深淵の白
外灯が、その足元に白い円を描いていた。白い円の外側は漆黒。曖昧な境界など許さない明確な白と黒。
白い円が、等間隔でどこか遠くまで続いていた。それがつまり、道なんだろう。
でも、踏み出すのがすごく怖い。黒に踏み込んだら、もう戻れないような気がしてしまう。
闇とは違う気がした。これは、黒、だ。
「さっすが魔法少女! 危険察知は得意だね?」
「ココル?」
ぽっと現れたように、先ほどまで居なかった隣の外灯の下に、ココルが立っていた。
傍らには柊。イースの姿は……
「ここだよ、ウィン」
ぽんっ、と肩を叩かれ、慌てて振り返る。にこにこと無邪気な笑顔を浮かべるイースが居た。
居なかったと思ったんだけど、もうここではそんな事にいちいち驚いてられないか……。
「うん、でもここに気配がする。何とか追いついたかな!」
「探し人?」
ご明察、と指を立てたココルに、私はぐるりと視界を巡らせた。
白い円はまっすぐに続くだけ。その他は何にも見えない。いや違うか、存在しないんだ、きっと。
何だか怖い。胸にぶら下がる髑髏のペンダントトップを、ぎゅっと握りしめた。
「本当なら、ここでこそエルミナの力を揮って欲しかったところなんだけど、まぁしょうがないよね」
「悪かったわね……」
私だって使いたくなんてなかったけど、あのままじゃ殺されてたかもしれないんだから。
何でだろう。
四方平坂なんだろうけど、あいつの考えてる事、良くわからない。
いつもそうだ。偶然かもしれないけど、私を消そうとする。その意図が、全然見えない。
人畜無害そうな顔をして、やってることは正反対だ。
不意に、周囲の光が強くなった気がして思考に没入していた私は顔を上げる。
ほんの少しだけ、黒が弱まったような。明確だった境界が、少しだけ曖昧になった……?
「ココル、あんた何かし……た」
問いかけようとして、その変化に私は呆気にとられる。
ココルの髪が、外灯の下で銀色の輝きを放っていた。風もなく微かに揺れる、ココルのショートボブ。
緋色の瞳を猫のように細めて笑っていた。
「さて! 探索といこっか!」
「ちょ、だ、大丈夫なの?」
不安が拭えない。何だか自分でも分からないけど、この黒い闇に溶けてしまいそうな気がするんだ。
二度と戻れないような、そんな。
躊躇する私に、ココルは大きく頷いて、手本とばかりに、足を動かした。
「っ!」
目を閉じてしまいたくなるような恐怖に凍り付く私の目の前で、ココルの足が、円の外に踏み込んだ。
踏み込んだ足元に、きらりと光が走り、円が広がる。本来ならば恐らく影となる部分が、光っていた。
「え……」
「ほらね、さぁさ、付いておいで魔法少女」
悠々と一歩一歩、足元に光の波紋を広げながら、ココルが歩いていく。
その後ろを、柊が無言で付き従う。ちらりと視線を投げた柊は「早くついてこい」と告げていた。
黒い闇に呑まれない、姿。何故か僅かに光っているようで、二人の姿は鮮明だ。
「行こ、ウィン」
「え、あっ」
イースに手を引かれて、私も一歩円の外へ踏み出した。恐怖がせり上がり、思わず目を閉じる。
地面を踏みつけた感覚。煩くなる心臓の音を聞きながら、そっと瞳を開いた。
足元は、微光を放っている。ちゃんと、そこには私の足が確認できた。
「だい、じょうぶだ……」
ほっと胸をなでおろし、知らずイースの手を強く握りしめていた右手から、力を抜く。
顔を上げると、にやにやと楽しそうなイースの笑みが見えて、猛烈に恥ずかしくなった。
ぱっとそっぽを向いて、その笑顔から逃れる。
「気にしない気にしない! ウィンの反応は当たり前だよ。さ、行こう行こう!」
「わ、あ」
ぐいぐいと引っ張るイース。転びそうになりながら私は体勢を立て直す。
早足でココルと柊に追いつくと、ようやく残っていた緊張感から解放される。
