魔女の休息
どうにかこうにか、運命は回る。
人生って言ってもいい。
運命は定められているから、厄介だ。
希望しようがしまいが、幸せも不幸も舞い込んでくる。
それが普通のこと。
想定外に存在する私以外は、きっとみんなそう。
私は普通に生きられるけど、予定された何かがない。
言い換えれば、未来が用意されてない。
それって素敵な事かと、一瞬思ったけど、そんな事はないんだ。
だって、それは私が何かを得ることはないってことだから。
事情はいろいろ。
本来存在しないはずの私は、それでもここにいる。
だから、そんな私におっちょこちょいな神さまは、条件をくれたんだ。
――運命を代行する魔法少女にならない?
実に気楽に。
……魔法少女。
悪くない響きだなって、思ったから。
だから私は今でも、魔法少女だ。
生まれてこの方ずっと。
ただ、そう……魔法少女なら、もっと輝いてもいいと思うんだよね。
◇◇◇
「きゃー、良く似合うー。流石ウィン」
パチパチと手を叩きながら、棒読みするイース。
顔だけはにこにこと明るいが、ちっとも心がこもってない。
しかも、褒められても微塵も嬉しくない私はどうしたらいいんだろうか。
半眼でイースを睨んでいると、イースの隣で腕を組んでいた柊が口を開く。
「良いじゃないか。裏地が今回は赤だぞ。前は裏も表も黒だったろ」
「どこが良いんだ!」
即行で柊に反論する。
でも、柊は眉根を寄せて不思議そうに首を傾げている。
本気で思ってるんだ。流石は柊。
ある意味尊敬する。
しかし、この場には私の気持ちを共有してくれる存在は居ない。
ため息を吐いて、私は二人に背を向けて椅子に腰を下ろした。
……いや正しくはひっくり返した蛸壺だけど。
ポケットサイズの文庫本を取り出し、目次を頼りに、ページをぱらぱらと捲る。
タイトル『人魚姫』――そこで私は手を止める。
これが、今回私の代行する運命。
人魚姫っていうストーリーに組み込まれた運命を私は代行する。
この話は要約すると、王子様に恋をした人魚姫が、人間になっては見たものの、色々あって結局泡になって消えてしまう話だ。
まったく、これを繰り返す人魚姫も大変だよね。
物語に運命なんて存在しない、なんてのは間違いだ。
人生こそが物語で、すなわち運命。
つまり、絵本や童話は、全てが一つの劇と同じ。そして役者は同じ演技をひたすら繰り返す。
読者という運命を回す原動力がある限り、永遠に。
人魚姫も王子も、そして魔女も、同じことを繰り返すのが運命だ。
だから、たまには運命から解き放たれてみたいって気持ちは、分かるかな。
ルーチンワークが楽しい人は、きっと一握りだから。
そんな循環を繰り返す運命を代行する。
それが私。
そして、今も運命が動いているという事は、この物語を楽しみにしている誰かがいるという事。
……悪くはない、役割だよね。
「でも魔女はないわ。魔女は……」
「仕方ないって、ウィン。魔女ってほら、結構自己中多いでしょ」
肩越しにイースを振り返れば、ウツボの群れと戯れていた。
その光景は、何だかぞっとする。
イースは、怖くないのか。
「ああ、妬いてる? ごめん、ウィン。私って天使だからモテるんだ」
「……あ、そ」
イースって発言の半分が嘘くさいし、神経逆なでするから凄い。
子供の頃から一緒で、昔は可愛らしいお姉ちゃんとして憧れた自分を、今は抹消したいくらい。
「で、おおよその運命は理解したのか?」
真面目な柊は律儀に私に確認する。
私は頷いて、ぺらぺらとページを無意味に捲る。
「魔女の役割は、人魚姫の声を貰って、足を与えること。でもって、その魔法も条件があって、王子と結ばれなければ、泡になって消えてしまう、と」
「大事なこと忘れてないか?」
眉間に皺を刻みながら首を傾げた柊。
私は肩をすくめて、ぱたっと本を閉じた。
「魔女は王子に憧れて、人魚姫の声で王子の心を掻っ攫う、でしょ?」
「そうだ」
こくっと頷く柊。
そのはずみで銀色のツインテールが儚く揺れる。動作がちょっと可愛らしいよね、柊は。
そんな思考は隅に寄せて、私は再びため息を一つ。
