平和の裏側
そんな様子を見ていると、バラバラと宿泊客がエントランスから外へと出て行くのが見えた。多分、館内に喫煙所がないので外に喫煙所があるのだろうと思うのだが、実際の所は分からない。
なので一旦確認する為にも受付にいるアプリコットオレンジの女性へと尋ねてみようと思い歩みを進めたのだが、カウンターの中の彼女はその和気藹々な様子を優しげな眼差しで眺めており、何だか大きな一仕事終えたかの様にも見えた。
そんな彼女の居るカウンターへと近付くと、彼女も俺に気付いたのかこちらを向いてニコリと笑みを浮かべ、「どうされましたか?」と親しみやすい笑顔と共に尋ねて来る。なので「喫煙所の場所は何処ですか?」と尋ねた所、やはり館外に喫煙用の灰皿があるとの事なので、彼女にお礼を言って部屋の鍵を預けつつ、踵を返して入り口へと向かった。
その目線を向けた玄関には、黒いスーツに身を包んだ小柄でいて褐色の肌を持つ男性……。いや、ゴブリンだろうか? 耳がエルフの様に尖っており、少しばかり体つきが角張っている様に思えた彼が居た。
そして共に漆黒で艶やかなエンパイアラインのドレスに身を包んでいる、下半身の部分に同色の黒いカバーの様なモコモコのそれを履いているラミア族の女性が居る。
2人は和気藹々と会話を交えつつ丁度ホテルの外へと出てゆく所であり、その手はそれぞれ観音開きのドアの取っ手部分に掛けられている所であった。見た所冷気が中へと入らない様にとドアを閉めようとしていた様で、その閉めようとした既の所で俺の存在に気付いた様だ。
彼等は自分を一瞥した後にお互いに顔を見合わせた後にクスクスと笑いを溢した始めたので、一瞬何の噂をされているのだろうかと不安になってしまう。
だがそれは杞憂に終わる。俺の姿を確認した2人は俺を見つつちょいちょいと手招きをし始めた。……どうやら早く来いとの事らしいので、少しキツめの腹具合を無視しつつも玄関へと早足で駆け寄る。
そして玄関を通り過ぎて冷ややかな空気の満ちる外へと出るのだが、その寸前に「すみません。ありがとうございます」と2人に礼を述べると、ゴブリンの彼は笑いを含んだ声で「良いってことよ。気にすんな」と答え、ラミアの女性はと言うとクスりと笑いながら「どういたしまして」と微笑んでくれる。
少し上がった息を整えながら周囲を見てみると、現代の日本と比べても喫煙者の数が多い様で、種族や性別問わず大人の優雅な嗜みとして受け入れられている様にも思えてしまう。……まぁ、ここの宿泊客の喫煙率が高いだけなのかもしれないのだが。
そこで俺も一服しようと煙草を取り出してジッポーで命を灯すのだが、そこで今しがた扉を押さえてくれていたゴブリンの男性の様子がどうもおかしい事に気付く。
具体的には彼は煙草を咥えたままスーツのポケットを忙しなく探しているのだが、どうもお目当ての火種が見つからないらしい。火種を忘れた事を悟った彼が悔しそうに天を仰ぎつつ「クソッたれ……部屋に忘れちまった……」と悔しそうに呟いているのだ。
そんな彼の隣にいたラミアの女性はと言うと、細身で少し長めの、まるでパーラメントの様な煙草を吸いながらコロコロと可愛らしく笑っており、その様子を楽しげに眺めていた。
そこで彼女の様子を改めて見たのだが、彼女は腰辺りまで伸びた艶やかな黒髪を持ち、黄金とも思える金色の瞳で、まさに蛇と言わんばかりの縦長の瞳孔を持っていた。だがそんな彼女の纏う雰囲気はとてもほんわかとしており、"お姉さん"という言葉がぴったりな雰囲気を纏っている。
「これ良ければどうぞ」
小さな恩ではあるのだが扉を開けてもらったので、今しがた使ったジッポーに命を灯したまま差し出すと、彼は「おっ、悪いね」と言いつつ煙草の先を近付けてきた。
すると煙草ジリジリと鳴きながらは難なく命を宿して紫煙を漂わせ始め、少しばかり鰹節に似た香りを辺りに漂わせた。……香り的にはジタン・カポラルの香りに似ている様にも感じる。
煙草に命が宿った事を確認して火を収めると、彼はケラケラと笑いながら「人間にしては随分と良い奴じゃねぇか」と楽しげに言葉を零した。それは一体どういう意味なのだろうかと首を傾げていると、突如ラミアの女性が俺の体に蛇の半身を絡ませつつ背後からあすなろ抱きをしてくる。
その蛇の半身は寒さ対策だろうか、モコモコ生地のカバーで覆われており、触り心地が良いのでついつい撫でてしまうのだが、その、恥ずかしいのもあって、その、ごまかすために……ね?
