工業地区探索
黄色の魔法陣に乗って移動した先に広がっていたのは、噴水を囲む様に造られた、円形の広場。その周りにはまるで砦の城壁の如く建ち並ぶ店舗の数々。
その種類は豊富で、部屋に飾るインテリアから、所謂DIY用品。はたまた調理用器具や店舗用の看板に至るまで、様々な店舗が軒を連ねていた。
……にしても工業地域と聞いて鉄工所や鍛冶場などの工場が立ち並んでいると思っていたので、この様にカジュアルな所だなんて思いもしなかった。雰囲気としては浅草に似たものを感じる。
……まぁ、ファイスがよく買い物に来ていると聞いていたので、本当に鉄鋼所の様なのかと半信半疑な所もあったのだが。
広場から複数に分かれて伸びる真っ直ぐな道にも、同様に隙間ない程に店舗が建てられており、日本で言う小学生か幼稚園児程の大きさ子供から、作業着を着て買い出しに来ているだろう工場勤務と思われる人達や主婦の方々など、様々な種族、年齢、性別の人々が行き交っていた。
……一部スケルトンの方々を除いて。……だって骸骨だぞ! 性別なんて分かんねぇよ!
ともかくその賑やかな光景に何を考える訳でもないのに勝手に足が歩み始め、ゴロゴロとキャリーケースが鳴り出した。広場から伸びる道は5つに分かれているのだが、何を考える訳でもなく、本能の思うがままに島の中央である渡航管理局の建つ山へと向かって伸びる道へと進みだす。
広場を出て道へと入ると、一気に喧騒が増した感覚に襲われた。
ついつい人混みを気にせずにあたりを見回し、その珍しくも地球でも見かけるであろう日常的とも思える非日常に、新鮮さと親近感を覚える。
そこでふと1つのアクセサリーショップに目が止まる。その店は銀細工をメインとしている様で、まるで氷の様に白く輝くアクセサリーの数々がショーケースに飾られていた。ふらりと近付いて目線をショーケースへと固定したまま横にゆっくりと滑らせると、横で立ち止まって同じく眺めていた人とぶつかりそうになる。
「あ、すみません」
「いえ、大丈夫です」
咄嗟に謝ってその顔を見……えっ?
「ファイス?」
「コースケさん?」
そこには、昨日別れたばかりのファイスの姿があり、昨日の出来事がフラッシュバックする。その気まずいのは彼女も同じらしく、昨日の事を思い出したのか顔を仄かに赤面させて斜め下に俯きながら頬をポリポリと掻いている。
彼女は昨日とは違って年相応な格好をしており、膝辺りまである白いワンピースに黒のレギンス、そしてアウターとしてショート丈のスプリングコートを羽織っており、中が白色とあってかアウターの薄い茶色がよく映えている。
その首には淡い白色のマフラーが巻いてあり、まるで赤面を隠すかの様に彼女はマフラーを少し上へ引き上げた。
「……今日は休み?」
「……はい、有給休暇消化で、4日間休みを貰いました」
「そっか」
彼女に話し掛けるもどうも会話が続かない。……ってあぁ、そうだ。どうせ暇なら一緒に買い物に付き合って貰おうか。それでまたスイートキャロッツに宿泊して観光と洒落込もう。
本来であれば他の国へと観光に行きたかったのだが、他ならぬ自分の凡ミスにより身分証明証が無いのでどうしようもない。それに、ファイスであれば地元民しか知らない隠れた名所などを知っているだろう。
「まだこっちに来たばっかりで身分証明証がなくて他の国に行けないんだ。それで、もし良ければこの島の観光スポットを教えてほしいんだけど、大丈夫かな?」
彼女にそう頼むと、彼女は一度俺の顔を見て目を逸らした。
そして頬を赤らめつつ何やらゴニョゴニョと呟く。……また前回の様に聞こえないふりをしたかったが、今度は本当に聞こえなかったので、少し反応に遅れる。
……人間って思ってた事と違う事が返ってきた時ってちょっと固まるよね。
だが彼女はそんな反応を気にする事無く、赤面を残しつつ満面の笑みを浮かべた。
「それよりもコースケさんはこの後暇なんですよね? ちょっと買い物に付き合って欲しいんですけど、大丈夫ですか?」
彼女はズズイと効果音が付きそうな程に急接近してくる。
いきなりどうしたんだろうか? もしかして何か企んでるのかな? ……まぁ、暇なのは確かにあっているのだが、それを他人から言われるとなると、まるで"お前ニートなの?" と煽られている様な気分になってしまう。……歪んでないよ? 性格歪んでないよ? なぁ山村。
