初めての海外旅行
それから暫し運転をして帰宅を済ませ、必要な物を持って協定島へと渡ろうとしたのだが心做しかファイスの体調が悪そうに見えた。具体的に言うのであれば顔が常に少し赤らんでいる上、少しながら立っている時にふらついて見えたのだ。
もしかしてと思い彼女をベッドに座らせて体温計を渡して体温を測った所、37.8度を表示しており、明らかに風邪っぽいのが見て取れた。慣れない地球での生活もあり、無意識の内に気を張っていたのかもしれない。そう考えると彼女に無理をさせていた事になり、申し訳ない気持ちになる。
すぐさま病院に連れていきたいのだが、当然ながら彼女は保険証を持っていないので、連れてはいけない。……いや、彼女の部屋に行けば協定島で使う事が出来る保険証があるのかもしれないが、少なくとも地球では使えないので、仮に持ってきていても何の意味もない。
とにかく協定島へと渡らなければどうにもならないので、荷物をまとめて光り輝くクローゼットの中へと足を踏み入れた。そこからの展開というものはとても早く、さらっと入国審査を済ませ、彼女に無理をさせまいと少しゆっくり目に歩いて商業地区の彼女の家へと向かった。
正面玄関から足を踏み入れると、そこには主任であるマリアとクリスさんの姿が受付カウンターの中にあり、閑散期故か手持ち無沙汰そうではあった。そんな2人は俺とファイスの姿を見るや否や一瞬笑顔になるのだが、ファイスの異変に気付いたのか一瞬で表情が曇る。
「ご想像の通りだ。申し訳ない」
「……風邪だね。大丈夫」
彼女は一瞬で事態を把握したのかカウンターを真正面から飛び越え、ファイスに近付いて額に手を当てる。するとマリアは暫し考えた後、「微熱ってところかな? 取り敢えず旅行は中止。いいね?」と、まるで子供を叱る母親の様にファイスへと言い聞かせる。
そのごもっともな言葉に少ししゅんと気を落としながら、「はい……」と項垂れた。そんな光景を見つつマリアにごめんと伝えると、彼女はケロッと何でも無さそうに「いや、気にしなくていいよ」と言葉を零した。
彼女は溜息混じりに「粗方、また裸で寝てたんでしょ」と、サラリととんでもない爆弾を投下してゆく。そのマリアの言葉に驚きつつファイスに顔を向けるも、心当たりがあるのか彼女は俺の方とは反対側に顔を向けた。……ファイスさん?
「……とにかくファイスはここで終わり。だから、コースケだけでも行っておいでよ。後2日間あるんでしょ?」
マリアはそう言いつつ、サラリと俺の予定を口にした。……一度しか言ってないのによく覚えてるなぁ……。と感心した所で、マリアがパンっと胸の前で手を叩きながら笑みを浮かべた。
「さて、湿っぽい空気は終わり! ほら、コースケも行っといで!」
「いやそう言われても……」
ファイスが体調不良だと言うのに1人で楽しんでいて良いのだろうかと心配するのだが、そんな心中を察したのかマリアが苦笑いを零しつつ「……全くあんたは……」と、嬉しい様な、呆れている様な、複雑な面持ちを俺に向けた。
「今回は完全にファイスの所為だから気にしないでね。……こうなるから止める様に言ってるんだけど、寝る時に服を着たくないらしくて……」
「……その衣服が纏わり付く感覚がどうも苦手なんです……」
半ば呆れ気味に語るマリアに、どことなく悔しそうな面持ちのファイス。……いや、その気持ちは分かるけども。
取り敢えずファイスとはここでお別れとなり、1人で人間領へと赴く事に。隣に彼女の姿がないのは少し寂しい気もするのだが、それよりも生まれて始めての、しかも魔法ありきな異世界での海外旅行が始まった。
ファイスはクリスの付き添いで部屋へと向かい、マリアはと言うと玄関先で俺を見送る様に手をブンブンと振って「いってらっしゃーい!」と大声で叫んだ。
俺はというとその大声に少し恥ずかしい気持ちになりながらも、幾らか元気の無くなったアイリスの絨毯の向こう側、門の所で小さく彼女へと手を振った。
このパスポートの代わりとなる銀のブレスレットには既に言語統一の魔法が掛かっているので、特に準備する物等は無い筈。強いて言うなら人間領の通貨へと日本円を両替しないといけない位だろうか。
