王子暗殺計画
ピンクは正義だ。
その正義に身を包んだ私はすなわち正義であるべきだと思う。
現実はそう甘くはないんだけどね。
「へぇー、これが王子殺しの短剣かー」
「ちょっと。そのいわくつきみたいな言い方やめてくれる?」
眉をひそめてイースを咎めると、イースは軽く肩をすくめた。
私の膝に乗っている重い短剣。
透き通るような青い鞘に、銀細工で煌びやかに加工されている。
もちろんこれも魔女の私物で、これに魔法をかけてある。
少しだけ柄を引いて刀身を抜いてみると、黒い刃が顔をのぞかせた。
銀色じゃないのが、魔女らしい。
ちんっ、と鞘に戻すと私は顔を上げた。
ここからが、この物語の肝だ。失敗なんて許されない。
もちろん名女優がとちるなんて心配はしてないんだけど、用心はしておいて損はない。
突然気が変わって、王子を殺したりしたら大変だから。
魔女としての最後の出番でもあるわけだし。
「……特に魔法をかける必要性はないんだな」
短剣を眺めながら、柊がぽつりと零した。
私は黙って頷く。
ここで大事なのは、魔女から人魚姫に渡すという事だ。
ちなみに、タコの魔女は普段はその名の通り、タコとして生活する。
人型は魔女であるべき時間帯か、陸上生活をする時だけ。
魔女は、私でいう魔法少女が該当する。
意外とそこが、めんどくさいところなのよね。
「ま、説明して渡すだけだし。あとはクライマックスまで見守ればオッケーでしょ」
結婚式は船上で、明後日の予定だ。
王子は流石名優といった感じで、淡々と物語を進めている。
多分、その目に映してるのは私じゃなくて柊なんだろうけど。
悔しくはないが、何か怖い。
柊も大変だ。ほんのちょっぴり、同情する。
座っていたソファから立ち上がって、短剣を左手に握りしめながら伸びをしようとして、
「ひ?!」
無言で佇む人魚姫が目の前にいた。
吃驚して、腰が抜けた私はソファの上にへたり込む。
気配をまるで感じさせなかったのは、気のせい?
それとも、私がぼんやりしてたの?
不安に駆られて、左の柊と、右のイースを交互に見やった。
柊とイースの表情は、どこか堅い。
二人も気付かなかった、みたいだ。
何だろう。凄く嫌な感じだ。
ぎゅっと短剣を両手で抱き締める様に握り、私は人魚姫へ視線を向ける。
やや俯きがちに伏せた顔。
だらんと、力なく体側に垂らしただけの腕。
しっかりと二本の足で立っていはいたけど、棒立ちだ。
いつもの、人魚姫と違う……気がする。
唾を飲み込んで、私は人魚姫に用意された台詞で問いかける。
「……何しに来たの?」
無言。ぴくりとも動かない人魚姫。
そういう演技なのかどうかさえ、私には判別できない。
不安ばかりが膨らむ私の肩に、そっとイースの手が置かれる。
ちらりと窺うと、笑顔でウィンクされた。
それが、何だか私の緊張を溶かす。ぎゅっと短剣を握りながら、私は私の役を果たす。
「あのね、前説明した記憶がないけど、人魚姫は王子と結ばれないと、泡になって消えてしまうの」
ようやく、人魚姫が私へ視線を向けた。
その目は暗く澱んでいる。流石は、名女優。
背筋に寒いものが走るくらいの迫真の演技だ。
「悪いけど、貴方が欲しがったのは足そのものだから。でも、その足も王子の隣を歩くためのものだもの。王子の隣を誰かが占拠したら、貴方の夢なんて泡と消えるでしょ? だから、貴方は泡になって消えるわ」
微かに目を見開く人魚姫。その視線は、私の瞳じゃなくて、私の胸の高さ……短剣に向いてる気がした。
状況で読み取った、ってことかしら。
多分順調なんだよね、これって。
「……だから、そうなる前に、王子をこの短剣で刺殺してしまいなさい。そしたら、貴方はまた、人魚に戻れるから」
すっと差し出した青い鞘に納められた黒い短剣を、人魚姫が一瞥する。
次の瞬間には、躊躇なく人魚姫はそれを手にしていた。
――やっぱり、違和感がした。
くるりと背を向ける人魚姫。
その一瞬に過った表情は、……笑っているように、見えた。
ぞ、と背筋を怖気が駆けあがる。
