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あなたに出会って最高に不幸でした。

作者: ゆきやこんこん

私の不幸はこの人たちから始まったのか・・・

私が見る目がないのか

それとも実は、世の中はこんなやつばかりなのか


 今思えば、時代の流れもあったかもしれないけれど、ちょっと調子にのっていた。

 だからと言って私の男を見る目はこんなに悪かったのかと今更ながらに思う。


● 冬生

 友達の紹介でアルバイトをしていたスナックでお客さんとしてやってきた、自営業で〝男〟を前面に出しているような人だ。顔が濃くて全くタイプではない。

 高校時代の友人と一時期一緒に働いていたという共通点があって、「今度飲みに行こう」と連絡先を交換した。

 ほどなくして冬夫から飲みの誘いがあり、会うことにした。

 この界隈では比較的高級な寿司屋に連れて行かれ、慣れた調子で注文をしていた。会計の際にはちょっと顔色が変わり店を出た後に「高いな」と呟いた。足元を見られた会計なのは見ていた私にも判った。

そのあとバーに行き、何となく一夜を過ごしてしまった。これが私の間違いの元だった。

何をどう錯覚したのか「結婚したい」と言いだした。

そこからお互いの親に会うことに・・・

 冬夫の親も自営業だった。なのに意識高い系、うちの息子になんでこんな女・・・みたいな雰囲気が見え見えだった。冬夫には姉が一人いたが、この姉は外交官で品定めするような眼光で私を見た。後日冬夫から聞いた話では、「水商売の女の人って感じね」って言われたらしい。

 私の母はシングルマザーで私と妹、弟を育ててくれた。ぶつかることも多かったけれど、感謝していた。冬夫は私の母や妹にあった後、「これじゃうちの親には会わせられないな。なんとかしなきゃ」と呟いた。この時にすべてをやめる決断をすべきだった。

 そのうち、新居を借りるために不動産屋を二人で回り始めた。

「本当にこれで良いのか・・・」何度も思った。

 冬夫は実家を事務所に自営業をしていたので新居も実家のそばが良いと主張した。私は会社員だったので徒歩で駅まで行けることもあり、反対派しなかった。

 新居の内覧をする日、母親がついてきた。一番に部屋に入りあれこれ文句を言いだした。限界だった。

「結婚をやめたい」

 冬夫に伝えた。すると、「マリッジブルーだよ。大丈夫、家も実家から少し離れたところにしよう。今になってやめるなんて無理だよ」って言いくるめられるように流された。

 私の母は、結婚すると聞いて婚礼家具を買い揃えてくれていた。もう後には引けない・・・そんな思いのまま時が過ぎた。

 結局、入籍を済ませ新しい生活を始めた。でも、開始直後から問題が多かった。最初は冬夫の母からのお茶のお誘いだった。

 待ち合わせの場所に行くと、「冬夫には私がこんなことを言ったことは黙っていて欲しいのだけれど・・・」から始まった。

 「私はね、子供なんて居なくても二人で暮らしていくことが幸せだと思うの。だから、亜紀さんにも子供は作らないで欲しい。冬夫の姉夫婦も子供は持たないと言っているし、あなたたちもわざわざ子供で苦労することはないわ。私の言っていることを理解してもらえるかしら・・・」

 半ば強制的な話であった。帰宅し、冬夫から話の内容を聞かれたがあえて言わなかった。しかし、程なくして妊娠していることが分かった。

 「妊娠していた。2か月らしい・・・」

私が冬夫に告げると耳を疑うような言葉が返ってきた。

 「妊娠するほどやってないんだけど・・・」

絶望した。そのあとさらにグズグズ言いだした。あまりに身勝手で頭にきて、冬夫の母に言われた言葉をそのままぶつけた。

すると、「親がそういうならそうかもな・・・」って自分に都合の良い言い訳で納得しているようだった。

生まない選択をした。

一人で病院に行って一人で帰ってきた。

自分の子供を守れなかった自分に苛立った。悔しくて情けなくて泣けてきた。

それからは冬夫に触れるのも嫌だった。隣に寝られるのも嫌で別々のベッドに入る生活をした。そんな中、冬夫の実家の傍に空きが出来。気分も変わるかもしれないと引っ越しをすることになった。冬夫の仕事も忙しくなったので、私も仕事を辞めて手伝うことにした。