「ココル、あんた何者? 本当はここ、こんな事出来ないんじゃないの?」
「へー、魔法少女は案外頭回るタイプなんだね。将来何目指してるの?」
「はぐらかすんじゃないわよ。……医者よ、パパと一緒」
「父親の跡を継ぐってことかな? 立派な夢だ。そうそう、その通りだよ。これは多分、私とドーヴァの一族くらいしかできないだろうね」
「別にパパの跡を継ぎたいとかは思ってないわよ。ただ立派な仕事だと思ってるだけ。で、そんな特別仕様のあんたは職権乱用して何してるのよ」
「あはは、面白いね。そして賢い。よく両方の話題にきちんと応えるね」
軽く笑ったココルは、私を試してたのかもしれない。二つの話題を同時並行にするのも結構疲れるんだけどね。
これで合格点、ってところかな。ココルの雰囲気はそんな所だった。
「最近、変な奴が増えてね、死神としてもすごく困ってるんだよね」
「変な奴?」
「そう。魂になりきれない魂、っていうのが一番しっくりくるんだけど。で、どうも原因を知ってるっぽいから話を聞こうってわけだね」
「でもあんた、連れ戻すんだって言ってなかった?」
「よく覚えてるね。そうだよ。それは別件でね。でもその方が何かと助かるだろうって思うからするんであって、普段は許されないよ」
そういうものなのか。私にはイマイチ良くわからないから、曖昧に頷くしかないんだけど。
ココルがしたい事っていうのは、明白になったからそれでいいかな。
柊が、苦い顔をしているのがすごく気になるけど。
「琴ふっきげーん。なーに? 仕事仲間が増えるの嬉しくないの?」
「嬉しいわけがないだろ」
ぴしゃりとイースの言葉を切り捨て、柊は鋭くイースを睨む。本気で怒っていた。
対してイースはといえば、軽く肩をすくめるだけだったけど。でもイースが言う事も何だか一理ある気がした。
確かに未練の塊が死神だから、同族が増えたって嬉しくはないかもしれないけど、仕事が減るのはいいんじゃないかな。
でも、柊はそれに怒ってるんじゃない気もする。
「本来、死神はこんな所まで堕ちた魂を引き上げるもんじゃない。橋を覚えてるだろ。あの前だ。あの前までに、死神になるんだ。あの橋を越えて、輪廻の輪を逆行してまで現世に留まる魂は、王以外存在しちゃいけない」
「おう……?」
「世界の基盤を作る存在。ウィンディ、お前の魂がそれでもまだ存在できるのは王の慈悲の一環でもあるんだよ」
世界の王様ってことかな。柊の口振りだと、エルミナ以上に偉い存在。多分、私を間違って産まれさせちゃった神様なんかよりもっと高位な存在なんだろう。
だけど、柊の言う事に、矛盾を感じてしまう。そんな特別を、ココルの一存でしてしまっていいのかな。
確かにエルミナの一族の許可は得てるって言ったけど。でも。
ちらりと視線で先を行くココルを見やる。横顔に、不敵な笑みを浮かべていた。
それは少しだけ背筋を寒くさせる。
「それでも、死神は死神だよ、琴平柊。根底は変われない。少しは違うかもしれないけどね」
「滅茶苦茶です。そんな事、本来許されるべきじゃない」
「そうだね。私もそう思うよ。でもね、本来許されるべきじゃないことをしでかした奴を、『死神らしく』狩り取るためには必要なんだなこれが」
「何を言ってるんです?」
「それは、君が知る必要はないかな。君が、魔法少女に付き添う間はそんな事にはかまけないだろうしね」
柊は黙り込んだ。肯定、ってことなんだと思う。
つまり柊は私を優先するってことだ。有難いけど恥ずかしい。ついでに、死神としてはそれでいいのかもちょっと気になる。
漆黒の世界には音もない。話すのをやめてしまえば、瞬く間に耳にきーんと響く様な静寂が包み込む。
「やっほ、久しぶりだね。随分安らかに眠るのに時間がかかっているようだね」
ココルが足を止めて、不意に振り返った。
