第9話 悲観と慰め
戦前は、ある重要な女神をアマテルタイシンと呼んだそうです。
そう書いてある記事を読んだ時は、そうなんだとしか思いませんでしたが、何年もしてから、それを一つの題材にして小説を書くとは思ってもいませんだした。
第9話 悲観と慰め
「宮廷魔術師に確認させたところ、魔法使いの死体や斬り落とされた右腕に、魔力の痕跡は残っていなかった。死体のあった周辺も、入念に調べさせたが、魔力が残っている様子はなかった」
スサノカミルが、難しい顔をしたまま言った。
国王の前で繰り広げられた不毛な議論のことについて、スサノカミルは、思い出していた。
「それは、リーニア様も現場で確認されたはずです」
ヘルマンが、詰め寄るようにスサノカミルに言った。
そんなことを聞いてるのではありません。ヘルマンの語調は、そう言いたげに聞こえた。
ギートの死体に魔力が残っていなかったことは、スサノハントが、アマルレオナに報告する席で聞いていたので、ヘルマンたちも知っていることだった。
例え、魔法を発動しようとして魔力を放出していない時でも、『鑑定』のスキルを持つ魔法使いであれば、魔力量を読み取ることは可能。相手が魔法使いかどうか判定できる。自分自身を含め、アマルフィーネに『鑑定』のスキルがあることに、誰も気が付かなかったのは、単に、アマルフィーネが、今まで、魔法使いに会ったことが無かったからだろう。
「そうじゃが、今のところ、憑依していた者の手掛かりとなるものは、魔法使いの死体と実際に戦った者の証言だけじゃ」
スサノカミルは、そう言うと、ギルベルトとヘルマンの顔に向け、交互にチラッと視線を向けた。
「……」
二人は、『然り』とでも言うように、黙って頷いた。
「元々、死んでいた者に憑依したのか、生きていた者に憑依していたのか。どんな手合いが憑依していたのか。右腕を切り落とされ、憑依していたものは、死滅したのか、魔法使いの体に見切りをつけ脱出しただけなのか。これら全てを考慮して、今後の対策を立てるより、少しでも情報を整理して、優先的に対策を講じなければならない項目が少しでも絞れれば、対策の矢面に立たされる我々としても楽だからな」
スサノカミルは、同意を求めるように言った。
「確かに、その通りではありますな」
ギルベルトが、細い目を益々細くしながら言った。
「ここで、ハンクに確認しておきたいんじゃが、切断された右腕から何かが出くるのを見た記憶はあるか」
スサノカミルが、スサノハンクに視線を向け聞いた。今日の議論で、列席者よりスサノハンクに確認して欲しいと言われていたことを、スサノカミルは、思い出したのだった。
「いえ、そういうものは見てないと思います」
スサノハントは、父、スサノバルトの『飛斬』でギートの右腕が宙に舞い、石畳に落下していく場面を脳裏に思い浮かべながら言った。
「一緒にいた従士たちも見ておりませんか」
ヘルマンが、スサノハンクに聞いた。
「そういう話は、聞いてないので、見てないと思いますが、帰ったら、もう一度、従士たちにも聞いてみます」
スサノハンクは、ヘルマンに言った。
「それなら、憑依したのがどのような輩かは分かりませぬが、死滅したか可能性が高いのでは」
ヘルマンが、スサノカミルに向かっていった。
「そうであれば、いいのだがな……」
スサノカミルが、ため息混じりに言った。
箝口令が敷かれているので、一族の者にも口にすることは出来なかったが、憑依していたのが魔族の可能性がある以上、スサノカミルは、全ての可能性は捨てきれないと考えていた。
「いずれにしても、私には、此度の魔法使いの所業。人間業とは思えませぬ。王宮では、あの男に憑依していたもの正体を、どのように考えておられるのですかな」
ギルベルトが、一番聞きたかったであろうことを口にした。
「それを含め、全ては検死結果が出てからと言うことになるだろうな」
スサノカミルは、誤魔化すようにそう言った。
検死結果が出たとして、スサノハンク自身、たいして参考にはならないだろうと考えていた。どのような結果が出ようと、憑依していた者を特定できるようなものが残っているはずなどなかった。もし、相手が魔族だとしたら、そこに痕跡を残すようなヘマはしないだろうし、例え、魔族と特定できたとして、短期的に魔族に対する対策など立てようが無かった。
長期的に見ても、できることはそう多くは無かった。持てる魔力を効率よく増やす。少ない魔力でも魔法を発動させる。これらのことを、持続的に地道に研究。攻撃魔法を発動させ武器として利用できる魔道具の研究、開発。魔法使いを増やすため、魔法使い同士の婚姻を推奨。婚姻は、人の感情にも関係するが、今の貴族同士の婚姻事情、自由恋愛ではなく家の事情・戦略で決められる婚姻を考えれば、不可能ではないだろう。