だが彼女はそんな気持ちを知ってか知らずか、俺の頭にしがみ付く様に頭に腕を回し、頭頂部にスリスリと頬擦りし始めた。
……流石に気になったので彼女に「何してるんですか?」と尋ねたのだが、彼女はと言うと「うふふふ」と意味深な笑いを零すだけ。
「……ラミアを嫌がらないだなんて、お前さんもモノ好きだなぁ……」
するとゴブリンの彼が美味そうに煙草を味わいながら語りかけてくる。だが今日初めてこの世界へと来た俺にとってはその情報自体が初耳であり、「そうなんですか?」と彼に尋ね返したのだが、その言葉に彼の表情は一気に凍りつく。
「……嘘だろお前。この事を知らないってのか?」
次いで彼の表情に浮かんだのは明らかな困惑の色で、その途端にどうやら誤って"地雷"を踏み抜いてしまったのだという事を、背中に伝う冷や汗と共に感じる。
だがここで下手に言い訳をしても変な印象を持たれるどころか不審な印象を与えてしまうので、もう正直に話してしまおうと考える。……別に隠す事でもないしね。……ないよね? 地球出身だって言った途端に殺されたりぶん殴られたりしないよね?
「……実は地球の出身で、今日入国したばかりなんですよ……」
俺がそう真実を告げると、目の前で怪訝な表情を浮かべていたゴブリンの彼はおろか、ラミアの彼女すらも唖然とした様で、それまで頭の上で頬擦りしていたのがピタリと固まってしまった様に動きを止める。
「……お前、地球から来たのか……。もしかして"日本"からか?」
「えっ、あ、はい。……でも何で日本出身だって分かったんですか?」
突如日本出身であった事を言い当てられたので少しどきりとしつつ、何故出身地がバレたのかを尋ねると、彼は一転して豪快な笑いを放ち、「それなら知らねぇのも仕方ねぇか!」と、地雷を踏み抜いた事を流してくれる。
ラミアの彼女も頭の上で「ふふふ」と笑いを零しながら、俺の頭をまた頬擦りし始め、「なるほどね~」と甘く間延びした声でそう呟いた。……頬を頭に密着させている所為か、彼女の声が振動となって頭に伝わるので、少しばかりむず痒い。
そこで「何がなるほどなんですか?」と彼女に尋ねると、代わりにゴブリンの彼が「それはな……」と答えてくれる。
曰くラミアやアラクネなどの魔族は特に恐ろしい魔族として人間に伝えられている為、今でも尚忌避されやすい存在として認識されている様だ。
それは平和になった今でも少なからず差別として存在している様で、この世界の男性達は彼女らが如何に美人であってもその恐怖感が先に湧き、どうしても彼女らを避けてしまうそうだ。
だが当の本人たちである彼女達としては逆で、概ね好意を抱いているのだそうだが、逆の方向が如何せん……と言う訳だ。
……そんな背景があった事に驚きを隠せずに居るのだが、それよりもその……ですね。その豊満なお胸が私の後頭部にですね、はい。場面としてはとんだシリアスな場面なのだが、一方で頭の中は後ろから抱きしめられている事で、心臓がとんでもないBPMを叩き出している。
「……んふふ。ね~ぇ? さっきから凄い勢いで心臓がバクバクしてるわよ~?」
するとその鼓動を感じてか彼女が俺の生体情報をリアルタイムで暴露してくるので、俺としてはまるで公開処刑を受けている様な心境になる。
その楽しそうに話す彼女に「そ、そんな嘘を吐かないで下さい」と、多少震えが孕んだ声で抵抗を示すも、彼女の「でも、私の撫で方が変わったわよね?」と、更に心理面への追撃をし始めたのだ。
そこで改めて自身の擦っている手に目をやるも、先程まではただ左右に動かすだけだったのが、いつの間にやら無意識に円を描く様に動いていた事に気付き、また更に冷や汗が背中を伝う。
「んふふー。ほんと嫌がらないから可愛いわねぇ……」
「……いやぁ、そう言われても……」
