表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

DESTINY

夢の続きを ~DESTINY外伝8~

作者: 把 多摩子

★各イラストの著作権は、作者様に帰属します。

★無断転載・トレス・自作発言・加工・保存等、「見る」以外の行為は禁止させていただきます。



2014年2月24日、せりな様より戴いたサーラのイラストを追加しました。

ありがとうございました(^^)♪


【追記】

2014年3月18日

風波トモ様よりアンリのイラストを戴いたので、挿入いたしました(^^)

ありがとうございました!


≪更に追記≫

2016年7月7日

自分で描いたイラスト挿入しました。


2021年3月25日

さらにイラストを追加しました。


2021年12月5日

さらにイラストを追加しました。


【さらに追記】

三久間 優偉様から頂いたアンリのイラストを挿入しました。


【さらに追記】

2022.06.18 七夜くろ様からいただいたサーラのイラストを挿入しました。

挿絵(By みてみん)

 雨の湿った音が響いている。

 方角が分からないほど、周囲は雨の幕に閉ざされた。分厚い雲に覆われた空では、当分止みそうにない。


「困りました」


 数刻前から雨宿りが出来る岩陰や洞窟を探していたが、発見できずに嘆息する。男は顔に付着する雨を布で拭い、怠い足に力を入れた。

 雨を含み重くなった身体に鞭を入れて歩きまわると、遠くでぼんやりと浮かぶ何かに気づいた。霞む瞳を幾度も瞬きし、希望を持って近づく。

 それは、城と呼ぶにはあまりに貧相な建物だった。しかし、街と城を囲む壁は不釣合いなほど強固なもの。

 一体、何から護ろうとしているのだろうと瞳を細める。

 ここは、名も知らぬ人間の小国。

 人間たちが領土拡大のため度々戦を起こすことは知っていたが、こんな辺境が戦地と化すとは思えない。首都からは相当離れており、肥沃な大地が広がっているわけでもない。切り立った山脈に囲まれた場所のはずだと、周辺の地図を脳裏に描く。

 しかし、逡巡している間にも容赦なく雨に打たれている。手足の先は氷水に浸したように感覚がないので、一か八かの賭けに出た。

 突然の強雨に耐え切れず、寒さで震える身体を休めたい。その一心で門を見上げ、切実な思いで扉を叩く。

 コンコンコン。

 雨にかき消されそうなほど頼りない音が響き、暫くして人間が顔を出す。歓迎されていないことが明らかな、苦り切った顔をしていた。

 夜更けなので当然の対応だと、笑みを浮かべて頭を下げる。

挿絵(By みてみん)

「旅人か」

「はい。怪しい者ではございません、この雨を凌ぐ場所がなく途方に暮れておりました。どうか一時、入れて頂けませんか」


 告げると、人間は唇を曲げてこちらの様子を窺っている。


「……武器は」

「護身用の短剣のみでございます」

「よくそれで、ここまで辿り着けたな」


 門番に訝られ、短剣を見せながらにこやかに微笑む。


「私は魔術師ですので」

「なるほど。よし、入れ。しかし、少しでも妙な素振りを見せればすぐに捕らえる」

「承知しました。あの、宿はどちらにございますか?」


 安堵の溜息を漏らし問うと、門番は顔を大きく顰めて首を横に振る。


「ない。以前は一軒あったが、店主が高齢で店を畳んだ」

「なんと。……ですが、雨が凌げる場所であれば構いません。何処かございませんか?」

「うーん……。来訪者が少ないからな、商売にならんので誰もやりたがらない。稀に旅人が訪れた場合、空いている部屋をもつ家が受け入れてきたが」


 門番は言葉を濁した。時間的に、民は眠っているだろう。彼らを起こし、受け入れ可能か訊くなど気が引けるに違いないと思った。

 そして、自分もそんなことは望んでいない。


「では、この門をお借りしてもよいでしょうか。雨は凌げます、壁にもたれて眠りますゆえ」

「いや、そういうわけには……」


 門番も不思議に思ったが、この旅人にはないがしろに出来ない雰囲気がある。身の丈からして男だろうが、中性的な声は柔らかで、音が心地良い。何者か分からぬのに、つい手を差し伸べたくなる。

 困り果てた門番は、見廻り兵が通りかかったので呼び止め、相談した。

 結局、城にほど近い兵士らの雑魚寝場へ案内された。


「すまないな、こんな場所で。せめて、簡単な食事を運ぼう」


 薄汚れた毛布を手渡しながら項垂れる彼らに、首を横に振った。


「とんでもございません、寛大な御心に感謝いたします」


 丁重に礼を告げたサーラは、一息ついて腰を下ろした。すぐに白湯が差し出されたので、息を吹きかけ冷ましながら口にする。身体の芯から冷え切ったので、涙が出るほど嬉しかった。

 啜っていると、何処からか赤子の泣き声がする。

 

「姫様、さぁさぁ。眠りましょうねー。ほぉら、良い子ですねー……」


 必死にあやしているようだが、泣き止まない。


「母君がいらっしゃらないから」


 兵の一人が、そう呟いた。当惑している彼らを見るに、夜泣きは毎日のことなのだろう。赤子は泣く事が仕事だと分かっていても、こちらの睡眠を妨げられ辛いようだ。


「あの。……赤ん坊を見せて戴いても?」


 控え目に立ち上がって近くの兵に声をかけると、彼らは眉を顰めた。


「いや、それは。この国の姫様でいらっしゃるので」


 しかし、そんな声も泣き声で掻き消される。


「赤子をあやすのは得意です。この通り、武器はここに置いていきます、お困りであれば是非」


 見ず知らずの旅人を姫に会わせるなど論外だが、泣き声は酷くなる一方だった。困り果てた女中らは、様々な場所を歩きまわっているらしく、声が近づいてくる。


 布で濡れていたフードとマントを拭い、サーラは静かに微笑む。男でありながら聖母のような笑みに、兵らは息を飲んだ。

 扉の向こうで、赤子が泣いている。

 兵の一人がぎこちなく扉を開き、女中に確認をとった。その間も、手がつけられないぐずり方をして赤子は泣き喚いている。その声たるや、思わず顔を顰める者や耳を塞ぐ者がいるほど。

 サーラは警戒されつつも、扉をくぐることを許された。普通ならば有り得ないが、縋る思いだったのか、それとも必然か。


「こちらへ」


 戸惑う女中から赤子を預かったサーラは、姫の顔を覗き込む。


「美しい姫様ですね。苦土橄欖石(ペリドット)のような瞳だ」


 すると、不思議な事に赤子はピタリと泣き止んだ。笑顔を浮かべ、愉しそうにはしゃぎ始める。垂れていた真紅の髪を掴み、引っ張って遊ぶ。

 周囲から感嘆の溜息がこぼれ、皆はサーラに視線を注いだ。


「どちらさまかな」

「国王陛下!」


 弾かれたように兵が叫ぶと、皆は恭しく平伏した。それを「よいよい」と煙たがり、国王はサーラの腕から姫を受け取りあやし始める。


「旅人かね」


 緊張する一同の中、サーラは恭しく頭を垂れると、風鈴のように涼し気な声で名乗った。

挿絵(By みてみん)

「サーラと申します。突然吹き荒れたこの雨風に、森の大樹の下に避難しておりましたが何分身体が冷たく。見つけた城門を叩いたところ、快く受け入れて下さった門兵様に感謝致しまして。そのまま……ご厚意に甘えております」

「疲れたであろう。何もない城ではあるが、雨が上がるまで存分に滞在せよ」

「有難きお言葉にございます」


 王の言葉に、皆は安堵した。

 この王は、悪く言えば御人好しだと皆知っていた。サーラが敵ではない保証などないのに、警戒心がない。しかし、それは長所でもある。誰にでも同じように接し、威張り散らさない心が広い王だった。

 けれども、温厚な国王とは違い、一人だけサーラを快く思わない者がいた。王の傍らに控えていた兵隊長が訝しげにサーラを見やり、冷たい一言を浴びせる。


「王よ、離れてください。無礼極まりない! フードをとらぬなど、疚しい事がある証拠」


 王が制するのを振り切り、その剣先がサーラを捕らえた。

 確かに、サーラは未だにフードを深く被ったままだ。


「失礼致しました。無暗に驚かせるのは申し訳ないと思い。ですが、怪しい者ではございません」


 深く頭を垂れたサーラは、迷うことなくそのフードを外した。そして、丁重に腰を折る。

 皆は一斉に悲鳴を上げ、逃げ惑った。

 真紅の流れるような髪は、美しい。紅玉のような瞳も、凛々しい光が宿っている。だが、頭部には人間にはない角が二本生えていた。


「ま、魔族だ!」

「騙したな、下劣な輩め!」


 先程食事を運んでくれた兵士に、槍を突きつけられる。女は悲鳴を上げ、互いに抱き合って恐れ戦いた。

 豹変した彼らの中で、サーラはそれでも頭を垂れたまま静かにしている。

 王は低く呻き皆を制すると、不思議そうにサーラを見つめた。


「ふむ」


 幾度か瞬きを繰り返し、納得したように軽く頷くと歩み寄る。そして、サーラに手を差し伸べた。


「魔族であったか。しかし、敵意はないのであろう? 一つ相談だが、アンリがそなたを大層気に入ったらしい。暫し城に滞在してはくれまいか? 魔族は豊富な知識を持っているときく、家庭教師として娘に教えてくれまいか」


