プロローグ~斑眼煉紅郎~
大学の教壇で男が雄弁に語っている。
「・・・という事で、むかしむかしから始まり、めでたしめでたしで終わるのが現在における定型の昔話や御伽話になります。これが君達にとって生まれて初めて知り、身近に感じる民俗学である事は分かっていただけたかと思いますが・・・」
男の名は、斑目煉紅郎
民俗学の准教授でこの大学で教鞭をとっている。
今の時間、本当は上司にあたる空木教授の講義なのであるが、教授が急な出張の為、別に休講にしてしまっても良かったのだが、当日の数時間前に急遽決まった事で生徒達が可哀想との思い代行であるが教鞭を取ったのである。
キーンコーンカーンコーン
そうして講義終了の鐘が鳴る。
「うん。それでは今日の講義は終わります。本日は代行ということで講義をしましたが、空木教授には今回の講義内容を伝えておきますので、次回は今回の講義内容絡めた内容になると思われるのでしっかり予習しておいてください」
「「「はーい」」」
生徒達は口々に答えながら席を立ち教室から出て行く。
煉紅郎も講義で使った資料をまとめて教室を後にする。
斑目煉紅郎・・・身長は高く184㎝で筋肉質とは言えないが、ガッチリとした体型で無駄な脂肪は少ない、肌は少し浅黒く、顔はあまりぱっとしないが、25歳で准教授など中々なれる者ではなく生徒からの人気はそこそこあるが、同僚達からの受けは悪く、大学内では孤立しているのに近く密接に関わっているのは空木教授ぐらいである。
「斑目先生!」
講義を終え自分の研究室に戻ろうとしている煉紅郎の背中に声が掛かり振り返るとそこには、大学生には思えないルックスの少女が立っていた。
「ん?どうした。島田君」
「先生、かよって呼んでくださいよ」
「島田華夜」
島田華夜・・・身長は低く140㎝程で童顔で可愛らしく、胸の方も控えめで肩口で切り揃えられたショートカットの髪形も相まって街中で見かけると中学生に見える。大学三年には全然見えない、実際に夜遅くに帰宅すると洩れなく警察官に職務質問され免許を見せ誤解を解く。この一連の流れが必ずあるのである。
「フルネームはやめてください。何か嫌です」
「ごめんごめん。で、華夜君は一体何の用だい?」
「レポートの資料を見せて貰いたいなーって♪」
「構わないけど、何を調べてるの?」
「御伽噺と民間神話の関係性です。先生が以前、論文を書いたって聞いて」
「ああ、よく知ってるね。それじゃあ、論文自体も貸そうか?学生時代のヤツだから大分拙いけど・・・」
「良いんですか!やったー♪」
「それじゃあ、研究室に行こうか」
「はい♪」
煉紅郎は、コロコロと笑う華夜を連れ研究室に向かった。その後姿は父親と娘にしか見えなかった。
煉紅郎のそんな変わり映えの無い日々の中、人生の転機となる日が突然、本人の意思とは関係なくやってきた。
その日も煉紅郎はいつも通り教授の研究の手伝いをしながら自身の講義を終え自身の研究室ではなく、空木の研究室に居た。研究室には男が二人。一人は斑目煉紅郎、そしてもう一人は空木寛助、今年で五十七歳になろうという教授は傍目には40代にしか見えないぐらい若々しかった。
「斑目君」
「はい、教授?」
「今日はこの辺で御開きにしようか」
「如何しました突然?」
「実は、明日からフィールドワークに行こう思っていてね。その準備がしたいんだよ」
「また突然ですね。どうしたんですか?」
初老の男の突然の行動はいつもの事で慣れてはいたが、前もって行動を言ってくる事は初めての事で驚いていた。
「別段、コレといった理由は無いんだが、この間、急な出張で君に代理で講義までさせてしまったしね。コレでも悪いと思っているんだよ」
そう言うと教授は煙草に火を点け、一服すると紫煙を吐いた。
「本当にそう思ってますか?」
「疑り深いね斑目君は・・・一つ聞いても良いかな?」
「答えられるものでしたら・・・」
「・・・素の自分をを隠して生活するのはどんな気分なんだい?辛かったりはしないかい?」
「別段辛いって事はありませんし、不自由した記憶もありません。元々、素の自分が嫌いでしたから、今、教授が見ている私が本当の自分だと思いますが・・・」
「いや、私には無理をして別の人間を演じているようにしか思えなくてね」
「口が悪い、態度に出る、カッとなり易い、そんな三重苦の性格より無理をしてでも何事も無く平和的に物事が進む性格の方が良いと思いますが?それに無理をしているつもりもありませんし・・・」
