(3)陰口(悪口)
ハルが学園長室から屋上まで行き来する姿を複数の生徒達が目撃していたが、その内の一人に、ハルのクラスメイトが紛れていた。
「聞いて聞いてよ!」
自分のクラスに戻った女子生徒は、友人の元へと駆け寄る。
「何よ、そんなに慌てて」
「見たのよ!」
「見たって、何を?」
「佐倉ハルをよ!」
女子生徒の声は教室中に響き渡る。昼休みも残り僅かとなっていたため、教室内にはほとんどの生徒が戻っている。
今、学園で最も話題となっている今年度の《ミス涼月》の名前が挙がったことで、生徒達は密かに女子生徒二人の会話に耳を傾けた。
「うっそ! どこでどこで?」
「廊下を走っているところを偶然見かけたの!」
「へー、学園内にいたんだ。登校する姿は見た事あったけど、学園内では全く姿見かけないからねえ。《ミス涼月》ってみんなそうなのかしら?」
「それってどういう意味?」
「先輩に聞いた話だけど、一昨年のミスも学園内で見た人はいないんだって」
「うそー! あ、でも特権があるから学園に来る必要ないんだもんね。去年のミスは?」
「えーっと、去年の人は確か……あ。そうそう、この人もまたすごいのよ」
「歴代のミスは全員すごいでしょ」
「そうじゃなくて。去年のミスは、ミスコンが終わってからいきなりイメチェンしちゃったんだよ」
「イメチェン?」
「確かミスコン前はお淑やかな感じだったらしいんだけど、優勝して数日したらいきなり髪を金に染めてきて、それで態度もガラリと悪くなったんだってさ」
「うわ、それ変わりすぎ! さすがにうちの学園も金髪はダメでしょ。あ、ミスだからいいんだ」
「そんな事より佐倉ハルの話よ。写真とか撮ってないの?」
「それがね、撮ろうとしたら急に男がぶつかって来て、シャッターチャンスのがしちゃったの」
「うわー、マジ使えないわ」
「ひど!」
女子生徒二人は周りの目を気にすることなく好き勝手話をする。
二人はまるでハルを珍獣か何かと勘違いしているのか、その後も好き勝手話を続けた。
ミスコンから数日。ハルについての情報は既に学内中へと広まっており、今年の《ミス涼月》が男子だったという史上かつてない問題は、生徒達の大きな関心となっていた。
「……」
二人の女生徒の話を後ろの席で静聴する人物。
泣きホクロが特徴の、先日靴箱の前でハルに声を掛けられ逃げ出した少女だ。
彼女は委員長という立場から本来は陰口を言う二人を止めなければいけないはずなのだが、彼女はただ黙って女子生徒二人の会話に耳を傾ける。
誰にでも気軽に話しかける委員長は、多くの生徒からハルについての話を耳にしている。
その多くの者はハルに対しオカマや変態、女装趣味といった悪口ばかり。では逆に、女装前の佐倉ハルについて印象を尋ねてみると、不思議と皆が口を揃ってこう言い返す。
『覚えていない』
『知らない』
『ミスコンで初めて知った』
誰の記憶にも残っていないのだ。男子制服を着ていた頃の佐倉ハルの姿が。
自分以外、誰もハルを覚えていない、知ってすらいなかった。確かにハルは誰とも接しようとしなかった。だが、彼はそこまで印象の残らない男だっただろうか?
浮かんだのは、ハルが意図的に周囲の印象に残らないよう行動していたのではないかという考え……。
「(分からないわ……)」
考えても考えても、真実が見えてこない。
「(佐倉君、あなたはなにを思って……)」
「はぁ、あのオカマのせいで愛乃ちゃんが優勝できないなんてショックぅ!」
「まったくね。あれは涼月の恥ね」
「――二人とも!」
委員長は思わず声を張り上げて立ち上がっていた。
驚いて振り返る二人。まさかこのタイミングで注意されるとは思わなかったのだろう。
「……もうすぐチャイムが鳴りますから、自分の席に戻ってください」
「え、あ……うん……わかった」
「も、もう、脅かさないでよ委員長。ビックリしたじゃん」
二人は溜息を吐きながら、言われた通り自らの席へと戻っていった。
けれどそんな二人よりも驚いていたのは、他でもない、大声を上げてしまった委員長自身だった。
「(……いけない、感情的になっちゃった)」
自らの行いに少しばかり反省しながら腰を下ろす。
適当な理由が見つかったものの、自分らしくないことをしてしまったなと思う。
皆は知らない佐倉ハルを、唯一知っている委員長。
彼女は今、現実とある想いに挟まれていた。