思わず腕を抱いて人魚姫を見送った私に、イースが楽しそうに。
「……危ない気配が漂うなー」
「やっぱ、そう思う?」
「思う思う。あの人魚姫の目は……」
くすっと無邪気な笑顔を見せるイース。
そしてその輝く表情で絶対に紡いで欲しくない言葉をさらりと呟いた。
「あれは、王子をめった刺しにしながら、笑ってるタイプだね」
◇◇◇
それきり、だ。
人魚姫の姿を誰も見かけなくなった。
流石にヤバそうだから、王子に柊をつけた。
私でもいいけど、王子はその方が喜ぶからね。
柊に目で「絶対終わったら説教してやる」と言われた気がするけど気にしない。
その間、私はイースと物語を進めながら人魚姫の行方を追っていた。
短剣を持ったまま、どこかに行ったらしい人魚姫。
幸いと流血騒ぎはまだ起きていない。
それに、もしも何かしあらの恨みに基づくのだとしたら魔女か王子だろう。
だから、狙われるとすれば私か王子。
私の役目はほぼ終わってるから、怪しいのは王子だ。
実際、王子の元にこれから人魚姫は出向き、王子を殺せない……と自ら泡となって消えるんだから。
「……うーん。これで王子が死んだら、密室殺人だ」
イースは腕を組みながら、笑顔で遠ざかる波止場を眺めていた。
結婚式に参加できなかった国民とか貴族が、帽子を投げたりテープを放ったりして、盛大に見送っている波止場。
最後の舞台は、ついに動き出したんだ。
登場人物の限られる、フィナーレの時が来る。
「もし、死んだらどうなるのかな」
「そうだなぁ……運命が狂うから、この物語の世界ごと壊れて消えてしまうかもしれないねー」
危機感を感じさせないイースだけど、それは致命的だ。
下手すれば私達も無事では済まない。
だから運命代行魔法少女は、嫌なんだ……。
「大丈夫、ウィン。……魔法少女はね、夢と希望を載せた存在だから」
「イースの口から出たとは思えない、ポジティブなイメージね」
「やだなぁ、血反吐を撒き散らす魔法少女は、嫌いじゃないよー」
……どっちにしろ良いイメージではないわけだ。なるほど。
ぐっと手を握りしめ、私はイースへ宣言する。
「やって見せるわよ。魔女の運命はこの物語を演じ続けるためにあるんだから」
その運命を途切れさせたら、私の運命代行魔法少女としてのプライドに関わるしね。
◇◇◇
イースに船内捜索を任せ、私は衣装合わせへと向かっていた。
一応、ここから物語に『魔女』は登場しない。
だけど、王子の結婚相手は一応魔女だから、それまで私の役割は暗に続いている。
流石に船。波の影響で少し船体が揺れている。
歩けないほどじゃないけど、頭がくらくらしそう。
「……ん?」
壁に手をつきながら歩いていた私は、不意に人影に気付いた。
甲板へ続く道のりを歩く、ぼんやりとした光を纏うような背中。
ラベンダーが揺れているような色合いの癖の強い髪が、歩みで微かに揺れるその姿は。
――先日、海岸で一瞬見かけた姿と、同じだった。
明らかにこの物語から逸脱したその存在感は、どこか幻想的なほどで。
思わず目を奪われていると、甲板へ続く階段を上り出す。
「あ……待って!」
何故か、私はその背を追いかけたくなる衝動に駆られていた。
木の床を蹴って、慌てて走り出す。
階段を駆け上がると、眩しい太陽の光に目を細めざるを得なかった。
手で目の上にひさしを作って周囲を確認する。
追いかけた姿は、どこにもなかった。
それほど距離も離れていない。歩くのだって割とゆっくりだった。
甲板だって、まっ平らで。隠れる場所もないし、人が慌ただしく結婚式の準備に追われている。
夢を見ていたような。化かされたような。
でも、あれは絶対に現実だ。幻覚なんかじゃない。
だけど、どうしてだろう。
不安よりも、戸惑いが先行するのは。
恐怖より、寂しさが去来するのは。
「……誰、なの」
ざっと潮風が私の呟きを攫っていった。
◇◇◇
日が沈んだ海上。
明日は遂に、結婚式。
つまり、物語の終わりは今日だ。明日を迎えることはない。
人魚姫は、結局イースでも見つけきれなかったらしい。
