人魚姫の歌
地上にイースが送り届け、浜に置き去りにされた人魚姫。
王子が見つけるまでをこの目で見届けようと、丘の上から身を伏せて確認していた私の隣で、柊が不意にため息を吐いた。
「お前はスナイパーか。何で身を隠す必要がある」
「だって、見つかったら面倒じゃない。私の出番、まだだし」
言って、口が緩んだ。
私の声は物語と同じく、人魚姫の声になっている。
ハープみたいな、きらきらして、聞いてるだけでうっとりするような声。
自分の発する言葉が、綺麗な声で紡がれると、自分の事だけどすごく嬉しくなっちゃう。
これなら魔女も悪くないかな、なんてね。
「締まりのない顔だー。若いのにたるむよ、ウィン」
「うるさいわね!」
振り返って、けたけたと笑うイースを睨み付けた。
柊は相変わらず呆れたと顔で言ってるし。
ほんと、神経逆なでしかしない嫌なお付だ。
しかも誰も頼んでないってのが、問題だし。
ぷいっと顔を背けて、再び30m先の海岸を睨み付ける。
視力が3.0な私には、これくらい楽勝だ。
白い砂浜が、きらきらと太陽の光を反射して、波と一緒に輝いている。
流石に、年若い女の子をいくらお伽話と言えど一糸纏わぬ姿なんて可哀想だから、毛布でくるんで砂浜に放置している。
……不自然は、不自然なんだけどね。
それにしても。
毛布の隙間から覗く、脚線美。
声まで綺麗で足まで美脚なんて、魔女じゃなくたって嫉妬ものだ。
等価交換って考えに基づけば、悪くない取引だよね。
ひがみだなんて言わせない。人間、欲の塊なんだ。
いくら綺麗な声を持っていたって、人魚姫は海でしか生きられないはずの存在。
父親に守られてたなんて自覚さえ捨て去って、叶うかもわからない恋のために、魔女と悪魔の取引をする。
人魚姫だって、純粋無垢な悲劇のヒロインじゃない。
悪魔に魂さえ売れる、欲望の女だ。
「……ヒロインも、あんま良くないかも」
何だか自分の思考の果てに、暗い気持ちになった。
ひょいっとイースが傍らにかがみこんで、ぽん、と私の肩を叩く。
視線を向けると、にっこりと笑顔でイースは言い切った。
「ウィンはまさにその欲の塊の答えだよね!」
すぱんっ、と柊がイースの頭を思いっきり叩いてくれなかったら、私はイースを消滅させてたかも。
つくづく、最低な天使だ。
「来たようだぞ、ウィンディ」
「えっ、どこどこっ!」
柊の言葉に、私は再び海岸線へ視線を走らせる。
ここからが本番だ。だって、私はタコの魔女で。
つまり王子様に一応は、見初められるはずなんだから。
期待に胸を膨らませて目を凝らすと、確かに倒れている人魚姫の傍に人影。
黒髪でブルーの瞳。鼻の高い、色白な男の人だ。
王子様っぽくない、ラフなポロシャツにジーンズってのは気になるけど。
「……うわー、安い。あれ大量生産品のしかもワンシーズン前の服だー」
「流行ってあるの?!」
思わずイースに問いかけると、イースは不思議そうに首を傾げた。
「あるに決まってるじゃない」
そういうもんなんだ……知らなかった。
「……どうでもいいことに食いつくな、女って生き物は」
至極つまらなそうに零した柊を、私とイースは揃って睨む。
女装癖のお前には言われたくないわ!
◇◇◇
無事に人魚姫が王子の城へ搬送されたのを確認したところで、一旦私は魔女へ連絡を取ることにした。
定期報告も、代行者としては大切な任務だから。
海底のタコ魔女の洞穴へ戻り、テレビモニターをオン。
これで魔女と遠隔通信する手はずになってる。
柊とイースは私の後ろで、モニターを覗いていた。
黒かった画面が、徐々に砂嵐の向こうに景色を映し出す。
「タコ魔女、いる?」
『おっ、そんな時間?』
ノイズ交じりだった景色に、声が通る。
若干のだみ声。これは魔女のコンプレックスだ。
『ん? 映り悪いな。とりゃ!』
ゴン、という音に引き続いてガタガタっと画面が揺れた。
クリアになる画面。古典的だけど、何故か直ることの多い方法を使ったらしい。
今時やらないけどね。
映し出されたのは、宵の浜辺をバックに背負ったテラス。
白いテーブルセットの上。オレンジ色の液体が入った大きなガラスコップには、ぐるぐると渦を巻くストローが花を飾りにして刺さっていた。
見事なリゾート感がそこにある。
『やっほ、魔法少女。どうよ、調子は』
緩くうねる漆黒の髪をくるくると指で巻き付けながら、笑う魔女。
すっぴんなのか、眉毛が半分くらいしかない。
大柄の花の描かれた暖色系のカラフルなワンピースを着たタコの魔女は実に楽しそうだった。
羨ましい。
「ぼちぼちね。明日、浜辺で王子見つけて来るわ」
『あー、ね。あいつの顔は、もう顔見飽きたわ。ねぇしばらく代行しておくれよ』
ストローを咥えながら魔女はぼやく。
人にものを頼む態度じゃないな、うん。
それに、残念ながらそうはいかないんだ。
「悪いわね。私は一度きりしか代行できないの」
『何それ。下手な言い訳ね』
「言い訳じゃない。ウィンディが運命を代行するのは、一度だけだ」
後ろにいた柊が、不意に口を挟む。
まさか口出しするとは思ってなかった。吃驚して振り返ると、柊は私なんてまるで無視で、モニター向こうの魔女へ語る。