そんな可愛いだなんて言われても、男である以上、あんまり嬉しくはないと言うのが本音。だがこの言葉は彼女なりの褒め言葉だろうと思うので、そう思うと嬉しいと思ってしまう、何とも複雑な心境となってしまう。
そして彼女とそんなやり取りをしていた所、他の宿泊客達はと言うといつの間にやら何処から持ってきたのか酒の瓶を開けてプチ宴会を灰皿の近くでおっ始めており、所々から「良いぞやっちまえ!」や、「ほらそこで一発ヤッちまえ」だの、餓鬼の様な煽り文句やとんでもない下ネタが飛び出してくる。
まるでさながら野球観戦をしつつ野次を飛ばす観客にも思える彼等に「うっせぇなぁ! チキンハートなめんなよこの野郎共!」と思わず言い返すと、彼等も更に何やらテンションをかち上げ、まさにゴールによって1点取得したと言わんばかりの歓声を上げた。
あぁ、もう。……手に負えねぇわ……だなんて半ば諦めていると、その騒ぎを聞きつけたアプリコットオレンジの女性が「一体何の騒ぎですか!」と半ば怒号に近い声を上げつつ館内から飛び出てきた。
途端、周りで騒いでいたであろう彼ら彼女らが瞬時に静まりつつ、「やべ……やべ……」と悪戯がバレた子供の様に、蜘蛛の子を散らした様にそそくさと居なくなってしまう。先程まで会話していたゴブリンの男性も、「すまねぇな、頑張れよ」と苦笑いを浮かべて皆に混じって中へと入ってゆく。
……おいそりゃ無いんじゃないのー?
その場に残されたのは俺とラミア族の彼女と、アプリコットオレンジの彼女の3人である。因みに現在進行形で巻き付かれた上に背後から抱きしめられている最中である。
「……誰かと思えばコースケさんじゃないですか。……また誑し込んだんですか?」
彼女が呆れたように腰に手を当てて溜息混じりに言うのだが、……いや、"また"って何だ、"また"って……。生憎とそういうイケメンスキルは所持していない。
「そんな怨めしそうな顔で見ないで下さいよ、全く……」
「ファイスを誑し込んだ癖に」と後を続けた彼女。……何だって?
巻き付くラミアの体をポンポンと軽く叩いて避けさせ、ジッポーを取り出す。手に握ってあった煙草を1本咥え、火を灯して肺に落とし込んだところで彼女に一言。
「ファイスって、さっきのショートボブの子ですよね? ……誑し込んだなんて全く覚えが無いんですけど……」
何となく手持ち無沙汰になり、巻き付くラミアの体を優しく擦りつつ彼女の返答を待つと、彼女は苦笑いを浮かべる。
「さっきからあの子の様子がちょっとおかしくて、上の空で顔を赤らめて自分の耳を撫でてるんです。最後に案内したのがコースケさんなので、何かしたのではないかと……」
マジかよあの子の可愛過ぎない? 寧ろチョロすぎて逆に心配なんだけど……。
けど生憎自分にはロリコンの気はありませんので悪しからず。
「自分は正直にピョコピョコ動く耳が可愛いって言っただけですよ? ……まさかそれでそうなるなんてことは――」
「あるんですよそれが」
「マジかよ」
思わず敬語を忘れて喰い気味に反応してしまう。そんな様子に見かねた彼女は「大体」と呟く様に溜め息混じりで言葉を吐き出した。
「コースケさんの居た地球とは違って、こっちの世界の人間って私達魔物の容姿を褒める事はほぼ無いんですよ。大昔に人間との戦争があった歴史があるので、未だにその感情が僅かに残っているんです。……今は和解して、互いに足りない所を補って発展してゆこうって事にはなっているんですが」
意外だ。見た感じこんなにも平和だというのに。山の上から見下ろした感じではそんな事はなく平和そのものだったのに。
辺りを見回しつつそんな事を考えていると、何を考えているのか解ったのか、彼女は苦笑いを浮かべて「ここの平和さが異例なだけです」と補足するように呟いた。
彼女曰くこの協定島は丁度魔族と人間の領土の中間に位置しているらしく、戦争が始まる前から魔族と人間との共存が行われていた。