 王の提案に、動揺を隠せない周囲は騒ぎ立てた。人がよいにも程がある。魔族を信頼するなど、流石に愚行としか思えない。血相をかえ、止めに入る。


「王よ、僭越ながら申し上げます! こやつは魔族ですぞ!?」

「承知しておるよ? しかし、彼は……噂に訊く残虐な魔族に思えぬ。人間にも善悪があるように、魔族にもあるのではなかろうか」


 静かに聞いていたサーラの身体が、若干揺れた。


「断固として反対します! そもそも、近郊に魔族を囲っている事実が知れ渡ったら、攻め落とされますよ。魔族と手を結び堕落した暗黒の国家と蔑まれ、攻め入るきっかけを与えてしまいます!」

「はて? 国外で誰かが言わねば、近郊になど漏れぬ。誰が洩らすというのか」

「そ、それは」


 王は引かなかった。口籠る兵隊長を一瞥し、サーラを見つめる。


「真っ直ぐな良い瞳をしておる。初めて魔族を見たが、好青年ではないか。どうだ、アンリの家庭教師に……なってはくれまいか」


 正直、サーラも動揺していた。

 まさか人間にそのような依頼をされるなどとは思っていなかった為、面くらい言葉を失う。無防備な王に、民に同情すら覚えた。

 確かに、サーラには敵意も悪意もない。本当に休息をとりたかっただけで、この地に足を運んだ。


「しかし、ですね……」


 上手く言葉を返せないサーラに、王は笑いながら我が子の頬に口づける。


「赤子をあのように優しく抱きとめられる者に、悪い者はいない。赤子は敏感じゃからな、少しでも悪意があれば泣き喚く」


 娘の泣き声に引き寄せられやって来た王は、一部始終を見ていた。それだけでサーラの人柄を理解し、傍に置こうと決めたのだ。


「し、しかし、王!」

「魔族の彼から剣術も教わればよい、魔法にも長けているように思える。結果的にこの国に良い事がもたらされると思うが、兵隊長殿は違うかね? 兵の質が悪いと嘆いていたではないか」

「高名な戦士や勇者でしたら、喜んで受け入れましょう! ですが、人間ではなく魔族ですぞ!? 愚劣な種族に縋るなど、末代までの恥にございます」


 激昂する兵隊長だが、王はのんびりと答えた。


「……この世の中、最も高潔で大切な事は『隣人を如何に愛せるか』だ。種族が違うからといがみ合うのは、間違っておる。太古の昔、この惑星では他種族が共に暮らしておったという。それが今や、嘆かわしい事に人間同士で争う時代。相手を信用し受け入れるだけで、無意味は争いが避けられるやもしれぬのに。疑心が産む誤解は、もうたくさんじゃよ。いつから人々の心は猜疑心に塗れ、清らかな心を忘れてしまったのか」

「ぐぅ」


 皆の心は、徐々に国王へと傾いた。

 サーラの瞳は、澱んでいない。逆に、誰も口にはしなかったが、兵隊長の瞳が濁っているように見えた。


「サーラとやら。そなた、何が得意かね?」

「は、はぁ。何と唐突に言われましても、物書きや魔法が得意かと。剣術も少々、あとは洗濯、掃除、料理に裁縫など……」


 ぎこちなく語るサーラに、王は満足そうに笑うと「十分だ」と手を握った。優しく瞳を細め、真剣に見つめる。

 温かい王の手に、サーラはほっと安堵の溜息を漏らすと好意的な人間に笑みを返す。


「お役に立てるか分かりませんが、私を信頼してくださった御恩には応えたいと思います」


 はにかみながら告げ、握り返したその手に違和感を覚えた。

 ゾワリ。

 武者震いがして、はっとして王を見つめる。


「貴方様は」


 お人好しで優し過ぎる、ただの王ではない。

 その手は、紛れもない剣士の手。触れて気づいたが、いつでも攻撃できるように殺気を放っている。だが、直前まで相手に気づかれぬよう、押し殺していた。相当な剣の使い手だ。

 周囲の人間は知っているのか。それとも、彼らとて欺いているのか。

 多少剣術を嗜んでいたサーラは、喉の奥で低く唸った。固唾を飲んで見つめれば、彼の瞳の奥には鋭利な光が見え隠れしている。

 王は、サーラの全てを見抜き、愛娘であるアンリ姫を任せた。


「よろしく頼むよ、サーラ」


 豪快に笑った王に感服したサーラは、その秘めたる力量に深々と頭を下げた。

 用事で人間界に来ていたが、魔族と人間では時間の流れが違う。短命な人間に付き合う時間はあると思案した。また、何処かで情報も得ることが出来るやもしれぬと。


「こちらこそ、よろしくお願い致します」

挿絵(By みてみん)

 この夜、一人の魔族が人間の城に住まう事となった。

 流れるような真紅の髪、女と見まごう細い線の男。朱色の瞳は全てを見透かす聡明さを持ち、顔立ちは溜息が出るほどに整っている。

 ただ、頭部の二本の角が人間を怯えさせた。それさえなければ、誰もが羨む美貌の主だったろうに。 

 月が、高い所で冴えた光を放っていた。


 人間の国に、滞在することになった魔族。

 サーラを嫌悪し逃げ出す者も数名いたが、数日もすればその人柄に皆が心を許し、違和感なく城に溶け込んでいった。

 そもそも、角さえ見なければ類稀な好青年である。

 最初は敬遠していた人間だが、溜息が出る美しさに、まず、女たちが興味を持った。遠くから熱いまなざしを送り、人間の男にはない色香に陶酔する。

 気づいたサーラが困惑気味に微笑めば、女たちは黄色い歓声を上げた。


「に、人間の女性というのは大胆ですね」


 彼女らの反応にサーラは苦笑するが、自分に興味を持ってくれたことは素直に嬉しかった。

 逃げ出した料理長の代わりに、責任を感じたサーラが丁寧に食事を作った。特別な素材は使わず、そこらにあるもので深みのある味を産み出す。それが大好評で、弟子入りを志願する者が後を絶たない状態になった。

 繊細な指先が産み出す刺繍は年配の女性に大人気で、皆で習い名産品として売りに出すことになった。老女らは仕事が出来たと大喜びで、こぞって彼の指導を受けた。

 人間の歴史は専門外だが地理は詳しいので、皆が知らぬ世界を教えた。

 野山に出て薬草の見分け方や、動物の獲り方を教える頃には、すっかり人気者になっていた。

 美しい声ゆえに多くの者が歌をせがんだが、残念なことに音痴であったため、そればかりは一度きりで終わった。完璧に見えて、可愛らしい欠点もある。そんな彼に、一層親近感が沸く。

 自負した通り、剣の腕は人並みだった。

 その為、密かに王が剣を教えた。正直なところ、魔術師なので剣は不要だと思ったが、「使えるに越したことはない」と悪戯っぽく言われ、素直に習い始めた。


「最近は魔法剣士なる職業が流行っておるそうじゃよ。どちらにも長所短所があるが、上手く使い分けることが出来れば都合がよいのぉ」

「器用ですね。私は魔法の詠唱で手いっぱいです」

「ふむ、その短剣は単に護身用かね?」

「はい。ただ、これは親友からの餞別です。魔法の詠唱にも役立つと押し付けられまして」

「ふむ。親友殿にもいつか御会いしたいものだ」

「えぇ。通りかかってくれるとよいのですが……。名はオークスと申します、槍の使い手です」

「ほぅ!」


 二人は剣の稽古の合間に茶を啜る。

 おっとりした平和な性格の二人は会話も弾み、よき茶飲み友達となった。

 そうして、身体が弱かった王妃はアンリを産んですぐに亡くなってしまったことをぽつりと王がこぼした。

 王の言葉の節々に悲しみが隠れており、サーラは何も言えず、ただ傍にいた。これまで、このように弱音を吐ける者が近くにいなかったのだろう。信頼されていることを誇らしく思い、そして、王の為に尽くそうと決意した。

 サーラの主君は、別にいる。

 けれども、この人間の王にも同じように忠誠を誓った。 

挿絵(By みてみん)

