プロローグ
初の連載に挑戦です。
プロローグ
「はじめ」
審判の試合開始を告げる声が、会場に響き渡った。
これから全日本極練空手選手権の決勝戦が、行われるところだった。
「行け。浩介、気合だ。気合」
「そんな奴、チョロいぞ」
「なだれ落とし一発で終わらしたれ」
観客席から、すかさずそんな声援が飛んできた。
それは、全て優勝候補、柘植浩介に向けられたものだった。
『俺、こんなところにいていいのかな』
決勝戦のもう一方の相手、須佐タケルは、会場に渦巻く浩介に対する声援を聞きながらそんなことをぼんやりと考えていた。
相手の柘植浩介は、全日本三連覇を狙うディフェンディングチャンピオン。イケメンの上、『なだれ落とし』という派手な技でバタバタと相手を倒していく試合スタイル。なだれ落としというのは、前回り踵落としとでもいうべき技で、相手の目前でトンボ(前方宙返り)を切ると、その余勢を駆って踵落としを食らわせるという大技だった。その容姿と派手なパフォーマンスで、女性人気も高かった。
それに対して、タケルは、顔も地味なら試合運びも地味。飄々と揺れるように相手の攻撃を躱しては、相手のスキをついてローキックを決め、相手の戦意を少しずつ削ぎ落し優勢勝ちを狙う試合運び。タケルの属する東京都城下支部でも、常にナンバー2の存在でしかなかった。
それが何故、全日本に出場することのなったかというと、城下支部のエース高堂和宏が、試合直前稽古中に捻挫するというアクシデントがあったからだった。
予選一・二回戦で敗退するだろう。という、大方の予想に反しのらりくらりと予選を突破したかと思いきや、決勝トーナメントでも、派手な攻撃やパフォーマンスを見せることも無く、オール優勢勝ちでいつの間に決勝戦まで駒を進めてしまっていたのだった。
「オリャ―ッ」
タケルを舐め切っていた浩介は、作戦も何も無くただ秒殺するつもりで迫っていった。
突き・前蹴り・回し蹴り、後ろ回し蹴りと次々に華麗な攻撃を繰り出していった。
それを、慌てるでもなく、タケルは風に柳と苦も無く飄々と躱していった。
『馬鹿な。あり得ねえ』
浩介は、チャンピオンとしてのプライドと意地で、攻撃を続けた。
それでも、一向に浩介の拳や蹴りが、タケルの体にヒットすることはなかった。
全ての浩介の攻撃は、タケルの体を擦り抜けて行くようだった。それだけ、タケルが、最小の動きで、浩介の攻撃を躱しているということだった。
『フロックなんかじゃねえ。こいつ、伊達に決勝まで上がってきたわけじゃねえんだ』
ようやく浩介も、自分の間違いに気が付いた。
これだけ自分の連続攻撃を簡単に躱されては、タケルの実力を認めざるを得なかった。焦りも出てきた。
『このままじゃ、ヤバい』
咄嗟に仕切り直しをしたほうがよさそうだと判断すると、浩介は、サッと後ろに飛び退き間合いを取った。
浩介は、肩でハーハーと息をしながら、正面に立つタケルの姿を見据えた。
タケルは、知っていた。自分の強さを。
空手を習い始めると、タケルの体の中に眠っていた天才性が急激に目覚めた。あっという間に先輩や年長者を凌ぐ実力を身につけていった。『強くなったね』『偉いね』という子供に対する賞賛の声が、あまりの上達の速さと異次元の強さから恐怖の対象に変わていくのにたいして時間はかからなかった。仲間からも敬遠されるようになった。
孤立したタケルは、勝つからいけないんだ。勝つから仲間はずれにされるんだと思うようになった。勝つのは止めよう。タケルは、そう決心した。それからは、どうやったら、攻撃を躱せるか。そこに面白みを見出すようになっていった。試合で、全く攻撃しないと、無気力と注意されるので、地味なローキックだけは使うようになった。今では、かなり上級者の攻撃もミリ単位で躱せるようになっていた。
それが、一見地味にしか見えないタケルの試合スタイルができあがった理由だった。
『くそッ』
不用意に攻撃を仕掛けたことで、自分だけ体力を無駄に消耗させてしまったようだった。浩介は、見かけで相手を判断してしまったことを後悔していた。だが、まだ、対策はあった。
『これならどうだ』
浩介は、スッと合間を詰めるとなだれ落としを仕掛けた。
『初めて見るトリッキーな攻撃に反応できるか』
