島内観光
次の日の目覚めは、とてもじゃないが良いものでは……いや、最悪だった。
決して、昨日の事を引き摺ってとか、レイラさんから言われた事が気に掛かってとかでは一切無い。
「早く起きろぉー! ねぼコースケぇー!」
それは現在進行形で安眠を妨げられているのが主な原因である。……おかしいな。ホテルの部屋の鍵は全てオートロックだった筈。かと言って、至近距離でやかましい声を上げて揺さぶってくるマリアに自室の鍵を渡した覚えもない。
……待って、ホントに何で? 不法侵入って言葉知っている? あぁ、ここ地球じゃねぇや。
なんて下らない事を考えながら掛け布団に必死にしがみついて抵抗を試みるも、容赦ない揺さぶりにとうとう心が折れた。
「っだぁ! うっせぇなぁ!」
揺さぶりに耐えかねて飛び起きると、「きゃぁっ!」とマリアが喜々として頭を押さえながら俺から離れた。昨夜とは打って変わって日差しによって明るく照らされた部屋の中には、ビシッとスーツに身を包んだマリアと対となるかの様に、如何にも年頃でおしとやかな格好をした私服姿のファイスがいた。
ファイスはワタワタと目線を右往左往させ、「あ、あのっ……」と困惑している。
ファイスの服装はと言うと、縦編みの股下辺りまである白色のニットワンピースを中に着ており、アウターとしてダークブラウンのガウンコートを羽織っている。頭には専用のものだろう、耳を通せるダークブラウンのキャスケット帽を被っており、下には黒色のフレアレッグジーンズを穿いていた。
「……ったく、何なんだよ一体……」
もしかしてチェックアウトの時間を過ぎたのかと思い、壁にかけられた時計を見ると未だ9時にすらなっていなかった。……確かチェックアウトは12時だった筈なんだが……。
「一体どうした、こんな朝早くに――」
「早く着替えて行こっ!」
「話を聞け」
一切人の話を聞かねぇなこいつ。暴走機関車かよ。そんなウキウキした顔でベッドに手を置いて中腰になっても可愛いとしか言えんぞ。
「ファイスが案内してくれるよっ!」
「いやだからお願いだから話を聞いて?」
NPCかよこいつ。イエス・オア・ノーの選択肢でノーを選んでも「いやいやそう仰らずに」ってまた同じ選択をずっと選ばされるあれかよ。
「……わかった、わかったよもう……」
溜息混じりに返答しつつ、隣でワタワタしているファイスに目を向けた。
「ごめんな? ちょっと時間もらっていいか? 身支度するから」
ファイスにそう言うと胸の前で手を小さくブンブンさせ、「い、いえ……」と小さく呟いた。
「こちらこそお休みだというのに申し訳ありません……。焦らないで結構なので、本日はどうかよろしくお願い致します」
彼女は後に続けて軽くお辞儀をした。……ホントえぇ子やでこの子……。隣で喜々としてはしゃいでいるマリアとは大違いだ。
「……だから何よその顔。何か不満でもあるの?」
「いや別に。ファイスはマリアと違っていい子だなーって」
マリアは怪訝な目を俺へと向けてくるが、ファイスはと言うと「い、いえそんな……」と照れくさそうに耳に触れる。
そんな彼女を見てマリアは「そーでしょー……!」と嬉しそうに笑みを浮かべつつ彼女に抱きついた。
「コースケには絶対にあげないからね~!」
いや、妹的な立場的には欲しいけど、個人の所有権主張しちゃいかんでしょ。
というかくれるならマジで欲しい。んで滅茶苦茶甘やかしたい。恋人的な感情よりも兄としての、父性としての感情が湧き上がってきた。
……何だろう、この湧き上がる庇護欲。
「……取り敢えずシャワー浴びて着替えるから……。そうだな、フロントで待っててもらえるかな?」
朝飯は基本的に食べない上、じっくりと湯船に浸かる習慣もない。どうしても短時間で済むシャワーで済ませてしまうため、温泉などに行かない限りはカラスの行水だ。
するとファイスはコクリと頷いて部屋を出て行こうとするが、マリアはそんな彼女をニヤニヤと見つめ何やら耳打ちをする。
ファイスはそんな彼女の反応に最初は訝しげにしていたが、赤く頬を染め上げながら徐々に目を見開いてゆく。
次いで言葉にならない声を発しているように口をパクパクとさせた。