まぁ、ファイスに至ってはそんな事すら考えていないだろう。
「この後と言うか今日を含めて5日間暇なんだよ。買い物に付き合うのも勿論だけど、他に何かする事ってない? 明日からは何もする事が無くて、どうしようか迷ってたんだよ」
考えていた予定が何者でもない俺自身の所為で全部パーになってしまったので、その埋め合わせとなるプランを考えなければ、この連休を無駄に費やしてしまう事になってしまうのだ。
せっかくの連休なんだしそんな無駄な事はしたくない。どうせならアルバイトしてみても良いかも知れない。……異世界だから、確定申告やら何やらが必要なさそうだしな。
まぁ、アルバイトの話は追々で良いだろう。ここは日本、いや、地球ではない。
今までの柵に縛られない、自由への開放感に正直ワクワクしている。
すると彼女はフフッと短く笑いを零して「じゃあお願いします」と語尾に音符が付きそうな程に楽しそうな笑みを浮かべた。
「こっちです」
一転、彼女は踵を返して先導するかの様にトコトコと歩き出したので、それに置いてかれまいと歩みを早めて隣に並んだのだが、彼女はキャリーケースを握っている手とは反対側の腕にぎゅっと抱きつき、顔を覗き込む様に上目遣いをする。途端、昨日にも香った甘い匂いが鼻腔をくすぐり、一瞬にして昨日の事をフラッシュバックさせた。
顔が熱くなるのを感じて照れ隠しに顔を逸らしつつ「ホントに色んな店があるんだね」と話題も逸らしてみるも、隣を歩く彼女にはバレているのか、クスりと小さな笑い声が聞こえた。
「そうですね。……あ、日用雑貨なんかはどうですか?」
彼女は俺の手を引っ張る様に歩き出す。俺にもし仲の良い妹や後輩が居たとすればこんな感じなんだろうなぁ、と1人思い耽けるが、そんな事を彼女はつゆ知らず。楽しそうに目的の店へ向かって歩みを進めており、今にもスキップしそうな程にルンルンとしている。
内心仕方ないなと思いつつも、こんな時間がずっと続けば良いなと思っている自分が居た。
それからというものの、様々な所を練り歩いて買い物に付き合ったお陰で、まだお昼時だというのにクタクタに疲弊しきってしまった。前回と同じくレストランアクアの店内席にてだらりと背凭れに寄り掛かり、溜息交じりに疲れたなと声がぽろりと零れ落ちる。
店内はとてもクラシックな雰囲気で、木目調をベースとしたデザインを施されている為か何処か暖かな雰囲気を感じさせる。また、流れるオルゴールの音楽がゆったりとした空間を演出している。
「コースケさん、女の子の前でそういう風な事は言わない方が良いですよ」
ファイスはその言葉にプクリと頬を膨らませ、人差し指を目の前に掲げて抗議の声を上げた。だがその目元は笑っており、別段怒っている訳でもないのが見て取れた。そんな彼女の足元には手提げ紐のついた紙袋が4つあり、それぞれ午前中に買った品々が置かれていた。
暖房の効いた店内とあってか彼女はアウターを脱いで背凭れへと掛けている。中に纏っているワンピースは手首までを覆う長さで、袖口には黒色の生地によってレース加工が成されており、その為か彼女からは子供らしさを残しつつもどこか大人びている印象を受ける。
……しかし、若いって凄い。たった数年程の差なのに、この体力のキャパシティの差はとても大きく感じられる。
「善処するよ。……所で、ファイスちゃんの年齢って幾つなの?」
ふと気になったので彼女に尋ねると、彼女はマグカップに入ったコーヒーのブラックを一口含んで「今年で16歳になります」と答えた。
「コースケさんは幾つなんですか? 歳上なのは分かるんですけど……」
すると彼女は小首を傾げつつ質問を投げ掛けてきたので、「25歳だよ」と答えつつも同じくマグカップに入ったカフェモカを口へと運ぶ。途端にその柔らかなチョコレートの香りと甘みが香ばしいコーヒーの香りと相乗して混ざり合い、優しく柔らかな風味を楽しませてくれる。
因みに砂糖は入れているのだが、その際にファイスが「うわぁ……」と何やらドン引いていたのは内緒だ。……角砂糖7個ってそんなにおかしいかなぁ?