というのも先日エリアリゼ通りにて偶然出会ったアルバスとベリックの話によると、この世界には3つの通貨が存在するとの事。それぞれ、協定島の"ペイス"、人間領の"パラム"、そして魔族領の"ダラン"が共通の硬貨として流通している様だ。
それぞれの領地を国王と魔王が統治している事もあってか、地球の様に様々な貨幣が存在しないので、その分は地球よりかは楽なのではないかと思う。
……そう考えると地球の貨幣制度でややこしいよなーと思うも、そこは致し方無い部分もあるので何とも言えない所。地球には地球のルールや歴史がある訳だから、それに文句を言った所でどうにもならないだろうし、現在の所何か不便を感じている訳ではないので、どうこうしようという気すらもない。
とまぁ、1人の一般人が考えた所でどうしようもない事を暇潰しがてら考えている間に生産地区の貿易港へと到着する。
相も変わらず港は様々な人や物でごった返しており、その大きく開かれた倉庫の中からは血気盛んな賑やかさが漏れ出していた。
だが目指す場所はそこではなく、その隣りにある小ぢんまりとした渡航用の建物。
中に足を踏み入れると前回同様に閑散としている――――訳ではなく、異国から訪れたであろう人間の集団……それも学生なのだろうか。カーキ色のブレザーを身に纏った男女の若い子達が教師と思われる指示の下、点呼を取っていた。
見た所、大体中学生くらいだろう彼等がざわざわとざわめいていた。
そんな彼等を横目に所謂修学旅行なのかなと思いつつ搭乗手続きを行う。
受付カウンターには先日もお世話になったハーピーとセイレーンの女性2人が居り、向こうも俺の事を覚えていてくれたのか、こちらを見るや否やハッと気付いた表情を浮かべた。
彼女達は前回と変わらずチャコールブラウンのブラウスと真逆の白いネクタイを身に纏っており、室内に余計な物が一切ない為か、前回訪れた時から時が止まったかの様にも思えた。
「あっ、初めまし――――」
「いや初めてじゃないわよ、この人」
そこでハーピーの女性が喜々として答えるも、誰だコイツと言わんばかりに意気揚々に言われる。だがセイレーンの女性はと言うと俺の事を覚えていたのか、まるで漫才のツッコミの様に、隣に立つ彼女の胸元をパシンと叩く。突っ込まれた彼女は一瞬思案を巡らせてみたものの、全く覚えがないのか、顎に手を当てて眉を顰め、こてんと首を傾げた。
……おっとぉ? 鳥頭かなぁ?
「……違うんです。鳥頭って訳じゃないんです。ただ他人に興味がないだけなんです」
必死にフォローしている様で若干貶して居るようにも思える、どうもどちらともとれない説明に複雑な気持ちになりつつも、「まぁ、色んな人が来ますし、覚えてないのも仕方ないと思いますよ」とそのフォローをまたフォローする不思議な事を咄嗟にしてしまう。だがその言葉を聞いたセイレーンの彼女が「えっ?」と素っ頓狂な声を上げた。
「ここ最近の渡航者の数……。数えるくらいしか居ませんでしたよ?」
「何で折角の援護射撃に対してフレンドリーファイアをブチかましてくるんですか?」
背後から「助けに来たぞ!」って言いながら頭に弾丸をぶっ放された感覚だ。
「……まぁいいです。人間領に行きたいので手続きをお願いします」
俺がそう言うとセイレーンの彼女は前回も見た石版を取り出して目の前に置き、「どうぞ」と言って石版に掌を置く様に促したので、それに従ってピタリと掌を付けると、ひんやりとした硬い石の感触が伝わり、少しゾクリと背筋に悪寒が少し走る。
そして少しのラグを挟み、白く淡い光を放ちつつ、剣同士を打ち合わせたかの様な鋭い音が鳴り響く。
「はい、問題ないですね。……では、渡航費の25ペイスをお願いします」
どうやら出国の審査は問題なかった様で、次いでお代を置く為の黒い本革の様な質感のトレーを石版の隣に置く。
財布の中から青い10ペイス硬貨を3枚取り出しつつ、「他国の学生達もここに旅行しに来るんですね」と言いつつトレーに置くと、彼女は「30ペイスですね、お預かりします」と答え、
「そうですね……人間領の人々もここに来ますし、魔族領の方々も観光に来たりします」
