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幽霊のいない幽霊屋敷の話

作者: 一唐

夏のホラー2021投稿作品です。

主人公の「私」に気味の悪いゾッとする感じを味わえるものを書ければと思いました。

 幽霊などはいない。

 古来より、魂だとか精神だとかに言葉を変えて、人は肉体の枷を超えた超常的な何かを夢想してきた。だが、私にとってはそんなものは迷信であり、精神なんてものも脳という生命の機関が生み出す余剰なエネルギーの発散のための遊びが生み出した幻のように思えている。人は死ねば終わりなのである。肉体が機能しなくなればそれまでなのだ。だから、幽霊なんてものは存在しようもない。

 だから、私にはそのようなお化けだとか幽霊だとかを信じてこれと言って道理もない振る舞いをする人たちが、ひどく愚かで、滑稽で、可笑しいものに見えている。

 さて、そんな私であるが、近頃ある趣味に没頭している。

 大した事ではない。世の中に溢れかえる残酷で心無いエンターテイメントと趣旨においては同じ事だ。かいつまんで言うと、愚か者をバカにして笑う事である。愚か者とはどういう者か、幽霊なんて信じている者の事である。

 私は日々の暮らしを行う本宅とは別に、一軒の別宅を持っている。

 この別宅は住宅地にはかなり不便な山近くの郊外にあり、うっそうとした暗い雑木林の中の、なぜそんな所に建てたのか誰でも首を傾げてしまうような立地にポツンと建っている。そして、その別宅はまるきり廃墟にしか見えないほどに荒れている。というよりも、あえてそうなるように野ざらし同然に荒れさせている。

 なぜだろうと思うだろう?だが、ちゃんと理由はある。

 噂というものはどこにでもあるものだ。だが、火の無いところに煙は立たないなんて言葉もあるように、噂にはその題材の原型となるような実存が含まれるものである。要するに話に尾ひれが付くための本体というべきものがあるものだ。

 では、郊外の荒れ果てた廃屋、これに付いて回る尾ひれには何があるだろうと思う?そう、幽霊屋敷という噂である。

 巷の人々というものは実に不思議なもので、ひどく荒れた廃屋を見ると、なぜかそこに幽霊というものを関連付けてしまう。ただの屋根と壁のある廃材の塊を、曲解で色ぬりして超常世界に仕立て上げてしまうのだ。

 私の別邸も案の定、そのような噂で近隣の人たちによって飾り付けされている。殺人だの、一家心中だの、死に結びつくいくつかの有りもしない事件でもっともらしくデコレートされて、しかし締めの言葉だいたい同じ。浮かばれぬ霊が今も廃墟に住み着いているである。と言っても、そんな箔付けの事件の噂自体が、私がそれとなくウェブ上や話の端に仕込んでバラまいた嘘なのだが。

 さて、そうして出来上がった幽霊屋敷に付き物な風物とは何だろうか。そう、肝試しである。心当たりのある人もいるのではないだろうか、夏の夜更けにこっそりと静まり返った廃墟の中を探検する、そんな遊びである。私の別邸にも、夏の夜更けになると、幽霊をなんてものを真に受けた愚か者たちがポツリポツリとやって来て、私の別宅に土足で侵入し、勝手に想起した居もしない幽霊を相手に、様々な奇行を見せてくれる。それが実に滑稽で笑える。

 ここまで言えば分かって頂けるだろう、つまり私の趣味とは、私の作りあげた嘘っぱちの幽霊屋敷にやってくる、幽霊なんてものを信じている愚か者たちの奇行を眺める事なのである。むろん、何も起きないのでは興に欠けるので、私が幽霊役をやって人前ではおよそ見せもしないだろう奇態を引き出させた上で、そんな形振なりふり構わない愚かな姿を記録させて頂くのである。

 私の別邸にはそのための仕掛けがいくつも施されている。

 別邸の各部屋には暗視カメラが仕込まれていて、訪れる者たちの姿を闇の中でつぶさに記録している。その上で、記録した映像は私のタブレットからいつでも確認できるようになっており、ターゲットの位置と様子を確認しながらいつでも適切な行動を取り得るように出来ている。