 王が言った通り、サーラが来た事で国は活気に満ち溢れた。

 それまで、人間にとって魔族は恐怖の象徴だった。しかし、噂を鵜呑みにしてはならぬという教訓が生まれたのはこの頃である。


「ですが、確かに……心苦しいことですが、悪事を働く魔族もおります。全てを信頼せぬように」


 種族の垣根が取り払われようとしていたが、サーラは真面目に忠告した。正直な人間が馬鹿を見る事だけは避けたい。

 やがて、一人娘のアンリは健やかに成長し、サーラと共に皆に愛される美しい姫君となった。

 温厚で民から絶大な信頼を誇る王と、人間に愛を持って接するサーラの二人によって真っ直ぐに育てられた姫は、稀有な輝きを放っている。

 豊かな新緑色の柔らかく艶やかな髪に、温かみのある光を帯びた大きな瞳、軽く頬を桃色に染めて、熟れたさくらんぼの様な唇を持つ。まるで少女たちの夢物語、御伽噺の中の姫のように愛くるしい顔立ちは、見る者全てを魅了してしまうと言っても過言ではなかった。実際、姫に憧れる街娘や、恋焦がれる若者は大勢いた。

 ただ、見た目に反して好奇心旺盛すぎるのが問題だった。


 サーラは、アンリに様々なことを教えた。

 天才とはこの子を指すのだろう、というくらいに物覚えがよく、サーラは常に感嘆した。家庭教師など初めてだったが、この上ない充実感に包まれていた。なんと教えがいのある生徒だろうと、顔を綻ばせる。

 魔法の習得はもちろん、馬術や剣術など身体を動かすことも得意だった。それでも、たまに休息を欲し、気分転換をした。その時は子供らしく、無邪気に遊んでいる。

 とりわけ、アンリは城を出て野原で食事をすることが好きだった。


「サーラ、次は何を教えてくれるの?」


 簡単な食事を終え小さく欠伸をしたアンリは、草の上を転がった。


「こら、はしたないですよ」

「でも、草の上って柔らかくて気持ちがよいもの。大地の鼓動を感じられるから、大好きなの」


 悪びれた様子もなく微笑むアンリに苦笑いし、サーラは一冊の本を取り出した。

 

「初めて見る本!」


 見知らぬ表紙に瞳を輝かせ、アンリは素早く立ち上がると駆け足で戻った。

 太陽の光に向かい伸び伸びと育つ若木のような真っ直ぐさを持つアンリは、勉強も率先して行う。探求心が人一倍強く、能動的で常に新しいものを知りたがる。真面目で、知識を得ることに貪欲。自分が納得するまで、質問を繰り返す。


「今日は地理を勉強しましょう」

「地理に明るいことは、よいことですものね! 愉しみ」


 胸を弾ませサーラの隣に座ったアンリは、人が変わったように真面目な顔つきになる。


「まだ途中ですが、こちらを使いましょう」

「途中? もしかして、この本はサーラが書いているの?」

「えぇ。王に声をかけられるまでは、旅人でしたからね。見聞録のようなものです」


 瞳を輝かせているアンリに自慢げに微笑むと、本に挟んでいた地図を広げる。


「これが、私たちが住まう惑星クレオの地図です」

「クレオ?」


 不思議そうに首を傾げたアンリに、サーラは地面を軽く叩く。


「えぇ。私たちは、宇宙に浮かぶ惑星があるからこそ生存できます。惑星は、球体だと言われていますね」

「はい。海を見つめると、どことなく水平線が弧を描いているように見えます」

「そうです。それが、球体である証拠だと言われています」

「不思議ですよね。こうして見つめる野原は、直線に見えるのに」


 神妙な顔つきになったアンリは、つらつらと羊毛に書き綴る。


「えぇ。さて……夜空を見上げると、星が光っているでしょう? 昼間だと、眩い太陽が見えますね。それらは全て、天体といいます。天体は、宇宙に浮かんでいます」

「天体、宇宙」

「宇宙には、クレオ以外にも多くの惑星が存在するとされています。人々が住まう天体を、惑星と呼びます」

「それはつまり、他の惑星にも私たちと同じように生活する人々がいるということですか?」

「おそらくは」

「おそらく?」

「はい。我らは他惑星の人々を見たことがありません。ずっと以前は、交流があったようですが……。いつからか、途絶えてしまったようですね。惑星ネロ、惑星チュザーレ、そして惑星ハンニバルという名は残されています」

「不思議! とても興味深いです」


 サーラは、幸福感から笑顔を浮かべた。復唱し、懸命に覚えようとするアンリが愛おしい。一心不乱に地図を見つめている彼女を撫で、ある一点を指した。


「アンリがいる場所は、ここです」

「ここ。私は国から出たことがないけれど……外は広いの?」

「えぇ。世界は、驚くほどに広大ですよ」


 地図を指し、説明を始める。


「サーラ。……宇宙の地図はないのですか?」

「そうですねぇ、現存しません。宇宙は未知の領域ですから。そもそも、行くことが出来ません」


 アンリは、眉を顰めた。


「何故宇宙へはいけないの?」

「色々な問題がありますが、そもそも宇宙には空気がありません。私たちが足を踏み入れても、呼吸できずに死んでしまいます」

「えーっと、宇宙でも呼吸が可能なら生きていられるということですか?」

「そうですね、そのような魔法が開発されれば可能でしょう。ただ、そこへ行きつくまでにも問題が山積みですよ」

「宇宙へ行く事は出来ないのに、何故他の惑星と交流可能だったのですか?」

「転送陣、というものがございます。博識かつ魔力の高い者のみが転送陣を描く事が可能です。二つの転送陣を結ぶことによって、その中に入るだけで移動が可能になるという大変便利なものですが、失敗すると命を落とします。転送陣では、宇宙ではなく異空間を移動します。移動、というより瞬時に飛ばされる、とお伝えしたほうが正確でしょうか。ただ、現在はその技能が失われたようですね。何故最初に交流可能だったかも、記録がありません」

「……転送陣は、便利なもの。習得出来たら素晴らしい」


 アンリは真剣な眼差しでペンを走らせる。


「えぇ、便利です。しかし同時に危険性も高いので、余程の場合でしか使用しないと思われます」

「ええっと……例えば、私とサーラが遠いところに出掛けたとするでしょ?」

「はい」

「そこから、転送陣を使ってお城へ戻る事も可能なの?」

「ええ、可能です。けれども準備は必要ですよ、先に城内に転送陣を用意しておかねばなりません。常に、入口と出口が必要なのです。旅先で転送陣を描いても、繋げる場所がなければ意味を成しません」

「事前に準備が必要、と。でも、とても便利ですね」


 思案しているアンリに柔らかく微笑んだサーラは、髪を撫でてあやす。


「話は逸れますが……一つ、御伽話をしましょうか。宇宙には唯一人、美しい女神が存在するそうです。彼女は宇宙でも生きられるそうで。女神というより、宇宙の創造主様になるのでしょう。伝承として語り継がれてきた話ですから、本当かどうかは怪しいですけれどね」


 文字と睨み合いを続けていたアンリが、不安そうに顔を上げる。当惑している顔が、サーラには妙に印象に残った。


「女神? ……創造主?」

「えぇ、宇宙を創ったとされる創造主は、一人で宇宙に住んでいるそうです」

「一人……私だったら寂しくて耐えられないかも」

「私もそう思います。ですが、女神ですからね。寂しいという感情があるかは謎です」


 アンリに受け答えするサーラだが、無論そんなことは信じていなかった。

 古書物を読み漁ると、『宇宙の創造主である麗しい女神』が時折登場する。類稀なる美貌を持ち、見たもの全てを虜にする女神。人間であれ動物であれ、植物であれ、一瞬で彼女に“魅了される”らしい。マリーゴールド、という単語が一冊の古文書に記載されていたが、それがその創造主の名前ではなく、居る場所を指すということも解った。 

 しかし、これらは想像上のものである。

 確証はない、古代人が宇宙に馳せた思いの象徴だと認識していた。しかし、幼い子らには好かれる物語だ。特に、想像力を育むには相応しい題材で、魔族の子供らにも時折話を聞かせていた。

 アンリが異様に創造主に興味を示していたので、サーラはそのうち暇を貰って書物を探しに行こうと思った。


「……寂しかったんだと思うよ、その人」

「えぇ、一人ですからね」

「……その人、あのね、その」

「え?」


 声が掠れたと思ったら、突如としてアンリは大粒の涙を流し始めた。一筋の光に貫かれた闇のように、苦痛に似た表情で顔を歪めている。

 慌てふためき涙を拭くサーラだが、アンリの涙は止まらない。感受性が豊かな子なので、想像し同調したのだろうかと思った。優しく背を撫で、落ち着かせる。

 ややあって、涙は止まった。

 肩を震わせているアンリの華奢な身体を、サーラは困惑し抱き締める。


「ごめんなさい、突然泣き出して。もう大丈夫です」

「いいえ。泣くという行動は、時に大事なものですからね。心の浄化に繋がるとされていますよ」


 恥ずかしそうに微笑んだアンリは、小さく頷いた。


「泣くって、よくないことだと思っていました」

「悲しいと涙がこぼれます。しかし、嬉しくても涙は止まらない。高揚感を落ち着けようとする、身体の正常な働きなのです。今のは、情動の涙ですね」

「そうですか。……身体って、神秘的」


 アンリは涙を拭い、少し考えていた。


「身体は、我らを生かそうとします。この世に産まれた以上、生きるが定めですから」

「生かそうと……。生きるが、定め……」


 様々な思考が頭脳の中に渦のように描かれているのか、アンリは口を真横に結んだ。そうして、戸惑いがちに開口する。


「あのね、サーラ。お父様には秘密にしておいてね。私……捜したい人がいるから国を出たいの」


 遠慮がちに、アンリは呟いた。

 初耳だった。

 首を傾げ、サーラは瞳を見る為に顔を覗き込む。途端、眩暈を起こしそうになって息を飲んだ。

 アンリの表情は頬を赤く染め、艶めいている。それは、誰にも汚されていない処女の香りがする、初々しい乙女の顔。緩んで若干開いた唇と艶めいた視線に、射らるように圧迫される。

