生産地区探索
「あ、ありがとうございます……」
彼女はそのまま成されるがままだったのだが、咀嚼しながらも段々と恥ずかしさが込み上げてきたのか徐々に頬が赤らんでゆく。
またそれに合わせて彼女の視線も次第に落ちてゆき、遂には手元の付け合せだけが乗っている皿へと落ち着いた。
その後もゆっくりと時間が過ぎ去り、食べ終えて少しの食休みを挟んだ後に移動を始める。
食べた料理はとても美味しく、あのでかいアサリも大味かと思いきや、旨味ぎっしりで歯ごたえもあり、とても満足の行く食事だった。……しかもそのアサリらしき貝が思ったよりも腹具合に打撃を与えており、少々苦しく感じる。
麺類だから全然いけるという完璧な理論が木っ端微塵に論破された瞬間だった。
「……大丈夫ですか?」
それを察してかファイスが俺の顔を不安げに覗き込むが、ちょっと意地を張りつつ「大丈夫大丈夫」と少し無理をし、移動用の魔法陣のある広場の噴水まで歩く。
彼女曰く、この先は同じ風景が続くので、ここらへんで他の地区に行った方が良いとの事。
「次は何処に行くの?」
そう尋ねつつ噴水の縁に座ると、すぐ隣に彼女が座って「そうですね……」と顎に手を当てて考える。
「工業地区はアクセサリー位しか見所無いですし……。生産地区に行きましょうか。あそこは市場や漁港などがあるので」
彼女はそう言った後に「よっ」と呟いて噴水の縁から腰を上げ、お尻をぱっぱと手で払いながら「こちらです」と微笑みながら俺から遠ざかるように緑色の魔法陣へと向かう。
俺も幾分か楽になった腹を持ち上げる樣に腰を上げ彼女の元へと向かい、彼女とほぼ同じタイミングで魔法陣へと立ち入った。
すると少しのラグを挟んで目の前の景色が一変した。目の前に広がるのは見渡す限りの木々と緑。どれも果実の木の樣で、背の高いものから低いものまで、色々なものが目に入る。その木々の様子も様々で、果実がたわわに実っている木からまだ幼稚園児程の大きの小さいもの。はたまたまだ完熟する前のものまで、様々な木々が軒を連ねていた。
その種類分けされた木々の境を縫う様に幾つかの石畳の道が伸び、途中途中に店舗兼家屋と思われる建物佇んでいる。
佇む家も商業地区居住区とは違い、古くからの景観を大事にしているのだろう、様々な形、色の家が木々の間にぽつんと建っている。多分だが、その家の主がその区画一帯の管理者なのだろう。……何処から何処までが区画なのかは分からないのだが。
移動用の魔法陣のある広場に関してはどこも造りを統一しているらしく、噴水の中央にはシンプルなドレスを纏った、腰程の長さの髪を持った美形の女性を象った彫刻が立っていた。
ファイス曰くこの女性こそがこの地区を発展させたアリアンヌと言う女性らしい。
「ここはその名の通り果実の生産や漁業に盛んな地域で、ここから海に向かって歩くと漁港があります」
彼女はそう言いつつ、噴水の彫刻が向いている真正面に伸びる道を指差した。
彼女の指し示した道だけは真っ直ぐに伸びており、その両サイドにはまるで木々が崖の樣に聳え立って並んでいる。隙間の向こうに見えるは青く輝く海。その広大な青には、漁船や交易船だろう、様々な形状の船がジオラマのミニチュアの如く移動していた。
この土地を行き交う人々はあまり多くなく、居たとしても昔ながらな馬車と馬を使って大量の積荷を運んでいる者だけ。その大きな荷台の隙間からは瑞々しいオレンジやレモンなどの様々な果実が顔を覗かせている。
「では港に行きましょうか」
彼女が俺の顔を一瞥しつつトコトコと歩き出したのでその後をついて行くのだが、やはり観光する場所ではないという事もあってか人が殆どおらず、木々が多い事もあってか妙に気が落ち着く。
「この家は区画の管理者の住居と店舗を兼ね備えていて、中では新鮮な果実を使った自家製のジャムなどを販売しているんですよ」
道を歩きつつ他愛もない事を話していると、彼女が木々に囲まれた家を指差した。果実を売っているのかな?
