(3)事故
昼食はそれぞれ個別に済ませ、午後からはハルは愛乃の引っ越しの整理を手伝うことにした。
この日、一日で新たに住まうことになった全員の引っ越しが完了し、夜は引っ越し祝いに作ったハルの手料理を家族全員で食べることになった。……のだが、
「えっと……みなさんはどうしてけん制し合っているのでしょうか?」
食事の準備が整い、ハルが席に着いた瞬間から。乙女たちの戦いは始まっていた。
「(得席は全部で三つ。両隣の二席と向かいの一席……)」
「(もちろん狙いは隣の席だけど、できれば他の二人が争っている間にもう片方の席を奪取したい。でもそれは他の二人も考えているみたい……)」
「(ここは戦況に変化が訪れてからが勝負ね。そして、戦況が変わる瞬間は……)」
夏祭、メグ、愛乃の三人は、互いをけん制し合いながら、変化の訪れを待ち続け……そして。その瞬間は訪れた。
「ハル、お腹すいた」
「もう準備は出来てるから、秋月も早く席に着いて――」
『(来た!)』
刹那、三人の乙女は秋月がハルの隣の席に着いたと同時に、一斉に残りの特等席を狙って動き出そうとして――
「はにゅ~、お仕事疲れたよ~。あ、ハルちゃんの隣もーらいっ♪」
予定よりも一歩早く帰宅した美冬によって、最後の特等席は埋まってしまった。
「ががが学園長先生!」
「どうして学園長が帰って来るんですか!」
「ひええっ!? 私ここに帰って来ちゃダメだったの!?」
帰宅して早々、愛乃とメグに捲し立てられ怯える美冬。これには隣の席にいたハルと秋月も口を開けて呆然と見ている。――が、この一瞬を見計らって彼女は無音でその席へと腰かけていた。
「な!?」
「一色先輩!?」
「ハル、食事の際の席は今着いている席でいいよね? 一々席を奪い合うのも面倒だし」
何食わぬ顔でハルの向かいの席に着いた夏祭は、何気ないようにそんな提案を持ち掛けて、
「そうだね。奪い合う意味がよく分からないけど……とりあえずそうしようか。ほら、二人も早く空いている席に着いて」
特に何も深くは考えなかったハルによってその提案は認められた。
『空いている席』とはもちろん、勝者の笑みを浮かべている夏祭の両隣の席のこと。
「(やられた……)」
「(手強すぎるよぅ、このラスボス……)」
この一戦で、二人は夏祭に一つ遅れを取ってしまったのだった……。
夕食後、部屋に戻ったメグは一日の、特に昼前にしでかしてしまった失態を猛省していた。
朝の夏祭の件で反省したはずなのに、また周りが見えていなかった。
何故、あんなことを……そう何度も思い返しては、
『――好きだよ♪』
「えへへ……♪」
昼間に録画したお宝を、にやにやしながら鑑賞していた。
「――って、そうじゃないでしょ萌! ちゃんと反省して、早くハルに謝らないと……」
『好きだよ♪』
「もうちょっとだけ、癒されよ……」
「…………」
「――え?」
不意に、部屋の中で自分以外の人の気配を感じたメグは、ドアの方へと振り向く。
そこには、口を開けて呆然と立つハルの姿があった。
「……い、いつから……」
――いつからそこにいらしたのですか、ハルさん?
メグが恐る恐る訪ねると、ハルはハッと我に返って、
「いま、今、すごく今、かなり今、ちょー今、なうなうなう!」
いかにも『見てはいけないものを見てしまった後』としか思えない反応で必死に言い張る。
「…………ごめんなさい、生まれてきて」
「早まっちゃダメだメグ!」
ご本人様にあんな姿を見られてしまってはもう生きてはいけないと、側にあったボールペンで切腹を試みようとしたメグだったが、当然ハルによって阻止された。
「ほん――――――――っとうに、ごめんなさい!」
「いや、こっちも返事を待たずに勝手に入っちゃったわけだし……うん、お互いさまってことで」
『お互い様』。そう割り切っておかなければ、休日だけとはいえハルにとってメグとの共同生活に大きな支障を招きかねないのである。主に衛生面で。
「それで、ちょっと話があって来たんだけど……えっと、そうだな、三十分後に出直した方がいいかな?」
「だ、大丈夫っ。もう十分にエネルギー充電できたから!」
「………………そっか」
何のエネルギーなのか、ハルは絶対に訊かないでおこうと心に決めた。
「あの……それで、私に用事って?」
「メグが今日、何か手伝いがしたいって言ってくれたのにほとんど仕事を上げられなかったから、明日は一緒に料理しないかって相談なんだけど。どうかな」
「します!」
即答だった。
まさか今日の明日でこんなとびっきりのイベントを用意してもらえるとは思いもしなかったメグは、もちろん断りなどしなかった。
「よかった。これで明日は楽しくなりそうだね」
「は、ハルも楽しみなの?」
「うん♪」
「(いい笑顔……ぽっ)」
「ん? なんだかメグ、顔がほんのりと赤くなってない?」
「えっ」
スッ――と、ハルは自分の額をメグの額へとくっつける。
「うーん、ちょっと熱があるかも。大丈夫? 具合悪くない? 住む環境が変わって疲れでも出たのかな」
「………はぁ……はぁ……」
「あれ、何だか呼吸まで辛そう。どうしよう、とりあえず体温計で正確な熱を……」
ハルが体温計を取りに行こうと立ち上がった時、
「ダメ!」
「え――うわああ!」
メグはハルの背中にしがみ付こうとして、何故か――突き飛ばしてしまった。
「いっ、たたた……び、びっくりした。メグ、だいじょう……ぶうぅぅっっ!?」
目を開けて、その感触に気が付いたハルは驚愕する。
「~~っ、ご、ごめんなさ、い…………あ」
ハルの背中へと突っ込み、そのまま押し倒してしまったメグは、何故かハルの胸の中に顔を埋めていた。
「(落ち着いなさい、佐倉ハル。何が起こっているのかよ~く考えるのです)」
ハルは、できるだけ、冷静に、状況を整理する。
そうしてハルは、ある結論へと至った。
――メグが、狼に、なってしもうた!
「そそそそそそそのメグさんは女装男子がタイプなのかな!? それも襲っちゃうくらい!」
「違うの! 別に女装をしているからって理由じゃないの! これは不運が重なって起きた事故なの!」
「そそそそそそそうか事故か事故だよねうん事故だよ事故事故いやあ事故って怖いですね気を付けないとですね事故怖いよ事故!」
「落ち着いて! 怯えないで! 狼狽えない……で……」
必死にハルを落ち着かせようとしていた時、メグはあることに気が付く。
ハルの肌がほんのりと火照っていることに。
突然のハプニングに血流が加速したからではない。
火照った肌。
異様に暖かな体温。
艶めかしく羞恥する美少女(女装男子)。
さらにはパッドを入れているためか、顔を埋めていた胸の感触がやけにリアルで――
「(……いろいろと、目覚めちゃいそうっ)」
いろいろと目覚めようとしていたメグからハルが解放されたのは、騒ぎを聞きつけて愛乃と夏祭が部屋に乗り込んでくる数秒前のことだった。




