軌道外の始まり
本作は4月1日第5回テキストレボリューションから書籍版頒布となります。
以降、書籍版とは異なる展開がありますので【本当の物語】はそちらでお確かめください。
ああ、まただ。またこの夢だ。
――もう、ウィンは誰に似たのかなぁ。お寝坊さんなんだから。
くすくすと笑うママは、どこか違う。何だかその違和感の原因は良くわからないけど。
目を擦って、霞む視界の中で、ママは空色の綺麗な髪を揺らして私に手を伸ばす。
ママの手が私の胸元に伸びて、バランスの悪いリボンの長さと形を手際よく整えてくれた。
一歩下がって、全身を眺めるとママは満足そうに頷く。
――さ、今度は遅刻しないようにね。
ええ、朝ごはんは?
膨れた私に、ママはぴっと指を突きつけて、にっこりと微笑んだ。
――お寝坊さん、ご飯の時間は決まってるんですよ?
そりゃあ、ママだって仕事があるからそうなんだけど。眠気には勝てないんだよね。
まぁ、これは夢だから少しおかしいんだけど。ママは、仕事してないもんね。
紺色のちょっと硬い印象の制服に身を包んだママは、ちょっとかっこいい感じ。
ママに肩を押されて、私は玄関へと歩く。いつも優しいけど、こういう時はママは凄く強いというか、譲らないから諦めるしかない。
仕方なしにため息を零しながら、玄関のノブに手をかけた。
行ってきます、と言いかけた私の前に、緑色の紙袋が突きつけられる。
吃驚して目を見開いた。
――お腹すきすぎて倒れたなんて、カッコ悪いから、今回だけだよ?
流石ママだ!
うんうんと頷いて、私は紙袋を丁寧に受け取った。中身は覗かない。あとのお楽しみにしよっと。
頬が緩むのは止められないよね。ママのご飯は何でも美味しいもん。
――行ってきます!
満面の笑顔で言った私に、ママは笑顔で頷き、ひらりと手を振った。
――いってらっしゃい、ウィンディ。気を付けてね。
いつもこの夢は、ここで終わる。ママか、パパに見送られて私は出かけていく。
この続きも始まりも、私は知らないんだ。
◇◇◇
「ウィーン。また昼寝してー! 宿題終わってないでしょー!」
指でぐりぐりとつむじを押される鈍い痛みに、私は眉間に皺を寄せながら体を起こす。
イースの手を払いのけつつ、下敷きにしていたノートを見下ろした。
真っ白だ。時計だけは無情に時間経過を主張してたけど。
「まだ間に合うから何とかするわよ……。明日は休みだし」
「心配だなぁ~。変な顔して寝てたし~」
「変な顔って何よ。夢見てただけよ、夢」
「夢ぇ?」
怪訝そうに眉を顰めたイース。何でそんな疑わしいのよ。夢くらい見るでしょうが。
ペンを手に取りながら、ため息を一つ零す。
「いつも見る夢よ」
「ああ、あれかぁ。ママさんとリリーが出て来るって夢。もういい加減親離れしなよー」
「う、うるさいわね! 大体、何かちょっと違うのよ。ママもパパも、何か違う感じがするし」
「そうなの?」
首を傾げたイースに、私は頷いた。
そう。違うんだ。何が違うのかって言われると凄く困るけど。とにかく違う。
「ウィンは、どっちのママさんが好き?」
「は?」
何言ってんのか良くわからない。イースを見やれば、何だか真剣な顔で私を見つめていた。
桃色の髪が、さらりと揺れて顔をずいっと近づけてきたイース。
思わず仰け反った私の瞳を、イースの青い瞳がじっと覗きこむ。心の中を覗こうとしてるみたいに。
「な、何なのよ」
「……だーめだなぁ。早く親離れしなきゃねーウィンは!」
つんっと額を指で突くと、イースは笑って体を起こした。
ホントにこいつは、何考えてんのか分からないわね……。
「ママさんは、ママさんだからね。ウィンの心だけが、答えを知ってると思うよ」
「イース、あんた何言ってるのか全然分かんないわよ」
「理解できるなら、こんなこと言わないよー」
