(3)ヤンデレは究極の愛~お残しは許しません~
空が夕焼け色に染まり、ほとんどの生徒が学園から去った放課後の時刻。
ハルは昨日と同じく学園長室へと向かっていた途中、偶然にも元気の抜けていた愛乃と遭遇し、そのまま愛乃は黙り続けたままハルの後を付いてきた。
「(この人、アイドルなのにどうしてこんな時間まで残っているんだろ?)」
今朝も早くから自宅前で張り込み、昨夜もハルの帰りを追っていたらしいが。
「(……ひょっとして、仙堂さんって友達いないのかな?)」
せっかく仕事は休みなのに、友達がいないからこんな遅くまで学園に残ったりして……一々突っ掛って来ていたが、ホントは友達になりたくて、でも彼女はアイドルだから自分から友達になりたいなんて言えなくて困っているんじゃ――
そう推測したハルは「仙堂さんって友達いないの?」と尋ねてみる。肩パンされた。
「(……ハルちゃん、女の子に殴られたのは初めてです)」
記念すべき初めてを奪われたショックで、ハルは再び愛乃に顔を向ける勇気が湧いてこなかった。
結局、学園長室にたどり着くまで二人は言葉を交わすどころか顔を合わさなかった。
「失礼します」
二人が入室すると、美冬はハルの背後を見て不思議そうな顔をする。
「あれれ~? どうして愛ちゃんがハルちゃんと一緒にいるの? 二人は仲良しさん?」
「すみません。彼女、離れたくないって言って聞かなくて……」
「何よその恋人設定!?」
「私の初めてを奪っておいて。痛かったんだから……」
「アンタ男でしょ! おかしなことを言って頬を赤らめるな!」
「ま、まさか、私の嫁が愛ちゃんに奪われたなんて……!」
「ちょ、学園長も悪乗りしないでください!」
「泣かないで美冬さん! 私はどれだけ傷つけられとしても絶対にあなたの元から離れたりしないから!」
「ハルちゃん……そこまで私を愛してくれているかい?」
「もちろんよ。だって私達、家族も同然じゃない」
ハル達の仲を引き裂ける奴なんていないんだ。
これから先、何年、何十年経とうとも、今と変わらずにあり続けるんだいっ!
「でもゴメンね、ハルちゃん。お弁当に人参を入れるような嫁は勘弁です」
「速攻で亀裂が入った!?」
*夫婦終了のお知らせ。
美冬から差し出された弁当箱の中には、一切手の付けられていない人参が残されていた。
「…………私の作ったものが食べられないって言うの?」
「知ってるハルちゃん? 人参なんて食べられなくとも学園長になれるんだよ」
「そう、あくまで好き嫌いをするつもりなら、こっちにだって考えが――」
ハルは突然弁当に残された人参を一つ手に取ると、
「前言を撤回するなら今の内ですよ」
その人参をなんと口に銜えてしまう。
「な、何を…………まさか!?」
「ふっふっ、ひういはほほほへほうへおふえへふほ、みふふはん(ふっふっ、気付いたところでもう手遅れですよ、美冬さん)」
人参を銜えた状態で美冬の元へゆっくりと歩み寄る。
「くっ、なんて、なんて凶悪な脅迫なんだ! 思わず涎が出ちまうぜっ、じゅるり」
美冬の顎を掴むと、人参を彼女の口元に近付け。
「はあ、ふひをはへへ(さあ、口を開けて)」
「で、でも……」
頬を朱に染める美冬。
「はあ、はあ、はあ(さあ、さあ、さあ)」
「そ、そんなに急かされても、まだ心の準備が……」
まるで乙女のように恥じらう美冬はそこらの美少女よりも断然可愛らしく、家族のような関係でもあるハルも思わずドキッとしてしまう。
「はへえ(開けて)?」
「ぅ…………わ、わかった」
決心を決めた美冬は口を開けて、
「あ、あ~ん」
瞼を閉じ、ゆっくりとハルの口元へ唇を近付けて、あと数センチで互いの唇が触れてしまう瞬間――
「お残しは許しませんよおおおおお!」
ハルは食べ残った全ての人参を掴み取ると、美冬の口内へ右手ごと人参をブチ込んだ!