「でも、散々魔女から愚痴聞かされたからなぁ。上手く演じきれるか不安だわ」
「やれるかじゃない。やれ」
「はいはい」
まったく、こんな真面目に常に見張られてると、肩凝るわ。
とはいっても、柊の言う通り、やるしかないんだけどね。
そう……魔女は自分の運命を分かっている。というか、この世界自体、住民が自分の役割をよく知っている。
だから、どういう未来が待つかは周知の事実。
でも、初めは。そう。運命の始まった時は、魔女だって王子に憧れていたはずだ。
……今はどうあれ。
思わず眉間に皺を寄せつつ、去り際の魔女の笑顔が可憐だったことが不意に私の脳裏をよぎる。
今頃、竜宮城とかいうリゾートホテルで羽を伸ばしていることだろう。
一度だけでも運命から切り離されるというのは、魔女にとっては最高のご褒美かもしれない。
いいなぁ。私も、久しぶりに家族旅行とか行きたいな。
「あ、もうすぐ着くみたいよ、ウィン」
「はいはい……」
イースに適当に相槌を打って、私は首から下げていた眼鏡を摘まむ。
眼鏡チェーンとか、ダサいのは百も承知だけど、今回のドレス、ポケットになりそうな所がないし仕方ない。
青いフレームの、結構お気に入りの眼鏡。
裸眼視力3.0の私だけど、これは別だ。
ちゃっと眼鏡をかければ、光が瞬き、私を包み込んだ。
春のそよ風のような優しい空気の流れの中、私の真っ黒だったドレスは見る間に形と色を変えていく。
淡いピンクの帽子と衣装。肩を覆うだけの白い短めのマント。腰のあたりからは、紫のフリルがこれでもかとあしらわれた、私のお気に入りの魔法少女衣装!
ピンクとレースとフリルは女の子にとっての正義だと、私は信じてやまない。
いや、ていうか魔法少女が全身黒タイツとかだったらその名前を返上しろって、誰だって叫ぶでしょ。
魔法少女は、みんなの夢であるべきなんだ。
……夢、で。
「……なのに何で私はいつも、悪役かなぁ」
ため息しか零れやしない。
「あのぉ……失礼しますぅ……」
気弱な、でも綺麗なソプラノの声が、魔女の洞穴に良く響いた。
入口からそっと顔を覗かせ、細い指で岩を掴んで震えている姿を見ていると、逆に指が折れてしまうんじゃないかと思った。
ゆるゆると、水草のように揺れるコバルトブルーのセミロング。
見えないけど、岩の向こうでは尾びれが揺れてるんだろうか。
イースがウツボの頭を撫でながら、
柊が腕を組んで彼女にじっと視線を向けつつ、
私は眼鏡の位置を無意味に修正して、彼女を招き入れた。
「何か御用? 人魚姫」
さぁ、物語の開幕だ。
◇◇◇
洞穴に招き入れた人魚姫は、おどおどと視線を巡らせては慌てて伏せるという行動を繰り返している。
これも何千何万回と繰り返しているだろうに、流石主演女優は違うな。
慣れているというか、役作りが徹底している。
感心していた私へ、人魚姫がやっと視線を合わせた。
「あの……お願いがあって……参りました」
震える声すら、ハープを奏でたような透明で、魅惑的な声。
イースがうっとりと目を細めるのも納得できる。
天使は、綺麗な音楽が大好きだものね。
「うん。いいわよ。じゃあ声対価に貰うわね」
「私、実は……足が欲しいんです」
ちょっと。会話が、噛み合ってないじゃないの。
眉根を寄せて口角を引き攣らせていると、人魚姫は目を潤ませながら口元を手で覆った。
「……でないと、私はあの人の隣を、歩けないの……」
「事情はいいわよ。はいはい。じゃあさっさと」
ええと、これだったかしら。タコの魔女が言ってた薬ってのは。
蛸壺の中に手を突っ込み、瓶を一つ取り出そうとした私に、不意に。
「ああ! そんな事言わないで、助けて魔女さん!」
「わぁ?!」
がしっと唐突に腰に抱き付かれた私は、後ろに体重を持っていかれ、バランスを崩す。
反動で、手にしていた瓶が私の手から離れて、宙を待った。
あ、やば。割れる。
さーっと血の気が引くのを感じながら、スローモーションに見える世界の中で、ぱしっと、瓶を掴む赤の袖。
柊だった。
「あ。ありがと、柊……」
ほっとしつつ、お礼を述べた私に、口を真一文字に引き結んで、非難の視線を向ける柊。
ちょっと、何で睨むのよ!