ジャムはちょっと欲しいかも知れない。「時間があればだけど、ちょっと寄ってみてもいいかな?」と彼女に頼むと、ニコリと笑って「いいですよ」と答えて店へと向かって歩き出す。「因みに」と彼女は後に続けつつ店のドアを開けた。
「ホテルのモーニングに使っているジャムは、このお店から買っているんですよ」
ドアを開けた途端、軽快なドアベルの音が鳴り響き、中から「いらっしゃい」と言うおばあさんの嗄れた声が聞こえた。
「こんにちは"トリエント"さん」
一足先に店内へと入ったファイスが挨拶をすると、中から普通のおばあさんと思われる女性が出てきた。……一見すると普通、だが。
その外見の作りはまるで人間そっくりなのだが、その容姿は全て木で出来ており、トレント……っていうんだっけか、それだと思われる彼女が目の前に出てきた。服は人間のものを使用しているが、髪は青々とした葉が髪の代わりとして頭を覆っている。
「おやおや、クラブルのとこのファイスじゃないか……。大っきくなったねぇ……」
トリエントさんは人差し指と親指で「この前はこの位だったのにねぇ……」と冗談か本気かわからないことを言う。
「……もう、おばあちゃん。先日来たばっかりでしょ……もう」
やはり冗談だったのか、ファイスが苦笑いを浮かべて溜息交じりにそう答えると、トリエントさんはカッカッカと愉快そうに笑いを零した。
「そんなのよぉく覚えてるよ。私らトレントは長寿でボケないって事を忘れたのかい?」
彼女はその皺を更に深く刻み込み、まるでファイスを誂う様に言ってのける。するとファイスは「ほんとに……もう」と呆れた樣な、嬉しい樣な笑みを浮かべた。
「所でこの男はなんだい? 嬢ちゃんのコレかい?」
次いで彼女は俺を一瞥した後、ファイスに視線を向けて親指をビシッと立てた。ちょっとばあちゃん……。ファンキーすぎない? 彼女は知っての通り純粋で無垢な性格。そんな冗談を笑って返せる訳はなく……。
「かっ……ちが、まだ……」
熱暴走でも起こしたのかと思う程に顔を赤らめて言葉を詰まらせた。その表情はと言うと、目を見開いてまるで餌を強請る金魚の様に口をパクパクさせている。
「……"まだ?" 凄いね兄ちゃん、こんな可愛い子の心を射止めるなんてねぇ……」
トリエントさんがそう言いつつこちらへと向き直って悪そうな笑みを顔面一杯に咲かせた。やっぱこのばあちゃんファンキーだわ。日本にはまず居なさそうなパターンのばあちゃんだ。
「昨日会ったばっかでそうなる訳無いでしょ、ばあちゃん。それよりもそろそろ勘弁したげてよ。この後も案内を頼まなきゃならんから」
そう。いつまでもここに居座って喋り込む訳にはいかないのだ。
最悪でも今日の夕方迄には渡航管理局から日本に戻らなければならないのだ。……まぁ、連泊でも構わないと言えば構わないのだが、資金的に少し怪しいので一度帰国して我らが唯一神である諭吉殿を大量に召喚せねば……。
「おやそうだったのかい、すまないねぇ」
ばあちゃん、もといトリエントさんは悪びれる様子もなく笑いながら謝る。
そのまるで悪ガキの樣に楽しそうな笑みを尻目に店内を見回すと、様々な種類のジャムが透明な瓶に詰められて店頭に並んでいる。
林檎、オレンジ、檸檬、ブルーベリーなどなど……。
確かに、ホテルのレストランに卸すには丁度いいバラエティの多さかも知れない。……そう思ってふと林檎のジャムを手に取った所、どうやら果肉だけではなく皮もジャムに使用している様で、所々鮮やかな赤色が混じっている。
「ばあちゃん、コレ欲しいんだけど、地球に持って行けるかな?」
最近果物を食べてないなと思ってばあちゃんにそう尋ねると、彼女は目を見開き「あんた地球人だったのかい」と驚いた様子を見せた。
「まぁ、何者だろうが何だろうがどうでもいいんだけどね」
「いいんかい」
だがその驚いた様子も束の間の事で、トリエントさんはニッコリと笑った。
「人間であることには変わりないだろう? ……あと、ラベルは簡単に剥がせるから、出国時にラベル見せて安全なのを確認してその場で剥がせば問題ないよ」
「わかった。……ったく、ホントに面白いばあちゃんだよ、全く……ファイスもそう――ファイス?」