 また、幽霊役となる私が隠れながら部屋と部屋を行き来するための造作がいくつも作ってある。天井裏と床下に出入りするための隠し戸がいくつもある上に、それぞれが行き来がしやすいように特別な作りになっている。床下は基礎の外観に比べて掘り下げられて、立ったままで素早く移動が出来る様になっており、一階と二階の天井裏ははりだけでなく伝ってそれぞれの部屋の上に移動出来るように足場が組まれている。天井裏も床下も空調は行き届いており、夏場の熱帯夜に身を潜めていても実に快適そのものである。また、天井も床も防音を意識した作りになっていて、そこに潜む私が気取られる心配は無い。外壁部分にも仕掛けがあって、荒れて出来た損傷に見せかけて、外壁部分を伝って歩いたり掴んで登ったり出来るような造作が作ってあって、二階の窓を叩く怪しい影なんて演出もお手の物である。このような外壁部分も含めて、別宅の全ての構造は行き来が自由に出来るようになっており、あたかも物理的な障壁に煩わされない幽霊になったかのように、ターゲットを追い詰める事が可能になっている。

 内装の演出にも余念は無い。一家心中の噂に合わせて、家族構成をシュミレートし、そこから導き出される家財道具などの小道具の配置によって、基礎ベースとなる現実らしさリアリティのある生活感を生み出している。そして、それを下敷きにして、そこからの家族関係の荒廃とその終末である家族同士での殺人を思わせる物に顕れる損耗と争いの跡を演出している。また、別の異常者による一家皆殺しの噂に合わせて、壁の所々には斧やナタを打ち込んで作った傷跡が作ってある。傷跡の細部にもこだわって、マタギから譲ってもらった血抜きしていない獣の死体を壁際に置いて作った、あたかも被害者を壁際に追い詰めた異常者が、力一杯に凶器を振り下ろしたかのような生々しい血痕が壁の傷跡にはこべりついている。また、床には腐敗した死体が作る黒いシミもいくつか用意してある。前述の獣の死体を放置して、腐敗し虫などによる分解の過程を経させた本物同然の腐敗液の跡である。腐敗臭も少々残る。

 このようにして丹念に作り上げた舞台の上で、私の演じる演目は闇と音と運動である。幽霊や怪物などの姿あるものは必要ない。それどころか、形ある物として見えてしまえばターゲットの思考が働き興醒めする可能性すらある。だから、私のやる事は密やかで控え目である。大事な事は鳴るはずのない場所で音が鳴り、するはずのない場所で気配がし、闇が全てを覆い隠して人の理解を拒む事である。そうすれば、人の想像力は独りでにそこに幽霊という居もしないものを見出して、自分から恐怖するのである。

 こうして、自分自身に内なる恐怖を作り出した人というものは、実に愚かしく振る舞う。ある者は泣き叫び、ある者は何かに謝り始め、ある者は突然ポケットから取り出した塩を所構わず振りまき、またある者はうろ覚えすらしていない般若心経の題目ばかりを何もない壁に向かって叫び始める。ある者は床に転がったガラクタに蹴つまずいて転び、ある者はこの屋敷に取り憑いた霊はどうのこうのと勝手に頭の中で作り上げた何の根拠もないストーリーを吹聴し始める。しかし、まあ糞尿で床を汚されるのは流石に困る。そして、そんな醜態を晒した者が日中にはしれっとしたり顔で偉ぶっている姿を見かけたりすれば、なおさらに笑いがこみ上げてくる。

 自覚はあるが、実に悪趣味である。だが、ふと自分の身の周りを見返すといい、世の中には私の悪趣味と大差ないか、もっと性根の腐り切った代物が、娯楽だのエンタメなんぞと宣って堂々とふんぞり返っているではないか。世の善悪の潮流がそうなのだから、私だけが非難されるいわれはない。大体にして、これはいわゆるWinWinの関係なのである。私の別宅に侵入した者たちは、不法侵入を大目に見られながら、呪詛だの何だのとおどろおどろしい後腐れもない極めてクリーンな恐怖体験を楽しみ、私はそれに興じる人たちの姿を楽しむ。双方に得るものと払うものが釣り合った両立した関係といえるだろう。

