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(3)孤独な春


『可愛い妹さんね』

 それはハルがまだ小学校に上がる前、ある人物に言われた言葉だ。

 ぼんやりとした記憶ではあるが、確かにその人物はハルを女の子と思い込んで話しかけてきたのだ。

 幼い子供の性別を間違えることは理解できる。だがハルの場合はそれがかなりの割合で初対面の相手には女だと勘違いされてきた。それでも小学校高学年の頃には間違いも減っていき、中学生になって以降は一度も性別を女だと間違われなくなった。

 見た目でいじられることの無くなったハルは、それ以降自分の容姿に対するコンプレックスは薄れていき、楽しい中学生活を満喫することができた――。

 ……けれど、明るい日々はそう長くは続かなかった。

 ハルは中学生の身でありながら、親を亡くし、大切な家族を失ったのだ。

 孤独に泣いていたハルに、美冬が例の提案を持ちかけたのはちょうど去年の今頃だった。

『涼月に入学してミスコンで一番を取らない?』

 美冬は、ハルに唯一家族を取り戻すことのできる方法を教えた。

 女装には多くの抵抗があったが、決意を固めることに時間はかからなかった。

 中学では友達も多かったハルだが、涼月学園に入学してからは人と接することを止めた。

 目立たず誰にも覚えてもらわないように、そう何度も言い聞かせてハルは学園の隅で半年間を過ごしてきた。いくら女装が完璧だったとしても、正体が男だと知られていれば票は入れてもらえない。ハルは生徒達に佐倉ハルを覚えられないよう努力した。

 どちらかと言えば女性っぽい名前である『ハル』という名前も、ハルを女だと思い込ませる大きな要因になった。

 それでも、性別を欺くことができない相手は存在した。入学以前からの知り合いだ。

 同じ中学から涼月学園に入学した生徒は二人。一人は今回の件について事前に知っていたため何も問題はない。

 もう一人に関しては何も説明せず、入学して以降は拒絶し続け、あげくの果てにはハルは女装してミスコンに参加した。……彼女に対してはもはや軽蔑されても文句の言いようがないだろう。

 そして、その二人とは別にもう一人だけ。

 誰とも関わろうとはぜず常に独りでいたハルに対して、ただ一人だけ、毎日のように声を掛け続けていた人物がいた。


 靴箱の前まで訪れた時、ハルはふと見覚えのある姿を見かけ、その背後から声を掛けた。

「委員長、今帰り?」

「え?」

 振り向いた少女は、ハルを見て数秒ほど制止して、

「え、えっと……佐倉……くん?」

 恐る恐る、戸惑いの色を見せながら尋ねてきた。

「うん、佐倉くんだよ。違う人に見えたかな?」

 スカートの裾を摘んで冗談交じりに笑うハルだったが、相手の表情は微妙なものだ。

 泣きホクロがチャームポイントの彼女は、誰とも接しようとはしないハルに声を掛け続けた変わり者。

 数えるほどしか声を交わしていなかったが、彼女がいい人であることは分かった。

 徹底して拒絶し続けるハルに対し、彼女だけが諦めず声を掛けていた。それだけで彼女の人の良さを知ることができた。

 彼女はいい人なのだろう。いい人ではあるのだ……がしかし、委員長は『佐倉ハル』の事をしっかりと覚えていた。

 外見だけなら誤魔化せたが、残念ながら名前を偽ることはできなかった。

 女の姿をしていても、髪が黒から白に変わっていても、佐倉ハルという名の生徒は涼月学園内ではハル一人だけなのだ。

 だから、佐倉ハルという名の女の子が壇上に上がった時は目を疑ったはずだ。今の彼女の反応も、本来のハルとのギャップに対処しきれていない彼女の心が表に出た結果だ。

 そう分かっていながら、ハルは敢えて捻くれた言い方をした。――これが佐倉ハルだと。

 結局、委員長は何も答えることができず走り去って、いや、逃げ去って行ったようにハルの瞳には映った。

「はぁ……」

 一人残され、深い溜息を吐く。

「ふっ、予想通りの反応と行った所か」

 その時、タイミングを見計らったように背後から呼びかける男の声がした。

「橘か……」

「ふむ、学園内で話すのは初めてだったか。久しいな、佐倉」

 変わり果てたハルの姿を見ても平然と話しかけてくる学ラン姿の男子生徒は、中学からの知り合いで、友達作りをしなかったハルにとって数少ない友人だ。尤も、二人の関係を表すなら友人というより悪友がしっくりくるだろう。

「溜息を吐いているところでなんだが、明日には多くの生徒がお前の正体に気付くはずだ。そうなれば全員が彼女と同じ反応か、あるいはもっとか……。どちらにしても良い方向に転ばないことだけは心しておいた方がいい」