だが、このようなことを行っても、圧倒的な魔力を有する魔族相手に、どの程度有効かとなると、甚だ疑問ではあった。
かつて、魔族と戦った勇者たちが如何に偉大であったか。それを、痛切に思い起こさせられることだらけだった。そして、今やその勇者たちは存在していないのだ。王族はじめ、諸侯たちは、その現実を嘆くしかなかった。
スサノカミルが、検死結果で出てから再度議論することに同意したのは、このままでは不毛な議論が堂々巡りして結論が出ないと思ったからだった。問題を先送りにしただけであることも、スサノカミルは充分承知していた。
「ところで、ハンク。朝、報告に来た時から元気がないようですが、何かあったのですか。朝は、戦闘の後で疲れているのかとも思ってましたが、どうやら、それだけじゃなさそうですね」
アマルレオナが、スサノハンクの心境を見透かさすように言った。
「そんなことないよ。疲れていただけだよ」
スサノハンクは、アマルレオナの言葉をムキになって否定した。
「そうかな。気のせいかとも思ったが、儂も、館長と同じことを感じておった。二人して、そう感じていたということは、単なる、気のせいではあるまい。ハンク、何があった言ってみなさい」
スサノカミルが、その心の奥底を覗き見ようとするよう、スサノハンクの顔を繁々と眺めながら言った。
「……」
スサノハンクは、言い澱んだ。
ギートとの戦いにおいて、恐怖で体が竦み上がって、一時的に動けなくなったことなど話せば、武闘派の祖父母たちにどやしつけられそうだった。
「初めての実戦だったんだろ。そこで、どんなことがあったんだ。どんなことでも、お前にとっては貴重な体験だ。誰も、怒らないから、話してみろよ。これだけ経験豊富な年寄り連中がいるんだ。ここで相談すれば、自分一人でウジウジ考えているより、ズーッと貴重なアドアイスを貰えるかも知れないだろ」
骨付き肉を手に持ちながら、スサノエッカルトが、スサノハンクに言った。
「まあ、あなたったら……」
年寄り扱いされたのが癇に障ったのか、夫の行儀の悪さを恥じたのか、アマルレオナが、スサノエッカルトに咎めるような視線を送った。
「エッカルトの言う通りだ。初めての実戦で蟠りをいつまでも残しては、今後の戦いにも差しさわりが出てくる。何かあったなら言ってみるがよい」
スサノカミルは、スサノハンクを諭すように言った。
「……」
スサノハントは、どうしようか迷っていた。
自分の弱さを語ることに、躊躇いを覚えたのだ。
「微力ながら、力になれることがあれば、我らも、助力させていただきます」
ギルベルトが、そう言うと、ギルベルトばかりでなく、ヘルマンも一緒に頭を下げた。
クリスティーナを除いた武闘派全員がこう言う以上、スサノハンクも決断するしかなかった。
「あの魔法使いと戦っていて……」
ハーッと溜息を一つ付くと、スサノハンクは、剣を胸に突き刺されても死なず、自分を睨みつけるギートの眼に恐怖し、身が竦んで動けなくなったことを話した。
「それは、良い経験をしましたね」
アマルレオナが、しみじみとした表情で言った。
『エッ……』
スサノハンクは、自分の考えていた反応と全く違うことに内心驚いた。
「左様。戦いの怖さを知らぬ者は、良い将兵にはなれぬ。名将と言われた者たちは、皆、臆病だった」
スサノカミルは、アマルレオナの言葉に頷くように言った。
「戦いの怖さを知って、初めて一人前ってことだな」
スサノエッカルトも、二人の言葉を肯定するように言った。
『そ、そうなの……』
スサノハンクは、自分の思っていたのと違う祖父母たちの反応に戸惑い、ギルベルトたちがどう思っているのか、その意見効きたいと思い、そっちの方に視線を向けた。
「我々も、勿論、戦いは怖いです。自分の命がかかっているのですからな」
ギルベルトは、人を睨みつけるような目付きのまま、不釣り合いなことをシラッと言ってのけた。
スサノハンクの戸惑いは、更に、大きなものへと発展していった。
「戦いの怖さを知らず、闇雲に相手に向かっていく者は、勇気があるとは言わず、ただの蛮勇のみある者と見なされるべきでしょうな」
スサノハンクが、ヘルマンに視線を移すと、ヘルマンも、そう言った。
「でも、それならそれで、これからが大変じゃなくて」
ギルベルトの妻にして、ヘルマンの妹、アルマ=オーブ=シュヴェルトが、言った。食事の手も止まり、皆の言う意味が分らず、困惑しているスサノハントに助け舟を出そうとしたのかもしれなかった。
これまでの話は、アルマ達には情報不足で口を挟めず発言を控えていたのだろう。
「本当ですね。一度、そのような経験をした者はフラッ……」
ヘルマンの妻、ローゼ=オーブ=ファウストが、口を開いたが、その声は途中で遮られた。
「こ、これからも、魔法使いを相手にしなければならないかもしれませんからな」