私が悪いわけじゃないでしょ。事故でしょ!
「そんな! 声が……なくなるの?」
空気を読まず、未だ演劇を続ける主演女優。
いや……違うわね。
「人魚姫の主食って人肉って本当?」
「……わかったわ。貴方に、私の声をあげる。だから、私に人間の足を、ちょうだい」
やっぱりか!
この人魚姫……台詞が完全に体に染みついてて、他の事が全然出来ないんだ。
応用力なし。
順応性ゼロ。
言い換えれば、純真無垢な、まさしく人魚姫だけを演じ続ける。
それは、童話の世界を壊さないためには必要なのかもしれない。
可哀想、とか思っちゃいけないけど。
大変だな、童話の主役も、変なことは出来ないってわけだ。
でも……。
「時間ないから、とりあえず薬使ってもらっていい?」
ぎゅっと唇を噛み締めている人魚姫。
なるほど、これは魔女の台詞のターンらしい。
この薬が効果を現すには、三十分掛かる。その間私は魔法少女で居続け、魔法を維持し続けなければいけないんだけど。
変身してすでに二十分。
残り四十分間しか私は魔法少女では居られない。
そうなったら、魔女の魔法は私では使えなくなる。
面倒な制約が多々付加された魔法少女も、楽じゃない。
そして多分、この人魚姫は童話通りに、この洞窟を出てから薬を飲むはずだ。
……そんな時間的余裕はないっ!
ああもう、こんな事なら、もっとぎりぎりまで変身するのを待てばよかった!
だけど後悔しても後の祭り。
次回変身可能は二十五時間後……契約違反になってしまう。
「柊、イース!」
「うわー、ウィンってばまた強硬手段を使うー」
「だからいつも言ってるだろうが。先を読んで行動しろって」
「うるさい! ほら、とっとと人魚姫を抑え込め! 薬を飲ませろっ!」
やれやれと肩をすくめた二人に命じて、私は未だ演劇中の人魚姫を羽交い絞めにさせて、強制的に薬を飲み込ませた。
黒っぽい液体の薬。人魚姫が健気にも台詞を紡ごうとした瞬間。
「げほごふぉっ?!」
初めてアドリブを見せた人魚姫。
やればできるじゃないの。
強烈な味なのだろうか、人魚姫はぐるりと白目をむいて気を失った。
すかさず左腕のタイマーを確認する。
よし……時間は大丈夫ね。
「……これで第一段階は完了ね。まったく、魔女も大変ね」
ふう、と心がすっきりした私を、イースと柊が、至極冷たい目で見ていたが、気のせいだ。
効果が現れるまでの三十分。
その間に、水中呼吸が出来なくなる人魚姫を陸に上げないと。
「さ、イース運んできて」
「……ウィン、やっぱり貴方は……悪役で良いと思うな」
「何でよ!」
「自分の胸に手を当てて、よく考えるんだな」
素っ気ないセリフを吐いた柊を、私はキッと睨み付ける。
「誰が貧乳だ! ママよりはちょっとは大きいんだからね! イースには負けるけど!」
そう返した私を、柊は何も言わずに、何だか憐れんだ目で見ていた。
まったく、なんて失礼な奴っ!