「そ、そんなんじゃないったら!」
そしてようやく出た言葉が、彼女の性格から考えるに珍しい怒号に似た声。元々ツリ目気味な目付きを更に釣り上げて顔を林檎の様に真っ赤にし、マリアに拳を浴びせようとしたのか右手を握りしめて上へと掲げた。
だがマリアはと言うと、「ニヒヒっ」とまるで悪戯っ子の様な笑い声を挙げつつ部屋から逃げる様に出て行き、ファイスもそれを追いかけて出ていった。
2人が出ていった後の部屋は、昨夜と同じく煩く感じる程の静寂に包まれた。
彼女達を見送り、本当に仲が良いなと微笑ましい気持ちになりながらも、身支度を始めるためにベッドから降りてシャワールームへと向かった。
シャワールームへと入り、服を脱いで洗面台の鏡の前へ立つと、そこには、何とも特徴のない、そこらへんにいそうな背格好の、ごくごく普通な成年の姿が有った。
イケメンという訳でもなく、かと言ってブサイクでもない、一言で表すのであれば何とも無個性な顔付き。眼鏡を掛けたら本体が眼鏡になるって言う特徴が出来るかな? 程度。もっと簡単に言うなら、あっ、眼鏡かけたんだー。へー。でね、この前のドラマなんだけど……。って何気なくスルーされる程度。
その無個性の塊である顔の下に生える体は、痩せ気味な、貧相とも言えるであろう体付き。辛うじて少し上腕筋がついてポコリと盛り上がっているが、誤差の範囲と言えば誤差の範囲。
もう何度も見ている筈なのに、このはっきりとしない体に嫌気が差してくる。……まぁ、努力すらしていないので、改善する気力がないと言えば無いのだが。
社会人って思ったより時間がない。
言い訳に聞こえるかも知れないが、連休なんてほぼ取れないし、普通の休日は体力の回復で1日フルに寝てるから、殆ど自由時間がない。
作ろうと思えば作れるんだけど、色々考えると面倒臭くなって結局やらんのよね。
シャワーを浴びて粘着くような寝汗やら昨日の汚れやらを落としてさっぱりとし、着ていた服にまた袖を通した。
このままチェックアウトするので、持ってきたもの……とは言っても、ものの数点しか無いそれらをポケットに仕舞い込み、昨夜乱雑に脱ぎ捨てたアウターを羽織って部屋を出た。
地球でのホテルでも感じる、朝のホテルに流れる独特の静寂がここにも同じく満ちており、朝なのに不気味とも言える何とも矛盾した感覚に襲われる。
昨夜も歩いていた筈なのに、自身の靴音だけが響き渡るこの空間に新鮮味を感じた。そして幾許もしない内にエントランスへの扉の前へ到着し、その扉を開けた。
エントランスへと足を踏み入れると、そこには昨夜には置いていなかっただろう、黒を基調としたガラス張りのローテーブルと、白を基調としたソファーが対面になる様に幾つか置いてあり、その1つにファイスがちょこんと座っていた。
ローテーブルにはそれぞれ数冊の雑誌や新聞等が自由に読む用として並べられている。
ファイスはと言うと、自室から持ってきたであろうマグカップで何かを飲みつつ、何やら雑誌を読んでいた。
その姿はとても絵になっており、大人ぶったと言うと悪く聞こえるが、精一杯背伸びしたであろう子供らしい格好と、その達観したかのような涼し気な落ち着いた目付きが、その矛盾の綺麗さを演出していた。
「あっ、終わったんですね」
そんな彼女がこちらに気付き、無意識の内に浮かべていた大人びた表情を崩した。その顔は年相応といった感じでとても嬉しそうで、もし尻尾があったのならブンブンと振り回しているだろう。その浮かべているワクワクした表情が、より彼女を幼く見せている。
「ごめんね? 待たせちゃって」
ファイスにそう謝るが、彼女はにこりと笑みを浮かべる。
「いえ、それほど待っていませんし、丁度読みたかった部分があったので、問題ありません」
彼女は雑誌を置いてマグカップを持ってフロントへと歩き出した。それに着いて行きつつ「今日はどうするの?」と予定を訪ねたが、彼女は「へ?」と疑問符を浮かべた。
「今日の予定ってコースケさんが行きたいって言ったんじゃないんですか?」
彼女から放たれた言葉はそれはもう酷い嘘だった。粗方マリアが吹き込んだのだろう。彼女の特に気にする事なくケラケラ笑う姿が目に浮かぶ。
