第11話 ウィック再び
第11話 ウィック再び
「アーアッ」
スサノハンクは、貫頭衣に袖が付いたようなナイトウェアに着替えさせられると、ベッドの上に飛び込むようにドサッと倒れ掛かった。
こんなところをアンナに見つかれば、「優雅さに欠ける所作は、おつつしみください」と即座にダメ出しされそうだったが、「今日は、ごゆっくりお休みください」と言って、アンナは、既に、退出していた。
部屋の中は、スサノハンク一人。今なら、何をしても文句が出ることはなかった。
今日一日で、起こったことは、アンナも、報告を受けているはずだった。疲れが早々に取れるよう、アンナも気を利かせ早目に退出していってくれたのかも知れなかった。いつもであれば、スサノハンクが、ベッドに入るのを確認してからそっと退室していくのだが……。
確かに、齢十二歳のスサノハンクには、かなりハードな一日だった。
王都の公爵別邸から領都プラムスの邸に戻ると、母アマルリーニアと妹のアマルフィーネが、心配そうな顔をして出迎えてくれた。二人は、思いのほか元気そうだったが、父スサノバルトは、まだ、眠っているとのことだった。
アマルリーニアは、息子の無事を改めて喜ぶように、スサノハンクをギュッと抱きしめた。
今日一日のことを思い返せば、命を落としていてもおかしくない場面は多々あった。それを念頭に置けば、元気な息子の姿を見て、アマルリーニアが感慨ひとしおであったことは想像に難くなかった。
「報告は、明日でよろしいですから、今夜は、ゆっくり休みなさい」
アマルリーニアは、目を潤ませながらそう言った。
スサノハンクは、アマルリーニアの言葉に甘えさせてもらうことにした。
今日の健闘を称えるように妹のアマルフィーネを抱きしめると、スサノハンクは自室に戻って行った。
「汗臭いですし、埃だらけじゃないですか。そのままベッドに入るなど絶対に許せません。勿論、身体のためにも、よくありませんよ」
そのまま、寝てしまおうとしたスサノハンクは、アンナにそう叱責され、無理やり浴室に連れて行かれたのはご愛敬だった。メイドの立場からすれば、ドロドロの格好でベッドに入られるなど悪夢でしかなかったろう。
「お帰りなさいませ」
スサノハンクが、掛け布団を捲りその中に体を滑り込ませると、また、あの声が聞こえた。
『ま、まさか……』
スサノハンクは、ハッとして、声のした方に顔を向けた。
『夢じゃなかったのか』
そこには、今朝方見たカワウソモドキが、その時と同じ姿勢で座っていた。
「使者って言ってたけど、お前は、一体何者なんだ」
朝と同じように飛び起きると、スサノハンクは、カワウソモドキに聞いた。
スサノハンクは、一度お目にかかっていたにもかかわらず、その再登場にも驚きは大きかった。カワウソモドキの出現は、スサノハンクの頭の中では、アンナに指摘されたこともあり、既に、夢の中の事として処理済みだったのだ。
にもかかわらず、大声を上げて、アンナに気付かれてしまうような愚を犯さないだけの分別が残っていたのは、朝の経験があったからだろう。スサノハンクは、このカワウソモドキの正体を何としても解明したかった。だが。ここで、アンナが戻ってくれば、カワウソモドキは、また、姿を隠してしまいかねなかった。
自ら使者と名乗って近付いてきた以上、スサノハンクに害意は無いと判断してもよいさそうだった。もし害意があるのなら、今朝、スサノハンクが目覚める前に何かしらのアクションを起こしていれば、簡単に目的を達せられたはずだった。
何しろ、プフェルトナァ家の幾重にも張り巡らせた警備しシステムを掻い潜って、侵入してきた手合いだ。見てくれに騙されては、手痛いしっぺ返しを食らいかねなかった。
「申し遅れました。私は、西の彼方の大陸にあるトヨアミズの国。その月の神殿の予言巫女モーントリーゼ様から派遣され、こうして罷り越しましたウィックと申す者でございます。以後、お見知りおきをいただきたく存じます」
ウィックと名乗ったカワウソモドキは、そう言うと、恭しく頭を下げた。
『あれ、確か、今、口が動いて無いなかったよな』
スサノハンクは、自分の頭を手で押さえた。
今朝は、短く言葉を発するだけで気が付かなかったが、ウィックの言葉は、耳に聞こえてくるのではなく、直接、頭の中に語り掛けてきているように思えたのだ。
「そうでう。私は、人間のように言葉を発することができませんので、こうして、頭の中に、直接、話掛けさせていただいております」
『思念伝心』そんな単語が、スサノハンクの脳裏に浮かんできた。自分の考えを相手に伝える魔法の一種のようだった。
「そ、そうなんだ」