「25……だとしたら……かな?」
すると俺の年齢を聞いた彼女は顎に手を当てぶつくさ考え始めた。その表情は子供ながらに真剣でいて、されども年相応でもあり、何だか見ていると和やかな気持ちにさせてくれる。
「お待たせいたしました」
青いブラウスに黒いネクタイ、そして足首まである黒いロングスカートに身を包んだ、獣人族の女性が料理をテーブルへと置いた。彼女の頭には猫の耳が生えており、スカートには専用の穴が空いているのだろう、後ろでゆらゆらと尻尾が揺れていた。
運ばれてきた料理はチリソースの掛かった魚肉ソーセージのホットドックが2つとフライドポテトが付け合せとして付いており、ソーセージの中には唐辛子が練り込んであるのか、赤い粒が所々に顔をのぞかせていた。
そして彼女に提供された皿には厚めのふわふわと柔らかそうなパンケーキにワッフル。そして丸く整えられたバニラとチョコのアイスクリームが端にちょこんと添えられている料理が提供されていた。
掛けられたソースは色から察するに蜂蜜の様で、個別に小さなガラス製のポットに入れられてテーブルに届けられていた。
彼女が蜂蜜のカップを持ってパンケーキとワッフルにとろりとしたそれを掛けてゆく。その琥珀色に輝く様に滴り落ちるそれは、パンケーキやワッフルに甘い光沢を与えてゆく。
フォークとナイフを持って一口サイズに切ったパンケーキを口に運ぶと、まるで噛みしめているかの樣な、細やかでいて幸せそうな笑みが表情に浮かんだ。
じっと見つめていた事がバレたのか、照れ隠しだろうかジトっとした目付きになり、ぽそぽそと恥ずかしげに「……どうしたんですか?」と、まるで見るなと言わんばかりに問い質してくる。その可愛げな反応に思わず笑みが溢れつつも、「なんでもない」と笑い混じりに言葉を返してホットドッグに齧り付いた。
料理の注文した際に何故魚肉ソーセージが使われているのかを聞いた所、土地柄か菜食主義者が多いこともあってか、肉を使わない料理が多いのだとか。
ただ肉を使わない料理が多いと言うだけで全く存在しないという訳ではない。その最たる例が前回も宿泊しているスイートキャロッツだと言う。
また予約を入れてチェックインした際にはフロントにて肉メインか魚メイン、もしくは野菜のみのメニューとを選べるらしい。因みに自分の場合は飛び入りで予約無しだったので、必然的にオーバーポーションで作らざるを得ない鍋料理であるビーフシチューになってしまったらしい。
まぁ、それ以前に予約を入れずに宿泊する時点であまりいい客と言えないと思うので、夕飯が出る時点で良い待遇だと言えるだろう。
「あ、そう言えば今日ってホテルに空きはあったりする?」
宿泊先を探して決めようと思っていたが、ファイスと会ったのでついでに聞いてみると、彼女はフォークを咥えつつ思い出すかの様に上を仰ぎ見る。
「ん~、今日、というより今週はちょっと難しいかも知れないです」
幾許か考えて少し言いにくそうに答えたのだが、やっぱりあのホテルって人気なのだろうか?