両陣営による戦争が始まるや否や、ここも本土と同じく紛争状態となるのかと思いきや魔族と人間の代表格が話し合い、本土への報告を偽っていた。その事は全住民にも通達され、本土へ出向く際には必ず、"血みどろの紛争状態で地獄へと変わり果ててしまった。"と嘘の証言をするようにと通達されていた。
全住民への説明後、戦争という建前上から住民を守る行動を取らなければ疑われるとの事で、彼らを本土へと一旦避難させ、その後互いの代表格は国から臨時的に分け与えられた自分達の兵を全てこの島へと上陸させた。勿論最初から戦争を行う気など微塵もなく、何をして終戦までの時間を潰そうかと頭を悩ませていた。
そこで暇潰しの標的となったのが、道の整備や上下水道などのインフラ事業であった。
当時の島は現在の様に純白の石畳で舗装されていた訳ではなく、全て未舗装の砂利道や畦道が主であった。それを不便に思った両者の代表が「どうせ終戦まで暇だし、この際全て整備してしまおうか」という結論に至り、大規模なプロジェクトが発足された。
こうして魔族と人間の混成部隊による島全体のインフラ整備が始まったのだ。
毎日汗水流して島全体を開発するという、まさにクリエイティブ極まりない毎日が平和に過ぎ去っていたのだが、ある日突然、本土からの視察が入る事となった。
2人は悩みに悩み、どうせなら抱き込んで利用してしまおうという何とも大胆な結論に至り、同じ日に互いの視察役を呼ぶ事となった。
両陣営の視察役をしれっと何事もなかった様に方針会議へと呼んで会議を始めた所、両陣営の視察役が全く理解できずに唖然としていた。だが2人の代表の真剣な態度を見て、もとい、地獄の島と聞いていた島がこんなにも平和で開発がグングンと進んでいた事に拍子抜けした事で、この島の改造計画に興味を持ち始めた。
結果的に視察役を合わせた4人は島の区画を等分し、それぞれ北に居住地区であるセブルス地区、南に商業地区であるカレウス地区、西に生産地区であるアリアンヌ地区、東に工業地区であるリフィエラ地区を作り上げたという。
その地域にはそれぞれの担当した人物の名前が入る事となり、男性であるカレウスとセブルス。女性であるリフィエラとアリアンヌがそれぞれの地域の名前となった。
当然の事ながらずっと本土を騙し続けられる訳もなく、国王、並びに魔王にこの事がバレてしまい、互いの陣営の代表各と視察役が雲の上の上司である王により直々に大目玉を食らうと言う事態となってしまった。
とにかく島の状況を確認しておかねばと考えた国王と魔王は、その変わり果てた……否、両陣営の兵によって弄られまくって魔改造された島の現状を見て呆れ果てた。
戦争が始まる前の島の状況は、言うなれば僻地にある田舎の集落で、島の一部分のみ開発がされている状況であった。だが、戦争が中盤を迎え、今まで報告が全て嘘だと知った後にいざ来てみると、そこには、島の四方全てが開発され、それぞれ区画分けされている状態となっていたのだ。
言わずもがな、当時ではまだ最新鋭とされていた上下水道も完璧に整備されており、現代の日本とそう大差ない程のインフラ基盤を作り出してしまった。
また、その島に駐留していた両陣営の兵士たちは互いに切磋琢磨しあい、技術や武器、魔法などの情報を交換し教え合うことで独自の進化を遂げていた。
達人と言われるまでに剣を極めた魔族や、賢者と言われる程に魔法を極めた人間など、言ってしまえば兵士のレベルが通常の軍隊では考えられない程に向上していたのだ。
また結束や絆も固く、毎晩どんちゃん騒ぎの宴会を行っていたためか通常の軍隊よりも統率が取れており、特に味方をカバーする能力に長けていた。
その島が保有する戦力は、小さい島ながらも魔族領と人間領の戦力を軽く凌駕する程に高く、両陣営ともに手を出せない状態となっていた。