魔法を使えるカワウソモドキ。そんな存在に、スサノハンクは、目を見張った。フリードランス王国において、そのような存在聞いたこと無かった。プフェルトナァ家の警備体制を突破したのだから当然だが、スサノハンクには、ウィックが、益々、警戒を強めなければならない相手のように思えた。
「横道に逸れたけど、それは分かったから、始めから分かるように説明してくれる」
スサノハンクは、ウィックの言うことが全く理解できず眩暈を起こしそうだった。
フリードランス王国で、まだ、認知されてないはるか遠方の事かも知れなかったが、西の大陸やトヨアズミの国の話など、学園の地理の授業でも聞いたことさえ無かった。まして、月の神殿や予言巫女などと言われても、頭の中が混乱するばかりだった。
「トヨアズミの国や月の神殿ってなんなんだい」
スサノハンクは、ウィックに聞いた。
「魔導船でも数か月近くかかる西のはずれにある大陸。その大陸にあるのが、月の神殿の予言巫女モーントリーゼ様に統治された聖なる神の国トヨアズミの国でございます」
ウィックの話を聞くうちに、スサノハンクは、目は大きく見開かれていった。
魔導船というのは、魔力で浮遊、推進される飛行艇のような乗り物だった。運航に莫大な魔力が必要なため、王族でもめったに使わぬ魔道具の一種だった。
それを数か月も、飛行させ続けるなんてフリードランス王国では、考えられないことだった。それだけの魔力を持った魔石など、フリードランス王国では用意不能だろう。今のところ、王国内の冒険者でも、そこまで足を伸ばした者は皆無。フリードランス王国では、そのような大陸の噂さえ無かった。
トヨアズミの国というのは、それだけ長期間魔導船の航行が可能だとすれば、フリーズランド王国より科学技術の発展した国なのかもしれなかった。
「予言巫女から派遣されたのは分かったけど、ウィック。お前は何者なんだ。どう見たって、魔物の一種にしか見えないけど、もしかして魔族?」
スサノハンクは、ウィックをジロジロといろんな角度から見まわした。
フリードランス王国には、スサノハンクがする限り、ウィックのような小動物も魔物も存在していなかった。更には、今日の生々しい出来事だ。ウィックが自分を害する存在とは考えられなかったが、どうしてもその関連性を疑ってかからずにはいられなかった。
「わ、私は、……」
ウィックは、魔族という単語が出た途端、驚いたようにピクッと体を震わせ固まった。それまでは、スサノハンクにジロジロ見られ、居心地悪そうにキョロキョロとスサノハンクの動きに合わせ視線を動かしていたが、……。
「失礼ながら、魔族ではございません。私は、魔族や魔物ではなく、こう見えても聖獣。モーントリーゼ様と正式に契約した聖獣でございます」
ウィックは、自分の動揺を押し隠すよう、スッと姿勢を正すとそう言った。
「聖獣???」
スサノハンクは、疑いの目をウィックに向けた。
フリードランス王国で聖獣と言えば、一目で人を圧倒するような存在、ライオンや虎、その他黒豹や大鹿のような見栄えのする動物であるばかりか、殆どの人が目にすることも無い伝説の動物たちだった。川辺や湖畔を散歩すれば、いくらでもチョロチョロ出てきそうなウィックのような存在が聖獣と言われても、スサノハンクには当然のことながらピンとこなかった。
「お疑いのようですが、私が、聖獣であるのは、まごうことなき事実でございます」
ウィックは、疑われたことが心外だったのか、首をピッと伸ばすと胸を張って言った。
「その聖獣のウィックが、何で、フリードランス王国に派遣されて来たんだい」
スサノハンクは、やや揶揄い気味にウィックに言った。
「モーントリーゼ様より、『いにしえ勇者』を探し出すよう依頼されたからでございます」
流石というか、ウィックも、襟を正すと何事も無かったかのごとく振舞っていた。
「今朝もそんなこと言ってたけど、その『いしえの勇者』っていうのが、僕なの?」
スサノハンクは、自分を指さしながら言った。
今朝、ウィックがスサノハンクのことを見て、『いにしえの勇者』呼んでいたことを思い出したのだった。
「さようでございます」
ウィックは、当然ですというように頷きながら言った。
「僕が、何で、『いにしえの勇者』になるわけ」
スサノハンクには、自分が『いにしえの勇者』と呼ばれる理由に心当たりは無かった。
というより、自分がそう呼ばれることに、嫌悪感さえ覚えた。トヨアズミの国なんて、聞いたことも無い国の厄介ごとに巻き込まれたく無かったし、『いにしえの勇者』などと称して祭り上げられ利用されたくも無かった。そして、何より、突然目の前に現れたウィックと名乗る自称聖獣を、会ったばかりで信頼関係も無い状態で信用できるはずも無かった。