 

「いつも夢に出てくる、とっても素敵な人。()()()()()()()()だから、彼を捜しに行きたいのです」


 その人の傍らにでもいるように恍惚とした笑みを浮かべたアンリは、晴れ晴れとした声で告げた。


「は?」


 多感期の少女には妄想癖がある。それは知っていたが、突拍子もないことを言い出したアンリに、サーラは頭を抱えた。夢に出てくる人物が実在するなど、どう信じてよいものか。

 しかし、アンリは大真面目だった。


「夢を見始めたのは、……何時の頃からかな。彼は私を呼んでる、こっちへおいでって。ここにいるよって」

「んんん? ……呼んでいる?」


 まさか悪霊の類に魅入られたのではと、サーラの顔色が変わった。自分が傍にいる以上、そのような輩に付け込まれる隙などないと思っていたが不安になる。

 アンリの興奮状態は異常だった。


「とにかく、この世に存在する全ての美しいものを凝縮したような人ですっ! 驚くほど綺麗な紫銀の髪なの、そんな人見たことある? とても目立つ髪だから、一目見たらきっと気づく。端正な顔立ちは上品だけど、笑うと幼い感じで不思議な雰囲気なの。太陽のように神々しい光を放っていてね、穏やかな笑顔で私を見ている」


 サーラが手を伸ばすが、アンリはそれを跳ね除けた。そして、身体中に漲る感情を持て余し、地面を転がる。

 唖然としてアンリを見下ろすサーラは、眉を顰めた。彼女は常に明るい、だが、ここまではしゃいでいる姿を見たのは初めてた。

 一見、それは子供らしい。しかし、名も知らぬ異性に焦がれ溺れている、危うい状態だ。“恋に恋をする”という状態なのかと、とサーラは低く呻いた。

 意図せず、胸が少し痛む。そして、自嘲気味に笑った。その“夢で見る男性”に嫉妬したのだが、揉み消すべきは自分の恋慕だと重々承知している。魔族が人間の姫に恋をしたところで、報われることはない。生きていく時間が違う、想いが通じ合ったとしても、何処かで歯車が狂う。

 心に沈む鉛で顔を暗くしていたサーラの目の前で、残酷にも無邪気にアンリは笑っていた。草を衣服に髪に顔に付着させ、邪心の欠片もない表情でこちらを見る。


「サーラ」


 風が急に止み、太陽の光がアンリを照らした。美しい緑の髪が、日差しの温かみを取り入れさらに幻想的な色合いへと変貌する。

 サーラが固唾を飲み込むと、アンリが神妙な顔つきで口を開く。


「どうやったら、その人を捜せる? 知恵者の貴方なら、良い案を授けてくれるのではないかと思って話しました。教えて、私はどうしたらいいの?」


 サーラは打ち震え、息を飲む。そう告げる姿はあまりに崇高で美しく、敬意を表したい気分になった。たかが十歳程度の娘が出せる威圧感ではない。

 硬直し、瞬きすらも忘れていたサーラだが、太陽が雲に隠れ光が遮断されたので我に返った。


「お、お名前が解らないと難しいかと」

「名前なんて知らない、でも、彼は何処かにいるの」

「世界には他種族が存在しますが……彼は人間ですかね」

()()()()

「そもそもアンリ様は姫なので、簡単に外出できませんよ」

「だから相談したの。転送陣をサーラが描いてくれれば、すぐに国へ戻って来られるのでしょう? 捜し出す方法さえ解れば、後は何とか」

「え、ええとですね……」


 転送陣の話をしたのは失敗だったと、頭を抱える。

 真剣なアンリに手を貸したいのは山々だが、しどろもどろにしか答えられない。何故そうもその人に会いたいと言うのかが、サーラには全く解らなかった。夢で何度も見るから、と、一言で済ませてしまえば姫の幻想だ。

 もしくは、幼い頃遊んでいた幼馴染の少年を指すのかもしれない。それならば、王に訊ねてみる価値もある。

 しかし、本当に夢での出来事ならば、逢うのはほぼ不可能だ。

 首を横に振り続け拒否し続けると、アンリは泣きそうに顔を歪める。そうなると、サーラは冷や汗をかくしかない。


「あぁ、困りましたね……。で、では、一先ず旅の許可を貰いましょう。まずはそこからですよ。ただ、最終的な判断は王が下します。王には逆らえません」


 項垂れ、仕方なくそう告げた。惚れた弱みである。


「ありがとう! でも、サーラが一緒ならお父様も許可を出してくれると思うの。きっと上手くいく。きちんとお勉強もします」


 十二歳になったアンリは、時折故意ではないのか、とサーラが思うくらい有無を言わせぬ強引さで迫ってくる。聞き入れてしまう自分も情けないと思うが、大きな緑の瞳で見つめ続けられると頷いてしまうのだ。

 拒否出来ない。悲しませたくないから、喜ばせて笑顔が見たいから。甘い菓子を、更に砂糖で包むように溺愛する。

 赤子の頃から傍にいて成長を見守ってきたので、情が移ったのだろうと思い込もうとした時もあった。しかしそれは、言い訳に過ぎない。

 何れ、アンリはサーラに釣り合う美女になるだろう。年の差など、見た目では解らなくなってしまう。だが、魔族と人間が同じように時を過ごすことが出来るのは、ごく僅かな時間だけ。

 あっという間に彼女は年老いて、天に召されるだろう。


「はぁ……」


 城に帰り、沐浴の為アンリと離れたサーラは自室に篭った。

 アンリが成長するということは、王の寿命が近づいているということ。その為、本人は知らないがすでにアンリの夫を探す話が浮上している。そんな中で旅など許されるわけもない。


「いっそのこと、その夢の彼が他国の王子であればいいのに。そうしたら、全て丸く収まる」


 言いながらも、感情とは面倒なものだと落ち込む。

 アンリには幸せになって欲しいのに、知らない男性の隣で微笑む彼女を見たくはないとも思う。立ち去れば見なくて済むのに、彼女の傍にいて死ぬまで護り続けたいとも願ってしまう。

 

「矛盾してますねぇ……やれやれ」


 言ってしまった手前、王に旅の許可を貰うべきだろうか。

 しかし、訊かずとも答えなど明らかである。王の手を煩わせたくもないが、落胆するアンリも見たくはない。妙案など浮かぶわけもなく、頭を悩ませ食事さえも忘れて考え込む。

 時は過ぎ、深夜になっても寝付けず、溜息ばかりを零し続けた。


「はぁ……辛い」


 蝋燭の小さな明かりが、頼りなさげに部屋を照らしている。

 寝台に腰掛け瞳を閉じ、まだ悩んでいたサーラは、夜半過ぎに不快な物音を聞いた。

 不審に思い、迷わず廊下に出て城下街を窓から覗く。特に異常はなさそうだが、妙に皮膚がピリピリと緊張している。情緒が乱れ過敏になっているせいだと、素直に胸を撫で下ろすことが出来ない。


「サーラよ」

「これは、国王陛下。いかがなさいましたか」


 言ったものの、緊張感を走らせた。サーラと同じく、王も胸騒ぎがして駆けつけたのではないか。


「うむ」


 王が神妙な顔つきで頷くと、嫌な予感はいよいよ膨らむ。言葉など不要、緊急事態だと判断する。

 不審な物音を聞いたのは、サーラだけではなかった。王は踵を返すと兵士を招集し、態勢を整える。

 街の様子はなんら変わりない、けれども。

 不満そうな声を漏らしている兵らを尻目に、サーラは久方ぶりに羽根を伸ばし窓から飛び立った。王と自分の予感が外れているとは到底思えない、外れて欲しいのはやまやまだが。


「杞憂であれ」


 射抜くような視線で、注意深く城の上空から周辺を見渡す。

 前方は海だ、崖である。

 しかし、後方は。


「な!」


 夥しいほどの魔物の羽音が聞こえてきた。

 夜空に浮かぶ黒い雲は、魔物の群れ。

 蒼褪めると急降下し、王に伝える。この城を狙ってなのかはまだ解らないが、上空を通過するだけでも脅威の数だ。人々が怯え、動物らも暴れ出すだろう。

 飛行型の魔物であることは分かるが、もう少し接近しないと正体が掴めない。ただ、闇夜に浮かぶ真紅の瞳が恐ろしい。

 突然の事態に慌てふためく皆だが、王の判断の元、万が一を考え民を城へと緊急避難させることとなった。


「急げ! 急いで城の地下へ!」

 

