穴
安井昌平は穴を掘っていた。
どこまでも深く。深く。
しかし作業はまったく捗らない。安井は額の汗を乱暴に拭った。
車のヘッドライトが唾を吐き、悪態をつく彼を映しだしている。
トランクには大きな毛布の塊があった。細長く、まるで人でも入っているような形の。
規則正しいリズムとは程遠い、穴を掘る断片的な音。ざっ、ざっざっ……ざっ。
安井の鼓動は激しく鳴っている。どくんどくんどくんどくん。
それらの音を、安井は呪いだと思った。
死んだ、まさか死ぬとは思わなかった、鹿嶋の呪い。
ざっどくんざっどくんどくん。
彼女の理生と鹿嶋が会っていると安井が知ったのは、一週間前だった。
何かの間違い。自分へのサプライズ。
そう思い込もうとしていた自分は、さぞ滑稽だったに違いない。
鹿嶋との決別は覚悟していた。話し合いで解決するはずもない。
でも、まさか死ぬなんて。
呼吸が荒くなる。腕が重い。
汗の臭いがたまらなく不快だった。全ての音が、安井を責め立てた。
ころすことはないじゃないか。どうしてだやすい。おれたちしんゆうだったろ。
延々と繰り返される呪詛。
俺は押しただけだ! 頭を打ったのは俺のせいじゃない! お前が悪いんだ!
スコップを持つ手に力を込める。早くしないと、頭が変になりそうだった。
殺人を犯すとこんなにも辛い責苦を味わうことになるのか。
俺は亡霊に殺されるのか。殺されてたまるか。
人一人がようやく入れるほどの穴を掘り終えたとき、すでに空は白んでいた。
シャツは汗で体に張りつき、手からは血が出ていた。
それを見て安井は顔をしかめ、呻きとも喘ぎともつかない声を漏らした。
これは贖罪だ。
理生も自分の元を離れて行った今、安井はそんな風に考えた。
人殺しの罪がこんなもので消えるとは思えなかったが、俺も大切な物を失ったのだと。
縁に手を掛け穴を出る。口の中で、じゃり、という砂を噛む音がする。
安井は唾を吐き、スコップを杖代わりにのろのろと車に向かった――
「ない!」トランクは空だった。
安井は瞬間全てが夢だったのかと錯覚に陥る。
いや、そんな筈はない。最後に鹿嶋の胸を両手で押した感覚。
それは今でもはっきりと覚えている。
ではなに――――「がっ!」
誰か。誰かに押されて、安井はしたたかに顔を地面に打ち、倒れた。
〝誰か〟はスコップを奪い取ると、また強烈な打撃が、今度は安井の頭を打ちつける。
疲れきった体では、大した抵抗もできない。
スコップが頭骨を打ち、ぐじゃっと鳴った。
体から生温い何かが抜けていくような、そんな感覚がした――
空が見える。
ざっざっざっ。低く雲の垂れこめた空。
ざっざっざっざっ。空が見えなくなる。
躊躇なく。無慈悲に。そして唐突に。ざっざっざっざっざ。
俺を埋めているのは鹿嶋だろうか。鹿島は生きていたのか。
安井は鹿嶋の細い腕を思い出し、自分に土を被せる音に耳を澄ませる。