慌てて私も振り返る。
イースよりさらに後ろ。私たちが歩いてきたはずのその場所に、一人、立っていた。
驚いたような顔をする金髪の少女……だと思うけど、何だか違和感もしなくはない。白くて長い法衣は、その雰囲気によく馴染んでいた。
この人が、ココルの探してた人、なんだ。
「貴方……確か、ココルさん……でしたっけ?」
「ああ……そっか。流石にだいぶ記憶は置いてきたんだね」
「記憶?」
不思議そうに首を傾げる。うわぁ……なんか可愛い。悔しいけど所作全てが惹きつける何かを持ってる人だ。カリスマ性ってやつだ。
ココルはすたすたと迷いなく歩み寄って、すっと手を差し出した。
「君に頼みがあってきたんだよ、クオル」
「頼み、ですか」
「そう。死神として戻っておいで。そして、あの異物について知ってる情報を、教えて欲しい。じゃないと、折角軌道に乗ってきた王の目指した世界が壊れてしまう」
怪訝そうに眉を顰める金髪の人。クオル、っていうんだ。
ココルの話は、いまいち理解して貰えてないみたいだけど。
「君は、知ってるはずだよね? 君がきっと、抑え込んでいたはずのものだよ。それが今暴れまわろうとしている。抑制できる誰かが、いないんだろうね」
ぴくりと、微かにクオルの表情が動いた。思い当たることがあるのかもしれない。
怪訝そうにしていた表情に、僅かに警戒が滲む。
「それに何より、君の弟。自分の魂を囲って、死神に手出しさせないようにしている。これ、どういう最悪か分かるよね?」
「……どうして」
「さぁ。それは、君だって分かってるんじゃないかな? そうまでしなきゃいけない理由は」
えぐいな。事情は分からないけどココルのやり方は凄くえぐい。
この人の一番弱いところを握り込んで潰そうとしてるんだ。そういうやり方、私は嫌いだった。
「やめなさいよ。そうやって、弱みに付け込むような真似。総統とか言う偉い立場の存在がする事じゃないわ」
「ウィンディ」
固い声音で呼びかけた柊。多分、咎めたいんだろう。
だけど、私こういうの許せないんだ。
驚いた顔で私を見るクオルと、うっすらとした笑みの中に威圧感さえ醸すココルの視線に、私は毅然と立ち向かう。
「事情は全然知らないけど、でもあんたのやり方は反吐が出るわ。弱いところを回りくどく痛めつけて、選択させてるつもりなわけ?」
「悪いね、魔法少女。これは、君個人の感情で引き下がれる問題じゃない。世界というもっと大きな枠組みの中での話だからね」
「大勢の為に一人が犠牲になるのを、黙って見てろっていうわけ? 冗談じゃないわ」
「ウィンディ!」
柊が鋭く呼びかけ私の肩を掴む。視線を向けると、柊はふるふると真剣なまなざしで首を横に振った。
多分、ココルに楯突いて私の魂をここへ落とされることを心配してるんだ。
でもね、柊。
「私は、自分で選んで今も魔法少女を続けてるの。だからこそ、挫けないでいられるの。与えられた運命を精一杯演じ切る気持ちを失わないでいられるの。運命に疲れた今までの人たちの代わりに、私は犠牲になったわけじゃないのよ」
「ウィンディ……」
規模が違う話をしてるのは重々承知だ。
でも、自分で決めたことなら簡単には折れない。心を痛め続けて頑張れるわけないんだから。
だから、私はココルのやり方は認めない。例えクオルが死神になることを余儀なくされたとしても、せめて自分なりの理由だけは、持ってほしいんだ。
戸惑いの残る視線で見つめる柊に、私は笑顔を返して、ココルに視線を戻す。
ココルは変わらぬ不敵な笑みのまま、私に向き直っていた。ああ、ごめんエルミナ。私は少しだけ運命を狂わせてるかもしれない。
だけどね、譲れないものもあるんだ。エルミナならきっと分かってくれそうな気がするけど。
「ま、なんでもええよ。どの道、ここまでなんやから」
この声っ!