「はごぐへいやほあごうえああああああああああ!?」
悲鳴にも似た奇声。涙を流しながら視点は左右上下と定まらず、悶えようにもハルに抑えられているせいで身動きが取れない!
「人参の素晴らしさを理解し、農家の皆さんに詫びて、私の愛情を受け取りなさい!」
「ひぎゃああああああああああああああああああああああああああ!!」
「あははははは! もっと、ねえもっと欲しいんですか? ねえ美冬さん! ほらもっと味わってよ私の人参! 私の愛情がたっぷりと籠ってて美味しいでしょ? ほらほら食べて、味わって、感じてよ! 人参の素晴らしさを! 美味しいでしょ? 私の愛情美味しいでしょ? ねえ! 美味しいって言ってよ美冬さん。あははははははは!」
「ごめ、ごめんなさ、ハルちゃんごめんなさ、もう許し――」
「美味しい? 美味しいでしょ! ならもっと味わっていいんだよ! ほら手に付いた人参の味を舐めて! ペロペロ犬猫みたいに舐めてもっと味わっていいんだよ! ほらほら、私の手を舐めてもっと感じちゃいなさいよ!」
「ひゃ、も、もうだ、だめ、なの、もう、わたし、だめな――」
「アハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ――」
*美冬終了のお知らせ。
「ふ、大人なのに手間かけさせて」
ハルは逝った美冬の口から右手を引き抜く。
「鬼ね、アンタ……」
「言っておくけど、私は別に美冬さんが嫌いでこんなことをしてるわけじゃないから。むしろ私は彼女を愛してる」
「あ、愛してるなら、そんな強引にしなくても」
「いいことを教えてあげる。――ヤンデレは究極の愛」
「あ、アンタ……そんなに学園長のことが……」
「ま、今回はただのお仕置きだけどね」
「好き嫌いを無くすつもりがトラウマを与えてどうするのよ!?」
*美冬蘇生のため、少々お待ちを。
「ひ、酷い悪夢を見た気がする……」
「あはは、それってどんな夢ですか?」
「ワタシハナニモミテイマセン」
「学園長が懐柔されちゃダメじゃない……」
美冬の意識を人には言えない方法で戻した後。
本題に入る為に、ハルは先までのお遊びの態度から切り替え、真面目さを表情に出す。
美冬とハルは間に机を挿んで対峙していた。
「それで、美冬さん」
「うん、分かってるよ」
多くの言葉はいらなかった。
初めからハルはこのためだけにミスコンを戦ってきたのだ。
美冬は引き出しから何かを取り出し、そして机の上に置いた。
それは一つの『鍵』だった。
「佐倉ハルさん」
「はい」
家族の美冬さんから、学園長の一色美冬の顔に変わる。
「今年度の《ミス涼月》は、全体の約八割の投票数を獲得した佐倉ハルさんとなりました。君は史上初の男性優勝者ですが、もちろん優勝者の特権は与えられます。そして――」
席を立ち、ハルの前まで歩み寄る美冬。
差し伸ばした手には先ほど取り出した鍵が握られていた。
「涼月を代表して涼月学園学園長一色美冬から、新しい《ミス涼月》へ『涼月の鍵』を授与します。絶対に無くさないでね?」
受け渡された鍵を、ハルは力いっぱい握りしめる。
「ありがとうございます」
やっと、手に入れた。
与えられるどの特権よりも必要としたもの。
たどり着くために必要だった。
決して本物になれなくとも、限りなく完璧に近い存在まで行き着いたハルが最終ステージに突入するために不可欠な鍵を――ハルはようやく手に掴むことができたのだ。
今すぐ駆け出したかった。
「行ってらっしゃい。君の大切なものを取り戻しに」
だから美冬の一言で、ハルはすぐさま校長室を飛び出し、最終ステージのある建物へと向かった。




