本来存在と規格外存在
どれくらい歩いたのか、分からない。腕時計を確認しても、この場所の経過時間には信用が置けない。
少なくともまだ、一日は経っていなかった。一日経過すれば、私はまた変身できるのだから、最悪そこまで耐えるしかない。
私、エルミナの存在規定からはみ出した行動しちゃってるんじゃないかな。
それが少し心配だ……。
「参ったなぁ。どこにもいないね、ウィンディ」
「みたいね。……あんた、よく平気ね」
「ん? 何がだい?」
うっすらと笑みを口元に乗せた四方平坂に、何だか感心してしまいそうだった。
堂々としてるというか……何の迷いもないというか。
「怖くないの? ここ、私たちを引きずり込もうとする場所よ?」
「そうなのかい? 知らなかったよ」
純粋に驚きを見せた四方平坂。どうやら本気らしい。いや、四方平坂もあのシャドウって子も嘘はつかないタイプかな。
真っ直ぐというか、疑う事を知らないみたいだもの。
「ウィンディは、怖いのかい?」
「な! そんな事っ……」
ない、と言いかけて、四方平坂の無垢な瞳に私は言葉を飲み込んだ。
嘘をつかない相手に、虚勢を張るのは何だか少し、みっともない気がした。
「……怖い、わよ。私、まだ死にたくないもの」
「そうか。……ウィンディは怖いんだね。大丈夫だよ、僕が一緒だ」
「全然頼りにならないんだけど……?」
若干声を低めて訴えるも、四方平坂はにこにこと笑顔を向けて来るだけだ。
何か、苛立ったりする自分が恥ずかしくなっちゃうじゃないの……。
「僕はまだ、死ぬことができないからね。だから怖くないんだと思うよ」
「大した自信ね、羨ましいわ」
「自信?」
怪訝そうに問い返した四方平坂。私か軽く肩をすくめる。
「私は死にたくないって思うけど、覚悟はあんたよりはないんだと思うわ」
「何を言ってるのか僕には良くわからないけど……、僕はまだ生きていないから死ねないだけだよ、ウィンディ」
……は?
「だから死に対する恐怖はないんだよ」
にっこりと締めくくった四方平坂。
待って。おかしいじゃない。そんなの。
私の手を引く四方平坂の手は温かい。死人の手なら、きっと冷たいはずなのに。
違う。死んでるんじゃない。生きてないなら、死なんてない。待って、分からない。怖い。
「生きると死ぬことを恐れるんだね。難しいな。僕にはまだ、その感覚がないからね」
四方平坂の明るい口調とは裏腹に、それは呪いのように私の心を縛り付けていく。
もしも、四方平坂が言っていることが本当なら。
血の気が引いていく。冷や汗が、頬を伝った。
「だけど、僕は君がとても羨ましい。生きるために頑張り続ける姿は、とても眩しくて、羨ましいよ」
「あんた、だって……生きようとして、色々、してるんじゃないの……?」
「なの、かな。シャドウはそうなるように色々頑張ってくれてるけど。僕自身は良く、分かってないんだ」
「……でも」
「シャドウが一緒に居てくれるようになってから、僕は一人じゃなくなった。君とも出会った。僕は、これからもそれでいいと思ってるよ。ウィンディ、君と刃で語り合うのも僕は嫌いじゃないんだ」
それって心のぶつかり合いだからね、と四方平坂は微笑む。
命の尊さを分かっていない四方平坂にとっては、きっと一戦交えることは、お茶を飲みながら談笑する事と同じ価値しかないんだ。
空っぽだ。痛ましいほどに、四方平坂は。
気付けば、私は四方平坂に平手打ちをかましていた。
「え、え」
戸惑いながら、私の平手を喰らった右頬を抑える四方平坂。じんじんとした痛みは、私の左手にだって残ってる。
「痛い?」
「痛いよ。ウィンディ、突然どうしたんだい」
「生きるってそう言う事なのよ。痛みと付き合ってくってことなのよ。私だって、痛いのよ」
目を丸くして瞬きを繰り返す四方平坂は、唐突な出来事を処理しきれてないみたいだった。
頬を押さえていた手をそっと下ろし、四方平坂はふっと息を吐く。
「僕は、痛いのは嫌いだな」
「なら刃で語るなんて物騒な真似止めなさいよ。私だって、あんたやシャドウと戦うのなんて、嫌なんだからね。だって、あんたたちは」
――私の敵じゃ、ないじゃない。
ぽそりと零した私の言葉は、四方平坂に届いただろうか。
四方平坂は、何も言わなかった。黙って、再び私の手を引いて、歩き出す。
終わらない漆黒の闇の出口を探して、前へと。
◇◇◇
時計を見る。二時間は過ぎたみたいだ。体感時間はまだそんなに経ったような感じではないけど。
相変わらず、四方平坂は私の手を引いてゆっくりとしたペースで前へと進んでいる。平坦な空間をひたすらに。
空っぽな四方平坂。だけどやっぱり、繋いだ手は温かいし……それだけで、安心する。