 さて、そんな私の別宅に今夜も侵入して来る者がいる。夏場の盆近くは怖いもの見たさと退屈しのぎに来客が増えるものだ。カメラの映像を確認すると、中学生ぐらいの少年が三人、徒歩でやってきたらしく、サンダル履きのラフな服装を見るに近隣住まいの子どもだろう。

 だが、いつものように軽くチビらせてやろうかなんて思っていた私は少々面白くないものを見つける。

 犬だ。三人の少年の内の一人がリードに繋いだ犬を連れている。犬はやや小柄な雑種犬で、飼い主に遠出の散歩に連れてこられたと思っているのか、どこか嬉しげに尻尾を振っている。

 犬は厄介である。私の偽装は主に視覚と聴覚を意識したものばかりである、だが犬は別の感覚に優れた生き物だからだ。嗅覚だ。見えないように、聞こえないように、そんな風に屋敷を暗躍する私を犬は嗅ぎつけてしまう危険があるのだ。そして、身を隠したつもりでいる私を吠え立てでもされるならば、化けの皮がはがれてしまう。私も、この幽霊屋敷もである。それは、困る。

 だが、どうしたものかと思案する間も無く、リーダー格と見られるややヤンチャそうな少年が屋内にずけずけと入り込んでしまった。それに釣られて太鼓持ちのような少年が付いて来て、犬を連れた内気そうな少年は不安そうに迷いながらも、先行した二人に何かを言われたのか屋内に入って来た。どちらにせよ、いつものように追い返すしかないようだ。

 屋内に入った少年たちの手にあるのはやや小ぶりな懐中電灯だけである。近在の住宅街と別宅の距離を鑑みれば、携行性を考えても子どもの手にはそれが精一杯というところだろう。屋内の闇に比べれば細い線を引いては消えていくような拙い光である。だから、少年たちは侵入口の玄関の戸を両開きに大きく開いて、星月のかすかな光まで取り込んで、まるで退路のように確保していたのだが、どうしたわけか、誰も居ないはずなのに、ストッパーもかけていたのに、玄関の扉が独りでに閉まる。この屋敷に住みついた幽霊の仕業である。屋内は懐中電灯に照らされた所しかろくに見えない暗闇になる。実にそれとなくではあるが、この屋敷の窓は目張りがされていたり汚して曇らせてあるので、夜にもなるとほとんど外界の光は入ってこないようになっている。少年の一人が照明のスイッチをかちかちと押しているが、それは電気の通っていないダミーである。

 他の二人に強がったような事を言っていたヤンチャそうな少年の側で、突然床がみしりと音を立てる。ヤンチャそうな少年が、ただの家鳴りか気のせいかと思いかけた途端に、またみしりみしりと床が軋む。まるで見えない何かが足音を立てているかのように、床の軋む音は間隔を開けて音の鳴る場所が移動する。床下に潜んだ幽霊の仕業である。床の所々には床下側から操作する事で、床板を軋ませる細工が施してあるのだ。

 移動する軋む音を目で追いかけていたヤンチャそうな少年の首筋に、まるで吐息のような生温かい風が吹きかかる。この屋敷の空調は行き届いている。ただし、屋内にいる者にはその設置場所が分からないというだけの事だ。

 ゾッとしたように後づさったヤンチャそうな少年の視界の端に人影のような何かが動いて消える。夜間迷彩の施された服に目出し帽と暗視ゴーグル、消音ブーツを履いた幽霊というものは、怪談話にある幽霊よりもよほど高度な隠密性を科学的に獲得しているものである。

 そして、屋内は静まり返る。インターバルである。物音は恐怖心を掻き立てるものである、しかし、騒がしくてもいけない。存在を確かにしてしまうからである。いるともいないとも言えないような虚ろなぐらいが丁度いいのだ。常に不意打ちである事こそが理想である。

 少年たちは何かを警戒するかのように懐中電灯のか細い明かりを行き交わせ周囲の状況を把握しようとしているかのようだった。だが、そうすればする程に、そんなかすかな明かりでは見渡す事も望めない茫漠とした暗闇の大きさを確認するだけであるかのようでもある。そして、彼らの内側に、少しずつ、少しずつ、不安程度の小ささから、やがて体いっぱいに膨らんで飲み込もうとするかのような恐怖心が育まれていく。