「お会いしたばかりで、信用していただくのは無理とかとは存じますが、私は、『いにしえの勇者』を探すよう依頼されるに当たり、モーントリーゼ様よりこれを賜りました」
ウィックは、そう言いながら腰に下げた革袋の中に指先を突っ込んだ。
「何それ、どうなってるの」
スサノハンクは、ウィックの動作を唖然として見ていた。
ウィックの腰に下げた革袋は、ウィック体のサイズにあわせ縦横一センチメートル四方あるかないかの大きさでしかなかった。ところが、その中にウィックが指先を入れた途端、革袋の入り口がドンドン広がり、ウィックの両手を入れられるようになった。ウィックが両手を入れてからも、革袋の入り口は広がっていった。
しかし、革袋の深さは変っていなかった。
革袋に突っ込んでいるウィックの手の長さを考えれば、とっくに革袋の底に到達。いやそれどころか、それを突き破って外に出ていなければならないはずだった。にもかかわらず、革袋の底に変化はなく、ウィックの手は、革袋の底に合わせ切り取られたように消滅してしまったようにしか見えなかった。
『も、もしかして魔道具の収納袋』
スサノハンクは、魔法で構築した空間に?がる魔道具があると聞いたことがあった。中は、魔力の空間であるため、時間の流れも無くいつまでも収納時の状態で保たれ、設定された容量いっぱいまでかなりの量を収納可能と聞いていた。作るのが難しく、制作には多大な魔力が必要とされるため、現在では、作れる者が存在していなかった。ビンテージ物なら極々希少に残っているらしいが、中級貴族が全財産つぎ込んでも手に入れるのは難しいだろうといわれる逸品だった。
スサノハンクも、噂では聞いてはいたが、現物を見るのは初めてのことだった。
「今お出ししますので、もう少々お待ちくださいませ」
両手を肩まで革袋の中に突っ込んだまま、ウィックが、言った。
何か大きなものを抱え込んで出そうとしてるようだった。魔法の袋の入り口は、ウィックの頭より大きく広がっていた。
「こちらをご覧いただければ、私の言うことが真実だとお分かりいただけると存じます」
ウィックに抱えられ、魔法の袋から、若草色をした球状の石のようなものが顔を覗かせ始めた。ウィックが持つと、スケールの違いから、占い師が覗き込んで占う大きな水晶玉のようだったが、実際には、直径五センチメートルぐらいの透明な魔石のようだった。
「どうぞ、ご覧ください」
ウィックは、魔石を完全に取り出すと、両手で捧げるように前に差し出した。
「何だい、それ」
スサノハンクが、その魔石を覗き込むと、その中心部に鏃のようなものが、浮かんでいるのが見えた。石の中に浮かんでいるというのはおかしな表現化も知れなかったが、スサノハンクには、水を満たした緑色の金魚鉢の真ん中に、グーウという鏃が漂っているようにしか見えなかったのだ。その鏃の先端は、スサノハンクの方を指していた。
「これは、ツァイデンシュタインと呼ばれる魔道具です。『いにしえの勇者』様の魔力を封じ込めたもので、それと同じ魔力を感知すると、今見えているようなグースが現れると言われていました」
ウィックは、魔石の中の鏃のようなものを指さした。鏃のような物の名前が、グースというようだった。
「もう、現れてるじゃん」
スサノハンクは、ウィックがツァイデンシュタインと呼んだ魔石というか魔道具の中を覗き込みながら言った。
「もう千年以上もの長きに渡り、ツァイデンシュタインの中にグースは見えていませんでした。グースが出現したのは、ここ数年のことにしかすぎません」
ウィックは、すました顔で言った。
「もしそうだとして、僕が、『いにしえの勇者』だという証拠にはならないよね」
スサノハンクは、自信満々のウィックの鼻を明かしてやろうと反論した。
「グースは、『いにしえの勇者』様がいらっしゃる方向を指します。どうぞ、好きな方向に動いてみてください」
ウィックは、ツァイデンシュタインを少し突き出すようにしながら言った。
ツァイデンシュタインの中のグースは、スサノハンクを指したままだった。
「そんなことあるはず無い……」
ベッドを下りスサノハンクが、そう言いながら部屋の中を移動すると、グースの先端が、スサノハンクを追うように動いていった。
「ウィックが、動かしているんだろ」
スサノハンクは、『どうですか』と言わんばかりのウィックに聞いた。そのどや顔ともしたり顔ともとれそうなウィックの顔付に、スサノハンクは少しイラっとした。
「では、ここに置きますので、もう一度動いてみてください」
ウィックは、ベッドの端にツァイデンシュタインを置くと、少し離れたところに座り直した。
「どうぞ、移動してください」
ウィックは、相変わらずどや顔をしたまま言った。
「今度は、動かないだろ」