「そう思うよな?」と隣に立っていた彼女に話を振ろうとしたが、そこには未だに顔を赤くして俯き、ブツブツと何かを呟いているその姿があった。
……取り敢えず放っておこう。
「……んじゃばあちゃん、コレ頂戴な」
俺はそう言いつつも値札に書かれた4ペイスを彼女に手渡す。細かい端数については昨日のバーの会計の際に入手していたので、わざわざ大きい数字を出すまでもない。
因みに通貨の種類としては、紙媒体が1000、500、100ペイスの3種類、硬貨が10、1ペイスの2種類となっている様で、まだ全ての貨幣を見た訳ではないので少々楽しみではある。
「あいよ、確かに丁度もらったよ。包装はどうする? 要るかい?」
彼女は1ペイス硬貨を4枚受け取りつつ、俺の持っている瓶を指差した。ジャムの瓶は大体350ミリリットルのペットボトルと同じ大きさで、アウターのポケットにギリギリ入る大きさ。瓶を入れたポケットがボコッと膨れ上がってあまり気持ちの良いものではないが、抜き身の状態で手で持つよりは大分楽だろう。
「いや良いよ、ありがとう。また来るよ。……ほら、行くよ」
彼女に礼を言いつつファイスの手を取って店のドアを押し、ドアベルをカランカランと響かせながら出ると、「あんたらの子供の顔を早く拝ませな」という、幾つもの段階をすっ飛ばすどころか、段階の概念すらもぶっ壊す言葉を投げ掛けられる。
……やっぱあのばあちゃんやべぇわ。
その後、店を出てそのまま港方面にひた歩き3分程度。先程から固まってしまっていたファイスの握っている手の力がキュッと少しばかり強くなる。
どうしたのかと思って彼女の方を振り返ったのだが、彼女は口を一文字に口を結んだまま、握っていない手で口元を隠しつつ顔を逸らしている。
その外方向いている様に見える彼女の表情は林檎の如く赤く染まっており、先程までピンと立っていた兎耳も何処へやら。今や見る影もない程にへにょりと前向きに私頽れて垂れ下がっていた。
そんな彼女はぽしょりと「は、恥ずかしい、です……」と少しばかり震える声で小さく抗議の声を上げた。
今改めて考えてみると彼女も年頃の女の子。気軽に異性に手を繋がれる事が恥ずかしいのだろう。その事を完全に失念していたことに気付いて咄嗟に手を離してしまう。
彼女に「その、ごめん……」と咄嗟に謝るも、互いの間に流れるのは何とも言えない、何処か甘酸っぱくも少しばかり重い沈黙。
「い、行きましょうか……」
「……そうだね、お願い」
そんな気まずい雰囲気のまま道のりを歩く。……それにしても、会話がないからこそ際立つこの長閑さ。様々な種類の小鳥の囀りに、清々しい木々の匂いに混じる果実の仄かな香り。そして3月にしては温かい風に穏やかな日差し。喧騒が一切耳に入らないこの状況。
……何か今起きた事がどうでも良くなってきた。
「長閑だねぇ……」
「ですねぇ……」
ふと呟くと、いつの間にやらパニック状態から抜け出して普段通りになったであろうファイスがそう答える。その表情には先程までの気恥ずかしさは見受けられず、垂れていた耳もピンと元気に上を向いている。
そのまま木々によって出来た渓谷の間を歩き続けると、左右に聳え立っていた木々が終わりを告げ、カイヤナイトの様に深く落ち着いた青い海が眼前一面に広がった。
広大に広がる海原の前にはまるで雪の如く純白な砂浜が左右に広がっており、とても爽やかな光景が目に飛び込んだ。広がる砂浜の向かって右奥の離れた場所には大きな船舶が数隻程停泊しており、これから陸に上がる者や船に乗り込む者達でごった返している。
遠目で見ると大小様々な木箱を運搬しており、搬出された積荷はそのまま建物の中へと次々搬入されている。
そして反対側の左を見ると、地球上でもよく見る様々な漁船が港に停泊しており、漁から帰ってきたばかりであろう船舶が海洋上にも停泊していた。だがここから見ても明らかに渋滞しているのが見え、あれでどの位海上で待機するんだろうかと素朴な疑問が湧き出た。
するとファイスが俺の前に立って左右に各々手を伸ばす。
