(4)一色夏祭の困惑
それは一年前のミスコンが終了した後のこと。
ミスコンで優勝を果たした夏祭は、誰よりも先にハルの元へ報告に走った。
『ハル! 聞いてハル! 私ね、今日のミスコンで……』
『……』
『……ハル?』
家の前で立っていたハルは、今までに見たことのない苦痛で、悲痛な、見ていて心痛させられる表情を浮かべていた。
『どうしたの? なんだかすごく酷い顔してるよ?』
『……』
『何かあったの? お願い、言ってみて。私がハルの力になるから』
『……』
何を訊いても返事をする気配がない。
仕方なく夏祭は家の人間を、秋月を呼び出そうとした。
『秋姉! ねえ秋姉! ハルが大変なの! いるなら早く出てきてよ!』
しかし、大声で呼んでも誰も出てくる気配はない。
何かがおかしかった。
母親が亡くなってから引きこもり気味だった秋月が家にいない。
どこかにでも出ているのか?
でも、こんな状況のハルを置いて?
それは違う気がする。秋月がハルを見捨てるはずがない。
なら可能性は限られる。ハルに気付かず家を出ているのか、それとも――
『……いった』
秋月が家にいないことが、ハルに影響しているか。
『ハル……?』
『……あ……づき、が……でて……いった……いえを……すてた……』
――秋月が出て行った。家を捨てた。
『……そんな、うそ……秋姉が……』
あの日、ハルにお願いを叶えてもらえると浮き足立っていた夏祭だったが、もはやそんなことが言える状況ではなかった。
あれからもう一年。今年もミスコンの季節が訪れた。
当日。夏祭はイベントを見に行かず朝から屋上で独り、呆然と空を眺めていた。
自分には見守る権利もないと、夏祭はハルの応援に出向く勇気が無かった。
一体何時間そうしていただろうか。
気がつけば空には夕焼けが掛かっており、ミスコンは既に終了している時刻だった。
「……はぁ。ほんと、ばかだな……私」
「ほーんと、なつりーはバカだねー」
「……ことひよ」
背後から掛けられた声に振り向くと、薄赤色に染めた髪が夕焼けで真っ赤になった日和が突っ立っていた。
「もーどこにもいないんだからこのやろー。どれだけなつりーは卑屈だっつーの」
「……別に、卑屈になんて」
「どうせ『私には彼を応援する権利なんてないのよんっ』とか思ってるんしょ? だからバカだねーって言ってあげたのよ」
バカなのは認めるが、そのモノマネはすごくおバカキャラに見えるよ。
「いやー、それにしても今年のミスコンはめちゃ大波乱だったんよ」
「……そう」
ということは、優勝したのだろう、彼は。
日和の様子を見ればすぐに分かった。
「やぁーんっ! なによあの子! めちゃ美少女だったんですけど! ハルにゃんいいわーすごくいい! 今度私にも紹介してよー、御裾分けしてよんっ」
「……」
嫌だ、と即答してやってもよかったが、夏祭にはもうハルとの繋がりが無くなってしまったのだから、そもそも紹介してあげることすらできなかった。
ハルは予定通り《ミス涼月》になれた。明日には秋月を迎えに行くだろう。
夏祭がこれまで続けてきた秋月の世話も、今日で終わりを迎えたのだ。
「ちぇ、なつりー反応鈍いぞー。つまんねー」
「……はぁ」
「まーた溜息かい、この子は」
親友の機嫌を損ねてしまっていたが、今日一日はどうも他人の事を気に掛ける余裕もなかった。
ずっと黙っていたせいか、日和はつまらなさそうにして屋上を立ち去って行った。
「(……ごめんね、ことひよ)」
今度ジュースでもおごってあげるから、そう思いながら日和が立ち去ってからさらに十分近く空を眺めていた。
…………。
「……帰ろう」
ハルは学園長室で美冬に会っているはず。今なら鉢合わせをする心配もなかったので、鞄を持って階段の方へ振り返った時だった。
「こんばんは、《ミス涼月》様」
「――っ!?」
日和も立ち去って、ここには自分一人だと思っていたのに。
階段付近には見知らぬ男子生徒が一人、まるで夏祭に気付かれないように今まで気配を消して立っていた。
「失礼、驚かすつもりはなかったのですが……先輩の邪魔をしてしまうことに気が引けたもので」
