(3)一色夏祭の不安
それはまだ二人が付き合って間もない頃の会話。
『ハルの髪って綺麗だよね。白髪、羨ましいな』
それはハルの日本人離れした特徴の一つ。
子供の頃はそれが周りとは違う特別なものとは思わなかった。だが日本人の殆どが黒髪であることに気付いてからは、彼は違う世界に行ってしまうのではといつも不安だった。
昔はその目立ちすぎる髪や、女の子に見えてしまう容姿のせいでからかわれることがあったが、男として魅力的に成長したハルは多くの人に好かれる人気者となっていた。
ハルの方から好きだと告白して来なければ、夏祭はいつまでもその不安を拭うことが出来なかっただろう。
恋人同士となった今も少なからずの不安はあるものの、それは嫉妬であって決して以前のようなハルを遠くに感じてしまうことはなかった。
『そうか? 俺は普通に日本人っぽく黒髪でもよかったよ』
『まるでロシア人みたいだよね』
『みたい、じゃなくて四分の一はロシア人な』
お祖母ちゃんの遺伝なんでしょ?
何度も聞かされたハルの髪自慢。
ハルは何故か、一度も会ったことのない祖母からの贈り物を大層気に入っているのだ。
昔はそれが原因で虐めもあったはずなのに、それでも自分に『特別』をくれた祖母にハルは感謝していた。
『私もおばあちゃんになったらハルみたくなれるかな?』
『いや、誰でも年を取ると白髪になると思うぞ』
んー、それまで何十年掛かるのかな?
なんてことを真剣に考えてみたりもする。
『行きつく先は皆同じってことかぁ』
『いいじゃん、黒髪』
ハルは夏祭の髪を撫でながら言う。
『そう? 最近は染める友達が多くて、私も少しだけ染めてみようかなーって思ったり』
『別に彼女の髪のことでとやかく言うつもりはないけど』
『黒髪美少女がお好みかい?』
『俺の好みは目の前にいる』
この男はまた性懲りもなく真顔で言ってくる。
『ぅ、こ、ここは、自分で美少女って言うなよってツッコみを入れるのが相場だぞ? そ、そんなキザなこと言われると、は、恥ずぃ……』
『ま、髪は長い方が好みかもな』
『結局好みがあるじゃん!』
ハルはあはは、と笑い恍ける。
あの時はちょっぴり怒ってしまったが、いつも笑って傍にいてくれるハルが今はとても愛おしくて、ハルの傍に居られない今はとても切なかった。
「……はぁ」
ポツリと嘆息する夏祭。
ミスコンがすぐそこまで迫っている為か、最近の夏祭は暇さえあれば昔の事を思い出していた。
「(……結局ハルは、黒髪の方が好みなのかな?)」
何故もっと深く追及しなかったのか。今では聞き出すどころか、話しかけることもできないのに。
「(……失敗だったかな)」
自身の髪の毛を眺めながら、自分の取った行動に思い苦しむ。
あの時ハルが撫でてくれた黒髪は、今は金髪に変わっていた。
もしハルの好みが黒髪だったら自分は絶対に秋月に勝てない。条件が一緒ならばハルは秋月を選ぶはず。そう思った夏祭は思い切って髪を金色に染めてみた。
だけど生粋の金髪である美冬ほど綺麗にはならなかった。
「(……冬姉が恋愛対象に入ったりなんてしないよね、まさか……)」
美冬の方はハルのことはもちろん好きではあるが、あれはきっと『弟が好き』の好きなはずだ。
「(……大丈夫……きっと、大丈夫……だよね?)」
不安は尽きなかったが、今は他にも悩みがある。
髪を染めた。秋月に負けたくなくて、ハルに振り向いてもらいたくて。
だが髪を染めてしまったことによって、夏祭は帰ってハルの前に姿を晒すことができなくなっていた。
「ああああんっ、がっかりされたらどうしよう? 失望されたら? 染めない方が良かったって言われたら!? ……そしたら私、生きていけないよ……どうして後先考えずバカなことをしてしまったのだろう……きっと嫌われる、もう興味を持ってもらえなくなる、もう二度と会ってもらえなくなる……行動する前の自分に会って頭を叩いてやりたい。青いたぬきさん、タイムマシーンを貸してください!」
「チャカラチャッチャラ~ン♪ タイムマシーン♪」