つまりは私がイースの発言の本意を汲み取れないと踏んでいる、ってことだ。
馬鹿にされているのとは少し違う気もする。だからこれ以上食い下がったりはしない。
ただまぁ、正直面白くはないよね。
私の事なのに、私が一番知らないっていうのは。
……私の事。
急に気分が暗くなる。
脳裏に過るのは、淡色の少年。四方平坂。
――あいつは、自分の事をどれだけ理解しながら、存在してるんだろう。
虚無の存在を心に抱きながら、ペンを手に取る。
中に詰まったインクは、外側からじゃ見えない。唐突に掠れて消えてしまうインク。
それはまるで私みたいだ。
◇◇◇
「あれ、パパ早いね」
「ちょ! 我が娘ながら酷いな?!」
広げていた新聞をばさばさ言わせながら閉じ、反論してきたパパ。
またちょっと寝ぐせが炸裂してるし、緩み切った空気を垂れ流してる。それでも、パパは私の自慢のパパで、この一帯では有名なお医者さんだから何というか、世の中分からないもんだ。
「確かに早いね、リリー」
「おはようございますと久しぶりに心から言えますね」
「ひ……酷い……」
項垂れるパパだけど、こればっかりは柊もイースも正論だ。だってまだ六時だもんね。
この時間に起きてるのはママくらいで、私も柊とイースにぶつぶつ言われながら起きて来るくらいだ。
パパが起きるのは朝食が出来てからだし、遅いっていっつもママに怒られてるもんね。
堪えてる感じはしない。ママ曰く、最初からそうだから仕方ないって言ってたっけ。
「とりあえずウィンディ、腹減ったー。飯にしよー飯っ」
「は? ママはどうしたの?」
「え?」
え、って。ぽかんとした表情を浮かべるパパに、私は首を傾げた。
何か、おかしい気がする。
「……あ」
一瞬だけ、パパの顔色が青ざめた気がした。次の瞬間には椅子を倒しながら慌てて立ち上がった音に私は身を竦める。
「大丈夫、リリー」
イースの声が、踵を返したパパの背中を掴んだ。行動のタイミングを見失ったらしいパパが、ぴたりと停止する。
刹那。
「ああ、ごめんね! 寝過ぎちゃった。すぐご飯にするからねっ」
慌てながらママが飛び込んできた。おたおたとエプロンを結びながらキッチンへ走るママは正直珍しい。
ついでに。
「ひゃ?!」
「おお!」
ママの吃驚する声と、イースの楽しそうな声が重なる。柊はむっとした表情を浮かべた。
私も驚いたけどね。
「どど、どうした……の?」
「……なんでもない」
戸惑うママを背中からぎゅっと抱きしめたパパは、何だかすごく怯えてるみたいに見えた。
おかしいな。いつもなら朝からいちゃついてんじゃないわよ! って怒鳴れるはずなんだけど。
今日はそんな言葉が出てこない。
それどころか、意味もなくほっとする。パパの気持ちが、伝染したのかもしれない。
だけど、どうしてそんな不安を抱いたのかは、やっぱり分からなかった。
◇◇◇
違和感。
小さな違和感がずっと私の後ろをついているようだった。見つめられているとか言う、そんな感じじゃなくて。
視界に映らない部分全てが、虚構でしかないような。
この感覚を、私は知ってた。
この感覚で、私はずっとやってきたんだもの。
この感覚は……私が、誰かの運命を代行している時の感覚と、同じだ。
「……ウィンディ」
「言わないで、柊」
学校までの煉瓦通りを歩きながら、私は柊を制す。
馬車が行き過ぎ、たまに知り合いの商店の店員さんに挨拶を返しながら、私は学校へと向かっていた。
この街は、一年の内ほとんどが冬の気候だ。南に三つか四つ街を越えた先にある王都では、四季が綺麗に等分されている。
たまに、本当にごくたまにおじさんに会いに行くときは王都に行くけど、その煌びやかさはこの街とは比べ物にならない。
医者としての腕前は確かなんだっておじさんも言ってたんだから、パパも王立病院で働けばいいのになぁ、って小さい頃は思ってたっけ。
