(5)一色夏祭の逃避
「お邪魔します」
「……え」
琴緑日和は、突然家に入り込んできた来訪者に目を丸くしていた。
「ほー、遂に私の城まで逃げてきたってわけですかー」
「……別に、逃げてるわけじゃ」
その目は図星を指されて泳いでいた。
十月一日。その夜、夏祭は荷物を片手にアパートで一人暮らしをしている親友の家に転がり込もうとしていた。
「ハルにゃん、隣の家に住んでるんでしょ? 今日はお姉ちゃんと一緒に帰って来るんだから、きっと隣からは楽しそうな笑い声が聞こえてくるんでしょーねぇ。辛いよねー、逃げ出したくもなるよねー」
「分かってるなら一々言わないの!」
「別に泊まってもいいけどさぁ」
「いいの?」
「そりゃあ親友の頼みだからねー。でも、住み着かれるのだけは勘弁ね。私まだ、無職を養う財力持ってないからさ……」
「私はことひよのヒモじゃない!」
「はいはい。なつりーはハルにゃんのヒモですのよねー」
「そうそ……ってそれも違う! ちゃんと卒業したら社会にでます!」
あと、ハルの呼び名はハルにゃんに決定したんですねことひよさん。
軽く漫談をしてから、夏祭は日和の手料理を振る舞ってもらった。
さすが自炊をしているとあって、出された料理はそれなりのものだった。
ここの所コンビニ弁当しか口にしていなかった夏祭には、それは久しぶりに心の籠った手料理だった。
その後、交互にお風呂に入りまったりと他愛無い雑談をした後、明日も学園が控えていたので二人は寝床に着くことにした。
「さあ、おいで」
「……」
……いや、何も言うまい。
元々日和は一人で暮らしていたのだ。だから余分な布団が無いことだって当然分かり切っていたことだ。ただ……そう大袈裟に両手を広げてベッドで待ち構えられては、入ろうにも拒絶感が生まれてしまうのよね。
「(……何も、起きないわよね?)」
大丈夫、きっとことひよはノーマルなはずだ。
そう何度も自分に言い聞かせ、夏祭は恐る恐るベッドの中に入る。
「きゃはー! 久々の女体だぜええ!」
「……! って、そう言う割には、普通にくっつくだけなのね……」
一瞬、胸でも揉まれてしまうのではとも危惧したが、意外にも日和は夏祭の背中にピタリと身体を重ねただけだった。意外と言うほど疑っていたわけではないが。
「んー? そりゃーなつりーのことは好きだけど、さすがに私の溢れ出る欲情にも似た純情をぶつける相手は異性がいいなーって思うよ。モラル的にも」
「なんだかいろいろとツッコみたくなる言い方ね……」
「おやぁ? なつりー様にはそんなに立派なナニをおもちなのですかぇ?」
「立派なツッコミセンス、とか言いたいんでしょ? バレバレよ」
「ああ、でもハルにゃんのだったらいつでも欲しいかも~♪」
「その時は是非ザックリと逝かせてあげます」
「ザックリ! しかも逝かせるって、怖いよなつりーっ」
「ハルを誑かすような真似をしたら、いくらことひよでも容赦しないんだからね」
「へー、なに、本気なら良いってことですかい?」
「それは……私の出しゃばることじゃなし……」
「でも誑かすのはダメなの?」
「そ、それは、ことひよの親友としての意見よ!」
「(素直じゃありませんなぁお前さんも)」
「何か言った?」
「なーんにも♪ さ、寝よっか。今日はハルにゃんとデートする夢を見るんだー♪」
「はいはい」
最後に『ハルの夢を見る』と日和が言ったせいだろうか。
この日、眠りについた夏祭は、昨日と同じくまたハルとの夢を見た。
ただ、それはデートなんていう甘い内容ではなく――
その夢は、夏祭が人生で最も後悔した日の夢だった。