 懐中電灯の明かりの一筋が何かを見つけたかのように一点を照らして留まる。壁についた刃傷を見つけたのだ。刃傷の周りの壁紙には赤黒くシミになった血痕が残っている。ぽたり、ぴちゃりと音がする。音の出所は壁の刃傷だ。刃傷の周りの血痕はどこか滲み出るかのような微かな湿り気を帯びている。どこか刃がえぐった傷跡から流血が漏れ出すかのような湿潤が壁紙に沁みていく。この屋敷の水道管は実に不合理な経路を走っている、時にそこからの液体が壁を濡らすような仕掛けが施されている事もあるかもしれない。

 太鼓持ちのような少年が何か踏み付けて尻餅をついてしまう。少年が懐中電灯で照らすとそこにあったのは古い汚れた人形だった。人形は経年の汚れによって黒ずんでおり、片方の目玉がまるでかろうじて視神経だけで繋がっているかのように飛び出して、四肢のうち半分が折れてあらぬ方向にねじ曲がり、もう半分は欠損していた。小道具として屋内に飾っておいたのだが、屋敷を訪れる者たちがみんなして不注意に踏みつけるのでそんな姿になってしまった。私としてもそれはそれで様になるので、なるがままにしている。

 ぎぃと少年たちのいる部屋の奥で音がする。少年たちが懐中電灯で照らすとそこには冷蔵庫があった。独りでに扉の開いた冷蔵庫は空っぽだった。だが、全ての電灯に電気が通じていないのに、その冷蔵庫にだけは不思議な事に電源が通じている。そして、その中に朽ちるべき何かが住みついていたかのように、冷んやりとした風を部屋の中に放っていた。

 ヤンチャそうな少年のすぐ側でべちゃりと柔らかくて湿った何かが床に落ちる音がする。ヤンチャそうな少年が懐中電灯で音のした方向を照らすと、何かよく分からない血に濡れた肉片が落ちていた。スーパーの生鮮食品の棚にあれば美味しそうとしか思えない肉片に、少し血のりをまぶしただけの物である。しかし、時と場合と受け手によりて、物の持つ意味なんてころころと様変わりするものである。懐中電灯の明かりはその肉片が落ちてきたであろう天井をすっと照らすが、そこには何も無かった。いや、あるにはあるが精巧に作られた隠し戸をそうそう一見で見破れるはずもない、その先に潜んでいる私の事もまた然りである。

 ヤンチャそうな少年は突然叫び声をあげて走り出した。そして、壁や家具に強かに体をぶつけながら、玄関の方向に向かって駆けて行く。それを見て釣られて太鼓持ちのような少年も泣きながらヤンチャそうな少年の後を追って駆けて行く。

 目論見通りである。少年たちのこの手の怖いもの見たさの行動には、怖気付いた者を連れだって行動するリーダー格というものが付き物である。そして、まずそんなリーダー格の怖いもの知らずをくじいてやれば、それに付き合っている者たちは同じように付いて行くだけなのだ。屋敷に入る前の粋がったような姿とは打って変わったヤンチャそうな少年の泣き顔の不細工さはなかなかに笑える代物であり、こうしてつつが無く侵入者たちにはお帰り頂けるはずであった。

 だが、問題が起きた。

 取り残された者がいたのである。犬を連れた内気そうな少年だった。彼はパニックになったヤンチャそうな少年に体当たりを受けて、倒れてしまったのである。おまけに、その拍子に持っていた懐中電灯を落としてしまった。暗視カメラを通した私の目には少年の足元で蓋が外れて電池が飛び出した懐中電灯が床に転がっているのが見えているのだが、暗闇の中にいる少年には懐中電灯を拾う事も電池を正しくセットし直す事も出来そうには無かった。

 少年は床にうずくまって泣いていた。犬の方は楽しい散歩とは何だか勝手が違う事をようやく理解したのか、主人を守る様に身を寄せて暗闇をにらんでいる。

 どうしたものかと考えていた私であったが、少年を出口まで誘導してやる事にした。ただし、そのやり口は屋敷の幽霊の流儀に則ったものであるのだが。

 床にうずくまった少年の周りで、床がぎしぎしと軋む。まるで取り残された少年を何か暗闇の中のものが探すかの様にだ。少年は床にうずくまったまま涙にえずく口を押えて少しでも気配を消そうとする。音だけの足音はちょっとした迂回を挟みながら、少しずつ、少しずつ、少年の方向に近づいて行く。まるで、どこかに向けて少年を追い立てるかの様で、少年は足元もおぼつかない暗闇を、立つ事も出来ずに静かにはって逃げようとする。