すると、冬夫の母も仕事に首を突っ込んでくるようになった。有限会社になっていたので「私は役員だから」と主張する。毎日顔を合わせる。おかしくなりそうだ。

 24時間で仕事を受けなければならず仕事の依頼がなければ休みと言うような生活だったので、「気晴らしに」と冬夫は仕事の合間にパチンコを始めた。そのうち、仕事が入っても断ることも出てきた。すると、冬夫の母は私を責めだした。

 「亜紀さんがちゃんと見ていないからこんな風に仕事をしなくなる」

 「亜紀さんが仕事を手伝うから冬夫がちゃんとやらなくなる。女が強いと男はダメになるのよ」

 「結婚なんてしなきゃよかったのにね・・・」

耐えられず、外で働くことにした。派遣の仕事だったが、久しぶりに会社で働くのは楽しかった。冬夫や冬夫の母と顔を合わせる時間が少なくなったのもすごくホッとした。反対に会社から帰るのが嫌になった。用事もないのに駅のショッピングモールでウロウロしていることが多かった。

 初給料日の日家に帰ると冬夫から話があると言われた。ソファーに座って話をしだした。

「今月の給料明細を出して」

「えっ?」

「自宅兼事務所の家賃、電気、ガス、水道はこちらで支払っている。だから、毎月20万円を家に入れて欲しい。残りは生活費と亜紀の小遣いにしていいから・・・それから、初任給だからうちの親に世話になっているんだからご馳走しなきゃいけないよ」

「私の手取りは多い時で28万円位でそこから生活費出したら手元になんて殆ど残らないんだけど・・・」

「仕方ないよね、二人の貯金もしなきゃいけないしさ」

私が冬夫の仕事を手伝っていた5年余りで給料と言う名目でお金を貰ったことはない。毎月、今月の生活費として7万円が渡されていただけ

事務所の消耗品もそこから出していた。

何かが壊れた・・・

そこから先の冬夫の言葉は何も入ってこなかった。

月の土曜日に冬夫と冬夫の両親を連れて食事に行った。支払いは私・・・

そんな生活が半年続いたある日、冬夫から今の仕事を辞めて会社員になろうと思うと言われた。

「会社員になればダブルインカムになって今よりいい生活できるし、時間も出来るから二人でいろんなところに行けるよ。子供だって作れるし・・・」

 冗談じゃない。この人は一体何を言っているのだろう。自分勝手な言い分ばかり並べて、子供をあきらめたことを忘れたのか?人を傷つけたことを忘れたのか?

「別れたい。もう、一緒にやっていけない。今の仕事を辞めようが、会社員になろうが冬夫の好きにすればいい。でも、私はその後の人生を一緒に歩んではいけない。」

「亜紀、何言っているかわからないよ。どういうこと?ちょと冷静になって・・・」

「1週間、お互いにもう一度考えてみよう・・・」

のはずが、この数日後に冬夫の実家に呼ばれた。

冬夫の両親、姉夫婦、冬夫

完全なるアウェイ状態の中、話が始まった・・・

「亜紀に別れたいと言われた。俺は別れたくないから、なんとかやり直したいと言っているのに亜紀は別れたいの一点張りで、俺の言うことを聞いてはくれないんだ」と言ったかと思ったら号泣しだした。

そうなるとかわいい息子、弟の危機を感じた両親、姉は私を責めたてる。

もう、これを最後にかかわらない・・・そう腹をくくったので、子供を諦めた事、妊娠時に「妊娠するほどやってない」などと言われ触られたくもない事、子供を諦めた時に、仕事を何としてでも頑張ると言っていたのに仕事を辞めたいという情けなさを許す事が出来ない事などぶちまけてやった。

