(1)一色夏祭の早朝
――これは一年前の、九月二十九日の夢。
『ミスコン?』
白髪の少年――そう、まだこのころは『少年』だった佐倉ハルが、頭に疑問符を浮かべながら聞き返す。
『そ。明日学園でミスコンが開催されるんだけど、これがかなり本格的でね。うちの学園ってタレントとかモデルなんかやってる子が多いから、ミスコン見たさに入学する生徒もいるくらいなの』
会話の相手は一色夏祭。秋月とお揃いで伸ばしている長く美しい黒髪が特徴的。優しい目をした、明るくお淑やかな涼月学園一年生である。
この年の《ミス涼月学園コンテスト》の出場者の一人で、昨年の《ミス涼月》には多少の引けは取るも、持ち前の明るさから多くの人望が集まりさらにはあの学園長の妹ということで知名度も学園トップクラスだ。
当然、夏祭は優勝候補の一人に上がっていた。
『役者が揃いに揃ってるってわけか』
なるほど、とハルは感心を示すが正直アイドルやモデルに興味はなかった。
『でね、私もそれに出場するの』
『水着審査とかあるの?』
反射的にそう返すハルに、
『もうっ、ハルはまたそんなエッチなこと言って。すけべ』
夏祭は若干のショックを受ける。
この時のハルは年頃の男の子らしい欲望を冗談で言うこともあった。
『別に彼女以外の身体に興味は無いよ』
あくまで冗談で言うのであって、女の子を前にしてバカ正直に言うほど節操のない男子ではない。
『そ、そう? えへへ……』
ストレートな言葉に夏祭の頬は緩む。実に幸せそうな笑みだ。
『ミスコン、見に行きたいな』
『残念! 学園内で行われるイベントなので部外者は生では見ることはできません。後日発売される写真をご購入してください』
『ホント残念。はぁ、俺もあと一日早く生まれてりゃな。そしたら一緒のクラスで授業受けたりできたかもしれないのに』
ハルの誕生日は四月二日。一日早く生まれていれば夏祭と同学年だったのだ。
『ふふ。お姉さんは、一段先に階段を登らせてもらうわね』
夏祭は自慢そうに大人ぶる。
『ってことは、一段登った先には彼女が《ミス涼月》となって俺を待ち構えてるわけだな』
『むぅ……ハルはときどき意地悪だよね』
ジトーと見つめる夏祭に、ハルは、ははっと笑って、
『自分の彼女が世界で一番可愛いと思うのは、当然のことだろ?』
恥ずかしげもなくそう口にできるのだから、夏祭は嬉しい反面かなり照れ臭かった。
『ぅぅ、それじゃミスになれなかった時、なんて顔向けすればいいのよ……』
『罰ゲーム?』
『どんな?』
『…………』
『……顔がやらしぃ』
ハルは女の子を前にしてバカ正直に己の欲望を口にするような節操のない男子ではないが、口に出さないだけで頭の中ではちゃんと男子らしい妄想はしている。
『彼女にやらしい格好をさせたいと思うことは、当然のことだろ?』
だが相手が夏祭であった場合にはこれに当てはまらない。夏祭に対しては平然と、ぼかす程度には正直に己の欲望を口にするのだ。
『いや、それはどうかと……』
あまりのハルのポーカーフェイスぶりに、夏祭も反応に困る。
『分かったよ。なら罰ゲームは無し。その代り、優勝できたら何でも言う事聞くよ』
――ハルに何でもお願いできる。
それは夏祭にとって最高のご褒美だった。
『何でも?』
『おう、男に二言はねえ』
そこで夏祭は考える。今、ハルにしてもらいたいことを。
普段は恥ずかしくてお願いできなかった、夏祭の小さなお願い事を……。
『じゃあ……じゃあさ! 私がミスコンで優勝したら』
そこで夏祭の夢は覚めた――。
「(……はぁ。またハルの夢、見ちゃった……)」
それは恋人から幼馴染へと戻る以前のやり取り。
ハルと夏祭がまだ付き合っていた頃の会話だった。
眠い目でケータイを取り、時刻を確認する。
五時三十分。外は当然真っ暗で、まだ誰もが寝ている時間だ。
まだ寝ていてもおかしくはない時間帯だったが、夏祭は布団から起き上がる。
さっそくパジャマを脱いで、涼月学園の女子制服に着替え、顔を洗いに自室を出る。
「……ぬゅ~、あ、なっちゃん……おはよ~……」
部屋を出て早々、ふらふらになった姉とエンカウント。
「冬姉……今帰ってきたの?」
「んー……睡眠を取りに戻ってきたところ……おやす~みぃ……」
美冬はそう言ってトボトボと覚束ない足取りで自分の部屋へと引っ込んでいった。
一、二週間に一度、美冬は学園に泊まり込みで仕事をすることがある。泊まり込むと言っても、学園でそのまま寝てしまうことはなく、必ず今日のように自宅へ戻って来て睡眠を取るようにしていた。
けれど睡眠を取ると言っても実質は二時間程度しか休めていないので、夏祭が心配して学園で休むよう勧めてみても、美冬は決まった返しをして断るのだ。
――「あの子はもっと頑張っているから」と。
そう言われてしまっては夏祭には何も言い返せないのだ。
自分は彼の為に何ができている?
何もできてはいないではないか。
それどころか側にさえ居てやれていない。
いま『春』を支えてあげられているのは『冬』だけなのだ。
姉を羨ましく思う。
『夏』と『冬』。『春』と『秋』。
二つの家で生まれ育った姉妹と姉弟は、生まれた時から常に一緒。
皆のお姉ちゃんの『冬』。引っ込み思案の『秋』。照れやな『夏』。マイペースな『春』。
彼らは四人で一つの妹弟。四人揃っての四季。
春夏秋冬。ただ一つの季節も掛けては四季ではなくなる。
……なのに、なのに今は『秋』がいなかった。
『春』は変わることで『秋』を護ろうとしている。
『冬』は誰よりも側で『春』を手助けしている。
では『夏』は?
自分は『四季』を元通りしようとしているか?
『夏』は『春』の為に何かができているのか?
一年前の自分を思い出すと、何故あんなことを言ってしまったのか。
分かっている。『夏』は『四季』よりも『春』を選ぼうとしたのだ。
あの日の夏祭は、ただそれで構わないと思っていた。間違ってなどいないと信じて疑わなかった。
だが結果的に彼女はあの日の行動を後悔していた。
知っていたはずだ。――彼は何よりも孤独になることを恐れていることを。
なぜ気付かなかったのだろう。――孤独から救えるのは一人分の愛ではなく、家族の繋がりだということに。
どうして忘れていたのだろうか。――ハルが家族を見限るはずがないことを。
朝食用に食パンを一斤口に銜え、六時を少し過ぎた頃には家を出て学園へと向かった。
九月二十九日。
この日はちょうど、夢の日から一年が経つ日だった。