やっぱり、大きな街には憧れるもんね。
だけど。
「ウィン」
足を止めてしまった私に、イースが声をかける。その声は凄く優しい声で、珍しい。
俯いたら駄目だって分かってたけど、気づけば私は下を向いていた。
肩から提げた鞄の持ち手をぎゅっと握りしめて、私は奥歯を噛み締める。
「いやだよ」
「うん」
「私は、ここにいたいよ」
「分かってるよ」
「でも、ここじゃないんだね」
イースも柊も、返答しなかった。答えに窮したわけじゃない。答えがないのかもしれない。
だけど、自分の口でやっとその言葉を紡げた私は、少しだけ胸がスッとした。
悲しみも不安も、拭えたわけじゃないけど。理解や納得とは少し違うのは、分かってるんだけど。
顔を上げる。
振り返れば、並んで私の後ろに立つ二人がいる。
柊は仏頂面で、イースは薄い笑みで、それぞれ私を見ていた。
「……気付かなければ、良かったのかな」
「それはそうかもしれないけど、でもね、ウィン。それが大人になるってことなんじゃないかな」
そうかもしれない。守られているだけの自分に苛立ちばかりを抱えていた私だった。
だけど実際に何も知らない、ただの子どもの癇癪みたいなものだったに違いない。
怖いし泣きたくなるけど、私は立ち止まったら駄目だ。だからこそ、柊を見据える。
「柊、私の本当の運命は、どこにあるの?」
「知って、どうするんだ。お前は今ここに居る。それを許されている。なのに」
「それは分かってるよ。でも……知らなきゃいけない気がするんだ。だって、今朝のパパは、凄く変だった。最初は、ママの存在を認識してなかったみたいだった。それが凄く、気持ち悪い。ここが私の運命じゃないんだとしたら、誰かの運命があるはずで……それだけは解消しないと、私がここに居る意味が、なくなっちゃう」
使命感もあるんだけど、私自身の不安を解消するにはこれしかない気がする。
柊はじっと私の瞳を黙って見つめ、私は静かにそれを受け止めた。
ここで揺らいでたら、柊は絶対口を割らないだろうから。
「……変わったな」
ふっと柊が口元を緩める。お姉さん……じゃなくて、お兄さんぶってるみたいに。実際お兄さんのようなものだけどね。
イースも隣でくすくすと肩を揺らして笑っていた。
「良いだろう。……俺としてもウィンディの母君と父君を簡単に放置するつもりはない。いずれにせよ、だ」
含みのある言い方だけど、それは柊の癖だ。暗に私に伝えておいて、私への衝撃を緩和するための。
全部隠されると気付かないけど、一部提示されて黙ってると私がムキになって考えるって良くわかってるから。
「行くのかい? 『かみさま』って人の所に」
この声。
ばっと視線を走らせる。馬車が横切る。商店立ち並ぶ通りの対岸。
幌をつけた馬車が通り過ぎ、そこに静かで微笑んでいたのは、淡色の少年。
「四方平坂」
「僕も一緒に行って、いいかな? 聞きたいことが、あるんだ」
にこりと微笑んだ四方平坂は、腕の中に、大切そうに黒い光を抱いていた。弱く明滅するその光は存在そのもの。
最早悪態をつくことさえ出来ない位に弱ってしまったシャドウが、その小さな瞳で敵意をのせて私を睨んでいた。
◇◇◇
神様は、神様だ。私たちを見守り続ける、ちょっとうっかりな背の高い神様。
白いひげをふさふさ揺らし、至近距離だと見上げたら首が疲れてしまいそうな。長時間見てたら、多分血流が悪くなって失神する。
そんな長身な神様と話すのに適した距離を保つのは正直とても難しいんだけど、今日は特別だった。
「さて、ではこれでよかろう」
白いアンティーク調の丸テーブルに、私と四方平坂、そして黒髪ポニーテールの眼鏡少女がそれぞれついていた。私の後ろには、柊とイースがそれぞれ立っている。四方平坂は腕の中に小さなシャドウを抱き締めていた。