それでも、「夫婦なんだから許す事が必要なんだ」と私に言い放った両親

そこで、姉のご主人が、そういうことなら冬夫くんに味方することは出来ないって言ってくれた一言で救われた。

実家から戻ってすぐに荷物をまとめた。

1分たりとも一緒にはいられない・・・そう思った。

数日間、自分の実家に戻った。

食事も摂れないし、眠れず5kgほど痩せた。

そして冬夫に離婚届を郵送した。

何度か共通の友人から離婚を思いとどまるよう説得する電話がかかってきた。

でも、もう無理だった。

数日後、離婚届を取りに来てほしいと連絡があった。

一人で取りに行った。

「取り消すことは出来ないの?」

「うん、荷物は来週の土曜日に取りに来る」

「何もしてやれないけど、引っ越し代の足しにして」と封筒をくれた。

帰りながら封筒の中身を確認すると3万円が入っていた。

私の6年間は3万円か・・・笑ってしまった。

笑って、笑って・・・涙がこぼれた。


●春生

16歳の時に逗子の海で出会った。

1年ほど付き合っていたけれど、いつの間にか自然消滅していた。

19歳の頃にひょっこり連絡が来てまた一緒に遊ぶようになった。

「2年間何やってたの?」って聞いた私に

「親に自衛隊に入れられて連絡出来なかったんだよね」ってにこやかに答えた春夫

連絡はいつも春夫からの一方通行で私から連絡することは出来なかった。

そしてまた、1年くらい連絡が途絶えてまた会って・・・そんな関係が数年続いた。

そんな時、春夫のソアラの助手席にショートカットの女の子が乗っているのを見かけた。春夫の友人に聞いてみると、春夫は18歳の時に結婚して助手席に乗っていたのは奥さんだった。そして子供が3人いるって聞いた。奥さんが妊娠して実家に帰っているときに連絡をしてきていたらしい。

16歳に出会ったときにはすでに奥さんと付き合っていて、18歳になったら結婚をする約束だったと聞いた。

もう、会わない・・・そう決めた。

なのに、冬夫と離婚した春に再会してしまった・・・

「会いたかった、でも結婚したって聞いたから連絡しなかった。離婚したって聞いて思わず連絡してしまった。俺もね、近々離婚することになって・・・」

それから二人でよく出かけた。

私はたくさん笑って元気になった。

「離婚したら、一緒に暮らそうよ。」そう言って不動産屋を訪ね物件を探してくる春夫

でも、離婚は全く成立しない。

そのうち「一番下の子供が18歳になるまでは離婚しないことにした・・・」

18歳って6年後だよ。私42歳・・・自分の子供も望みにくい歳になる。

「一体何のこと?言っていることが良く分からないけど」そういう私に開き直ったのか、

「じゃあ、俺たちの関係って何?夫婦じゃないよね。恋人?だけど俺には妻も子供もいる。人にも紹介できない関係って何?」って言いだした。

この男はずっとこんな風に奥さんと私の間を行ったり来たりして生涯を終えるのかもしれない・・・そんな風に思った。終わりにしよう、全部私の思いをぶちまけて二度と会わないようにしようそう思った。

「16歳のころ知り合って、いつも自分の都合で連絡してきて、突然連絡なくなって

それでもまた会ってしまうのはちゃんと別れを言えてなかったからだと思う。だから今回はちゃんと終わりにする。好きだったこともあった。今度こそ一緒になれるのかと思った瞬間もあった。だけど、春夫は何も変わってないし私を愛しているわけじゃない。自分のことしか考えてない。その場しのぎでだれも幸せになんて出来ない。だから、これっきり二度と連絡はしないで。電話があっても今度は絶対に出ないし会わない。声も聴きたくない。奥さんと末永く幸せに、子供も大切にしてね。さようなら・・・」