スサノハンクは、さっきとは反対の方に移動した。
「何でだよ」
スサノハンクは、ツァイデンシュタインに駆け寄ると、グースを確認した。
間違いなく、グースは、反対方向に移動したスサノハンクを指していた。
「どうです」
ウィックは、スサノハンクの顔を見上げる様にして言った。
「魔力に反応してるだけじゃないの
」
スサノハンクは、最後の抵抗を試みるように言った。
自分が、勇者なんてあり得ないことだった。今日だって、魔族らしき者に憑依されたギートあれだけ苦戦を強いられたのだ。勝手に勇者に祭り上げられ、魔族と戦うなんて自分には絶対無理だ。スサノハンクは、そう考えていた。ギートと戦い、魔法使いや魔族との魔力の差を思い知らされていた。
これから成長と共に、魔力が強くなっていく可能性はあったが、父や母でもギートの魔力量には全く敵わなかったのだ。成人しても、父や母を凌駕する魔力量を自分が会得できる要素は全く無かった。
ウィックの言うことは、正しいのだろう。半分、そう思いながらも、スサノハンクは、ウィックの言葉に、反抗せざるを得なかった。
『自分には、絶対、勇者は無理だ』
スサノハンクは、心の奥底でそう叫んでいた。
「では、お下がりください。私が、ツァイデンシュタインの前を横切ってみせます」
ウィックは、そう言って、ベッドから降りると、ツァイデンシュタインの前を行ったり来たりした。
「何で、動かないんだ」
スサノハンクは、その様子を見ながら叫んだ。
思念伝心のような魔法を使えるのだ、ウィックが魔力を持っていないはずいがなかった。にもかかわらず、グースは、ウィックが動いても微動だにしなかった。魔力量の差によるもの考えても、スサノハンクも、たいして魔力量が多い方ではなかった。下手をすれば、ウィックの方が魔力量は多いかもしれなかったのだ。グースが、魔力に反応しているわけでないのは明らかだった。
「それで、『いにしえの勇者』って何をした人なの」
スサノハンクは、話題を変えることにした。
「遥か昔、数百年、いや千年以上前のことになると思われますが、我がトヨアズミの国に別の大陸の住民である魔族が襲撃してきたことがございました。あわやトヨアズミの国も滅亡かという時、三人の勇者が現れ、瞬く間に魔族を蹴散すと、魔族の大陸に渡り魔王を闇の底に封印したと言われております。その時の次姉が、現在の予言巫女モーントリーゼ様の始祖と言われております」
ウィックは、神話を思い起こすように言った。
「それで、どうして、そんな昔に活躍した勇者を探しだそうとしたわけ」
スサノハンクは、変なものを見るような視線をウィックに向けた。
「モーントリーゼ様が、最近、魔王の覇気が強くなってきていることに気が付かれたのでございます。それは、魔王復活の兆しであることは明らかでございます」
ウィックは、先ほどとはことなり険しい目付きで言った。
「そのモーントリーゼ様が勇者の子孫なら、わざわざ他の勇者を探さないで、自分で魔王の討伐をすればいいんじゃないの」
スサノハンクは、首を傾げながら聞いた。
「モーントリーゼ様は、残念ながら攻撃魔法が使えません。そのため、大規模な隠蔽魔法によりトヨアズミの国自体を魔族の目から隠し、その間に、『いにしえの勇者』様を探し出すことにしたのです」
ウィックは、そこですと言わんばかりに、スサノハンクの方に身を乗り出して言った。
「そう言うことなんだ」
スサノハンクは、納得したように言った。
「では、私と共にトヨアズミの国に、いらしていただけますか」
ウィックは、畳みかけるように言った。
「無理だよ」
スサノハンクは、首を横に振りながら言った。
「な、何故で、ございます」
ウィックは、驚いたように言った。
スサノハンクを納得させられたかと思っていたら、返ってきた答えは、期待していたものとは真逆だったのだ。ウィックにとっては、青天の霹靂だったろう。
「今朝、王都に行く途中、魔族らしい者と交戦した。僕が『いにしえの勇者』であるかどうかは別にして、この国に魔族が現れたのなら、悪いけど、人の国を守るより、自分の国を守ることを優先しなくちゃならない。ウィックも、そう思わない」
スサノハンクは、顔をウィックの方に近付け説明するように言った。
「この国に、魔族ですと」
ウィックは、考え込みながら言った。
「もしかして、この時期に魔族が現れたのって、ウィックに関係あるんじゃないの」
スサノハンクは、思いついた疑問を口にした。
「それは、無いと思いますが」
ウィックは、口をへの字に曲げながら言った。
三柱の姉弟神。この物語の背景に流れる設定に気が付いた人もいると思います。この姉弟神が物語に登場するのは、かなり後になると思います。




