(6)変わってしまった幼馴染(夏)
「そ、それじゃあ、悪いけど秋月をお願いね」
「分かったからアンタはとっととその背中の酔っぱらいを送り届けてきなさい」
「むにゃむにゃ……ごろごろ~……」
「あはは……行ってきます」
あの後、美冬が寝落ちしたことでようやくあの場は収まった。
寝てしまいそうになっていた秋月を愛乃に頼んで一緒にお風呂に入ってもらい、ハルは寝てしまった美冬を背負って一色家へと送り届けることとなった。
「全く、酷い目に遭った……」
美冬にお酒を飲ませた犯人は直ぐに分かった。どうやら愛乃が美冬に頼まれて冷蔵庫から持ち出してきたらしい。つまり犯人は酔っぱらい本人である。
「人騒がせなんだから」と呟きながら、ハルが一色家の玄関前まで着た時、
「なぉ~」
動物の鳴き声が、庭先から聞こえてきた。
「(美春……?)」
そういえば。いつも美冬にくっついているはずのあの白猫が、今日は美冬が帰って来た段階で既に一緒にいなかった。
珍しいと思いながら、美春も一緒に連れて行こうとハルは庭の方へと進んでいく。
「な~」
「……し、鳴くなっ」
「――!?」
ハルは進んでいた足を止める。
庭の方から、美春以外に誰か人がいることに気付いたからだ。
「(……こんな時間に……?)」
家を出る際に見た時計の表示は十一時を三十分過ぎており、このような時間帯に一色家の敷地内にいる者は大きく二つに分けられた。
不法侵入者か、一色の人間か。
家の様子を確認するが、明かりは点いていない。だが庭先に進めば進むほど、そこは弱弱しい光で照らされていることが分かる。懐中電灯、か?
光は一つの線を辿り、佐倉家と一色家を二つに隔てるブロック塀へ大きな円状の照明を映し出していた。
明らかに怪しく感じた。
美冬が不在中は一色家に光が灯ることはなく、誰の目から見ても不在中であることはハッキリと分かる。もし家の一色家の人間であれば、庭先で懐中電灯を持ってウロチョロする必要などない。家の照明を付ければいいのだ。
きっと誰でも、そこにいるものが不法侵入者だと分かる状況で、
「おかえり、夏祭」
ハルは、庭先に潜む人物が一色夏祭であることを正確に見抜いたのだった。
「――!? は、ハル……?」
驚いた彼女は、咄嗟に懐中電灯をハルの方へと向ける。
「っ、眩しっ……」
一瞬でハルの目は眩み、視界を失ってしまう。
それを見た夏祭は慌てて光の向ける位置を下にずらした。
「えっと……こっちからは暗くて見えないけど、夏祭、だよね?」
「……」
答えない。だが、
「な~ぁ」
代弁するかのように鳴き声を上げる美春。
「ちょ、みぃーは静かにしてて!」
「あ、やっぱりその声は夏祭か」
そのおかげでハルは声だけで夏祭だと認識できた。
「……」
暗くて顔は見えないが、ムッとした表情となっていることは分かった。
「……なに?」
久しぶりに会った彼女は、実に素っ気無い態度でハルに問いかける。
「いや、何って……夏祭こそどうしてこんな時間に家の明かりも点けないでいるの?」
「……別に、ハルには関係ない」
「えっと……怒ってる?」
「……怒ってない」
怒っていた。
始めは戸惑いの色を見せていた夏祭だが、今の彼女はまるで喧嘩中の相手を前にしているように気まずそうにしている。
実際、二人は喧嘩別れをしたようなものだったし、ハルはいつでも夏祭と仲直りをしたいと気持ちは持ってはいたが、夏祭は意図的にハルを避けるようにずっとハルの前には現れようとはしなかった。家が隣同士だと言うのに。
「……人の家に勝手に入って来ないで」
「(ありゃりゃ、これは徹底して嫌われてるなぁ……)」
夏祭のハルに対する避け方は徹底していた。朝はハルと鉢合わせないように二時間前にはすでに家を出て、帰って来るのも深夜遅く。帰って来ても家の照明を点けず居留守と装ったりもしていたが、彼女がそうしてハルを避けていることにハルは以前から知っていた。
ハルも無理に追い回したりはしなかった。偶然でも彼女と話をする機会が訪れたら、その時に少しでも何か話ができたなら、ハルはそれだけでも良かったのだ。
「今帰ってきたの? ご飯食べた? まだならうちで食べていかな――」
「行かない」
「強情だね」
「……なにが?」
「いや、こっちの話。それより、こっちに来て顔を見せてくれないかな? 暗くてこっちからは夏祭の顔が良く見えないんだ」
もう一年近く夏祭を見ていなかった。
彼女がどれだけ成長したか、どれだけ大人になったのか、自分がいない内に彼女はどれだけ変わってしまったのか、ハルは一目でいいから確認しておきたかった。
あの黒髪はどれほど伸びたのか、胸はちゃんと成長しているのか、自分を前にして彼女はどんな表情をしているのか、見たくて見たくて堪らなかった。
「……ざけんな、ばか」
しかし、キッパリと断られてしまう。
「なんだか口が悪くなってない?」
ハルの知っている一色夏祭という少女は、もう少し誰に対しても親しみを持って接していたはずだったが、それがたとえ喧嘩をしている最中の相手でも、いや以前までの彼女なら仲直りをするために自ら行動していた。
もしかしたら……と、ハルは予感する。
もしかしたらこの一年で一番最も変わってしまったのは、性別を偽っている自分ではなく、性格が歪んでしまった夏祭の方ではないのかと……。
「……むにゃ~」
その時、ハルの背中で美冬が声を上げる。
目が覚めたのかと思ったが、どうやらただの寝言だった。
だがその声で夏祭は、ハルが美冬を背負っていることに気付いたようで。
「冬姉?」
「あ、えっと、美冬さんお酒飲んじゃって、酔っぱらったまま寝ちゃったんだ」
「……はぁ」
夏祭は一つ溜息を吐くと、「しょうがないなぁ、冬姉は」と言いながら、美春を頭の上に乗せてハルの方へと近づいてくる。
「貸して」
「いや、私が運んでいくよ」
「……貸せ」
「は、はい……」
有無を言わさぬ覇気が込められていた。
ハルが速やかに美冬を夏祭の背中に預けると、
「……っしょっと」
夏祭はそのまま無言で家の中へと入って行ってしまった。
結局、ハルは夏祭に顔を見せてもらうことができなかった。
「……はぁ」
一気に肩を落とすハル。
昔はあんな子じゃ……いや、ハルも昔は今のような女装する人間では無かったのだから他人の子とは言えない。
それでも、幼馴染に対してあそこまで拒絶を見せられてしまっては、さすがにハルの心も折れそうになった。特に、佐倉ハルにとって一色夏祭という少女は、特別な存在だったのだから。
「(……もう、笑いかけてはくれないのかな……)」
人として好き、
家族として好きで、
異性として好きだった彼女は、
もはや思い出だけの存在なのかも知れない。