はぁ~、すっきりした。何十年も言えなかったこと全部言った。

こんな男いらないや・・・だけど涙が止まらなかった。

1か月もしないうちにでんわがかかってくるようになった。

着信拒否

メールも届く・・・ブロック

メールアドレスを変えてメールを送ってくる・・・

女々しい

こんな男が欲しかったのか?と思ったら笑ってしまった。


●秋生

離婚して春生と別れがあった後に知り合った職人の秋生

タイプではなかったけれど7歳年上でちょっと陰のある感じに惹かれた。

年齢的なものもあってかすぐに結婚を口にするようになったけれど、なんとなく踏み出せなかった。

それは秋生の束縛の強さだったのかも知れない。

1年位付き合っていたが、結婚する気も起きずそろそろ潮時かなって思っていたある日、思いがけず妊娠してしまった。

35歳、きっと自分の子供を持つ最後のチャンスであろう・・・

一人で産んで育てるか、結婚か悩んだ。

妊娠を告げると

「産んでくれるよね?」って言われ、自分が父親が居なくて育ったので結婚することを選んだ。

少しづつお腹が大きくなっていくとだんだん母性が湧いてくる。そんな私を見ると自分が疎外されている感じを受け卑屈になっていく秋生

私が重いものを買いに行けないからと頼んでも何もせず、結局自分で買いに行く事になった。

産休まで仕事を続けていても家事は何も手伝わず「仕事で疲れているから」と家ではゴロゴロしているだけだった。

こんな人だったっけ?何度もそう思った。でも、子供が生まれたらきっと変わるだろう・・・そんな浅はかな期待をしながら妊婦生活を送った。

産休に入り臨月を迎えたが、忙しく過ごしたせいか子供が大きくならないからと生まれるまで入院生活を送ることになった。

入院の日は秋生が仕事だったので自分の母と病院へ向かった。手続きを終え看護師さんに「トイレ以外はベッドから動かないでくださいね」と念を押されお腹にモニターを付けられた数分後看護師が慌てて病室に飛び込んできた。

お腹のモニターを確認し、「赤ちゃんの心臓がモニターできないので先生を呼びます。じっとしていてください」と言われた。

そこからバタバタと帝王切開での出産となり、2000gに満たない女の子が生まれた。

「2500gになるまでは保育器に入ってもらいます」と対面も保育器ごしだった。

仕事が終わって子供と対面した秋生は「消毒やら防護服やら着せられて面倒くさい」とその後は新生児室に入ることをしなかった。

子供は体重が増えないと退院できないので私が先に退院をした。秋生は迎えにこそ来てくれたが、1週間ぶりに帰った家は汚れてくちゃくちゃになっていて、なんだか悲しくて泣きながら掃除をした。

子供が退院するまでの間も1度も会いに行かない秋生

退院しても人が来るとまるでいつも世話をしているかのように抱き上げたりするが、日常はお風呂すら入れない、何もしない人だった。

子供に愛情を感じるのではなく、私の愛情を奪ったと嫉妬するような人だった。

子供が少し大きくなってくると、住んでいるマンションが手狭になった。家賃を払うなら、将来子供に残せるようにと家を買うことにした。

二人で折半のローンを組むはずであったがいざとなると、銀行は自営業の秋生ではなく会社員の私だけでローンを組んでほしいと言ってきた。

男としてのプライドが傷ついた。

「俺の家ではなくお前の家だから・・・」が口癖のようになり、挙句に働かなかくなった。

「男並みに稼いで住宅ローンも組める。だったら俺は働かなくてもいいじゃん」って・・・

「そんな男はいらない。出って言って欲しい」と言うと大暴れしてラックや扉を壊した。

義母に相談しても「しばらくしたら働くだろうから、それまで食べさせてやって欲しい」と頼まれた。

そこから10年余りまともに働かなかった。

その間に一千万円余りのお金も貸した。

娘が小学校に入学するのにランドセルも用意しない。「ない袖は振れない」そう言い放つそんな男だった。

そんな男であったが、義母が亡くなり少し変化がみられた。

仕事を始めたのだった。だけど家にはお金を入れることはしなかった。

娘の中学校の準備にお金がかかるのに1円たりとも出さず上履きの一つも買わなかった。

部活の道具や遠征にお金がかかっても知らん顔

朝早くてバスがなかったり、夜遅くなっても迎えに行く事もしなかった。すべて私が一人でやっていた。

そんな私を見ても「仕事をしているって言っても室内でのんびり働いている会社員なんだから俺に比べたら全然楽してるんだから・・・」と手伝うことすらしなかった。

高校に入ることが決まって、私立だったので入学金等ある程度まとまった金額が必要だった。今まで貸したお金も戻ってこないので何とかしてほしいと頼んだが、「出来ない」の一点張り

結局、この時も1円たりとも出すことをしなかった。

なぜ、こんな男と一緒にいるのかと思うかもしれない。

私は幼少期に両親が離婚していて、父のいない生活をしていた。

だから、人に甘えることや男の人に頼ることが判らなかった。娘には父親に愛されること、甘えることを教えたくて我慢していた。

でも、もう我慢も限界

娘も高校生になるのでいい加減判断も付く。

「別れたい。もう限界。出て言って欲しい」と言うと「部屋借りる金くれたらいいよ」って開き直った。

最後の最後まで最低な男だ。






今、思うと

父親のイメージが全くなくて、本当の男の人の強さみたいなものを知らなかった。

私自身が世の中を生きていくのがへたくそで、だから何となくうまく生きれない男を引き当ててしまっていた・・・そんな気がします。

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