隣の席
「おー鈴木―」
隣の席の加藤が、チャイムが鳴り終わる、ギリギリになって登校してきた。そして
「ミズボウソウって、水が暴走したんやろ?」
「ちゃうわ!」
顔を見るたび加藤はいつもその言葉を言ってくる。本当にムカつく。
鈴木愛美はこの前まで、水疱瘡にかかっていた。学校を二週間ぐらい休んでいたら、『席替え』をしたらしく、隣の席が加藤将人になっていた。
「ミズボウソウって、水が暴走したんやろ?」
「ちゃうわ!」
学校に復帰してから、愛美は悩まされていた。毎日毎日、加藤がそのセリフを叫んでくることに。
「ほんまムカつく。ちゃうって言うてるやん」
愛美は友だちの綾乃に愚痴っていた。
「ほんと仲いいよね~付き合っちゃえば」
「は? 誰があんな奴!」
「顔真っ赤じゃん」
「それは今、腹が立ってて、頭に血が上ってるだけ」
「頭から湯気、出てるで」
「うそ!」
「うっそ~」
「綾乃―怒るでー」
「あははーごめん、ごめん」
愛美が学校に復帰してから二週間が経った。
水曜日の五時間目――。
学級会の時間に『席替え』が行われた。一人一人、缶の中に入ったくじを引き、開いて、黒板の座席番号と照らし合わせる。クラス全員の新しい席が決まったら、先生の合図で、机の大移動が始まる。
新しい班のメンバーが集まった。みんなの隣の人が決まった。前後左右でおしゃべり仕出し、笑い声が響く。
「はーい。静かにせんと、この席替えなしにするでー」
すぐにシーンと静かになった。
(あーあ。離れちゃった……)
愛美は残念そうに加藤を見つめた。
「ミズボウソウって、水が暴走したんやろ?」
「ちゃうわ!」
けれど加藤は席が離れても、愛美とすれ違うたびいつもの台詞を言ってきた。
愛美は安心と喜びを感じていた。
(離れ離れの席になっても、声をかけてもらえた!)
放課後、愛美は部屋で漫画を読んでいた。
愛美は読みながら、漫画に出てくるヒロインと自分を重ねた。
ヒロインはよく一人の男の子にからかわれていた。最初はからかってくる男の子のことが嫌いだったヒロイン。けれど、少しずつその男の子が気になっていき、それが好きなんだとヒロインは気づいていく。
(加藤もよくからかってくるなー。いつも言ってくるあの言葉も、あんまりムカつかへんし。むしろ今は楽しいかも。……あれ?)
気がつくと愛美は、加藤のことばかり考えている。
加藤のことが気になって、幼稚園の卒園アルバムを開いてみた。愛美が居たゆり組には、知ってる女子の名前ばかりがあったが、次のページのたけ組には、知っている男子の名前があり、その中に、女の子みたいにくるくると長い髪をした加藤がいた。
(なにこれ、めっちゃ女の子やん!)
小学校に入ってからのクラス表を出してみると一年から五年のどのクラス表にも加藤の名前があった。
(すごっ。五年間同じクラスなんや。他に二人ぐらい、一緒の人もおるけど)
ある時、先生の机の上にはがきサイズの誕生日カードが置いてあった。それは私たちのクラスの先生が毎月、その月が誕生日の人に配る手作りカードだ。
(あ、私のある。もう一枚は……加藤や! 同じ月なんやー。あれ、十六日?)
十三日生まれの愛美と三日違いだ。
(奇跡ちゃう? もしかして運命!)
