運命の黒点
「やぁ、おかえり。あ、違うかな? エルミナとして扱ったほうがいいんだよね?」
「どっちでも構わないわよ。変な気づかいとかしない限りは。エルミナ特有の何かも、ちゃんと私が出来るんだし」
「へー、すごい契約だね。能力まで譲渡するのかぁ」
「その代わり、本人は能力を揮う事は出来ないけどね。で? 話があるんでしょ?」
「案外と頭は冷静なんだ。驚きだよ」
苦笑したココル。もしかしたら、馬鹿にされてるのかもしれない。
まぁどうでもいいんだけど。この子、誰に対してもそんな気配がしてたもの。
「セビー」
ココルが指を鳴らすと、じっと人形のように微動だにしなかった執事のおじいちゃんが私に向き直る。
そのまま静かに歩み寄ると、上着の胸ポケットから一通の白い封筒を取り出した。あて名はなかった。
恐る恐る受け取って、裏をひっくり返す。黒い蝋で封緘された厳重具合。
「どれどれ」
イースが私の手から素早く抜き取った。止める間もなく、開けて取り出す天使。手癖悪すぎだ!
「なになにー? 同伴依頼書?」
「また勝手なことしてっ」
イースを咎めて、さっさと取り返す。
ぱっと見たところポストカードサイズ。白い紙に、黒に近い赤い文字で同伴依頼書と書かれている。複雑に絡み合った鎖のような絵柄で囲われていた。
おどろおどろしいフレームは、ココルの趣味かしら。死神、って感じは凄くするけど。
「同伴、ってことは、どこかに一緒に行ってほしいってこと?」
顔を上げてココルへ確認する。知らない間に、執事さんは元の位置に戻って背筋を伸ばしていた。
何か、それはそれで怖いんだけどあえて触れない。
赤い瞳を猫のように細めて、ココルは頷いた。
「そう言う事だね。私が行くだけなら侵入許可をもらうだけなんだけど、安全性を高めるには一緒が良いってわけだよ」
「安全性?」
「そう。エルミナと一緒なら、ある程度は侵食されずに済むからね。流石はドーヴァの血だよ」
「……ふーん……そう。で、それって一時間で済む話なの?」
「一時間?」
ココルが首を傾げた。
私は頷く。気持ちは分からないでもないけどね。こいつ何言ってんだ、ってとこでしょ?
「私がエルミナとしての能力を発揮できるのは、魔法少女でいる間だけなのよ」
「なるほどね」
「で、私が魔法少女でいられるのは一時間きっかり。でもって、魔法使ったら一時間以内でも終わり。次の変身までは約二十五時間のスパンを貰うわ」
「……マジなの?」
ココルは私じゃなくて、後ろに控えていた柊へと確認した。
「残念ながら、今のが簡潔明瞭に、かつ漏れなく説明をしています」
「マジかぁ……」
天井を仰いだココルがため息を吐いた。
その様子じゃ、時間的に無理がある話ってことかな。でもこればっかりは仕方ない。
私の一存でどうこうできる問題じゃないんだ。
「まぁ、何とかなるには何とかなるか……いやするしかないんだけど……これ以上時間過ぎたら、もう無理かもしれないし……」
ぶつぶつ天井に向かって言葉を投げるココル。
考えが駄々漏れだ。困窮してるってことかも知れないけど正直私は何も良い意見は言えない。何も知らないものね。
「よしっ!」
ぱんっと両手を打ち鳴らし、ココルは立ち上がった。ぐっと拳を胸の高さで握りしめ、尖った八重歯を覗かせる。
「こうしてたって、何も好転しないんだからね。行こうか、輪廻の輪へ!」
「なっ?!」
驚愕の声を上げた柊。流石に自分の領域の範囲だから悟るのも早いな。
「時間は一秒でも惜しいんだ。説明は後回し! さぁ行こうか魔法少女!」
ああ、目が輝いてる。この手のタイプの人間て、どこにでもいるのね。
この子は吸血鬼らしいけど。
◇◇◇
「というわけで、行ってくるねセビー」
「お気をつけて、ココル様」
きっかり二十五度腰を折った執事さんに見送られながら、私はココルのあとに続いていた。
空間という概念が歪んでしまいそうなほどに、この建物は異質だ。
ココルの部屋に向かうまでにあった扉は一つもなかったのに、今ではいくつもの扉が口を開けている。
さらには直進しかなかったはずなのに、複雑に折れ曲がり、あるいは通路が交差した個所もあった。
「柊、この建物っていつもこうなの?」
小声で柊に確認を取る。でも、柊は不思議そうに首を傾げただけだった。
私の言っていることの意味が分からない、とでも言いたげだ。
「ああ、ウィン多分ね、琴と見えてる世界が違うんだよ。ここは、世界の上層部。言うなれば世界の上澄みだからね。私の目には暗くて延々続く岩窟見えてるけど、ウィンには違うんじゃない?」
「えっ」
驚きのあまりイースを凝視する。確かに、イースとも見ている世界が違うみたいだった。
でも、同じ挙動で道を進めるのはどうして?