それは誰かが居てくれるっていう単純な安心じゃない気がする。自分でも分からないけど。
生きてすらいないとしても、四方平坂は四方平坂で、放っては置けないんだもの。
「……聞いていい? 四方平坂」
「なんだい?」
「シャドウ、だったよね。あの妖精さん。あの子とは、どうやって出会ったの?」
ツリ目の、黒いツインテールの闇色の妖精。いつも四方平坂の傍に居て、悪く言うと私の邪魔をしてくれてたちょっと態度の悪い妖精だ。
うーん、と四方平坂は視線を上へと向けて、ひとつ頷いた。
「はっきりとは覚えていないんだけど。シャドウが僕を見つけてくれたんだ」
「そう……」
「そうそう。シャドウにも怒られた。さっきのウィンディみたいに」
あ、平手はなかったかな、と付け加えた四方平坂に、私はぎゅっと唇を噛み締める。
この天然野郎は、たまに人のしくじりを笑顔で抉ってくるわけだ……。あとでつねってやりたい。
「シャドウは、もうすぐ消えてしまうんだって言ってた。だから、ただ存在だけで揺蕩ってた僕を、許せなかったんじゃないかな」
「えっ……あの子、消えちゃうの? どうして?!」
そんな悲壮感を出している様子は、なかった。隠してはいるのだろう。そもそも、シャドウは何かと四方平坂の為に動いているのだから。
だけど、妖精が消えるなんてよっぽどだ。
「シャドウは厳密には闇の精霊なんだよ。妖精は精霊の眷属だからね、シャドウに怒られてしまうよ」
「どっちでも一緒よ。何で消えちゃうのよ。精霊ならなおさら……」
「シャドウは、闇の精霊だからね」
それは聞いたわよ。ネジが一つ二つ足りてないんじゃないかしらね、こいつ。
闇の精霊だからシャドウが消えてしまうなんて、おかしいでしょう……仮にも、信仰対象であるはずなのに。
「……もしかして、信仰放棄されてしまった、ってこと?」
「難しいことは分からないけど、シャドウはシャドウを求める人がいなくなってしまったら、消えてしまうんだって言っていた」
「そんな、闇がない世界なんて、光がないのと同じじゃない」
「現象と存在はイコールではないよ、ウィンディ」
四方平坂の言う事も分からないわけじゃない。
太陽が沈めば、闇は何はなくとも姿を見せる。そこに精霊の有無は関係がない。闇という者を崇める人々の願いが精霊を生み出すのだから。
だけど、信仰は地域性がとても強い。形式なんて関係がない。その地に根差した習慣そのものが、信仰に繋がるのがほとんどだ。
生活環境に自然と息づく思想こそが、精霊の存在を規定するといっても過言じゃないもの。
それがいなくなるなんて、そんな。
「シャドウを崇めていた人々は、皆戦争で死んでしまったそうだよ」
「!」
「だから、シャドウが守るべき人も、もういないんだ」
脳裏に浮かぶのは、無人の場所に、一人浮遊するシャドウの姿。
凛とした横顔に、悲哀が混じる。
ああ、だから……
「だから、あんたの事を助けようとしてるんだね、あの子は」
「え?」
「前に言ってたよね、四方平坂。私とあんたが出会うのは最悪な偶然だって。そうかもしれない。だって、あんたは本当なら生きてるはずなんでしょう?」
「そうだね」
「それってつまり、私が居るからあんたは生きられないんでしょう?」
四方平坂は答えない。それはある種の答えなんだけどね、四方平坂。
ふっと息を吐いて、私は顔を伏せた。
「ごめんね、四方平坂」
「ウィンディが悪いわけじゃないよ」
「うん。でも、私はやっぱり生きていたいから。あんたに私の存在を引き渡す気は、ないよ」
四方平坂の目的が、やっとわかった。こいつは、存在を奪おうとしてたんだ。そこに自分が入り込んで「生きるため」に。
シャドウが推し進めてるのかもしれないけど、目的は間違いないと思う。
合点する。
――かちん、と金属が噛み合った小さな音が耳朶を叩く。
時計の盤面を確認する。薄い光を放っていた。それはつまり、魔法少女に変身できるだけの充填が完了したってこと。
二十五時間が、この時計的には経過して、変身が可能な状態になった。
する、と四方平坂とつないでいた手を離す。四方平坂が貸してくれていたマフラーを解いて、その首へかけた。
やっぱりこのマフラーは私がしてるよりも四方平坂がしてるほうがしっくりくる。
不思議そうな顔をする四方平坂から、私は一歩、距離を取る。
「でもね、四方平坂」
「うん?」
変身に必要なブルーのフレームの眼鏡を取り出しながら、私は言葉を止めない。
「私は夢と希望を届ける魔法少女だから、あんたをいつか絶対に、助けてみせるわ」
◇◇◇
「ウィンディ!」
鋭く呼びかけたのは、柊?