「これは本来お前の運命だ。それを何度もウィンディが代行するとなれば、それはもう、お前の運命じゃない。ウィンディが魔女という運命を貰うだけだ」
『別に構やしないよ。交代するならそれも悪くない』
「本来ウィンディに運命は存在しない。お前は消えるだけだ」
断言した柊に、私はぎゅっと手を握りしめた。
頭では、分かってるけど。
人から突き付けられると、何だろう。切ない。
脳裏に、パパとママを思い出す。
ふと、イースが私を後ろから抱き締めた。ぎゅっと、強く。
その手は、あったかい。冷たい不安に濡れた私の心を、あっためるみたいだった。
『……冗談だよ』
ぼそっと、魔女が零す。
モニターを見れば、バツが悪そうな顔をした魔女が居た。何だか、申し訳なくなる。
「ごめんね」
『あーうるさいうるさい。あたしの折角の休みをこれ以上邪魔しないどくれ。適当に王子あしらっといてくれ。じゃあね』
ぶちっとモニターが黒くなる。
強制的に切られたみたいだ。
途端に静かになる空間で、ぽつりと。
「……すまん。余計な口出しをした」
謝罪する柊。
どこか苦しそうに視線を伏せている柊は珍しい。何だか、ちょっと可笑しい。
「別に。気にしてないよ。ていうかイース、離してよ」
「えー、やだやだー。今日はねー、ウィンとくっついて寝るんだー」
「何でよ!」
「ウィンって、寝るとすっごく温かいんだもん。赤ちゃんみたーい」
「失礼なっ!」
けらけら笑うイースと、少しほっとしたような顔をする柊。
鬱陶しいばっかりの二人だけど、私の事を分かってくれてるのも、この二人だ。
……悔しいけど、一緒に居るのは嫌いじゃない。
◇◇◇
ブルーのワンピースに、それだけじゃちょっと寂しいから、白いシルクのスカーフを巻いて、ピンクのサンダル。
完璧な可愛い系女子の完成。
なのに。
「何で、あんたたちまで完全武装なのよっ!」
「だってウィンばっかり衣装チェンジでつまらないじゃない」
「あの服にあまり砂とかつけたくない」
イースは何故かオレンジのチューブトップに深くスリットの入ったグリーンのロングスカート。
柊はそれこそ砂が大量につきそうな、レースとフリルの豪華共演な、ハイウエストのワンピース。
いつも思うけど、何で柊は女装すんだろう。訳が分からない。
口調とか全然男の子そのものだし。
それに、二人がめかし込むと、普通に私は霞む。
だから心底やめて欲しい。
「邪魔しないでよ?」
「大丈夫だってー。私、ああいう顔嫌いだから」
イースは聞いてもいないのに、そんな答えを笑顔で紡ぐ。
「むしろお前が気をつけろ」
柊は無意味に今日も、私に優しい。
ため息を吐いて、私は砂浜の定位置へ立つ。
砂浜の、岩陰。
ここは、この物語の魔女が、王子を惹きつけるためのステージだ。
すうっと息を吸って、魔女から借りたCDで散々耳に焼き付いた歌を、奏でだす。
本当は人魚姫の歌。
魔女が奪った、人魚姫の借り物。
空っぽな、それでも煌めく歌は、何だか私みたいだ。
「はいはい、迎えに来た……おぉぉぉ?!」
「ひっ?!」
獣の叫び声みたいな声に私は身を竦ませ、すかさず柊とイースが私を庇うように立つ。
見れば、昨日と同じ白いポロシャツにジーンズの王子様。
エメラルドが嵌ったみたいな緑の瞳に、高い鼻筋。堀が深い顔って、あんまり好きじゃないかも。
ぱちぱちと目を瞬かせ、王子様はあろうことか。
「君、君に巡り合えた僕はなんて幸せ者なんだ!」
「……は?」
王子様は輝く笑顔でがしっと、手を掴む。
私のじゃなくて、柊の手を。
私には柊の背中しか見えないけど、海溝並みに深い皺が眉間に刻まれてるんだろう。
イースがニヤニヤと、楽しそうに笑っていたから。
「結婚しよう。そうしよう!」
「待て」
一人で暴走する王子様に、柊の冷たい制止が入る。
でも、お伽話につきもので、王子と姫に、常識や落ち着きは存在しない。
「さぁいざ城へ! 結婚式の準備だ!」
ぐいっと柊の手を引っ張ったはずの王子。
だが、逆に王子は柊に引き寄せられ、胸倉をつかまれた。
「待てと言っている。お前に耳はないのか。脳機能は停止してるのか」
「ぐ、ぐふ」
柊が手を掲げて、王子の足は宙に浮く。苦しげに息をする王子の顔が、徐々に赤くなっていくのを見て、私はやっと我に返った。
「ひ、柊! 流石に王子絞殺したら駄目だって!」
「ふん」
ぶんっ、と柊は素直に私の言葉を聞き入れて、王子を水平に放った。
海面に頭から突っ込んだ王子に、イースが指をさして笑い出す。
柊は心底不愉快そうに王子に掴まれた手を、丹念にレースのハンカチで拭いていた。
なんだろう。
このやりきれない感情は。
ずぶ濡れの王子は、ふらふらと立ち上がって、右手を胸に、左手を柊に差しだし、満面の笑顔で。
「君こそ僕が探し求めた女だ!」
柊は表情を引き攣らせて、王子を視界から外した。
イースは腹を抱えて笑ったせいか、目尻に涙を浮かばせながら私に言う。
「だって、ウィン!」
「るさいわね! 私の役取ってんじゃないわよ馬鹿柊!」
「俺のせいじゃない」
分かってるけど、何か納得いかないのはしょうがないでしょ!