 少年にリードを引かれた犬は冴えた感覚で出口の方向が分かるのか、リードをぐいぐいと引いて少年に進むべき方向を示す。

 少年は時間をかけながらようやく出口近くにまで辿り着く。だが、その時突然少年と出口との間の空間に大きな音が響く。その音はまるで、暗闇の中にいるものが少年の事を見つけたかの様な音だった。そして、ずるりずるりとゆっくりと何かを引きずりながら、少年を屋敷から逃さぬ様に向かって来るかの様な音を立てて近づいて来る。

 少し、気が変わった。少年にはこのまま屋敷を一回りさせる事にした。

 理由は単純だ。少年の容姿が可愛らしかったからである。そんな少年が床にはいつくばって怯えて泣く姿は、ある種の歪んだ変態ならば勃起の伴う喜びを生起させるほどのものであり、私にはそんな趣味や嗜好はないが、カメラ映えする姿であるという点で価値の見出せる代物であったのだ。

 キレイなものほど、悪をくすぐるものはない。

 音だけで構成された姿の無い何かに追い立てられて、少年ははったまま二階への階段を登る。犬はそっちじゃないよと言うかの様に少年の持つリードに抗ってみせるが、そのうちに意思の疎通の取れない主人に仕方なさそうに付き従う。

 二階の廊下にたどり着いた少年と犬は身を隠す場所を探す様に、暗闇に付された盲目の中をはう。その姿はリードで繋がれた二匹の犬の様で、ただ立って歩くというだけではあるが、自立に伴う人の尊厳を奪われた姿は、見る者の加虐性に楽しみを与える姿であった。

 二階の一室に逃げ込んだ少年はクローゼットの中に逃げ込む。こうして身を隠して、少年を追う屋敷の幽霊をやり過ごそうとしているのだろう。主人を追い詰めようとする何かに苛立ちを覚えているのか、少し気が立った犬を大人しくさせる様に撫でながら、少年と犬は身を寄せ合って、暗闇にうごめく何かに負けない勇気を少しでも絞り出そうとする様だ。まあ、人を追い詰めればそういう場所に隠れるのは良くある事なので、クローゼットの内部にも暗視カメラはしっかり設置してはあるのだが。

 少しのインターバルである。暗視カメラに映る少年の姿を眺めながら、次はどの様な仕掛けをしようかと思案する。その内に、少年が外の様子を伺えるように、クローゼットの扉を少しだけ開いている事に気が付く。

 私は薪割り等に使う斧を手に取って、天井裏の隠し戸から少年の隠れる部屋に音も無く降りる。そして、私は手に持った斧をクローゼットの扉越しに見ているであろう少年の目に止まるように、ゆらりゆらりとゆっくりと振り子のように振る。その姿は、少年の目には夜間迷彩に身を隠した私は見えず、斧だけが独りでにふらりふらりと動いているかのように見える事だろう。そして、緩慢な動きから一転して、少年を察知したかのように斧の刃がぎらりと少年の方を向き、クローゼットの扉に斧が振り下ろされる。斧が振り下ろされた衝撃が伝って部屋の壁を軋ませ、木製のクローゼットの扉が少年に代わってその身を刃に裂かれて苦痛の声をあげるかのような音が部屋の中に発せられる。

 私は暗視カメラが捉える少年の姿を確認する。少年は犬を抱き寄せて身を硬くしていた、その姿に私は薄汚い喜びと満足を覚える。動物が心底恐怖した時、そんな時には身動きもとれなくなるものだ。縮こまって、体を硬くして、小さく、か細く、惨めに、惨めに。そんな反応を少年から引き出した上に、カメラに記録できた事で、私の悪趣味を楽しむ心には、悪しき満足が注がれ、暗闇の中で誰に咎められる事もない卑しい微笑みが口元に浮かんで来る。