と手元で金銭の処理をしつつ後に続けた。するとその説明に蛇足する様に隣のハーピーの彼女が「後は人間領から魔族領、魔族領から人間領っていうパターンもあります。ここ協定島だと、魔族領と人間領のどちらへも行く事になっていますよ」と説明を継ぎ足しながら、手元で何やら帳簿みたいなものに記入をしていた。
「へぇ……。あ、ありがとうございます。……具体的には何処らへんに観光に行くのが多いんですか?」
そんな会話をしつつお釣りの5ペイスをセイレーンの彼女から受け取って尋ね返すと、ハーピーの彼女は一度帳簿から目を離し、口元にペンを持った右腕を添えて「そうですね……」と暫し考える。
乗り込む時間まではまだ少し時間があるのか、セイレーンの彼女がチラチラと壁に立て掛けたアナログ時計を見るものの、そこに焦った様な様子は見られない。
「そうですねー。学生の旅行先としては……。人間領であれば酪農も有名なスピンビルで、魔族領であれば同じく酪農……こちらは乳製品ではなく食肉加工と言う点でヘールが候補地に選ばれる事が多いですね。あとここ協定島では主に果実の栽培や漁業が盛んな生産地区に行く事と、居住地区にある学校へも交流として行く事が多いですね」
やはり国同士の繋ぎ役を間接的に行っていると言う事もあってか、その旅行先についての情報には詳しい。どの国も幾ら修学旅行と言えど教育という一端を必ず担っていると言う所に何だか親近感を覚える。
地球の修学旅行も何かしらの目的があり、それが歴史を学ぶ為の寺院巡りであったり、モノの成り立ちを学ぶ為に製造業であったり、畜産や農業など、何かしらの目的が絡んでいるのでそう言った点では地球の修学旅行と大差ないのだと感じる。
支払いを済ませて受付の左奥にある搭乗口への道を進むと、背後から「行ってらっしゃいませ」と言葉をかけられる。そのまま歩みを進めた所で左側に窓がある事に気が付き、ふと窓の外に目線を向ける。
そこにあるのは晴れ渡った青々とした青空に、所々白波の見える冴え渡った海。そして汚れ1つ見当たらない純白なレンガの敷き詰められた港。そして寄り添う様に浮かぶのは、昔の大航海時代かと思う様な、巨大なガレオン船。
そのアニメや漫画でしか見た事が無い様なそれに思わず足を止め、そのまま窓から食い入る様に見つめてしまう。
「すっげ……」
その巨大でいて勇ましい出で立ちに思わず言葉が漏れてしまう。まだ出港しないのかその3連の巨大な帆はロープで縛られて折りたたまれており、さながらまるで羽を休めている巨大な鳥の様にも見える。
「っとやべぇ。早く乗り込まないと」
窓からその船を眺めていると、館内放送にて後5分程で出港すると言う旨のアナウンスが流れ、ハッと魅入っていた状況から抜け出した。
それ程までにガレオン船が大きく魅力的に見えたのだが、これは男子や男性であれば必ず興奮するだろうなと、まるで恋い焦がれている様に高鳴る胸を感じながらそう思ってしまう。
そうこうしている間に建物を出て外へと足を踏み出した。
外は陽も昇り切った事もあってか燦々と太陽が照り付け、白いレンガがまるで輝いているかの様にも見える。その光景に一瞬夏なのかと思ってしまうのだが、そのまだ5月になろうかという、少し肌寒さを残した風がその興奮冷めやらぬ感情を少しばかり冷やしてくれる。
目の前にはまるで広々とした桟橋の様に真っ直ぐと伸びる純白の乗り場があり、その左右には着岸したガレオン船が停泊している。
どうも目の前に立てられた木製の看板曰く、左手に停泊している、積荷を既に積み終えたであろう船が人間領行き。そして右手に着岸しているのが魔族領行らしく、そっちの方は未だに積荷の積込みと荷降ろしを行っている。と言っても中に何が入っているのかわからない木箱を船から降ろしたり積み込んだりしているだけで、具体的に何が入っているのかは伺い知れない。
そのガレオン船と港を繋ぐ、少しばかり急となっている木のスロープを登りつつ段々と眼下に見下ろす形となる船を見ながらすげぇなぁと感動しながらワクワクしつつ乗り込む。