「そんなことは言われなくとも分かっていたことだし、別に他人にどう思われた所で俺はやめるつもりはない」

「いい返事だな。それでこそ俺の見込んだ男だ」

 言い返すハルに、橘はどこか嬉しそうな反応を見せながら靴を履きかえた。

「途中まで一緒に帰るか」

「ああ、そうさせてもらう。おかげで話したいこともたくさん溜まっているからな」

 ハルの変わり果てた姿を見ながら、橘は含みのある言い方をしてくる。

「なんだ、エスコートでもしてくれるのか?」

「やめておくことを勧めする。先のことを考えればそういった行動は必ず後に響いて来るが……それでもかまわんというのなら、お手をどうぞ、姫様」

 橘はまるでダンスを誘うかのように、右手をそっとハルの元に差し出す。

「やめとくよ。こんな格好で説得力は無いけど、そっちの趣味はないからな」

 そう言ってハルは出された手に見向きもせず足早と校舎から出て行く。

「おやおや、早くも今年の《ミス涼月》に振られてしまったようだ」

 橘は大袈裟にわざとらしく嘆いてから、すぐに後を追って歩き出した。


 初めて橘と出会った時、なんて胡散臭い男だとハルは感じた。

 共通の友人を介して出会ってからは二人はよくつるんで行動をしたが、橘は今まであった者の中でも特別変わった存在だった。

 橘のことで最も驚かされたことと言えば、誰にも言っていないはずのハルが女装することとなった理由について何故か知ってことだった。

 橘の情報力はとても恐ろしく、なんでも教職員全員の弱みを握っているとかいないとか。

 頼んでもいないのに、今回のミスコンに関してあらゆる面でハルをバックアップし、ありとあらゆる情報を提供してきたりと、全く持って目的が見えない行動を取ったりする。おかげで助かった部分も確かにあるのだが……橘という男の場合、そういった善意的行動には必ず何か裏が存在した。

「で、お前は見返りに何を所望する気なんだ?」

 学園から少し離れた辺りで、ハルはその胡散臭い友人に問いかける。

「何を人聞きの悪い。この一件に関しては無償タダだ」

「無償って……本気か?」

 こいつが? 無償で人の手助けを? ありえない。あまりにも怪しすぎた。

 これでもし何も裏が無く、親切に友を思っての好意だった場合。億が一にもそんなことがあるとしたならハルは橘の友人を止めようとさえ思った。そんな純心な友人を疑うような汚れた人間は彼のような真っ白な聖人君子の側にいてはいけないのだ。

 本当に何もなければだが。

「もちろんだ。今回のイベントでは佐倉のおかげで大繁盛したからな。むしろこちらから何か礼をしなければならんほどだ」

「大繁盛……(こいつ一体、俺の知らない所でまた悪さして……?)」

「別に悪さなどしていない。みんなで仲良く楽しく、ミスコンとは別のイベントを開いただけだ」

「……仲良く楽しく、ねぇ……」

「聞きたいか? 今回最も活躍した佐倉になら教えてやらんこともないぞ」

 いつの間にハルは活躍していたのだろうか?

 事前に何かを頼まれた覚えも無ければ、そもそもミスコンに必死で余計なことを考える余裕なんてなかったのだが。

「……言ってみろよ」

 聴けば犯罪の片棒を担がされる、そんな気がした。

 だが自身のことが絡んでいるのは確かなようで――やはり訊かずにはいられなかった。

「人気投票だ」

 ハルは大きく天を仰ぎ見ていた。

 今のハルの感情を率直に言葉にするならば――文字通り『後悔』。

「(……ああ、聞かなきゃ良かった)」

 橘の言葉には、限りなく黒に近いグレーの匂いが漂っていた。

「なんだ、何をそんなに落胆する理由がある」

「いやだって、お前の言う人気投票ってあれだろ? 賭け事だろ?」

「違う。人気投票だ」

 あくまでも人気投票で貫くつもりらしい。

「別に人気投票でもいいけど。それで、結果はどうだったんだよ?」

 この男の事である。ミスコン開始前に事は全て済ませていたのだろう。

 それで票の入らなかったハルが《ミス涼月》となったことで全掛け金を手に入れたというところだろ、とハルは予想する。そしてその予想は見事的中、優勝者のハルには一票たりとも票が入っていなかったらしい。

 票が入らなかったことに少しばかりショックを覚えるハルだったが、そもそもハルの名前を知っている生徒などほぼ皆無なのだから入らなくて当然である。

 それよりもハルが気になったのは――

「一番人気は誰だったんだ?」

 既にミスコンの結果は出ていたが、歴代最高クラスと言われた今年度の新入生女子の中で本当に人気のあった女子は誰なのか気になってハルは尋ねたのだが、

「そんなことが気になるのか?」

 しかし橘は興味のなさそうにして答えた。

「断トツで仙堂愛乃だ。対抗馬無し。投票率は、九割近くだったか」

「せ、せんどう、よしの……」

『納得がいかないっ!』

 その名を聞いて、ハルの脳裏には数時間前の光景が蘇る。

 涙目になりながら必死に抗議してきた彼女は、ハルが思っていたよりもかなりの人気者だったらしい。他にも多くの芸能関係者が参加する中で、全体の九割を集めるのはかなりすごい事である。