『ハル!』
慌てて部屋に飛び込んできた夏祭に、ハルは驚いた表情で振り返る。
『な……どうした、夏祭?』
『……いた』
『……え?』
『冬姉から聞いた! 一体どういうことなの!?』
『……ああ……夏祭には教えたんだ、美冬さん。あはは、俺も初めは驚かされたけど、でも考えてみたら結構いい――』
『よくない! よくないよくない!』
夏祭は涙を零しながら声を荒げる。
ハルは瞬時に気付いた。自分が、彼女を泣かせたのだと。
けれど、夏祭に泣かれても、ハルは引く気は起きなかった。
『どうして? なんでハルがそんな事しなくちゃいけないの? 絶対おかしいよ……ハルも、冬姉も……どうして間違ってることが分からないの?』
『間違ってはいないよ』
『間違ってる!』
秋月が家を出て行って、父親が事故で亡くなって。
ハルが今、どれだけ寂しい想いをしているか、一番彼の傍に居る夏祭は分かっていた。
だから夏祭はハルを孤独にしないと、絶対に自分はハルの元から居なくならないと心に決めたのに……――
『なのに……どうしてそこまでして……自分を捨ててまで秋姉を連れ戻そうとするの?』
『夏祭、別に俺は自分を捨てるつもりはないよ。ただ、変わるだけだ』
『一緒じゃない! そんなことをしたらハルはハルじゃ無くなっちゃうんだよ!?』
『一緒だよ、元は。どれだけ変わっても、俺は俺の……佐倉ハルのままだ』
『……ハルは……私の彼氏なんだよ?』
『……………ゴメン』
それは、何に対する謝罪なのだろう。
止める声も聴かないことに対する謝罪なのか。
それとも、『もう彼氏でいられなくてゴメン』という意味の謝罪なのか。
『……やだ……』
『夏祭?』
『……やだよ……やだ、やだやだやだやだ――絶対にやだッ!』
『夏祭……』
悲痛な叫び声を上げる夏祭に、ハルは何も言ってやれなかった。
『……選べよ』
夏祭の口から出たとは思えない恐ろしく低い声に、ハルは一瞬。空耳に感じたが、確かに夏祭の口元は動いていた。
『選べよ! 私と秋姉、ハルが一緒に居たいのはどっち!? ハルを孤独にさせないのはハルの恋人!? それとも姉!?』
『そんな、どっちも一緒に居たいに決まってるだろ』
『選んでよ! 私を! ……ハルが自分を消してまで秋姉を連れ戻すなら、私はハルの前からいなくなる』
『……』
『選んで。私とずっと一緒に居るか、私を捨てて秋姉の所に行くか』
『一年後、秋月を迎えに行く』
『……そん……な……』
そんな、どうして即答するの? どうして私を捨てることに何の躊躇もないの?
自分でハルを困らせることを言っておきながら、夏祭は自分が彼にとっては『その程度』の存在だったことに、大きな失望感を抱いた。
『一年後、秋月を迎えに行って――』
『あ……ああ……あああああ――あああ、あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!』
ハルは何かを言いかけていたが、夏祭はもう無理だった。
自分という『無意味』が、恋人という面をして存在してしまっている、そのことがあまりに愚かで。
それはもう、これまでの十数年間の全てが否定されたと同じだった。
壊れる寸前。
早く彼の前から消え去りたい。彼の前でこれ以上自我を保つことができなくなった夏祭は、泣き叫びながら逃げ去った。
冷静になり、自分の過ちを反省できるようになって以後も。夏祭はあれから一年間、ハルに会いに行くことできなかった。
『一年後、秋月を迎えに行って――』
あの時、ハルは何を言いかけようとしていたのだろう?