だが広大に広がっている筈の甲板は木箱で埋め尽くされており、先程のセイレーンの彼女通り、乗客の数は疎らで、どうもカップルか夫婦と思われる男女が海原を眺めながら談笑しているのと、仕事で来ていたのだろう男性2人が、何やら甲板の喫煙スペースにて書類とにらめっこしながら、あーでもないこーでもないと議論を交わしていた。
そんな平和な一幕を眺めながら甲板の手すりに背を凭れているとやんわりと体を揺さぶられる感覚を感じる。
何事かと思ってふと水面を見下ろすと、船体が徐々に港から離れてゆくので、あぁ、出港の時間になったのだなと思う。そう思って上を見上げるも巨大な帆は畳まれたままで、どうやって動いてるのかとふと疑問に思う。
そのまま下を覗き込んでいると、何やら海中にて蠢く人の様な姿が見えてふとファイスの言葉を思い出した。
以前にこの生産地区をファイスに案内してもらった際に、港湾内はスクリューなどの動力を停止し、風力などを使って接岸しなければならない旨を聞いていたので、今眼下にて船を離岸させている彼らは、多分港湾で働いている人魚達なのだろう。
そんな彼らを大変だなぁと思いながら眺めている内に船が岸から離れつつ、その巨大な体を反転させて広大な海原へとその頭を向けた。船の回頭が終わったのか、マストに縛り付けられていた帆が一気に開いて前へとゆっくりと進み出す。
広大な海を眺めつつ波の音に耳を傾けていると、徐々にスピードが乗ってきたのか、波のざわめきが大きくなり、伴って横揺れも増える。それと共に潮風が頬を撫で、久しく感じていなかった爽快感を感じるのだが、それと共に船酔いしそうだなぁとふと不安が脳裏を過る。
そんな事を考えていると、突如バスケットボールの試合終了のブザーに似た音が響き渡り、一体何が起きたのだと思って身構えるのだが、次いで流れたアナウンスにて「これより高速巡航に移行します。少し揺れますので、船体に掴まり衝撃に備えて下さい」という注意が流れたので、取り敢えず手摺に掴まって衝撃に備える。
どの位揺れるのかと心配していたのだが、然程衝撃はなく、まるで飛行機が離陸する時の様にふわりと独特な浮遊感が体全体にかかり、波の音が徐々に消えて横揺れも無くなってゆく。
もしかしてと思って船の下を覗き込むとそこに映るのは、まるで戦闘機が海面スレスレで飛行するかの如く海面から離れて高速で飛んでいるのが伺える。船は物凄い速度で飛行している様で、少し顔を船体から出すと魔法の範囲外となっているのか、出した途端にとんでもない風圧が顔面を襲った。
風圧によって一瞬で息が詰まって目も開けられない状態になり、一瞬でヤベェと感じて顔を引っ込めたのだが、その様子を見ていたのか、共に乗っていた夫婦がこちらを見てクスクスと笑いつつ、「危ないわよ」「乗るのは初めてかい?」と尋ねてくる。
そんな2人に「そうなんですよ。初めての海外旅行なんです」と言いつつ、地球出身である事を説明すると、夫婦はあらまぁと驚いた様子で、これから行く"アルテ"について説明をしてくれる。
この夫婦曰くアルテは謂わば人間領の玄関口となっている国で、特産物が協定島と同じく果物と魚介類なのだが、出回るものは協定島とは違い、温暖な為か果物は南国のものが多く、地球でも温かい地域にしか育たないものが主となっている。
国民性としては大らかで他者に寛容である事が特徴的で、よくも悪くも時間にルーズだと言う。
そしてその一番の特徴といえば、街全体に張り巡らされた水路。
幾重にも分岐したその水路は街の交通や上水道の役割を担っており、その綺麗さは川底がくっきりと綺麗に見える程だとか。一方で下水道は水路には流さず、別に水路を設けて処理施設へと回されている。
流石にそのまま飲むには厳しいのだが、各家庭には必ず浄水器が設置されている為、クリーンでおいしい水を飲む事が出来るのだとか。因みに飲用の水は街のある場所よりも上の方から取水を行っているため、誤っても汚染された水が混入する事はない。
ではその水源は何処にあるのかというと、アルテの奥に聳える巨大な山から地下水として流れてきており、水質は日本などに近い軟水でさっぱりとした飲み口となっている。