「ここが生産地区の漁港になります。コースケさんから見て向かって右側が貿易港、左側が漁港となっています。貿易港のすぐ近くには検査場があり、違法な物や危険な物が出入りしないかを監視しています。検査を終えた品物は工業地区と商業地区を結ぶ魔法陣に乗り、2つの地域に送り届けられます。もう一方で漁港には巨大な市場があり、商業地区の露天に卸されるものとレストランに卸されるものに分けられ、その場で問屋さんや個人店の店主が仕入れを行います」
日本基準での話になるけども、築地市場みたいなものなのかな? まぁ、日本とは違って遠い場所まで運ぶ必要がない上に魔法陣もあるので、常に鮮度の高い物が市場には並んでいる。
ぶっちゃけ日本でも港町以外の場所の魚介類ってあまり鮮度が良くない所があるよね。
特にイカ。一度北海道の田舎で捕れたてのイカ食べた事あるけど、ありゃ別物だわ。マジで美味い。ヤリイカではなくスルメイカだって言うのもあるだろうけど、北海道かどうかに関わらず、港町の魚介類は本当に反則レベル。
「本日はどうしますか? 貿易港と漁港、どちらも回りますか? それとも片方にします?」
彼女は左右に伸ばした手をゆらゆらと上下に揺らしながら俺に尋ねてくるのだが、その、やばいくらいに可愛い。……とは言えどうしようか。ぶっちゃけると貿易港ってあんま見所ないようにも思えるんだよなぁ……。すぐに検査場に入っちゃうし……。
「……じゃあ、漁港だけにしようかな? また興味が出たら来ればいいし」
漁港にはこの国原産の物が並ぶため見所も多いだろう。他国の物が見れるという件については、ある程度慣れたらそれぞれの領地に旅行に行くつもりだからその際に見ればいい。
取り敢えず今は時間の関係も考えて、手軽に見れる漁港の方に行くのが良いだろう。それでも色々目移りして時間を浪費してしまうかも知れないけれど。
「じゃあ本日は漁港に行きましょう! 着いてきて下さい」
彼女も楽しみなのだろうか、満面の笑みを浮かべて歩き出す。その後ろ姿は見るからに浮かれており、今にもスキップしそうな雰囲気ではある。その昨日の落ち着いた印象とは違って年相応の幼い部分が現れた所を見ると、これが普段の姿なのだろうと感慨深く耽ってしまう。逆を言えば、勤務中にもあの活発な雰囲気なマリアが幼いままの感性なのだろうと考えてしまう。
浮かれている彼女の横に追い付くとこの地域について話を聞く事が出来た。
曰くこの漁港も戦争中に改装された部分の1つであり、元はだだっ広い砂浜だったのをもったいなく思ったアリアンヌが改装を提案。だが漁港と交易港を1箇所に集約させると混雑する事が予想されたため、砂浜の両端をそれぞれの港とする事で、入港及び出港する際の混雑を回避したそうな。
その方法により貿易港の方は混雑が解消されたものの、漁港だけは出港と入港の時間が流通の関係上からほぼ同じとなり、どうしても混雑が発生してしまう様だ。どの位かと言うと日の出から今の昼辺りまでは混雑が発生してしまうそうだ。
因みに船舶の停泊場所はこことは別にあり、漁港の奥と貿易港の奥にそれぞれ専用の停泊所があるそうだ。
ここには主に人魚や半魚人など水辺に住む者がメインとなって働いており、漁の手助けや釣り糸や投げ網などでは捕れない巨大な魚類などを担当しているらしい。だがそれだけではなく、他種族も船に乗り込んで、搬入、搬出、船上での作業も行っているそうな。
彼らが住んでいる所も比較的近く、ここから少し沖に出た所にある孤島が住処となっていて、船が沈没や座礁した際も彼らが出向き、救助を行うそうだ。
その関係もあってか、この協定島に入港する船舶は全て魔法による水力推進型が採用されており、スクリューなどの回転物が付いた船は入港禁止、若しくは領海に入った際にスクリューを停止し、昔ながらの風力か魔法による推進をしなければならないらしい。
その為か海辺での事故や怪我が激減し、世界一安全な港町と噂される様になったそうだ。
「さて、ここが市場です」
そんな彼女の生音声ガイドを聞きつつ歩いていると、先程まで遠くにあった漁港がいつの間にか目と鼻の先に近付いていた。
「やけに楽しそうだけど、どうしたの?」
