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君がいた夏

終業式の日、朝が苦手な僕には珍しくその日は早く目が覚めた。最近は朝から拷問のように日が降り注ぐので、そのせいであったかもしれない。

普段通り支度をして家を出る。学校に着いたのはいつもより三十分ほど前であった。

たった三十分ではあるが教室内はほとんどもぬけの殻だった。朝練の運動部の声がグラウンドから聞こえるくらいでそれ以外はしんと静まっていた。

僕の教室は三階にあって今の気候だと階段を上るだけでひと汗かく。

教室に入るといつもの席に彼女は座っていた。

 驚いて声が出なかった。

飛び出した心臓が喉元に蓋をしているようで一瞬息が苦しかった。いないはずの人物がそこにいるという現実は自らをパニックにさせた。

 僕は一度教室を出た。

何かの幻だろうと信じたかったのだが、再度教室に足を踏み入れてもやはり彼女はそこにいた。

そして彼女と僕以外教室には誰もいなかった。

「お、おはよう」

 生前彼女に向けて言ったことがなかった言葉だ。

 少し間があって彼女は振り向いた。

薄く微笑んだ綺麗な顔立ちはやはり僕が好きだった少女のものだった。

 幽霊というものを初めて見た。

見た目は普通の人間と何も変わらず足もあり透けているということもない。驚くには驚いたのだが恐怖という感情は一切持たなかった。

どちらかといえば会えて嬉しいという感情が湧いていたのかもしれない。

 こんなに真正面に彼女の顔を見たことがない。急に恥ずかしくなって目をそらした。

「ねえ、私って死んじゃったんだよね」

 普通の会話なら到底ありえない質問を僕に投げかける。どう答えればいいのかわからない。

そうすると僕の気持ちを察したかのように彼女が続けた。

「答えにくいよね、自分がもうこの世にいないことは知ってるの。今幽霊なんだってなんとなくわかってるの。でも何か忘れてきた気がしてるの。やり残しというか、何かはわからないんだけどね」

 彼女が悲しそうな表情で微笑む。

「やり残し?」

 僕は彼女の机に見覚えのあるものを見つけて指さした。

「それ・・・・・・かも」

「これ?」

 彼女も思い出したようにそれを持ち上げる。

「これ、あなたの消しゴムだったんだ。ごめんね、なんで私が持ってるのかわからなかったんだけど、返すね」

 彼女がそれを差し出す。消しゴムを受け取ってその席に着くと彼女のはっきりしない表情が見える。

本当に彼女は幽霊なんだろうか。

意外にさっきより冷静になっている自分に気づく。

「やり残しってこれだったのかな」

 そうやって宙を見つめる彼女の表情も愛おしくて、やっぱり僕は彼女に恋していた。

「あのね、良かったらでいいんだけど、私が死んだ場所に連れて行ってくれない?」

「うん、それは構わないけれど」

「もしかしたら何か思い出せるかもしれない」

「わかった、終業式の後、連れていくよ」

「ありがとう、じゃあロッカーで待ってるね」

 次の瞬間、教室の空気が変わった。

温度、蝉の声、生徒の声、足音、その他諸々の雑音。

そしてさっきまでがいかに静かで心地よい温度であったかがわかった。

彼女の姿は消えていた。

まるで夢から覚めたような感覚であった。

 しかし消しゴムはこの手に握られていた。


 彼女は言った通りロッカーで待っていた。

彼女は僕以外には見えていない。靴を履きかる多くの生徒たちにとって彼女は見えていない。

それを感じてなんとなくさみしくなった。

 学校には正門と裏門があって例の場所は裏門からのコースに入る。案内しながら彼女は不安そうな表情をしていた。その場所に着いたものの彼女の表情は優れない。

「ここ通学路じゃないの」

 僕は少し驚いた。

通学路でなければどうしてあの日この道を通ったんだろう。聞けば彼女の通学路は表門からになるらしい。

初めから不安そうな顔をしていたのはそのためらしかった。

「そうなんだ、何かこの辺に心当たりはある?」

 彼女は少し考えて言った。

「もちろんこの道は知ってるけど、それこそただの道ってだけで」

 でも普段と違う通学路は彼女のやり残しと何か関係があるかもしれない、そう僕は思った。

「でもね、やっぱり何か引っかかるの」

 そう言ってまた彼女は考え込んだ。その横顔を見てもうこの世にはいないのだなと思うとまたさみしくなった。

だからせめて彼女の「やり残し」を思い出させてあげたかった。

 少し歩こう、そう僕は言ってまた歩を進めだした。

 実際、自分自身も正門から登下校していたから、こちら側は道を知っている程度であった。

いつも通っている学校のすぐ周辺なのに詳しくは知らない。自分がよほど狭い範囲で生活していることがわかる。

彼女と少し歩くとこれまた初めて見た神社があった。ただ鳥居はあるがその奥に小屋と賽銭箱があるくらいで神社と呼べるかはなんともいえなかった。

「こんなところに神社があったんだ」

 僕は立ち止まって独り言のようにつぶやいた。彼女もちらと神社の方を見る。そのまま表情もなくじっと見続けていた。

「心当たりある?」

 これはと思い聞いてみたが彼女の表情からはいいセリフを聞けそうになかった。

「引っかかるの、引っかかるんだけど肝心のことが思い出せない」

「そっか、仕方ないよ」

「うん」

 そのあとも悩める幽霊と周囲をぐるぐる回ったがこれといって「やり残し」に当てはまるものがなかった。

「ごめんね、付き合わせちゃって」

 彼女は申し訳なさそうに言ったが僕の方はなんだかデートをしているようで不謹慎だが少し楽しくもあった。ただ彼女の忘れものはもっと簡単に見つかるとおもっていたからその点は残念だった。