その軟水の特徴である成分が抽出されやすい性質の為か、人間領で生産されている南国フルーツのフルーツウォーターは現地を始め、人間領の各国や一部魔族領や協定島に出荷される程に人気で、それもまた産出品として人気がある。
一言で港町と言っても建築物だらけという訳ではなく、そこらかしこに木々や果樹園などがあり、温暖な気候という事もあってか、年中を通して緑に包まれた国となっている。
また水路での移動には日本で言う道路交通法の様な法律が適用されており、しっかりと信号であったり免許制度なども存在している。当然ながら水路を移動する為の道具も独自に開発されており、所々に駐車場の様に船……アルテでは一般的に"フローギア"と呼ばれるそれを繋ぎ止めておく為の桟橋があり、移動する際は最寄りの桟橋までフローギアで移動した後、徒歩で目的地まで移動する方法がメインとなっている。
ざっとアルテについて説明を受けた所で「見どころと言うか、観光名所的な場所ってどんな所があるんですか?」と夫婦に尋ねてみた所、2人は暫し目線を合わせつつ、「そうだねぇ」と暫し考える。そして僅かな間を挟んだ後、口を揃えて「巨大ランナバウトかなぁ」と、まるで考えを絞り出す様に言葉を漏らした。
その2人の様子と話を聞く限りだと、アルテそのものが観光名所の様になっているので、逆にこれと言って特出するものが無い様にも聞こえる。
更に詳しく話を聞くと、アルテの中央にはとても巨大な、地球で言うランナバウトの様な水路が造られており、その中心の小さな島には樹齢がどの位なのかも検討つかない程の大樹が聳え立っている。
街の中心地から余りにも離れている場合には少し見えづらいのだが、大体どの場所に居てもその姿を確認できる為、道に迷った場合にはその大樹を目指して移動すればどうにかなるだろうと言われている程なのだとか。
そのランナバウトの周辺には主に市役所や渡航管理局、通貨管理局、はたまた学校や病院まで様々な公共施設が整っている為、兎に角ランナバウトに行けば大体の事は解決するとまで言われている。そして毎年の冬の月の始まりである1月の頭には大樹に装飾を施し、冬の月が終わるまでの90日間、夜間のみ色とりどりにライトアップがされる。
アルテの事について教えてもらった所で夫婦に別れを告げ、甲板に開かれた階段から船内へと足を踏み入れた。現在の時期が閑散期という事もあり、船内に居るのはほんの数名のみ。
どのお客も船内の左右に造られたボックス席に座り、船内の階段を降りた先である船首の部分に備え付けられた購買にて購入したスナックやツマミを手に、アルコールであったり普通の飲み物を飲んでいたりと、それぞれ自由な時間を過ごしていた。
船内の装飾は元々貨物船であった事もあり、とても質素な木目がそのまま船内を彩っていた。更に照明がカンテラを用いている事もあってか、まるで海外の田舎の老夫婦が住む様な、何処か懐かしさや哀愁を感じる雰囲気を作り出していた。
そんな船内の後ろ側である、階段から船尾の方に向けては貿易品であろう木箱が敷き詰められており、木箱には中に入っているものの名前が書かれていたり書かれていなかったりと、疎らではあるのだが、どんな物が積み込まれているのかが伺い知れる。
品目が書かれていない木箱もポツポツと見えるのだが、見た所向きを揃えて置かれているという訳ではないので、きっとこの階段から見えない、裏側などに品目が書かれているのだろうと1人納得してしまう。
周りの乗客達の例に漏れず、他の乗客が座っているボックス席の間を通り、船首の所に設けられた購買へと向かう。
そのカウンターの向こう側に立つのは、白い髭を沢山蓄えたスキンヘッドな男性の老人。だがその体付きは異様だと思える程に逞しく、耳がピンと尖っている所を見るとどうやらエルフ族の男性なのだが、どうもラノベや漫画のイメージからか優男でいてイケメンという偏見があるため、どうも目の前に佇む彼がエルフとは思いたくない気持ちがある。
……いや、そりゃ人間ですら多種多様な差異があるのだから、エルフやその他の種族だって差があったって素晴らしいとは思う。