あのような痴態を晒してしまっては、聞き出す勇気もなかった。
これが、一色夏祭の人生で最も後悔している悪夢の一日だ。
同棲二日目――
「帰りんさい」
……は許されなかった。
「ど、どどどうして?」
最悪の悪夢から目覚めた夏祭は本日も日和の部屋で泊まろうと考えていたところ、早々に家主に釘を刺されてしまった。
「そこまで狼狽するんのはどうかと……。荷物の中を見りゃ、二、三日泊まり込む気満々だってことぐらい推理しなくても分かりますってー」
「そ、そそそんなこと言わないで! お願い、私もう帰る家が無いの!」
「いや、あるだろ」
「ダメよ! あの家は危険がいっぱいなの! 主に精神的に!」
「ここに居られても私も危険なんすけど。主に財布の中身がと言う意味で」
「なら私も稼いでお金を入れるわ!」
「よおおおおおおし、お前そこに正座しろ」
「え……?」
「えじゃねーよ、正座しろっつったんだよ、できないならグーで打つぞこら」
「は、はい!」
ただでさえ髪のせいで近寄りがたい容姿をしている日和に脅されては、夏祭も従順になるしかなかった。
「大体さー、なつりーは歳いくつよ」
「じ、十七才、です」
「たかが十七の女の子が家飛び出して健全に生活していけるほど世の中甘くないんだって分かるよねー?」
「は、はい……」
「大体さ、うちに泊まっていることをなつりーの家の人、学園長ちゃんは知ってるの?」
「えっと……友達の家に泊まるって、メールで」
「おいおいおい、メールってなんだよおい十七才女の子。面と向かって言えよおい。それから友達の家ってなにさ? 友達って誰? 誰さんのお宅に泊まりに行くかも言ってないってどういうことですか十七才女の子? そんな曖昧な伝え方じゃ家族が心配することも分かんねーかなーおい?」
「……っ、す、すみま、せんっ、でした……っ」
「泣くんだったらさー、早く家に帰れよー。今何時だと思ってんだよー。早く帰らないと日付変わっちゃうよー。二日続けて十七才の女の子が無断外泊するのって常識的にどうなのよー?」
「……っ、ぐすっ……はい……ごめ、んなさい……すん……帰り……ます……っ」
日和からの説教を受け、夏祭は泣きながら荷物の整理をする。
そして、そのまま部屋を出て行こうとしたが。
「何か言うことはないんですかー?」
「……ご、ごめんなさい……」
「ありゃりゃ、お邪魔しましたも言えないのかい、この子は」
「お、お邪魔しました!」
夏祭は深々と頭を下げ、そのまま逃げるようにして部屋を飛び出して行った。
部屋に一人残った日和は「疲れたー」と言ってベッドにダイブする。
「いやー、柄にもなく説教なんてしちゃいましたよー、てへへー」
それは誰に向けたでもない独り言だったが、日和は楽しそうに言葉を続ける。
「私もS気はないから泣いてるなつりーを見てもさすがに興奮はできなかったなー。あー、あの泣き虫はホントしょうがないやつだのー。あ、そうだ、忘れる前に」
ベッドから起き上がり、ケータイを手にしてある人物に連絡を入れる。
『はろーひよちゃん♪ こちら学園長でーす』
電話の相手は、日和が通う涼月学園の学園長、一色美冬。今さっきまで一緒に居た夏祭の姉だった。
「はろはろー学園長ちゃん♪ こちらことひよちゃんでーす」
『どうしたの? 何か私に連絡かな』
「えーはい、昨日に続いて報告をという感じです」
『うん、昨日はホントありがとね、なっちゃんの面倒を見てくれて』
「いやー私も親友との交流を深めることができてよかったっす。ああ、それでさっきですけど、お宅の妹さんを返しましたー、はい事後報告です」
『げほげほ、いつもすまないねぇ』
「いえ、私、迷惑かけてもらった方が興奮するんで」
『うひゃー! へへへ変態さんだー!』
『(ち、ちょっと、どうしたんですか、学園長先生!?)』
よく聞き取れなかったが、電話口から美冬以外の人の声が聞こえてくる。
「あれ、誰かと一緒とかですかー?」
『あ、うん、そうなんだー。今からちょっとした用事で一緒に帰るところなんだよ』
「(今から用事?)」
時計を確認するが、時刻は十時になる数分前といった所。
こんな時間に誰かを連れて自宅で用事ということは……。
「お、男っすか!」
『はぅ? 確かに男の『娘』の待つ家に帰るところだけど……』
――なっ、二股! しかも容認されている!
「……さすがは学園の長。見た目はアレ(子供)ですけど、やっぱり大人なんですね……」
『もちろんっ。何せ学園長ですから。あ、そろそろ家にいつから、他に用事はないかな?』
「はい、大丈夫です! それは頑張ってくださいです!」
『? はーい、がんばりまーす。それじゃ、おやすみー♪』
通話を切った後、日和はケータイをベッドに投げ捨て、寝転がる。
「学園長ちゃん、二人も一気に相手するなんて……」
それは全くの誤解なのだが、もう日和の中では美冬には二人の彼氏(両者容認済み)がいることになっていた。
「……さすがに二人を養うのは……いや、案外いいかも」
頭の中でシュミレーションする日和。
当然、相手は二人ともヒモ男である。