ヘルマンだった。ヘルマンが、ちょっと慌てたように言ったのだった。
「イーッ。そうなんですか!」
妻の言葉を遮るヘルマンに違和感を覚えながらも、サノハンクは、ヘルマンの不吉な予感に腰を浮かせかけた。魔法使いと見られていた者が、魔族かも知れない。王宮で、そんな推測を聞いていただけに、スサノハンクは、心穏やかではいられなかった。
「何十年も現れなかった魔法使いが、突然現れたのだからな。確率の問題じゃろ。まあ、落ち着くがよい」
スサノカミルが、両手を物でも押し出すように突き出すと、スサノハントに落ち着くよう指示した。
この中で、魔族の話を知っているのは、スサノカミルとスサノハンクだけだった。スサノカミルは、スサノハンクに過剰に反応し過ぎないよう注意を促したのだった。
咄嗟のことで、ヘルマンが、魔族について知らされてないことを失念していたのだった。
「申し訳ありません。至らぬことを申し上げました」
ローゼは、そう言って、スサノハンクに向かって頭を下げた。
『エッ』
スサノハンクは、ローゼの意図を探る様にその顔を見入った。
純然たる軍家、脳筋の気のある六肢柱家出身のローゼは、時として、意図せず周囲をアッと驚かせるような過激な発言をすることがあった。しかし、ヘルマンに発言を遮られたといえ、先ほどの発言がそれほど突飛なものとは思えなかったんだ。
「ローゼ、謝る必要はありませんわ。私たちも、これからそのことについて、スサノハンクに話しておかなければならなかったのですから」
アマルレオナが、ローゼに言った。
「これからは、未知の戦いが始まるかもしれない。お前が、それをいかにして打開していくかってことだな」
スサノエッカルトが、独り言を言うようにボソッと言った。
この叔父も、戦闘狂なだけに時として、歯に衣を着せぬ過激な言葉を吐くことがあった。
「ハンク。お前は、此度の戦いにおいて、一度は、魔法使いに恐怖しながら、何故、最後は戦いに復帰できたのかな」
スサノカミルが、弟を横目で見ながら言った。
「何故って?自分の不甲斐なさに気がつたからだと思います」
スサノハンクは、あの時のことを思い出しながらスサノカミルに言った。
「何に対して、不甲斐ないと思ったのですか」
アマルレオナが、優しく聞きた。
「何て、父上や母上は僕を助けようと戦ってくれていまいた。妹のフィーネも、自分が攻撃される危険性を顧みず、魔法使いの弱点を教えたくれました。自分だけが、魔法使い恐れ竦み上がっていたのが、恥ずかしかったんです。それに、家族が、このまま魔法使いに殺されてしまうなんて、絶対に許せませんでした」
スサノハンクは、ホークを持った手で、ドンとテーブルを叩いた。
「フフフ……」
スサノエッカルトが、スプーンを持つ手の親指の付け根を、反対の手で叩きながら含み笑いした。口の中には、まだ、ウサギ肉の煮込みが残っているようだった。
「その歳で、たいしたもんだな」
スサノエッカルトは、そう言うと、ゴクッと口の中の物を飲み込んだ。
「戦いの最中、恐怖を覚えた者は、そのままズルズルとみじめな負け犬と化し、なすすべもなく殺されていくのが普通だが、お前は、自らその解決法の一端にたどり着いたのだからな」
スサノエッカルトは、驚いたように素直に感想を述べた。
『感動するのはいいですが、テーブルマナーもきちんと守ってくださいよ』
その隣では、アマルレオナが、そう言いたげにスサノエッカルトを睨みつけていた。
「確かに、それは言えるな。だが、まだ子供でしかないお前には酷かもしれんが、これからも、魔法使いのような者を相手にしていかねばならぬ場合も多々あるだろう。その様な時のため、覚えていてもらわねばならぬ心得がある」
スサノカミルは、スサノエッカルトの言葉に続けるように言った。
「エッ、どういうことですか?」
スサノハンクは、スサノエッカルトとスサノカミルの顔を交互に見ながら聞いた。
「魔法使いのような強い相手と戦うためには、気持ちで負けては絶対に勝てない。それを支えるための方法は二つしかない」
スサノカミルは、指を二本立ててスサノハンクの前に手を突き出した。
「一つ目は、折れない心だ。ハンクが、魔法使いとの交戦中、自分で気が付いたことでもあるが、自分の背後には、愛する者、守るべき者がいると言うことを自覚して、自らを奮い立たせることだ。さすれば、どのような状況においても心が折れることはない」
スサノハンクは、そう聞かされ、戦闘中、自分のために奮闘してくれている妹や両親に思いを馳せたことで、闘争心が戻ってきたことを『なるほど』と思い出していた。
「もう一つは」
スサノカミルは、スサノハンクの顔をグッと睨め付けながら言った。
「それは、限界まで、自分の肉体を苛め抜くことだ」
『エッ』
スサノカミルの言葉に、スサノハンクは、思わずそう声を上げそうになってしまった。




