王子の花嫁
イースと柊は、本来はノーカウントの存在だ。
物語で言う背景でしかない。
つまり、今の王子は。
「柊はどの角度から見ても美しいね。ああ、是非あと二十八の角度から見つめさせてほしいんだが」
「鬱陶しい。俺にそんな趣味はない。とっととウィンディと結婚式の準備をしろ」
ちらっと王子が私を見やり、何もなかったかのように柊に視線を戻した。
背景に恋する王子とかおかしいでしょうが!
そもそも滅茶苦茶失礼よね、この王子。
柊は完全に無視の方向で、つんと王子から顔をそらしている。
女子か。お前は女子なのか。
なまじ可愛い顔してるから困る。これでも、柊は男の子なんだけど。
イースは最早見飽きたのか、ベッドの上でごろごろと転がりながら明日のアクティビティについて調べていた。
積極的で世俗的な天使を神様は嘆いてないだろうか。
いや、あの能天気な神様だから心配とかしないか。
ちらりと扉を窺うと、僅かに開いた隙間から、今回の熱演主演女優、人魚姫が悲しそうな視線を送っていた。
何というか、凄く同情する。
声の綺麗な魔女の私より、脚線美で美貌の人魚姫より、王子は女装癖の死神男子の柊を選んだ。
それが悲しくないわけがない。有り得ない。きっとタコの魔女もこの光景を見れば同情するだろう。
◇◇◇
物語は、淡々と進む。というか、進めている。
進行中は、流石アクターの王子も、入り切って演じきる。
それ以外の時間は、完全に柊にべったりだ。実に腹立たしい。
もちろん人魚姫は王子に拾われて、一応は可愛がられて生活している。
名前は『コタニ』。
そんな名前じゃなかったし、意味が分からず顔をしかめた私に、王子は笑顔で言い切った。
『常に新しい気持ちで演技するためには必要なことさ!』って。
表情が引き攣ったのは言うまでもないけど。
童話の世界も、楽じゃないんだなって感じたのも確かだ。
物語として描かれた部分以外……つまり、文章化されていない部分は、完全に自由時間。
ある種、それでなんとかやっていけてるのかもしれない。
ざぁっと、海が鳴る。
夜の海風は少し寒いけど、潮の匂いは結構好き。
海、なかなか行けないもん。
車か馬車か、あとはドラゴン使わないと簡単にはいけない距離にしかないし。
今度家族旅行の話が出たら、言ってみようかな。
びゅおっ、とひときわ強い風が吹き抜けて、私は思わず目を瞑った。
風が過ぎ去り、そっと目を開くと、月の光が作り出す海上の光の道が見える。
色んな世界が見れるから、魔法少女も、悪くないよね。
「……そろそろ帰るかぁ」
柊が心配してると可哀想だし。
イースはまず心配してないからいいけど。
くるりとターン。
きしっと微かな音を立てる砂浜。そして私は歩き出す。
海岸線のすぐ傍に立つ、巨大な白亜の王城へ。城下町に大きな港を抱えてるこの街も、もう少し散策したいな。
「……ん?」
不意に、違和感を覚える。
きょろきょろと視線を巡らせても、何もおかしいところはない。
何の気なしに後ろを振り返る。
淡い色のシルエットが居た。
「えっ……?」
さっきまで、私が立ってた所。
すれ違ってないし、誰もいなかったはずなのに。
慌てて瞬きをして、ついでに目を擦る。
ぎゅっと手を握りしめて再度視線を向けると。
「……え」
何も、居なかった。
淡い光のような、存在があったはずなのに。
つ、と冷たい汗が頬を伝った。
どうして、だろう。
嫌な感じがするのは。
この物語の、登場人物である可能性は十分にあるのに。
ドキドキと、心臓がうるさくなる。
「……月の道と、見間違えた、かな」
うん……きっと、そうだよね。
そう無理矢理私は自分を納得させる。
だって砂浜には、私以外の足跡なんて、どこにもなかったんだから。
◇◇◇
「おかえりー、ウィン」
「ただいま、イース」
与えられた部屋に戻ると、イースが私のベッドに寝転がった状態で手を振った。
柊は窓際の壁に凭れて、ちらりと私に視線を向けただけ。
この部屋、一応一人部屋なんだよね。物語の構成上仕方ないんだけど。
だから出て行ってくれてもいいとは思うんだけど。
天使と死神に、そんな事言っても意味ないんだよね。
寝転がるイースの脇に腰掛け、私はイースの背中をぼすっと叩く。
「ちょっと、退きなさいよ。そろそろ寝るんだから」
「早っ! まだ良い子の寝る時間!」
「良い子で結構」
「ええ? ……毒物練り込んだりしてる大魔王の間違いでしょ」
表情が引き攣る。
イースの吐く毒は、ほんっとに天使らしくない。堕天使になってしまえ。
ふと、私の肩に手が置かれた。
顔を向けると、柊がどこか心配そうな表情を浮かべていた。
「何かあったら、いつでも言え」
「は?」
「俺はお前を守る義務がある。お前の魂を守る義務が」
柊の、ワインレッドの双眸がじっと私を見つめて言い切った。
いつもそうだ。柊は私の事守ってくれてる。
それに甘えてばっかりなのは、内緒だ。
小さく笑って、私は柊の手をそっと退ける。
「……何もない。でも、何かあったら言うわよ」
柊は少しだけほっとした様な気配を滲ませる。
まぁ、あんまり表情が動かないから分かりにくいには分かりにくいんだけどね。
「明日の朝、起床は六時半だ」
「はいはい」
適当な相槌を打った私に、一つため息を吐いて柊は出て行った。
一応、そういう所気を使ってくれるんだよね柊って。
銀色のツインテールがひらりと揺れながら、扉の向こうに消えて行った。
柊も、何か感じてるのかもしれない。
でも、余計な心配をさせる必要はないよね。今はまだ、大丈夫だから。
「イース、私もう寝るからね。明日早いし」
「あれ? 何かあったっけ?」
サーフィン雑誌を捲っていたイースが手を止め、私を見上げた。
予定くらい把握しておいて欲しいもんだわ。
ため息で何とか憤りを我慢して、着替えをクローゼットから引っ張り出す。
「人魚姫に魔法期限の話をするの」
「あー、そうだっけ。頑張れー」
結局他人事だからイースは軽い。
って言っても、何だかんだとイースも何かしら考えはもって動いているから、馬鹿には出来ないんだけどね。
「はぁ。明日は忙しくなるわね」
ため息を吐かざるを得ないのは、物語が終幕に差し掛かってるから、ってことにしよう。
物語の最後は、ハッピーエンドとは限らない。