そう言うと煉紅郎も煙草を咥え火を点ける。
煉紅郎は素の自分が嫌いだった。子供の頃から、この性格の所為で教師には怒られ、友達とは喧嘩別れをし、付き合っていた恋人とも上手くは行かなかった。故に彼は大学入学を機に現在の波風立てない性格を演じ始めたのだ。しかし、それでも演じている事には変わりは無く、素が出るちょっとした事なら度々あったが大きな出来事は現在まで二度ほどあった。一度目は、学生時代に教授のフィールドワークにお供した時に現地の人間の対応と態度の悪さに罵詈雑言と悪態を出してしまい、この時に彼の素が教授に知られる所になったのだ。二度目は、苦労して書き上げた論文を空木教授とは別の教授が発表をした時だった。この時の話はまたの機会にしよう。
「私の前では構わないんだよ。知っているんだからね」
「・・・考えておきます。それじゃあ、お先に失礼します。見送りは・・・」
「朝早いから良いよ。またね」
「はい。失礼します」
「あーそうだ。一つお願いしても良いかな?」
「何です?」
「申し訳ないんだが、また、代行をしてもらっても良いかな?」
「別に構わないですけど、いい加減、腰を据えて授業をしてみては如何ですか?代行代行で私の授業だと勘違いしている生徒もいるようですし・・・」
「んー今回ので落ち着くはずだから大丈夫だよ。安心して」
「・・・わかりました。それじゃあ、失礼します。」
「ああ」
教授との挨拶を交わし研究室を後にした。
その足で帰宅するのでは無く、一度自分の研究室に寄ってから帰ろうと煉紅郎は足を運ぶと、研究室の前に少女が座っていた。
「?島田君?」
少女は煉紅郎の声掛けに反応せず俯いたままだった。少女に近づくと少し肩が上下して、耳を澄ますと小さな寝息が聞こえてきた。少女の穏やかな寝顔に見惚れて煉紅郎は傍に腰を下ろして、少女の頭を撫でていると、少女の身体がビクッとすると思わず撫でていた手を離すと少女がめを覚ました。
「ふぇ?」
「・・・起きたか?」
「ふぇんえい?」
「大分、寝ぼけているね」
「ふぇっ・・・」
「・・・」
「先生!!なんで!」
「なんでって、ここは私の部屋の前なんだけど・・・」
「・・・・・・えへ♪」
「・・・」
「・・・」
「・・・それで?」
「えっ?」
「それで如何したの?こんな所で寝てるなんて、まぁ、話は中で聞くから入りなさい」
「はーい♪」
煉紅郎に進められて華夜は研究室に入って行く、
「島田君、ソファーに掛けて」
「先生・・・」
「島田君、コーヒーで良いかな?他はお茶かミネラルウォーターしかないんだけど・・・」
「先生、名前で呼んで・・・」
「ごめん。そうだったね華夜君」
「先生・・・先生の部屋・・・なんか凄いですね・・・」
「まぁ、物で溢れているからね」
煉紅郎の研究室は沢山の物で溢れかえっていた。それもこれも研究資料なのだが、煉紅郎の研究対象はフォークロアつまり都市伝説だ。その資料は、ネットで見付けたページの印刷物の束、大小様々な人形群、タイトルの書かれたファイルの山、などその他にも色々な物が置いてある。
「これはなんですか?」
華夜は書類の束の中の一つを手に取る。
煉紅郎は手にコーヒーの入ったカップを二つを手にやって来た。
「それは、口裂け女についてのレポート書いた時の資料だよ。どうぞ」
「ありがとうございます。あっコレかわいい」
「あぁ・・・それは、ひとりかくれんぼの実証実験の時に使った縫いぐるみ・・・の余りだね」
「えっ、あの怪談の?どうだったんですか?」
「・・・まぁ・・・色々、あったねぇ・・・本当に色々・・・」
煉紅郎はそう言うと明後日の方を眺めた。
「あっ!それはそうと、何の様なのかな?」
「えっ?」
「此処に来たのは何か用事があったからでしょう?」
「あっ、あ~・・・え~と・・・お祝い。そう、お祝いです!」
華夜は少し、どもっていたがハッと顔が輝いて喋りだした。
「お祝い?」
「そうです。この間、先生に借りた論文のおかげでレポート、A+判定だったんです。こんな良い成績、初めてで先生とお祝いしたな~って思って」
「別に私のおかげって訳でも無いでしょう。華夜君が資料や論文を理解して自己解釈をレポートに上げたのが評価を受けたんだ。これは、君の成果だと私は思うよ」
「・・・先生・・・私ってウザイですか?」
「なんでそんな話になるんだい?」
「私って魅力ないですか?」