だが何故だろう、怒るに怒れない何とも言えない気持ちになる。それが彼女の良いところでもあり、悪い所でもある。……まぁ、詰まるところマリアだし仕方ないと思えてしまう。
「いや……まぁ、そういう事にしておこうか。今日はよろしくね」
俺の可も不可もない返答に首を傾げつつも、フロントに居たマリアにマグカップを渡すファイス。
一方でマリアはファイスが見ていない事を良い事に、にししとまるで悪ガキみたいな笑顔を浮かべていた。……さっき怒るに怒れないって言ったけども、1発頭引っ叩いてやろうかな。……今なら許される筈。
取り合えず今日は観光しつつ、案内してくれるファイスを目一杯甘やかそう。
ホテルのチェックアウトを済ませて外へと出ると、街中は昨夜とは違った顔を見せていた。
肌寒いながらも澄んだ空気のお陰か街中の景色がよりクリアに見え、燦々と照らす眩しいくらいの陽の光に、純白の建物や石畳が輝いて見えた。
街行く人々も昨夜のどこか落ち着いた雰囲気とは違い、皆活気に満ち溢れている。大通りはまるでフランスのマルシェの様に道の両サイドに露店を構え、血気盛んに商いを行っていた。
地球とは違って移動用の魔法陣が普及している為か、自動車や馬車の類が見られないのも、このどこまで続いているかわからない露店を広める要因の1つになっているのだろう。
「ここらへんは商業地区なので、この様に露店が盛んです。並んでいる商品の種類も多くて、この地で取れた柑橘系の果物や、魚介がメインとなっています。逆にその他の品は他の領土からの貿易品となっていて、お酒の中でもワインや果実酒の類は大体が人間領の"スピンビル"から運ばれて来ています」
横を並んで歩くファイスの説明を聞きつつ、辺りを見回す。
確かに露店の出店傾向は柑橘系や果物、魚介類が多いものの、野菜を商品として扱っているところもあるが、少し疑問に思うところもある。
「……肉の類って少ないんだね。菜食主義者の人が多いのかな?」
俺はそう言いつつ、向かいから来る人混みの塊とぶつからぬ様にファイスの肩を抱き寄せ、通り過ぎるまで立ち止まる。
昼に近くなるにつれて人の数が多くなってくる様で、このままだと日本のアメ横みたいに混雑してしまいそうだ。
「あ、ありがとうござい……ます……」
ファイスが腕の中でぽしょぽしょ呟く様に礼を述べたので、ふと腕の中の彼女を見ると、顔を赤らめてもぞもぞしていた。
"責任の取れる範囲で"
そんな表情を見た途端にレイラから言われた一言が頭に過ぎった。
その彼女の赤らんだ表情の前にこっちまで気不味くなってしまい、思わずポンポンと頭を撫で、誤魔化すように「じゃあ、行こっか」と言って背中に手を添えて並んで歩き出す。
「……それで、お肉が少ないという事ですが、それには理由があるんですよ」
歩き始めた途端、彼女が先程の話の続きをしてくれる。彼女なりに赤面がバレないようにキャスケット帽を深めに被っているのだが、ショートボブの下から見える首元が未だ赤いままで、赤面が引いていないのがバレバレである。
「お肉を主に出荷している"ヘール"という地名の場所があるのですが、そこは普段、羊毛や羊乳、牛乳などを主な名産としています」
そこで彼女はとある露店に目を奪われる。だがそれも一瞬で、すぐさま前を向いて「それでですね……」と説明を続けようとした。
彼女が目線を向けた先には、野菜や果物を主に販売している出店とは一味違う、甘味を扱っている露店。
主にホットコーヒーやホットチョコレート、ホットココアなどを取り扱っており、いざ足を止めてみると、果実の甘酸っぱさ溢れる香りの中に混じってココアやチョコなどの甘い芳醇な香りが漂っていた。
「ちょっと買ってみよっか? 丁度喉乾いてきたし、寒いしさ」
立ち止まって露店に指を向けつつ彼女に提案すると、彼女は「い、いえ……」と困惑した表情を浮かべる。
「今日お金持ってきて無いんですよ……。お昼までは時間掛からないだろうなって思っていたので……」
彼女は残念そうに答えたが、すまん、今日の俺は君を甘やかす事に全力を注ぐんだ。
そしてそれを聞いたマリアの悔しそうな顔を見るんだ……!