でも、どちらにしろ人魚姫は来るはず。
そしてそうでないとしても、人魚姫は今日で泡になって消える。
物語はフィナーレ。
だから、王子の命だけ確保すればあとは何とかなるはずだ。
三角のもこもこな帽子を被って、すやすや寝ている王子。
幸せそうだよね。
考えてみれば、この王子は実に清々しいほどに変な要素が少ない。
物語の王子にしてはまともだ。
この間の白雪はきつかった。
ネクロフィリアな王子は、体に染みついた死臭がやばかったもん。
そう考えると、この王子の妻になる魔女は、悪くない選択をしたのかもしれない。
ま、甘い結婚生活なんてこの物語には存在してないんだけどね。
そんなそこそこな物件の王子の部屋に、私たちは息を潜めて隠れていた。
船と言っても流石王子の部屋だから広い。
カーテンの裏に私、サイドボードの影に柊。扉が開けば、その陰に隠れる位置に、イース。
どうか、人魚姫が最後まで演じきってくれますように。
あと少しで、今回の仕事も終わりだから願わずには居られないよね。
黒い布にくるまって、声を押し殺していたイースが、不意に動く。
白い指で扉を指さし、次いで口元に持っていく。
来たってことね。ぎゅっと青いフレームの眼鏡を握りしめながら、小さく息を整える。
この緊張感、結構嫌いじゃないかも。
木の床を踏みしめる音が、徐々に近づいてきた。
高鳴る緊張感の中、そっと扉の方を覗き込む。
――きぃ、と軋む音を立てて扉が押し開かれた。
廊下を照らす、蝋燭の炎。ゆらゆらと揺れる光の中映し出されたシルエットは、確かに人魚姫の姿だ。
左手には、短剣。右手には、青い鞘。
……え、待って。
疑問が私の脳裏を駆けたのと、人魚姫が力強く床を蹴り出したのは同時だった。
王子めがけて、真っ直ぐに。
振り上げた短剣は、王子の心臓を狙っていた。
予想だにしなかった展開に、私は動くことが出来ず。
――ギンッ
夜の空気を引き裂く金属音が、王子の寝息を掻き消した。
ふわりとベッドの上に降り立った柊に踏みつけられた王子が「ぐえ」と声を漏らす。
が、何だか幸せそうにニヤニヤして未だ就寝を敢行する王子を、一瞬尊敬した。
赤い鎌を手に、鋭く柊が睨むのは、確かに人魚姫だった。
綺麗だった髪は輝きを失い、かすり傷か、かさぶただらけの腕。
やつれた様子のその姿に、私は思わず息を呑む。
「チッ、邪魔もんがおるとはね」
人魚姫の声ではなかった。人魚姫の声は、私が預かってる。
なら、誰の声?
戸惑う私を他所に、人魚姫は青い鞘を放り投げて短剣を逆手に握り直した。
その持ち方は、素人ではない。
数をこなしたからでもない。
だって人魚姫は一度たりとも、王子を殺すために武器を握った事がないんだから。
人魚姫が動くより早く、柊が王子を蹴り台に、鎌を振りかぶって肉薄する。
柊の動きに即座に反応した人魚姫は、とても素人とは思えない体さばきで柊の一閃を躱し、バックステップで距離をとる。
「何なん、アンタら。予定外やわ」
逆光の人魚姫のシルエットの頭の脇。そこに、小さな姿が揺れる。
「ええわ。この物語、好かんし」
吐き捨てる様に告げた声に呼応するように、小さなシルエットがくるりと宙を舞う。
間違いない、声の主はあれだ。
「……何なの、はこっちの台詞よ」
「お互い様やね。まぁええわ。フィナーレは間近やし、もう終わらせたるわ」
くるりとターンして駆け出す人魚姫と小さな影。
柊は迷わず後を追う。
私は扉の影から機会を窺っていたイースを見やって頷いた。
「イースは王子をお願い」
「おっけ。気をつけるんだよー、ウィン」
「私を誰だと思ってんのよ」
口元に笑みを浮かべながら私は走り出す。
眼鏡を装着すれば、光が私を包み込む。
光が途切れて現れるのは、正義の色を纏った魔法少女だ。
「魔法少女は、血反吐を吐いてでも夢と希望を載せた存在なんでしょ!」
白銀製の切れ味抜群なブックマーカー『アンタレス』を手に、私は柊の背を追った。
物語の最後の舞台、人魚姫が身を投げる甲板へと向かって。