いきなり眼前でトンボを切られると、相手は一瞬浩介を見失う。ハッとした次の瞬間には踵落としを食らっている。今まで対戦した相手に言わせると、口を揃えて来ると分かっていても躱せないと言う。初見で見切れるはずが無い。浩介は、この技にそれだけ絶大な自信を持っていた。
だが、浩介の予想に反し、タケルは、サッと左足を左前方に少し移動させると、左半身になって浩介の足を躱した。浩介の踵が、タケルの鼻先を掠るぐらいの僅かな動きで……。
『な、何故だ』
浩介も、焦った。
確実にヒットしたと確信していたにもかかわらず、手ごたえと言うか足ごたえ言うか、そのようなのもが一切感じられなかった。浩介の足は、空を切っていた。
『これさえ躱されたというのか』
浩介は、焦りながらも、両足を揃えると膝を曲げて着地した。背中から落ちてもおかしくないような状況で、曲りなりにもバランスを崩さず足から着地しただけでも流石の反射神経といえた。
浩介は眼の端、自分の右斜め前方にタケルの姿を捉えた。
『させるか』
浩介は、次の瞬間タケルが攻撃してくると悟った。
直ぐに、移動しなければと頭では分かっていても、中空に浮いていた体は、重力の作用で今は上から下、マットに体が沈み込んでいる最中。膝は屈伸する時のように曲がり、それに合わせ尾てい骨引っ張られるよう踵に向かって下がっていく。試合場のマットに接したつま先にグーンッと自重以上の体重が圧し掛かっていった。身体の沈み込みが終わるまで、急激な回避動作は不可能だった。
『ウッ』
浩介は、心の中ではうめき声を上げた。
体の沈み込みが終わると、浩介は、床を蹴り回避運動に入ったが、既に攻撃態勢に入っていたタケルから逃げ切れるはずも無かった。飛び退くよりも速く右大腿部にビリビリと電撃を受けたような衝撃というか激痛が走った。
タケルが、狙いすましたように、浩介の大腿部にローキックを放ったのだ。はた目から見ると、軽くちょこんと当てただけにしか思えないローキックだったが、その威力は絶大だった。残心の欠片も見えずポイントには結びつかなかったが、破壊力抜群のローキックだった。
『くそったれが』
浩介は、そのまま飛び込むようにマットに突っ込んでいった。倒れた状態で相手に突きを決められれば一本となり勝負は決してしまう。激痛に耐えながらも、受け身をとるようにマット上でクルっと一回転すると、タケルの間合いから辛くも逃れた。その回転の勢いを駆って、浩介は、右足に体重を掛けないよう、殆ど、左足一本で立ち上がった。
『太腿から足先に向かう神経を直接狙いやがったのか』
浩介の足は、攻撃を受けた大腿からつま先にかけ、まだピリピリと痺れていた。
『なるほど。こんなもの何発も食らえば戦意も消失するってもんだ』
浩介は、自分の右足大腿部にチラッと視線を向けると、タケルの他の仕合の様子を思い出していた。最初は自信満々にタケルに向った行った選手たちだったが、試合が進むにつれ、段々と逃げ腰になっていくように見えた。
『軟弱者』
浩介は、彼らを見てそう思っていたが、自分で戦ってみて、そうではないことがはっきりと分かった。原因は、これだったのか。タケルは、神経の直上をピンポイントに狙ってローキックを放っていたのだ。浩介は、タケルとの対戦で、相手になにが起こっていたかよく理解した。
『弱者を装っていただけってことか』
浩介は、自分がタケルを完全に見くびっていたことに気が付いた。タケルの試合を見て、そのことに気が付けなかった自分の未熟さを痛感させられた。
『世の中には、まだまだ、隠れた強者がいるってことか。だが、俺も、チャンピオンとして簡単に負けるわけにはいかねえんだよ』
浩介は、下唇をグッと噛み締めると、激痛の走る右足を庇うよう。左足を後ろにした猫足立ちの構えを取った。
猫足立ちというのは、後ろ脚に大半の体重を掛け、つま先立ちになった前足にあまり体重を載せない構え方。つまり、この構えは、右利きの浩介がとった苦肉の策、左利きの人間の、構え方だった。
『チャンピオンには、敬意を表するか』
タケルは、追い込まれてもなお、チャンピオンとして戦意を失わない浩介の態度に感心した。浩介には、チャンピオンとしての敬意を表し、いつもよい強目にローキックを放っていた。通常では、立っていられない程度の……。そのプライドに、タケルは、答えてやる決意を固めた。判定ではなく、一本で奇麗に勝負をつけてやることにしたのだ。