「だから・・・」
「私・・・先生の事が、好きです!」
「えっ・・・」
「入学してそんなに経ってなかった時、構内で迷ってた時に声を掛けてくれて、やさしくしてくれた時からずっと、先生の事が好きです。授業の時もそうでない時も、気が付いたら何時も先生を・・・煉紅郎さんを見てました。私じゃ、駄目ですか?」
「あっ、えっ・・・」
「そうですよね。」
「ん?」
「私、背は低いし、胸も無いし、一人じゃレポート出来ない馬鹿だし」
「いや・・・」
「色気なんか皆無で夜に外を歩けば警察に呼び止められる事も・・・」
「華夜!」
「はい・・・」
煉紅郎は、華夜の告白に驚きうろたえていたが、決意を固め、次第に自分を蔑み始める華夜の肩をしっかりと掴んで強く名前を呼んだ。
「・・・華夜、ありがとう」
「はい♪」
「でも、本当にいいのか?」
「はい」
「先に言っておくが、素の俺は口は悪いし、感情が直ぐ態度に出る、手は出んがカッとなり易いんだ。それに見た目はこんなんだぞ?本当にいいのか?うぐっ」
煉紅郎が両手を広げて自分の身のなりを卑下しながら華夜に問いかけると、その返答は煉紅郎に抱きつくという形で表された。
「おっ、おい」
「大丈夫です。そんなの知ってます。気になんかしません!」
「え?」
胸に頭をぐりぐり擦り付けながら答えそして、それに一通り満足したのか華夜は顔を上げた。
「知ってましたよ。煉紅郎さんが何時も演じてたの」
「知ってたのか・・・?」
「何時も見ていたって言ってたじゃないですか、それにその事なら皆も薄々気づいてますよ。嫌な事があった時は一瞬顔をしかめたり、良い事があると雰囲気が柔らかくなって、ハッて気がついて何時もの煉紅郎さんに戻して、女子の中では癒し系になってるんですよ。健気に強がってる感じが母性本能を擽られるって言って」
「・・・」
「煉紅郎さん?」
煉紅郎はスッと華夜から離れると膝から崩れた。
「・・・バレてんじゃん・・・」
「煉紅郎さん?」
「もういいや」
「へ?」
「バレてるんだったら肩肘張ってもしゃあねぇし、これからは素で行くかな」
「はい、その方が素敵ですよ。それに・・・」
「それに?」
「それに、付き合って行く人には嘘ついて欲しくないですし・・・」
「おっおう、そうか、でも、本当に良いのか?俺なんかで?」
「はい、よろしくお願いします」
「俺の方こそよろしく」
「煉紅郎さん、気づいてますか?自分の事『俺』になってますよ」
「あっ、そう言えば」
「『私』って言ってる煉紅郎さんもクールな感じで素敵ですけど、『俺』って言ってる煉紅郎さんの方が親しみやすくて良いです」
「そうか?」
「そうです!」
「な、なら良いんだけど・・・あっそうだ、俺はもう帰るが華夜は?なんなら一緒に駅まで行くか?」
「えっ、はい!私も何も無いんで帰ります!」
華夜は煉紅郎から突然の申し出に驚き、そして、胸が高鳴っていた。
煉紅郎の心理を熟知していると自負していたが、告白し付き合うことになった日に一緒に帰宅を求められるとは思っていなかった。もしかしたら、そのまま、大人の階段を上る所まで行ってしまうかもしれないという期待と不安で胸が破れんばかりに高鳴った。
しかし、当の煉紅郎の思惑は・・・そんな事は無く、ただなんとなくというのが正直な所であった。自分から言い出したことだが、付き合うことになりその日の帰宅を一緒にって、中高生の初めて恋愛みたいだな。なんて思っていた。
「それじゃあ、少し待ってて帰る用意するから」
「っ!はい!」
驚き混じりの返事をし、華夜は、ソファに腰掛けてすっかり冷めてしまった飲みかけのコーヒーに口を付け煉紅郎の仕度が終わるのを待った。
しばらくして仕度の終わった煉紅郎が近づいてきた。
「お待たせ、それじゃあ、帰ろうか?」
「はい」
「それと」
「はい?」
「俺達が付き合ってる事は秘密にしておこう」
「どうしてですか?」
「お互いの為だ。デートも表立っては出来ないだろうし・・・」
「そうですよね・・・」
「別に出来ない訳じゃないぞ」
「そうなんですか?変装とかするんですか?」
「・・・まぁそんなところだ」
「何ですか、変な間がありましたよ」
「なんでもない、なんでも・・・」
煉紅郎がドアを開けた途端、視界が真っ白な光に包まれた。
突然の事に煉紅郎は華夜の手を掴もうを手を伸ばすが空をきる。
真っ白な世界
それが、煉紅郎にとってこの世界で見た最後の景色だった。