「そっか……残念だったね。でどれが欲しい?」
しれっと店の前まで歩いてさっと財布を取り出し彼女に尋ねると、ファイスは苦笑いを浮かべて「え?」と呟き小首を傾げた。
「え……っと。今お金ないって……」
「うん、聞こえたよ。……で、どれが良い?」
今の俺はさながら人の話を聞かないNPCだ。イエスと言うまで何度でも選択肢を選ばせるBotである。
露店の前で何度かこんなやり取りをしていたが、諦めたのか彼女は小さく溜め息を吐き出し、「じゃあカフェモカのブラックで……」と小さく呟いたが、その表情は心なしか嬉しそうにも思えた。
結局、ファイスのカフェモカと俺の激甘なキャラメルラテを買い、その場を後にすることに。
因みに、キャラメルラテをオーダーした時、「そんな甘いのが好きなんですね……」と驚かれたのは秘密だ。……良いじゃないか、甘いの。バーに行ったら必ず1杯目はグラスホッパーだって決めてるくらいに甘いのが好きなんだ。
「所で、さっきの話なんですが……」
少しの間歩きつつ飲み物を飲んでいると、彼女から先程の話について説明が入る。
「ヘールの名産は羊毛や羊乳、牛乳などが主ですが、牛乳が出なくなったり、病気などに掛かっていない、老衰などで死にそうな動物を屠殺してお肉にしていたり、ソーセージやハムなどにしています。……そんな動物しょっちゅう居る訳ではないですし、ヘール内での地産地消分もあります。よって結果的に、こちらへ回ってくる分が少ないという訳です」
彼女はそう淡々に説明しつつ、時々俺の顔を覗き込んで理解しているかどうか確認する。彼女には失礼だが、散歩している時の犬を思い出して可愛い。
兔なんだけどね。
「んー……ということはお肉って結構高いものなのかな?」
そういう事ならば、市場での価値は自ずと跳ね上がる筈だ。地球上でも希少価値が故にその値段が跳ね上がるなんて事もあるしな。んで食べてみると"あぁ、こんなもんか"で終わることが多い気がする。
すると彼女はニコリと笑みを浮かべ、「そんな事はないんですよ」と答えた。
「近年、流通網が広がったお陰で牛乳や羊乳、羽毛などの需要が高くなって次第に供給が高まっていったんですよ。その副産物としてお肉の流通量も次第に多くなっていきました」
彼女は人差し指を掲げてフフンと自慢気に言う。ヤダ何これ可愛い。……さっきからこれしか言ってねぇな……。
「ってことは、魔族領って肉料理が有名なのかな?」
話を聞く限りだと菜食主義者が多いここに比べて、そのヘールと言う場所はどちらかと肉食に近い食生活を送っているようにも思える。
野菜も嫌いではないが、どちらかと言うと肉や魚の方が好きではある。
「そうですね……。肉は飽くまで副産物という扱いであって、メインは乳製品、といった所でしょうか」
顎に手を当てて少し上を仰ぐ様にして少し考えて答え、「あ、こっちです」と続けて大通りを外れて少し細い裏道へと入ってゆく。
裏道と聞いて治安が悪そうな印象を受けるが、入った途端息を呑んだ。
そこには、地球で聞く薄暗くて汚くて治安が悪いと言う印象を払拭してしまう景色が広がっていた。
確かに人通りが少なくポツポツと疎らに歩いていたり、井戸端会議を開いていたのだが、ここの普段の生活を覗き見しているかの様に思え、まるでここに住んでいるかの様な錯覚に陥る。
建物と道のどちらも白いためか、眩しく輝く太陽に照らされた建物によって青白い影が作り出されていた。そのハイコントラストがまるで神秘的でいて清々しい気持ちを与えてくれた。
その景色を見つつ隣を歩くファイスがこの商業地区の歴史について解説してくれ、幼いながらも落ち着いた声色もあってか、何だか観光地の音声ガイドでも聞いているような気分になる。
その裏道もそんなに長くなく、すぐに開けた場所へと辿り着いた。
開けた場所は先日訪れた円形の広場で、男性と思われる彫刻を中心に添えた噴水を取り囲むように純白の広場が形成されていた。彼女曰く、この彫刻の人物こそがこの商業地区の発展に貢献した、4人のうちの1人であるカレウスだという。
陽に照らされキラキラと光り輝く噴水の上には豊かな緑に覆われた山が見え、ここからでも渡航管理局の建物を見ることが出来た。