 兵士は馬に飛び乗って街へ向かうと、一軒一軒扉を叩き、民を城へと誘導する。

 何が起こっているのか分からない不安から、民の表情はこわばっていた。蒼褪めた顔で怯えながらも、家族で身体を寄せ合い城へとやって来た。

 毛布に水と食料を配布して、地下へと進ませる。


「窮屈な思いをするだろうが、万が一じゃ。皆、耐えてくれ」


 王が状況を簡単に説明すると、民は魔物が上空を過ぎることを願って瞳を閉じた。

 この惑星の神クレロに祈る。

 状況を把握すべく様子を窺っていたサーラは、二十体ほどいることを確認した。歯軋りして瞳を細め、睨みを利かせる。


「鵺ですね。妙に数が多い」


 単体で見たことはあったが、群れをなしているのは初見だ。確かに、周辺に鵺の生息地域はある。けれども集団行動を好む魔物ではないと認識しているので、胸に忍び寄る黒い雲が濃くなっていく。


「魔界イヴァンへ向かっている……?」


 魔界イヴァンとは、北に位置する魔族が住まう土地である。

 現魔王の名はアレク。彼は、人間との共存を願う平和主義者だ。

 彼の従兄弟であるナスタチュームこそ、影で魔族を支える者であり、サーラが忠誠を誓う男である。旅をしていたのは、彼に調査を依頼されたからだった。

 鵺の群れがなんであれ、念の為ナスタチュームに報告せねばと唇を噛み締める。この光景は、異常だ。

 一時も目を離さないよう、夜空に神経を集中させる。

 早く去って欲しいと、誰もが願っていた。

 息を殺し、通過するのを今か今かと待つのだが、それは確実にこちらへ向かっている。

 見張り台から、接近する伝令が王へと届くたびに、人間は恐怖で顔を強張らせ、発狂しそうな緊張感に包まれた。


「お前の仕業だろう! お前が呼んだのだ! この災禍めっ」


 突如として兵隊長がサーラに掴みかかり、壁に叩き付けた。

 切羽詰まった怒声に、悲鳴が上がる。兵らが止めようとしたが、血走った瞳と死人の様に蒼褪めた唇の兵隊長は、サーラに暴行を加え続けた。

 王が一喝し、兵らが死に物狂いで隊長とサーラを引き離す。

 サーラは殴られた頬にそっと手をやり、じんと痛む肌に肩を竦めた。極限状態の恐怖で錯乱したとしても無理はないが、隊長という立場ならば皆の見本として冷静であって欲しいとも思った。

 手負いの獣のような炯々とした瞳でこちらを見ている兵隊長を、憐れに見やる。 


「落ち着け。何故サーラが魔物を呼ぶ必要がある? 今は力を合わせ、この危機を抜けねばならぬ。隊の乱れは敵の思う壺じゃろう」


 王の呆れたような声に、兵隊長は言葉を詰まらせ俯いた。


「鵺は手足が虎で顔が猿、尾が蛇という奇怪な魔物です。火に弱いので弓矢に火をつけ攻撃しましょう。辛うじて私が得意とする魔法は火炎ですので、先手を打ちます。仕留め損ねた場合、助太刀をお願い致します」


 殴打された腹を擦りながら、サーラは徐に立ち上がった。

 久し振りに激しく身体を動かすので些か不安だが、そうも言っていられない。


「平穏に慣れ過ぎてしまいましたね。鍛錬を怠ってはいけなかった」


 後悔したところで遅い、今は本来の実力を発揮出来るよう祈るばかりだ。


「しかし、何故この城を? あれほどの数、何者かが操っているとしか」


 言うなりサーラは城から飛び出し、翼を広げ宙を舞いながら鵺へと突進した。

 即座に火炎の呪文を放ち、四方を囲う。炎の中に閉じ込められた鵺は、醜い声で啼き喚きながら火の中でもたついている。


「よし」


 勝機が見えた。

 逃げ道を遮断し、確実に仕留める。数が多くとも、一体一体狙っていけば、十分相手に出来ると確信した。ただ、炎の壁を突破されないよう最新の注意を払う。

 毎日磨いていた剣を存分に振るい、鵺の首を刎ねる。兵らに支給されている剣と同等のものだが、その切れ味に感嘆した。王から手ほどきを受けたとはいえ、数年前までは嗜む程度。サーラ自身が、威力の高さに驚く。


「これならば……!」


 勢いづいたサーラは、被害を出さぬように上空で独り、懸命に戦う。


「私も出ます」


 その頃、ようやくアンリが寝ぼけ眼でやって来た。

 騒がしいので室内を出ると、女官らは「何でもございません」と見え透いた嘘を吐く。彼女らは、有事の際にアンリを秘密の抜け道から安全な場所へ連れていく役目を担っていた。

 アンリは眉を顰めながらも大人しく室内に戻ったので、女中は冷や汗を拭った。

 しかし、すぐに武装したアンリが扉を開き出てきたので慌てふためいたところだ。その手には、弓が握られている。


「姫様、どうかおやすみをっ」

「状況を教えてください」


 部屋に戻そうとする女中らを振りほどき、父である王の前に出たアンリは鋭利な視線を向けた。肩を上げ荒い呼吸を繰り返しながら、周囲を見渡す。

 参戦する勢いの娘に、王は苦笑しながらも頭を撫でた。


「アンリは、サーラから弓の扱いを習ったのであったな」

「はい。ですから、私も戦えます。命中率が高いと褒めてくださりました、お役に立てると思います」


 その勇ましい瞳に王は儚く微笑むと、屈んでわが子の頬に口づける。


「魔物が攻めてきた。今、サーラが一人で戦っておる」

「加勢します! サーラは魔法も教えてくれました」


 焦燥感に駆られ叫ぶアンリを、王は首を横に振って宥める。


「まだだ。サーラならやり遂げよう、彼を信じ待つのだ。もどかしいが、今は彼に頼ろう。あのような魔物に立ち向かう勇気がお前にあっても、……兵らにはない」

「しかし! 私一人でも援護はできます」

「駄目じゃ。彼は民を、私を、そしてお前を護る為に戦っておる。空中戦じゃ、彼の足を引っ張りかねぬ」


 目で訴えられ、アンリは借りてきた猫のように大人しくなった。悔しそうに唇を噛み、腕を震わせる。


「……足手纏いになるのは、嫌です」

「そうじゃな。我ら人間は、彼のように宙に浮くことが出来ぬ。もどかしいな」


 王は哀愁を見せた。

 剣を握る手が震えていることに気づいたアンリは、ハッとして父を見上げる。王もまた、非力な自分を恥じ、口惜しいと自身への怒りを露わにしていた。

 人間は、どうしてこんなにも脆弱な種族なのだろう。アンリは嘆き、窓から戦っているサーラを見上げる。

 王は、続々と非難する民と、彼らを誘導する兵に吼えた。


「彼に感謝を! 魔族でありながら、この国の為に懸命に戦う彼を見よ! 種族が違えど分かり合える、彼ほどこの国を愛している者はいないのかもしれない。未だに彼を疎む者も居たようだが、間違いだ。彼は、誠実な我らの仲間。今は祈ろう、無事に戻る事を」


 王の言葉に、皆は窓からサーラを見上げた。そして、涙して祈る。

 確かに、数年前は魔族の彼を恐怖の対象とし、嫌悪していた。だが、今は違う。彼の人柄は、王に言われずとも知っていた。

 以前の醜い心を悔い、民は懸命にサーラの無事を願った。誰にでも優しく、気品溢れつつも、気さくな青年。その風貌から戦いは苦手だろうとも思う、けれども果敢に一人で立ち向かい、上空で交戦している。

 悔しさから涙をこぼすアンリの背を軽く叩き、王は宝剣を強く握り直す。少々お転婆だが、立派に育った一人娘に満足していた。

 数年前のあの日、サーラをアンリの家庭教師として傍に置こうと決めたのは。


「いつか来る、魔族の侵略に耐えるため」


 岩壁を貫くような瞳で、王は見据える。

 目立った被害はなかったが、暗躍する魔族がいるという情報は得ていた。最悪の事態に備え、こちら側に魔族を引き入れる必要があると常々思っていた。人間と魔族とでは、力量に大きな差がある。稀に秀でた能力を持つ人間もいるが百人に一人、いるかいないか。