ただ、余りに予想外過ぎて少しばかり固まってしまう。その様子を見てかカウンター越しの彼はその反応に訝しむ反応を示すかと思ったら、突如ガハハと豪快に笑い出す。
「こんな筋骨隆々なエルフを見るのは初めてかい?」
そう笑い飛ばす彼に思わず気圧され、「いや……まぁ……ですね」と若干濁す様に答えると彼は「まぁ、そんなに気にすんなよ」笑いながら肩をバシバシと叩かれる。見た目通りの豪快さに何故だかこちらまで楽しげな気持ちになる。
軽く言葉を交えた後、彼の背後にある棚に目をやった。そこにあるのは、瓶詰めされた、果物の入ったままのフルーツウォーターや、瓶詰めされた琥珀色のビールやリキュールなど、シンプルに名前だけが記載されたラベルが貼られているだけ。
そこでふと気になった、赤色に限りなく近い金色の王冠が付いたビール。その暗い色合いからギネスビールを連想するが、それよりも色見が鮮やかでいて、まるでトマトジュースを連想させる。
そのラベルはとてもシンプルで、まるで製造番号が記載された、機器に貼り付けられた金属のプレートの様なデザインをしており、記載されているのは装飾の施されたスピンビアの文字。一瞬地名であるスピンビル……だったっけか? の誤字かと思ったのだが、どうもそうでも無い様で、全てのラベルが同じくスピンビアの文字が刻まれている。
その目線を、目の前に立つまるで格闘マンガに出てきそうな出で立ちをしているエルフの男性が視線の先を追い、スピンビアに目が向いている事に気付く。
「スピンビアかい? こいつはレッドエールの一種で、苦味はちょっと違って強めなんだが、後味にキャラメルみてーな風味がするビールだ。チーズなんかが合うんじゃねぇかな?」
後ろの商品棚に置かれているレッドエールを眺めつつそう説明してくれる男性。
以前に地球でレッドエールを飲んだ事があるのだが、どうも風味は少しそれっぽいかなと感じたのだが、味にそんな様子は微塵も感じなかった。……まぁ、俺自身が貧乏舌なので、もしかしたら舌が繊細な人が飲んだらそう感じるのかも知れないのだが、少なくとも俺は感じる事が出来なかった。苦味も弱いので、ちょっと味がボケている樣にも思えて何とも言えない感想を抱いた覚えがある。
「おっ、兄ちゃん疑ってるな?」
その表情を読み取ってかニヤニヤと笑いながら若干煽り気味に言ってくる彼。でもなぁと思いつつ、レッドエールに対してあまりパッとした印象を抱いていない事を伝えると、まるで吹き出したかの様にガハハと豪胆に笑い出す。
「そりゃ災難だったな。だがコレは違うぞ。本当にキャラメルみてーな味と香りがするんだよ。騙されたと思って飲んでみな」
彼はそう言いつつ後ろの棚からスピンビアを1本取り出し、コトンと俺の目の前に置いた。次いでスナックやジャーキーなどが置いてある背後の棚より、ツマミとしてだろう、ビーフジャーキーの入った大きめの瓶と棒状にカットされたチーズの大きめの瓶をカウンター下の棚より取り出し、同時に年季の入った、深く暗い木目の色をした深皿を取り出して中へと取り出した2つを入れる。
「酒とツマミのセットで5ペイス、6パラム、1ダランだ。どうだ?」
目の前にビール瓶とツマミ、を置かれ、それぞれの値段を告げられる。
1ペイスが大体100円程度なので、そう考えると1パラムが90円で1ダランが大体500円程度だろうか。と言うよりも、こんな船内で全ての通貨が使える事に驚きを隠せないのだが、残念ながら持っているのはペイスのみ。
「……じゃあ騙されたと思って買います」
そう言いながら1ペイス硬貨を5枚取り出してカウンターの上に置くと、彼はニコリと微笑み「毎度」と言いつつお金を受け取り、「じゃあごゆっくり」と言いつつビールとツマミの入った皿を手渡してくる。
「どうも」と礼を言いつつ皿を受け取ったのだが、そこで何処で食べようかとふと悩む。確かにこのまま船内でのんびりと一杯やるのも良いのだが、せっかくの船旅なのだから甲板に出て風を感じながらでも良いなと思ってしまう。
「……これって甲板に持ち出しても大丈夫だったりします?」
エルフの彼にそう尋ねると、彼は「あぁ、構わねぇよ。……ただ、その食器は返してくれよ」と言って今しがた手渡した木の皿を指差した。
