人類絶滅の日にアイ・ラブ・ユー
窓から体を乗り出し空を見上げれば、月の30倍はあろうかという巨大天体が空全体を覆い尽くしているのが見える。見るほどに不気味な星だ。気象庁によると15時間もすればあの死の星は大地に激突して、海を蒸発させ、全ての生物は絶滅させてしまう。──全く信じられないな。生き物達は何十億年もかけて長いこと長いこと進化してきたというのに、あっけない最期だ。
もちろん時の政府は天体同士の衝突を避けるためにあらゆる方策を講じた。しかし無駄だった。核ミサイルを何発打ち込もうが死の星はビクともしない。巨大天体の軌道という宇宙の壮大なスケールの出来事を、ちょいと文明築き上げた程度の我々が変えようなんておこがましい話なのだろう。
惑星級の天体が落ちてくるとなると、何やっても助からない。核戦争用の地下シェルターに逃げ込んでも無駄なのだ。絶望、ただ絶望である。こうなると偽の希望だろうと、すがりたくなる。
『惑星バランへのテレポートを可能にした!私を信じる者はバラン星に移送する』などと大嘘を喚いて、大勢の信者を獲得した詐欺師もいた。しかしそんな技術などあるはずがない。今では嘘だとバレて信者達から袋叩きにされ、瀕死の重症だという。
破局は回避することはできない……というのが国連の公式発表。──だが俺は信じない。今日が最期の日だなんて嘘に決まってる。しかし何度、自分の目をこすってみても、空にはあの超巨大天体がドカンと浮かんでいる。あまりに接近しているがために日食を起こし、昼間のはずなのに黄昏時のように暗い。
「マジじゃん……。これマジで全滅すっぞ」
1ヶ月前に政府から世界が滅びることが通達されて以来、大学の友人達は実家に戻ってしまっている。今にして思えば彼らは懸命だった。俺ときたら余裕こいて嘘だと決めつけたお陰で、実家に戻ることもなく、たった1人でアパートに残ってしまっている。──帰れば良かった。最後の最後まで親不孝だった息子を許しておくれ父ちゃん母ちゃん。
──ククク。世界滅亡の瞬間を、1人で過ごすのも悪くないか。
などと無理にカッコつけているとチャイムが鳴る。こんな時に誰だろう?とドアをあけてみると考古学サークルの後輩のボンタだった。(ボンタはコイツのあだ名である。変なあだ名でしょ?)
奴は能天気なほどに明るい声で、俺をおちょくってきた。
「先輩!こんな時も独りでいるんですか?さすがですねぇ!世界が滅ぶ時も孤高を貫きますか」
「うるさいな。お前、そんな嫌味を言いに来たんかよ」
「挨拶ですよ挨拶。最後ですからねぇ」
「全く何を考えてんのかね。外は危ないだろうに」
治安は最悪の状況だ。世界の消滅が決まってから、街ではヤケクソになったならず者達が暴れまわっている。しかし警察はもはや機能していないに等しい。おかげで銃の乱射事件がそこかしこで発生していて内戦状態の様相だ。そんな中を何故かこの能天気君は俺の部屋までやってきたのだ。
仕方がないのでボンタを部屋にあげてやることにした。
「まあ……いいか。最後だ。お茶でも飲んでけよ」
「おじゃましま〜す」
──コイツはなんで俺の家に来たんだろうか?
奴は部屋に上がるなり、話を切り出した。
「ところで。先輩はアソコに行かないんですか?寂しいでしょ。一緒に行きましょうよ」
「行くってどこに」
「シブーヤーの超大乱交パーティーに。これはチャンスですよ。誰でも参加していいみたいですからね」
飲んでたお茶を噴き出した。
「ゴホッゴホッ。超大乱交パーティーだと!?なんだその卑猥で素敵な会合は。詳しく教えろ」
「おやおや、知らないんですか先輩。今日の朝からスクランブル交差点で男女が10万人ぐらい集まって大乱交ですよ。もう世界の終わりスからね。見ますか動画?エロいですよ〜」
ボンタの差し出したスマホ画面の中で、とてつもない数の男女が卑猥な声を上げながら、裸でまぐわっていた。これは前代未聞だろう。
「最後の日だぞ、他にやることあんだろ……。しかし何も道路の上でやらんでも」
ボンタはあぐらをかくと、もう一度俺を誘った。
「どうせ暇なんでしょ先輩も。行きません?私と一緒に」
行く。
行くに決まってるだろ。
明日なんてこないんだから、もう2人でメチャクチャに弾けてやろう。
……とはならない。戸惑っているのが正直なところだ。というのもコイツはサイドテールの可愛らしい女の子なのである。確かに胸は大きかったし、前々からちょっと変だとは思っていたが、こんな性に奔放な奴だったのだろうか?