 この国で対抗できる人間は、自分一人。現実を知った王は、偶然やって来たサーラを見た瞬間に決意した。

 彼の人柄、力量ならば、万が一にも耐えられる。サーラを師とし学んだ民もまた、貴重な戦力になると。

 先を読んだ王だったが、想定外なことが起きた。

 世の中には、常に汚い輩が存在する。

 だから世界は、何時まで経っても平穏にならない。

 そういう仕組みなのだ、悲しいが。

 絹を裂くような悲鳴が上がった。

 驚いて皆がそちらを見ると、広間にゴブリンがなだれ込んできている。


「むぅ、地上部隊かっ」


 ゴブリンらは、手に棍棒を携えていた。

 兵士は押し返そうとして懸命に戦っていたが、いかんせん数が多すぎる。何より、初めての魔物の襲撃で混乱する者も多く、本来の力を発揮出来ていなかった。

 状況不利と見て、王は前線に出るべく急いだ。

 弾かれたようにアンリも後を追いながら、弓でゴブリンを威嚇する。


「サーラ!」


 アンリは、彼が心配で空を見上げた。あと一息で鵺を撃破出来そうな光景に、勇気を奮い立たせる。ならば、こちらも勝利を掴まねばならない。


「退きなさい!」


 アンリは炯々とした瞳で、雨のように矢を降らせた。

 民は涙を流し、震えながら救世主である魔族を待つ。王と姫が危険を顧みず戦っているが、自分たちには何も出来ないと嘆いた。


「しっかりなさい! 楯を構え、防御を! 陣を組んで、ゴブリンを押し返すのです」


 狼狽している兵らに一括し、アンリは汗を拭いながら空になってしまった箙を投げ捨てた。接近していたゴブリンを弓で殴りつけ、距離をとってから魔法の詠唱に入る。

 果敢な姫の姿に兵らの士気が上がり、楯で壁を作って応戦した。

 上空で戦っていたサーラは、地上の劣勢に気づいていた。鵺を仕留めておかねば後々面倒なことになることは分かっていたが、相手をしている時間はない。土壇場に追い詰められるも、冷静になるよう頭を回転させる。

 火炎の魔法を強化し、残る二体を強固な炎の檻に閉じ込める。戸惑う鵺らに睨みをきかせ、直様急降下して城へと向かった。

 ゴブリンは、訓練した人間であればどうにか戦える相手だ。数の多さで気迫負けをしているが、厄介な事に指揮官が存在する。

 つまり、単なる烏合の衆ではない。指揮を執っているのは、魔族だ。


「ハッハッハー! 愉快愉快、人間は貧弱で憐れだなぁっ」


 宙で踏ん反り返り戦況を見据えている、髭を生やした下卑た魔族。酒を煽りながら愉しんでいた。

 人間たちはその魔族に憎悪を抱いた。とても、サーラと同種族には見えない。あれこそが、人間が危惧すべき魔族である。表情には、悪人特有の険があった。


「は、話が違う!」


 突如として、兵隊長が絶叫のような悲鳴を上げた。

 一瞬静まり返った其の場にいた人間らは、そちらを冷ややかな瞳で見つめる。

 やはりか、と苦虫を潰した様な顔で呟いた王に、魔族は口笛を吹いて豪快に笑った。


「王様、いけねぇなぁ。コイツが裏切ると解っていたなら、処分すべきだったろう。アンタは甘いねぇ。その甘さがこの悲劇を生んだのさ。これは人災だ、アンタのせいだ! ハハハ、滑稽だなぁ!」


 王を見下され、兵や民、そしてアンリは吼えるように叫んだ。魔族は確かに恐ろしい、しかし、親愛なる王を愚弄されては黙っていられない。

 だが、魔族は煽るように鼻で嗤うだけだった。


「約束が違うだろう! 私はあの魔族を追い出して欲しいと頼んだのだ、城を攻撃するなど聞いていない!」


 兵隊長の言葉に、その場は水を打ったように静まり返る。

 魔族は大きな欠伸をし、鼻をほじりながら大袈裟に首を傾げた。 


「お前さぁ、大馬鹿だろ。忠実な魔族を信じず、わしに依頼するなんざぁ、単細胞だなぁ? うひゃぁっははっ! いいねぇいいねぇ、その絶望に打ちひしがれた顏! お前のせいで城は崩壊、民には恨まれ、王には飽きられ。いやぁ、楽しいねぇ、楽しいねぇ!」


 唖然して会話を聞いていた民は、多少混乱したものの兵隊長の妬みがこの事件を生んだのだと知った。

 サーラに懐いていく民が、部下である兵が気に入らなかったのだろう。何より、国王から一目置かれ信頼されていたサーラが目障りだったのだろう。

 つまり、ただの嫉妬である。


「なんということを! 愚か者っ」


 アンリは即座に近づき、隊長の頬を平手打ちした。


「情けないっ! それでも兵隊長ですかっ! どうしてっ」

「も、申し訳ございませ……ん」

 

 彼も、焦っていたのだ。自尊心を傷つけられ、自暴自棄になってしまった。そして、魔族の誘惑に乗った。サーラさえいなくなれば、自分への信頼が戻ると。

 だが、サーラが魔族であれ人間であれ、結果は同じだったろう。彼に兵隊長の荷は重過ぎた。

 其の場に崩れ落ち項垂れている隊長を尻目に、アンリはその細腰の剣を抜いた。怒りで身体が震えるが、彼を非難したところで好転することはない。

 時間の無駄だ。


「私が相手になります!」


 悔しさに耐えるように唇を噛み、アンリは猪突猛進する。


「おやおや、これはこれは。実に勇ましい姫さんだなぁ? その隊長さんより余程かっこいいぜ。あんたが兵隊長の任に就くべきだったなぁ」


 挑んできた小柄な娘に、魔族は目を丸くして失笑した。想定外に愉快な余興だと、手を叩いて喜ぶ。


「黙りなさい! 即刻立ち去れっ」


 虚勢だと侮っていたが、ゴブリンを薙ぎ倒して突き進む様子を下卑た笑みで見ていた魔族は、ようやく地に降り立った。非力だと高を括っていたが、的確に急所を突いている。

 口先だけではない、この姫は兵らよりも強いと気づいた。


「おんやぁ、気に喰わねぇなぁ」


 姫の活躍に、人間の士気が高揚している。つまらない展開になる前に、出る杭は打たねばと恭しく礼をした。


「勇猛果敢な姫さんに名乗ってやるよ、餞別だ。わしの名はオジロン。魔王アレク様親衛隊副隊長であり、次期ドラゴンナイト部隊長が約束されている男よ」


 人間らは、歯を鳴らして怯えた。大層な肩書きを聞き、とても勝てる相手ではないと恐れおののく。

 しかし、アンリは怯むどころか小馬鹿にした口調で告げた。


「名乗ってくださって、ありがとうございます。私の名はアンリと申します。オジロンさん……でしたね。魔族は人材不足ですか? 気の毒ですね。貴方のように卑怯な方が隊長だなんて、驚きです」


 恐れもせず前に立ち塞がったアンリは、挑発するように本音を吐露した。

 吐き棄てられた言葉に、オジロンの羞恥心と憤怒が沸点に達する。しかし、心中を見透かすようなアンリの瞳に喉を鳴らし、固唾を飲んだ。


「こ、小娘ぇっ!」

「あら、申し訳ございません。真実を告げたまでのこと……ですが、心を抉ってしまいましたか?」


 涼しい顔で告げるアンリは、集中し剣を構えている。

 確かに、オジロンの言葉は全くの出鱈目だった。何時までたってもうだつの上がらない、しがない魔族である。副隊長でもなけれれば、ドラゴンすら手懐けられぬ男。


「血祭りにあげてやる、糞生意気な小娘がっ。謝罪しても遅いぞ、死んで詫びろ!」


 人間に見栄を張ったものの、即座に否定され咆哮した。怒りで顔を真っ赤にしながら腰の剣を引き抜き、アンリに向ける。

 禍々しい光を放つそれだが、アンリは屈しなかった。先程よりも落ち着いた様子で剣を構え、瞳を光らせている。

 その気高く気丈な態度は、オジロンの苛立ちを増幅させた。

 睨みを利かせる双方に、声が降ってくる。

 

「アンリの言う通りです、下がりなさい愚劣な者よ」


 奮い立つようなしっかりとした声に、爆発的な歓声が上がった。

 深紅の髪をなびかせ、サーラがふわりと窓から登場する。普段の彼からは想像出来ぬ怒気を含む低い声と鋭利な瞳にあてられたゴブリンらは、狼狽し萎縮した。

 降り立った魔族は、麗しき英雄。低俗なゴブリンは、その威圧感で逃げ惑う弱き存在でしかない。統率者であるオジロンが優れていたならば、ゴブリンの士気も下がらなかっただろうが。

 我先に逃げようとするゴブリンらを止める暇もなく、彼を見やったオジロンが素っ頓狂な声を上げた。総毛立つような顔色と目つきは、明らかにサーラを知っている。


「に、人間に加担している魔族って、あんたのことだったのか!?」

「おや。私を知っているのですか」


 先程の威勢は何処へやら、オジロンはまるで蛇に睨まれた蛙だった。絶望しきれぬ恐ろしさに、悩み抜いてる目をしている。

 意気消沈したオジロンに肩を竦め、サーラはアンリへ歩み寄った。


「大丈夫です、アンリ。私が代わりに相手しますので」


 そっと剣を下ろさせ、落ち着かせるように髪を撫でる。

 アンリは、固まっていたものが融けるように、立ち据わる力を失くして座り込んだ。肺を大きく上下に揺らし、懸命に呼吸をする。緊張の糸が切れ、剣を握っていた手が震え出す。