先程からテンション高めな彼女が何に気を惹かれているのかが気になったのでふと尋ねると、恥ずかしそうに苦笑いを浮かべた。
「……いや、その、私もここには来た事が無いので、つい……」
確かに来た事がなければそうなるか。でも……。
「来た事がないなんて珍しいね。こっちに来たばっかりの自分が言うのも難だけど」
今日の様に休暇がある日はある筈だし、行けない理由が何かあるのだろうか……。
「……その、人混みが苦手で酔ってしまうんです……誰かと一緒であれば顔を見つつ話が出来るのであまり気にはならないのですが……」
あー、それは分かる。段々と周りにイライラしてきて嫌になるんだよねー。俺もホント人混み苦手。
「じゃあ普段って何処に行くの?」
二人揃って市場の中に足を踏み入れつつ彼女に尋ねる。
市場の中はとても明るく、テントの樣に白色の幌が全体を覆っているものの、光が透けて市場全体を明るく淡い光で照らしていた。
足元には日本でも見慣れた魚や、色のおかしい、見慣れないものまで様々だ。
……紫色の魚なんて初めて見た。……んでこっちはピンク色……。流石異世界、ここに来て初めてまともな異世界感を味わった気がする。
「普段は工業地区に行ってアクセサリー等を見て回ってます。……人もそんなに歩いてないので、ゆっくり見て回るのが楽しいんです」
隣を歩く彼女も足元の魚に一喜一憂しており、先程から表情をころころと変化させている。
彼女は足元にある紫色の魚に一度触れようとしゃがむが、触れる寸での所で魚がビクリと跳ね、驚いた彼女が「ひゃあっ」と連鎖する様に飛び跳ねて俺の腰辺りに抱きついてくる。
そんな彼女が可愛く思えて笑みが溢れ、つい腰辺りにある頭を撫でてしまうと、彼女がコホンと咳払いをし、立ち上がって俺の方を見る。
「……なんでコースケさんは私の事を子供扱いするんですか?」
そう言う彼女の顔は不機嫌そうであるものの、恥ずかしさからか赤く上気していた。……いや、実際に幼いし、無理して大人ぶらない方が可愛らしいと思うのだが、彼女はそうは思わないらしい。
「いや、だって実際に年下だからなぁ……。スンと澄ましているよりも、そうやって年相応にコロコロと表情変える方が可愛いと思うけど……」
そう言いつつ彼女の頭を撫でると、彼女は更に顔を赤らめて何かぽそぽそと呟きつつ目を逸らした。
「……何だって?」
「何でもないです!」
残念ながら聞こえていて、思わず難聴系主人公の真似をしてみたが生憎俺はイケメンではない。じゃあ何故そんな真似をしたのかと言うと、そこに突っ込むのは無粋じゃないかと思ったからだ。
その後も一緒に市場を巡って一通り見た後、市場の内陸側にある商業地区への魔法陣に向かった。
赤色の魔法陣に乗って移動すると、先程まで居た商業地区の噴水広場に到着した。商業地区は先程と変わらず人でごった返しており、下手すると先程よりも混雑していて、観光客と思われる人々がちらほらと見受けられる。
………………
……………
…………
………
……
…
「……今日は本当にありがとうね」
その後生産地区の噴水の前で彼女に向き直って礼を述べると、彼女は「いえ」と笑顔で答えた。
「自分も楽しかったです。……本日はここでお別れとなりますが、またホテルでお待ちしてますね」
彼女はそう言いつつ俺の袖を掴んで引っ張ってゆく。その先には白く光る魔法陣があり、ふとこれが渡航管理局に行くための魔法陣なのだろうなと思う。
「そうだね。多分明日か明後日辺りにもう一度来るよ。今週1週間は仕事もないしね」
それに金だけは使う暇がないので腐るほど余っている。……実際に腐る訳じゃないけどね。
それを聞いたファイスは今日一番の笑みを浮かべて短く笑い、「ホテルでお待ちしております」と答えた。すると彼女はそのまま袖を引っ張り、俺の背後に魔法陣がある状態で止まった。
「じゃあ、また」
「はい、また」
互いに向き合って短く別れを告げると、彼女は袖から手を離して少し俺を押し、魔法陣の上に立たせた。
足元を見下ろして魔法陣に乗った事を確認して真正面に視線を向けるが、そこに彼女の姿はなく。代わりに左肩に重さを感じ、頬に柔らかな感覚と生暖かい吐息、そして鼻腔を擽るバニラの甘い香りが漂った。