「もうそろそろ春祭りの時期なので、その影響で各地から観光客が来るんです」
彼女は苦笑いを浮かべてパンケーキを食べつつポツポツと語りだした。
この島は戦争……戦争? いや、戦争という名のインフラ事業を十数年に渡って行っていたのだが、その際に毎日の様に宴会を行っており、色々と口実を付けて行っていたのだ。
その中でも四季の変わり目には島民総出で大規模な宴会を行い、四季の喜びや安全、夏バテなどの病に掛からない様に祈っていたという。その風習が現在でも残り、四季の季節の変わり目には島全体で祭りを行っている。春には一年の始まりを、夏には健康を、秋には豊穣を、冬には安全をそれぞれ祈って開催されるようだ。
「春祭りか……それっていつ開催?」
時期が近いのであればその祭りを見てゆくのも良い。彼女は「えっと……」と考え込んだが、すぐに答えが出たのかまっすぐにこちらを見てくる。
「3日後ですね。春の月に入った初日から3日後まで行われます」
「春の月?」
その彼女から発せられた聞き慣れない言葉に思わずオウム返しをしてしまう。
どうやらこの世界は1年を大きく4つに分けており、春の月、夏の月、秋の月、冬の月とあるそうだ。
1つの月が90日あり、6年に一度、間の月というものを春と冬の間に30日間挟んで調整を行っているらしい。日本で言うと閏年が6年に一度あり、それが1ヶ月間続くらしい。ではその間の月に生まれたどうするのかと言うと、春の月の初日が誕生日となるらしい。
なので、日本の様に誕生日が4年に一度だけという事は無いようだ。
「3日後か……」
となると初日だけの参加になるかな? 流石に連日で参加して門限過ぎましたとなったら笑えないし、連休明け遅刻はまずい。少しばかり名残惜しいが、最終日はさっさと地球に帰って体力の回復に充てるとしよう。
「では……」
俺がそんな事を考えつつホットドックを頬張っていると、彼女がまるで意を決したかの樣にパンケーキを飲み込んで一呼吸置く。
「お祭り、一緒に行きませんか?」
その赤く染まった顔から放たれた言葉はとても可愛らしい願いであった。それに関しては嫌ではない。寧ろ嬉しいのだが、問題なのは……。
「それは良いんだけど、そうなると明日明後日の予定どうするか……」
そう。明日明後日の予定をどうするのかが未だに未定なのだ。尤も、宿泊する場所も決まってないというのが一番怖い所なのだが。
かと言って一度家に帰るのも面倒だし、帰った所でやる事もない。だったらここで自堕落な生活を送っていた方がまだマシに思える。……けどそれはそれで苦痛だなぁ。何せやる事すらも決まってないし。
「うん、取り敢えず3日後はよろしくね。……所でこの後スイートキャロッツに行っても良いかな?」
彼女にそう尋ねると笑みを浮かべて「はい、分かりました。よろしくお願いします」と答える。
丁度そこで互いに食べ終わり、少し食休みを挟み――――。
「さて、それでしたら早速行きましょうか」
腹の具合が落ち着くまで休もうとしたのだが、それを彼女は許してくれない樣だ。
突然立ち上がり、俺の手を取ってそのまま手を引いて店を出ようとするが、咄嗟に「ちょっと待って」と彼女を引き止めた。
「どうしたんですか? もしかし――」
「いや……」
彼女は悲しそうな表情を浮かべる。……何を考えているのかわからないけど、多分違う。
「まだ、会計してない」
「あっ……」
そう。まだ会計を済ませてないのだ。無銭飲食は駄目でしょ。……しかも今「あっ」って言ったよね? 素で忘れてたの? ……おっ? ぽかんと口開けたまま顔が赤くなってきたぞ? ねぇ今どんな気持ち? ねぇねぇ!? 今どんな気持ち!?