悪びれたように謝罪する男だが、その顔はどこか楽しそうにも見えた。
男の第一印象は、なんて胡散臭そうな男だろうと夏祭は感じた。
男は夏祭に対し「先輩」と言ったが、年上の《ミス涼月》を前にこうも堂々としていられる生徒はそうはいない。
いや、この男の場合は堂々というよりも、『《ミス涼月》である夏祭のことを既に調べ尽くしている』ような、言い知れぬ余裕を男からは感じた。
底が知れぬ一年を前に、夏祭の鼓動は若干加速する。
背筋には冷たい汗が流れていた。
「……屋上は立ち入り禁止のはずよ」
「ええ、もちろん存じていますとも。『原則』立ち入りが禁止されていることも」
原則――つまり、絶対に立ち入りが禁止されているわけではない。屋上は過去のミスコン入賞者や、入賞者の連れ添いであれば立ち入りが許可されていた。
「なら早く立ち去りなさい。それとも誰か連れ添いがいるの? 見た所、君は一人のようだけど」
「ミスの言う通り、一人ですよ。ふふ」
何故か男は軽く笑う。
バカにするような笑いではない。それは何か面白くて零れ出た感じの笑いだった。
「私に何か用なの?」
「おや、どうしてそう思われますか?」
「白々しい。ここには私しかいないでしょう」
夏祭は少し男が怖くなった。
早くこの場から立ち去ってしまいたかったが、生憎、唯一の出入り口である階段は男の後ろにある。
――初めから夏祭は退路を断たれているのだ。
「(この男……)」
言葉は紳士的、上級生を敬っているように聞こえるが、内面は相手を見上げも見下ろしもしていなければ、同じ目線で話をしているのでもない。
この男は現在ではないどこか、もっと先の明日を読んで話をしているかのように夏祭は感じた。
「おめでとうございます」
「はい?」
「ですから、祝福をしているのですよ」
「……祝福? いったい何の……」
「今日はあなた方が待ち望んだ宿願が叶った記念すべき日ではないですか」
「――! どうしてそのことを……君は一体」
何故、この男はハルたちに関することを知っている?
ハルの知り合いか?
ハルは涼月学園に入学してからは誰とも関わらないようにしていたはずだ。
この男の目的は一体……。
夏祭が警戒して男を睨んでいた時。
「それでは、これにて失礼を」
そう言って男は踵を返した。
「え、ちょ、ちょっと! ……それだけ?」
それだけを言うために、わざわざ祝福の言葉を贈るためだけに来たのか?
思考が解読不明な男の行動に、思わず警戒が緩んでしまう。
「おっと、そうでした。忘れていましたよ、大事なことをお伝えすることを」
わざとらしく男は言う。
夏祭の思った通り、男には祝福以外に本来の目的があって夏祭の前に現れたのだ。
「なに?」
夏祭は警戒心をさらに高めて、男の言葉に集中する。
「学園長の思惑通り、佐倉ハルは佐倉秋月を連れ帰ることができるでしょう」
「(――そこまで知って!?)」
男は、美冬がハルにミスコンを進めたことも、ハルが秋月を連れ戻すためにミスコンに出場したことも。――男は佐倉ハルに関する何もかもを知っていた。
夏祭は直感した。男の狙いは自分ではなく、ハルの方にあることを。
ハルに危害を加えるのであれば、それが誰であれ夏祭は許さなかった。
ところが、男が口にしたことは夏祭の警戒したものとは大きく反したものだった。
「だが、このままでは佐倉ハルは――必ずまた『孤独』になる」
「……え」
意味が分からなかった。
何故、そんなことを言うのか。何故、男がそれを警告するのか。
男が立ち去った後も、夏祭は呆然と言葉の意味を考えさせられる。
「ハルが孤独……? なんで……ハルはまた秋姉と一緒に、家族と一緒に暮らせるようになるのに……孤独になんて……なるはず……」
ハルは独りぼっちが怖くて秋月を取り戻したかったのではなかったのか?
家族がいない孤独に耐えられなくて、自分を変えてまでミスコンに出場したのではなかったのか?
秋月を取り戻した後も、ハルの近くには美冬だっている。彼はもう孤独ではなくなるはずなのに……。
どれだけ考えても、夏祭には男の言った『孤独』の意味が分からなかった。