ボンタは湯呑をすすりながら、大真面目に謎の誘惑を続ける。
「最後ですよ〜先輩。ドーテーのまま死ぬんですか?それはいけませんよ」
「なんで……お前が俺のそんなこと懸念してるんだ。いいんだよ、ドーテーだろうがなんだろうが。心を静かにして最後の時を迎えるんです俺は」
すると奴は急に小声になって耳もとで囁いた。
「この状況下なら、いくら奥手でドーテーな先輩でも獣のようになれますよ。先輩のどんな変態的な夢でも叶いますよ。見てください、胸の巨大な裸体の女性達がこんなに参加してるんです」
「行かないよ。行くものか」
「あっ……そうですか。じゃあ私、1人で行ってきます」
そう言うとボンタは立ち上がった。──え?コイツ行くの。
「私は最後の瞬間に処女というのは嫌なのです。先輩は家でお独りで最後を迎えてくださいね。ああ勿体無い」
「お前ね。どこの誰とも知らん輩と……」
と一応説教してみたものの、ボンタの決意は何故か固い。これには困った。正直な気持ち、コイツが野郎達とまぐわうというのはあまり考えたくはない。でもおそらくボンタはパーティーで大人気になっちゃうだろう。変な奴だけど可愛いし。
「行かないよ俺は。行くわけがない。でも会場には行く。絶対に参加しないけど。これはつまり街は危険だから、一緒についてってやるということだから勘違いしないように」
「先輩!私は先輩の性欲を信じていましたよ」
ボンタはニヤリと笑った。
というわけで最後の日だというのに俺は自転車を出し、ボンタを後ろに乗せて2人で街に出ることになった。
「久々に外に出たけど酷いなぁ。どこも窓ガラス割れてんだな」
「そうなんですよ〜先輩。電車もバスも動いてないから大変なんですよ」
遠くから銃声まで聞こえてくる。
「天体衝突の前に銃で撃たれて死ぬのは嫌だぞ」
「そっすね。乱交会場に急ぎましょう」
「うおおお!スピードアップ」
スクランブル交差点目指して必死にペダルを漕ぎまくる!ここからだと30分ぐらいかな。気づけば空に浮かぶ巨大天体は先程よりもさらに大きくなってきている。
「急がないと、重力場がなんやかんやで天変地異がはじまっちゃうそうですよ先輩!」
「わ、わかってるわい」
──っていうかコイツ、自転車にも乗ってこなかったのかよ。一体どうやって会場に向かうもりだったんだ?歩きじゃ間に合わないだろって。
「先輩!自転車のスピードが落ちてますよ。もっと頑張って。ホラホラ」
「……はぁ……はぁ……。しんどくなってきた。二人乗りはキツイ」
後ろのボンタは腕を振り上げて、息を切らす俺を叱咤激励する。
「ドーテーのままでいいんですか先輩!?エッチなことしたいでしょ。漕いで漕いで!」
「なあ……。思ったんだけどさ」
「なんですか」
「会場まで行く必要なくないか?」
俺は自転車を止めた。そして進路を変える。
「そこの公園に行こう」
「え?ちょっと!道が違いますよ」
「お前はようするに処女のまま死ぬのが嫌なんだろ。そして俺がドーテーなのも嫌なんだろ。じゃあもう俺とでいいだろ!」
「ちょっと、先輩!?」
あれだけ紳士ぶってたのに、急変して狼になる阿呆な俺。それでいいのか?いやよくない。情緒不安定な俺は公園のベンチに2人で座る頃には紳士に戻っていた。
「……っていうね。今日のギャグはここまでっていうか」
「何が!?」
ボンタが血相をかえて俺に詰め寄ってくるので釈明する必要に迫られた。
「やっぱりナシで」
「嘘でしょ先輩!さっき私とすると言い切ったんですから貫きましょう。どれだけドーテーに愛着持ってるんですか先輩は。今日が最後ですよ!私達に明日はないんですよ」
「明日はないと言うけどさぁ。政府の壮大なドッキリかもしれないじゃん」
痺れを切らしたボンタは上着を脱ぎ始めた。揺れる胸が刺激的過ぎる。しかし……我々の嬉し楽しいやり取りを邪魔する声が割って入った。