……いやー、多分この煽りをファイスにやったらヤバいことになるな。具体的に言うと蔑んだ目を向けられるか、ガチ泣きされるか、だから、やるとしたらマリア一択だなー。……それもそれでどうかとは思うけど。
「取り敢えず会計しちゃうね」
思わぬ出来事によって固まった彼女の手を握りつつ、テーブルに置かれたオーダーシートを手に取って会計へと向かう。彼女は気恥ずかしさからか一言も喋らずに俯いたままになっており、また恥ずかしさで混乱しているんだなと思いつつそのまま会計を済ませて店を出た。値段は結構リーズナブルで2人分で13ペイス。日本円で大体1300円程と、観光地価格だったとしても安価である。
支払いを済ませて広場に出て辺りを見回すと、昨日よりも増えているだろう人々を見て、店内で彼女から聞いた春祭りの話を思い出す。確かによく見ると祭りの設営に必要な木材の運搬が行われており、その賑やかな雰囲気を漂わせている。
ここは先程まで居た東の工業地区ではなく南に位置する商業地区で、噴水のある大通りから1本横に逸れた道を歩いている所。少しそのまま歩くとスイートキャロッツの目の前の十字路が見えるのだが、まだ遠いのか見覚えのある場所は見えない。
そのまま手を引いて混雑の中を掻き分ける様に突き進んでいるのだが、予想以上に人の数が多くて思う様に動けていない。ふと進む方に目をやると人の途切れるタイミングがポッと見えたのだが、その後にまた大きな人混みがこちらへと向かってくるのが見えてしまう。
端に避けなければ巻き込まれてもみくちゃにされてしまうと思い、そのまま彼女を道の端へと引き連れて肩を抱いて出来る限り端へと避けた。それくらいしなければ団体の人混みに流されてしまうので、この場合は致し方ないだろう。
「えっ、あの……」
「ちょっと我慢して。人が途切れたら歩くから」
彼女が腕の中で抗議の声を上げるが、致し方ない。
はぐれて探している間に満室になりました……なんて事になったら目も当てられないので、それだけは勘弁したいのだ。
まぁ、別にスイートキャロッツに必ず宿泊しなければならないのかと聞かれたら別にそうではないのだが、やはり勝手を知っているのといないのとでは安心感が違う。
ふと彼女の様子が気になって下に目線を落下ろすのだが、ジャケットをぎゅっと握りしめ、その顔色こそは伺えないものの、普段であればピンと真っ直ぐに伸びている筈の耳がへにゃりと垂れ下がっていて俺の首に凭れ掛かっていた。
その庇護欲を掻き立てられる光景に、つい彼女の頭に手を置いて撫でてしまう。その柔らかでいてサラサラな感触が手に伝わると共に彼女がビクリと震えたが、その後は成されるがままになる。
彼女は震える声で「あ、あの、その……」と呟く様に言いつつ見上げたのだが、その顔色はまるで熟れた林檎の如くに真っ赤に染まり、浮かべている表情は困り果てていた。
「は、恥ずかしい……です」
その微かに震える声に一瞬どきりと心音が跳ね上がる。だがそれを感じたのも束の間で、団体が過ぎ去ってぽかんと空いた通りが目の前に広がった。
それを確認して「じゃあ、行こうか」と彼女を見る事なく頭を軽く撫でつつ歩き出すも、どこか寂しさを感じてしまい、ふと、握りしめていた手を離していた事を思い出す。彼女はしっかりと着いて来ているのかと確認する為に後ろを振り向くと、上の空になりつつあった彼女と目が合った。すると彼女が一瞬目を見開くものの、途端に俯いて恥ずかしそうにとことこと近付いてくる。
