剣を薙いだお陰かどうかわわからなかったが、図らずも、間一髪、難を逃れることに成功したようだった。
スサノハンクは、転がるのを止めると、サッと起き上り片膝立ちになってギートを睨み付けた。
「小僧。これで武器もなくなったな」
ギートは、意地悪そうに言った。
「……」
スサノハンクは、ギートから視線を逸らせないようにしながらゆっくり立ち上がった。
「もうこれで終わりだ。観念するんだな」
ゆっくりと自分の剣を振りかぶると、ギートは、ニヤッと笑った。自分の勝利を確信したような目だった。
『クソッ』
スサノハンクは、忌々し気にギシギシと歯噛みした。
「死ね。小僧」
ギートが、剣を振り下ろした。
『もうだめか』
スサノハンクがそう思った瞬間、視界が真っ赤に輝いた。
「ウーン」
眩しそうに顔をしかめると、スサノハンクは、うめき声を漏らした。
「おはようございます。お目覚めですか」
アンナの声が聞こえた。
『夢だったのか』
スサノハンクが、目を開けると室内は光に満たされていた。もう朝だった。
目の前が真っ赤になったのは、明るくなった室内の光が、瞼を通して透けて見えたせいだった。
「今朝は、グッスリでしたね。まっ、昨日の今日では仕方ないと思いますが」
アンナが、笑顔を浮かべながら言った。
いつもなら、目覚めてベッドで待機するか、ドアをノックの音で直ぐに目を覚ますスサノハンクだったが、見た目とは裏腹に、流石に昨日の出来事はスサノハンクを心身ともに疲労の極地に追い込んでいたようだった。ベッドに入ると、スサノハンクは、直ぐに泥のような深い眠りに誘われた。今朝、アンナが何度ドアをノックしても、スサノハンクは起き出してくる気配が無かった。
『疲れたのでしょう。今朝は、ゆっくり寝かしておいてあげなさい』
アンナは、どうしたものかと、スサノハンクの母、アマルリーニアにお伺いを立てることにした。するとこのような答えが返ってきたのだった。アンナは、その言葉に従い、スサノハンクを起こさないことにした。
『こんなところは、まだまだ子供ですね』
アンナは、昨日のような武勇伝を演じながら、今朝のように寝坊する。ボーっとしたようでも年齢よりも大人っぽく見えるスサノハンクではあったが、そんなスサノハンクの中に年齢相応の子供らしさ、世間ずれしていない精神的な清々しさを感じ、微笑ましく思えたのだった。
『エッ!』
目を開け意識がはっきりしてくに従い、スサノハンクの胸には、焦燥感が急速に募ってきた。
「アンナ。早朝訓練は?また、遅刻しちゃうよ」
スサノハンクは、慌てて飛び起きると、アンナに言った。
窓の明るさを見れば、部屋を満たす明りが、ランプ型魔道具から発せられたものでなく太陽の光、日の光であることは明白だった。
昨日も起きた時には部屋の中が真っ暗であった。その事実が示す通り、この時節。早朝訓練に参加するにあたり、起き出す時間帯に日の光が部屋の中を満たすなどあり得ない事象だった。
「御心配はいりません。本日の早朝訓練は、中止となりました」
いつもと違い、窓を背にしたアンナが、軽く頭を下げながら言った。
アンナが、窓のカーテンを開け放ったことは間違いなさそうだった。
「そ、そうなんだ」
スサノハンクは、目を瞬いた。
いつもと同じように流れていると思っていた朝の時間にも、やはり昨日の出来事が影を落としていた。スサノハンクは、改めて昨日の出来事の重要性を痛感した。
「それに、今は、もう朝ではなく、もうじきお昼になるところでございます」
アンナが、淡々と言った。
「えっ、お昼……」
スサノハンクは、腰かけていたベッドから急いで立ち上がると、アンナがいる窓際に走り寄った。確かに、部屋の窓からは朝の陽ざしが差し込んでいなかった。この部屋の窓が、東向きであるにもかかわらず……。
「そう言えば日差しが……」
スサノハンクが、窓から外を覗くと、確かに、太陽は、窓から見上げても見つけるのが困難なほど高い位置にあった。窓際の極近辺にしか、日差しは差し込んでいなかった。
「若様は、疲れてるでしょうから、今朝は、ゆっくりさせるようにと、昨晩、奥様より指示がございました」
アンナが、バツが悪そうに言った。
こんな時間に起き出すのは、何年ぶりだろう。4・5年前、過酷な寒中訓練に参加し、訓練終了後、高熱を出して倒れて以来かも知れなかった。
「確かに、こんな体調では、いつもの時間には起きられなかったかも知れないね」
スサノハンクは、母アマルリーニアに『ナイス判断』と言いたかった。
「で、父上は、もう目を覚ましたの」
スサノハンクは、クルっと室内に向き直ると、両手を窓枠に掛けそこに寄り掛かるようにしながら聞いた。
