(6)少女たちの戦い
学園の屋上で彼女は待っていた。
ハルには階段の下で待機してもらい、まずは愛乃が単身で彼女の前に姿を現した。
「古西さん」
「――っ、愛乃、ちゃん?」
呼ばれて振り返った古西は愛乃を見て驚きの表情を見せる。
「び、びっくりしたよ……。星野さんに会ってもらいたい人がいるって言われたけど、私に会いたかったのって愛乃ちゃんだったんだね」
なるほど、メグはハルの名前は伏せて呼び出しをしたのか――と、愛乃は納得する。
古西を呼び出せている時点でその手段は正解だろう。人付き合いのいい彼女なら、多少怪しくとも会いに行かない訳にはいかない。それが古西ゆかりの性格なのだ。
その古西はというと、呼び出しの相手が愛乃だと思い込み、照れ臭そうに微笑んでいる。
愛乃は冷静に物事を飲み込んで、古西と向き合う。
「悪いけど、アンタに用があるのはアタシじゃないの」
「え? えっと、それはどういう……」
「アタシからも頼みがあるの。今から古西さんには、アイツに会ってもらいたいの」
「あいつって?」
「佐倉ハルよ」
「っ!?」
予期せぬ名前に、古西は声を詰まらせる。
ここ一週間、ずっと頭から離れないで悩まされている人物の名前を唐突に出され、古西は自分の心が外に漏れていたのではとあたふたする。
「え、えっと、佐倉君が、私に会いたがっているの?」
「アンタじゃないとアイツはダメなの。お願い、話を聞いてあげて」
愛乃の必死な思いに、古西は戸惑いながらも。
「そんな……愛乃ちゃんからそんなことを……でも、佐倉君は、私じゃなきゃダメだって……うん、分かったよ、愛乃ちゃん。私、佐倉君とお話しします」
「よかった!」
見事仲介役を果たした愛乃は、急いで階段したで待機しているハルの元に走る。
「どうだった?」
「バッチリよ。向こうは話を聞いてくれるって。あとははるるが行って、キッチリと決めて来るだけよ」
愛乃はアイドル生活で培ったとびっきりのウィンクをハルに向ける。
これは愛乃の密かな自慢なのだが、ハルはウィンクができないと知った時に、愛乃は初めてハルに勝てたと大喜びしたことだ。
「ありがとな、愛」
礼を言いながら、ハルは愛乃の頭をそっと撫でる。
「む、むぅ……」
「あはは、照れる愛もやっぱり可愛いな」
「か、可愛いって! と、当然でしょ。なんてったってアタシは仙堂愛乃よ。学園を卒業したらすぐにでもアタシはテレビの中の人なんだからっ。そしたら滅多に会えなくなるんだから……な、撫でられるうちに撫でておきなさいよっ」
「はいはい。なでなで」
「むにゅ…………えへへ……」
ハルの手はまるで母親の優しい手のようで、とても暖かく、撫でられているととても心が癒された。
「よし」
ハルは愛乃を撫でる手を止める。
気持ちを整理し、深呼吸をして緊張をほぐす。
落ち着きを確認すると、ハルは階段を上り、
「久しぶり、委員長」と、待っていた古西に気さくに声を掛ける。
古西はハルの姿を見ると、目を見開いたまま固まっていた。
女装を解いたハル本来の姿に動揺しているふうに窺えた。
「委員長にはいっぱい声を掛けてもらってたのに、いつも邪険に帰してばかりで……本当は、こんなことを委員長に頼む資格は無いと分かっているんだけど、でも、できれば委員長には俺が女装をしてミスコンに参加した理由、俺がどうして周りを避けていたのか、俺の目的と俺に何があったのか全部聞いてもらい、そのうえで委員長に頼みたいことがあるんだ。聞いて、もらえるかな?」
「……」
古西は、うんともすんとも言わず、ただ身体はぶるぶると小刻みに震えていた。
「(怒って、るよな……そりゃ。こんな勝手な事言われれば)」
愛乃たちからは絶対に上手くいくと言われていたが、ハルにはどうも自信が無かった。
愛乃とは違い、ハルは古西との接点がほとんどないのだ。ただクラスが同じというだけで、会話を交わしたのだって四、五回程度だっただろうか。ハルが故意に避けようとしていたのだって気付いているはず。それを、今説明するから許せ、と言われても納得してもらえるとは到底思えなかった。
「ゴメン、やっぱり身勝手過ぎだよね。今日は呼び出したりしてゴメンね、話はもう――」
ハルが諦めて、その場から立ち去ろうとした時、
「…………んで……」
「え」
小さく漏れた古西の声に、ハルは踏み出した足を止める。
「……なんで……」
「委員長……?」
声が小さくて聞き取れない。
ハルは古西の声を聞き取ろうと彼女との間を詰めようとして、
「なんで……なんでそっちの格好をしてるおのよおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」
「ぬおああ!?」
突如破裂した古西の叫び声が、間近に寄ったハルの耳を音速で貫いた。
「ビ、ビックリした……って、え?」
――今、彼女はなんて言った?