「案外、進んでなくて足踏みしてる感じなのかもね」
「うーん、それは近くて遠い正解だね。歩いてはいるんだよね。まぁ、適切に説明する言葉が難しいから、個人のイメージに最適化された構造が網膜で再生されてるんだってことで理解できる?」
「脳が混乱しないように、何かしらに関連付けてるってこと?」
「そゆこと。理解が早くて助かるなー」
錯覚と一緒かもしれない。錯覚は脳の混乱だけど、逆に混乱を抑えるために処理された結果が今の景色なんだろうな。
イースにとってここは洞窟みたいな感じなのか……。柊はどうなんだろう。
死神の柊は、もしかしたらもともと私たちと見てる世界は、違うのかもしれない。
イースもそうだ。天使だもん。人じゃない。
見てる世界が同じだなんてことは、確証が持てないよね……。
それは何だか、少し寂しい。
「視覚など、共通だったとしても何の意味もない」
「柊……?」
「感じたものが共通なら、それでいいだろう。全ては心が感じるものなんだから」
「おー! 琴ったら相変わらず発言だけはイケメンだー!」
はやし立てるイースを無視して、柊の真紅の瞳が、真っ直ぐに私を見つめていた。
いつも通りの。信念の揺るがない柊の目。
「……そっか」
そうだね。柊もイースも、私も。みんな同じ場所に、同じ時間にいるだけで生まれも育ちも、その存在の意味も全然違う。
でも、一緒になって笑ったり怒ったりできるんだもん。それだけで、十分だよね。
とっくに死んでしまった死神の柊。
人との接触はきっと御法度な、天使のイース。
もともと存在してないはずの、私。
一緒に居る事自体が、奇跡みたいなものだ。
「ふふ、いいね。そうそう。誰かの存在があって、自分の存在が分かる。それは言い換えれば依存なんだけど、自分を確保するためにはどうしても必要なんだよね」
「……依存、かぁ」
確かに否定は出来ないな。小さく肩を竦めた私に、ココルは横顔を振り向かせて、口端を上げる。
「恥ずべき事でもないよ。依存のない存在など、虚勢かあるいはただの無自己。世界だって、一つでは存在できない」
「え、そうなの?」
「生と死という概念が一番分かりやすいかな?」
「ああ、そっか……」
見えるものと見えないもの。その認識は互いがあるからだもんね。
生きていたから、死ぬんだ。世界も、いつかは死んじゃうのかもしれないな。
「よっし、琴平柊!」
不意に明るい声で、ココルが柊を呼んだ。ココルが立つのは、真っ白な扉の前。
今まで見てきた扉はずっと黒かったので、その差は鮮烈だった。目がちかちかしそうなくらい。
柊は少しだけ不機嫌そうな空気を纏いながら、ココルへと歩み寄る。
並んでみるとココルの方が背が低かった。まぁ、柊も男にしてみれば、小さい方だけどね。
「上手く班員を誤魔化すのは、君に任せた!」
「……了解しました」
どこか苦々しい。ココルの奔放ぶりに、きっと柊は納得いってないんだろう。
うんうん、と満足げに頷いて、ココルは扉の金色のノブに手を駆ける。
かちりと小さな音を立てて、扉は押し開かれた。開かれた隙間から零れた白い光。私は思わず目を瞑った。
◇◇◇
生ぬるい温度の、風が頬を撫でる。
温かいのとも冷たいのとも違う。何だろう、人肌とでも言えばいいのか、奇妙な温度感覚だ。
かといって息苦しさも感じない、どこか爽やかな風。見上げれば薄桃色の空が広がっている。
「……どこ、これ」
「輪廻の輪、っていう場所だよウィン。命の終着点で出発点」
「輪廻の……輪……」
「懐かしいかな、ちょっとだけ」
くすっと笑って、イースは軽くスキップなんて始めた。もしかして、イースがもといた場所なのかな。