あぁ結構自由な感じなんだなと思いつつ彼に「わかりました」と言った後、ビールと木の皿を持って甲板へと向かう。
表へと出た所で何処で食べようかと辺りを見回すと、どうやら船体後部に上へと上がれる所がある様で、左右に階段が備え付けられている。
……確か、映画だとそこに舵輪があって、キャプテンやクルーが居るんだよな……。
と、映画だけで知り得た知識を元に階段を登ってゆく。
階段を登り終えた所で、本来であれば操舵輪がある所を見るのだがそこに舵輪はなく。その代わりにあるのは展望席だと言わんばかりに置かれた、木製のベンチに木製のサイドテーブル。
常に雨曝しとなっているのか、木の色が少し黒ずんでいるのだが、定期的に清掃されているのか、そんなに不潔な様には思えない。
横に3つ並んでいる木のベンチから真ん中の席を選んでドカリと腰を落ち着けると、無意識に強張っていた力が崩れ去る様に足先から徐々に消え去ってゆく。
ふとそこで手に持ったビールとツマミを置こうと目の前のテーブルを見ると、そこにあるのは瓶を置くためであろう、まるで新幹線などのテーブルに備え付けられている、紙コップなどを置く為の少し深めの窪みと深い木皿を置く為の浅めの窪みが3つ、セットで設けられている。
そしてご丁寧にベンチで両隣を挟まれる形で灰皿が設置されており、中をふと見てみるも、灰皿に入っている吸い殻は数える程度しかない。テーブルにビールと木皿を置き、ポケットに入っている煙草とジッポーを取り出して火を灯した。
高速で移動? 航行? しているにも関わらず、そよ風程度の風しか吹かない甲板にて、優雅に紫煙を味わう。ふとビール瓶の王冠に目をやるも、栓抜きが見当たらない事に気付いておいおいマジかよと心中にて愚痴りつつ、皿に刺さっている、見た事のない鮮やかなピンク色のジャーキーを手に取ると、栓抜きが裏に隠れる様に入っているのを見付ける。
エルフのおっちゃん疑ってごめんなと少し申し訳ない気持ちになりつつ、ジャーキーを口に咥えつつ栓抜きでカコンと王冠を取り外す。
ここでお決まりとなる泡が溢れ出て瓶を濡らしてゆく……という事はなく。ふわりと立ち上る冷気にゴクリと喉が勝手にコーラスを初めた。
そのままジャーキーを噛み締めると、スモーク系の食べ物に感じられる煙臭さ……と言ったら良いのだろうか。そんな香りが先に鼻腔を擽りつつ鼻から抜けてゆくと共に、鶏肉の強い旨味と丁度いい塩梅の塩気が早く酒を寄越せと急かしてくる。
そこでビールをぐいっと口の中へと勢いよく流し込むと、少し強めの苦味が口の中へと広がり、香ばしいキャラメルの様な、どこか甘みの帯びた香ばしい香りと後味が鼻腔を吹き抜けた。
その以前にも味わったレッドエールとは全く違う風味に少しばかり驚きつつも、その旨さについつい2口3口と瓶を傾けてしまう。
だがついつい飲みすぎたのか、いつの間にやら瓶の中身は空っぽで、まだジャーキー1枚しか引き抜かれていない木皿が、まるで寂しいと言わんばかりにそこに鎮座していた。
アルコール度数自体はあまり高くないのか、酔いが回る様な感覚やアルコール独特の香りもあまり強くなく、かと言って薄い訳でも無く寧ろ濃厚な部類になるのだが、それでもゴクゴク飲めてしまう程に"美味い"と感じてしまう。
飲み干してしまった空き瓶と満載にツマミの乗った木皿をポツリ眺めていると、考える迄もなく体が動き出し、丁度吸い終えた煙草を灰皿に落とし込むと同時に腰が上がり、またエルフとは言い難い彼がいる購買へと向かって歩みが勝手に進んでゆく。
船内の購買へと向かってエルフの彼へとスピンビアの"おかわり"を2本頼むと、彼は一瞬キョトンとした表情を浮かべたものの、すぐさま息を殺す様に笑い出し、「はいよ、2ペイスだ」と言いつつ後ろの棚から2本取り出し、カウンターへと置いた。
2ペイスという事は1本大体100円くらいのお値段で、値段からすると瓶のバドワイザー程の大きさを想像するだろうが、出てきたのはそれよりもでかい、ハートランドビール並の大きさのそれ。