「まだ目は覚めておられぬご様子ですが、魔力切れ体力切れにより深い眠りに付かれただけとお伺いしております。お目覚めになるのは時間の問題だと思われます」
アンナは、メイドや使用人仲間たちから仕入れたスサノバルトの状態について語った。
「母上やフィーネはどう」
スサノハンクは、心配そうに聞いた。
どんな目に遭わされても、笑って帰って来そうなタフな父より、スサノハンクとっては、母や妹の安否の方が気に掛かった。
「奥様は、顔色がいつもに比べ幾分冴えないご様子ですが、それでも、早朝より旦那様に代わり差配を振るっておいでです」
父がいない非常時に、母が、使用人たちに指示を出しながら歩き回っている様子が、スサノハンクの脳裏に浮かんだ。
『母上らしいな』
頑張り屋の母なら、然るべき。と、スサノハンクも、納得したように頷いた。
「アマルフィーネ様は、まだお休みのご様子でした」
『昨日の今日なら仕方ないか』
スサノハンクにとっても初の実戦だったが、戦う予定すら無かったアマルフィーネが、戦いに巻き込まれてしまったのだ。精神的に受けたショックは、大きかったのだろう。
スサノハンク自身、昨日の心労を慮って今まで寝かしておいてくれたのだろうから。
「もう、昼ご飯の時間」
スサノハンクは、アンナが自分を起こしに来た理由を聞いた。
「まだ、昼食までは今しばらくお時間が掛かりそうなのですが、……」
スサノハンクは、アンナが一瞬言いよどむ様子に、何か嫌な予感がした。
「それじゃあ、何で僕を起こしに来たの」
スサノハンクは、自分の考えを払拭するようにニコっと笑顔を浮かべて聞いた。
「先代様たちが、そろそろ目を覚ましてもいい頃だろうから、様子を見て来いとおっしゃられて……」
アンナは、言い辛そうにそう言った。
アマルリーニアの言いつけを破り、アンナが、スサノハンクを起こしに来た理由はここにあった。
『もう昼だから、体力も大分回復したのでは』
アンナが、ここに来た理由には、そんな判断が働いたことも大きな理由だった。
「大おじい様たちが?」
スサノハンクも、そこで、一瞬言葉を詰まらせた。
大おじい様、先代様というのは、家督を譲り隠居生活を送る前公爵アマルデニス=オーブ=プフェルトナァと前館長スサノホルガ―=オーブ=プフェルトナァ両名のことだった。
この世界では、ミドルティーンからハイティーンが結婚適齢期。三十代で孫が生まれ、おじいさんおばあさんになるのが当たり前の世界。医療の発達していないこの世界では平均寿命が50歳前後。それを考えれば、何ら異常なことではなかった。日本でも、昔は十代での婚姻は珍しいことでは無かった。それだけ、世代交代が早いということなのだろう。
だが、この世界においても、比較的生活環境が整った上位貴族では、平均寿命以上に長生きする人間は平民に比べはるかに多かった。
先代は、二人とも70代。スサノハンクから見て曾祖父にあたるわけだが、年齢的に考えれば、この世界においては当然曾孫がいてもおかしくない年齢だった。
「侯爵邸で、お待ちです」
アンナは、そう言って頭を下げた。
錬武館館長は、一応、王家筆頭武術指南という役職を務める宮廷貴族。王族や将軍、騎士などにも武術指南をするため、名目上『侯爵』という爵位は授かっていたが、有名無実。宮中での政治活動は一切禁止され、王族や騎士・兵士たちの武道指南以外で城に赴くことは皆無と言ってよかった。政治活動は、『公爵』が一手に引き受けることになっていたからだ。そのため、王家に対する武道指南役としての影響力を期待して、近付いて来る貴族も殆どいなかった。
これは、表裏一体ともいえる一族が、同時に二つの重要ポストを得ることをよしとしなかった宮廷貴族たち。彼らが、結束して王家に働きかけた結果だった。
一代ごとにアマル系プフェルトナァ家とスサノ系プフェルトナァ家が交互に、公爵と館長を引き継いでゆくという、特殊な継承を繰返すプフェルトナァ家。それは、リヒト王家に仕える前、フリードランド王国の西方辺境域、その山岳部ホッフヴィーゼと呼ばれる隠れ里に住んでいた頃からの伝統らしかった。何故、そんな面倒なことをするのか。その理由は、月日の中に埋もれ、今では、その理由を知る者も存在していなかった。
だがその奇妙な伝統のため、公爵邸の敷地内には、本邸と呼ばれる公爵邸の他に侯爵邸と呼ばれる別邸が設けられていた。同じ敷地内に建っているとはいえ、代替わりする度に、引っ越ししなければならないのだ。スサノハンクは、その話を初めて聞いた時、そんな面倒くさいこと止めちゃえばいいのにと思ったが、伝統と格式に裏付けられた大人の事情でそうもいかなかったのだろう。