「い、行きましょう……」
近付いてきた彼女はぎこちなく呟きつつ俺を追い越し、先を歩き始めた。そんな彼女の後を追いつつ、後ろから見えるその項が真っ赤に染まっているのが見え、その初々しさが心を和やかにさせてくれる。そんな健気に気丈なふりをする彼女にイタズラしたくなり、少し前を歩く彼女に駆け寄って頭をくしゃくしゃと乱雑に撫で回す。
「よっし、屋台で何か甘いもの食べようか」
そう言って彼女の顔を覗き込むと、一瞬驚きつつ顔を更に赤く上気させていたが、すぐさま仕方ないなと言った感じに微笑みつつ、ため息交じりに「しょうがないですねぇ」と呟く樣に答えた。
次に彼女は俺の袖を掴み、「こっちです」と言って楽しそうに歩き出した。
……その後、どちらも満腹をオーバーする程に食べ歩きをした為、苦しい思いをしながらも共にスイートキャロッツへと辿り着いた。
「苦しい……食べ過ぎた……」
「だから、二軒目で止めましょうって、言ったじゃないですか……」
あれから甘味だけではなく軽いジャンクフードなども合わせて食べていたのだが、如何せん、理想の量と実際の量のギャップを考えずに購入してしまった為か、予想以上の物量となってしまったのだ。かと言って捨てる訳にもいかないので頑張って何とか完食したのだが、互いに満足を超えた先の不満足を味わいながらホテルへと辿り着いたのだ。
満腹を超えて半ば吐きそうな気持ちになりつつホテルのドアを開けると、そこにはスーツ姿でこちらに背を向けているマリアの姿があり、何やら宿泊客に説明をしているのだが、その姿に何やら違和感を感じる。
「んー……?」
そんな彼女を見て何かを考えていると、隣に立っているファイスが何やら不思議な面持ちで「どうしたんですか?」と顔を覗き込んで尋ねてくる。
「いや、何か違和感がするなぁって」
目の前の彼女は正に"凛"という言葉がピッタリな程の佇みを見せ、その声色もいつもよりも低く落ち着いている。所作もキビキビと活発なものではなくゆったりとしていて、落ち着いたものになっていた。
……あぁ、違和感の原因はそれか。
「……あれって、マリア……で良いんだよな?」
隣のファイスに顔を近づけてボソボソと小声で尋ねる。……いや、小声である必要は無いんだけどね。
……すると彼女もノリがよくて結構イケるクチなのか、同じく俺に顔を寄せて小声で話しかけてくる。
「普段はあんな無邪気なマリア姉さんですけど、仕事となると別人かと思う程に凛々しくなるんですよ」
彼女のその言葉を聞きつつマリアを見ていると、近くにいる従業員に凛々しく指示を出しながらも自分自身も宿泊客の対応をしていたり他の業務のカバーに入ったりと、本当にこの前会ったマリア本人なのかどうかを疑わしく思ってしまう。
すると俺の視線に気付いたのかマリアが凛々しい面持ちのままこちらを振り向いた。瞬間、その凛々しい表情はまるで落石の様にガラリと崩れ落ち、昨日の朝に見た時と同じ無邪気で快活な笑顔が出迎えてくれる。
「おーコースケー!」
彼女はそう言いつつカツカツと革靴を響かせながらこちらへと近寄ってくるのだが、ちょっとだけ待って欲しい。……本当にあのマリア? さっきの凛とした態度は何? 二重人格なの?