中央の噴水の左右にはそれぞれ魔法陣が備え付けられており、向かって右側には黄色の、左側には緑色の魔法陣がそれぞれ淡く光ってその存在を主張していた。
広場の端には飲食店やらホテルやらが軒を連ねており、テラス席が店の前に用意されていたりしている。
「これから他の地区も回るんだよね? そこって昼食とかを食べられる場所ってあるの?」
他の地区にもレストランあれば良いのだが、商業地区と銘打っている以上、レストランの様な店舗はないと思っていた方が良いのかもしれない。自分は別に食べなくても良いのだが、隣をトコトコ歩く彼女はそうはいかない上、このままのペースだと普通に昼時を跨いでしまう。
「あると言えばあるのですが、やはり食べるのであれば商業地区が一番だと思います。……もしかしてお腹空いたんですか?」
彼女が仕方ないな~、と言った感じに笑みを浮かべるのだが、違う、そうじゃない。
「俺は元から1日1食の生活だから全く問題ないんだけど、ファイスは大丈夫なのかな、って」
自分はもう成長の止まった大人であり、別に少し位粗雑な食生活を送っていたとしても問題ない上、誰かに言われる覚えもない。
だがファイスはレイラさんとマリアを姉に持つ、まだまだ育ち盛りな年齢である。あまり食事を抜くのはよろしくない……。と言うより、空腹の子を連れて歩くのは流石に申し訳なく、幾らマリアの計らいだとしても、そんな可哀想な事はさせたくない。
「心配して下さってありがとうございます。私は全然――」
まるで心配ご無用ですと自慢気な笑みを浮かべて遠慮する旨を言い掛けたのだが、途端に可愛げのある"くぅ~"っという音がはっきりと聞こえて彼女の動きが止まる。その自信満々な表情が段々と赤みを帯びてきた所で、「……これは、その……」と、気恥ずかしそうに手をもじもじさせて目線を逸らした。まぁ、年頃の女の子だもんな、恥ずかしいよな。
「……オススメのお店はある?」
「……こちらです」
あたかも気にしていない風を装ってみたのだが、彼女には難しかったらしく、あからさまにぎこちなさを残しながら先を歩む。腹の音が鳴った事が余程恥ずかしかったのか、後ろから僅かに覗き見える項も赤く上気していた。
そんな彼女が選んだお店は、全体的に青を基調とした"レストラン・アクア"というお店。外観はとても小洒落ており、軒先を淡く青い幌で覆って日差し避けとしている。
その広げられた幌の下にはテラス席として円形のテーブルと椅子が複数置かれており、テーブルには紺瑠璃色のナプキンが折り畳まれて置かれている。
店舗の前面は一面ガラス張りとなっており、その3月という寒さが残る季節が故か店内はそこそこの賑わいを見せている。だがそれとは対称的に、自分達の居るテラス席は伽藍堂と言っても言い過ぎでは無い程の過疎っぷりを見せている。
そのテラスから見える店内の様子はと言うと、和気藹々とした空気が流れ、料理を運んでいる従業員も皆笑顔でイキイキとしており、とても楽しそうに働いているのが伺える。
「座席はどちらにしますか? 中に入るには少し待たなきゃいけないみたいですけど……」
店内を伺ったファイスが、そう俺を少し見上げる形で問いかけてくる。まだ3月だというのに日差しが強めで気温が今の時期にしては高く、ファイスが良ければ外でも構わないんだが……。
「折角だから外で食べたいんだけど、大丈夫かな? 寒い?」
自分的には別に寒くもなく寧ろ丁度いい位なのだが、どうも彼女も同じ考えだったらしく、ニコリと笑みを浮かべて「実は……」と呟いた。
「特等席という訳ではないのですが、いつもテラス席で食べてるんです。流石に寒い日は店内で食べますけど……」
彼女はそう続けて店舗から一番離れた席へと歩き出した。
「いつもここで食べてるんですが、ここでどうですか?」
彼女の指定した席からは広場の様子が一望でき、他の飲食店にて食事を摂る者や、食事しつつ楽しそうに飲んだくれる者、中央の噴水にて戯れる子供達、買い物途中で話し込む者など、色々な者達を垣間見ることが出来る。
「ここでコーヒーを飲みながら広場の様子を見るのが好きなんです」
彼女はそう言いつつ容姿に不釣り合いな落ち着いた表情を浮かべて広場に目をやった。