思わず振り向くと、至近距離に赤く上気しきった彼女の顔があり、恥ずかしそうにモジモジとしている。
突然の事に思考が止まりそうになるものの、すぐに状況を理解して何か言おうとした所で目の前の景色が一変する。
そんな現状を理解した時には既に彼女の姿はなく。眼の前に現れるのは厳かに聳え立つ渡航管理局の姿。
……してやられた。そう思って今更戻った所で彼女の姿はないだろうし、そもそも戻って彼女に会った所で気不味さしか無い。
どことなく気恥しさを感じて頭を乱雑に掻いてしまうと共に、柄にもなく顔が熱くなるのを感じる。……今もし鏡で自分の顔を見たとしたら、そこにはきっと真っ赤に染まった、特徴の無い、"the平均"と言える顔面が映り込むだろう。
今までの人生、目立たずに、好まれたり嫌われたりする事も無く極めて平穏に過ごしていた所為か、他人から向けられる好意や悪意に対して免疫がないのだ。
我ながら薄っぺらい人生だなと思うけども、平穏に過ごすにはこれが一番だと思っている。……その代わり充実もしないけどね。
……取り敢えず喫煙所を探そうと考えて辺りを見回しつつ歩き出す。
いくら煙草を吸いたいと思えど、流石に非喫煙者で子供であるファイスの前では吸えない。その辺の分別はしっかりしているつもりだ。……初日、禁煙だと言うのにここで煙草を吸っちゃったけどね。
だがそんなに苦労する事なく喫煙所が見つかる。
そこは俺が出てきた入国審査のあったゲートとは反対側の出入り口で、入国した際にここのセキュリティは大丈夫なのかと心配した出入り口の傍にあった。
喫煙所へと行き煙草を取り出して火を灯す。辺りに人が疎らにいる中、ジッポーの小気味良い甲高い音が虚しく響いた。
紫煙を一口肺に落とし込んで深呼吸するかの様にゆっくりと吐き出すと、まるで熱に魘されているかの様に視界がゆらりと蠢き、重めの酩酊感が頭を揺さぶり始める。
「……どうすっかなぁ……」
先程の事を思い出して先が思いやられると共に、"責任の取れる範囲で"というレイラさんの言葉がやけに重たく感じる。
相手は子供で俺自身にそんな感情は一切ない。軽くあしらえば良いとも思うのだが、如何せん、そういった色恋沙汰には疎く、適切なあしらい方も分からない。
確かによくよく考えてみると、彼女は色恋沙汰が大好きなお年頃。一時の淡いものだとしても、逆を言えば多感な時期でもある。扱い方を誤れば彼女を傷付けてしまう可能性もあるので、迂闊な事は出来ない。
取り敢えず数日後にまたここに来ようと思っていたのだが、何だか気不味い。
誰に伝える訳でもなく1人「とりあえず帰るか……」とごちり、いつの間にやら短くなっていた煙草を灰皿で揉み消して中へと足を踏み入れた。館内は昨日と同じく混雑しており、その盛況っぷりが見て取れた。
俺は昨日と同じ窓口へと足を運び、「ども」と短く挨拶をする。
そこにいたのは昨日と同じ日本人の男性で、昨日よりも一層窶れている様な印象を受けた。
彼は俺の事を覚えていたのか、「あぁ、昨日の」と呟いて疲れ切った笑みを浮かべた。
「預金に残りのお金を入金して下さい。……大丈夫ですか? 顔色が優れないみたいですけど……」
俺はそう言いつつドッグタグと残りのお金を全て手渡すと、彼は「確かに受け取りました」と言って受け取る。
「昨日は少々トラブルがあって家に帰れてないんですよ。今日は必ず帰りますので、ご安心を」
彼は後にそう言葉を続けてドッグタグを返しつつ、「預金残高は215ペイスです」と一言添えてくれたものの、その最後の「ご安心を」の言葉に安心を全く感じない所に少しばかりの恐怖を感じる。
……その顔色のどの部分を見て安心しろというのだろうか。
「……本当にお疲れさまです。無理はしないでくださいね」
俺はそう言い残してこの場を後にし、出国手続きを行う為にゲートへと向かった。
ゲートは相も変わらずガラガラで、何処に入ってもすぐに終わりそうな気配を感じさせた。
何となく昨日と同じゲートに進むと、そこには昨日とは違って狼の風貌をした男性、だろうか? がそこに座っていた。