 知らずと、涙が零れ落ちた。気丈に歯向かったが、怖かったのだ。


「あんた、サーラ・ドンナーかっ」


 しきりに膝が震えるので、立っていられなかったオジロンはついに尻もちをついた。


「“紅蓮の覇者”の異名を持つ……あのっ! ()()()()をしている魔族の筆頭」

「そうも呼ばれていましたね、忘れていました。それにしても、何故そこまで詳しいのでしょう。……不愉快です、私は貴方を存じません」


 余計なことを口走ったオジロンは盛大な悲鳴を上げた。

 普段は虫も殺せぬような笑顔を浮かべているというのに、迫りくるサーラの瞳は怒りで燃えている。


「去れっ! 二度とこの地に足を踏み入れるな!」


 サーラがゴブリンに一喝すると、蜘蛛の子を散らすように逃げ去った。


「ヒ、ヒィィィィィッ……」


 敗北を確信したのだろう。ゴブリンに混じり、オジロンは這って逃げようとした。あまりにもおそまつな指揮官だった。


「待ちなさい、貴方には訊きたいことがあります」


 しかし、許すはずもなくサーラが追う。愛する皆の前で拷問や惨殺は避けたいが、逃がしてはならない。


「私の事は抜きにしても。……貴方のような魔族がいるから、善良な魔族が間違えられ迫害を受ける羽目になる。許しません」


 冷酷な声で告げ、容赦なく斬りかかる。

 喉の奥で叫びながら、オジロンは転がって必死にかわした。

 最早、勝利は目に見えている。王は胸を撫で下ろし、アンリは女官に支えられ立ち上がり、民は勝鬨を上げた。

 サーラによって、誰一人失うことはなく国は護られた。

 そして、兵隊長は部下に取り囲まれ、王の前に引きずり出された。情けなく項垂れている様子に、民は落胆する。振る舞いこそ高慢だったが、真面目な男だと信じていたのに。

 嫉妬、そして信頼されたいという欲望は強くも醜く恐ろしいものである。


「お父様」

「…………」

 

 浮かれる人々の中、それでもアンリと王は妙な胸騒ぎに気を張り詰めた。このまま終わって欲しいのだが、そうもいかない嫌な予感がする。

 窓から見えた月が不気味なほどに朱く、アンリは胸を押さえ狼狽する。

 瞬間何かが弾け飛び、悲鳴が響き渡った。


「何事ですかっ」


 アンリは再び剣を構え様子を把握しようと睨みつけると、煙の中から鵺が現れる。


「っ、生きていたのか」


 焦燥し振り返ったサーラだが、驚異の眼を見張った。

 鵺は、死んでいた。

 真っ赤に燃え盛る二体の鵺の死骸の上に、女が立っている。


「ビアンカさまぁ」


 オジロンが涙声で叫んだ。

 知り合いということは、こちら側の敵。即座に判断し、舌打ちしたサーラはその女へ向かって剣を振り被る。

 女の黒髪が揺れ、余裕めいた残忍な笑みを見せた。


「サーラ・ドンナーに会えるとは、奇怪なことね。部下の失態、許していただける? 相手になりましょう」


 神経を逆なでするような、絡みつく女の声。血も凍るような不気味さに、王とアンリは構えた武器を落としそうになった。

 斧と剣がぶつかり合い、金属音が反響する。

 俊敏にサーラは斬り込んだが、舌打ちし間合いをとった。ビアンカの力はオジロンと桁違いで、額に嫌な汗が滲む。先の鵺戦で体力を消耗していることに、ひどく焦った。持久力が乏しい自分に腹が立つが、万全の状態でも五分五分の相手だと悟る。


「うふふ。小物でも役に立ったようね」


 サーラの上がった息遣いを見たビアンカは、艶美な冷笑を浮かべた。阿鼻叫喚の人間たちを見下ろし、目障りだとばかりに魔法を繰り出す。


「吹き飛びなさい、邪魔よ」


 鋭利な空気の刃が人間を襲い、空中に血飛沫が舞った。


「うふふっ! とっても綺麗よ、人間。普段は醜いけれど、血を流す時だけは美しいわね」

 

 そんな光景を、狂気に満ちた瞳で見ていたビアンカは嬌声を上げた。まるで、絶頂を迎えたようにブルッと身震いして。

 サーラはひどく嫌悪感を抱き、溢れ出る怒りで渾身の一撃を繰り出す。


「あははっ、そぉれっ!」


 しかし、ビアンカは容易く自身の巨大な斧で受け止め、弾き返すと同時に剣を打ち砕く。

 鍛え抜かれた鋼が朽ちた枝木のように脆く崩れ去る様子に、サーラは唖然とした。最も深い絶望に触れてしまい、喉が鳴る。


「サーラ、これを!」


 額から流血しながら、よろめき立ち上がった王はサーラに向かって何かを投げた。

 それは、王の宝剣。

 それを手放してしまえば、王が危うい。しかし、今は唇を噛み締めそれを受け取る。ビアンカを相手にするには、武器がなければ無理だと知っていた。


「お借りします!」


 期待に応えねばと、夢中で斬りかかる。剣は、途轍もなく重かった。しかし、温かさを感じた。

 王が投げた宝剣はグラムドリングという。炎を帯びた両手剣で、この城に代々伝わってきた神器に匹敵する代物である。


「んっふふふふっ! いいねぇいいねぇ、その綺麗な顔が凄愴(せいそう)たる嘆きの表情を浮かべるまで、じっくり遊んであげるっ」


 ビアンカは、異様なほどに剛力だった。しかも、動きは軽快。余裕の笑みで攻撃をかわし、すぐさま斧を振り下ろしてくる。


「クッ……」

「ほぉら、どうしたのっ! 防御だけじゃ勝てないよっ」


 煽るように告げられ、サーラは歯を食い縛る。集中せねばならないのに、瞳がアンリを捜してしまう。

 声が聞こえるのだ、彼女は戦っている。

 気取られないように、サーラは打ち込みながら捜した。


「チッ、興醒めだねぇ」


 気を他所にやっていることに気づいたビアンカは、派手に舌打ちをした。


「そんな余裕、ないだろうがよっ!」


 互角である相手に、隙を見せたのなら敗北を意味する。

 ビアンカの蹴りがサーラの腹部にめり込み、追撃で巨大な斧が振られる。辛うじて刃からは避けたが、横身で殴打され地面へ落下した。


「サーラ!」


 轟音に気づき、アンリは死に物狂いで駆け寄った。盛り返してきたゴブリンをほぼ一人で相手にしていたため、鎧が破損している。だが、瞳にはまだ強い意志が宿っていた。


「ん?」


 物珍しそうにビアンカは近づいた。恐怖の色も見せずに睨むアンリに、面白くなさそうに唾を吐き捨てる。


「奇妙な人間だねぇ、恐怖に慄けばいいのに。可愛げのない餓鬼だこと」


 サーラを抱き締め、アンリは近くに転がっていたグラムドリングを手繰り寄せた。しかし、重量が予想以上で、片手では持ち上げられない。父が軽々と振っていた姿を思い出し、今更ながらに尊敬する。

 後方では、ゴブリンに蹂躙される民の絶叫が響いている。戦える兵は、数える程しか残っていない。あまりにも劣勢な状況に、アンリは泣きそうになった。

 このビアンカを倒せば、事態が一変すると解っている、けれども、アンリでは無理だ。

 もっと、魔法を、剣を学ぶべきだった。後悔したところで遅いが、非力な自分が情けない。

 グラムドリングではなく、自身の剣を握り締めたアンリは素早く立ち上がった。


「参ります!」


 叫んで斬りかかって来たアンリを容易く避けたビアンカは、面倒そうに足で蹴飛ばす。

 全身が軋む激痛に耐え、倒れ込む前にアンリはばねをつかってどうにか立ち上がった。


「へぇ」


 感嘆の声を洩らし、炯々とした瞳でこちらを見ているビアンカに再度斬りかかる。歯を食いしばり、アンリは懸命に喰らいついた。

 負けてなるものか、と。

 今戦えるのは、自分しかいないのだ。

 王である父は、武器を手放す前から戦えなかった。右腕が骨折している。


「神様……クレロ様。どうか、力をお貸しください。私に、御加護を!」


 稲妻のように閃く瞳で、アンリは必死に剣を振るう。


「反射神経はよいね、あんた」


 ビアンカがオジロンよりも強い事は明白で、下手したらサーラよりも強いかもしれない。ゆえに、アンリでは敵う訳がなかった。

 奇跡が起きれば、戦況は変わっただろうが。

 この世には常に罅が入っていて、予期せぬ力で破壊される。

 脆く、儚く、残酷に。


「ああっ!」


 アンリの剣は、ビアンカの斧によって砕け散った。

 折れただけであれば、まだどうにか反撃出来ただろう。しかし、木っ端微塵に粉砕され、勇気をも潰された。

挿絵(By みてみん)