「そ、そんなに人気なんだ。その、仙堂さんは」

「参加者の情報は事前に教えていたはずだぞ? 俳優とモデルから生まれた金の卵。正真正銘日本一のアイドル様。相手を女学生限定にしたなら日本中を探しまわっても仙堂に敵う者はいまい」

「『女』学生限定、ねえ……」

 橘の言う通り、あれほどの美少女で人気のある子はそういないだろう。

 けれどその美少女に、他でもない男であるはずのハルが勝ってしまった。

 ハルは自分が思っている以上に、とんでもないことを成し遂げて(またはやらかして)しまったみたいだ。

「佐倉のおかげで今日はいい日になったぞ」

「そりゃようござんした……」

 もはや突っかかる気も起きない。

 今まで目的が分からずにいたが、橘はやはり好き勝手にやっていたようだ。

 これまでならばハルも一緒になって騒ぐ側に立っていたが、これからはそうはいかない。

 ミスコンは終了したが、『大事な本番』は明日以降に控えている。

「(今日まではただの助走に過ぎないんだ。女装だけに)」

「佐倉のダジャレスキルはその程度か」

「おい、勝手に人の心を読むな」

 その後も橘の怪しげな話を聞かされながら帰路を歩んでいたが、別れ際になると、

「時に佐倉。行動に移すのは明日からになるのか?」

 橘が何気なく訪ねてきた時、ハルは足を止めて振り返った。

「そのつもりだ」

 ハルは真剣さを滲ませながら、橘の問いに真摯に答える。

「そうか」

 橘は神妙な顔で頷く。

「佐倉ハルを以前から知っている俺から見ても、お前は誰よりも女に見えるぞ」

 それは橘なりの、今のハルを評価した言葉だった。

 一年間、孤独に戦ってきたハルにはその言葉は少し強すぎて、少し泣きそうになった。

「褒め言葉として受け取っておくよ」

 だから照れ隠しも踏まえてハルは顔を逸らした。

 誰かに泣き面を見られることをハルは大の苦手にしているからだ。

「だが、言葉使いがなっていない。一人称も『俺』のままではいけないな」

「ごめんなさい橘君。でも今日が終わるまで、私はまだ男として生きていたいの。大丈夫、明日からの私はどこに出しても恥ずかしくない完璧な女の子だから」

 ハルはコンテストの壇上に上がった時のように、必死になって特訓した『自然な女の子』で振舞って見せる。

「そうか。では俺も明日以降のハルちゃんに期待するとしよう」

「ハルちゃん言うなっ――は!」

 ツッコミを入れてから、乗せられたのだと気付く。

 まるで罠に掛けられたようで少しムッとしてしまうも、この程度の戯れは問題なかった。

「じゃあな」

「またな」

 中学の頃と同じく、ハルは橘に適当な挨拶を交わして家路を歩いた。


 家に帰ると暗い玄関がハルを待ち構えていた。

「ただいま」と言うハルの声に、帰って来る返事はない。一年前からハル一人だけとなった佐倉家に、「おかえり」と返してくれる家族は存在しない。

 美冬は遅くまで帰って来ない。その事を思い出すと自分一人の為に料理をするのも億劫になってしまい、冷蔵庫の残り物で夕飯は済ませた。シャワーを浴びた後、二階の自室に戻るとそのままベッドに横たわった。

 一人だけの時は大抵こうだ。料理も手を抜いて、特にすることもないので勉強か読書をしてから早めの就寝。一人の時はとにかく何もやることがないのだ。

 瞼を閉じると静寂が佐倉家を支配した。

 家族四人で暮らしている時は狭く感じたこの家も、一人になってから恐ろしく広く感じて寂しかった。

 できれば小さな家か、隣の一色家に移り住みたいと思うことも何度もあった。

 以前に一度だけ美冬からも移住の提案を受けたが、しかしその話は断っていた。ハルには受け入れることのできない理由があったのだ。

 母を失った。父も失った。好きだった両親を失い、一年も佐倉家で孤独に生きていたハルだったが。そんな彼にも唯一、まだ残された肉親が存在した。

 ハルは待った。待ち続けた。

 いつか家に帰って来ると、ずっと待ち続けた。

 だけど、結局は今日の今日までハルは独りぼっちだった。

 もう待てなかった。

 迎えに行く。現実から逃げたあの人を。

 ハルを置いて一人で逃げた可哀想なあの人を。

 愛する家族を思いながら、ハルの男としての最後の日は終わった。


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