父スサノバルトと母アマルリーニアの掟破りが許され、公爵家への復帰が許されたのもこの二人の曾祖父の存在が大きかったと聞かされたことがあった。
スサノハンクも、幼少のみぎり、忙しい両親や祖父母に代わり曾祖父母に面倒を見てもらっていた記憶があった。剣の持ち方を教えてもらったのも、曾祖父たちからだった。
早朝訓練や邸内での家庭教師による学習が始まると、さすがに、曾祖父母たちに会う時間は減っていったが、物心つく前から面倒を見てもらっていたせいか、『大おじい様たちには逆らってはいけない』、スサノハンクには、何となくそんな苦手意識のようなものがあった。
「何で、呼ばれたんだろう」
答えは何となく予想できたが、スサノハンクは、あまり行きたくないという心境から、あえて、アンナに聞いた。
「そこまではお伺いいたしておりませんが、多分、昨日の出来事についてお尋ねしたいのだと思います」
アンナも、スサノハンクが先代たちを苦手としているのは知っていた。そのせいもあってか、今日のアンナの受け応えはいつになくたどたどしい感じがした。
『やっぱり、そうだよな』
予想通りの答えが返ってきたことで、スサノハンクは、心の中でそう呟いた。
箝口令が敷かれているとはいえ、正体不明の狼藉者が公爵家に襲い掛かってきたのだ。それも、次期公爵のスサノバルトが魔力気力を使い果たし倒れる程の者が……。
本邸の大騒ぎを見て、先代たちが、気にならないはずは無かった。
しかし、スサノバルトは、まだ、深い眠りに落ちたまま。アマルリーニアは、スサノバルトに代わり邸内において差配を揮っている。従士長のヴォルフも、混乱を静めるために動き回っている。先代たちに説明するとすれば、説明のため王城にまで行ったスサノハンクしか残っていなかった。
早く状況把握はしたいが、昨日の今日で、スサノハンクも疲れているだろうからと、先代たちも、スサノハンクを早朝から呼び出すのをひかえていたのだろうが、そろそろ、我慢も限界にきたということなのだろう。
「もう少し後にしていただきますか」
アンナは、考え込んだまま黙っているスサノハンクの様子を見て言った。
「そうもいかないよね」
スサノハンクは、ため息混じりにそう言うと、決意を固めた。
「後30分ぐらいしたら行きますと、伝えてきてくれる」
スサノハンクは、諦めたように言った。
「お召し物はいかがいたしましょう」
ハンナにとって、忘れてはいけない仕事だった。
「服だけ適当に選んでおいてくれる。後は、自分でやるから」
スサノハンクが、そう言うと、「かしこまりました」と言って、ハンナは、クローゼットに向かって行った。
『二人とも、嫌いではないんだけどな……』
どちらかと言えば、スサノハンクは、家族として二人が好きだった。愛すべき家族の一員とも認識していた。だが、苦手意識、それが本当に苦手意識かと問われれば、それとは、少しニュアンスが違うと答えざるをえないだろう。しょっちゅう怒られ怖いわけでは無いし、態度に威厳があり威圧されるわけでもなかったが、家族を構成する人間の中で、この人にだけは逆らってはいけない。そんな別枠というか侵しがたい神聖な存在が、家族全体の認識として、または個人的にいなかっただろうか。一方的な思い入れでしかないのだろうが、スサノハンクにとって、先代二人はそんな存在だった。
スサノハンクの場合、個人的な思い入れに近い感情だったので、その気になれば、簡単に打開できそうなものだったが、言われたことに対して、無碍に反発することさえできなかった。それだけに、あまり近付きたくない存在でもあった。
「これでよろしいでしょうか」
ハンナは、ベッドの上に上下ブルーのスーツと白いブラウスを並べて置いた。スーツの上着の袖口と詰襟の縁には、白い糸で蔦を思わせる植物の刺繍が施されいた。この世界では、喉元までボタンを留めて襟を立て、いわゆる詰襟の状態で上着を着るのが一般的だった。
部屋着としては少し格式張っているようだが、これから先代たちに会いに行くことを考えれば丁度良いチョイスといえるだろう。
「ありがとう。後は、自分でやるから下がってもらっていいよ」
スサノハンクは、アンナにお礼を言った。
貴族ではあったが、軍事を司る一門。何かあった時に身の周りのことが一人でできない様ではお話にならない。スサノハンクも、アンナという付きメイドがいながら、身の回りのことは一通りできるよう教育されていた。
「それでは失礼いたします」
アンナは、そう言って、一礼すると退出していった。