 

 すっかり日も暮れてきた。

夏も盛りであるから夕方と言えどかなり明るい。ちょうどそのころから家族連れやらカップルをぽつぽつ見るようになった。

今朝からの様子からしてやはり彼女は僕にしか見えてない。

ましてまだ僕のいかれた妄想が投影されている可能性だってある。

彼女との会話は多くはないけれど見る人が見たらそれは僕の独り言ということになるだろうから行きかう人には注意していた。

 時々人にすれ違うと急に僕が会話を止めるものだから彼女は最初不思議そうにしていたが次第にわかってきたらしく、

「ごめんね、気を使わせちゃって」と申し訳なさそうに言ってくれた。

 そうやって注意を払っていたのだがこの辺りにしてはやけに人通りが多くなってきた。

子どもたちがはしゃいでいる。女の子のあどけない声で「はなび、はなび」と聞こえてくる。

「花火、か」

 毎年ちょうど終業式と重なる日程でこの地域の花火大会が行われる。有名な各地の花火大会と比べると小規模ではあるがこれはこれでなかなか見ごたえのあるものだった。幼いころには行った記憶もあるが、ここ最近はどうだったか。あまり足を運んでなかったような気がする。

「花火・・・・・・見たいな」

 彼女はそう言って横の僕を見た。

「見に行こうよ」

 僕は迷わず言った。

 僕は彼女の手を引きたかったが、その手は掴めない。

 花火客についていくと見慣れた通りが見えてくる。そしてどこか懐かしい。

 僕は人気の少ないところを探した。少し離れてもいいから二人でいられる場所を探した。

 それはなるべく自然な感じで彼女と会話をしたかったからだ。

 少し歩いて小高くなった丘を見つけた。おそらくこの位置からだと花火は遠くに小さく見える程度だ。

「ここでいいかな」

 彼女は何も言わず笑顔で頷いた。

 いよいよ辺りは暗くなってきた。おそらく会場では人がごった返しているだろう。

彼女の「やり残し」のこと僕はしばらく忘れていた。


 好きな人が死んでしまったら人はどういう感情を持つのだろう。結婚もしていない、まして付き合ってもない片思いの場合の話だ。告白というものをしていない場合、その感情の結末は永遠にわからない。

もしかしたら神様が僕に最後のチャンスを与えてくれたのかもしれない。

でもなんと言えばいい。

言ったところでどうなる。

相手はもうこの世にはいない。


 目の前がぼやっと明るくなった。花火大会が始まっていた。

「きれい」

 隣に座っている彼女がその光の美しさに見とれている。

僕はこみ上げるものがあって視線を花火の方へ向ける。

滲んではいるが美しい、こんなにきれいだったのだ。

自分の愛する人と蒸し暑い夜、わざわざ出かけるはこの美しさとそれを共有する幸福感のためだったんだ。

 僕は彼女に気づかれないように目元を拭った。

「きれいだね」

「本当にきれいだね」

「あのさ」

 僕は自然と口を開いていた。でも次の言葉がどうしても出ない。

 彼女は首をかしげて僕の言葉を待っている。

「あ、あのさ、消しゴム・・・・・・ありがとう」

 結局、言えなかった。

 彼女が微笑む。

 僕はやりきれなくて下を向く。

「どういたしまして。でもあの消しゴム・・・・・・」

 彼女の声が止まった。

後悔に打ちのめされている僕もその彼女の言葉の詰まりに気づいて彼女の方を見た。

 彼女の表情が一瞬固まったように見えた。でもすぐに元の笑顔に戻って言った。

「ううん、やり残しを思い出したの」

「それは良かった。何だったの?」

「花火。この花火大会ずっと楽しみにしてて、その直前にあんなことになっちゃったからどっかに引っかかってたんだと思う」

 彼女は視線を花火に向ける。

「ほんときれい」

 僕も光の方をを見る。

「良かった、本当に良かった。僕もうれしいよ」

 花火大会はメインに突入していて次々に大玉が打ち上げられる。しばしその美しさに二人言葉を交わすことなく見とれていた。

「生きてね」

 消えるような声で彼女が言った。はじめ何と言っているかわからなかった。

「私の分も生きてね、生きて幸せになってね。私が守ってあげるから」

 彼女は泣いていた、けれど微笑んでいた。

彼女が消えてしまうことがなんとなくわかっていた。


僕は「わかった」とだけ彼女に伝えた。

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