いつの間にか閉じていた瞳を開くと、私を覗きこむ柊の顔。そしてその向こう側には……薄桃色の、空?
「あ、れ? 私……」
「いやー、びっくりだよ。あの階層で、自力で突破してくるとは、流石エルミナの能力を借りてるだけはあるね」
ココルの声が聞こえた。というか、何で私横になってるの?
変身したのまでは覚えてるけど、そこから先が、全然思い出せない。
ふと、視線を左側に向けると、額に張り付くシャドウを苦笑いで宥めている四方平坂が居た。
何だかほっとする。
体を起こして、変身が解けていることに気付いた。
「もう。心配ばっかりかけて、今回のウィンは全然だめだね」
腕を組んでぷりぷりと怒ってるイース。だけど、私の周りに何重もの結界を張り巡らせて何かしてたのは丸わかりだ。
心配かけたのは悪いけど、そこまでして心配してくれたっていうのは少し嬉しい。
私は、居てもいいんだなって、思えるから。
「どこか、痛い所とかありませんか?」
そう尋ねたのは白い衣装の……クオルだった。私の右側で膝をついて、案外治療をしてくれていたのかもしれない。
再度見回せば、ここは輪廻の輪に続く橋の前だった。
つまりここは、もう死者の世界ではなく。そこにクオルがいるという事は、考えずともココルの野望が勝ったってことだ。
ぎゅっと手を握りしめ、私は顔を伏せた。何だか、悔しい。止められなかった。
「貴方が、悔やむことはありませんよ」
「……そうだけど」
「僕は、貴方を見て、そして貴方の傍にいるお二人を見て……自分で、戻ることを選びましたから」
「え?」
驚いて顔を上げる。
変わらず穏やかに微笑むクオルが、そこにはいる。
「……少しくらい、はみ出したことをしてでも守れるならば、それは……やる意味がある事なんだろうなって」
「意味……」
「はい。失礼とは思ってたんですけど、お二人の会話は、聞こえていましたから」
僕だけですけど、と苦笑したクオルは悪戯をしたような笑みだった。
そう、なんだ。それならまだ、私も納得できる。
「クオルも、誰か守りたい人がいるんだね。死神になってでも」
「……今更、かもしれませんけどね」
「大丈夫だよ。……きっといつか、届くよ。その想いは」
はい、と笑ったクオルにもう迷いはないみたいだった。なら、私がいつまでも反対する意味はない。
イースと柊は、きっと本当の役割から逸脱してるんだ。
私みたいに、イレギュラーな行動。だけどそれでも誰かの希望にはなれるんだね。
「魔法少女は、やっぱり夢と希望を届けるんだね、ウィンディ」
見れば、いつの間にか立ち上がっていた四方平坂。
肩にはシャドウが座って私を睨んでいた。
「……そうよ。だって、その為に居るんだもの」
「うん。そうだね」
「だから四方平坂、私は……――」
ふと、四方平坂が人差し指を立てて、唇の前に添えた。
――言わなくていい、とでも伝える様に。
「じゃあまた会おう。さようなら、ウィンディ」
止める暇はなかった。するりと溶けるように消えて行った四方平坂とシャドウ。
長くは留め置けないのは確かだ。またココルにけしかけられても、嫌だもの。
温い空気が吹き抜け、私の髪を揺らした。
「さ、そろそろ戻ろうか。目的は達したわけだしね。あ、書類とか支給品とかあるから、クオルも一緒に来てもらうよ」
「はい」
時間はまだ、止まらない。私の運命も、終われない。