「嘘っ、ほんとに来ちゃったの!?」
驚いた夏祭が声の方へ振り向くと、
「ぼく、ひよざえもん~」
「…………なにやってるの、ことひよ?」
「にはは~♪ なつりーだけには言われたくないけどなー」
そこに立っていたのは、夏祭の一番の親友。
セミロングの髪を薄赤に染め上げ、銀色のメッシュを数か所に入れたかなり独特な髪型をした涼月学園の二年生。昨年度の《ミス涼月コンテスト》で四位に入賞した、琴緑日和こと、通称ことひよだった。
ちなみに、彼女は全学年合わせて最もおっぱいが大きいことで知られている。
髪型こそ人を寄せ付けない特異なものではあるものの、やはりおっぱいが大きいと言うことは人気にも影響するようである。――主にM気のある男女に絶大な人気を誇る。
「てゆ~か、さっきから思ってること口に出てたよん」
「え、うそ?」
「『あんっ、愛しの彼に嫌われたらどうしよん~っ。そしたら私……一人でおトイレいけなくなるよぅ!』」
「至極言ってることは出鱈目じゃない! しかもなんでそんなにエッチな声で言うのよ!」
「いやー、またなつりーが青春してるなーって思ったら、つい弄りたくなっちゃって」
「全く……一体なんの用よ?」
「んー? お昼だから一緒にたべよーにゃん♪ って誘いなんだよん」
時間を見てみると、少し前から昼休みに入っていた。
「ああ、もうこんな時間なんだ」
「もしかして~、愛しのダーリンをオカズにお楽しみ中でしたか? にはは♪」
「ことひよは下品っていうか、発想がすごく残念よね」
「お前の前だけだぜ、本当の俺を晒しているのは……」
「できれば私の前でも晒さないでほしい」
「屋上で独り黄昏てるなつりーには、テンション上げていかないと声掛けにくいのよぅ」
黄昏てなんか……いたかも。それもここ最近ずっと。
「お昼、食べるかい?」
「……うん」
否定できないことが、少し悔しかった。
「なつりーはまぁたコンビニ弁当ですかい」
「そう言うことひよはいつもお弁当ね。自分で作ってるんだっけ?」
「い~えす! 一人暮らしは無駄遣いができないのよ」
「実家はどこだっけ?」
「四国ー」
「えっと……それって外国?」
「おい譲ちゃん」
「冗談よ。それにしても遠くなのね、ことひよの実家」
「だから帰るのは夏休みと正月ぐらいかなぁー」
「どうして地元の学校に進学しなかったの?」
「だって向こうは面白くないもの。どう見たって涼月の方が楽しそうっしょ!」
「まあ、確かに変わった所ではあるわね、うちの学園は」
「あと、女子はビジュアル審査で奨学金がいくらか降りるって話だから」
それが本音なのだろう。喋りや行動は適当そうに見えて、しっかりしているところは抜け目ない。
「ことひよって、玉の輿とか狙ってそうよね」
「え~、そんなことないよ~。私尽くすタイプだよ~。彼氏がヒモでも全然おっけーだよ~ん♪」
「ダメよ、ちゃんと相手には仕事させないと」
「なつりーはお母さんみたいなこと言うのね」
秋月の世話をしているからだろうか。
それにしたって、高校二年生でお母さん呼ばわりは勘弁してもらいたかった。
「いやーそれにしても遂に明日ですねー!」
急に日和がテンションを変えて語り始める。
そうだ。明日は涼月学園の一大イベント《ミス涼月コンテスト》が開催される日で、
「……ええ、そうね」
そして、秋月の世話をする最後の日でもあった。
明後日からはもう、ハルの為にしてあげられることは何もなくなるのだ……。
「聞いた話だと、今年度の優勝候補はやっぱりアイドルの仙堂愛乃なんだってさ。他を寄せ付けない圧倒的な人気ってやつ? なつりーのダーリン、大丈夫なの?」
「問題ないわよ」
「にはは~即答だねぇ。なに? 『私は彼を信じてるからんっ』ってやつかな? きゃはー! なつりーってば乙女っ♪」
「うっさいばか」
「ぐはっ! き、今日のなつりーは少々機嫌が悪いようデス……」
「ことひよがばかばっかり言ってるからでしょ」
「おぅ……なつりーから愛を感じるぜぇ」
それは、なんてマゾですか?