立地的には互いの領土の中間という事もあり、とても喉から手が出そうな程に欲しい物件なのだが、手を出したら最後、火傷ではなく文字通り消し炭にされる結末が待っている、何とももどかしい島となった。
日々島の開発と改造を重ねる内に戦争は終結を迎え、この島は何の被害も被ること無く新たな環境、もとい他国から良い意味で魔境と思われてしまう様な環境を作り上げてしまった。しかもこの島に駐留していた本土の兵士達は本土の軍隊を辞め、この島の軍人としてリフォームされた街に住む事になったのだ。
その風習は今も尚続いており、この協定島の軍隊はこの島出身の者が主な構成となっている。外部からも人が来るものの、飽くまでインターンシップや教育機関として利用されるだけで、本配属はされない。特に軍隊の教育機関としては一番だと言われる程秀でており、味方を大切にし、カバーすることの重要性を特に叩き込まれる。
ここに住みつつ教育を徹底的に受けることで、入ってきた時よりも味方への忠誠心が向上した状態で本土へ帰ってゆくので、よく両陣営の新人教育施設としても利用されているとの事。
因みに本当に蛇足だが、協定島の由来は、島の代表と両陣営の視察役の4人の協定によって発展したという事で、協定島となっているらしい。
その様な経緯があったためか、この島に住む人々達の間では殆ど偏見などはないのだが、それでも遺伝子に刻まれた記憶なのか、やはりラミアなどに巻き付かれたりするのは怖いらしく、大体の人はそう言う事に危機感を覚える様だ。
また、このように平和なのはこの島だけらしく、それぞれの領土ではこうも平和にはなってはおらず、小さいトラブルが多発しているそうだ。
魔王と国王が協議に協議を重ねてその問題の解決に尽力しているのだが、中々減少には至らないらしい。
そういった経験からか、互いに特徴のある外見を褒めたり親切にしたりする事は、他の国ではあまりないらしく、煙草についても戦場にて娯楽品として大量に消費されていたためもあって、人間達の間ではあまり好まれていない。その代わり人間は酒類の消費量が多く、市場に出回っている酒も他国よりも安価でいて質も安定しているとの事。
とくにリキュール系のお酒が安くて美味く、この世界に流通している大体の果実酒やリキュールなどは、人間領で作られたもので、ジンやウォッカなどのスピリッツ系は主に魔族領で生産されているらしく、地方によって風味がガラリと変わるらしい。
………………
……………
…………
………
……
…
彼女の話を聞き終えて一言呟きつつバランタインのロックを少し煽る。……と言うよりもバランタインが普通に置いてあって結構驚いてるんだけどね。……他にも見た事のある銘柄が揃っている所を見るに、時々地球へと行って仕入れ等も行っているのだろうかと、少しばかり無粋な事を考えてしまう。
とまぁそんな事を思いつつ、ちらりとバーカウンターの奥の酒棚に目線向けた所、並べられているのは顔馴染みのある酒から全く見た事のない物まで多岐に渡っている。
現在居るのはホテルの斜向かいにあるバー、カルム。あのまま会話していた所、体が冷え切ってしまい、どこかで落ち着いて話そうという事になっり、ここへ向かった次第だ。……主に俺に巻き付いて僅かながら暖を取っていたラミアの女性が、だ。
そんな彼女とは反対側である左隣にはスーツ姿でネクタイを緩めたアプリコットオレンジの髪の彼女……つまり、マリアの姉である"レイラさん"が座っていた。
因みにラミアの女性……聞いたところ"ミスティア=カーライル"という名前らしい彼女は先程と同じく俺に下半身を巻き付けて暖を取りつつ、右隣でマグカップに入ったホット・バタード・ラム・カウを両手で持ちつつチビチビと飲んでいた。
その彼女の下半身を覆っているモコモコの服が心地良く、ついつい先程と同じ様に無意識の内に巻き付いている部分を撫でてしまっている。