テーブルの中心には、私と四方平坂に向けられたスピーカーが一つ。
ニットのワンピースに何故か白衣を羽織った少女は、くいっと指先で眼鏡の位置を修正すると、徐に口を開いた。
「ではまずは自己紹介をしておこう。不甲斐ない木偶の坊の『神様』の助手をしているイフルだ」
『神様』を木偶の坊呼ばわりするとは、とんでもない助手だった。表情の引き攣った私とは対照的に、四方平坂は凄く興味深そうに頷いてたけど。
「イフイフ、ひっさびさー!」
「ああ、久しぶりだなイース。相変わらず奔放なことだ。琴平柊も、迷惑をかけていることを改めて謝罪しておこう」
「構わない。これは俺が決めたことであり、死神協会としても許可を下していることだ」
「そう言ってもらえると、こちらとしても有難い。さて、では本題と行こうか。四方平坂、そしてウィンディ。おぬしらの知りたい事、答えられる範囲で私あるいは神様から返答しよう」
ばん、とスピーカーを叩き、叱咤しているようなイフルさん。案外能力的な面では神様が上だけど、それ以外はイフルさんが仕切ってるのかもしれない。
しっかりしてそうだもんね。だとしたら、私の存在といううっかり加減はイフルさんがいない隙の失敗なのかな。
ま、それは今更だけども。聞くべきはそうじゃないもんね。
背筋を伸ばして、私はまっすぐにイフルさんの黒曜の瞳を見据えて口を開く。
「私は、私の本来の運命の形を知りたい」
「なるほど。では、四方平坂」
イフルさんは静かに頷くと、四方平坂へ視線をスライドさせた。
即答するつもりはないのか、あるいは優先順位を決めるためかもしれない。私もちらりと視線を向ける。
四方平坂はいつも通りの薄い笑みを浮かべて、イフルさんに答える。
「僕は、シャドウを消えないようにしてあげたい」
「その方法は、その闇の精霊自身が良く知っているだろう。わしらに聞く必要もない」
「もちろん、聞いてるよ。でも、そうじゃないんだ。『かみさま』だからこそ出来る方法を、僕はお願いしたいんだ」
『……それは、無理なんだ。ごめんよ』
スピーカーから漏れてきた声は、震えていた。凄く凄く、申し訳なさそうに。神様は優しいから。
イフルさんはスピーカーを一瞥すると、腕を組んで椅子の背もたれに体重を預けた。
「神様が関与するのは、最初の一歩だけだ。終わりの延長ではない」
『悪いね、シャドウちゃん。君が消滅して、ここに来た時には色々考えさせてもらうから、それで勘弁してくれないかな』
その割り切り方は、何だか冷たい気がした。私は、神様が色々手はずを整えてくれたのに。
四方平坂もシャドウも何も言わないけど、不平等なのは、明白だった。
「でも、私は」
「ぬしは、神様の責任だ。与えたからには責任は全うする。何より、闇の精霊の消失は自然現象に過ぎぬ」
「だ、だけど!」
「構わないよ、ウィンディ。……でも、残念だな」
落ち着いてはいたけど、四方平坂は、がっかりしていた。笑顔は微塵も翳ってないけど。
その為にここに来たはずの四方平坂にはイフルさんと神様の言葉は最後通牒みたいなもんだろうから。
何か胸が詰まる。
「さて、ではウィンディ」
切り替える様にイフルさんが私の名を呼ぶ。私は慌ててイフルさんとスピーカーへと向き直った。
私の願いは……本当の私を知る事だ。
緊張感が私を包む。イフルさんはじっと私を見据えて、口を開いた。
「ぬしの運命は、ぬし自身が良く知っているだろう」
「え?」
『まぁまぁ、今のウィンディにはあの二人の元にいることがあるべき運命だからね。だから、そうだね』
くす、と小さく笑った神様の声がスピーカーから零れる。
悪戯を思い付いたみたいな雰囲気の笑いを。
『少しだけ未来の、ウィンディのもう一つの道を、代行してもらおうかな』
――それが、私の最後の魔法少女としての仕事になるとは、この時は考えもしなかった。