先を歩く柊とココル。その先には大きな川とそれに架かる橋。そして小さな掘っ立て小屋が一つ。小屋と橋の脇に、それぞれ黒い上下に赤いジャケットを羽織った人影が見えた。
死神だ。柊と同じ感じがするもの。
「ここで何するのかしらね、ココルは」
「さぁ。死神さんのボスと、世界の調律者様が出向いてでもする事って、ろくでもない事しか浮かばないんだけどねー」
イースはけろりと言ってのけたが、私にとっては恐怖でしかないんだけど。
大事に巻き込まれるのは嫌だし、だからいっつもループ系と言われる童話世界の人の運命ばかり代行してたんだよね。
一人の運命は、一度しか代行できない。だからそろそろ、童話系統世界も限界だったのは確かだ。
そもそも、短時間しか代行できないから、数多くこなしてる割には効率が悪いんだ。
筋書き通りに動けば問題なく終了できるメリットに縋ってきたけど、やっぱりデメリットが大きい。
筋書きがなく、だけど不釣り合いな行動をしないという緊張感のある今回みたいな代行はその分、長時間代行として昇華できるシステムになってるんだよね。
その辺り、良くわからないけど。助かるからまぁいいかな。
「大丈夫だよ、ウィン」
不意に、凛としたイースの声が鼓膜を揺らす。
そっと視線を向けると、天使という存在に相応しい凛とした横顔のイース。
「ウィンには私と琴がついてる。何にも心配しなくていいんだよ」
「イース……」
「それが私のいる意味で、琴がしたい事なんだから」
にこっと明るい笑顔を向けてきたイースに、私は慌てて視線を反らす。
不覚にも、ちょっと胸が熱くなった。顔に出てないことを祈りつつ、私は努めてそっけなく。
「勝手に言ってなさいよ。頼んでないし」
「あはは、素直じゃないなーウィンはー。昔はもっと素直だったのにー」
私だって、成長したんだから。独り立ちしたいわけじゃない、けど。でももっと、イースや柊に心配かけないようにはしたいんだ。
先に橋の死神と話をつけているらしいココルと柊。
あの先には、一体何が待っていて、何をしにここへ来たんだろう。
いずれにせよ、気は抜けないんだ。
◇◇◇
「はいこれね」
ココルが私に手渡してきたのは、シルバーのペンダント。髑髏の形のペンダントトップが付いていた。
すごく可愛くない……。
「可愛くなくてもちゃんとつけててねー」
「な、何も言ってないわよ!」
思わず言い返した私に、ココルはけたけたと楽しそうに笑っていた。
何かどうみても自分より年下っぽい外見のココルに笑われると馬鹿にされてる気がしてならない。
渋々首に掛けると、案外と重い。思わず眉を顰めた。
「ああ、やっぱり重いかぁ。だろうね。引き込まれないようにちゃんと見張ってて上げるんだよ、琴平柊」
柊は黙って首肯する。話が通じてるってことなんだろうけど、私にはさっぱりだ。
何の話をしてるんだろう、ココルは。
「ここから先は言うなれば死後の世界ってやつだからね。気合入れて、しっかり意識保ってないと引きずり込まれちゃうから気を付けるんだよ」
ぞわっと背筋を悪寒が駆け上がる。何それ。怖すぎるんだけど。
「さぁ、いざ行かん目的の場所へ!」
楽しそうなのはココルだけだ。柊も表情は硬いし、イースも冗談は挟んでこない。
これはいよいよ、本格的に危ないんだ……。
「ウィンディ」
呼びかけた柊に、目を向ける。心配そうな顔をしていた。
また心配かけてるな、私は。……でも。
「大丈夫。行くわよ、柊、イース」
「ああ」
「だね」
もともと、運命は順調に行くようには、出来てないんだから。