はっと振り向くより早く、緑の光が迸った。
黒い闇を切り裂く緑の光は、一直線に……ココルとクオルへと飛翔する。
「甘いね」
くすりとココルが笑い、軽く指を鳴らした。
ぱちんという小気味よい音と共に、光は四散し、粉のように残滓が闇へ溶けていく。
「そう。君たちが、イレギュラーの本来存在か。因果なものだね」
「くっ……!」
悔しげな声を漏らす周囲よりは明るい黒い光を纏った小さなツインテールの妖精・シャドウ。
そしてシャドウの寄り添う淡色の衣服に身を包んだ少年は、困ったような笑みを浮かべて、そこに静かに立っていた。
「四方平坂っ……」
「やあ、また会ったね、魔法少女……いや、ウィンディ」
「魔法少女、知り合い?」
ココルの問いに、私は否定も肯定も出来ない。知り合いではあるけど、詳しいわけじゃないし。
そもそも、出会う時はいつもろくでもない。刃を交えてばかりだもの。
柊が鎌を、イースが二対の円月輪を手に警戒を厳にシフトさせていた。
「イレギュラーでありながら、本来の存在。可哀想にね。でも残念ながら」
ココルの指が、再び漆黒に反響する。
次の瞬間、周囲からの高密度な殺気に総毛立つ。
何これっ……!
「君の存在は、今となっては問題なんだ」
ココルが冷たく言い放つ。途端に殺気が一斉に蠢きだす。その全てが向かう先は。
「四方平坂!」
「え?」
きょとんとした顔で首を傾げた四方平坂。危険なんて微塵も感じてない。
ほんっと世話焼けるわね!
「ウィンディっ!」
「ウィン!」
イースと柊が制止する声を振り切って、私は四方平坂に走る。
シャドウが舌打ちしているのが微かに聞こえたけど本人に自覚がないんじゃどうしようもない。
刃を突き合わせてばかりの私たちだけど。
それでも、簡単に死なせるわけにはいかないでしょ!
「うわあぁ?!」
ほとんどタックルの勢いだったけど、四方平坂に飛びつく。
四方平坂の素っ頓狂な声を聞きながら、二人して倒れこむ。私は四方平坂をクッションにしたから大した衝撃はないけど、四方平坂は流石に呻く。
頭上を鋭く風が吹き抜けた。何か攻撃的なものが過ぎったのは間違いない。
「ったく! 自分の身くらい自分で守りなさいよ!」
「え、え」
「イース! 柊!」
って、え?
「いな、いっ?!」
漆黒の世界。外灯さえない。完全な漆黒。イースや柊はおろか、ココルもクオルすら姿が見えなくなっていた。
殺意も消失してるけど、それよりも恐怖が勝る。
まさか、またなの? しかもまずい。私まだ、魔法少女に変身するのに必要な時間的スパンが、確保できてない。
ぞっとする。
こんな圧倒的な世界で、私一人が立ち向かえるわけないのに。
髑髏のペンダントトップを握りしめても、恐怖は微塵も拭えない。むしろ増幅する。
「ウィンディ」
「え……?」
そっと私の手を包み込んだ温もり。視線を落とすと、ようやく半身を起こした四方平坂が優しく笑っていた。
思ったよりも筋張って、大きい四方平坂の手から伝わる温度が、私の中で膨れ上がっていた恐怖とそぎ落とす。
「大丈夫。僕は一緒だ」
「よも、ひらさか……」
「それにしても、シャドウまでどこかに行ってしまったのかな。困ったね」
ちっとも困っていなさそうな口調で、四方平坂が零す。私の手を握りしめたまま立ち上がった四方平坂は、私よりも少しだけ背が高かった。
するりと握っていた手が離れ、外気に触れた手が、微かに震える。ふと何を思ったのか、四方平坂は着けていた白よりは少し色味を帯びたマフラーを解きだす。
そしてふわりと私の首に巻き付けると、満足そうに笑った。
私はと言えば、唐突な出来事に、動けなかったけど。
「ほら、一緒だ。さぁ、シャドウたちを探そう。ウィンディ」
な、に。何コイツ。
危険な世界にいるとは自覚していない穏やかな笑みを私に向けて、四方平坂は再び私の手を何気なく握る。
迷いも不安もない足取りで歩き出した四方平坂に、私は引かれるがまま。
「……四方平坂」
「うん?」
不思議そうに振り返った四方平坂に、言葉が出てこない。
私は視線を外して、マフラーに首をうずめる。
「……なんでもない」
「そう? 近くにいるといいんだけどね。シャドウは大丈夫かな」
柔らかいけどちょっと毛羽立ちがあるマフラーに埋もれながら、何とも言えない感情に私は押し黙るしかなかった。
何かよくわかんない。
でも、四方平坂と一緒なのは、怖くない。おかしいな。いつも殺し合うような間柄だったのに。
不思議な安心感は、一体どこから来るんだろう……。