「驚きましたか? ここは今も昔も全くと言って良い程変わっていないと思いますけど、この島を取り巻く環境はそうではないんですよ」
そしてレイラさんは意外にも喫煙者であり、ジンバックで満たされたグラスを傾けつつ濃厚なバニラの匂いに似たシガリロをぷかぷかさせていた。今は無きキャスター……というよりもノーマルなアークロイヤルに似た甘い香りが漂っている。
「……というかレイラさん、ホテルの仕事はどうしたんです?」
彼女は先程までは受付にいた筈で、絶賛勤務中だった筈だ。だが彼女はそんな事を特に気にした様子もなく、紫煙を吐き出しながら「え?」と言って小首を傾げた。
「これも業務の内ですよ?」
「えっ?」
そんな彼女の口から出た言葉に思わず驚くが、彼女は得意げにフフンと鼻を鳴らして彼女は言葉を続けた。
「ここに来るお客さんはウチの宿泊客が多いって、さっきファイスから聞いてましたよね?」
確かに、バーに行くと言った際にその様な事を言っていた気がする。思い出した時にその顔ではなく、その上でぴょこぴょこと動く耳を思い出してしまい、彼女に少し申し訳ない気持ちになってしまった。
「やはり深く懇意にさせて貰っている手前、迷惑を掛ける訳にはいかないんですよ。なので、何かあった際にすぐ対応できる様に従業員が誰かしらいるんです」
そうなのか……。って事はホテルの金で酒飲めるって事? それって凄くね? ちょっと羨ましいんだけど。
「まぁ、全部嘘なんですけどね」
「ウソかよ」
すっかり騙された。ドが付く程の真面目お姉さんかと思ったけど、とんだお茶目さんで驚いた。そんな俺を騙せた事を嬉しく思ったのか、彼女はニシシと笑みを零した。
「あの時丁度退勤時だったんで、そのままこっちに来ただけです」
先程までの凛と大人びた表情が子供の様にくしゃりと崩れたのを見て思わず胸が高鳴った。……何でこの姉妹ってこんなに俺の心臓を酷使してくるの?
すると反対側の右側に座っていたミスティアは突然体に抱き着いて不機嫌そうに呻きを上げ、心なしか蛇の部分で締め付ける力が強くなる。
「ねぇ~ぇ? さっきから私に構ってくれないのはど~おしてぇ~?」
その甘ったるい間延びした声に目を向けると、既に顔が至近距離にあり、思わず咄嗟に体を離してしまう。
だがそれに不快感を感じたのか、ミスティアは不貞腐れた様にぷくりと頬を膨らませつつ、「もぉ、どぉ~して離れるのぉ~?」と可愛く抗議の声を上げた。
いや、至近距離に女性の顔があったら普通に驚くでしょ。
しかもすんごい酒臭いし、目の焦点が若干合ってない……? いや、もう酔っぱらってない? それ1杯目だよね? 確かに文字通りラム酒が入ってるからある程度度数高いんだけど、まだ1杯目でそれかー。
飽くまでファンタジー小説や漫画を見ていた中での想像だったが、蛇はみんなザルだと言うイメージはどうやら間違いだったらしい。
「いやだってこんな美人に顔寄せられたらそりゃ驚いて離れますよ」
酒が入っていて高揚している為か、ポロリと思っていた事が意図せずに口から零れてしまうのだが、その言葉に満足したのか、ミスティアはにこりと笑みを浮かべて俺の頭に頬ずりをしだす。
「……ほんとにコースケさんって女誑し……いや、人誑しですねぇ……」
レイラさんが呆れる様に横目でこちらを見つつグラスを煽って呟いた所、ミスティアさんもケラケラと笑いながら、「ほんとよね~? こんなにも怖がらなくて優しい子って初めてかも~」と嬉しそうに言葉を呟いて、冷めつつあるバタード・ラム・カウの残りを飲み干した後に可愛くケプッと息を零した。
「さっきもねー、貴女と話してる時も体を優しく撫でてくれたり、ポケットから物を取り出す時に無理矢理引き剥がさずにポンポンって優しく叩いてくれてね~。……中々ないんだよ~?」
彼女はそう言いつつまた頭に抱き着き始めた。……もうそろそろホテルに戻さないとヤバいかな……?