「(それにしても……)」
夏祭は改めて先ほどの話を考える。
今年度の圧倒的優勝候補、仙堂愛乃。
ハルは当日まで女装した姿を晒さないということだが、果たして本当にあの仙堂愛乃に敵うのだろうか?
愛乃は歴代の《ミス涼月》の中に入れてもかなりの上位に入ると言われている。
夏祭の代は実力が皆拮抗していた分、上位四名の投票差はかなりの僅差だったが、そこに愛乃が混ざっていれば間違いなく優勝。一昨年前に歴代最多投票数を記録している秋月でさえよくて互角といった感じだ。
昔から涼月学園にいる教師が言うには、史上最高の三つ巴と謳われ、現在のミスコン制度が生まれる切っ掛けとなった当時の戦いにも彼女なら張り合えるかもしれない、とのことらしい。
「(というか、史上最高の三つ巴って何よ……)」
そんな生まれるより前の事を話されても、どう返せばいいのか分からない。
まあ、それだけみんなの中で愛乃の優勝が絶対なものだということは分かる。
本来なら夏祭も、愛乃の優勝は揺らぐはずがないと思っていた。
日和の言ったように確かにハルのことは信じている。が勝算が極めて少ないだろう。現実を見れば、アイドルでもモデルでもなく、ましては女でもないハルが勝とうなど論外と言えるだろう。なのに――
『勝つよ。ハルちゃんは、絶対に』
あの美冬が、断言したのだ。
ハルが愛乃に勝って、今年度の〝ミス涼月〟になるのだと。
果たしてハルにミスコンを進めた張本人が、何の勝算も無くハルをステージにあげようとするだろうか?
「(冬姉のあんな真剣な顔、初めて見た……)」
いつもみんなの明るいお姉ちゃんでいた美冬が、断言する瞬間だけは今まで誰にも見せなかった素の一部分を隠すことができなかった。
美冬は感じていた。自分が全力でハルをサポートしても、元が男であるから早期決戦で挑み、短い時間の中で愛乃を超える印象を与えなければいけない。それは、アイドルとして皆の中に深く刻まれている愛乃の存在を超える必要があるという事。
かたや、年月を掛けて今の地位を築き上げたアイドル。
かたや、突如表舞台に現れた誰も知らない無名の一般人。
評価を下すのは同じ学園の生徒達。
そして《ミス涼月学園コンテスト》は、言うなれば人気投票だ。元々人気が無い状態のハルは、出場者の中でも最も不利なスタートラインに立たされている。
そんなハルが愛乃に勝利するには、文字通り『圧倒的』な勝利を収める必要がある。それも一昨年前に彼の姉が成し遂げた、歴代最高投票数に迫る勝利を――。
「(……大丈夫よ。秋姉も私も優勝できたんだもん。ハルだって勝てるはず。それで、みんな揃って《ミス涼月》なるんだ。そしたら……)」
その後は、ミスコンが終わった後は……自分はあの二人の傍に居られない……。
全てが上手くいったとしても、『四季』がまた一つになることはないのだ。他の誰でもない、自分自身のせいで。
いくら後悔しても足りなかった。
苦しんでいたハルを余計に苦しめた、自分勝手だった一年前の自分を。