確かにここで全てを放り出して気の赴くままに時間が経過してゆくのを感じるのも悪くはないと思う。時間と機会があったら、自分もそうしてみようかと考えてしまう。……ただでさえ地球は忙しいのだ。少し位ゆっくりしても罰は当たらないだろう。
現実世界でできなくもないが、如何せん、どうしても忙しなく働く人々が見えてしまい、のんびりとした気に浸る事ができない。
彼女に「そうだね、ここにしようか」と答えつつ席に座ると、彼女も円形テーブルの向かい側へと腰を落ち着けた。するとタイミングを見計らっていたのか、人間の爽やかな印象を受ける男性の従業員が近付いて「いらっしゃいませ」と出迎えてくれた。
彼は流れる様な所作でレモンの輪切りが浸かっているお冷のピッチャーと、傷1つ見受けられない綺麗なグラスを2つ自分と彼女の前に置いた。
彼は濃い青色のYシャツに黒いスラックスを纏っており、腰から足首にかけての長さの黒いサロンエプロンを上に重ねている。そんな彼は鮮やかな青色の表紙のグランドメニューをそっと置いた後に一礼し、「ご注文が決まりましたら、お呼び下さい」と告げて席を離れた。
「さて、早速注文しようか」
早速メニューを手に取って彼女に見える様に開きつつ目を通し始めると、彼女も短く返事をして料理の吟味を始めた。
最初は訳のわからない食材や料理のオンパレードなのかと思いきや、意外も意外、自分でも分かる料理ばかりがメニュー表に羅列されていた。そんな唖然とした態度が気になったのか、彼女が首を傾げて「どうしたんですか?」と尋ねてくる。
「……いやね、どれも見た事のあるメニューばっかだなぁって」
寧ろ、見た事の無い物を見ていない気がする。
昨夜もビーフシチューだったし、市場に並んでいる果実なども地球で見かけるものばかりだった。
「コースケさんは確か地球の生まれ、でしたよね?」
ファイスは少し考えた後に尋ねてきたので「そうだけど、どうしたの?」と問い返すと、「それはですね……」と人差し指を俺の目の前に掲げた。……今ふと思ったけど、この指をビシってやるのってファイスの癖っぽいね。……うん。可愛い。
「こちらの世界と繋がるのは、同等かそれ以下のしっかりとした文明のある世界だけなんです。こちらの世界以上の文明と繋がるという事は、こちらの既存の文明を破壊しかねない恐れがあるので出来ないんですよ。また逆も然りで、あまりに原始的にすぎると、未知の病原菌などがこちら側で蔓延する恐れがあるので、程々の文明との繋がりを行っているのです」
「あ~、確かに」
確かにそう考えると程々に栄えた文明か、同等レベルの文明との交流が無難だな。……よし、ボンゴレビアンコにしよう。海鮮も有名だとファイスが言ってたからな。
「でも何で地球にこっちの情報がないんだろうね? こんなに文明が入り込んでいるとなると、地球にもこっちの文明の影響があっていいと思うんだけど……」
そう、我が故郷……もとい地球にはこちらの情報が一切無いのだ。こちらには地球の情報が少なからず存在しているのだが、逆は聞いた事がない。……まぁ、地球でこの協定島の話を聞いたとしても、"こいつの頭大丈夫か?" と心配する程度だが……。
「こちらから地球に帰る際の魔法陣に、発信阻害の魔法を組み込んでいるらしいです。私も詳しくはわかりませんが、あちらでこちらの事を広める、もしくは話そうとすると、こちら側の記憶の全てを消去されるか伝える事が出来なくなるらしいです。……オーダーしても大丈夫ですか?」
「あぁ、いいよ。お願いしても良いかな?」
一通り話し終えた所で彼女がぴょこんと手を掲げて室内にいる従業員を呼び、席に来るまでの間暫し話し込む。
「しっかし発信阻害、ねぇ。今って地球以外と繋がっている所って幾つあるの? ……あ、ボンゴレビアンコをお願いします」
「現在は地球のみとなっています。……私はベジタブルサンドをお願いします」
駆けつけてきた従業員にオーダーを済ませた所で、続きの話を始める。
「地球以外の世界はどうなったの?」
地球と同等レベルの文明ならば幾つかありそうな気がするのだが、彼女の芳しくない表情からすると、良い返事は帰ってこないだろう。