「くっ!」


 それでもアンリは、懸命に替わりの武器を探す。だが、焦燥感で、瞳すら正常に動かない。

 真っ赤な月と、妖しく冷笑する黒髪の魔族。

 それを脳裏に焼き付け、奮闘も虚しくアンリは崩れ落ちた。

 魔法の詠唱をするには、精神力が足りない。

 武器が無くても戦えるような力など、持っていない。

 足搔いたけれど、何も出来なかった。

 ただ、それでも護りたいものがあった。

 相手が強者であれど、何もせずに敗北を受け入れるのは嫌だと思った。諦めたら、路は閉ざされてしまう。


「人間の分際で……なかなか、面白かったよ?」


 ビアンカの耳障りな高笑いが、いつまでもそこに響いていた。


 音もなく細かく霧のように降る雨の中、サーラは目を覚ました。周囲は、耳が痛いほどに静まり返っている。

 身体中に走る激痛に顔を顰め、低く呻く。

 死んでいなかった、生きていた。

 唖然とし、飛び起きようとした。しかし、自分の上に覆いかぶさっている生暖かいものがアンリであると知り、悲鳴を上げてゆっくり彼女を起こす。


「あ、あぁ……よか、ぶじ?」

「アンリ、アンリ! あぁ、なんてことをっ!」


 ビアンカの一撃を喰らい、どのくらい失神していたのだろうか。サーラは溢れ出る大粒の涙でアンリを見つめる。

 必死で庇ったのだろう、鮮血まみれのアンリは、もはや虫の息だった。いや、息があるだけで、奇跡だった。

 治癒の魔法を使えないサーラは、己を責めた。ならばせめて、仲間のもとへ彼女を連れていきたいと思った。主であるナスタチュームであれば、彼女を治すことが出来るのではないかと。

 だが、情けない事に抱えて飛ぶ力など残っていない。

 泣き喚いてアンリを抱き締め、結果的に災厄をもたらしてしまった自分を苛む。


「なか、ない、で……」


 サーラの頬を撫でたくとも、右腕はなく、左腕は折れて動かない。早朝の冷え冷えとした空気の中、息も絶え絶えにアンリは語った。


「ま、え。サーラ、はな、してくれたよね。このせかいに、は、勇者さま、が存在……するって。でも、いま、この世界には、勇者さまが」

「喋らなくていい! アンリ、大人しくしていて!」


 大声で止めるサーラに、アンリは薄く微笑んだ。もう長くはないことを悟っている、会話ができたことこそ神の采配であると感謝した。

 体内から流れ出ていく血液とともに、意識すらも消えていく。だが、伝えたいことがあった。


「ゆうしゃ、さまは。まだ、いないみたいだよね、いたら、来てくれたものね。ねぇ、もし、私がゆうしゃ、になったら、みんなをたすけ、られる、かな。そうなら、わたし、は産まれ変わって、勇者になるの」


 ボタボタと零れる涙は、天の恵みのようで。

 アンリは、もう瞳に映らないサーラを心の瞳で見つめていた。


「だから、まっていて。サーラは、まぞくだから。にんげんよりも、長く生きられるのでしょう? だから、待ってて、生きていてね。そうして、出会えたら、また、教えて、いっしょに、たたかっ」

 

 勇者であれば、人を救える。

 いや、世界を救える。

 そして、きっと何処ヘだって行ける。

 世界が平和になれば、人間も魔族も、仲良く暮らせるに違いない。勇者であれば、そういう世界を創る事が出来るに違いない。

 勇者とは、世界を光へと導く者の総称。

 涙を流し嗚咽しながら、サーラは大きく頷いた。頷かずにはいられなかった。死の淵で、他の誰かを思う少女に屈服した。


「良いことをしたら、()()()は私を誉めてくれるかなぁ。みんなの役に立てたら、嫌われないかなぁ。……私も、仲間に入れるか、なぁ。ゆうしゃ、ゆうしゃに、なる」


 アンリは自嘲気味に微笑みながら、そう告げた。穏やかな笑みを浮かべ、サーラの腕の中で見えない瞳を大きく開く。

 滅び行く国で、()()勇者になりたいと願った。

 勇者になるなら、誰にも負けない力が必要だ。

 他を圧倒する、驚異的な力が欲しい。

 勇者に、なれば。

 勇者に、なりさえすれば。

 もう、何も。


「力を、解放するの。勇者は、とても、強い。勇者は、死なない。いえ、()()()()」 


 疲れ果てアンリは瞳を閉じる。サーラの声が、とても遠くから聞こえてきた。名前を呼ばれているのは判るが、もう、返事が出来ない。

 まどろみ、痛みすら解らぬ中で、アンリは誰かを見た気がした。いや、気のせいではない、誰かが呼んでいる。


『次は死んだらダメだよ、逢えないから』


 その声に弾かれたように頷いたアンリは、切ない笑みを浮かべる。


「待ってて。勇者になるから、勇者になればきっとすべて上手くいくから! 私、勇者になるの。そうしたら、貴方はきっと」


 誰かに叫んで、アンリは手を伸ばす。

 声はもう、聞こえない。


「アンリ! 君をナスタチューム様の元へ連れて行く、あの方なら君を救える! 頼む、頼むから起きてくれ! もう少し、頑張ってくれ! 私も頑張るからっ」


 サーラは懸命にアンリを揺すった。

 けれども、もうアンリは動かない。紫色の唇が動くことも、瞳がくるりとまわることもない。

 慟哭が喉を引き裂く。

 周辺には人間かゴブリンか解らぬ死体の山ができていた。生臭い匂いが漂い、その死臭に多くの獣や魔物が寄ってきて啄ばみ始めている。

 サーラは、誰にもぶつけようのない怒りと後悔に打ちひしがれた。


「あ、ああ……」


 素朴ながらも満ち足りた生活をしていた愛する人々は死に絶え、国は滅亡した。


「どうしてっ、私だけがっ」


 生存者を探したが、累々と死体が横たわるばかりで気が狂いそうだった。


「アアアアアアアアアアアアアアアアアア!」


 サーラは自分を責め続けた。

 喉が潰れるほど、悲鳴を上げた。


「私が、ここへ立ち寄らなければっ」


 自分が起こした惨劇だと、確信した。 所詮、人間と魔族は何処かで歪が生まれるのだ。本人たちが意図せずとも。この城に来なければ、魔族に依頼するほどに兵隊長を追い込むこともなかった。彼の精神は、そこまで蝕まれていたのだ。


「こんなっ、こんなことのために、私はっ」


 その考えは過ちであると、サーラは気づけなかった。兵隊長より優秀な者が国に来たならば、彼は同じことを繰り返しただろうに。


「アンリ、アンリッ!」


 自分を慕っていた老婆の死体が転がっている。刺繍が大好きで、いつも習いに来てくれた婦人だ。

 隣はその孫。よく花を摘んで、サーラの髪に挿してくれた。

 向こうは、弟子を志願していた若い料理人。いつかは都会で料理長を任されたいと、夢を語ってくれた。

 皆、サーラにすがるように、いや、護るようにして集まっていた。


「あぁ、ああーっ!」


 アンリは、そんなサーラを慰めるようにいつまでも手を握ったままだった。


……命を、絶たないで。絶望しないで、サーラ、貴方は皆を護ったの。だから、皆は貴方に感謝し護ったの。貴方は生きて、生きて。


「無理だ! 私は、もう、何もっ」


 紅蓮の覇者の異名を持つ、サーラ・ドンナー。

 彼の叫びがこだまする。

 何日も、サーラはその場所で泣き喚いた。

 人間の国に身を寄せていると連絡を貰っていた彼の親友がやって来て救出するまで、何も口にせずにそこにいた。

 この場で死ぬことが本望だったのかもしれない。

 だが、叱咤され、殴打されサーラは気づいた。それでも死ななかった自分を呪い、自嘲気味に立ち上がる。


「つまり、まだ生きろと言う事だサーラ。君に科せられた業は、命を絶つことではない」

「そうだね、オークス。大事な皆をこのままにしておくことは冒涜だ、私が弔う。私が、やらねばならない」


 そして、瞳に僅かな希望の光が灯る。


「そうだ。私は、勇者を待つんだ。アンリと約束した」


 夢物語だとしても、アンリの言葉はサーラが生きる為の道標となった。

 事の成り行きを聞いた親友であるオークスは、励ますように肯定し強く頷く。

 何かに縋りたくて虚ろに頷くサーラは、国王から授かった宝剣を手にした。

 そして、以前ひっそり自分で描いたアンリの肖像画を首飾りに隠し、守りとする。

 それは、生きるための賭けだった。

挿絵(By みてみん)

 アンリを、いや、勇者を待つ。


 そして、勇者はやって来る。

 勇者の名は、アサギ。

 それは、地球という惑星から召喚された娘。

本編へ回帰しますが、連載はムーンライトノベルズです()。


お読みくださり、有難う御座いました!



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] サーラに感情移入してしまい……(´;ω;`) この人何にも悪くないのに、魔族というだけで人間からも嫌われ、同胞からは仇扱いされ、大好きなアンリは死んじゃうし、新たな仲間も全部失って…… こ…
2022/01/29 12:44 退会済み
管理
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