(6)佐倉ハルが信じたこと
自宅前まで帰ってきた夏祭。
「……ぐす……」
目は真っ赤に充血してはいたが、涙は既に枯れ、嗚咽は収まり、感情も落ち着いていた。
「(……冬姉、帰ってるのかな?)」
自宅に明かりは灯ってはいないが、既に部屋で休んでいる可能性もある。
美冬に多大な心配を掛けてしまった手前、夏祭は姉に会うことに気まずさを感じていた。
「(確か、ポストの中に……)」
玄関前に設置されている郵便受けポストの中身を調べ、取り出したのは懐中電灯だった。
「(ほんと、冬姉は用意周到なんだから)」
『あったら便利そうじゃないかな~?』と言ってポストの中に懐中電灯を入れようとした美冬の事を思い出す。あの時は何に便利なのか疑問でならなかったが、確かにこの懐中電灯は現在の夏祭の助けになるアイテムだった。
夏祭は懐中電灯の明かりを点けると、裏口へ回ろうと庭先へ向かう。その時、
「なぉ~」
「――きゃっ!? ……って、みぃー……?」
突然、暗闇から足元に擦り寄ってきた白い生物に驚き、可愛らしい悲鳴を上げてしまう。
夏祭を驚かせた相手は、一色家の飼い猫、美春だった。
「もう……驚かせないでよ、みぃー」
夏祭はしゃがみこむと、美春の背中を優しく撫でてやる。
気持ちの良さそうな表情をする美春に、自然と夏祭の表情も柔らかくなっていた。
美冬がある日突然飼い始めた白い捨て猫。
名前を聞かされた時、なんて悪趣味な命名だと夏祭は思った。
『私とハルちゃんの子供だから、美春なんだよ~♪』
笑顔で語る美冬のことが羨ましくて仕方なかった。
「(二人の子供が美春なら、私とハルの間に子供ができたら『夏祭』と『春』で…………ぐっ、なんて合わせにくい名前なんだろう……)」
「な~」
その時、美春が玄関のある方を向いて鳴き声を上げる。
「(ん、どうしたんだろ?)」
気になって夏祭も玄関のある方面を集中して観察してみると。
……ガサガサ。
「(――! 誰かいる、じゃなくて、こっちに来てる!)」
美冬が帰って来たのかと思い、慌てて物陰に隠れようとするが、
「なぉ~」
「――し、鳴くなっ」
足元で鳴き声を上げる美春に、思わず夏祭も声を出して注意をしてしまった。
慌てて美春を抱えるが、ここで夏祭は一つ失態を犯していた。
それは、懐中電灯を点けたままにしていることだった。
夏祭がいくら美春を黙らせても、物陰に隠れた所で相手には夏祭の居場所が丸分かりなのだ。
そんなことも知らず、隠れる時間さえも貰えなかった夏祭はあっという間に見つかってしまった。
「おかえり、夏祭」
ずっと避け続けていた――佐倉ハルに。
嬉しかった。声だけで夏祭だと分かってくれたことが。
けれど突然のことで、どんな気持ちで彼と向き合えばいいのかが分からなかった。
「……人の家に勝手に入って来ないで」
だからそんな冷たい言い方をしてしまった。
もうハルとは会えない。そう思っていたのにハルと鉢合ってしまった。
これはイレギュラーな出会いだ。だから二度目を起こさないためにも、夏祭は分かりやすい拒絶の態度を取るしかなかった。
「今帰ってきたの? ご飯食べた? まだならうちで食べていかな――」
――行きたい!
そう即答したかった。
ハルの手料理が食べたい。それはずっと思っていたことだから。
「行かない」
でもダメだ。行けばずっとハルの傍に居たくなってしまう。
「こっちに来て顔を見せてくれないかな? 暗くてこっちからは夏祭の顔が良く見えないんだ」
それくらいなら……いやダメだ!
今は泣き過ぎで目が赤くなっている。
こんな顔で好きな人の前に出られるはずがない。
「……ざけんなばか」
はあ、最悪なこと言ってる、私……。
自己嫌悪。ここまで夏祭は自分を嫌いになったことはなかった。
何故、今になってもハルを傷つけるようなことを言ってしまうのだ。
彼はこれまでたくさん苦しい思いをしてきたというのに、誰よりも彼の幸せを願っているはずの自分が、彼を苦しめる存在となってしまっている。
早く消えてしまいたかった。どこでもいい、ハルの前に姿を見せなくていい所へ。
その後、ハルに背負われていた酔っぱらいの姉を引き取って、夏祭は無言で家の中へと帰って行った。
「(……もう、笑いかけてはくれないのかな……)」
苦笑を浮かべる余裕も無く、ハルは思う。
人として好き、
家族として好きで、
異性として好きだった彼女は、
もはや思い出だけの存在なのかも知れない……。
「(結局、あの時の願いは叶わないのかなぁ……)」
後悔していた。一年前、夏祭を泣かせてしまったあの日、本当の気持ちを夏祭に伝えることができなかったことを。
『選べよ! 私と秋姉、ハルが一緒に居たいのはどっち⁉ ハルを孤独にさせないのはハルの彼恋人!? それとも姉!?』
彼女の叫びが今もまだ耳奥に残っている。
『選んでよ! 私を! ……ハルが自分を消してまで秋姉を連れ戻すなら、私はハルの前からいなくなる』
映像となってあの日の光景が脳裏に浮かび上がる。
『選んで。私とずっと一緒に居るか、私を捨てて秋姉の所に行くか』
選択することを、大切な人から迫られた。
ただ、そこで迷ってはいけなかったのだ。
『一年後、秋月を迎えに行く』
自分の想いを揺るがせるわけにはいかなかった。
だからハルは即答した。自分が思っていることを包み隠さず伝えようとした。
だが。続きを言う前に夏祭は走り去ってしまった。
追いかけたかったが、それでは自分の想いを揺るがせることになってしまうから。追いかけることは出来なかった。
あの時の想いは今も変わらない。
けれど、もう想いを口にする機会は訪れないのかも知れない。
『一年後、秋月を迎えに行って――』
あれだけ嫌われてしまっては、その想いを伝えたところで何の謝罪にもならないのだ。
ハルは誰もいない暗闇の庭の中で、その想いを闇夜に呟いた。
『一年後、秋月を迎えに行って――それでまた、みんなが一緒になれるって俺は信じてる』
本当に信じていたからこそ、夏祭を追わなかった。
本当に信じていたから。何があってもみんながまた一緒になれるって。
本当に信じていたから。あそこで夏祭を追ってしまっては、それは信じていないということになるのだ。
ハルが信じているのは、自分や誰でもない、――ハルを含めた『四季』全員の繋がり、なのだから。