 だが、そんな私の悪しき喜びをかき消すかのような鳴き声がする。少年が抱く犬の鳴き声だ。犬は扉の先に身を隠して下卑た笑みを浮かべる何かを鋭く察知したのか、怒りと闘志に満ちた鳴き声を発している。

 少し、遊びが過ぎた。私は素早く隠し戸の先に隠れる。

 犬は小柄な身体に反して、怒りで毛を逆立たせて、姿を見せない敵への闘争心を全身にたぎらせている。もし、心の支えを欲しがる少年に抱き留められていなければ、すぐにでもクローゼットの扉から飛び出して、すぐさま暗闇に身を隠した私に闇雲だろうと御構いなしに襲いかかってきたであろう。

 やはり、犬は厄介である。

 屋外からおーいと人を呼ぶ声がする。ヤンチャそうな少年と太鼓持ちのような少年だった。二人は我先にと逃げ出したものの、内気そうな少年を置いて来てしまった事に気が付いたのか引き返して来たのだろう。うつむいて泣きべそをかいていた内気そうな少年はその声を聞いたのか、はっとしたように顔を上げる。

 さて、屋内での危難の時において、助けが来たと思った人が取りがちな行動とは何だろうか。そう、窓に近づくだ。助けに来た相手と接触するためには当然で、合理的な行動ではあるのだが、だからこそ、性質たちの悪い幽霊にはそこを狙われるものである。

 クローゼットから抜け出して、二階の窓に近づいた少年は、外の風景も確認できないほどに汚れて曇った窓越しに、外の二人を呼ぼうとする。少年は恐怖心に息切れしながらも、外まで聞こえる声を出すために大きく息を吸い込む。

 その瞬間に、窓の外の外壁に偽装された足場に足をかけ、手すりになる突起物をつかんだ幽霊が、べったりと窓に覆いかぶさる。逃げ道になると思われた窓が突然黒い何かに覆い隠され、助けに来た二人との間を遮るかのように、悪意を持った黒い何かが少年の目の前にいっぱいに広がる。そして、ひっと息を飲んだ少年を捕まえて、どこか他界に引きずり込もうとするかのように、手を掲げて、それを力いっぱいに窓に振り下ろす。

 ばんと窓を叩く音と共に、気味の悪い黒い手の平が窓にべったりと張り付いて、それに遮られなければ少年がどのような目にあっていたかという想像を働かせさせるように、外側の窓のガラスの表面を削ぎ取らんばかりに黒い手の平を撫で付ける。

 もう一度、もう一度。希望を挫く瞬間をじっくりと味わうように、屋敷の幽霊は窓を叩く。少年は腰砕けに尻餅をついて、見つかってしまった以上もう隠れる必要も無いから、声を上げて泣き始める。下卑た悪意にすっかりと心を塗り潰された少年は、赤ん坊に還ったようにびぃびぃと泣いた。

 だが、そんな暗闇の中の下卑た喜びを焼き切ろうとする稲妻のように何かが動いた。

 犬だ。

 犬は少年が呆然するあまりリードを離してしまった一瞬を逃さぬように駆け出し、四本の脚で力強く床を蹴り小さな体をめい一杯に加速させて、屋敷の幽霊が外側に張り付いた窓に体当たりをした。渾身の反撃ではあったが、犬の小さな体では窓も割れず跳ね飛ばされてしまう。だが、衝撃と音と共に、窓ガラスにびしりと大きなひびを作った。

 それだけの事だ、それだけの事なのだけれど、窓の外にいた屋敷の幽霊は予想外の反撃に驚いてしまった。驚いて、足場を踏み外してしまった。

 ふわふわとして実感も覚悟もないままに、私は落ちて行き、後頭部を強く地面に打ち付けていた。

 暗闇の中に紛れながら、私は倒れていた。戻って来た少年二人が、泣いている内気そうな少年と犬を屋内から救い出し、屋敷を後にする姿がぼんやりとした視界の端に見える。少年たちは私に気が付く素振りもない。

 ああ、これで。これでこの屋敷は本物の幽霊屋敷になるのだなあ。

 そんな取り留めのない考えが浮かんだ私の意識は、死がもたらす無の暗闇の中に、やがて解きほぐれて消えた。

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