「そこの若人!そこのベンチでイチャついている熱い若人達だよ。聞きなさい!ワシらは助かるかもしれんぞ」
「へ!?」
パナマ帽に着流し、という出で立ちの老人が耳に携帯ラジオを当てて叫んでいる。これ幸いと俺はベンチを立ち老人のもとに駆け寄った。
「ちょっと先輩!私を1人にしないで」
ボンタもブラジャー姿で追いかけてくる。
「聞きたまえラジオを。世界政府が秘密裏に開発してきた秘密兵器が、ついに完成したそうじゃ。南極建てられた塔が、高度3000キロ上空に絶対的スーパーバリヤーをつくりこの星を覆う」
「ほうほう。確かにニュースで言ってますね」
なんてバカなニュースだろう。と普段の俺なら思ったに違いない。でも今は違う。ラジオから流れるニュースは突飛なものだったが、ここは全力で信じてみたい。
「秘密兵器はまだあるんじゃ。次は北極の塔から打ち出されたビームが、あの死の星を打ち砕くそうじゃよ。破片はこちらにも飛んでくるじゃろうが、バリヤーがそれを全て弾き飛ばしてみせるという」
ボンタが呆れながら俺の腕にしがみつく。大きな胸が腕に当たっている。
「世界は終わらないんですか?やだなぁ。奥手な先輩と一線を超えるチャンスだったのにぃ。このチャンスを逃したら私はどうなるのかしら。シクシク」
「大丈夫。続きは部屋に戻ってからだ」
「本当に!?」
ボンタの表情がパッと明るく輝いた。
その時、空の色が黄色くなった。スーパーバリヤーがこの星を覆っているに違いない。そしていよいよ憎き死の星を打ち砕く瞬間が近づいている。
「あの死の星。向こうにも知的生命体は存在しているらしいんじゃがな。2天体が接近した際に電波で交信したそうじゃから間違いない。じゃが……消えてもらう他なかろう」
「まあ仕方がありません。この緊急時、異星の生物の心配までしてられませんからね。ところで死の星の名前ってなんでしょうか」
老人は答えたものの、もちろん聞いたことのない星だった。
「チキュウ?なにそれ」
天が明るく輝く。北極から放たれたビームが死の星の当たったのだ。青く輝く巨大な死の星は超新星並の温度に達して爆発してしまった。その衝撃はすべて我が星のスーパーバリヤーが弾き返した。奇跡だ!世界の消滅は避けられたのだ!
「やったぁ!これで無事に先輩と続きができます」
背後から力いっぱい抱擁してきたポンタの大きな胸がグニっと背中に当たる。助かったという興奮と混ざって、さしもの俺も冷静ではいられなかった。
こうして我々バロリア人は、高度なる文明と、神の慈悲によって、絶滅の運命を避けることができたのだ。──この美しきバロリア星は守られた。
かつてこのバロリア星は万有引力のいたずらで元の恒星系から弾かれて遊星となり、数千万年の間、長らく恒星間を漂っていたが、数千年前より太陽系に侵入してしまっていた。しかし長き旅も終わりである。どうやら青き死の星の軌道に落ち着くこととなったようだ。
大宇宙の塵と消えた青き死の星のことを、向こうの知的生命体は「地球」と呼んでいたそうだ。人類という我々とソックリな形態の生物もいたらしい。結果的に彼ら人類を絶滅に追いやってしまうという悲しい結末となってしまったが、せめて彼らのために祈りたい。「ジャングルゲンドルパーン」これはバロリア人の念仏だ。
結局、野外超大乱交パーティーには我々は行くことはなかったが、それは幸いなことだった。何しろ世界は滅ばなかったわけなので、彼らはとんだ恥を晒すことになったのだ。世の中は何が起きるか分からないものだ。
一方で俺と可愛い後輩のボリンタル・ベレルーシの関係はどうなったのか。あの後、部屋で2人はそれはそれは濃厚な展開となったのだが、とても書き記せないのが残念だ。ボンタの美しい紫の髪が、燃え上がるような赤色に変化したことだけは伝えておこう。