彼はニコリと微笑み、「この国は初めてでしょうか?」と、嗄れていて芯の通ったバリトンボイスで尋ねてくる。
「いえ、今から出国です」
だが聞き惚れている場合ではなく、出国の手続きをしなければならない。
幸いにもここは地球のようにボーディングタイムがある訳ではないので時間を気にすることもないのだが、それでも渡航管理局が閉まるまでには移動しなければならない。
すると彼は微笑みつつ「畏まりました」と答える。その大きな口から覗く汚れ1つない犬歯が少し野性味を感じさせるが、相手も理性があると判っているからか、恐怖感は感じない。
「でしたら渡航管理局へどうぞ。中で出国に関わる審査を行います。……審査と言っても難しいものではなく、何を持ち出したかを確認するだけですので、身構える必要はありません。ご安心下さい」
彼が毛むくじゃらでモフモフと心地良さそうな手を俺の後ろへと向けたので、ふとその方向を見る。そこには昨夜は固く閉じられていた筈の扉が開け放たれており、中の真っ白な風景が見て取れた。
確かにさっきトリエントさんが荷物検査云々に関して言っていた気がするが、取り敢えず手続きは無いようだし、早速行く事にする。
「わかりました。ありがとうございます」
俺が礼を述べると彼は「またお待ちしております」と答え、引き続き作業するために手元に目線を落とした。
それを見届けた俺は踵を返し、渡航管理局へと向かい、足を踏み入れた。
内部は来た時と同じく白く輝いており、その中心には淡く青色に光る魔法陣が昨日と変わりなく佇んでいる。また、前と変わらず柑橘系のいい香りが漂い、少しだけ晴れやかな気分にさせてくれる。
「ようこそ渡航管理局へ。出国で宜しいですか?」
受付に居たのは黒いスーツを纏った、大きな白い翼を持つ男性。
天使……だろうか。その容姿は言わずもがな、美型という言葉がピッタリな程に整っており、その濃い灰色の瞳がまっさらな白い肌に映える。
「はい、そうです。……何かする事ってあるんですか?」
俺がそう尋ねると、彼は人差し指を上げる。
「まずは所持品を全て出して下さい。……次に出国手続きをしますので、身分証明証、もしくは腕の刻印を見せて下さい。……そして最後に記憶に関する事です。この世界の情報は発信できなくなります。文章に起こす事も、喋る事も出来なくなりますのでご了承下さい」
次々と説明する度に1つ1つと開かれてゆく、彼の傷一つない細い指。
その説明を聞き、「わかりました」と答えつつ今朝買ったジャムや煙草、財布などを取り出し、受付カウンターの上に並べてゆく。並べ終えて袖を捲り、赤く刻まれた刻印を彼に見えるようにカウンターの上に置いた。
すると彼は刻印に手を翳してスッと撫でる様に動かした所、刻まれていた刻印はすぅっと薄くなる様に消え、まっさらな肌に戻った。
すると彼は「次に」と言ってジャムの瓶を手に取り、俺に見えるようにラベルを指差した。
「このジャムを持ち出すにあたり、ラベルと剥がさせて頂きますが、宜しいでしょうか?」
俺が「お願いします」と言いつつ頷くと、彼は「畏まりました」と答えつつペロっとラベルを剥がした。
……ばあちゃんから剥がしやすいとは聞いていたけど、こんなにも剥がしやすい物なのか。
多分、この国の規格で剥がしやすい物になっているのだろう。ホントに跡形も残らずに綺麗に剥がれ、まっさらな瓶が出来上がった。
彼はそのラベルを剥がした瓶をそっとカウンターに置き、「以上で出国審査は終わりです」と続けて、念を押すように話し始めた。
「先程も言いましたが、この世界の事に関しては一切の他言無用です。ご了承下さい。また、パソコンや手書き文章に起こす事も出来なくなりますので、その点も合わせてお願い致します。万一発信したと判断された場合、記憶が消え、各地にあるこちらへのゲートの認識が出来なくなりますので、ご注意下さい。」
「わかりました。厳守します」
彼の説明を聞いてそう答えると、彼はニコリと微笑み、「よろしくお願い致します。では、またのご来航をお待ちしております」と言って一礼した。
……ちょっと待て、今パソコンって言ったか?