加藤と同じところや誕生日が近いことを知った愛美は、一人舞い上がっていた。
昼休み。運動場を見ると、加藤がサッカーをしていた。加藤の将来の夢はサッカー選手。幼稚園の頃からサッカーをしているらしい。さすが、足が速い。
(かっこええなぁ)
漫画のヒロインが好きになる男の子も、スポーツ万能。
(やっぱり、私の好きな人は加藤なんだな)
窓際で頬杖をついて、見とれていると
「よし! 告白しよう!」
二月十四日――バレンタイン。
学校が終わった後、愛美は近所の公園に加藤を呼び出した。愛美はチョコを差し出す。腕は震え、真っ赤な顔は下を向いて、赤レンガの道を見つめてる。ゾウが足踏みをしているみたいに、心臓の音が大きい。
「ありがとう……けど、ごめん」
そう加藤が言った瞬間、愛美の頭の中が真っ白になった。愛美は腕をおろし、
「うん、分かった」と二言だけ言った。顔を上げない愛美のことを少し気にしているようだったが、加藤は公園を走り去って行った。
顔をあげ、加藤の姿が見えなくなって、愛美は、草むらの中で隠れて大泣きした。
(何が駄目だったんやろ……。絶対付き合える思ったのに……。好きな人居ったんかな……)
愛美はその夜、綾乃に電話して、フラれたことを報告した。
「そっか……。でも、いい返事もらえてよかったやん」
「いい返事?」
「だって、ありがとうって言ったんやろ?告白してくれてとか、好きって言ってくれて、ありがとうって意味なんちゃう?」
「……そうなんかなぁ」
「そうやで、きっと」
次の日、愛美は加藤と顔を合わせづらかった。加藤も気を遣ってか、何も言ってこなかった。その日から、加藤はあまり愛美をからかってこなくなった。
(あの言葉も聞かなくなったなぁ)
フラれたあとの一、二ヵ月は落ち込んだが、少しずつ元気を取り戻していった愛美。今では加藤のことは友達として、時々世間話しをする程度の仲になった。前みたいにバカみたいな同じやり取りはしなくなったが、あまり気にしていなかった。
それから九年後――成人式。
「なぁ、今どこにおるん? え? オブジェの前? どこや……」
平均より身長が少し低い愛美には人が多すぎて、携帯で話している大学の友だちの居場所が分からなかった。中央のオブジェが全く見えない。とりあえず進んでいく。
「あっ、愛美―」
「ちえちゃん! よかった~会えた~」
友達と合流し、愛美は、ちえと一緒にそのままオブジェの前に立っていた。誰かに会えないかと期待して。
「ここにおる人ら、皆二十歳かぁ」
と、愛美がつぶやいた。
「あと三ヵ月でウチは二十一歳やわ……嫌やなぁ」
四月生まれのちえが嘆く。
「おばちゃんやん」
「おばちゃんちゃうわ!」
誰にも再開できなかった二人は、溢れかえる人ごみの中をかき分け、体育館に入っていった。
広い体育館には、色鮮やかな振袖や黒いスーツを着た人でいっぱいだった。何脚も設置されたパイプ椅子の最前列の方には、スクリーンや舞台があった。愛美とちえは、体育館に入ってすぐの空いていた席に座る。丁度体育館の真ん中あたりの列で、入口から入ってくる人の顔がよく見えた。けれどなかなか知り合いの顔を見ることはできなかった。
(意外と会えへんもんやねんな)
と愛美が思っていると、
「あ、二階もあったんや」
ちえが二階にある席を見つけて、愛美もそっちを見た。ちえはあっちに行く?と聞いたが
「んーええんちゃう? もう、そろそろ始まるし」
「せやね。誰か知ってる人おらんかな~」
と、ちえは入口の方に注目した。
いよいよ式が始まる。と、その時に。席だった右隣にスーツ姿の男性が座った。体育館の照明がいくつか消え、目の前の景色が薄暗くなった。すると
「鈴木?」
隣に座った人の方から名前を呼ばれた。愛美はその人の顔を見た。
「……加藤!」
「久しぶりやなー」
「ひ、久しぶり~」
まさかの、スーツを着た加藤だった。思わぬ人に出会って、愛美は少し動揺していた。けど昔と変わらない加藤の愛想のいい笑顔を見て、愛美はほっとした。
「今夜の同窓会行くやろ?」
と、加藤が訊くと
「中学のやんな?ごめん、行かへんねん。用事があって」
「あ、そうなんや」
予想外の答えだったのか、加藤は一瞬戸惑った。
式典中、加藤と昔話に花を咲かせることもなく式は終わってしまう。
会場にいた新成人たちが、外に出ようと立ち上がり、ぞろぞろと出口に向かいだした。愛美たちも外に出ようと席を立ったその時、懐かしいセリフが聞こえてきた。
「ミズボウソウって、水が暴走したんやろ?」
「……ちゃうわ!」
お互い笑顔がこぼれた。
「ねぇ、さっきの誰? 元彼?」
「ううん。昔告白して、フラれた人」
「そうなんやー。で、昔よりイケメンになってた? 惚れ直した?」
「んー、変わってへんのちゃう?」
外に出ると、来た時よりたくさんの人が広場に溢れかえっていた。愛美たちは別れ、中高の友だちと久しぶりに再会し、記念撮影や誰に会った?とか、色々な世間話をした。友だちの話しを聞きながら、愛美は辺りをキョロキョロしていた。
(もう、帰ったんかな)
愛美は加藤を探していた。だが、結局顔も見かけず、愛美は会場をあとにした。
(もっとしゃべれること、できたんかな。この後の同窓会、中学の方に行けばよかったかな……)
帰り道、愛美の中では期待と後悔が渦巻く。
ふと空を見上げる。小学生の頃はよく暇になるとこうして、空を見上げていたことを思いだしたのだ。
(久しぶりやなぁ)
その日の風は強かったけど、空は清々しいほど透き通った水色だった。
おわり