こんな気持ちにさせられたのは、久しぶりのことだった。それだけ浩介の勝負に対する執念のようなものがヒシヒシと伝わってきたのだった。
『行くぞ……』
タケルが、そう思った時、胸に違和感を覚えた。
『い、息が……』
突然、呼吸もできなくなるほどの痛みが、胸部を押しつぶすような劇痛が……。毒ガスでも吸い込んだのかと思いたくなるような苦悶が、タケルを襲った。
『一体。何が……』
タケルは、思わず胸を押さえた。
酸素を求め喘ぐように口を開け、ハーハーと肩で息をしていた。
タケルは、自分に何が起こったのか訳が分からなかった。
浩介が、そんな好機を見逃すはずが無かった。
足の激痛を堪え、タケルに上段蹴りを仕掛けてくるのが見えた。痛いはずの右足でだ。とてもチャンピオンの繰り出す技とは思えぬほど稚拙な蹴りだったが、もはや、タケルは、そんな蹴りを躱すことすらできないほど、急速に衰弱していた。突如、意味不明の心臓発作に襲われたのだった。
浩介の上段蹴りが顔面を捉えると、タケルの意識は闇の中に落ちていった。
薄れゆく意識の中で、タケルは、不思議な声を聞いた。
「本来いるべき世界に、今こそ、帰ってくるのです」
消えゆくタケルの意識の中、何故か、そう言う声が聞こえた。女性の声だったが、それだけは、はっきり認識できた。
『ここは……』
スサノハンク=オーブ=プフェルトナァは、狼狽していた。
彼がいるのは、何もない空間。目の前に星空が広がる中空に、仰向けになってポツンと浮かんでいたのだった。
『アッ』
スサノハントは、思い出した。
天に向かってそびえ立つ塔の上方から、外に投げ出されたのだ。その時のショックで、一時気を失ったのだろう。スサノハントは、そのほんの一瞬の間に、不思議な夢を見ていたのだ。夢と言うには、あまりにも生々しい光景だったが……。
『前世の記憶』
スサノハントは、頭に浮かんだそんな言葉を、あっさりと受け入れていた。
『俺は、日本という国から、ここに転生してきたのだ』
幼少の頃から、ここバルトガイスト王国で育ってきた記憶もあるが、日本で生活してきた記憶も先ほど思出し、同時に持ち合わせていた。スサノハンクは、自分が転生者であることに微塵の疑問も抱かなかった。
『ヤバい』
感傷に浸っている時間はなかった。
人の体は、飛行魔法が使える魔法使いでもない限り、いつまでも宙に浮いていることは出来ない。スサノハンクの体は、万有引力の法則に従い、地面に向かって徐々に落下し始めた。眼前に見えていた星空は、足下へと移動していった。重い頭から真っ逆さまに、落下し始めたのだ。
『クソッ』
自由落下する体は、無重力状態。落下に伴う風圧を顔に受けていたが、スカイダイビングの訓練を受けたことのないスサノハンクは、中空で自分の体を自由にコントロールすることが出来なかった。
足下に視線を向けると瞬く星の世界。目の前には、幾筋もの直線が縦にサッーッと流れていた。塔の外壁だ。高速で落下するスサノハンクの眼には、塔の外壁を作る石のブロックとブロックの間の隙間が繋がり、幾筋もの直線のように見えていたのだった。更に、頭上には、ミルミル迫る地表が……。
体中から血の気が一斉にサーッと引いていくような感覚に襲われた。それに伴い、全身の毛がチリチリと逆立っていくようだった。スサノハンクは、初めての経験だったが、これが『身の毛がよだつ』という感覚なのかも知れなかった。あまり経験たくない感覚だった。
「ウォーッ」
スサノハンクの口から、悲鳴が迸った。
現状を打開すべく手足をバタバタ動かしても、何も変わらぬ現状。悲鳴と言うより、スサノハンクは、自分に気合を入れるつもりで声を上げたのがった。が、気合を入れても、この現状を変えられるはずも無かった。
『何で、こんなことに……』
スサノハンクは、自分をこのような事態に追い込んだものが何かを思い出していた。
『あいつだ。全ては、あいつが現れたことから始まったんだ』
スサノハンクの脳裏には、一人の人物というかあいつの姿が映し出されていた。
すいません。
まだ、あらすじに、まだぜんぜん本編が追いついていません。