笑顔の匂い
父親を思い出そうとするとき、笑顔よりも先に冷たい眼差しが浮かんでくる。
その次に浮かんでくるのは、
怒鳴ったり殴ったり物を投げつけたりしてくるときのものだ。
しかし、笑顔をまったく思い出せないわけではない。
そのときには必ず、酔っ払いの嫌な臭いもついてくるだけだ。
だけど、それはきっと物事のひとつの面しか映していないのだろう。
目に見えているものが、すべてとはかぎらないからだ。
酒臭い笑顔の裏には、
ひとりの人間としての寂しさや悲しさがあったのかもしれない。
もちろん、こんなものは僕の勝手な想像にすぎない。
真実はわからないし、わかったところで過去が変わるわけでもない。
それでも、あの日の笑顔だけは違ったものに思えてくる。
本屋の前で偶然出会ったときの、
友人たちと仲良く赤ら顔になっていた父親の笑顔。
見たこともないぐらいに上機嫌で、嬉しそうに僕に声をかけてきた父親の笑顔。
僕のことを手招きながら、友人たちに紹介しようとした父親の笑顔。
少しでも思い出を変えられるのなら、勝手な想像をしてみる価値はあるだろう。
過去を変えることはできなくても、受け取り方を変えることはできる。