「全て滅んでしまいました。ある日突然ゲートが切断され、接続できなくなったんです。こちら側に観光に来ていた方々も帰る事が出来なくなってしまい、こちらに永住する事になったんです」
あらあら、何があったのやら……。とは言え、自分達の地球の文明も彼らの文明と同程度と考えると、滅んでしまう可能性は十二分にある訳だ。
自分が悩んだ所でどうにかなる訳でもないし、どうこう出来る訳じゃないのだが、通りで聞いた事も見た事もない通貨表示が通貨管理局に有ったという訳だ。
となるとつまり……。
「ここにある果実が地球にもあると言うことは、向こうから種や苗を引っ張ってきたって事でいいのかな?」
多少はこの世界特有の果実や野菜があるにはあるのだが、それにしても地球にもあるものが多すぎるイメージがあった。多分、海鮮などの生き物に関してはこの世界原産のものなのだろう。
彼女は「んー」と少し考えるも、「私もホテルに宿泊されるお客様から聞いた話なので真偽はわからないのですが」と一言断りを入れる。
「どうやら地球とこちらの気候が似ているらしく、他の世界のものに比べて育ちやすいらしいんですよ。それに……」
彼女はそこまで言うと尻すぼみ気味にぽしょぽしょと口を閉ざした。確かに地球と同じく四季もある様だし、似ていると言えば似ているだろう。だが彼女はその先の言葉を出すか出すまいかを迷っている様で、「それに?」と言って先を促した。だが何か言いにくい事でもあるのだろうか。暫しの間考え込んでいたが意を決した様に口を開いた。
「その、地球の……特に日本で改良された果実は群を抜いて糖度が高く、とても美味だと言われています。こちらの人々の中には"紳士の皮を被ったド変態"と、褒めているのやら貶しているのやら分からない言い方をされる方もおります。
……現に、地球からこちらへ移住された方は品種改良を行い、こちらの気候に完全に対応した果物を作り出しました。また今後は糖度を限界まで上げる事を目的としているそうで、種族も人間からアンデッドへと変えることで永久の命を得て品種改良に没頭しているそうです」
……ここまでのガチ勢っぷりを聞かされると否定できず、何だか耳が痛く感じる。日本人ってガチ勢エンジョイ勢問わず、変態的な特技を持つ人が多い気がする。リアルにしてもゲームにしても。
……確か、桃の最高糖度の32度を叩き出したのって日本人だったっけか。
その他にも他愛もない会話をしている内に料理がテーブルへと届き、食べながら会話しようとしたのだが……。
「……でかくね?」
「はい?」
その運ばれてきた料理に一人驚愕するが、彼女にとっては普通な様で頭の上に疑問符を浮かべている。……いや、確かに料理の量も多い方なのだが、それは問題無い範囲だ。間違ってもアメリカンサイズではなく普通に処理できるレベルの多さだ。だが一番の問題と言えば……。
「いや……この貝、大きくない?」
そう、ボンゴレビアンコの具材であるアサリのデカさが半端じゃないのだ。寧ろこれは別種のレベル。もしかしたらアサリとすら呼ばれて無いのかも知れない。
日本でよく見るサイズと言えば、大体人差し指の第1関節程の大きさ。だが目の前の料理に入っているそれは、言うなればPCのマウス程の大きさがあり、下手すると鮑などよりも大きく肉厚。
……すっげーインパクト。
1つでさえとんでもないインパクトだと言うのに、それがドカンと4つ乗っているとなれば、それはもうとんでもない光景としか言い様がない。
「そうなんですか? 私は見慣れているので何とも思わないのですが……」
だが彼女はと言うと、何とも無さ気な表情でサンドイッチに齧り付いており、パンの間から覗くのは、レタスの新鮮な緑と、トマトの鮮明な赤。そしてソースと思われる黄色いそれが見えており、美味しそうに頬張る彼女の口角にもお弁当だと言わんばかりにちょこんと着いている。
その美味しそうにもしゃもしゃと咀嚼する様はまるでハムスターか何かを連想させるのだが、種族的には間違いなく兎。
「いやね、地球だとこの貝はね、この位の大きさなんだ」
俺はそう言いつつ、人差し指の第一関節を見せた後、自分の手元にあったナプキンで彼女の口元を拭った。
彼女はびっくりしつつも、両手がサンドイッチで塞がっているため成すがままになっている。