「マリア姉さんは仕事になるとあんな感じになるんです。他の従業員の方も最初はあの変わり様に驚くんですよ」
先程のノリのまま、ファイスが耳打ちする形でボソリと教えてくれるのだが、ちょっと、その……なんだ? その柔らかい高めの声と、音の振動が何とも耳を擽ってこそばゆい。
「……もしかして二重人格?」
「いや、違います。そうじゃありません。スイッチがオンになった時の差が激しいんです」
無いとは思ったのだが、その可能性を一応彼女に提示してみるものの、結構な真顔で返答されてしまう。
そんな事を彼女と話していると、近くに来たマリアが俺とファイスの頭をガシッと鷲掴みにした。
「何・を・話・し・て・る・の・か・な・?」
頭を鷲掴みにした彼女の顔はにこやかなそれであったが、何よりも目が笑ってない。ってか何気に握力強いんだね。ちょっと圧迫感が強いよ? いや、ちょっと痛い。
「私の事を二重人格だとか言う声が聞こえたんだけど?」
いや、だって、ねぇ? この変わり様は正直誰でもびっくりするでしょ。
「いや、凄い落差と言うか、何というか。……凛として格好いいなって思っただけだよ」
苦し紛れに近い言い訳を即興で思いつき、条件反射の如き早業で口から吐き出した。……言い訳とは言ったものの、格好いいと思ったのは本心で、そこに関しては偽りはない。
彼女はその言葉に渋々としつつ両手を頭から離し、腰に手をついてやれやれと言った感じにため息を付いた。
「……どうせ私は可愛くないですよーだ」
大丈夫? 情緒不安定なのかな? 怒ったかなって思ったらすぐに拗ねた。……どうしよう。ニトログリセリンの取り扱いは専門外なんだけど……。
「そうは言ってないだろ。ただ可愛い時と格好いい時の2つがあるって良いなって思っただけだって」
これは思った事をそのまま告げただけなのだが、その言葉にマリアはふいっと顔を背けて口元を手で覆って隠した。
その表情は仄かに赤みを帯びており、何やら恥ずかしそうにしている様に思えた。
「ねぇファイス。もしかしてコースケって……」
マリアはそう言うと、ファイスは肯定するかの様に横でこくりと頷く。……えっ、何?
「コースケって……女誑し……いや、人誑しだよね……」
何か謂われのない誤解を受けている気がするのだが、俺にはそんなスキルはない。何度も言うが普通の特徴のない村人Aだ。
……確かこっちの人間ってあんまり容姿とかを褒めないんだっけか……。だからとは言え、ちょいと迂闊に言えないのは結構不便だなぁ……。元々トークスキルがある訳でもないので、その中の1つを削られると考えるととても痛い。
コミュ障ってこう言う時辛いよね。
「まぁ、そんな事よりも。……今日って部屋とか空いてたりする? 4連泊したいんだけど、出来るかな?」
ここでウダウダしていても何も始まらないので、話題逸しがてら今日の宿泊状況を聞いてみる。確認するために一度カウンターの方へ向かうと思っていたのだが、彼女はその場で「ちょっと待ってね~……」と呟いてこめかみ辺りをトントンと指で叩きつつ、目を閉じて考える。
「えっと……。今日は2号棟の410号室が空きで、明日は出て入って変動なし、それで明後日は2人入って3人抜けて……」
すると彼女は淡々と今後の予定を話し出し、今日から一週間の予定をスラスラと語り出した。
「……って事で、必ず1部屋は空いてるから連泊でも大丈夫だよ!」
そう説明を終えた彼女の顔は清々しいまでの満面の笑みで、自慢気に語っている訳ではない事を物語っていた。そして部屋が空いているのは分かったのだが、同時に俺の口も開いたまま塞がらなくなった。
「……一週間のスケジュール覚えてるとか凄すぎだろ……」
彼女はただ通しで空いているか空いていないかを把握するのではなく、全ての部屋の出入りを把握しており、どの宿泊客がどの夕飯メニューを選択したかまでも覚えていた。また1日目から最終日までの間の選択できるディナーの種類まで把握しているのもまた凄い所だ。
「マリア姉さんはさっき見た通り、仕事の事になると途端に人が変わったみたいになるんです」
その光景に唖然としていた所、ファイスが先程のノリをまだ引き摺っていたのか、肩に手を置いて耳元で囁くように説明してくれる。……いや、その、こそばゆい。
「……なに人前でイチャついてんの?」
それを間近で見ていた彼女が苛立ちを隠さずにそう責め立ててくる。先程までの満面の笑みは何処へやら。……一転して浮かび上がるのは、寒気すら感じる程の冷徹な眼差し。残念ながらこの視線に興奮出来るような性癖は持ち合わせていないので、素直に危機感を感じている。
「いや、イチャついてないんだけど……」
何だか目の前に立ちはだかっているマリア殿は何か勘違いをしていらっしゃる様だ。俺としてはファイスを妹の様に慕って……あれ? ファイス? 何で顔赤いの?