その酩酊具合が結構な危ない所まで来ていると思って隣のレイラさんに目を向けると、そこには先程とは一切変わらない態度できりっと酒を煽っていた姿があった。……手元の灰皿のたまり具合を見るところ、結構な数を飲んでいる気がするのだが、その表情には一切変化が見られない。
……あー、こっちは"兎"なのに"蟒蛇"かー。人は見かけによらないんだなー。
「あの~、レイラさん?」
俺は恐る恐る彼女の状態を確認するために声をかけた。すると彼女は先程と変わらない態度でにこりと微笑み「ん~? なぁ~に女誑し君?」と、いきなり毒を吐いてきた。
「何ですかいきなり……。女誑しじゃないですって。……それよりも、ミスティアさんがそろそろ危なそうなので、お開きにしませんか?」
「何だとー! まだ酔ってないもん!!」
俺が彼女に提案すると、体に巻き付いていた彼女が瞬時に抗議の声を上げるのだが、それを意に介さず会話を続ける。
「そうですね……。ミスティアさんもそろそろ危なさそうですし……。お開きにしましょうか」
彼女はちらりとその顔を見て一瞬で判断を下す。彼女から見ても限界が近いのがわかるのだろう。そんな事を言われたミスティアさんは「なにお~!」と意気込んで体から離れて立とうとするのだが、酔いによって上体を維持できずに「あれぇ〜?」とテンプレ通りな事を呟きつつ倒れこんでしまった。
「ちょっとしっかりしてくださいよ……」
巻き付きから開放された事で少し物足りなさに似たものを感じつつ、やれやれと思いつつ立ち上がる。次いで彼女を立ち上がらせようとするが相手はラミア族。……人間と違ってどう持ち上げればいいのかと少しばかり悩んでしまう。
普通に人間に対してやる様に持ち上げても尻尾を引き摺る形になってしまうので、下手な所を持てないのだ。
「普通にお姫様抱っこみたいに持っても大丈夫ですよ。ただ、ミスティアさんに体に巻き付いてもらう必要がありますけど……。ミスティアさん、コースケさんに巻き付いてください」
そんな戸惑っている俺に対して呆れたのか、それとも微笑ましいと思っているのか、レイラさんが片肘を付きながら苦笑いを浮かべてそう教えてくれると、ミスティアさんから間延びした「あ~い……」と力ない返事が聞こえる。
取り敢えず持ち上げなければ話にならないので、彼女の脇腹あたりと膝の……膝ってここらへん……だよな?
取り敢えずそれらしきところに手を通し、ミスティアさんに「手の位置はここで良いですか?」と確認するのだが、返ってきたのは意志の感じられない、「うー……」という生返事。
取り敢えず彼女を持ち上げ――――重っ!
やはり女性とは言え、言わば大蛇といえるであろうラミア族。持てない程ではないが、あまり長くは持ち続けられないだろう。
少し力を強めに入れて彼女を持ち上げると、彼女は俺の首に腕を回してゆっくりと蛇の部分を上半身へと絡め付かせてくる。
持ち上げて一段落した所でレイラさんが「準備はできましたか?」と確認を入れつつ煙草を揉み消す。それに俺が頷くと、すっと立ち上がって外への扉へとに手をかけた。代金はドリンクとの交換なので、後に精算するものはない。
その彼女の所作に淀みやブレが全く見られない所を見るとアルコールが一切入っていない様にも見えるのだが、この3人の中で一番飲んでいたのは間違いなく彼女だ。
人に見かけによらないってホントなんだね……。今改めて実感したよ。
彼女を部屋まで送り届けるためレイラさんが扉を開いて外へと出してくれた後、彼女は先にホテルへと走って行った。どうやら先に鍵を用意して待っていてくれるらしく、本当に彼女には頭が上がらない。
「……ごめんね? 重いでしょ?」
ホテルへの道のりを極力揺らさずに歩いていると、ふと腕の中からか、まるで怒られた子供の様なか細い声が聞こえてきた。どうしたのかと思って見下ろすが、彼女は俯いたままでその顔色は伺い知れない。
「問題ありませんよ。尤も、人間の体重しか知らないんで重いかどうかすらわかりませんし」
半分嘘を吐いてしまう。重いと言えば重いだろうし、こうして彼女を抱えて移動出来ている以上、そんなに重くはないと言えば重くはないとも思ってしまう。それに、ラミアの標準体重というものを当然ながら知らないので、その判断基準すらも分からないので、どうとも言えないのが実際の所だ。