「……全く関係ない話ですが」
「はい?」
突然話を切り出した俺に彼はきょとんとして首を傾げた。……ちくしょう、イケメンはこんな顔をしても整ったままなのか……。
天は二物を与えずとはよく言ったものだ。身内に贔屓してんじゃねぇよ。
「この世界にパソコンってあるんですか? パソコンと聞こえたのでつい気になったのですが……」
あるとしたらどんなPCだろうか。
ファイスが言っていたが、同等かそれ以下の文明のみとの交流らしいので、地球のそれよりも高性能な可能性もある。
どのくらいのスペックなのか、どのような形式なのか、と色々と気になる部分があるが、一番に気になるのは、姿形である。
科学を突き詰めて出来たものなのか、はたまた魔法を突き詰めて出来たものなのか、それとも双方の技術を集められて出来たものなのか。それが純粋な好奇心の根源となっていた。
「あぁ、そういう事ですか。ありますよ」
気になっている俺の期待を知ってか知らずか、彼がにこりと笑みを浮かべてあっさりと答えを吐き出してしまう。
「大きく3つに分かれますが、確かにあります」
そこで彼は3本の指を立てた。
……くっそぉ……。元がイケメンだとこんなにもドヤ顔がかっこいいとは……。
そんな俺の、水たまりよりも浅くコップよりも狭い心情の嫉妬を知ってか知らずか、彼は1つ指を畳む。
「1つは魔族領で製造されている魔法によるもの。……こちらは戦争中に開発、運用がされ、戦後に一般へと普及しました」
彼はそこまで言うと、2本目を折り畳む。
「もう1つは人間領で製造されている科学によるもの。こちらは戦後から開発、運用がれ、そのまま一般へと普及しました。こちらは魔法式とは異なり、魔力のない人間達でも扱えるように開発したもので、最近グングンと性能を伸ばしているそうです」
こう言うのも難だけど、やっぱり戦争って技術発展には必要なんだなって思ってしまう。必要か必要で無いかと言ったら、必要ないのかも知れないのだけれど。でも、急激な発展が欲しい場合はそうなってしまうのかも知れない。そもそもとして戦争はそれこそ数え切れない程の命を無駄に消し去る惨たらしいものだというのも忘れてはいけない。
あ、あと侮ってはいけないのがエロの力。あれはヤバい。文明を飛躍的に、且つぶっ飛んだ方向に超進化させてくれる。んで最終的に「どうしてこうなったんだ?」と思わず口ずさんでしまいそうな訳の分からない結果だけが残るとんでもない劇薬だ。
そんな下らない事を考えている間にも彼の話は続き、最後の指が折り畳まれる。
「そして最後が2つの技術を合わせたハイブリッド型となります。こちらは最近登場した新しいタイプのもので、魔法と科学をかけ合わせて作られ、性能も先の2つよりも高いとされています。……その分値段も高いですが……」
彼は勤務中だと言うのにも関わらずこんな無駄話にも付き合ってくれている。これが日本ならば話を早く切り上げる方向に持ってゆくか、そっけない態度を取りつつ相手がフェードアウトするのを待っているかの二択だろう。
少なくとも俺はそのどちらかを選択する。
「ありがとうございます。今度来た時に探してみます。……ではまた今度」
取り敢えずこれ以上彼の仕事を邪魔する訳にはいかないので、話を切り上げて彼に別れを告げる。
とは言ってもまた数日後に来ると思うので、別れに対して寂しい思いがあるかと言えば、全く無い。
厳密に言えばあれだ。海外旅行を終えて羽田空港なり成田空港なりに降り立って帰路につく、あの寂しい様な、虚しい様な、けど満足感はあるあの感じ。あれが一番近い。
とまぁ、そんな事を考えている内にも踵を返して魔法陣へと足を踏み入れていた。
その際振り返り、俺の話を聞いてくれた天使の男性に手を上げて挨拶をすると、彼もまたニコリと微笑み、同じ様に手を上げて返してくれた。……ほんといい人だわ。