先程受け取った時には然程気にしていなかったのだが、改めて受け取って眺めるとその大きさが際立って思えた。その目の前の光景に、少し頼みすぎたかなと一瞬怯んだのだが、このままぼうっとしていてもどうしようもないので、彼に礼を言いつつ受け取ってその場を後にする。
飲みきれるかという不安感と、ビールを早く飲みたいという感情に板挟みになりながら甲板へと上がり、船体後部の階段を急く様に小走りで駆け上がる。
階段を登りきった先は先程と一切変わらなく、平穏とも言えるような閑散さを保っていた。置いておいたツマミも海鳥などに啄まれる事なくそのまま。
今まで座っていた席にまた腰を落ち着け、そのまま足を前へ投げ出した。
行儀悪いとガミガミ言われそうではあるのだが、他の乗客が前の甲板、若しくは船内へと入っているので、口煩く咎める者も居ない。
……かと言っても限度があるので、誤っても騒いだり変な行動をしたりする訳ではないのでちょっとの粗相は見逃してほしい所。
そのまま穏やかなそよ風に撫でられながら酒を煽りつつツマミの乾き物を味わっていると、ふと久々にゆったりとした時間を過ごしてるなぁ……と実感する。
ゴールデンウィークに入るまでの間は冗談抜きで生きている心地がしない程に激務だっ……いや、激務にしたのは少しでも給料にバフをかける為なので、誰の所為かと言われたら自分の所為そのものなのだが。
それに、ファイスの存在もあっただろう。その所為か何時もよりも静かに思えた。
酒を煽って紫煙を吸い込みツマミ一口。ほんの僅かな酩酊感と、仕事の事を考えなくてもよいと言う開放感が、この爽やかな開放感を感じさせてくれている。
そんな開放感を噛み締めていると、体に染み渡るアルコールの所為か、たまらん、と言葉が勝手にぼそりと溢れ出てしまう。
ふとそんなちびちびと晩酌と洒落込んでいると、突如聞き覚えのあるアラート音が響き渡り、「これより1分後に高速巡航を終了致します。衝撃に備えて下さい」というアナウンスが響き渡った。
もう到着なのかと少し名残惜しい気持ちになりつつ、いつの間にやら最後となったそれの底に残っているビールを煽って空き瓶にする。
ツマミの方は少し前に食べ終わっているので、空になった木皿がテーブルの上に置かれているだけ。アルコールの所為か気が大きくなっていた為、何とかなるだろと思っていたのだがそれは勘違いだったらしく、少し腰が浮きそうな落下感の後に、まるで急ブレーキの様な抵抗が体にかかって椅子からずり落ちてしまう。
そして体に感じる鈍く激しい痛み。その場所、男女共に弱点となる股間部分。
何故股間なのかと言うと、このベンチと椅子が高速巡航に備えられているという事もあってか甲板に固定されており、俺の姿勢はと言うと、文字通り足を広げて投げ出した状態。それでいて3人がけの椅子の真ん中に座っていた為、目の前のテーブルの柱が丁度俺の体のど真ん中に……その、とにかく痛くて言葉にならない。
久しぶりに感じる事のなかった痛みに涙が出そうになるも、何とか堪えて立ち上がって床に転がる空き瓶を拾い、テーブルにかろうじて乗っている木皿を持って揺れの収まった甲板を歩いて船内へと足を踏み入れる。
「……一体どうしてそんな苦い面をしてんだ?」
皿を返す為に購買へと足を運んだ所、エルフの彼にそう訝しげに尋ねられたので、事の顛末を話した所、「なんだそりゃ」と噴き出す様に笑い出した。
確かに第三者から見たらまるでコントの様な流れなのだが、俺自身としては堪ったもんじゃないというのが正直な所……いや、他ならぬ慢心していた自分自身の所為なのだが。
「……そんなに笑わなくても良いじゃないですか……」
そう彼に言うものの、エルフの彼は笑いのツボにはまったらしく、接客中だという事を忘れてひぃひぃと苦しそうに笑い続けている。その笑いを引き摺りつつもカウンターに置かれた木皿を受け取り、木皿と空き瓶を受け取ってカウンター下へとしまい込んだ。
「もうそろそろアルトに到着だ。楽しんでな」
やっと笑いが収まりつつあるエルフの彼が俺の肩をバシバシと叩きつつ、笑いながら送り出してくれる。
……ちょっとばかり歩き方に違和感があるのはどうか見逃して欲しい。