すると彼女はクスッと笑いを零しながら、頭をコテンと胸板に預けてくる。
今まで艶やかでいて大人びて見えていた彼女が無性に幼く見えてしまい、もしかすると先程までの彼女の性格は仮初のもので、本来はこの様な性格なのかも知れない。どちらも本当なのかも知れないし、どちらも嘘なのかも知れない。本当のことはわからないながらも、そんなまた新たな一面を知れてしまう。
「……ホントに優しいんだね」
まるで囁く様な声で呟くミスティアさん。"そうでもない"と返事をしようとしたが、彼女のその柔らかでラムカウの香りが残る甘い口付けによって塞がれた。
永遠とも言える一刹那の間。唇が離れ、彼女の元の定位置である胸板に目線をやると、そこには、目一杯赤面した彼女の顔があった。
その顔は真っ赤に上気していながらも、まるで挑発するかの様に満足気だ。まるで、"貴方はどうなの?"と言わんばかりに。
理解が追いつかずに呆然と立ち尽くしていると、笑みを浮かべたままシュルシュルと体から離れ、その巨体をくねらせながらホテルへと向かっていった。
「…………はい?」
その現状を理解するまで少し時間がかかったが、寒さに身を縮こまらせた事でハッと気付き、ホテルへの歩みをまた進める。その体中がその冷たい風に撫でられて冷えてゆく中、顔だけが火照って熱いままなのは、きっと酒のせいだろう。
「……一体どうしたんですか? 色々と」
ホテルに戻ったところで、受付カウンターの中にいたレイラさんに怪訝な表情を向けられる。
彼女の手には俺の部屋である"112"号室の鍵が握られており、勤務時間外だと言うのに律儀に待ってくれていたのだ。
その隣には、これからの深夜帯での勤務なのだろうか、スケルトンの……男性だろうか、女性だろうか分からない者が立っており、手元で作業をしながら軽く会釈をしてくれた。
「いや……特に何も……」
どう話そうかと思っていたが、気恥ずかしさからか思わず言葉を濁してしまう。……さっき会ったばかりの女性にキスされた、なんて言えないだろ!
言えたとしてもどんな顔して言えばいいんだよ! 自ら恥ずかしいエピソード語って自爆したくないわ! しかも言ったところで何だこいつって思われるだけだろ!
「……ミスティアさん、無茶苦茶顔を赤くして行きましたけど……」
「……酒が入ってたからじゃないですかね?」
彼女に目線を合わせられず、言い訳がましい言葉を吐いてしまうが、彼女は少しの間無言となり、「まぁいいですけど」と溜息混じりに言葉を返した。
その反応は如何にも納得が行っていないようだったが、深入りするのはあまり良くないと判断したのかそれ以上踏み込んでこない。
「はい、これが貴方の部屋の鍵です。本来であればドッグタグの認証を行うのですが、一番最後に渡した鍵なので覚えているのと、私自らが受付をしたのでこれで合っている事を証明します」
すると彼女から自分の部屋番号である"112"の番号が刻まれたキーを差し出される。受け取ろうと手を伸ばした時、彼女は釘を刺す様に「余計なお世話かもしれませんが」と呟いた。
「ここは地球ではなく、それとは別の世界となります。行動する際はしっかりと考えて、後悔の無い様に、責任を取れる範囲での行動をして下さい」
そう告げる彼女の表情はとてもふざけている様子も無く、至って真面目な表情。
それ俺は「……肝に銘じておきます」とそれだけを言い返し、鍵を受け取って踵を返した。その部屋に帰るまでの短い筈の道のりがとても長く感じられ、まるで夢見心地のようにフワフワとしていた。
酒の飲み過ぎかなと己に言い聞かすも、どうも先程のしおらしい態度の彼女が頭から離れなかった。
部屋の鍵を開けて中へと入ると、暗闇だった室内に柔らかで仄暗い明かりが灯る。
途端に何だか先程までの事がどうでも良くなり、羽織っていた上着をチェアーへと脱ぎ捨て、そのままなりふり構わずベッドへと倒れ込んだ。
ふとミスティアさんの事をまた思い出すが、途端、急激に眠気が体全体を包み込み、そのまま意識が泥の中に沈んでいく様に消えていった。
"責任を取れる範囲で"
最後に思い出されたのは、レイラさんから掛けられたあの言葉であった。