声のデカさで痛む耳を気にしていたハルだったが、古西の叫びを思い返して思考が止まった。
そっちの格好?
そっちとどういう意味、と尋ねようとしたが、
「なんで! どうしてスカートを穿いてないの!? どうして女の子の格好をしてないの!?」
と、古西自身がわざわざ説明してくれたので、わざわざ尋ねる手間が省けた。が……
「は、はいぃ!?」
ハルは呆気にとられ、思わず変な声を出してしまう。
何を言っているんだこの少女は――と、必死に古西の思想を読み取ろうとしたのだが――生憎、ハルは彼女のようなタイプの『変人』とはまだ知り合えていなかった。
「はぁ……やっぱりこんなことになるだろうと思ったわ」
「あ、愛……?」
後ろを振り返ると、愛乃は頭を抱えて嘆息し、
持っていた鞄をハルに手渡してきた。
「え、これ、中身は?」
「早く着替えてきなさい」
「着替えって……――」
鞄の中身を確認して、ハルの表情を曇らせた。
「信じられない」といった顔でハルは愛乃を見つめる。
だが、愛乃は何も言わずただ首を振るだけ。
「……まさか……そんな……」
先ほどの古西の叫びと鞄の中身を見て、ハルは一つの結論にたどり着く。
が、その結論はあまりにも予想外過ぎて……できればそれは間違いであって欲しいと願わずにはいられない。
しかし、ハルのそんなはかない願いは、やはり叶うことはなかった。
「き、着替えてきました……」
覚束ない足取りで、再びハルは古西の前に姿を出す。
「きゃあああああ! は、ハルちゃんだっ、本物のハルちゃんだあぁ♪」
普段の穏やかな印象とはかけ離れた奇声を上げる古西。
それはまるで、アイドルを前にしたファンの発狂のようで――というか、それそのものである。
愛乃に渡された鞄に入っていたもの、それは……
「彼女はね、可愛い女の子が大好きなの。アイドルをやっていたアタシの熱烈な大ファンで、追っかけなんかもされたこともあるわ」
「……でも、だからって、女装した私のファンになっただなんて……」
愛乃に女子制服を渡されたハルは、正装タイムが一時間にも満たすことなく、再び女装をした状態で古西の前に立っていた。
「あ、あの!」
「は、はい」
「あ、握手してもらってもいいですか⁉」
「ど、どうぞ……」
古西は、きゃー、と叫びながらハルの両手をガッシリと握る。
すると次はサインを求められ、仕方なくハルは出された色紙に『佐倉ハル』と特徴のない普通の字を書いてあげた。
「み、未来永劫、大切にさせて頂きます!」
「ど、どうも……」
古西の迫力に、ハルは終始圧倒されっぱなしだった。
「それにしても、まさか古西さんが男を気に入るなんてね」
「え? それってどういう……」
「彼女、百合なのよ」
「で、でも、ミスコンでハルちゃんを見た時から、心が苦しくなって。最初はそれが何なのか分からなくて、ミスコンの後でハルちゃんに声を掛けられたときは思わず逃げ出してしまって……。それからずっと考えていたの。私は佐倉君を――ハルちゃんのことをどう思っているんだろうって。そうしてずっと考え続けていたら、気付いちゃったの。私って、ハルちゃんのことが好きになっちゃったって……きゃ、言っちゃった!」
古西は百合疑惑を全く否定しないまま、きゃっきゃと叫び……
気が付けばハルは愛の告白されていた。
「えっと、その……できればお友達からで……」
「って、何バカ真面目に返事を出してるのよ!」
「でも、ちゃんと異性に興味を持てるようになったのに無下にしちゃ」
「今は彼女の恋愛話について聞きに来たわけじゃないでしょ!」
「はっ! そうだった」
言われて本題を思い出したハルは、さっそく古西に事の全てを語る。
ハルが男性恐怖症になった姉を連れ戻すために女装を始めたこと。そのために周りを遠ざけて印象に残らないようにしていたこと。秋月を連れ戻すにはどうしてもミスコンで優勝しなくてはならなかったこと。優勝候補だった愛乃とは今はとても仲が良く、本人同士でいがみ合ってなどいないということ。そして古西には生徒達に説明をして、誤解を解いてもらいたいことを伝えた。
古西は大好きなハルちゃんの頼みとあって、ものすごく真剣に事を聞き受けた後、
「分かりました。古西ゆかり、必ずやハルちゃんに平和な学園生活を届けて見せます」
とてつもなく、使命感に燃えていた。
「あ、ありがとう」
ハルの感謝の言葉に、古西のやる気ゲージは更に上昇した。
「あとは、待つだけね」
「うん。愛も、ホントありがとね。私にはお礼しか言えないけど、みんなが傍に居てくれて本当に感謝してる」
「お礼なら夕食で振る舞ってよね。アタシ、はるるの手料理しか食べられない体質になっちゃったから」
「あはは。じゃあ、今日はみんなに感謝を籠めて作らせてもらうね」
これでもうハル達にやれることはなくなった。
後は、古西の頑張り次第。
不安は消えたりはしなかったが、ハル達は古西の事を信用して、その日が来るのを待った。




